螢光燈

初めまして。螢光燈です。同人活動やオリジナルの創作を、絵に関してやっています。漫画とかアニメとか描きます。よろしくお願いします。イベント以外の時は日常の話をします。

ブログを移転しました。

https://firstlot13.hatenablog.com/

これが新ブログになります。よろしくお願いします

先程自作を投稿しました。


壇上での話含め、解説というか覚書をつらつら書いていこうと思います。

・動画のタイトルの意味
LOVE→愛、恋/(テニスで言う)ゼロ。
FRAME→コマ枠/FLAMEと書くと炎
この2つを組み合わせて
①「恋の話」と見て分かる
②FRAMEがLOVEになる→距離感がゼロになる→付き合う
③LOVEのFLAME→恋の炎が灯る
この辺を念頭に構想したんですが、③の言い回しをネットで検索してもパッとしなくて、「これ嫉妬の炎とごっちゃにしてるのでは」となり没ってます。本当は二人の間に子供が生まれて誕生日ケーキの蝋燭の炎が映るとかそういう感じでした。要素削るのも大事ですなー。


・動画の作り方
手でたくさん描いた。実写素材と絵柄のマッチングがあまりに悪いので。

・動画のモチーフ
壇上でも少し言いましたが、漫画のコマの外側の距離と心理的な距離をリンクさせることが出来るのでは?というネタを元日に思いついて(タイトルもここで思いついた)、実行しています。「フレーム内フレーム」というのはアニメであるやつです(宇宙よりも遠い場所5話とか!)。実写でもありそう。別に私も意識してみてるわけではないですが、まぁ。

・キャラデザ
女の子:おでこキャラでいくと決まったあとが早かった。からかい上手な感じでいきたかった
男の子:半目髪ボサの男以外描きたくないので

・動画で嬉しかったこと
「表現力上がったね」って言われたのが嬉しかったのと、表現力という軸の存在に気づけたこと
一時停止のシーンチェンジの受けが良かった
話がちゃんと伝わった

・動画の反省点
色パラかけろ(作画時)
奥行き出せ(手前と背景を分けろ)
光らせろ(グロー効果)
線画の色変えろ(クオリティが上がる)
色調を整えろ(動画全体の一貫性がない)
音合わせしろ(どうやるんですか)
カメラブレしろ(時と場合による)
線画より勢いが大事(いやほんと)
コンテちゃんとやれ(はい)
クリスタでアニメ描くやり方をしっかりしなさい(はい…)

・動画のこれから
CGは無理
モーショングラフィックは興味ある
まずいろんな動画見て学ぼうね
絵は描きたい
もしくは声付きアニメ
頑張ろう

そんな感じでー。

と、いうわけで9/15,16に行われたFRENZ2018、二日目深夜の部に出展しておりました。参加者並びに運営の方々はたまた観客の皆々様方本当にお疲れ様でした。

前回出展時のブログがあまりに散漫だったので、今回はちゃんと書きます。
まず観客側として。

今年、あまりに作品の質とパワーが高くて、全16部くらいなかった?と思うくらいの密度でした。だいたい全部の作品に一言くらい添えているので、出展者の名前でTwitter検索してもらえれば感想が出てくると思います。個々の作品への言及は追々…として雑感を。

・ジャンルのボーダーレス化が激しい
元々3DCGとかMGとかが多いイベントだと思ってたんですがそれらの人たちが手描きとか実写とかドラムとかコマ撮りとかに進出してきてもう収集がつかない。挙げ句音楽までやっちゃう。そしてどれもが上手い。もうひとつのジャンルで攻めるのは困難なのね…と見ていて泣きました。

・新出展詐欺
言わずもがな若手の台頭と言うやつです。いえ、俺も若手なんですがその下の突き上げがエグいので泣いてました。まぁ作品と作者のパーソナルは関係ないんですがね。オフラインだとやっぱりそこら辺見ちゃいますよねー。と言いつつ今までの出展者はボーダーレス化でパワー増してるので完全に映像制作者のヴァルハラと化しております。

