九条清隆 相場観と金融工学

株式・先物・オプション・FX・仮想通貨など、投資・投機を通じていろいろ考えるブログです。

カテゴリ: とんでもない出来事

なんでもありの中国とはいえ、最近の市場介入はさすがというところです。
日本の官製相場が可愛く見えてしまいます。

さてさて、素朴な疑問
売買停止銘柄があるときの先物やオプションの理論価格のお話。

理論価格というのは、現物と先物を比べて同等な価値と見なす価格です。
特に、現物と先物、オプションとの間で裁定取引を行なう業者には大切な価格です。
先物だけ、オプションだけを売買する人には参考にすぎません。

今回の中国市場のように、構成銘柄の多くが売買停止になると、売買停止の銘柄のリスクをどうおくかで、それぞれの業者の考える理論価格に大きな差が生じてきます。
現在ついている指数は幻ですから、それぞれの業者が、実勢指数を点ではなくリスクを加味したレンジで考える必要が出てきます。このレンジが業者のリスク強度や体力で異なってきますから、通常働く裁定による現物先物間の調整力がほとんどなくなって、市場参加者の需給だけで先物やオプションが売買されます。

その結果、先物の乱高下はいっそう激しくなります。

ちなみにアメリカ市場でギリシャのオプションがATMボラ100%中国がATMボラ60%程度で売買されているという話もあります。


 
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金融商品販売業者
投資助言会社
投資運用会社

なかなか違いが分かりにくいと思いますので、簡単に説明してみましょう。


2007年の金融商品取引法で、証券会社は金融商品販売業者、投資顧問会社は投資助言会社と投資運用会社に法律上分類されました。それ以降は証券会社や投資顧問会社という呼び方は通称です。

アブラハム社は
投資助言会社です。

昨年年金詐欺事件を起こしたAIJは最初は投資助言の投資顧問で、途中でシグナ投資顧問を買収して投資一任の投資運用会社に変りました。

 投資助言

アブラハムもAIJも海外ファンドを買うことを「助言」していましたが、違いは

アブラハムは全くの第三者が運用するファンド
AIJはAIAという身内が運用するファンド
を買うことを助言。

アブラハムは、顧客が海外ファンドを購入するところまで手続きをサポートしていた。
AIJは、ファンドの買い付けは、身内のITM証券を使っていた。

どちらも特定の海外ファンドを購入するという出来レースの助言だけを行うわけですから、その行為から大きな手数料をいただくわけにはいきません。

アブラハムは、海外ファンドからのキックバックを巧妙に行ったわけです。
AIJは、ITM証券が顧客から販売手数料を徴収しました。
アブラハムは、この枠組みの中で金融商品販売業務を無届けで行った罪に問われているわけです。

AIJの場合は、その後大きな変更があります。

2004年に投資一任会社シグナ投資顧問を買収して
投資助言会社から投資運用会社に変ります。

それが、この図
投資一任

この業態変更によって

AIJは年金基金と直接投資一任契約を結べるようになりました。

しかし、投資一任契約といいながら、実際の運用は従来通り海外ファンドを購入するだけです。
顧客資産を管理する信託銀行にAIAのファンドを買えという指示を出し、信託銀行がITM経由でAIJの指示した海外ファンドを買いつけます。

そこに新たなフローが加わりました。
AIAはファンドの運用を投資一任会社となったAIJに委託したわけです。
これで、AIJの海外ファンド運用体制は完成し、その後巨額な資金を集めていったわけです。
AIJには二つの投資一任契約が存在している点が構図をややこしくしています。





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MRI
MRIは米ネバダ州に本社を置き、診療報酬を基にした金融商品を年6~8.5%の高利回りが得られるとして、日本で販売していた。会社側のホームページによると、日本の約8700人の投資家から集めた資金総額は1365億円。(日経新聞)









MRI INTERNATIONAL,INC.(以下「当社」という。)に対する検査の結果、以下の法令違反の事実が認められたことから、証券取引等監視委員会より行政処分を求める勧告が行われた。(平成25年4月26日付 関東財務局)

