April 2011

April 29, 2011

男子三日会わざれば刮目して見よ。

いや、娘っちは女子ですけどね。

こどもの成長って、今までも充分に驚かされてきましたけど、最近は本当にスゴイです。

昨日出来なかったコトが、今日出来る。 なんて、当たり前。
一回の食事中に、最初出来なかったコトが終わる頃には当たり前に出来る。なんてコトもザラ。

最近、特にスゴイと思うのがコミュニケーション能力・言語能力の成長です。
大人の言葉をオウム返しに真似するのは、随分と前から出来たのですが、最近は状況に合わせて受け答え・行動が出来るようになってきました。

まず、「片付けて。」とか、「取ってきて。」とかの指示系はほとんど入ります。

それに、「○○する?(したい?)」とか「○○したの?」とか等の質問系にも 「た。」 「ない。」 などで受け答えが成立することも良くあります (大人の言ってるコトと合っているかは謎ですが・・)。

「パパとバナナ半分する?」 と聞くと、「はんぶん。」と答えたり。

歌を歌ったり、踊ったりもします。

どうやら未来予想もしっかりしてきたらしく、食後に僕が冷蔵庫へ行くと 「デザートが出てくる!!」 と予想して椅子に座りなおしたりもします。

それに、自分の要求をしっかりアピール出来る様にもなり、僕らが娘っちの前でお菓子を食べようとすると 「ほしい。ちょーだい。」と言ってきたりします。

どこまで本当か分かりませんが、もう、どうやら大人の会話は「ほぼ」分かってしまっている様子。

こうやって文字にしてしまうと、なんてコトないようですが、日々驚きと感動の連続です。


まぁ、でも喜びの反面、難しい問題も浮上してきました。

それは 「しつけ」 です。

「片付けて。」 や、「やらないで。」 が分かってきているので、何がやってはダメで、何がやって良いのかは本人も理解して来てるハズなんです。

今までは何かやらかしても、分かってなかったり、偶然だったりして、叱るとゆーコトではなかったのですが、最近は注目を集めたい時にお茶をこぼしてみたり、片付けの時にワザと散らかしてみたり、と、叱らなければならない状況が出てきました。

「叱る」基準は明確にしないと、と思い 「ワザと悪い事をした時。」 には叱る事にしてはいるのですが、コレがナカナカに難しい。

何が難しいって 「終わり方」 です。

「ごめんなさい。」がまだ言えないので、「どうやら本人も懲りただろう。」と言うトコで終わりにするしかないのですが、そのタイミングを見計らうのが難儀なのです。

ギャン泣きしたら終わり? 
いやいや、泣けば良いって思ってもダメだろう。
でも、泣きだしたら会話は成立しないんだし・・・。
じゃあ、とりあえず泣きだしてもあやさないで放置だ。

なんて、初めての「しつけ」に右往左往しながらも、夫婦で模索しながらなんとかやってます。

まぁ、そうは言っても 「コレは叱ってやったぜ!」 と思うのは、今までに3回ほどなんですけどね。

娘っち的には、今までは甘い顔ばかりだったパパママが、優しい(甘い)だけではないと気付いてきた様子なので、それもまた良しかと。

ちなみに今日は、約束していたオモチャの片付けを嫌がって叱ったのですが、なんとか泣かさずに最後には自分で片付けさせて終わらせるコトが出来ました。 
上出来、上出来です。


初めての子育て、親だって成長中。

模索、模索の日々はこれからも続きそうです。



最近の娘っち劇場

食事


食事2

食事は、娘っちが自分で食べるようになりました。
基本的に「食欲の権化」なので、「食べる」ことに関しての成長は異常なホドです。


おままごと2


おままごと

「食べる。」に付随するのか、ままごとが大好き。
でも、パパとしては、包丁の持ち方が猟奇的なのが気になります・・・。


重ね

モノを重ねるのも上手になりました。
積み木とかも、大人がビックリする段まで積んだりします。
でも、アッサリ惜し気もなく崩しては「きゃははっ」と喜んでますけどね。


聖域なし

身長が伸びて(80cm位?)、最近は机の上でも手が届きます。
もう、我が家に聖域と呼べる場所はなくなってきました・・・。



「パパの方が悪い事をしてましゅ。なのに叱られるのはわたちだけ。理不尽でしゅ。」

「パパは・・・、アレだよ。ホラ、あのさ、大人には・・・色々と事情があるのだよ・・・。」

「きっと、見えないトコできっちりママにシメられているでしゅ。」

「う・・ナゼ知ってる・・・。」

know_the_base at 23:02|PermalinkComments(3)TrackBack(0) 日記 | こども

April 27, 2011

出会いと別れの季節。

もう、すっかり春です。
震災によって1ヶ月ズレてしまいましたが、ウチの職場でも定例の人事異動があります。

僕もこの職場に入って10年。
僕自身も異動を経験しましたけど、この時期は本当に落ち着かなくて困ります。

まず事業所間の異動、それが決まったら事業所内の部門間の異動、そして部門内の仕事間の担当変更。
ひとつ1つの発表に一喜一憂し、次の状況、その次の状況への対応が必要になります。