・コンビ愛
毎年言ってますが、チーム出展者の絆がもう24時間テレビ並みにバンバン出てくるので泣きました。映像制作者は惹かれ合う…。去年会場で声かけてそのまま合作ってそんな美しい作品がありますか?ねぇ。

と、まぁ泣いてばかりのFRENZだったわけですが最大の泣き要因は出展順でした。ここから出展者サイドの感想です。

・出順が遅いと死ぬ
前回も深夜の部だったんですが割と早めの出順だったのでなんとかなりましたが今回全体で102番目とかでした。部単位で見るとトリだし。もうラスボスしかいない感じになってるし。でも前回と違って会場で流れる自作を仁王立ちで後ろで見られたのは良かったです。出展前から「あーあの漫画的な」と声かけられたりされてたので、ギリひっかき傷くらいは残せてたな!と思ってました。まぁひっかき傷から膿んでいく危ない毒とかあるし。誰が毒やねん(関西弁的用法)。

・壇上にメモを持っていくのは大事
改めて思ったのは、壇上登るとすべての記憶が飛ぶのでメモ持ってくのはホントに大事。おかげで一応大まかな着想は話せてよかったです。話せなかったことももちろんたくさんあるのでそれは別記事で。

・みんないろんな事考えて作ってる
FRENZの一番楽しい部分であるコメントですが、十人十色以上のバリエーションで様々な思いを皆さん語っていて、俺の作品に感情的なツボは一切ない!!と思ったので(漫画もそうです)今後その辺練り込めないかなーと思いました。

・挨拶をしよう
挨拶はジッサイ大事。古事記にも書いてある。映像作る人と会う機会は(俺は)ここしか無いのでガンガン行くべき。出展者だぞという心持ちが必要。でも出順過ぎないとつらい。

・社会人は(無理)
年下(多分)の方々が「来年から時間無くなるんで映像わかんないっす」って言ってると「(そんなことないよ…)」と思ってますがその辺。実際社会人は無理ですが、「社会人は無理」と言ってる人は逆説的に社会人で作ってる人が言ってるわけです。「無理」と言いつつ作るというこの矛盾。つまり無理になるためには作らねばならず、結果作れるわけです。大丈夫大丈夫…みんなで無理になろうよ。

・鴨肉は美味い
これだけは真実を伝えたかった。


大まかな感想としてはこんな感じでしょうか。
とりあえず今までで一番楽しい、刺激的な映像体験が出来たので大変満足でした。様々な方とご挨拶出来たし前回もこれ言ってましたが名刺無くなるほどいろんな方と話せて楽しかったです。
特に特定の人意識して作ってる感じでもなく、FRENZのスピードについていけるように必死こいて作るのが常なので様々なお褒めの言葉を貰って「俺はこれでいく…!」と思いつつ「これじゃだめだ…!」という相反する感情同士がカウンター打ち込んでくるこの心境を持て余しておりますが、とにかくFRENZ2019は存在するみたいなので今これ書いてる自分を殺すような殺意込めた映像作れればいいかなーとぼんやり思っています。やりたい曲はいっぱいあるけど許諾とかよくわかんないのでよくわかんない。

はい!そんなところです。それでは来年への種火消さない程度に休んで充填していきましょう。Thanks for your watching and FRENZY!
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はい。フリーマントルは思ったよりも近くて、ひとっ飛びというわけには行きませんが津田沼駅からバスで20分ほどのところにあります。途中赤道を通過するんでお見逃しなく。

しらせ5002、詳しくは割愛しますが現在ウェザーニューズが保護して一般法人に所有権があり、折に触れて見学イベントなんぞをやっております。そこに参加してきたので宇宙よりも遠い場所本編と見比べる試みです。ペンギン饅頭号、もといしらせ5003とは結構内部が違いますが縦横はそんなに変わらないので同人活動の補助線にはなるんじゃないでしょうか。ちなみに今年は4/11に観測を終えたしらせが帰港するそうです(記憶が正しければ)。


