港南福音教会メッセージダイジェスト

港南福音教会における鴇田典子牧師のメッセージの要約です。

2012年2月26日「弟子への問いと警告」(ヨハネの福音書6章67~71節)

聖書箇所:ヨハネの福音書6章67-71節
説教題:「弟子への問いと警告」
説教要旨
     神様のひとり子であるイエス様が公に現れてから、奇跡や癒しをされたこと
        から、群衆がいつも追いかけてきて、イエス様をむりやり王様にしようとする
        人々もいました(ヨハネ6:15)。

  ところが、先週学んだように、イエス様がご自分は神の子であること、天から下ってきたまことのパンであることをお話したことから、つまずく人、信じない 人、裏切る人がいることをイエス様は知っておられました。今迄弟子として従ってきた人々が離れてしまいました(6:66「こういうわけで、弟子たちのうち の多くの者が離れ去って行き、もはやイエスとともに歩かなかった。」)。ここで言う「弟子たち」とは、12弟子ではなくいつもイエス様の回りに付いて来た 人々のことです。

   12弟子はイエス様が、ガリラヤ湖畔で漁師をしていたペテロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネを選び、その後ピリポ、バルトロマイ、トマス、マタイ、アルパヨの子ヤコブとタダイ、熱心党員シモンとイスカリオテ・ユダの12名を選び、権威を与えて遣わしています。

   イエス様の教えで、わたしがいのちのパンであると言われても、わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物と言われても、本当にまだよくは分か らなかった弟子達でしたが、急に今まで群衆となって来ていた人達がいなくなりました。イエス様はご自分のそばに残った12弟子に問いかけました。

Ⅰ.12弟子への問いかけ(67-69節)
       イエス様は12弟子に問いかけて「まさか、あなたがたも離れたいと思うのではないでしょう。」
    と言われました。
    皆が行くから私も行く、皆が従うから私も従うというような従い方では、皆が行かないなら私も行
    かない、皆が従わないなら私も従わない状態になるのです。
      「まさか、あなたがたも離れたいと思うのではないでしょう。」との問いかけに、答えなければな
     りませんでした。

       もし、同じ言葉を私達も問いかけられたならどうでしょうか。教会生活でも信仰生活でも、自分
    はどう思うのか、お父さんが行くから私も行く、誰かに誘われて行き始めても、行き続けるために
    は、自分はイエス様を信じているのか、信じて従って行くのか、誘ってくれた誰かが行かなくなっ
    ても信じて従い続けるかどうか、信仰の決断を迫られることがあるのです。
       
       ペテロは12弟子を代表するかのように告白しました。
     ・イエス様は、私たちの主です。
     ・イエス様は、永遠のいのちのことばを持っておられます。
     ・イエス様は、神の聖者であることを信じ、また知っています。
    このペテロの答えは“群衆が離れても自分達はイエス様から離れません。永遠のいのちのこと
    ばを持っておられるお方であり、神様に聖別されたお方であることを信じているし、知っていま
    す”と答えたのです。イエス様といつも共に歩んだ12弟子達だけが知っているイエス様の姿があ
    りました。

       5000人の給食は、5つのパンと2匹の魚で奇跡が行われました。嵐のガリラヤ湖の上を歩い
    て助けに来てくださったことは決して忘れないでしょう。イエス様の問いかけは、弟子たちを信仰
    告白に導いたのでした。

       「神の聖者」というこの言葉は、
      ①詩篇106:16で、神様に任命された大祭司アロンのことを現し主の聖徒と訳され、
      ②士師記13:7、16:17では、神へのナジル人(「聖別された者」の意、サムソンのこと)と訳
         され、
      ③イエス様に向けて語られています。
        イエス様が荒野の誘惑を受けられた後、ガリラヤ地方で宣教を開始された時に使われていま
    す。ガリラヤ湖畔の漁師ペテロやアンデレ、ヤコブとヨハネも弟子として召してからすぐにイエス様
    は会堂で教えを始められました。そこに、汚れた霊(悪霊)につかれた人が叫んで言った言葉に
    あります。
       イエス様が公に宣教を開始された時に、悪霊は、汚れた霊につかれた人を通して、イエス様が
    何をするためにこの世界に来られたかを知っていた事を示しています(マルコ1:24「ナザレの人
    イエス。いったい私たちに何をしようというのです。あなたは私たちを滅ぼしに来たのでしょう。私
    はあなたがどなたか知っています。神の聖者です。」、ルカ4:34)。ここから分かるように、汚れ
    た霊につかれた人の口を通して語られたのですが、イエス様は悪霊による証言を必要とはし
   ません
でした。また、悪霊が言いたい放題でいることを許しませんでした(マルコ1:25~27
  「イエスは彼をしかって、『黙れ。この人から出て行け』と言われた。すると、その汚れた霊はその
    人をひきつけさせ、大声をあげて、その人から出て行った。人々はみな驚いて、互いに論じ合って
    言った。『これはどうだ。権威のある、新しい教えではないか。汚れた霊をさえ戒められる。すると
    従うのだ。』」)。

