2009年02月16日

小林 一茶

子供の頃は勉強嫌いだった筈が、なぜか頭の回転が鈍っている今になって学ぼうとするんじゃろう?

近くの公民館通いは楽しみの一つになってしまった。
某大学の名誉教授のお話。

死んだ母もそうじゃったが、昔の人は情緒があったな。
自然の情景や、人を思う心を歌に詠み伝える習慣があるんじゃ。

学校で習った俳句や短歌。
殆ど忘れてしまったが、芭蕉や一茶は誰でも記憶にあるじゃろ。

「草それぞれ おのおの花の 手柄かな」芭蕉
”この花は世界にひとつ 粗末にしてはいけない”と諭していると言う。

「露の世は つゆの世ながら さりながら」一茶
これはいのちのはかなさを詠っていると言う。

俳句は、自然との共存を感じ、自然との共生に感謝の心を抱かせる言葉じゃな。
うん、ほんまじゃ。

北原白秋の「雀の卵」に
”つくづく慕わしいのは芭蕉である。光悦である。大雅堂である。利休遠州である。風流が風流に完(おわ)らず、真に自然に還って、一木一草有るがままにおのれをその中に置く。そうした自然にまかせた境地こそ芸術ではなかろうか」と。

この”一木一草一鳥一虫の生命”
人の命はもちろん、小さな命を愛の心をもって詠う。

大人が子供達を見る目も、愛の心をもって見つめるべきじゃよ。
「すくすくと 育つ土筆(つくし)が 子らに似て」わしの句


kmcc1118drkm at 17:06│Comments(0)TrackBack(0) 生命 

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