ニックリーソンずいぶんと遠い昔の話。

一人のお馬鹿なトレーダーがイギリスの名門ベアリング社をすっ飛ばしたお話し。

私は当時ある日系証券で、先物オプションのヘッドトレーダーの立場にあった。

事件を起こした男はニックリーソンというバックオフィス(受け渡し部門)上がりの若造。
2年ちょっとのトレーディング経験しかなかった。
上司の無知をいいことに、とんでもない損失をごまかしながら、
大相場を張った。
結局散った。

最初は、部下の些細なミスをかばうために行った親心による不正だったらしい。
ほとんどの巨額損失事件の入り口はどれも、ほんのささやかなできごとから始まる。
しかも、せっかくかばった部下はすぐにやめてしまう。あとに小さな損失と不正の事実だけが残されてしまうという皮肉さ。
損失を隠すために使われたのが「88888アカウント」という華僑がいかにもよろこびそうな数字の並んだ、エラー取引を記帳する口座である。ここに部下のミスをほおりこんだ。きちんとエラー報告すればそれで済んだ話。やめていった部下のものなんだから。
その口座に巨額の損失が積み重ねられることになる。

1度開けてしまった損失隠しという禁断の扉からもとの世界に戻ることは難しい。部下の残した損失は少額であったため、その後の顧客からの手数料と混ぜ合わせることでもみ消しに成功した。

そのおよそ半年後1993年の初め、違う部下が二つ目のミスを起こす。今度はかなり大きい。前回のように手数料からの収益とまぶしてごまかせるレベルではない。
ここから、本格的な損失隠しの旅が始まる。
しかし、「取り戻そう」という下心がある取引がうまくいくほど市場は甘くはない。

手口を簡単に説明するとこうだ。
88888のエラー口座にまず部下の損を移す。その口座に損失をカバーするだけの量のオプションを売り建てる。
発覚をふせぐため技術的な資金移動を頻繁に行う必要があるが、核心部分はこれだけである。オプションを売った時に受け取るオプション料は利益にカウントできる仕組みを使うのだ。

オプションの値段は日々変動する。変動によって発生する損失をカバーする必要がある(デルタヘッジ)。そのヘッジ取引は先物を使って行う。リーソンの先物取引はそこそこうまくいき、オプションの変動からの損失を補っただけではなく余分の収益を稼ぎ、半年後にはすべてがなかったことにできる状態にまで戻せた。
ここでやめればよかった。

秋に決定的な出来事が起こる。
大口顧客の注文を取るために無理な値段を提示して、そのポジションを抱え込んでしまったのだ。これは本来リーソンに認められてない取引である。大口顧客からの手数料収入欲しさに、ついリスクをかかえてしまったのだ。過去のミスをカバーした成功体験が彼の背中を押した。禁断の扉はこのとき完全に閉まり、もう後戻りできなくなった。

この取引によって獲得した大口顧客はその後確かに大きな手数料収入をもたらした。シンガポールベアリングの収益を大きく伸ばす最大の貢献者になった。その裏で、88888に疎開された損は拡大を続けた。こうなると、もう歯止めは効かない。88888の損をごまかすために、さらにオプションを売らなければならない。そうすると日々の損益はいっそう大きく動き、それをカバーするための先物の売買はさらに増えていく。

ベアリング幹部は顧客からの手数料で高収益を上げるシンガポール拠点を称賛し、そこで指揮を取るリーソンに一目置くようになる。検査の眼は、この収益がいつまで続くのかという方に向けられた。
悪いことにシンガポールにいる直属の上司はサッカーの話題しか興味を示さなかった。
バックオフィスたたき上げの彼にとって、そんな上司の目を盗んで損益をごまかすのは朝飯前だったらしい。
ルールでは、日中の最大ポジションは規定されており、ポジションの持越しは認めれていなった。それをかいくぐって、巨大な損失ポジションを抱え続けたわけだから、リーソンが指摘するように会社はボンクラだったとしかいいようがない。

彼の取引対象は、日経平均先物と日経平均先物オプション。あと、日本国債先物とユーロ円金先が少し。どこかの投資顧問会社とほぼ同じだ。認められていた取引手法は、SIMEXと大阪の間で生まれる価格差を狙ったリスクの少ない取引とされていた。
当時のSIMEX(シンガポール先物取引所、現在SGX)はフロア取引だったので、取引の様子はリアルタイムで市場参加者には丸見えだった。日本との時差は1時間だが、日本の取引時間に合うようにSIMEXの日経平均先物は取引されていた。

ベアリングのあまりの売買量は、当初市場では大物投資家の存在があると理解されていた。確かにそれも一部は正しい。しかし、実際は取引の大部分がこの若造トレーダーによるものだった。

1994年の夏場ぐらいから、リーソンの取引手口は過激になっていった。
すでに、オプションのヘッジ取引という範疇をはるかに超えていた。
そしてその手法はやがて???なものになっていった。
大口プレーヤーの行動なので、ライバル証券はみなその手口を分析する。

私の部下が異変に気づいた。
1994年晩秋のことである。

当時は日経平均は20000円手前をうろついていた。
リーソンは、19000円から20000円の間で日経平均がとどまれば収益が上がるポジションを積み増していた。それだけだと、相変わらずハデにやっているなという話なのだが、先物の売買が変調をきたしていた。

私の部下は詳細にベアリングの売買を追っていた。
普通、オプションで相場が動かないほうに賭ける場合、想定レンレンジの端に近づいた場合、レンジが外れた場合に備えて、先物を順張りしなければならない。つまり、下がれば先物の売りを増やす必要がある。

ところが、ベアリンングは全く逆のことを行っていた。レンジの端からもとに押し戻そうとするように売買を仕掛けるのである。

市場ではこの不思議なベアリングの動きが話題になり始めていた。