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しらせの全景はこんな感じ。デカいです。甲板に上がると海上からは3.5mほどあるそうで、そりゃ結月もビビるわ。よく外出ようって言ったなぁ。


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8話で艦上体育をするシーン、甲板の周囲の部分です。十分走れる広さがあります。
ちなみに船で言う後方にヘリポート、収納庫、船倉とのエレベーターがあり、各種イベントが行われているそうです。劇中で言うとOPの縄跳び大会7












7話の出発前の決起集会
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他キマリたちが船酔いで倒れているところがそこになります。
写真を撮るとこんな感じ
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広すぎて伝わらないけどとにかく広い。船倉からのエレベーター3基ある。広い。

そろそろ艦内に行ってみます。まず操舵室
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アニメのほうが新しい(あたりまえ)だけど作りは一緒ですね。壁にも天井にも手すりがあるのが砕氷船っぽいポイント。
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8話で保奈美さんが「53度くらいぃ、揺れたぁ」って言ってる元ネタはこれなのかな?と。しかし右下のイメージ画像が怖すぎる。

お次は食堂。8話で報瀬が素知らぬ顔をしているシーン
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もちろん食堂の形は違いますが、ポイントは机の端。出っ張りがついており揺れてもトレイがずれない、かつ角が空いていて掃除もしやすい合理的な構造になってます。写真だと机の下に椅子を引っ掛ける部分があるのですが、劇中ではないです。なんか椅子が改良されてるのかしら。

そして客室。さすがにここは劇中とかなり作りが違います。でもギミックは同じ。
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荷物を引っ掛けるフックや、ロックを外さないと引き出しが開かないのは共通しているそうです。
ちなみに客室、しらせの乗組員と観測隊の部屋ではグレードが違い、廊下の広さすらも乗組員は狭く観測隊は広いという格差が存在します。世知辛いのじゃ。

また、12話で出てきた理容室もあります。
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左上の看板にキマリみたいな標語が書いてありますが気のせいです。他に医務室、歯医者もあります。

以下小ネタ。
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『コンパサー』キマリのメインウェポンもあります。

あとしらせの解説を受けているときに
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しっかりと宣伝入ってました。てかKADOKAWAが音声を収録しに実際に来たらしいんですが、来たのが1月末らしく。おいおいギリギリだな!とか思ってました。ちなみにこのポスター、家族連れにプレゼントされており、オタクはただ沈黙していました。願わくばちびっこよ、よりもいを見るんだ…。

と、まぁこんな流れでした。今回のツアーは30分ほどで全く触れられないところもたくさんあったのですが、4/21と6/1.2にはイベント公開があり一日見学し放題らしいので興味のある方はぜひ行ってみてはどうでしょうか。私もまた行きたいです。

余談ですがこのツアー、サッポロのビール工場とセットでして
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こうなってしまいます。2杯飲めます。こうしてせっかく聴いたしらせのうんちくは全て忘れてしまうのでした。

そんな感じで。今週13話も正座して見ましょう。
ではでは。




SNSの普及によって現代はシェアの炎に包まれている。他人の発言をシェアするのは簡単だ。メディアの情報はすべてトリミングされ、食べやすいサイズにされてシェアされていく。「切ってばらして並べてシェアしてやんよ」とは零崎シェア識の言である。良い話も悪い話も嘘も誠もシェアされる。何万RTもされた情報は焼き増しを重ねた写真のように、幾度の転載を経たjpgのように劣化してもはや抽象的な良さとか悪意とかをぼんやりと感じさせる程度になっている。

 

そんな誰もが占星術殺人事件のごとくシェアを行う世において一つ引っかかる点があり、この一連の文章はそこに対しての考えを記すものだ。

それは「幸せのシェア」についてである。

 