関東財務局というのは金融庁と共同で金融商品取引業者を検査します。

当社は、アメリカ合衆国において行う診療報酬請求債権(Medical Account Receivables。以下「MARS」という。)の購入及び回収事業(以下「本事業」という。)から生じる利益の一部を配当することを内容とする権利(以下「本件ファンド持分」という。)の販売勧誘を行っている。本件ファンド持分は、配当金等に関する条件の異なるファンドAとファンドBの2種類が存在する。

※販売商品は外国集団持分スキームと思われます。いわるる「ファンド」と呼ばれるものです。第2種金融商品取引業に該当します。

顧客から本件ファンド持分の取得のための出資金としてファンドA用の信託口座に入金された資金は、そのおおむね全額が、ファンドB用の信託口座に送金されている事実が認められた。また、ファンドB用の信託口座からは、当社名義の銀行口座への送金並びにファンドA及びファンドBの顧客への送金がなされており、少なくとも平成23年以降において、当社の固有財産並びにファンドAに係る財産及びファンドBに係る財産の分別管理が行われていない状況が認められた。

少なくとも平成23年以降、財産の分別管理が行われていない状況において、本件ファンド持分を取得するために出資した顧客の資金は、本事業に用いられることなく、他の顧客に対する配当金及び償還金の支払いに充てられていた。

※2011年以降は運用実態がなく、右から左へ資金を流していただけのようです。

このような取扱いを継続する中、当社においては、顧客への配当金及び償還金の支払遅延が発生している。当社は、顧客による出資金の入出金を管理する信託口座に係るこのような状況にもかかわらず、本件ファンド持分の取得勧誘を継続していた。 

米国の債権回収業務に必要な資金をわざわざ「円」で「日本」だけで集めていたというビジネスモデルは普通に考えると不自然です。金融庁は個人投資家を相手にする業態への検査には力を入れていたはずなんですが、今回はどう説明するのでしょうか。
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マジシャン
誰しも損失に向き合うのはつらい。
なかったことにしたい。
いいかっこがしたい。
たとえひと時でもいい、忘れておきたい。

そんな心理から、評価損のポジションから目をそむけそのまま放置してしまう。続きを読む
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ヤクルト1998年1000億円のデリバティブ損失を出したヤクルト本社。

財テクの神様といわれた元国税庁キャリア官僚であった副社長が引き起こした事件だ。
続きを読む
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手錠ベアリングの売買が不思議さを増すころ、ベアリング幹部たちはのんきにクリスマスを楽しんでいた。そこではシンガポール拠点の1994年の功績をほめたたえあっていた。

もちろんニック・リーソンは最大の立役者だ。

しかし、88888口座に封印された損失はすでに臨界状態に達していた。
いつ爆発してもおかしくはない。
月末をまたぐための資金操作も限界に達しつつあった。
年末越えに行った資金操作に不信を持ったSIMEXが執拗に照会を行う。
社内でも調査が始まる。
しかし、誰も88888口座を覗くことはなかった。

リーソンに残された手段は先物を使って買い支え、日経平均を19000円以上で着地させ3月限オプションのポジションから利益を上げるしかなかった。
それが、見え見えの先物の売買となってあらわれていた。

部下が作成した、ベアリングのポジションはまさに海面からわずかに顔を出した氷山の姿を示していた。
市場はそれでもなんとか、リーソンの願いどおりのゾーンで動いていた。

1995年1月18日(水) 阪神大地震が発生。

処理過程

発生直後しばらくの間、地震をどう評価すべきか気迷いを見せていた市場は週明けから一気に売りの方向へ動いた。
その後、日経平均が19000円を回復することはなかった。

