「〜その6〜」の続きで、僕にとって思い出深い「MSX」を書いてみたいと思います。

 前回記事で低価格パソコンとして登場した「PC-6001」や「SC-3000」を紹介させていただきましたが、それらと同じく、

・本体とキーボードが一体型(コスト削減)。
・カートリッジが差せる(ファミコンのカセットのように差すだけでゲームができる)。

 この特徴を引き継ぎ、家庭へのパソコン普及を目的として「低価格パソコン」の代表格になったのが「MSX」です。

 なぜ代表格なのかというと、「MSX規格」というパソコン統一規格を当時のマイクロソフトとアスキーが1983年6月27日に発表し、それに10社以上のメーカーが賛同され、その規格にそったパソコンが1983年後半から大量に販売されたため、低価格パソコンといえば「MSX」というイメージが定着するようになったからです。

MSX広告_198406
<各メーカーのMSXパソコン。真光無線(かつて秋葉原のラジオ会館にあったパソコンショップ)の広告一部。 工学社・月刊I/O1984年5月号より引用>
 この統一規格の利点は「MSX規格」で作られたゲームなら、どのメーカーのMSXパソコンにカセットを差しても遊ぶことができたということに尽きると思います。
 それはメーカーごとに規格がバラバラであることが当たり前だったこの時代にとって画期的なものでした。

 ただ、パソコン本体の基本性能は前述の「SC-3000」と同等レベルでしたので、

・ゲーム機の性能としてはファミコン未満。
・パソコンとして見ても実務には厳しいレベル。(BASICの入門機として使えた程度。)

 といった中途半端さが露呈することとなり、評価はあまり良くなかったそうです。

 なぜそんなパソコンがこのブログ的に重要なのかというと、当時小学生だった僕がでんでんタウンで遊ぶことといえば「MSXの試遊台でゲームをする。」だったからです。

 当時の量販店ではファミコンの試遊台が1台あるかどうか、一方MSXはメーカーの数だけ並べられていたので6〜10台が試遊台として稼働していました。
 そういった量販店が大なり小なり数十軒あったのですから、でんでんタウン全体で稼働していたMSX試遊台は100台を超えていたと思います。
 時代も数年経つとMSXのパワーアップ規格である「MSX2」が出てきてファミコンの性能と遜色なくなり、ファミコンでの人気ゲームタイトルがMSXに移植されたりしていたためか面白いゲームが増えていたように記憶しています。

 つまり身も蓋もなく言ってしまえば、当時のでんでんタウンは事実上の無料ゲームセンター状態だったということです。(笑)


 その頃の体験談を書いた過去記事をまとめましたのでご紹介します。

・「-マイコン売場が遊び場所2-
 -ファミコンよりマイコンな理由-
 ブログ初期にMSX時代の雰囲気を伝えるために書いたものです。

・「-戦前から創業の中川ムセン〜遊び場だった日本橋本店〜-
 中川ムセン日本橋本店にあったMSXコーナーでの体験談を書いています。
 いっぱいあった量販店の中でも一番MSXを遊んでいた場所なので思い入れがあります。

・「-X'cit(エキサイト)はワクワクなおもちゃ屋さん-
 最後の方でジョーシン1ばん館のMSXで遊んでいたことに触れています。

・「-でんでんタウン界隈の3つの小学校〜試遊台を巡る熱き三国志〜-
 小学校3校によるMSXの縄張り争いを面白おかしく書いています。(笑)
 この3校はもうすぐ小中一貫校として一つの学校になる予定だそうです。母校跡がどうなるのか気になります^^;

・「ナコのでんでんタウン物語 第2話~スーパーマリオブラザーズ発売!~
  でんでんタウンでの体験を基に書いている小説なのですが、ファミコンソフト「スーパーマリオブラザーズ」の試遊台を探す過程でMSXにも少し触れています。
 あと当時家にはMSXでもファミコンでもないセガの「SC-3000」しかなかったので、誰とも話が合わない葛藤を第1話で主人公に語らせていたりします。(笑) 