ひとつ1つにバタバタ、ザワザワ。

しばらく落ち着かずにバタバタして、半年位するとやっとこ安定して、小康状態がきて、で、また次の異動。

毎年、毎年、毎年。 本当に、もうっ。
まぁ、定年とかありますし、異動自体は仕方ないんですケドねー。

でも、安定するまでのバタバタを思うと・・・   はぁ。 ね。 疲れちゃいますね。


なんか、禁止の職場愚痴になってしまったな。イカン。いかん。


「あんまり気負わない様にするでしゅ。パパは頑張りすぎない位が丁度良いんでしゅ。」

「そうそう、頑張るとすぐに空回りするからね。カラカラカラって。」



know_the_base at 23:07|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 日記 

簡単じゃない。

東日本大震災:発達障害児の親孤立 避難所避け届かぬ支援 
by毎日JP

こういう記事を見るにつけ、心が痛い。


被災地、原発の20キロ圏。
だったら、避難すれば良い。

現実は、そんなに簡単じゃない。
それは、あくまである程度動ける人間の理屈。

発達障害、知的障害、視覚障害、聴覚障害、痴呆。

いつもと同じ環境が必要な人に、その理屈は通用しない。

物事は、そんなに簡単じゃない。
ケアをするって、手を差し伸べるって、簡単に言うし、思ってしまう。
けど、人によって状況が違う社会弱者の方をケアするのって、本当に大変だし、難しい。

そもそも、他人が出来る事と、出来ない事もある。
まず、家を失って暮らす全ての避難所の方に仮設住宅が必要。

家族だけで暮らせる環境って大事だ。

仮設住宅が普及する募金って、ないのかな。


うーん。まとまらない。

know_the_base at 22:04|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 日記 

April 25, 2011

SUDOKU・数独にハマル

SUDOKU


SUDOKU・数独
数独(すうどく、Sudoku)とは、3×3のブロックに区切られた 9×9 の正方形の枠内に1〜9までの数字を入れるペンシルパズルの一つである。 by Wikipedia

数独がiPhone のアプリであったので、軽い気持ちで入れたらハマってしまいました。

そのアプリの出来が良く、ついついやってしまうんです。
気付いたら一時間なんてコトもしばしば。

タイムが記録されるのがねー。ヤバイねー。



「クロスワードとか、数独とか、もう若者の趣味とはいえましぇん。」

「そんでもって、家庭菜園に一眼レフだもんね。完全に中年入ったね。」

know_the_base at 22:39|PermalinkComments(2)TrackBack(1) ゲーム | 日記

April 24, 2011

7人の侍

7人の侍


伝説級の名作を観ようシリーズ。
その第一作は、言わずと知れた世界のクロサワ映画の代表作。


戦乱続く時代。
戦乱は人々を疲弊させ、戦にあぶれた野武士たちが徒党を組んで農村を襲う。
農民たちはただ耐えに耐えていた。

麦の刈り入れが終わる頃、また1つの村が野武士の集団に目を付けられた。

野武士は40騎。
領主に訴えたところで守っては貰えない。
戦ったところで万が一にも勝ち目はない。
農民は奪われ、犯され、ただ頭を地に擦り付けて種籾を残して貰うしかないのか。

いや、地に頭を擦り付けたところで、命の保障はない。

「村を守ってくれる侍を雇おう。」村長の決断によって、農民たちは、彼らを守ってくれる侍を探す為に町へ出た。

だが、農民の為に働いてくれる侍はなかなか居ない。
そして、居たとしても腕が立たなければ意味がない。

農民たちは苦労の末、知勇を備えた浪人・勘兵衛(志村喬)に出会う。
そして、勘兵衛を中心に五郎兵衛、久蔵、平八、七郎次、勝四郎、菊千代(三船敏郎)、7人の侍が集った。

ひと癖もふた癖もある男達。

村人達は藁にも縋る想いと、不安の間に揺れながら、勘兵衛の作戦の為に慣れない戦支度をするのだった・・・。


日本映画屈指の作品。

この作品にまつわる逸話は数知れず、配役、演技、カメラワークから美術、その他、ありとあらゆる内容が映画研究家によって研究され尽くされ、何度となくTV番組にもなっています。

