九条清隆 相場観と金融工学

株式・先物・オプション・FX・仮想通貨など、投資・投機を通じていろいろ考えるブログです。

カテゴリ: 証券会社の現場

実に30年ぶりくらいに証券会社の店頭を訪れました。

最近では多くのひとがネット証券を利用するので証券会社にいったことがない人も多いでしょう。
昔と違い、用のない投資家がたむろして株価を眺める姿は微塵もありません。
このような姿になってかなり経つのでしょうが、実際に訪れてみて正直びっくりしました。

そこは銀行系の地方支店でしたが、すっきりとしたサロンのような作りになっていました。

クイック端末のような株価をみるためだけの「下品」なものはなく、日経CNBCを映し出すテレビと株価ボードがあるだけ。当然、たむろする投資家の姿もありません。

お隣のお客さんは1時間以上かけて豪ドルとブラジルレアルのファンドを10万円購入していました。
担当者がしつこいほどリスクの説明をしていたのが印象的です。

私は手数料を払いに来た のですが、「今店頭では現金は受け取れません」とのことでした。
すべて銀行振り込みで現金のやり取りは行うそうです。
知りませんでした。

現金のやりとりを行わないのであれば、独立したFPでも証券会社の代わりはできるようになっているわけです。

身近すぎて、おはずかしながらぜんぜん知りませんでした。


 


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週末の飲み会の続きです。
登場人物は同じ4人のシニアなメンバーです。

当然
最近の人事というか人材というか、誰がどうしたというか、個別具体的な話や業界全体の大きな話に飛び火します。証券業界は古くからある業種の割には若返りが早く、今では昭和入社の多くがそれぞれ第二第三の人生を歩み始めています。シニアの我々に誰がどうした情報は欠かせません。

証券市場はここ半年以上の活況で、各社一息ついています。縮小しすぎた外資系や香港シンガポールに業務を集約した運用サイドも手薄になった日本市場の再強化に動いているところもあるようです。中国やアジア新興国の動きが怪しいことも追い風です。

しかし、求人対象はせいぜい40代前半まででわれわれシニア世代にはよほどの偶然がかさならないとお声がかかることはありません。そんな中で、注目すべき情報が、個別株ファンダメンタル重視の個人投資家氏から。

さすがに世界の機関投資家を相手にしてきただけあって、情報の要求水準は高いです。
彼のようなレベルの個人投資家のニーズに答えるのは、いまや既存の業界ではなくいわゆる街の投資顧問といわれる投資助言会社なのです。

昔ながらの怪しげなところが多く玉石混交なのは事実ですが、
中にはもと現役バリバリのアナリストやストラテジストが起業したり、集まって投資情報を提供している会社がジワリ増えています。若返りの激しい業界の思わぬ受け皿になりつつあるようです。名前を聞けば、結構な名前の御仁も登場します。

WEBやテレビ電話を使った本格的な情報提供。コストダウンに走った業界との隙間を埋めるべく静かに動いているようです。


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外国人が買うか売るかで相場の水準が決まってくる日本の株式市場。
外国人の投資家動向はつねに最大関心事であります。 
相場が大きく動いた時に、外国人投資家が買った、HFが売ったという具体的なコメントがあれば、なんとなく信憑性が高く、一般投資家はそうかなと思ってしまいます。

しかし、ほとんどのコメントは裏が取れていません。
出所がアナリストやストラテジストの場合、最近海外出張でたまたま会った(会ってくれた?)数名の外国人投資家との会話を思い出しながら、想像してコメントしているのがほとんどです。 

HFアナリストを自称する存在もいましたが、たまたま懇意なHF数名からの話を、あたかもHF全体の動きとして創作するのが得意でした。

じゃあ、だれが外国人投資家の動向をつかんでいるかというと、国内大手証券と外資系証券の外国人相手のセールストレーダーといわれる人たちです。ネイティブか帰国子女です。
ホットラインで外国人投資家から直接注文を取りますから、担当している投資家の注文はすべて把握しています。ただ、一人で大手顧客を何社も担当できないので、2,3の大手と中小を組み合わて10数社を担当するのが通常です。

この人たちから、くまなく情報を聞きだし、それを集約しない限り外国人投資家の本当の行動はとてもコメントできません。たまたまそのなかのひとから1を聞いてそれが100倍に増幅されているのが普通です。
部長の所には売買動向が集約されていますが、守秘義務の観点でコメントに使うことは殆ど無理ですし、いまだかって、その任にある人がマスコミに登場した例はほとんどありません

絶対に外国人投資家から注文も来ないし、外国人のネットワークももっていそうもない、まるでドメスティックな証券会社のベテランっぽい人が外国人投資家が...なんてコメントしていても、それは単なる伝聞情報に基づく想像力のたまものでしかないわけであります。 でも、その想像力はコメンテーターにとっては欠かせないものでもありますが......。


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4万円というと、なんか別世界のような感じがしますが、89年末には寸前にまで迫っていたわけであります。
日経平均が3万円を越えたあたりから、外国人はせっせと売っていたわけですが、バブルマネーにまみれた国内投資家は、何かしら理屈をつけては順番に高値を買っていたということです。

4万円シリーズで、どんどんいろんなことを思い出してしまいます。

今となっては理不尽なセリフでも、勢いでそんな気にさせてしまうというお話。

偉い人「今日も強気で行くぞ」

手下「はい!!!」

偉い人「お前、強気の割に買ってないじゃないか」

手下「今、すぐにやります」

偉い人「高値を買うのがこわいのか?」

手下「いえ、そんな...」

偉い人「なら、倍買え。倍買えば、半分の値幅で利食いできるやろ!」

手下「...」

勢いあれば、つい納得させられてしまう現場の姿がここにありました。


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「お仕事は?」
「金融機関です」
「金融関係です」

微妙な違いがあります。

金融機関ですと答えると、普通まず銀行を予想します。 
顔つきが悪いなと思われたら、証券かなと考えます。
生損保はいきなり頭には思い浮かびません。業態としてはイメージしにくいのでしょう。

金融関係ですと答えると
消費者金融・信販・リースを予想するのが、世間一般のあうんの呼吸です。
今では、多くが銀行の傘下なので銀行といえば銀行なんですが。

時代に応じて世間には一定のイメージがあります。

それぞれダークなイメージとして

銀行 貸しはがし 両建て預金
証券 昔損失補てん、ダマテン(無断売買)、最近はインサイダー
生損保 保険金未払い
消費者金融 グレーゾーン金利 取り立て

 ダークなイメージは一度定着するとなかなか消えません。

この不安定な経済情勢の中、
不良債権処理を終えた銀行はダークなイメージから一歩抜け出た雰囲気がありました。

ところが、例の池井戸劇場のおかげで、
ダークなイメージが再び盛り返されています。

特に、就職先に銀行を考えている学生には刺激が強いかもしれません。

 そんな学生のために業界の覗き方に役立ち本をちょっとご紹介。


銀行 
もちろん池井戸劇場。原作 オレたちバブル入行組 (文春文庫) [文庫] オレたち花のバブル組 (文春文庫) [文庫]
日本橋丸善では、池井戸作品が小説売上ランキングに4部もはいって大変なブームです。

