2017年 5月12日


歴女の「お城熱」はとどまるところを知りません。
京都には三つの二条城があるそうです。私は先日、夜桜見物に行ったあの二条城しか知りません。歴女から三つの「二条城」の写真がとどいていますので、紹介いたします。


 その壱 織田信長が築いた「旧二条城」

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            織田信長が築いた『旧二条城跡』の石碑
      京都市上京区室町通下立売角 平安女学院の敷地内にあります。

写真の石碑後方に立っている説明版には、
「永禄12年に(1569年)に、織田信長が、第15代将軍・足利義昭の将軍座所(居城)として、この石碑を中心に、約390メートル四方の敷地にほぼ70日間の短期間に、二重の堀や三重の「天守」を備えた堅固な城を築いた。周辺からは金箔瓦も発掘されており、急ごしらえにしては、四方に石垣を高く築き、内装は金銀をちりばめ、庭は泉水・築山が構えられた豪華な城郭であったと推測される。(ポルトガルの宣教師、ルイス・フロイスの記述等より) その後、信長は旧二条城から義昭を追放し、東宮誠仁親王を迎え入れ、城は「二条御所」として使われていたが、室町幕府の滅亡に伴い廃城となった。天正4年(1576年)に旧二条城は解体され、安土城築城に際し建築資材として再利用された。尚、現在の二条城は、徳川家康によって上洛の際の将軍の居館として慶長7年(1602年)に築かれた。」
と、案内されています。


その弐 豊臣秀吉が築いた「二条第」
   
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         豊臣秀吉が建てた「二条第」跡

立て看板には、
「豊臣秀吉妙顕寺城跡
この付近は、豊臣秀吉の妙顕寺城の故地である。妙顕寺とは、鎌倉後期、日像が初めて京都に建立した日蓮宗寺院であり、たびたび場所は移ったが、戦国時代にはこの地にあった。天正一一(一五八三)年九月、豊臣秀吉は寺を小川寺之内に移転させてあとに二条新邸を構築し、天正一四年聚楽第を造るまで、京都の政庁とした。建物の姿は詳しくはわからないが、周囲に堀をめぐらし、天主をあげていたという。したがって屋敷というより城と呼ぶにふさわしいといえよう。平素は前田玄以が居住して京都の政務にあたり、秀吉が上洛すると、ここが宿舎となった。豊臣秀吉が次第に天下を握ってゆく間の、重要な政治拠点であった。現在、城跡はしのぶべくもないが、古城町という町名となって、よすがを伝えている。京都市」
と、案内されています。


その参 徳川家康が築いた「二条城」

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        元離宮二条城 東大手門です。

そうそう、これが私の知っている二条城です。
この元離宮二条城は、「徳川家康の将軍宣下に伴う賀儀と、徳川慶喜の大政奉還が行われ、江戸幕府の始まりと終焉の場所」でもあります。

京都市では、「平成29年(2017年)は、武家政権が終わりを告げ、新しい国づくりへの転換期となった慶応3年(1867年)の「大政奉還」から150年の節目」を迎える年ということで、1年を通して様々な「記念プロジェクト」を展開しています。そのプロジェクトの一つに「大政奉還150周年幕末維新スタンプラリー」があるのですが、私の故郷の下関市も幕末維新ゆかりの地に選ばれています。スタンプデザインは「高杉 晋作」です。


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                 歴女の旅のお供の「御朱印帳」です。可愛いものがあるんですね。



小学3年生の歴女がとうとうここまでやりました。興味を持つって、とてつもないパワーを生み出しますね。でも、興味のあるもの、好きなものを見つけることは簡単なようで難しいものなのです。
善きものに出会えてよかったね。



                子どもの笑顔を守りたい。幼児教室けいkids+の心です。

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