もう、僕なんぞが語るまでもない、名作中の名作。3時間半に及ぶ大作なのに僕自身、何度目かの鑑賞。

1954年の作品であり、当然、白黒だし、音も悪く所々聞きとりづらい。

でも、何度観ても飽きる事はなく、何度観ても新鮮な発見がある。

なんなんでしょう。映画が最高の娯楽だった時代の粋を尽くした作品は、作品としての迫力が、魅せる力が違う。
これから先、どんなにCG技術が進み、カメラが高性能になっても、この時代の映画が持っていた迫力を生み出す事は出来ないんでしょうね。

最終評価 A+





know_the_base at 21:16|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 2011年に観た映画 | 映画 さ行

April 23, 2011

次郎長三国志

次郎長三国志


駆け出し親分、清水の次郎長(中井貴一)は義理と人情に厚い男。
彼は男っぷりと度胸で東海道に名を轟かせる。

彼に惹かれて集まった子分は、軍師役の大政(岸部一徳)。悪臭放つ坊主崩れ、法印の大五郎(笹野高史)。森の石松(温水洋一)。伊達男の追分政五郎(北村一輝)。桶谷の鬼吉(近藤芳正)と、それぞれがひとクセもふたクセもあって腕の立つ男たち。

だが、次郎長が名を上げれば上げるほど、彼に敵対する勢力が立ちはだかる。

甲州で一大勢力を誇る黒駒の勝蔵(佐藤浩市)、石松の宿敵でもある極悪人・三馬政(竹内力)、さらに一家の裏切り者・久六(蛭子能収)まで入り乱れ、上へ下への大騒ぎ。


「寝ずの番」で名を上げた二代目マキノ雅彦監督が選んだ2作目は、父・初代マキノ雅彦が撮った伝説の任侠作品のリメイク。

津川雅彦だけあって、キャストは結構豪華。


でもね。てかね、話のスジが・・・ぜんっぜん、わからない。

正直、観ててツライ。
むしろ、段々、コレを頑張って観てる自分が面白くなってくる。

過去に大人気にだった次郎長シリーズ(全9作)をまとめた作りらしいけど、ソレを分かってる前提で作ってる感がアリアリ。
むしろ、今は過去のシリーズを知ってる人の方が少ないっての。

この粗悪なダイジェストは、次郎長の男義、次郎長と妻・蝶をの関係、個性的な子分たちのキャラ、筋立ての全てが中途半端どころか、ペラペラのスカスカ。
敵役の黒駒の勝蔵も別に何が悪い人なんだかサッパリ分からず、対立軸もボヤボヤ。

とにかく三馬政(竹内力)は悪そう。分かりやすく悪そう。
あと、蛭子さんは、出てるだけで画面の力が抜ける。

コント・・・なら、まだ笑えるのに・・・。ね。

昔のシリーズを知ってる人は、ソレはソレで怒るんじゃないの? コレ?

エンドロールの曲がまたイラっとする。

つまる、とか、つまらん、とか、ソレ以前の作品。

 
最終評価 C 



know_the_base at 21:20|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 2011年に観た映画 | 映画 さ行

April 22, 2011

爪楊枝入れ from マレーシア

爪楊枝入れ


今日は、珍しく仕事のコトを書きます。

僕は総合病院の事務員をしてます。
ここ2年ほどは入院の会計を担当してます。

この入院会計担当には、嫌な作業があります。

それはお金が払えない患者さんとのやりとりです。

世の中、色々な人が居ます。色んな事情の人が居ます。
当然、お金のない人も居ます。
でも、誰しもが病気をしたり、怪我をしたりして病院に来ます。

でも、病院もボランティアじゃないので、お金を貰わない訳にもいきません。

なので、様々な対策をとったり、社会制度を使ったり、なだめたり、すかしたり、色々頑張ってお金を払って貰います。
「あれ、これは借金取りと同じだな。」と思ったりすることも、しばしばあります。

それでも、約束を守らなかったり、連絡を無視されたり、踏み倒されたり。
基本、嫌なコトが多い作業です。
多少、人間不信にもなります。

正直、ゲンナリします。



でも、今日は嬉しいコトがありました。

その患者さんは、2年ほど前に入院していたオバチャン。
元々はマレーシアの人で、今は日本人と結婚した人。
日本語は出来るけど、あんまり上手じゃないし、日本語を書くのも苦手。