証券
 証券会社の「儲け」の構造 [単行本]
一度ご紹介していますが、丸善ではそこそこ売れているようです。
学生には少し難しいのですが、証券会社の本音がよく描かれています。
証券を決め打ちで考えているような学生には最適でしょう。

外資系
 外資系金融の終わり [単行本(ソフトカバー)]
創作感が強くややリアル感に欠けるのが難点ですが、学生が外資系金融の生態を覗くには参考になります。
 

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自動販売機「投信が自動販売機で買えるようになる」

そう予言した奴がインターネットがまだ電話回線経由だった20年以上前にいた。

バブルが崩壊して、株式の委託手数料が上がりにくなり、投信を積極的に営業マンが足で販売していた時代である。異常な販売目標を与えられていた。

そいつは、自分ではほとんど、投信を販売することもなくわが道を行く。

当然のことながら評価はグイグイ下がり、
異動するたびに格下の部署に回されていった。

信念で売らなかったのか、
売るのがつらくて大変で、うそぶいていたのか
今となってはわからない。

でも、その男は信念を曲げずに、なすがままに会社人生を送っていた。
いわゆる異端児であった。
今、どこで何をしているかは知らない。

ひょっとしたら、どこかの証券会社で経営陣に入っているかもしれない。
あるいは、その辺でのたれ死んでいるかもしれない。

わからない。


少し前の記事だが

三菱東京UFJ銀行がインターネット経由の投資信託販売を伸ばしている。2015年3月期までの中期経営計画で、インターネットなどダイレクトチャネルでの業務推進をリテール事業の戦略分野と設定。13年4~5月のネット投信販売をそれぞれ前年比3、4倍に増えた。アベノミクスによる追い風もあるが、ネットに特化した商品戦略やマーケティングの強化も奏効。特にインデックス投信の「eMAXIS」シリーズの販売が伸びた。同シリーズの導入をきっかけに現役世代の取り込みが進み、投信の積立販売の口座は4倍になった。(日経新聞)

彼の予言通り、自動販売機ではないが、投信はインターネットで買う時代になった。
ますます、販売員・営業員の役割がわかりにくくなっている。

一方で、顧客は本当の情報を求めている。
お手盛りの解説ではなく、生の分析を志向している。
ありきたりの解説やコメントなら、それこそ無料でネットにあふれている。

このギャップに今の金融システムはうまく答えているのだろうか。

ふと立ち止まると、考えてしまう。

彼の顔も思わず浮かぶ。


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東証東証では1983年から徐々に機械化が始まり、何と16年かけて1999年4月に場立制度を廃止しました。


大阪証券取引所は東証より2年早い1997年が最後でした。


日本で一番場立制度が最後まで残されたのが、中部大阪商品取引所の大阪取引センターで2007年のことでした。

ゆっくりとシステム化をおこない、ベテランの場立や才取会員という仲立ちが自然退職していけるペースに合わせた粋な計らいがとられたものだと思います。

若手は、立会銘柄の数が減るのに従って、順番に営業や本社に回されていきました。
さて、この場立という経験がどのように生かせるのでしょうか。

いわゆる場味と呼ばれ取る、取引所内の独特の空気というものを感じることができました。

取引が活発なとき、
相場が荒れているとき、
転換点をむかえそうなとき
何かが動き始めるとき、

独特の空気が立会場を支配するのです。

経験したことのある人にしか伝わらない不思議な空気です。

その独特な空気を「もやもや」と呼んでいました。
何かが動意を占め示しているという意味だと思います。


今は、画面のスクリーンに映し出される数字がすべてですから、その奥にあるものは感じようがありません。

今となっては、当時感じたもやもやが本当に存在していたかどうかも自信はありません。

でも、スクリーン上の板に凝縮・投影された人間の思惑をできるだけ、いろんな角度で想像する努力はするようにはしています。
それが役に立つかどうかはわかりません。
昔感じていた(つもりの)モヤモヤ感を無理矢理取り戻そうと無駄な努力をしているだけなのかもしれません。

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やり手証券マンM氏久々の登場です。

セールス5
いろいろ小細工を繰り返し社長さんに会ううちに、僕にもお客さんが何件かできてくるわけです。
いよいよ戦力として「本業」=「手数量稼ぎ」をしなければなりません。

つまりそれは、株を買ってもらって、それを売ってまた別の株を買ってもらうってことを
「延々と」続けさせるということ。

証券会社は、正直言ってお客さんが儲かろうと損しようと、売買ごとに手数料が入るわけで
株を買ってもらったらできるだけ「長く持たせずに」「短期売買」をしてもらうことが一番。
これをいっては身もふたもないけど。
 
僕がいたころは、株の取引時間は9時から午後3時まで。
3時に取引が終わると「今日は何ぼや!」と課長席が声を張り上げるんだ。
今日一日で手数料をいくら稼いだのか報告しなかればならないとってもイヤーな時間。

「10万円です」などど答えようなものなら「そんな奴は、店頭に降りろ!!」と即座に罵声が飛ぶってわけ。

ちなみに「店頭」とは、支店の窓口営業のことで「通常、女性がやる仕事」と考えられていた時代なんだ。
一度店頭に回されれば、まず出世はないというのが不文律。
会社人生は「THE END」なんだ。
僕はそう理解していたし、その恐怖と毎日闘っていた。
 
「ど、ど、どうにかして手数料を稼がねばならない...」
追いつめられた営業マンが手を染めるのが「ダマテン」なんだ。
僕がダマテンに手を染めたかどうかまでは言えません。
確かにグレーなものはあったかもしれないけど...

ダマテンとは、麻雀用語で、テンパイしていながらリーチせずに、だまし討ち(麻雀界では立派な手法)で上がろうとすることだけど、
「証券界では」「お客さんに電話せずに、お客さんの勘定で発注すること」。もちろん違法に決まっております。

明らかに違法でも、人間追い込まれればそこまでやってしまうのである。

今は、証券界はまるで別世界のように紳士になってしまったけど、当時は「ダマテン」が結構頻繁に行われていたのは暗黙の事実さ。
君に任せるって場合もあるわけだしね。(これもダメだけどね)

それでも、ほとんど問題が表面化しなかったのは、N証券の営業マンの凄さということ。
お客さんにばれたときの対応策は「徹底的に謝る」という拍子抜けするぐらいシンプルなんだ。
小細工はしない。ズボンとおでこが擦り切れるぐらい土下座をする。
その点2次災害は極めて少なかったはず。 

そんなアホな、と思われるかもしれない。

そもそも営業課が相手にするお客さんは「お金持ち」なので、ダマテンで損した金額は彼らにはそれ自体は大した金額ではないんだ。
 
営業マンが(時には上席の課長も一緒に)、会社に詫びに飛んでいき、部下の面前で「申し訳ありませんでした!!」といって土下座でもしようものなら、謝られてる社長のほうが「カッコ悪い」のでまあまあ、となって「もういいから帰れ」となるんだ。

営業力とは追い詰められたぎりぎりの世界で生まれる。
僕はそう確信したのさ。
 
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証券
株式委託手数料が自由化される以前の証券マンは羽振りが良かった。
銀座・赤坂・六本木をブイブイいわせていた。

