2012年02月23日
2012年02月20日
2012年02月17日
2012年02月14日
2012年02月10日
「国際旅行物語」第9話
半年間の台湾での経験を経ていよいよ国際旅行の社員として働き始めた。
最初は、本当に頼りないものでした・・・。
『いよいよ国際旅行の社員として』
半年間の台湾での研修を終えて帰国した私は、休む間もなく父の会社へ出勤した。
ちょうど秋の旅行シーズンに入る頃で、入社してすぐに一人で添乗にも出て精力的に働いていた。
最初は本当に何も分からないままでのスタートでがむしゃらに頑張っていた。
大学時代も仕事を手伝っていたので、少しは両親の苦労や仕事の大変さも分かっていたつもりだった。しかし、実際に一緒に働いてみると自分の今までの認識の甘さを改めて感じざるをえなかった。
私は、会社の中では社員に認めてもらい、添乗や営業に出ることでお客様に認めてもらう努力をしなければならないと考え、本当に休む間も無く仕事をしたのを記憶している。
時代は、ちょうどバブル景気の終わりごろで、本当にたくさんの仕事があって毎日、夜遅くまで働いていた。
会社は、昭和45年の創業以来、発展を続け社員数も10名を超えていた。
国際旅行で働き始めて1年も経たない頃、台湾へ行くお客様があり、私が担当した。
「台湾でお世話になった会社にも恩返しができる」と意気込んでいたが、添乗先で高速道路の大渋滞にあってしまい、旅の目的であった大事な式典に遅れるというハプニングがあった。今になれば良い思い出だが、当時はお客様からもお叱りを受け散々だった。
こうして、色々なことを経験しながら周囲に成長させていただいた。「二代目」と言われることも最初は重荷であったが、だんだんに楽しめるようになり、「地域貢献」という言葉が自分の中で大きな目標として浮かび上がってきたのもこの頃である。(つづく)
いろいろ思い出されますがいい思い出ばかりです。
本当に感謝感謝!
今日も応援よろしくお願いします。

最初は、本当に頼りないものでした・・・。
『いよいよ国際旅行の社員として』
半年間の台湾での研修を終えて帰国した私は、休む間もなく父の会社へ出勤した。
ちょうど秋の旅行シーズンに入る頃で、入社してすぐに一人で添乗にも出て精力的に働いていた。
最初は本当に何も分からないままでのスタートでがむしゃらに頑張っていた。
大学時代も仕事を手伝っていたので、少しは両親の苦労や仕事の大変さも分かっていたつもりだった。しかし、実際に一緒に働いてみると自分の今までの認識の甘さを改めて感じざるをえなかった。
私は、会社の中では社員に認めてもらい、添乗や営業に出ることでお客様に認めてもらう努力をしなければならないと考え、本当に休む間も無く仕事をしたのを記憶している。
時代は、ちょうどバブル景気の終わりごろで、本当にたくさんの仕事があって毎日、夜遅くまで働いていた。
会社は、昭和45年の創業以来、発展を続け社員数も10名を超えていた。
国際旅行で働き始めて1年も経たない頃、台湾へ行くお客様があり、私が担当した。
「台湾でお世話になった会社にも恩返しができる」と意気込んでいたが、添乗先で高速道路の大渋滞にあってしまい、旅の目的であった大事な式典に遅れるというハプニングがあった。今になれば良い思い出だが、当時はお客様からもお叱りを受け散々だった。
こうして、色々なことを経験しながら周囲に成長させていただいた。「二代目」と言われることも最初は重荷であったが、だんだんに楽しめるようになり、「地域貢献」という言葉が自分の中で大きな目標として浮かび上がってきたのもこの頃である。(つづく)
いろいろ思い出されますがいい思い出ばかりです。
本当に感謝感謝!
今日も応援よろしくお願いします。
2012年02月09日
2012年02月08日
2012年02月07日
2012年02月02日
2012年01月29日
「国際旅行物語」第8話
台湾での生活は、言葉では表現できないくらいいろいろありました。
辛いことも楽しいことも・・・。
『台湾での経験』
台湾で過ごす日々は、大変なこともたくさんあったが、とても充実していた。
台湾周遊ツアーに同行させてもらったり、勉強のためホテルの下見をさせてもらったり忙しい日々を過ごしていた。
何が不自由かと言えば、やはり言葉だった。会社では、日本語で十分会話ができるが一歩外へ出るとそうはいかず何度も冷や汗をかいたことを記憶している。
私は、いろいろな失敗や経験を繰り返しながら海外での旅行業を勉強していった。
滞在して2ヶ月が過ぎる頃には、自分自身が日本の事務所との窓口担当になり、様々なやりとりをしながら現地との重要なパイプ役をこなすようになっていた。
日本の事務所から「現地の台湾の方には正確に意思が伝わりにくいから」という理由で、私経由で細かいことを指示され進んでいく仕事もたくさんあった。
私自身も社会人としてスタートしたばかりで日本人との感覚の違いも感じながら努力する日々だった。
昼間は仕事、そして夜は中国語学校にも通うようになった。日本人・韓国人・アメリカ人・タイ人などが同じ学校に通ってきていた。ここでも色々な国の人同士が片言の中国語で会話をし、多くのことを経験し学べた。
そして、ちょうど半年で初期の目的を達成したと感じた私は、父親の会社へ戻るべく日本へ帰国することが決まった。
台湾で学び経験したことを少しでも役に立てたい。そう思いながらの帰国だった。そしてその半年間本当に多くの台湾の方々にお世話になった。本当に有難かった。
(つづく)
多くの現地の方に「モンちゃん」と声をかけてもらい、とても充実し成長できた半年間だったと思います。
今日も応援よろしくお願いします。

辛いことも楽しいことも・・・。
『台湾での経験』
台湾で過ごす日々は、大変なこともたくさんあったが、とても充実していた。
台湾周遊ツアーに同行させてもらったり、勉強のためホテルの下見をさせてもらったり忙しい日々を過ごしていた。
何が不自由かと言えば、やはり言葉だった。会社では、日本語で十分会話ができるが一歩外へ出るとそうはいかず何度も冷や汗をかいたことを記憶している。
私は、いろいろな失敗や経験を繰り返しながら海外での旅行業を勉強していった。
滞在して2ヶ月が過ぎる頃には、自分自身が日本の事務所との窓口担当になり、様々なやりとりをしながら現地との重要なパイプ役をこなすようになっていた。
日本の事務所から「現地の台湾の方には正確に意思が伝わりにくいから」という理由で、私経由で細かいことを指示され進んでいく仕事もたくさんあった。
私自身も社会人としてスタートしたばかりで日本人との感覚の違いも感じながら努力する日々だった。
昼間は仕事、そして夜は中国語学校にも通うようになった。日本人・韓国人・アメリカ人・タイ人などが同じ学校に通ってきていた。ここでも色々な国の人同士が片言の中国語で会話をし、多くのことを経験し学べた。
そして、ちょうど半年で初期の目的を達成したと感じた私は、父親の会社へ戻るべく日本へ帰国することが決まった。
台湾で学び経験したことを少しでも役に立てたい。そう思いながらの帰国だった。そしてその半年間本当に多くの台湾の方々にお世話になった。本当に有難かった。
(つづく)
多くの現地の方に「モンちゃん」と声をかけてもらい、とても充実し成長できた半年間だったと思います。
今日も応援よろしくお願いします。