まぁ、案の定 「入院のお金が払えない。」 と、相談されました。

当然ですが、その人は日本の健康保険制度の知識がほとんどなく、使える補助制度を何も使ってませんでした。

なので、ちょっとだけ世話を焼いて、制度が使えるように役場へ連絡したり、書類を書いてあげたりしました。
そうしたら、その後は途切れながらですが、何ヶ月かは残った医療費を分割で払ってくれていました。

そんなある日、いつものように分割金を持ってきたそのオバチャンが「今度、マレーシアに帰る。」と言い出しました。
「マレーシアからいつ帰るかは分からないが、でも、帰るから。また払うから。」と。
更に「今の携帯は使えなくなる。マレーシア帰るから、解約する。」と。

「まじかー。」ですよね。「おわたー。」ですよ。

その後、1年。 電話連絡しようにも電話番号はなく、督促状を送っても音沙汰なし。

ま、諦めますよね。 だって、無理ですもん。 

マレーシアだもん。 国外だもん。

あーぁ。 残念でした。終ー了ー。

 

ところが。

今日、突然、マレーシアに帰る前と比べると、ちょっと小奇麗になったオバチャンが窓口に現れて 「オニーチャン。オニーチャン。」と僕を呼ぶのです。

そして「お金、全部払うよ。」と言って、本当に残りの入院費を全部払ってくれたのです。

この驚き。 上手く伝わってます?

狐につままれた様だ。 とは、この事です。

そのオバチャンは、更に 「マレーシアのお土産ね。高くないモノだから。」と言って、写真の爪楊枝入れをくれたのです。

この借金の取り立て屋にですよ? お土産ですよ?

ちょっとした感動ですよ。コレは。

デザイン的には、ちょっと、ねぇ。アレかも知れませんケド、でも、個人的に宝物ですよ。勲章です。


なんか、嬉しくて、いつもは禁止してる仕事のコトを書いてしまいました。



「パパ、相当に嬉しかったんでしゅねー。」

「だって、クアラルンプールって書いてあるじゃーーん。」



know_the_base at 21:56|PermalinkComments(5)TrackBack(0) 日記 

April 20, 2011

原発事故について。(超長文)

東日本大震災、福島第一原発の事故で被災している方々に、心よりお見舞い申し上げます。
1日も早く日常が戻る事を願ってやみません。

今回は、原発事故について思うところを書いています。
被災した方にとって、受け取り方によっては不快と感じられる内容が含まれているかも知れません。
全ての人の想いに配慮できる文を書く能力のない非才の身ゆえ、ご容赦頂ければと思います。

また、僕自身は東京電力から電気を買ってはいますが、それ以上の関係はないことをここに明記しておきたいと思います。


今回の東日本大震災が引き金になって起こった福島第一原発の事故。
未だ終息は遠く、チェルノブイリと同じレベル7となったこの事故によって、世界は原発の安全性に不安を覚え、世論は反原発へと傾きだしています。

また「絶対安全」の上にあぐらをかき、いざ事故が起これば「想定外だった。」と言い訳をする東京電力に対して怒りを感じる人も少なくないと思います。

ただ、僕はこの2つの心理・感情に対して「本当にそれで良いのか?」と疑問を感じ、日々モヤモヤと考えたことを吐き出さずにいられずに、この文を書く事にしました。


まず「想定外」への怒りについてです。
事故後の報道の中で「原発において、想定外があってはならない。」との言葉をよく耳にしました。
これは「絶対安全」を掲げていた東京電力が「想定外」という言い訳をする事に対する反応として自然であり、一瞬「そうだ!」と肯定したくなります。が、果たして、本当にそうでしょうか?

神ならぬ人の身にあって、考えうる想定から外れる事態と言うのは、当然、起こり得ると僕は考えます。
今回、福島第一原発は、1000年に1度と言われる巨大地震と大津波と言う想定外の災害に見舞われました。
その「想定外」を許せないと言うのなら、どこまでを想定していたら「仕方なかった。」になるのでしょうか?
例えば、これが恐竜を絶滅させた巨大隕石と同じレベルの隕石の衝突だったらだうなのでしょう?
そんな事は起こり得ない?
いえ、数十万年に1度位の確率でその危険はあるはずです。
でも、まぁ、そんな巨大隕石が落ちてきた場合、人類そのものが絶滅の危機ですから、現実的にはそんな状況は「考える必要がない。」と言えます。

では、そこで問題になるのは、どこからが「考える必要がない」レベルで、どこまでは「考えていなければならない」レベルなのかです。
原発は「絶対安全」の謳い文句を本当に実現する為に、月レベルの巨大隕石が落ちてきて地球が木っ端微塵になっても問題なく稼動するほどの耐久性と対策をしていなければならないのでしょうか?
逆に、震度3ほどの地震でさえ機能停止してしまうほど脆弱で良いのでしょうか?