古き時代の証券マンはなぜかハードで忙しかった。

証券マンの出世のカギはいかにたくさんの株式を投資家に買ってもらえるかであった。


厳しい競争を勝ち抜くためには、体力だけでなくいっぱしの株式評論家でもあった。

日経新聞を読む時間すらなさそうに見えても、投資家の前では自信満々に相場解説を披露した。

優秀な証券マンほど話もうまかった。

投資家にとっては、証券会社のセールスマンは最も身近な株式評論家という時代。
実際に価値ある解説が聞けたかどうかはともかく、投資家はそれに対して結構な手数料を払っていた。

バブル崩壊以降長い右肩下がりの相場が続いた。

なかなか株式では儲からない状況が続き、顧客の稼働も次第に落ちて行った。

そしてついに、聖域であった株式委託手数料が自由化されてしまった。
それに呼応するように身近な株式評論家は次第に姿を消しはじめた。

ベテランたちは早期退職制度に応じたものの、ほかにつぶしが効くわけでもなく、自宅でひっそりと個人投資家になるというのがお決まりのパターン。

顧客にアドバイスするのとは勝手が違う。
残念ながら
儲けているという話はあんまり聞こえてこない。
ひょっとしたら、一般投資家よりも生存率は高くはないのかもしれない。
セールスマンの資質と本当に儲ける資質はどう考えても違う。
頭の切り替えができた人でないと個人投資家としての成功の道はないのだろう。




今の証券マンはバブル後世代が中心で、最近まで手数料の稼げる投資信託の販売に専念していた。

バブル期を知らない証券マンは株は下がるものだと思っているというさびしい状況だった。
そんな証券マンに株式市場のことを聞くのが野暮かもしれない。
情報を得るなら、ネットに気の利いた解説があふれている。
最近の株価急上昇で大慌てしているのが、何を隠そう実は証券会社自身というのがなんとも寂しい。

証券会社は手数料自由化とIT技術の進歩の中ですっかりと様変わりしてしまった。

一昔前は野村・日興・大和・山一という4大証券がしのぎを削っていたことがだんだんと記憶から消えつつある。

まず最初に、公家集団とも言われたひとのいい山一證券が、損失を抱えた顧客の株式を引き取ったことが尾を引いて自滅した。

大和証券は、リテール業務と機関投資家業務を分社化して生き残りを図った。
機関投資家業務は住友グループと手を組んだが、銀行の文化とそりが合わずに円満離婚し、自主独立路線に戻った。

かわいそうなのが日興証券である。

大和と同じく分社化の道を選び、機関投資家業務はソロモン(のちのシティグループ)と手を組んだ。
リテール業務は日興コーディアル証券と名乗った。ちなみにコーディアルには水で薄めたジュースという意味があり、外国人にはやたら受けが悪かったらしい。

その後ソロモンを飲み込み巨大化したシティグループ入りするが、それもつかの間、サブプライムショックでシティ本体の経営が傾くと、大和と別れた住友グループに身売りされてしまった。

野村証券は自主独立を一応貫いてはいるものの、破たんしたリーマンのアジア・欧州部門を買い取ってからは迷走が続いている。

4大証券以外でも、中堅以下の多くの証券会社が銀行の傘下に入ってしまった。
ルーツをたどると10社以上もある会社は、稟議書が同じ数だけ行きかうという。
いかにも銀行屋さんらしい。

銀行マンの思考回路で変動商品を売るのは一般の人が想像をしているよりもはるかに難しい。
晴れた日には傘を貸すけど雨が降ると貸した傘を回収するように鍛えられているのが銀行マンだ。
低迷する株式相場が続けば、自然に営業の前線は株から距離を置こうというもの。

株を知らない証券マンが増えるのも、こうした業界の動きからいって当然のこと。

バブル後に損失処理案件でハデに稼いだ外資系も今では飯の種もつき元気はない。
リーマンショック後は粛々と日本拠点では人員整理が続いた。
今ではサスペンダーに襟の白いカラーシャツを見かけることも少なくなった。

果たして消えた証券マンの復活はなるのか。
それとも若手が、新しい証券マン像を作り出すのだろうか。

いま証券界はもがいている。 
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サイン久しぶりに場立のお話です。

場立の手サインは微妙に便利です。
なぜならば、片手で1から10まで示せるから。
両手で1から99までいけます。

1と2は普通
3は親指と人差し指をおります。これはなぜかというと、普通の3だと2と間違うからです。
4と5も普通です。
6は親指をたてます。
7は親指と人差し指。子供のピストルです。(写真参照)
8はさらに中指をたてます。
9は親指の上に人差し指をまげて乗せます。
10は
1を左右に振ります。

これで売買の値段と株数を伝えるわけですから、面白いといえば面白いです。
場立は、これを使って場立おいちょ株をします。トランプや花札でやるやつです。
 
3時に立会が終わると、それぞれの場電チーム(5-10人くらい)が全員そろってドリンク休憩に行きます。
そこで、この場立おいちょ株をやります。
負けた人間ひとりに全員のドリンク代を払わせるのです。
じゃんけんだと大人数では決着がつきにくいですが、これなら短時間でけりがつきます。

やり方は簡単です。

まず、誰かが名乗り出ます。
そしてその人間を対象にして、みんなで場立数字を、せーので出します。
1から9まで各人が好きな数字を出します。これを足した数がその人の数字です。数字に合わせた言葉を全員が叫びます。ブタ、ドボンはその人の感情を察して、嬉しそうに叫ばなければなりません。

0 - ブタ(またはドボン)
1 - ピン(またはチンケ、インケツ)
2 - ニゾウ(またはニタコ)
3 - サンタ(またはサンタコ)
4 - ヨツヤ(またはヨンタ)
5 - ゴケ
6 - ロッポ
7 - ナキ
8 - オイチョ
9 - カブ
 



合計が9に近いほど強く10になるとドボンです。場立ですから、あっというまに足し算します。

全員の分を一通りやって、ドボンないし一番数字の小さい人が負けです。
早めにドボンがでると、もうドボンを引かない限りセーフです。
ピンやニゾウはそれまではピンチです。
全員が終わって最下位が複数いるとその人間だけでもう一度やり直して、その日の犠牲者を決めます。

大人数の場合結果は運次第ですが、少人数での戦いはお互いのかけひきが生じます。相手が何を出してくるかを読んで、自分の数字は伸ばし相手の数字は落とさなければなりません。
その駆け引きが一瞬のあいだに行われるのですから、結構面白いのです。

犠牲者にならないで、ただでドリンクを味わえると、ささやかな喜びを感じるとともに、その日がおわったなーという気になります。

さああとは照合作業だけだと再び、フロアに戻ります。 
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証券証券会社の収益が急回復。

半年にわたる株式市場の活況はなんだかんだといいながら証券会社の収益を支えます。やっぱり手数料さまさまということですね。


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場立2

フロアをうろつく怪しいおじさん。

中小証券もとい零細証券のベテラン場立です。
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コンピューター

 ベールに包まれた世界
 証券会社自己売買部門




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セールス5
名刺を1日100枚集めてヘロヘロになって寮に帰っても、まだ1日は終わらない。

「2度と来ません!!」とか「電話しませんから!!」
と口から出まかせを言って名刺をもらっても、そんなつもりは毛頭ありませーん。
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取引所今は、コンピューターがすべて計算するので気配値は一目でわかります。
場立の時代は、紙の上の数字を暗算で計算していました。