昨今話題になっているフェイクニュースなど、悪意は真実に比べてシェアされやすいというのは研究によって明らかになっているし感覚的にもうなずける。それに次いで幸せもシェアされやすい。例えば結婚、例えば出産、友人、恋人、ペット、SSR。人によって形は様々だが人生に(ある人には)幸せはあり、SNSには幸せがあふれている。

 

幸せって、シェアするものだろうか。

一概に幸せといっても広義なので例を出してしまうと、というかこの文章の元々の発端である話をすると、子供からの手紙を画像であげている人がいたのだ。紙に一生懸命に書かれたありがとうの文字は一介の独身社会人の心にも一筋の暖かな光を差し込ませる効果があったわけだけれども、それってSNSにあげるものなのか?と考えてしまったのだった。

 

思い返せばこんな例はたくさんあって、おばあちゃんと恋人との手紙を美談として紹介しているとか、妻からもらったかわいい書き置きをのろけ半分で載せてみたりとか、目の端を流れていく例は山ほどある。

別にこれをひがんでやれ夫婦マウントだ、恵まれない人もいるのだから見せるなと言いたいわけではない。個人情報ではないか。書いた人の意思を確認してから載せろというまっとうな意見を言うわけでもない。以下は提言であって、俺ルールをつらつらと書くだけなのだ。

 

シェアの一つの効果として、「感情の増幅」があると思っていて、SNSでない例でいえば「みんなとご飯を食べるとおいしい」とか「チームみんなで優勝を祝う」とかとにかく大人数で何かをするとリターンが大きいというかそういう言説がある。これがSNSでも起こっていてなんか自分の意見が多くシェアされるとシェアが正しさの担保になっているような、気分になることがある(自戒です)。かわいい犬の写真をあげてシェアされると「やっぱりかわいいよな」みたいな気分になる。かわいさに他人の意見って関係なくない?って話なのだけどとにかくそういうことがある。結婚式とか完全にこれだと思うのだけど。

 

上を踏まえて、「自分の子供からの感謝の手紙」を見た時の感情はシェアによって他人に「増幅」されるのか?というのが自分の感じた違和感なんじゃないだろうかと推測できる。そしてこの答えはNOじゃない?ということなのだ。子供からもらう感情って、あまりにもパーソナルな幸せではないだろうか?親子の中で醸造されるコミュニケーションを、他人に見せることで「あらまぁ幸せな家庭ね」なんて型にはまった類型的な感情に堕センション(c久米田デチューンしているのではないだろうか?

 

増幅された感情は他人を介することにより、他人と自分との最大公約数となっていく(「彼女とキスをする」という幸せは一人ひとり違う相手と違うシチュエーションで行われているわけで、他人のキス発言で私たちは完ぺきに話者の体験をトレースできるわけではない)。もちろん最大公約数的な幸せを分かち合うのは必要だと思う、が、その最大公約数への変換過程でそぎ落とされるものがあまりにも多い場合「増幅」は控えた方がいいと思う。「子供が自分の親に伝えたいありがとう」と「一般的な親が子に感じるありがとう」はあまりに遠く、何なら自分の子の感情を一般的に増幅されることによって手垢のついたものにしているのでは、踏みにじっているのではないかとすら思う。

 

自分にしかわからないであろう感情を安易に他人にさらすってもったいなくないだろうか。

せっかく自分だけが楽しめるなら、自分だけそれを飴のように舐めていればいい。モツのように噛んでいればいい。安易に引きこもればいい。無限の広がりを持つ部屋で好きなものだけ見ていればいい。自分の感情を安易に他人に渡すべきではない。と思う。

という長文を書いてみたもののどうもこの長さになると論旨がまとまらないというか、核が見えにくくなってしまう。でもこのパーソナルな感情/シェアという対立は自分の中に確実にあって、ネットを見ている上で正義と悪という二項対立はあまりに乱立しているので自分の中の軸においての「ダサい/ダサくない」という分け方は有用だと思っている。ダサい、はパーソナルな感情なので。

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