ブラナー・シアター・ライブ「エンターテイナー」


ナショナルシアターライブと同じく、世界の舞台作品を映画館で鑑賞できる素晴らしいものである。映画館はよく行くけど舞台はあんまり…という人に是が非でもオススメしたい。

イントロダクション
ブロードウェイやロンドンの舞台、そしてテレビ作品など、手がけた作品で過去にトニー賞、オリヴィエ賞、エミー賞など名だたる賞を受賞してきた監督ロブ・アシュフォードがジョン・オズボーンの戯曲を演出。第二次世界大戦後のイギリスを舞台に、古びたミュージックホールであらわにされるライス一家の興味深い人間関係を、ケネス・ブラナーを主演に迎えて描く。
 



感想
舞台は古びたミュージックホールの上にある椅子と机、そして一人掛けのソファーがあるだけのシンプルなものである。ここでとある一家の人間関係が構築されていくのだが、物語としては別段物珍しいものでもない。珍しいところを強いていうのであれば、主人公がミュージックホールでパフォーマンスをするコメディアンであることだ。この作品では突発的に主人公による舞台パフォーマンスが行われるのだが、コメディアンとしての彼は自分の家庭の状態を暴露して観客の笑いを誘う。つまり、とある家の様子とミュージックホールでの様子が同時に舞台上に存在することになる。家の中ではダメな父親が披露するパフォーマンスはさぞかし素晴らしいのだろうと思いきやこちらもどこか常に敗北感の漂うもので三流芸人だという事がわかる。その両方を見ている観客は痛々しいまでに自虐発言を繰り返す彼にどんな感情を抱いたのであろうか。

「他人の家庭を覗き見る」という娯楽は結構基本的なもので、芝居としてはシェイクスピアの「ハムレット」や「ロミオとジュリエット」もそういう部分がかなりあるし、近年映画化された舞台「8月の家族たち」では食卓に集まった家族の会話が段々と人間関係を崩壊させていくというものである。日本でいうとドラマ「家政婦は見た」が思い浮かぶ方も多いだろう。他人のプライベートを覗き見て楽しむという決して褒められることではないことが、エンターテイメントとして消費されることはどうやら昔から往々にしてあることらしい。話を「エンターテイナー」に戻す。おそらく、この主人公の「家の顔」と「舞台の顔」のどちらか片方を観ていればきっと普通にドラマとして、エンターテイメントとして楽しめたのだろうと思う。だが、その両方を見さされることによって観客は「お前が消費しているのは何か」という問題を言外に突き付けられるような作品であった。「俺の妻はイクのが好きだ」とジョークを飛ばすコメディアンのすぐそばにさっきまで実際の妻が存在していたのだ。ジョークも生々しさを過ぎると笑えなくなるというが、これはその仕組みを上手く利用した作品であった。そしてそのボーダーラインを観客自身に決めてもらうという挑発的な作品であったようにも思う。

舞台セットでひとり掛けのソファがあったが、このソファは主人公の祖父と主人公しか座らない。つまり父親という家庭内で絶対王者である象徴がこのソファでその使い方もよかった。この作品は膨大な言葉のキャッチボール、というよりドッジボールのようなもので、家族であるからこそのゼロの距離間でぶつけられる感情が非常に暴力的だった。だが、もとよりこの登場するライス一家は最初から崩壊しているようなもので主人公であるアーチ―は2人目の妻と共に暮らしながら浮気を繰り返しているし、前妻との子である娘は恋人と別れて家に転がり込んでくる。現妻は前妻の娘を家族といいながら攻撃的に言葉をぶつけるようなシーンもある。とっくに崩壊しているような人間関係が「家」という同空間に住むことによってかろうじて「家族」として成り立っているという根底にある絶望感がすごかった。「あんたより自分の方がまだマシ」とはたから見ればどうでもいいような家庭内ヒエラルキーに固執して過去を思い出を執拗に出して責めたりするのは見ていて気分のいいものではなかった。そして「じゃあ何故見ていて気分がいいものじゃなかったの?」と自問自答してみると絶望的なものがある。私にもそういう部分があって図星だからだ。言葉のドッジボールと書いたが、投げる言葉の量と家庭内ヒエラルキー、知性は反比例していて、かつての外部の人間であった娘が家で過ごす時間が増えていくにつれて言葉も増えて感情的になり、最終的には実の父親を罵倒するまでになるのだ。

舞台「8月の家族たち」や他の作品でも、いや、現実世界でもそうだが「まぁ、いいや」「ついうっかり」といった感情でこぼれ出る言葉によって人間関係はいともたやすく壊れる。社会を構成する最小のコミュニティである「家族」に焦点を当てることによってヒト対ヒトが浮き上がってくるような作品でその背景に社会への不満や戦争に対しての敗北感(イギリスは第二次世界大戦の戦勝国であるが戦争後に残ったであろう国としての疲労感や傷はあっただろうと思う)が、滲み出るような一面もあった。

ジワジワとなんとなくまた見たいなと思う作品で、なんといっても主演のケネス・ブラナーの演技が素晴らしい。他の役者の熱量のある演技もよかった。カメラワークもカット割りが一切ないもので、ゆっくりとした視点の移動があるものだが映画的というより生の舞台を見ているような感覚になった。字幕についてはおそらくバッサリと切られているところがあるだろうなと思いつつ、それでも楽しめたからいいと思った(DearやLoverといった呼びかけの部分の訳は全くなく、直訳のまま字幕にしていれば嫌味っぽくなるだろうなと思った部分が少なからずあった)。

「家族」を「家族」としているものは何か。人の絆か。家という空間か。それとも血縁か。

家族をテーマにした舞台作品で松尾スズキによる「マシーン日記」やマーシャ・ノーマンによる「おやすみ、母さん」も面白いので興味のある方は是非見るなり読むなりしてほしい。


「他人のプライベートを消費している我々もいつ消費される側にいてもおかしくないのである」という恐ろしい現実を目の当たりにした作品だった。そう思うとタイトルである「エンターテイナー」もどこか恐ろしく感じた。

ブラナー・シアター・ライブ「エンターテイナー」は全国で上映中