おそろしく、マニュアルな世界です。

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ヤクルト1998年1000億円のデリバティブ損失を出したヤクルト本社。

財テクの神様といわれた元国税庁キャリア官僚であった副社長が引き起こした事件だ。
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おなじみM氏の投稿です。昔の現場ですね。今はだいぶ違うとは思いますが。

セールス5
 あの手この手で苦労した社長の名刺集め。
 そんなのはしょせん軽い準備体操に過ぎないんだ。


 準備体操が終われば、いよいよ本番入ります。
 さあ、鬼の「新規顧客開拓」だ。
 

やり方に決まりがあるわけでなし、王道もなし。誰が教えてくれるでもなし。
要は「自分で考えろ」ということなんだ。

一つだけはっきりしているのは、
花の営業部隊が対象にする顧客は「お金持ち」ということ。
たとえ100万円単位の注文を毎日もらえたとしても、しょせんそれは我々が相手にすべき「ホンモノ」のお客様ではない。
今なら明らかに「女性蔑視」で問題になるところだけど、「そんなお客は店頭の女の子にやってもらえ!!」と軽く上司に一蹴されるってわけ。

「お金持ち」の基準はいちおう「1億円以上」資金を預けてくれるというところだろうか。
その「お金持ち」を探すネタはタンマリ用意してある。何のために名刺集めやったんだかねホント。
高額納税者という鉄板リストから始まり、高額所得法人リスト、ベンツ保有者、ゴルフ会員権保有者、百貨店外商客等のリストありとあらゆるリストがそろっている。
そこにかたっぱしから電話して、アポ取りをするわけさ。

電話を掛けるときのルールは、「決して受話器を置かないこと」左手で受話器を持ったまま、右手で番号を押し続ける。
きつい支店だと、これを「立ったたまま」やらされる。

電話しても「私、N証券××支店の××と申しますが、社長様いらっしゃいますか」といって
社長に取り次いでもらえる確率はせいぜい 1% くらい。
 
しかも、かけた電話の2回に1回は「私、N証券の、」とひとこと言ったところで、ガチャン!!で終わり。
先程挙げたリストには過去諸先輩方がすでに何度も電話しているし、おそらくあらゆる証券会社、銀行、サラ金等から連日電話がかかってるはず。

こういう新規先への飛び込み電話は、今なら「非招請勧誘」といい立派な違法行為である。いまどきおれおれ詐欺ぐらいしかそんなことやってないんじゃなかろうか。
 
こんな、精神的に焦燥感にまみれる「禅の修行」のようなアポ取り電話が、指が腱鞘炎になるまで延々と続くわけさ。
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株価の刻み値を10銭単位に!

いよいよ私設取引所の眼をつぶしにかかりました。東証の弱点の一つであった、刻み値の粗さについに手を付けます。コンピュータに負荷がかかりますので、様子を見ながら徐々に適用ということになるようですね。

私設取引所はこうなると対抗上1銭単位にするしかありません。

これによって困る人はあまりいません。概ね投資家の利便性は増します。
困る人は、超短期逆張り型の高速取引をやっているマーケットマイクロストラククチャーという市場の細かいアスク・ビッドの差を積み上げる取引です。すごく乱暴に言うと、市場全体に対して、マーケットメイクすることによって収益を稼ぐタイプです。100円で買って101円で売るという取引を高速で繰り返していたものがそのさやがわずか10銭になってしまいます。するとこれまでの10倍回転しなければなりませんが、その分取引所に支払う場口銭といわれるテラ銭がかかりますので、収益性のダウンは避けられません。

もちろん、順張り型の高速取引にとってはメリットです。

こうした、市場の競争は大いに歓迎すべきことです。

取引所を鉄火場にしてどうするという反対意見もありますが、投機家を呼び込んでこその市場です。投機も大いに歓迎したいと思います。
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おなじみ、やり手元証券マンM氏からの投稿です。

セールス5

N証券はいきなり「OJT」。
「On the Job Training」

つまり仕事をしながら研修するってこと。
というか要はぶっつけ本番。


普通の会社は、社会人としての最低限のマナーと知識を研修で教え込んでから外部に送り出すはず。N証券の場合は研修の時間がもったいないから、日々のトラブルにもまれて研修?修業?せい!体で覚えろということなんだ。支店に配属された新人は、まず「名刺集め」の業で修行する。着任1日目で、右も左もわからないところなのに、支店近辺の「会社」「商店」に1件ずつ順番に飛び込む。まさに絨毯爆撃ですね。

「社長いらっしゃいますか?」と訪ねて、社長の名刺をとにかく集めまくるんだ。
これはまるで「お布施行脚」のようなもので、特に意味はない。研修というか修業のようなもの。
課せられたノルマは一日100枚あまり。
スーツが歩いているようなわけのわからない若造が突然「社長いるか」と訪ねて来ても、「普通の会社」なら、「留守にしております」と返されるのがオチ。

まあ、愛想の悪い受付のおばさんに体よく追い返される。
門前払いを食らわされるうちに、そのうち世の中が少しわかってくる。小さい事務所なら、入った瞬間に社長のいる場所はすぐに見抜けるようになる。そうなればこちらのもの。受付のおばさんはスルーして、「社長らしき人」のところまで、一直線さ。そして、「社長、N証券××支店に配属になりました××です」「ご挨拶に参りました。名刺をいただけませんでしょうか」とやるのさ。
 
ここで、社長の反応は2パターン。
「失礼な奴だな、とっとと帰れ!」と怒鳴るか、「はい、これ、二度と来るなよ」と名刺を素直にくれるか。
4月恒例新入社員のお布施参りはとっくにオミトオシなのである。「もうそんな季節か」という手慣れた社長も。
こちらもしだいにスレてきて、最初から「二度ときませんし、電話もしませんから名刺下さい」って、強引に名刺をもらうようになる。

といいながら後日「先日、ご挨拶に伺った、××です」としれっと電話するわけさ。
社長の対応はここでも2パターン。
「二度と来ないって言ったじゃないか!!、ガチャン!!」と本気で怒って電話をきるか、「お前、図太いやつだな。」と、話をしてくれるかである。もともと株にちょっと興味がある社長は、こちらがそこまで懐に飛び込むと意外に話すチャンスをくれたりするから不思議なものだね。

N証券の営業スタイルは、ほとんどの社長に怒られようとも、たまにこちらの無鉄砲さを面白がって相手にしてくれる社長を探して回ることなんだ。

ごくごくまれに、世間を知らない受付嬢が「ご丁寧に応接室に通してくれる」ことがある。
でもこれは、実はあんまりありがたいことではない。
応接室に通される→丁寧に扱われる→実は先輩社員の重要な既存顧客→社長が出てきて話が長くなる→時間をとられ名刺集めのノルマが達成できなくなるってわけさ。

「社長いらっしゃいますか!」と言ったとたんに、奥に座っていた社長がつかつかと歩み寄ってきて「帰れ!!!」と塩をまかれることもある。これは先輩社員がこの社長に「大損させた」というあかしなのだ。

とまあ、こんな感じのことを3か月もやっていれば、いつのまにかOJTは終了するわけさ。

このあと、どんなセールスマンになるのでしょうかね。なんか張り切って続編書いているようです。
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おなじみ、やり手元証券マンM氏から手記をいただきました。