僕は、そのどちらも問題外だと思います。

今回、浮き彫りになった本当の問題は「想定外」があった事ではなく、「絶対安全」と言う虚構のメッキが簡単に剥がれてしまった事です。

「絶対安全」など有り得ないと知りながら、それで国民を説得してしまったエネルギー政策。
「絶対安全」など有り得ないと知りながら、「お上が言うんだから大丈夫。」で思考停止して恩恵にあずかった国民。
その両方に問題がありました。

この「絶対安全」という虚構の為、電力会社がどこまでを想定しているのか、その想定は妥当か、と言ったことを検証する機会が失われていた事が、今回の事故に繋がったと僕は考えています。
本当であれば「絶対安全などない。」の立場から、電力会社は「どこまでの状況は安全で、どこ以上の状況は危険なのか。」を明らかにし、第三者がそれをチェックすべきだったのです。

確かに、原発は「絶対安全」でなければどこにも建設出来なかったかも知れません。
でも、今になれば、その議論を飛ばして「絶対安全」のメッキで誤魔化してしまうことの方が問題だったことは明らかです。

ただ、今になって「あの時はこうしていれば良かった。」と言うのは簡単な話です。
また、今は福島の問題があまりに大きく、原発の次を考える段階にはないのかも知れません。
それでも、人々の暮らしは続き、暮らしに必要不可欠な電気はどこかで作られなければなりません。
その為には、今、稼動している原発は、今、私たちに必要なのです。

今、電力会社は剥がれてしまった「絶対安全」のメッキを守るべく、どこまでのレベルを想定すれば良いのかの指標もないままに果てのない安全対策に追われています。
本来、これからの原発の安全を考えるのであれば、各原発は闇雲に安全対策を行うのではなく、自分たちがどこまでの状況を想定しているのか、どこから先の状況は安全を確保出来ないのかを明らかにするべきなのです。
その上で、議論を重ね、「これ以上は仕方がない。」と納得される安全対策を打つべきではないでしょうか?

「原発に想定外があってはならない。」は、確かに正論のようですが、僕にはその先がない発言に聞こえるのです。

それでは、何もはじまらない。先に進まないのです。


次に、反原発への疑問です。
福島第一原発の30キロ圏内にお住まいの方、農業、漁業、酪農、その他多くの産業で多大なる被害を被っている方々の怒りは筆舌に尽くしがたく、僕など理解を示す事さえ躊躇われます。
感情として原発に嫌気がさし、放射能の恐怖を感じれば、反原発に世論が動いて行く事は当然かと思います。

ただ、客観的に科学技術である原子力発電を考え、感情論を排してみると、単純な反原発には疑問を抱いてしまうのです。

例えば、今回の福島原発が直接の原因で亡くなった方は、まだ居ないかと思います。
一方で、2009年の交通事故による死亡者数は4,914人でした。1990年の11,227人に比べると半分以下であり、警察や自動車メーカーの努力が感じられます。
ただ、今でも毎年5000人ほどの人が交通事故で亡くなり、その何倍もの人が体に怪我を負っている訳です。
最近も暴走したクレーン車が6人もの小学生の命を奪いました。
なぜ、これほど多くの人が亡くなり、悲惨な事故が起こっているにも関わらず反自動車のムーヴメントが起こらないのでしょうか?

僕の目から見れば、利便性の為に安全や環境が犠牲になる構図は、原発も自動車も変りがありません。

むしろ、政府や企業といった責任を負うべき人が何とかしようと努め、死亡者も出て居ない原発と、アクセルとブレーキを踏み間違う人や暴走族などが自由に走り、死傷者が毎日出る公道を比べれば、公道の方がずっと身近で、何倍もの危険性を感じます。

原発事故後、数マイクロシーベルトの放射線によって将来数%発癌率が上昇するかも知れない事を恐れて布団を干さない人が、雨の日に平気で車を走らせる。
この危機管理は、一体どういう理屈で処理されているのでしょう?