 ざっとこんな感じです。
 これだけ思い入れがあるのにSC-3000以降はNECパソコンのお下がりを頂いていたので、一度もMSXを所有することが無かったのがちょっと心残りですね^^;


偉大なるコナミのMSXゲーム伝説 週刊アスキー・ワンテーマ<週刊アスキー・ワンテーマ>
MSXアソシエーション
KADOKAWA / アスキー・メディアワークス
2015-03-19



 さて、各メーカーのMSXが出そろってきていた1984年ですが、その頃のでんでんタウン恵美須町駅周辺の雑居ビルでは激安パソコン店舗の出店競争が激化していました。少し紹介したいと思います。


・マイコンショップ・エル(M・S・L)
MSL198407
<マイコンソフトライブラリー初出店時の広告。 工学社・月刊I/O1984年7月号より引用>

 恵美須町駅近くに山田ビルという老舗の雑居ビルがあるのですが、そこで1984年6月頃「マイコンソフトライブラリー(略してM.S.L)」という激安マイコンショップが入居されます。
 しかし半年も経たずにJ&Pテクノランド南隣の雑居ビル「ミモトビル(現在のパレット日本橋ビル)の2階に引っ越され「マイコンショップ・エル」と名前を変えて営業を再開されます。

MSL198411-2
<移転時の広告一部。 工学社・月刊I/O1984年11月号より引用> 

 ただ並行して「MSL」という表記も使われていたため、いつの間にかマイコンショップ・エルの略がMSLと思われるようになっていったそうです。さらに1986年には「マイコンショップ・MSL」と表記するようになっていて、もうなんだかわからないですね。(笑)
 日本橋で一番の激安店と言われ、当時のマイコンマニアは必ず立ち寄って値段を調べていたそうです。
 実は谷川電機近くにあった「ナニワ商会」系列のお店で、1985年後半には同じく同系列の「OAシステム販売」と合わせて「OAシステムグループ」として一緒に宣伝されていました。
MSL198509
<OAシステムグループの広告一部。 工学社・月刊I/O1985年9月号より引用>

 ちなみにOAシステム販売は雑居ビル「日本橋会館」にて営業されていました。
名前が似ていますが次に紹介するOAシステムプラザとは別物です。ちょっとややこしいです^^;


・OAシステムプラザ大阪店

 こちらは名古屋発祥のマイコンショップで、1984年6月頃山田ビルに大阪進出第一号店として出店されました。

OAシステムプラザ198406
<オープン時の広告一部。 工学社・月刊I/O1984年6月号より引用>

 こちらは雑居ビル店としては店内が広く、見やすさと安さを兼ねそろえていて、店員の対応も良くアフターサービスもしっかりしているということで人気があったそうです。
 事務机が中央にあったためか店というよりも事務所っぽかったそうです。

OAシステムプラザ198708
<1987年頃の店内写真。広告一部。 工学社・月刊I/O1987年8月号より引用>

 当時この山田ビルの1階には「スーパーダイコク」という食料品店があったので、小学生の僕はそのスーパーに寄ったついでに3階に上がりOAシステムプラザとは知らずに探検していた記憶があります。
 ちゃんとパソコン店として利用するようになったのは恵美須町駅の隣にビルを建てられてからだったので、かつて探検したあの店がOAシステムプラザだと知った時は店構えに差がありすぎで信じられなかったですね。(笑) 


 以上、このように恵美須町駅周辺の雑居ビルにはマイコンショップの出店閉店が目まぐるしく行われていました。
 特にMSLのあった「ミモトビル」、OAシステムプラザが入っていた「山田ビル」、その西隣にあった「エビスビル」、そして「日本橋会館」と、この4つのビルは80年代中期においてマイコンショップ新規店の登竜門のような存在だったんじゃないかと思います。

-続きはこちら-

<おまけ・今回登場したお店があった場所>
思い出のでんでんタウン拡大地図 5
 <クリックで拡大します。>