セールス5
入社が決まると、次のイベントは配属→入寮とくる。

新入社員のほとんどは全国100以上ある営業店への配属となり
原則全員、寮に「入れられる」

N証券の寮は××明清(メイセイ)寮という。(××に地名が入る)

その名のごとく「明るく」「清く」ってわけ。

こんなパラドックスに富んだ名前を誰が考えたんだろうね。

「絶対に明るくない」し「清くもない」明清寮。
朝5時には寮を出て、その日のうちに帰ることなく、午前様で帰っても寝るだけの寮。

休日でも、明日やるべきノルマを考えると吐き気がする寮。
既婚先輩社員が突然押しかけてきて、愚痴・説教を長々と聞かされる寮。

何よりも笑点のテーマソングが嫌いになった寮。(日曜5時は最悪の時間帯)
 

僕だって、本当は明るく生きたったさ。


でも、文の勢いからは本人楽しんでいるようにも思えますが。。。
まだまだ続きがあるようです。

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今はコンピューターが付け合せしてくれるので、いくら売買高が多くなろうがへっちゃら。

ただし、これまでにピンチは何度かあった。たとえば、株式分割を繰り返したライブドア株の売買高が膨らみ過ぎて数日間立会時間が短縮されるというようなことがあった。その後のシステム増強で、そういったことは起こりにくくなったが、なんせその昔は人の手で売買を付け合せするという信じられない原始的な世界。もし、場立の世界でライブドア株を売買していたらと想像するだけでゾッとする。

人海戦術で注文を処理するわけだから、キャパはすぐいっぱいになってしまう。
付け合せをする才取がわけわからなくなって、ごめんなさいすると、東証の監視係のような人がすかさず笛を吹く。

これが板寄せといわれる売買中断だ。
しかし、才取にも意地がある。
できれば笛なんか吹いてもらいたくない。
どんどん注文を抱えた場立が周りを二重三重に取り囲み、とっくに収拾がつかなくなっているにもかかわらず、白旗を上げないで頑張るガンコ者は多かった。職人としての意地であろう。

しかし、その場合も東証の監視係が「こりゃ無理だ」と判断して笛を吹く。ボクシングでいうとタオルを投げ込むようなものだ。

しかし、笛が吹かれて板寄せになるということは、取引が盛りあっがているわけで、縁起がいいこと。
笛が鳴れば鳴るほど、市場は活況なのだ。いわば相場のバロメーター。
もし、最近の活況相場だとそこらじゅうが板寄せ状態で売買はマヒしていたであろう。

相場が調整局面に入り取引が減ると、笛が鳴るどころかフロアは死んだように静まりかえる。
相場はある程度サイクルなので、そんな状態に入るとそれは何か月も続く。

取引所では書き損じの伝票をポイポイ床に直接捨てるので、場内は昔から禁煙である。暇になると、場立は取引の外でタバコを吸って暇をつぶすことが多くなる。

そんな状態が続くと板寄せがふと恋しくなるから不思議なものだ。
しかし、想像できないだろうけど、板寄せ直前の状態は見せられたもんじゃない。ひどいもんだ。ちょうど満員電車の一つのドアに全員が一斉に殺到している姿を思い浮かべてもらうといいだろう。
靴は踏みつけられ、シャツはしわくちゃになりズボンからは見出し、隣の若い衆の汗がべっとりとまつわりつく。
圧もすごい。見るのはいいかもしれないけど、中はやはりいやだ。

その、板寄せ寸前の状態を回避するのはどういうアイデアがあるかという話が持ち上がったことがある。コンピュータ売買なら一発で解決だが、当時はシステム化はすでに計画されていたが、それとは別に何かいい考えはないかというのだ。

付け合せ窓口を二段階にしてはどうかとか、取引を最初から板寄せで行ってはどうかとか、知恵は絞られたが、結局いい方法はなかった。

まあ、結局ガス抜きされただけで、機械化までは辛抱しなさいということだったようだ。
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手錠ベアリングの売買が不思議さを増すころ、ベアリング幹部たちはのんきにクリスマスを楽しんでいた。そこではシンガポール拠点の1994年の功績をほめたたえあっていた。

もちろんニック・リーソンは最大の立役者だ。

しかし、88888口座に封印された損失はすでに臨界状態に達していた。
いつ爆発してもおかしくはない。
月末をまたぐための資金操作も限界に達しつつあった。
年末越えに行った資金操作に不信を持ったSIMEXが執拗に照会を行う。
社内でも調査が始まる。
しかし、誰も88888口座を覗くことはなかった。

リーソンに残された手段は先物を使って買い支え、日経平均を19000円以上で着地させ3月限オプションのポジションから利益を上げるしかなかった。
それが、見え見えの先物の売買となってあらわれていた。

部下が作成した、ベアリングのポジションはまさに海面からわずかに顔を出した氷山の姿を示していた。
市場はそれでもなんとか、リーソンの願いどおりのゾーンで動いていた。

1995年1月18日(水) 阪神大地震が発生。

処理過程

発生直後しばらくの間、地震をどう評価すべきか気迷いを見せていた市場は週明けから一気に売りの方向へ動いた。
その後、日経平均が19000円を回復することはなかった。

それでも、一縷の望みを託し、節目節目で悪あがきを続けるリーソン。
市場は、そんなリーソンをもてあそぶかのように、少しは反応を見せるが、上値は徐々に切り下がる。

社内外でいろんな噂が流されるが、誰も決定的な決め手になる88888の扉を開けようとしない。
そして、なりふり構わなくなったリーソンは文書の偽造にまで手を染める。

買い支えに使われた先物の買い持ちは膨らむばかり。
2月24日(金)が94年度分のボーナス支給日。
リーソンの頭には、なんとしてもその日まで持ちこたえることしかなかった。そしてその翌日はリーソンの誕生日でもあった。

しかし、その日が見えた前日ついに力尽きた。
おしっこを我慢に我慢してようやくトイレにたどり着いたら、入り口でおもらししてしまったようなものだ。
42.1KM走ってきてゴールテープが見えたとたん心臓発作を起こす。
本当の心臓発作を起こしたのはランナーではなくベアリングの経営陣である。

ボーナス日の前日、引け後ついに逃亡。

24日(金)極秘裏に関係者は動く。週末は、イギリス挙げての緊急対策会議。

26日(日)べアリングのポジションをある大手証券が代理で反対売買を行うことが決まる。部長から電話が私のところに入った。趣旨は一部のポジションを買い取れないかということだった。市場で決済したのちに残った最後の部分ならまだしも、その時点での一部買い取りはあり得ない相談だった。

翌日から積み上がったポジションの解消売りが始まった。ベアリングに代わって反対売買を行う証券会社の執行担当者は週末に急遽作られた特別室に陣取り、外部との接触が一切できない状況で、淡々と決済売りを出しているという。
初日に市場は大きく下げたものの、翌日以降は決済売りが出ているにもかかわらず、市場はびくともしない。
誰もが、最後の売りを買いたいと虎視眈々と狙っていたのだ。