まぁ、ちょっと言い過ぎと言うか、事象を曲解していますが、僕の言わんとする事も分かって貰えると思います。
僕だって放射能が安全と考えている訳ではなく、自分の周囲を見渡せば、放射能よりも身近で危険なモノなんか沢山あると考えているだけなんです。


さて、そんな僕から見ると、今の「反原発」はただ単に、震災後の沸騰した感情論を分かりやすくぶつける事が出来る非難すべき相手がいて、それが妥当である様に言われているから「反原発」になっているように見えるのです。

要は、マスコミに踊らされているだけなのではないでしょうか?
(注・これは、福島第一原発の30キロ圏内で不自由を強いられ、不利益を被っている人の「反原発」とは全く意味が異なります。)

そもそも人類が完全に危機管理出来ている科学技術なんて、どれほどあるのでしょうか?
自動車は長い歴史をかけ、多くの被害者を出しながら、少しずつ研究とルール作りが進められて、今の形になりました。
それでも、毎年5000人が亡くなり、その数を減らす為の努力が今も続いています。
飛行機も、建築も、医療も同様です。
多くの犠牲者の上に、今の技術はあり、今も尚、研究は続いている。

さて、今回の不幸な福島原発の事故は、原子力研究において何の教訓も残さなかったのでしょうか?
チェルノブイリがあり、スリーマイルがあり、福島がある。

科学技術は失敗と、そこからの学びの繰り返しで発展しています。

当然、事故は無いほうが良い。
でも、もし、チェルノブイリがなかったら、今回の福島の事故は今の規模で済んだでしょうか?
僕はそうは思えません。

確かに原発は危険な発電方法です。
もし、もっと安全で効率の良い発電方法があれば、そちらに切り替えていくべきかも知れません。
でも、現在において、すぐに代替可能な発電方法がないのに、ただ毛嫌いするだけで良いのでしょうか?

原発は嫌い。でも、電気は使いたい。では、話になりません。

むしろ、失敗から学ばないのでは、福島での被害は無駄になるだけです。
そして、失敗や被害を無駄にすることは、今まで人類が多大なる犠牲の上に築いてきた科学技術に対する冒涜でもあります。

人類は、もう電気のない時代に戻る事は出来ません。
人の暮らしの為には、どこかで、何らかの方法で電気が作られなくてはなりません。
原発を恐れ、莫大な二酸化炭素の排出と大気汚染を伴う火力に戻す事がその答えでしょうか?
自分の近くから危険な原発を遠ざけ、どこかの誰かが原発の隣で暮らせば、それで良いのでしょうか?

僕はそう思いません。

僕は、この福島の失敗を無駄にせず、見つめ、学んで、生かしてこそ、次に進めると考えています。

僕は、本当に震災からの復興を願っています。
どんなに望んでも、震災の前に戻る事は出来ません。
戻れないのであれば、感情論に任せた安易な考えや思考停止でその犠牲を無駄にしてはいけないと思うのです。


こんな長文に最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。




know_the_base at 20:45|PermalinkComments(9)TrackBack(0) 日記 

April 19, 2011

ワールド・オブ・ライズ

ワールド・オブ・ライズ


リドリー・スコット監督
レオナルド・ディカプリオ、ラッセル・クロウ


イラク戦争が泥沼化し、アメリカは長期化お兵士たちの訃報に疲れていた。
一方、イスラム原理主義者たちは状況に慣れ、テロは巧妙になり、その攻撃は苛烈さを増していた。

アラビア語を自然に話し、中東の文化に詳しいCIA工作員のフェリス(レオナルド・ディカプリオ)は、上司であるホフマン(ラッセル・クロウ)の指示で、イスラム原理テロリストの黒幕アリ・サラームを追っていた。

イラク、ヨルダン、アメリカ、ドバイ。

世界を股にかけ、冷徹なホフマンの指示に振り回されながらも、作戦を遂行していくフェリス。

現場のフェリス。遠くアメリカから指示を出すホフマン。

フェリスの目の前では今の今まで言葉を交わした仲間が死に、「自分を信じろ。」と言って口説いた情報提供者が保護されずに見殺しになる。
そんなフェリスにホフマンがかける言葉は「綺麗事は通用しない。」それだけ。
あまりにも無情で底の見えないホフマンの指示に、フェリスは心からは従えないでいた。

そんな中、フェリスの企画立案した作戦がホフマンとの意識のズレによって危機を迎える・・・。


冷徹な作戦を現場で指揮しながらも、心の底に優しさを残してしまったCIA工作員にレオナルド・ディカプリオ。
遠くアメリカでアットホームなパパでありながら、無情なる作戦指揮官にラッセル・クロウ。

2人の男が、せめぎ合う。

そして、この作品の対立軸はもうひとつ。

アメリカと中東の価値観。
金と技術力で戦い、価値観を押し付けるアメリカをホフマンが体現し、人と人の信頼関係で戦うアラブ人の文化をテロリスト達の戦い方で表現する。

CIA工作員を主役に、テロリストを追う作品を描いているが、テロリストの温床たる中東を悪とは描かない所に非常に好感が持てる。
むしろ、この作品の中では中東世界の中で「悪」であるアメリカの手先であるフェリスが、人との繋がりを重視する中東世界に心を寄せていく様が描かれている。