       このように、イエス様は汚れた霊に支配されている人を解放し、神様から直接任命された権威
    を持っておられる事が明らかにされたのです。人々は驚き、イエス様の教えが律法学者にまさる
    新しい教えであると評判となり、ガリラヤ地方全体に広がったのです。

Ⅱ.12弟子への警告(70-71節)
       「イスカリオテ」という言葉は、イス(「人」の意)、カリオテ(「大都会」の意)という意味があり、
   ケリオテの人という場合もあるようです。12弟子の中でただひとり、南のユダ地方の出身で弟子
   達の中では会計担当者で信頼をされていた人でした。
     (1)いつも盗んでいた弟子
        今迄いつも群衆に囲まれておられたイエス様のもとには、12弟子達だけが残る状態にな
        りました。そして、その中のひとりが悪魔ですと、警告されてもユダの不正行為は続けられて
        いました。他の弟子達には全く分かりませんでした。ヨハネ12:4-6を見ると、ユダの不正は
        イエス様の最後の一週間に明らかにされました。ラザロがよみがえらされた後、イエス様の足
        もとに非常に高価な香油を注いだマリヤの行為に対して、「弟子のひとりで、イエスを裏切ろう
        としているイスカリオテ・ユダが言った。『なぜ、この香油を300デナリに売って、貧しい人々に
        施さなかったのか。』しかしこう言ったのは、彼が貧しい人々のことを心にかけていたからでは
        なく、彼は盗人であって、金入れを預かっていたが、その中に収められたものを、いつも盗んで
        いたからである。」とあります。ユダの“なぜ香油を売って貧しい人々に施さないのか”という言
        葉には、マリヤが弟のラザロをよみがえらせていただいたイエス様への感謝の思いを、無駄な
        行為であるかのように責める材料にしているのです。責められたマリヤの行為をイエス様は、
         「わたしの葬りの日のために、それを取っておこうとしたのです。」と言われ、マタイ26:13で
        は「世界中のどこででも、この福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この
        人の記念となるでしょう。」とも言われました。この事はイエス様の最後の一週間の出来事と
        な ったのです。

     (2)ユダの裏切り
             ヨハネ13:2で「夕食の間のことであった。悪魔はすでにシモンの子イスカリオテ・ユダの
         心 に、イエスを売ろうとする思いを入れていたが」と言われているように、ユダは12弟子であ
         りながら悪魔の導きに従い、悪魔の目的に仕えていたのです。

            ヨハネ13:18でイエス様は「わたしは、わたしが選んだ者を知っています。しかし聖書に
         『わたしのパンを食べている者が、わたしに向かってかかとを上げた』と書いてあることは成
         就するのです。」と言われましたが、詩篇41:9に「私が信頼し、私のパンを食べた親しい友
         までが、私にそむいて、かかとを上げた。」と預言されていました。
            ヨハネ13:21には「イエスは、これらのことを話されたとき、霊の激動を感じ、あかしして言
        われた。『まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたのうちのひとりが、わたしを
        裏切ります。』弟子たちは、だれのことを言われたのか、わからずに当惑して、互いに顔を見
        合わせていた」と記されています。

   私達は、聖書を通してイエス様のご生涯を学ぶとき、12弟子の中にどうして裏切る事になるユダが選ばれたのだろうかと疑問を持つことがあります。これ は、人間的な理解を超えた困難な問題の一つと言われています。考えられる事は、詩篇41:9で預言されているお方は、イエス様のことであると気づき、旧約 聖書で預言されているお方であることが分かることであります。