決済売りは1週間弱で終了した。
終了のアナウンスがあれば、誰もが急反発を予想した。
結果は見事に逆だった。

最後の売りを買った人たちの売りを買う人がいなかったのだ。

相場の心理をまさに映し出す見事な展開であった。

結局、最後の売りをバーゲンだと思って買った人が投げ終わったころ市場は反発した。
その後も日経平均は上昇を続け、年末には、あれだけリーソンが抵抗した19000円も回復する。

すべてを飲み込んだ後、何事もなかったかのように動き続ける。
それが市場というものだ。


2年間



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またまた、やり手証券マンM氏から続きの手記をいただきました。

セールス5
私の入社したN証券は「営業ありき」の会社だったんだ。


あんまりお利口な人材は必要なく、体力自慢で打たれ強いのがいい。でも、東大生はある一定数が必要なんだ。当時は「業界無敵」といわれたN証券でも大蔵省には頭が上がらなかったってわけさ。

おそらく上級公務員試験を通って大蔵省に入る学生のほとんどが東大卒のはず。
将来彼らのなかから、証券局課長から局長まで排出する。そんなエリート官僚の「同期」をN証券としては10名程度は取っておかなければならないからリクルーターも大変なんだ。

当時N証券は、採用戦線のピークにあわせ、内定をだした学生を、関西地区、関東地区の学生に分けて旅行に連れていたんだ。関西の学生は三重の保養所、関東地区は伊豆の保養所。もちろんこれは会社側の「好意」などでもなんでもない。いわゆる「拘束旅行」と呼ばれているのもので、この時期、学生が他社に寝返らないようにするために、保養所に「軟禁」するのが目的なのさ。


そのときのエピソードにこんなものがあるんだ。
関東組約100名が伊豆の保養所について食事がはじまる。自己紹介の席では、当然のことながら早慶生が圧倒的に多く、明治、筑波、一橋等が続く。しかし、東大生がなぜかいない。たしか10名内定者がいたと聞いている。やがてひそひそ話が始まる。「まさか東大は関西組じゃあないよな」「なぜ、東大がいない」「彼らはどこへ行ったんだ」と。


その頃、彼らは「ハワイ」にいた。。。

どうやら、ハワイ拘束旅行の噂は本当のようです。

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金融危機の震源地である投資銀行。
低所得者向け住宅ローンを証券化して、ピカピカだといって世界中に売りまくった張本人。
自らも、自己ポジションでそのピカピカを抱えてドツボにはまり、庶民の税金で救済されながらも高給を持ち去った貪欲さ。

どう考えても虚業の極地にしか見えない。
この虚業の権化はいつのまにか銀行に姿を変え、今では投資銀行といえるのは世界広しといえど野村証券と大和証券の2社しかいなくなってしまった。この2社を投資銀行と呼ぶ習慣はあまりないので、投資銀行はなくなったといえるかもしれない。そもそも、投資銀行という呼び方自体、証券会社をカッコよく呼ぶだけのものだったのかもしれない。

銀行の傘下に入ることで、いままでのように好き勝手はできない。バーゼルⅢやボルカールールの適用を見越して自ら業務の縮小・切り離し・看板のすげ替えに動いてきた。変わり身はさすがに早い。

しかし、器は変わってもその受け継がれてきたアニマルスピリットはそう簡単に捨てきれるものではない。もともと、銀行マンのカルチャーの対極にいる人たちなのだから、すぐに息苦しくなるだろう。どこかで息をひそめて、虎視眈々と復活を狙っているのは間違いない。

このような話を独特で挑戦的な言い回しで描く 外資系金融の終わり
チーム藤沢というプロダクションで作っているといわれているが、一応オリジナルな人物は存在するようだ。しかし、いつの間にかキャラが独り歩きを始め虚像化しているようにも思える。本物は意外といい奴かもしれない。

この本は、金融の玄人筋からはなぶり殺され身もふたもないトホホなようだが、金融業界以外の人にとっては一読の価値はある。著者のスタンスがバリバリの新自由主義からぶれずにいるブレナなさは一応評価をしてあげたい。

さて、その藤沢語録だが、読んでいて勘に触る部分が多いが鋭い部分もある。それこそまさに著者の思うつぼなのだが...


生命保険は加入者の死亡を当たりイベントにした宝くじ

生命保険会社は膨大な保険料にあぐらをかいてヘッジファンド化

証券会社は仲介業務が本来の仕事のくせに、自分も飽き足らずカジノの胴元になった

資本主義はリスクをとったものが、失敗した時のコストも負担することで成り立つ

投資銀行には本来同じ会社にあってはいけないものを同居させている

サブプライムはアメリカンドリーム

金融工学はくずを集めてAAAを作り出す技術

日本の銀行は年寄りの預金を集めて日本国債を買う優しい仕事

日本国債を買い続けることはサラリーマンとしては合理的

相続は80・90の老人から60・70の老人へ富を移転させるだけで、何かが変わるわけではない

普通のヘッジファンドは単なる零細な資産運用会社

巨大金融機関は絡まりすぎてつぶせない


などなど、ムカついたら失礼いたしました!





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80年代に起こったバブルはいつから始まったのでしょうか。
おそらくプラザ合意のあった1985年ごろからですね。
一瞬急激な円高に日本経済はひるみますが、やがて
円高、金利低下、株高のトリプルメリットが始まり、未曽有のバブルへ突入するのです。
当時の新人採用は今とは正反対の売り手市場。
そこそこの大学?を出ていれば誰でも就職できました。特に体育会系の学生は勉強なんかできなくても。


バブルは再来するのでしょうか?
ついに就職氷河期に終わりわくるのでしょうか?


そこで、なんともうらやましバブル期に、N証券に入社したあるやり手証券マンMの手記を紹介しましょう。それはそれは、学生は引く手あまただったようです。

セールス5

N証券では「優」の数が0でもどんどん内定がでたんだ。同期は350人。

みんなの顔などおぼえちゃいないさ。
いったい何人残っているのだろう。
そんなこと今の僕には全然関係ないけどね。

N証券にはリクルーター制度があったんだ。支店の営業マンだろうが本社スタッフだろうが会社から情け容赦なくリクルーターをやれと指令が下されるわけさ。
指名された社員は人事部の手下となり平日へとへとにこき使われた上、土日は出身校の学生の採用活動に没頭させられる。
秘密だけど、これにもノルマが。

たとえば、早慶では各50名必達と言われていたんだ。
 

三菱・住友グループなどとまともに競って、簡単に学生を採用できるはずもなく
「おしみなく金を使う」

1年間でリクルーターひとりに割り当てられる交際費は100万円以上に及ぶ場合も。
採用活動といっても、やることは、学生を呼び出し、特上すき焼き、特上しゃぶしゃぶ(なんでも特上である)等をご馳走し、歓楽街へ連れて行くだけさ。

学生の中にはこのときはじめて「特上肉」に遭遇し、感動して涙する者もいる。

バブル当時内定のピークは4年生の6月ころだったので、目星をつけた学生はこのころ毎週末呼び出し、飲ませ食わされの乱痴気騒ぎを繰り返す。

「毎週」の意味するところは他社の面接に行かせないようにする作戦だから。

めでたく内定し、承諾すればそれでよし。

ただし最終選考まで残っていたのに最後に「他社に行きます」というとただでは済まない。
伝説の「コーヒーシャワー」の儀式を受けなければならないのさ。

これは、電話で「他社を考えています」というと決まって「喫茶店で話を聞こう」ということになるんだ。
学生の寝返り話を聞き終えたところで、「そうか、わかった。他社で頑張れ...こんな時でもな」と
バシャ―とコーヒーを頭からかけるってわけ。

当然、これは純情ですれてない学生の話で、情報ツウの学生はこの時期、N証券に喫茶店に呼び出されたら行ってはいけないと知れていた。。。


元N証券社員M


どうやら、N証券のコーヒー事件は伝説ではなく「日常茶飯事」だったらしい。
でもこれは20年以上前の話ですからね、念の為。

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うすうす予感はしていたけれど、圧倒的に場立のお話の人気が高いので予定を大幅に変更して早くも第2話へ。2・3話でさらりと終わろうと思っていたが、やや長編含みに変更。
金融工学なんてカッコつけたタイトルつけてるけど、ニーズがあるならどんどん書いてしまおう。

まず、読者の皆様の素朴な疑問を解決しなければ、

なぜ場立?