アクション映画として見れば地味。
スパイ映画、サスペンス映画として見ると、ひねりが無い。

だが、アメリカを中心とする欧米の価値観から抜け出し、アラブの中で愛する人を見つけたフェリスの成長物語としては魅せる。


エンターテイメントの基本は押さえた社会派作品。人間ドラマも織り込んだリドリー・スコットの丁寧な作りが流石です。


最終評価 A−

know_the_base at 23:34|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 2011年に観た映画 | 映画 わ行

April 18, 2011

ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士 (下)

ミレニアム3 下


早川書房
スティーグ・ラーソン 著

昨日の夜に読了した上巻。
そして、ブログの記事をアップした直後、手にした下巻。

その下巻、24時間以内に読了。


1歳半相手に子育て中のパパが、日曜日1日で500ページあるしっかりした本を読み終えるコトの意味を分かって下さい。

この本に、どれだけの引力があったかをご理解下さい。

この事実こそが、この本の面白さ、魅力、威力を如実に現していると、分かって下さい。


内容に関してはネタバレになるので、一切を割愛させて頂きますが。

いやーーーーーーーー・・・・    面白かった。



えーー。これで終わりなの? 本当に?

三部作として完結してはいるけど、最後には次に続くフリがあるじゃないかぁ。

本気で、続きが読みたい。
読みたいです。


スティーグ・ラーソンさん。天国でもどこでもイイから続きを書いて下さい。


でも、あとがきに気になる記述を見つけてしまいました。

第四部は草稿が残されているらしい。


草稿そのままで良いから。ホント、そのままで良いから。

求ム!! 



know_the_base at 01:31|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 楽しい本 | 日記

April 17, 2011

ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士 (上)

ミレニアム3 上


早川書房
スティーグ・ラーソン 著

人口が920万人ほどのスウェーデンで300万部を売り、社会現象となった作品。

もう、僕自身が軽く信奉者になりつつあるこのシリーズ。

前作「ミレニアム2 火と戯れる女」の時には、読み始める前に「名作の続編ってどうなの・・・?」という不安が(若干)あったものの、読了後にはその続編で更にヤラれてしまったと言う。

しかも「2」と「3」は、前編と後編のような関係にあり、「2」を読んで「3」を読まないなんて有り得ない。

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前作で、殺人事件の容疑をかけられ、マスコミと警察に追われる立場に陥りながら、実の父であり宿敵とも言える相手・ザラとの対決を果たしたリスベット・サランデル。

そして、自分から離れていったリスベットの窮地を知り、直接本人と会えない状況ながら助け続けたジャーナリストのミカエル・ブルムクヴィスト。

ザラとの対決の中で瀕死の重傷を負ったリスベットを救ったのは、他ならないミカエルだった。


そして、今作。
ザラの暗躍を知りながら、それを隠す事に尽力してきた公安警察の秘密チーム「ザラ・クラブ」が、自分たちの過去を暴くミカエルとリスベットに牙を剥く。

ザラを追い、対決する中で「傷害事件」の容疑者となったリスベットは、治療を続けながらも裁判を待つ容疑者として、リスベットに重症を負わされたザラと同じ病院に閉じ込められていた。

そして、ザラに関わる一連の公安警察スキャンダルの尻尾を掴んだミカエルは、自身の雑誌「ミレニアム」での告発を準備しながら、リスベットの裁判を闘うための準備を始める。

一方、前作でリスベットを容疑者として追ってきた警察のチームもまた、リスベットに絡む一連の事件に疑問を抱くようになってた。

病室のリスベット、スキャンダルの爆弾を抱えたミカエル、ザラとその配下ニーダーマン、ザラを守る公安とそのスキャンダルから国を守ろうとする公安、警察。

三つ巴どころか、五つ巴、六つ巴とこの事件に関わる人間たちの死力を尽くした闘いが始まる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


現在、上巻の読破直後。

やっぱりミレニアムは想像を超えるストーリー展開で読者を楽しませてれる!!

最高級のエンターテイメント作品です。

著者であるスティーグ・ラーソンが生きていれば、まだ先があったこのシリーズも次の下巻が最終巻。

早く読みたいような、読むのが勿体ないような。

複雑な心境です。




know_the_base at 00:53|PermalinkComments(3)TrackBack(0) 楽しい本 | 日記

April 16, 2011

リトル・ミス・サンシャイン

リトル・ミス・サンシャイン


ミスコンクィーンを夢見る、小太りでメガネの少女・オリーヴ(アビゲイル・ブレスリン)。

独自の成功論を振りかざしながら、事業に先行きの見えない実は負け組みで甲斐性なしの父(グレッグ・キニア)。
飛行機のパイロットとニーチェに憧れ、体を鍛える兄。彼は家族全員が大嫌いで、家族と決して喋らないと誓いをたてている。
バスルームでヘロインをキメ、老人ホームを追い出された強烈な毒舌家の祖父。
プルースト研究の第一人者だったが、恋人を奪われ、大学の職を失い、自殺を試みたゲイの叔父。