   イエス様は弟子達に言われました。助け主である聖霊は、「あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思いおこさせてくださいます。」(ヨハネ14:26)

  聖書を読む時には、問いかけと警告にいつでも注意しながら、読んでいきましょう。「まさか、あなたがたも離れたいと思うのではないでしょう。」とイエス様に問いかけられたらどうしますか?一人一人が、イエス様をどう思っているかを告白し、お祈りしましょう。

2012年2月19日「まことの食物、まことの飲み物」(ヨハネの福音書6章41-51節)

<主日礼拝>
聖書箇所:
ヨハネの福音書6章52-66節
説教題:「まことの食物、まことの飲み物」
説教要旨
    イエス様が公のご生涯に入られてから、奇跡やしるしを行い、初めの頃は行く
     先々で群衆が追いかけて来る事を見て来ましたが、イエス様はご自分が誰であ
     るか、何のためにこの世界に遣わされたのかをお話し始めると、イエス様に対す
     る群衆の態度や心に変化が起こりました。今朝はそのような出来事を見て行きましょう。

Ⅰ.天からのパンであるイエス様(52-59節)
      52節のイエス様が言われた言葉「わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれ でもこ
   のパンを食べるなら、永遠に生きます。またわたしが与えようとするパンは、世のいのちのため
   の、わたしの肉です。」を聞いて、「ユダヤ人たちは、『この人は、どのようにしてその肉を私たち
   に与えて食べさせることができるのか』と言って互いに議論し合った。」と書かれています。

      イエス様はユダヤ人達に、ご自分がこの世界に来られた目的を知らせようとして、「わたしは、
   天から下って来た生けるパンです。」と言っていますが、彼らにはその意味が伝わりませんでし
   た。「この人は、どのようにしてその肉を私たちに与えて食べさせることができるのか」という議論
   が始まってしまうのです。

     イエス様はまだ、ここでご自分が十字架に架かるということを群衆や弟子達にも具体的にはお
   話しをされませんでした。でも、ご自分が何のためにこの世界に来られたのかを何とか伝え
   ようとしておられます


     「食べる」ことを通して、私達は体に必要な栄養を吸収することが出来ます。イエス様がここ
   で、「だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。またわたしが与えようとするパンは、世の
   いのちのための、わたしの肉です。」と言われた意味は、永遠に生きるための真の食物、真の飲
   み物があるということです。全ての人の罪の身代わりとしてイエス様ご自身の体が十字架に
   かけられて血を流され、死なれることを教えているということは、イエス様の十字架刑の以
   前の人々には、理解しずらい事
と思います。

      「このパンを食べるなら」ということは、イエス様を信じることによって(47節)、永遠のいのち
   を持つことが出来る
と教え、このパンを食べるということは、イエス様を信じることと、み言葉に
   より私達は霊的な栄養を頂き、永遠のいのちを持つ
ことを教えています。

    十字架の死を前にして、イエス様は弟子達に新しい契約を与えています。聖餐式でいつもこの
    箇所を読みますが、これは、イエス様の十字架での死が、私達に永遠の命を与えるとの霊的祝
    福の約束があることを確認する時なのです(参考:ルカ22:19-20「それから、パンを取り、感
    謝をささげて から、裂いて、弟子たちに与えて言われた。『これは、あなたがたのために与える、
    わたしのからだです。わたしを覚えてこれを行いなさい。』食事の後、杯も同じようにして言われ
    た。『この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です。』」)。

       53-54節のイエス様の言葉を聞いて、大きな衝撃を受けたのは、血を飲むことを、律法で禁
    じられていたユダヤ人達でした(参考:レビ記3:17には「あなたがたは脂肪も血もいっさい食べ
    てはならない。あなたがたが、どんな場所に住んでも、代々守るべき永遠のおきてはこうであ
    る。」とあり、同26節には「また、あなたがたのどこの居住地においても、鳥でも動物でも、その
    血をいっさい食べてはならない。」と、更に17:10にも「また、イスラエルの家の者、または彼ら
    の間の在留異国人のだれであっても、どんな血でも食べるなら、わたしはその血を食べる者か
    ら、わたしの顔をそむけ、その者を民の間から絶つ。」とあります。)