もちろん、場立になりたくて会社を選んだのでもなければ、希望を出したわけでもなし。
そもそも場立という配属がありうるなんてこともまったく知らなかったので想定外の出来事。
入社式の時に座った位置が前の方だったので、これはひょっとしていきなり本社かと内心にやりとした。
いよいよ配属発表の時。前から順に名前と部署が読み上げられる。やはり、本社の部署から順に読み上げられていた。いよいよ、順番は隣まで来た。そいつは「市場部」だった。その時、「ん?」と一瞬思ったが、続いて読み上げられた私の部署も「市場部」だった。次の二人も同じで、計4人が同じ「市場部」配属となった。

両隣を覗き込むと、片一方は何にも知らないようだったが、もう片方は何やら意味ありげな表情をしていた。
入社式が終わって、我々4人は同じ本社ビル3階にある市場部に直行した。

道すがら、意味ありげな表情を見せた男が教えてくれた。「俺たち場立だよ」「えっ、あの取引所の?」「お前知ってたのか」てな会話を4人で交わした気がする。意味ありげだった男以外は、私と同様何も知らなかったようだ。

配属先であいさつを済ませて簡単な説明を受けると、早々に屋上に上がるよう指示を受けた。
いきなり入社早々避難訓練でもあるまいと思ったら、屋上で隣のビルに向かってまさかの発声練習をさせられた。
場立としての訓練開始である。

いろいろ話を総合すると、場立には

眼がいいこと→サインを見逃してはならない
声がでかいこと→喧騒の中で仲間を呼ばなければならない
背が高いこと→人ごみにまみれて見えなくなってしまわないように
がたいがいいこと→人ごみの圧力に耐えれれること

が必要なことが分かった。
我々4人はそういう基準で同期230人の中から選抜されたようだった。

あとからわかった話だが、採用の段階から市場部行きが決まっていたわけではなく、230人のなかから元気そうなやつがテキトーに選ばれたそうだ。

こうして、私の社会人としてのキャリアは東京証券取引所の場立として始まったのだ。
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ニックリーソンずいぶんと遠い昔の話。

一人のお馬鹿なトレーダーがイギリスの名門ベアリング社をすっ飛ばしたお話し。

私は当時ある日系証券で、先物オプションのヘッドトレーダーの立場にあった。

事件を起こした男はニックリーソンというバックオフィス(受け渡し部門)上がりの若造。
2年ちょっとのトレーディング経験しかなかった。
上司の無知をいいことに、とんでもない損失をごまかしながら、
大相場を張った。
結局散った。

最初は、部下の些細なミスをかばうために行った親心による不正だったらしい。
ほとんどの巨額損失事件の入り口はどれも、ほんのささやかなできごとから始まる。
しかも、せっかくかばった部下はすぐにやめてしまう。あとに小さな損失と不正の事実だけが残されてしまうという皮肉さ。
損失を隠すために使われたのが「88888アカウント」という華僑がいかにもよろこびそうな数字の並んだ、エラー取引を記帳する口座である。ここに部下のミスをほおりこんだ。きちんとエラー報告すればそれで済んだ話。やめていった部下のものなんだから。
その口座に巨額の損失が積み重ねられることになる。

1度開けてしまった損失隠しという禁断の扉からもとの世界に戻ることは難しい。部下の残した損失は少額であったため、その後の顧客からの手数料と混ぜ合わせることでもみ消しに成功した。

そのおよそ半年後1993年の初め、違う部下が二つ目のミスを起こす。今度はかなり大きい。前回のように手数料からの収益とまぶしてごまかせるレベルではない。
ここから、本格的な損失隠しの旅が始まる。
しかし、「取り戻そう」という下心がある取引がうまくいくほど市場は甘くはない。

手口を簡単に説明するとこうだ。
88888のエラー口座にまず部下の損を移す。その口座に損失をカバーするだけの量のオプションを売り建てる。
発覚をふせぐため技術的な資金移動を頻繁に行う必要があるが、核心部分はこれだけである。オプションを売った時に受け取るオプション料は利益にカウントできる仕組みを使うのだ。

オプションの値段は日々変動する。変動によって発生する損失をカバーする必要がある(デルタヘッジ)。そのヘッジ取引は先物を使って行う。リーソンの先物取引はそこそこうまくいき、オプションの変動からの損失を補っただけではなく余分の収益を稼ぎ、半年後にはすべてがなかったことにできる状態にまで戻せた。
ここでやめればよかった。

秋に決定的な出来事が起こる。
大口顧客の注文を取るために無理な値段を提示して、そのポジションを抱え込んでしまったのだ。これは本来リーソンに認められてない取引である。大口顧客からの手数料収入欲しさに、ついリスクをかかえてしまったのだ。過去のミスをカバーした成功体験が彼の背中を押した。禁断の扉はこのとき完全に閉まり、もう後戻りできなくなった。

この取引によって獲得した大口顧客はその後確かに大きな手数料収入をもたらした。シンガポールベアリングの収益を大きく伸ばす最大の貢献者になった。その裏で、88888に疎開された損は拡大を続けた。こうなると、もう歯止めは効かない。88888の損をごまかすために、さらにオプションを売らなければならない。そうすると日々の損益はいっそう大きく動き、それをカバーするための先物の売買はさらに増えていく。

ベアリング幹部は顧客からの手数料で高収益を上げるシンガポール拠点を称賛し、そこで指揮を取るリーソンに一目置くようになる。検査の眼は、この収益がいつまで続くのかという方に向けられた。
悪いことにシンガポールにいる直属の上司はサッカーの話題しか興味を示さなかった。
バックオフィスたたき上げの彼にとって、そんな上司の目を盗んで損益をごまかすのは朝飯前だったらしい。
ルールでは、日中の最大ポジションは規定されており、ポジションの持越しは認めれていなった。それをかいくぐって、巨大な損失ポジションを抱え続けたわけだから、リーソンが指摘するように会社はボンクラだったとしかいいようがない。

彼の取引対象は、日経平均先物と日経平均先物オプション。あと、日本国債先物とユーロ円金先が少し。どこかの投資顧問会社とほぼ同じだ。認められていた取引手法は、SIMEXと大阪の間で生まれる価格差を狙ったリスクの少ない取引とされていた。
当時のSIMEX(シンガポール先物取引所、現在SGX)はフロア取引だったので、取引の様子はリアルタイムで市場参加者には丸見えだった。日本との時差は1時間だが、日本の取引時間に合うようにSIMEXの日経平均先物は取引されていた。