それでも、一縷の望みを託し、節目節目で悪あがきを続けるリーソン。
市場は、そんなリーソンをもてあそぶかのように、少しは反応を見せるが、上値は徐々に切り下がる。

社内外でいろんな噂が流されるが、誰も決定的な決め手になる88888の扉を開けようとしない。
そして、なりふり構わなくなったリーソンは文書の偽造にまで手を染める。

買い支えに使われた先物の買い持ちは膨らむばかり。
2月24日(金)が94年度分のボーナス支給日。
リーソンの頭には、なんとしてもその日まで持ちこたえることしかなかった。そしてその翌日はリーソンの誕生日でもあった。

しかし、その日が見えた前日ついに力尽きた。
おしっこを我慢に我慢してようやくトイレにたどり着いたら、入り口でおもらししてしまったようなものだ。
42.1KM走ってきてゴールテープが見えたとたん心臓発作を起こす。
本当の心臓発作を起こしたのはランナーではなくベアリングの経営陣である。

ボーナス日の前日、引け後ついに逃亡。

24日(金)極秘裏に関係者は動く。週末は、イギリス挙げての緊急対策会議。

26日(日)べアリングのポジションをある大手証券が代理で反対売買を行うことが決まる。部長から電話が私のところに入った。趣旨は一部のポジションを買い取れないかということだった。市場で決済したのちに残った最後の部分ならまだしも、その時点での一部買い取りはあり得ない相談だった。

翌日から積み上がったポジションの解消売りが始まった。ベアリングに代わって反対売買を行う証券会社の執行担当者は週末に急遽作られた特別室に陣取り、外部との接触が一切できない状況で、淡々と決済売りを出しているという。
初日に市場は大きく下げたものの、翌日以降は決済売りが出ているにもかかわらず、市場はびくともしない。
誰もが、最後の売りを買いたいと虎視眈々と狙っていたのだ。

決済売りは1週間弱で終了した。
終了のアナウンスがあれば、誰もが急反発を予想した。
結果は見事に逆だった。

最後の売りを買った人たちの売りを買う人がいなかったのだ。

相場の心理をまさに映し出す見事な展開であった。

結局、最後の売りをバーゲンだと思って買った人が投げ終わったころ市場は反発した。
その後も日経平均は上昇を続け、年末には、あれだけリーソンが抵抗した19000円も回復する。

すべてを飲み込んだ後、何事もなかったかのように動き続ける。
それが市場というものだ。


2年間



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ニックリーソンずいぶんと遠い昔の話。

一人のお馬鹿なトレーダーがイギリスの名門ベアリング社をすっ飛ばしたお話し。

私は当時ある日系証券で、先物オプションのヘッドトレーダーの立場にあった。

事件を起こした男はニックリーソンというバックオフィス(受け渡し部門)上がりの若造。
2年ちょっとのトレーディング経験しかなかった。
上司の無知をいいことに、とんでもない損失をごまかしながら、
大相場を張った。
結局散った。

最初は、部下の些細なミスをかばうために行った親心による不正だったらしい。
ほとんどの巨額損失事件の入り口はどれも、ほんのささやかなできごとから始まる。
しかも、せっかくかばった部下はすぐにやめてしまう。あとに小さな損失と不正の事実だけが残されてしまうという皮肉さ。
損失を隠すために使われたのが「88888アカウント」という華僑がいかにもよろこびそうな数字の並んだ、エラー取引を記帳する口座である。ここに部下のミスをほおりこんだ。きちんとエラー報告すればそれで済んだ話。やめていった部下のものなんだから。
その口座に巨額の損失が積み重ねられることになる。

1度開けてしまった損失隠しという禁断の扉からもとの世界に戻ることは難しい。部下の残した損失は少額であったため、その後の顧客からの手数料と混ぜ合わせることでもみ消しに成功した。

そのおよそ半年後1993年の初め、違う部下が二つ目のミスを起こす。今度はかなり大きい。前回のように手数料からの収益とまぶしてごまかせるレベルではない。
ここから、本格的な損失隠しの旅が始まる。
しかし、「取り戻そう」という下心がある取引がうまくいくほど市場は甘くはない。