       55-59節では、ご自分が来られた目的を明らかにされましたが、今までと違った群衆や弟子
    達の反応が始まっています。ここでイエス様は、永遠に生きるための真の食物、真の飲み物とな
    られるという大切な事を伝えているのですが、それが伝わらないのです。

Ⅱ.天からのパンを拒む人々(60-66節)
       66節ではイエス様の言葉に対して、このような反応になったのを見れます。
   ① 「これはひどいことばだ」(60節)と言ったときの「これ」とはどの言葉でしょうか。「天から下
       って来たパンは、先祖達が食べて死んだようなものではありません。」と、イエス様は荒野のマ
       ナとの違いをお話したのですが、弟子達は「これはひどいことばだ」と言ってつぶやきが始まっ
       たのです。「ひどいことば」と言うのは「堅い」という意味の言葉で、聞いている人達にはさっぱ
       り分からない話しで、難しいと思われたのです。イエス様はご自分が何のためにこの世界に来
       られたのかを人々にお話することによって、どんなことが起こるのかを知っておられました。

   ② 信じない者がいます(64節)。

   ③ 「裏切る者」がだれであるか(64節)については、マタイ26:14-29、マルコ14:17-2
       5、ルカ22:19-23、ヨハネ6:52-65にありますが、聖餐式の説明をしている時に、ユダ
       の裏切りが4福音書に書かれています。
          イエス様が十字架の上で死なれる事がどのような意味を持っているかを説明している大切な
       信仰の土台となる箇所に、「裏切る者」がいる事が繰り返し語られています。
          聖餐についての正しい信仰の理解が持てない人がいる事を示しています。

          ユダはどうして裏切る者となったのでしょうか。ユダは弟子達の会計係をしていました。少し
       ずつ不正を積み重ねていく中で、とうとう大きなお金が必要になりました。イエス様を裏切って
       銀貨30枚を手に入れることにしたのです。霊的なことよりも、肉的なことに心が支配されてい
       たのです。

      イエス様は、このことで弟子達が不平を言っている事を知り、「こんなことでつまずくのです
     か?」と言われました(リビングバイブル訳)。イエス様は続けて「そんなことでは、もしメシヤの
    わたしが天に帰るのを見たら
、いったいどう思うことでしょう。いいですか。ただ聖霊だけが、永
     遠のいのちを与えてくださいます。肉体的にこの地上に生まれただけでは、絶対に、永遠のい
     のちの贈り物はいただけません。・・・」と話されました(61―63節リビングバイブル訳)

   私達は、イエス様が十字架の上で、真の食物となり、真の飲み物となってくださった事を知っています。イエス様によって自分の罪の贖いがなされたことを信じるときに、永遠のいのちが与えられるのです。あなたは、永遠のいのちの約束をいただいていますか?信じない者、裏切る者ではなく、信じる者になりましょう。

2012年2月12日「このパンを食べるなら」(ヨハネの福音書6章41-51節)

<2012年2月12日主日礼拝>
聖書箇所:
ヨハネの福音書6章41-51節
説教題:「このパンを食べるなら」
説教要旨

今日の聖書箇所を見ると、イエス様に対する見方、イエス様がどのように評価されていたかを知ることが出来ます。今まで、多くの人々がイエス様の行く所に付いて来た様子を見てきました。けれども、全く別の見方をする人々がいた事を聖書は教えています。ヨハネの福音書が書かれた目的をここでもう一度確認したいと思います(20:31「しかし、これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。」)。

<イエス様への招きと導き>
41-42節に「ユダヤ人たちは、イエスが『わたしは天から下って来たパンである。』と言われたので、イエスについてつぶやいた。彼らは言った。『あれはヨセフの子で、われわれはその父も母も知っている、そのイエスではないか。どうしていま彼は「『わたしは天から下って来た』と言うのか。」」と書かれています。これらは当時ユダヤ教的で律法主義的な間違った教えを広める人々がいた事によるそうです。(ケリントスとかエビオンという異端の考え=イエスという人物は決して処女から生まれた神の子ではない。彼は普通の両親から生まれ、私達はイエスの父母を知っている。大工ヨセフの子で、普通の人間であったが、バプテスマのとき彼に鳩の形をとって聖霊がのり移ったのだ。ところが十字架にかかる前に飛び去ったので、十字架で死んだのはイエスであり、葬られたのもイエスであり、キリストでもなければ神の子でもないのだ。)