ベアリングのあまりの売買量は、当初市場では大物投資家の存在があると理解されていた。確かにそれも一部は正しい。しかし、実際は取引の大部分がこの若造トレーダーによるものだった。

1994年の夏場ぐらいから、リーソンの取引手口は過激になっていった。
すでに、オプションのヘッジ取引という範疇をはるかに超えていた。
そしてその手法はやがて???なものになっていった。
大口プレーヤーの行動なので、ライバル証券はみなその手口を分析する。

私の部下が異変に気づいた。
1994年晩秋のことである。

当時は日経平均は20000円手前をうろついていた。
リーソンは、19000円から20000円の間で日経平均がとどまれば収益が上がるポジションを積み増していた。それだけだと、相変わらずハデにやっているなという話なのだが、先物の売買が変調をきたしていた。

私の部下は詳細にベアリングの売買を追っていた。
普通、オプションで相場が動かないほうに賭ける場合、想定レンレンジの端に近づいた場合、レンジが外れた場合に備えて、先物を順張りしなければならない。つまり、下がれば先物の売りを増やす必要がある。

ところが、ベアリンングは全く逆のことを行っていた。レンジの端からもとに押し戻そうとするように売買を仕掛けるのである。

市場ではこの不思議なベアリングの動きが話題になり始めていた。



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ブラックマンデーが起こったその日、私はNYにいた。

忘れもしない1987年10月19日月曜日。
なぜ、その日にNYにいたかというと、話せば短い。

東京から長期出張でNYのオフィスに来ていた。たまたまである。

その時の私の使命は、翌年に予定されていた日経平均先物の上場に備えるため、アメリカの先物・オプション市場を研究すること。
でも、それだけでけは出張代がもったいないので、NYオフィスが顧客との間で行う日本株の取引を東京本社のリスクで保障するという、ちょっとわかりにくいこともやっていた。

少し専門的な話になるので少しご勘弁を。

海外でにおける日本株の売買は2とおりある。
一つは委託注文といって、顧客の注文を預かって翌日の東京市場で執行するやり方。この場合、証券会社は注文を取り次ぐだけなので、売買損益は発生しない。

もう一つが決め商いといって、現地米国時間に顧客との間で値段を決めて相対で取引してしまう方法だ。
これは、NYオフィスにポジションリスクが発生し、翌日東京市場でカバーしに行くわけだが、相場によっては損したり儲かったりする。

当然損益はNYオフィスに帰属するが、NYの資本金は大きくないので、あまり大きな損は出せない。そこで、NYオフィスが翌日東京市場でカバーする値段を東京が責任もって保障してあげるということが行われる。実際のカバー取引は商いがスカスカな大阪市場を使ってクロス商いの形で行われる。
東京のトレーダーがNYの地でそんなことをやっていいかという微妙な問題はあるが、当時はこういう仕組みで、日本株の売買をやっていた。

さて本題に戻る。
前の週からNY市場は不穏な動きになっていたが、月曜日ついに一気に爆発。売りが売りを呼んであれよあれよとつるべ落としに下がっていく。最終的には22.6%安の大暴落。

当然、そのあと開く東京市場は大暴落することは間違いない。
顧客から売り引き合いが殺到した。
東京からノコノコやてきた私に情け容赦なくNYのセールスは襲い掛かる。
ノービッド(買いの値段はだせない)でもおかしくはない場面だが、客商売なので、お客によっては付き合わざるをえない。結局、数社の顧客の売りを引き取ることになった。もちろん、それぞれ値幅制限いっぱいのストップ安の値段で。えらいことになった。

当然、東京市場は3,836.48円(14.90%)の大暴落。ほとんどの銘柄が売り気配のまま値段が成立しないで終わった。
私は、逆にこれで救われた。NYから引き取った株のコストは、今日の制限値幅いっぱいの値段、翌日そこからさらに一段安すれば、東京本社がとんでもない損失を被ることになる。
しかし、次の日はNY市場は乱高下したものの反発に転じ、それを受けた東京市場はは2037.32円高(9.30%)と急反発した。私の引き取ったポジションは九死に一生を得た。

もう25年以上も前の話だが、局面局面を断片的に思い出す。
現地月曜日の状況は唖然という感じであまり実感がわかなかった。
ただただ、食い下がるセールスとの対応に追われたという感じ。
現地の雰囲気は翌日火曜日のほうが緊迫感が強かった。
大暴落から一夜明け、地球が1回りする間に世界中の市場は例外なく大暴落した。果たしてこの波が地球をもう1周回ることになるのか。朝からそんな緊迫感が漂っていた。
NY市場はいきなり気配値が10%近くの下落を示していた。しかし、フロアは大混乱していて、売値と買値が開きすぎて全く売買は成立していなかった。1時間ぐらいそんな混乱状態が続いただろうか。全く現在値がわからない。売買しているのかどうかもわからない。チャートを見ると一応下ひげになっているが、かなりいい加減だ。そうしている間に気配値が急に戻り始めた。売りが一斉に引っ込んで、結局月曜日とあまり変わらない水準で売買が成立し始めた。その後も激しい乱高下は続いたが、最終的に若干反発して終了した、それを受けた東京市場は急反発したというわけ。

結構強烈な経験だった。
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今ではなくなってしまった職業なので、場立について少し書き記しておこう。

私が入社したのは昭和56年(1981年)。
1979年に第2次オイルショックが起こり、原油価格の高騰で産油国の懐事情がよくなっていた時期にあたる。

オイルマネーが大挙して押し寄せるというシナリオで、ちょうど株式市場は重厚長大の大型株が好んで物色された時期であった。

新人で東証の場立となった私は、前場・後場のそれぞれ2時間、発注業務に忙殺されることになる。
順繰りに人気銘柄が変る。
昨日が日立だったら、今日は新日鉄。明日は東芝といった具合に。

人気銘柄の発注はそれこそ、一触即発の喧嘩モードだ。
それは無理もない。証券各社から来る絶え間ない注文を、才取というつけ合わせ専門の人間1人で対応しているのだから。

その様子は、一匹の女王蜂に向かって働き蜂が百数匹一斉に群がるようなものである。
あちらこちらで
「てめえ」「きさま」「表へでろ」
なんて始まる。

しかし、5分毎に支店からの文伝票は容赦なく場立のもとへやってくる。
5分以内にそれまでの注文を発注しないと、時間優先の原則が狂ってくるし、できるはずの指値ができないということで支店でのトラブルのもととなる。

だからみんな必死だ。
人ごみにまみれながら、何回も「俺何やってんだろ?」と考えたりもした。

フツーそう考えると思うのだが、そんなことを考えるのは我々同期4人ぐらいだったようだ。

確かに、取引所の人ごみにもまれていると、相場の鼓動というか息吹というか波というか、何かが伝わってくるような気もする。次々と関連銘柄が物色されていく様子が、手に取るようにわかる。

相場師にとってはこの場のすべてが、かけがえのない情報ということかもしれない。
私はそのかけがえのない経験をしているのだと思うことにした。
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