手口を簡単に説明するとこうだ。
88888のエラー口座にまず部下の損を移す。その口座に損失をカバーするだけの量のオプションを売り建てる。
発覚をふせぐため技術的な資金移動を頻繁に行う必要があるが、核心部分はこれだけである。オプションを売った時に受け取るオプション料は利益にカウントできる仕組みを使うのだ。

オプションの値段は日々変動する。変動によって発生する損失をカバーする必要がある(デルタヘッジ)。そのヘッジ取引は先物を使って行う。リーソンの先物取引はそこそこうまくいき、オプションの変動からの損失を補っただけではなく余分の収益を稼ぎ、半年後にはすべてがなかったことにできる状態にまで戻せた。
ここでやめればよかった。

秋に決定的な出来事が起こる。
大口顧客の注文を取るために無理な値段を提示して、そのポジションを抱え込んでしまったのだ。これは本来リーソンに認められてない取引である。大口顧客からの手数料収入欲しさに、ついリスクをかかえてしまったのだ。過去のミスをカバーした成功体験が彼の背中を押した。禁断の扉はこのとき完全に閉まり、もう後戻りできなくなった。

この取引によって獲得した大口顧客はその後確かに大きな手数料収入をもたらした。シンガポールベアリングの収益を大きく伸ばす最大の貢献者になった。その裏で、88888に疎開された損は拡大を続けた。こうなると、もう歯止めは効かない。88888の損をごまかすために、さらにオプションを売らなければならない。そうすると日々の損益はいっそう大きく動き、それをカバーするための先物の売買はさらに増えていく。

ベアリング幹部は顧客からの手数料で高収益を上げるシンガポール拠点を称賛し、そこで指揮を取るリーソンに一目置くようになる。検査の眼は、この収益がいつまで続くのかという方に向けられた。
悪いことにシンガポールにいる直属の上司はサッカーの話題しか興味を示さなかった。
バックオフィスたたき上げの彼にとって、そんな上司の目を盗んで損益をごまかすのは朝飯前だったらしい。
ルールでは、日中の最大ポジションは規定されており、ポジションの持越しは認めれていなった。それをかいくぐって、巨大な損失ポジションを抱え続けたわけだから、リーソンが指摘するように会社はボンクラだったとしかいいようがない。

彼の取引対象は、日経平均先物と日経平均先物オプション。あと、日本国債先物とユーロ円金先が少し。どこかの投資顧問会社とほぼ同じだ。認められていた取引手法は、SIMEXと大阪の間で生まれる価格差を狙ったリスクの少ない取引とされていた。
当時のSIMEX(シンガポール先物取引所、現在SGX)はフロア取引だったので、取引の様子はリアルタイムで市場参加者には丸見えだった。日本との時差は1時間だが、日本の取引時間に合うようにSIMEXの日経平均先物は取引されていた。

ベアリングのあまりの売買量は、当初市場では大物投資家の存在があると理解されていた。確かにそれも一部は正しい。しかし、実際は取引の大部分がこの若造トレーダーによるものだった。

1994年の夏場ぐらいから、リーソンの取引手口は過激になっていった。
すでに、オプションのヘッジ取引という範疇をはるかに超えていた。
そしてその手法はやがて???なものになっていった。
大口プレーヤーの行動なので、ライバル証券はみなその手口を分析する。

私の部下が異変に気づいた。
1994年晩秋のことである。

当時は日経平均は20000円手前をうろついていた。
リーソンは、19000円から20000円の間で日経平均がとどまれば収益が上がるポジションを積み増していた。それだけだと、相変わらずハデにやっているなという話なのだが、先物の売買が変調をきたしていた。

私の部下は詳細にベアリングの売買を追っていた。
普通、オプションで相場が動かないほうに賭ける場合、想定レンレンジの端に近づいた場合、レンジが外れた場合に備えて、先物を順張りしなければならない。つまり、下がれば先物の売りを増やす必要がある。

