2ヶ月ほど前、このブログに異変がありました。バロック音楽愛好家のかたにご覧頂き、地道に続けてきたこのブログに,突然いままでにない大量のアクセスがあったのです。はじめは何が起こったのかわかりませんでした。その日の夕方、アクセス数が500を超えたあたりで、このブログには検索ワードがわかるという機能があることを思い出し調べてみたところ、ほとんどすべての検索ワードが

「 常に底流としてある考えや主張をいうバロック音楽からの言葉」 でした。そしてみなさんが下の記事を読んでくださった訳です。

 2014年3月16日の記事「通奏低音とは何か」

いったい何が起こっていたのかは、次の日になってわかりました。どうやら新聞のクロスワードパズルにそれが出題されていたのです。「 常に底流としてある考えや主張をいうバロック音楽からの言葉」というのがヒントで、四角にいれるべき正解は「ツウソウテイオン」。

このブログ記事にたどり着いた方は「あれ?」となったでしょうね。記事には「その意味は間違ってる!」って書いてあるのですから。 

この新聞、誰でもご存知の全国紙なんです。残念....。

しかし!実はそんな事件(?)がなくても常に検索ワード第一位は「通奏低音」なのです。 これはどういうことなのか、それはわかりませんが、私としては「誤用」が一般化してしまうまえに、本当の音楽用語としての意味をせいぜいアピールすることにします。

【通奏低音とは】
思い切ってわかりやすく簡単に言うと、バロック音楽の「基礎となる伴奏部分」です。それは低音と和声(数字であらわされます)でできています。

対比するものとして「旋律(メロディー)」があります。幾つかの旋律が一つの曲で同時に奏でられると多声音楽になります。でも一つの曲に二つの通奏低音が同時に鳴っていることはありません。常に一つです。伴奏がオーケストラになって内声が豊かになっても、一番低い音とその和音が唯一の通奏低音で(何人かで一緒に演奏することもありますが)その曲の和声の根幹となります。

以上終わりです。「底流にある考えや主張」という意味はこの言葉にはありません。そもそもバロック音楽は、後の時代の音楽とは違って、作曲家が個人的な思想を主張するために書いた音楽ではないので 、「主張」などという言葉はとても場違いな感じを受けます。

「通奏低音」という漢字の意味からの連想で、間違った解釈になったのかと想像しますが、正しい意味をしいていうなら「ぶっ通しで演奏している,低音と和音のパート」ということです。

通奏低音は、バロック時代の音楽には独奏曲や二重奏などの曲を除いて、ほとんどすべての曲に使われています。例を見てみましょう。下はきっとどなたもご存知のヴィヴァルディ作曲「四季」の「春」の冒頭部分です。
LaPrimavera

五段になっているスコアの一番下の段が「通奏低音」です。(この版にはオルガンとチェロとかいてあります。)ミミ、ミ、ミ、ミ、ミ、ミ、ミ、ミ、ミ、ミミララシ,,,というところです。例としてこの曲を選んだのは「通奏低音=根底に流れる主張」ではないことをイメージ的にわかっていただきやすいかと思ったからです。

あたりまえですが、メロティーにもいろいろあるように通奏低音にもいろいろあります。音楽作品ですから、旋律になにかの表現を込めることがあるように、低音パートに表現をこめることもあるでしょう。バッハのマタイ受難曲の冒頭第一曲などは通奏低音のパートが十字架を担いだキリストの歩みを彷彿とさせ,あたかも「根底に流れる主張」のようにうけとることもできますが、それは作品としての「表現」であって、「通奏低音」というパートそのものにそういう機能があるわけではないのです。

貴族が踊っていたメヌエットなどの小さな舞曲にだって「通奏低音」がついていますし、オペラやカンタータの台詞の部分にあたる「レチタティーヴォ」の部分にだって「通奏低音」はついています。それだけ見ても「常に底流としてある....」というのがヘンなのはおわかりになっていただけると思います。

後記(2018.1.6)
以前に公開したこの文章を、いまだに多くの方が読んでいただき、コメントも頂いております。ありがとうございます。
「通奏低音」という言葉は今も比喩的に使われることが多くなってきている気がします。すべてではありませんが(私たち音楽家にとっては)感覚的に違和感があることが多いです。しかし、その違和感のある使い方も、既に辞書に例文として堂々と載っていたりするようです。こうなってみると、声高に「それは誤用です」と目くじらを立てる気にはなりません。「言葉」というものは変化を続けているもので、他の言葉にも「もとは誤用であったものが一般に広く使われるようになった」ものはたくさんあるからです。みんなが使えばその言葉は一般に正しくなるのです。
私たちとしては、音楽的な意味の通奏低音を知ってもらうために発信は続けたいですが、この「比喩問題」については今後触れないことにします。