世界遺産で思い出すのは2011年、全羅北道益山市に弥勒寺遺跡を見にいった時のことである。弥勒寺を含んだ王宮里遺跡が百済文化を現代に伝えるものとしていかに素晴らしいものかという説明が日本語ガイド(たしか益山市の非常勤)により延々と繰り返され、その時期に世界遺産に指定された平泉遺跡群のことを「羨ましい」と何度も繰り返していた。

復元された九層の石塔。なんかシュッとしすぎてるような・・・・。
王宮里遺跡は世界遺産登録を目指しているのだそうだが、世界遺産というものは国連認定の観光地ではなく、認定されればそれは名誉なことではあるが、同時に厳しく守り育てていく必要があり、取り消されることさえあるということをわかっているのだろうか?とこの時思った。
平泉遺跡群の世界遺産登録を何度も「羨ましい。」と言っていたが、王宮里遺跡は王宮里遺跡であり、平泉遺跡群とは全く別モノ。従って他所の世界遺産を羨ましがるのなら、自分のところを大切にすることを考えたほうがヨい。
以前ソウル市内で開催された鈴木北海道大学名誉教授(ノーベル賞受賞者)の講演会で、韓国人から質問が多く出たが、そのほとんどが「どうやったらノーベルを受賞できるのか?」といういわば方法論であったことを思い出した(この記事)。韓国側は「ノーベル賞を取ることが目標。」という前提でいるのに対し、鈴木名誉教授は「研究の結果にノーベル賞がついてきた。」という立場であった。
韓国人の世界遺産に対する考え方も似ている。世界遺産登録を果たしたその後に来るものが頭からスポッと抜けてしまってはそれは本末転倒ってもんだ。少なくとも復元にカネ使うのは違うような気がするなあ・・・・。