2017年 5月31日

5月25日に京都府向日市にあります「物集女車塚古墳」の石室を見学した「けいkids+」保護者からレポートが届いていますので、ご紹介します。


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                     物集女車塚古墳(もずめくるまづかこふん)
物集女町南条にある、古墳時代後期(6世紀中ごろ)の前方後円墳です。西側の丘陵からのびる尾根を利用し、ほぼ東西方向に築かれていて、全長は約46mもあります。淳和天皇の棺を運ぶ車を埋めた塚との言い伝えから地元では「車塚」とも呼ばれています。1926年(昭和元)、物集女街道の拡幅の際、前方部の一部が削られましたが、残った部分から復元されました。現在は国指定史跡として石室も整備され、古墳全体に笹が植えられた緑地となっています。
(向日市教育委員会発行「物集女車塚古墳リーフレット」から)


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                               石室
「畿内型石室」という6世紀前半以降に、近畿地方で流行したお墓のつくり方です。玄室の空間は床面が長方形、天井は平坦で、玄室入口片側(西側)に袖石を置き、均一な幅の羨道をもつことが特徴です。(向日市教育委員会発行「物集女車塚古墳リーフレット」から)


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                               石棺
石棺は「組合せ式家型石棺」と呼ばれます。大阪府と奈良県の境にある生駒山系の二上山で採石された凝灰岩製の板材を組み合わせてつくられています。底石3枚、蓋石3枚、長側石2枚、短側石2枚の計10枚で組み立てられ、長側石を除く部材の側面には、縄掛突起と呼ばれる突出部があります。また、石棺が赤く染まっていることが現状でもはっきりとわかります。これは、ベンガラとよばれる赤色顔料です。石棺を組み立てる前に塗られたのでしょう。
(向日市教育委員会発行「物集女車塚古墳リーフレット」から)



保護者のレポート
「物集女車塚古墳の石室一般公開があったので、昨日息子と行ってみました。この古墳は、西暦550年当時のままの全国的にもめずらしい保存状態のよい石室とのこと。1980年代に調査をしたようですが、すでに泥棒が石棺を開け、いくらかの副葬品は盗まれていたとのこと。全国あちこちで同様のことがあったそうで…残念です。天皇の御尊体を運んだ「車」が埋葬された車塚古墳、と聞いたことがあったので、それを信じていましたが、ただの言い伝えでした。「その当時、車はないですよー」って説明員の方に言われ、確かに…と思いました。古墳の形が牛車に似てるから、そう言われるようになったとか。じゃあ前方後円墳は全部車塚では?と思ったらその通りで、全国津々浦々に車塚と呼ばれる古墳があるらしいです。本当は有力な豪族の墓だったようです。壁にある石の種類、また、副葬品から、その人物がどこの豪族とつかながっていた、とか中央ともつながりのあった有力者だったとか、いろいろなことがわかるみたいです。この古墳に埋葬されていた人物は、和歌山の有力豪族とも中央ともつながりがあったことが推測されるそうです。また、同様の古墳が長岡京市にもあることから、当時のこの地域は2人の有力豪族がいたと推測されるとか。そのほかにも石の積み方、追葬の有無でいつの時代の古墳かも推測していくようです。歴史をひもとく考古学って楽しそう!!と思った体験でした。」



歴史とか考古学って、本当に楽しそうだと思います。けいkids+も「歴女」が多いです。
毎年5月下旬に予約制で一般公開しているそうなので、来年は行ってみようと思います。



            子どもの笑顔を守りたい。幼児教室けいkids+の心です。

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