ヨハネは、当時の人々がケリントスやエビオンという人の違った教えに支配されているのを正すために、この福音書を書いたとも言われています。ガリラヤ地方に住むユダヤ人達が、この間違った教えの影響を受けていたようです。

現在でも、イエス様を罪からの救い主と信じて信仰生活を始めた人が、イエス様に対する人間的な評価を耳にしたり本で読んだりすることによって、その確信が揺らいでしまい、信仰生活から離れてしまう事があります。人の評価や、多くの人はイエス様をどう思っているのか、あるいは互いのつぶやきや批判によって自分の態度を決めるということでは、人の言葉や態度に依存してしまうことになってしまいます。

信仰生活を続けるためには、いつも神様のみ言葉に聞き従うことが一番大切であることを確認しておきたいと思います。「しかし、これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため」とヨハネの福音書に書かれている事を心に留めたいと思います。

43-45節には「イエスは彼らに答えて言われた。『互いにつぶやくのはやめなさい。わたしを遣わした父が引き寄せられないかぎり、だれもわたしのところに来ることはできません。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。預言者の書に、「『そして、彼らはみな神によって教えられる』」と書かれていますが、父から聞いて学んだ者はみな、わたしのところに来ます。」と書かれています。

イエス様は、間違った教えの影響を受けて、イエス様に対してつぶやき続けているユダヤ人達に、つぶやき続けるのをやめなさいと言われました。「わたしを遣わした父が引き寄せられないかぎり、だれもわたしのところに来ることはできません。」と言っていますが、引き寄せるという言葉は、引き上げるとか、引きずって行くと訳されることがあります。これらは、外面的な圧力によって離される強制的なことではなく、み言葉を教えられ、学びをする人に、聖霊の働きがなされ、自分の罪と悲惨さを自覚させられていきます。私達の罪深い心を照らし出されるとともに、イエス・キリストによる救いが全ての人に無代価で与えられている事を知り、イエス・キリストを受け入れるように引き寄せられるのです。

イザヤは、主の教えを受けた子供達に対して、平安が与えられることを預言しています(イザヤ54:13「あなたの子どもたちはみな、主の教えを受け、あなたの子どもたちには、豊かな平安がある。」)。ここでの「平安」とは、イザヤ53:5にある「しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。」平安であり、エレミヤ31:34に記されている「そのようにして、人々はもはや、『主を知れ』と言って、おのおの互いに教えない。それは、彼らがみな、身分の低い者から高い者まで、わたしを知るからだ。――主の御告げ――わたしは彼らの咎を赦し、彼らの罪を二度と思い出さないからだ。」から、「わたしを知る」こと、即ち、全ての信者が聖霊によって直接神を知り、交わることなのです。

み言葉から教えられる人々には、罪の赦しと平安が与えられます。間違った教えによってイエス様についてつぶやき続けるのではなく、イエス様が来られた目的を正しく理解することを神様は求めておられるのです。

イエス様はご自分が誰であるかを、はっきりと語られました。46-51節を見てみると、「だれも父を見た者はありません。ただ神から出た者、すなわち、この者だけが、父を見たのです。まことに、まことに、あなたがたに告げます。信じる者は永遠のいのちを持ちます。わたしはいのちのパンです。あなたがたの父祖たちは荒野でマナを食べたが、死にました。しかし、これは天から下って来たパンで、それを食べると死ぬことがないのです。わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。またわたしが与えようとするパンは、世のいのちのための、わたしの肉です。」とあり、ここでイエス様は、「この者だけが、父を見たのです。」と言っておられます。

5つのパンと2匹の魚によって5000人以上に食事を与えた奇跡は、実は、イエス様が天から下って来たパンであり、このパンを食べるなら、永遠に生きることができることを伝えているのです。   天から下って来た生けるパンを食べるということは、イエス様を信じることなのです。「このパンを食べるなら、永遠に生きます。」と約束されていますように、イエス様を信じるなら、永遠のいのちが約束され、永遠に生きることが出来ると約束されています。

神様が、イエス様を信じる全ての人に与えて下さった永遠のいのちの約束を感謝しましょう。  

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