ところが、ベアリンングは全く逆のことを行っていた。レンジの端からもとに押し戻そうとするように売買を仕掛けるのである。

市場ではこの不思議なベアリングの動きが話題になり始めていた。



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ブラックマンデーが起こったその日、私はNYにいた。

忘れもしない1987年10月19日月曜日。
なぜ、その日にNYにいたかというと、話せば短い。

東京から長期出張でNYのオフィスに来ていた。たまたまである。

その時の私の使命は、翌年に予定されていた日経平均先物の上場に備えるため、アメリカの先物・オプション市場を研究すること。
でも、それだけでけは出張代がもったいないので、NYオフィスが顧客との間で行う日本株の取引を東京本社のリスクで保障するという、ちょっとわかりにくいこともやっていた。

少し専門的な話になるので少しご勘弁を。

海外でにおける日本株の売買は2とおりある。
一つは委託注文といって、顧客の注文を預かって翌日の東京市場で執行するやり方。この場合、証券会社は注文を取り次ぐだけなので、売買損益は発生しない。

もう一つが決め商いといって、現地米国時間に顧客との間で値段を決めて相対で取引してしまう方法だ。
これは、NYオフィスにポジションリスクが発生し、翌日東京市場でカバーしに行くわけだが、相場によっては損したり儲かったりする。

当然損益はNYオフィスに帰属するが、NYの資本金は大きくないので、あまり大きな損は出せない。そこで、NYオフィスが翌日東京市場でカバーする値段を東京が責任もって保障してあげるということが行われる。実際のカバー取引は商いがスカスカな大阪市場を使ってクロス商いの形で行われる。
東京のトレーダーがNYの地でそんなことをやっていいかという微妙な問題はあるが、当時はこういう仕組みで、日本株の売買をやっていた。

さて本題に戻る。
前の週からNY市場は不穏な動きになっていたが、月曜日ついに一気に爆発。売りが売りを呼んであれよあれよとつるべ落としに下がっていく。最終的には22.6%安の大暴落。

当然、そのあと開く東京市場は大暴落することは間違いない。
顧客から売り引き合いが殺到した。
東京からノコノコやてきた私に情け容赦なくNYのセールスは襲い掛かる。
ノービッド(買いの値段はだせない)でもおかしくはない場面だが、客商売なので、お客によっては付き合わざるをえない。結局、数社の顧客の売りを引き取ることになった。もちろん、それぞれ値幅制限いっぱいのストップ安の値段で。えらいことになった。

当然、東京市場は3,836.48円(14.90%)の大暴落。ほとんどの銘柄が売り気配のまま値段が成立しないで終わった。
私は、逆にこれで救われた。NYから引き取った株のコストは、今日の制限値幅いっぱいの値段、翌日そこからさらに一段安すれば、東京本社がとんでもない損失を被ることになる。
しかし、次の日はNY市場は乱高下したものの反発に転じ、それを受けた東京市場はは2037.32円高(9.30%)と急反発した。私の引き取ったポジションは九死に一生を得た。

もう25年以上も前の話だが、局面局面を断片的に思い出す。
現地月曜日の状況は唖然という感じであまり実感がわかなかった。
ただただ、食い下がるセールスとの対応に追われたという感じ。
現地の雰囲気は翌日火曜日のほうが緊迫感が強かった。
大暴落から一夜明け、地球が1回りする間に世界中の市場は例外なく大暴落した。果たしてこの波が地球をもう1周回ることになるのか。朝からそんな緊迫感が漂っていた。
NY市場はいきなり気配値が10%近くの下落を示していた。しかし、フロアは大混乱していて、売値と買値が開きすぎて全く売買は成立していなかった。1時間ぐらいそんな混乱状態が続いただろうか。全く現在値がわからない。売買しているのかどうかもわからない。チャートを見ると一応下ひげになっているが、かなりいい加減だ。そうしている間に気配値が急に戻り始めた。売りが一斉に引っ込んで、結局月曜日とあまり変わらない水準で売買が成立し始めた。その後も激しい乱高下は続いたが、最終的に若干反発して終了した、それを受けた東京市場は急反発したというわけ。

結構強烈な経験だった。
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