そして、何とか家族を繋ぎとめようと努力する母。

心はバラバラで、互いを傷つけあってしまうフーヴァー家。

そんなフーヴァー家にひとつの話が舞い込む。
「リトル・ミス・サンシャイン」コンテスト地方予選の優勝者が失格となり、繰り上げ優勝となったオリーヴがカリフォルニアで行われる決勝出場資格を得たというのだ。

飛行機に乗る経済的な余裕のない一家は、崩壊寸前の黄色いフォルクスワーゲンのバンに乗り込んで、1000キロも離れたアルパカーキからカリフォルニアを目指す。


家族って何?

一緒に暮らせば家族?

血の繋がりがあれば家族?

いや、嫌いでも愛してしまうから家族。


これでもか。と襲ってくるアクシデントを越えて、家族が家族として再生していくハートウォーミングストーリー。

家族で押さないとエンジンがかからないボロボロのバンが、ボロボロの家族を現しながら、家族を繋ぐ鍵になる。

キャラクター、配役、台詞、ストーリーの全てのバランスが素晴らしい。
クスリと笑い、アクシデントにハラハラし、最後にはホロリとくる。
とても優しいストーリー。


このストーリーの中で特に心動かされるのは「家族は全員嫌い。」で言葉を交わす事も嫌だったハズの兄と妹の絆。
仲良しってワケじゃない。でも、相手を理解してて、心配しあっている。
この距離感が、すごく良い。


ただ、こんなボロバン・・・車検が義務の日本じゃ有り得ないよね。

でも、バック・トゥ・ザ・フューチャーのデロリアンとか、タクシーシリーズとか、外国の映画作品で印象的な車って、規格でがんじがらめの日本では発想しえないモノばっかりの気がする。

まぁ、本当に外国のボロ車に乗ると「マジ?」って思うケドね・・。


最終評価 A



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April 13, 2011

花見。

今日は、ウチの職場に導入された月イチの平日休みだったので、家族で近くの公園へ花見に行きました。

風がすこーーしありましたが、天気が良く、気温も高め。
そして、サクラは8〜9分咲きと、絶好の花見日和。
sakura


おにぎりを作り、スープを水筒に入れ、レジャーシートを持って出発。
車で10分もかからない公園へ。

去年も全く同じ公園で花見をしました。
去年は、まだ寝返りを打つか打たないかだった娘っちを連れて軽い散歩だけ。

でも、今年は自由自在。

sakura2

桜を掴んでみたり。

sakura3

ひとりで散策したり。

sakura4

勝手に冒険に出たり。

sakura5

じっくり桜を眺めたり。

と、彼女なりの花見を楽しんでくれている様子。
去年はだっこされるだけだったのに・・・と、1年の成長を感じます。

時間にしたら1時間半ほどの花見でしたが、家族でゆっくりとした良い時間を持つ事が出来ました。

春を堪能です。


余談。
こんな天気で外に出たのに、花粉ダメージが軽症。
そろそろスギ花粉も終わりに近付いたかも知れません。やった!!



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April 12, 2011

これは僕のせいじゃないでしょ?

年間目標で毎日写真を載せているブログのサーバの調子が悪く、記事がアップ出来ません。

明日、緊急メンテナンスに入るそうです↓。
「最新障害情報・メンテナンス情報ブログ」
(ちなみに僕の使っているのは109です。)


まさか、コレは僕のせいじゃないでしょ?!

コレはノーカウントでしょ?!


もう今日の写真も撮ってありますし↓。ホラホラ。

ザ・春


明日のメンナンス後に2つアップすれば良いですよね。ですよねっ?


まったく、困っちゃうなぁ。もう。

know_the_base at 22:19|PermalinkComments(3)TrackBack(0) 日記 

April 11, 2011

個人的一里塚。

足掛け6年続いているこのブログ。
遂に「日記」のカテゴリーへの投稿が1000に達しました。

このブログの日記カテゴリーは、大きいの、小さいの、大した事あるの、ないのと、本当に「日記」として書き綴ってきました。

ブログが紙の日記よりも良い所は、アーカイブで勝手に管理してくれいるトコ。
良くも悪くも本気の「日記」として、自分で時々読み返したりしています。


まぁ、映画の倍以上も日記が投稿されているので、もう最近では「映画ブログ」とは名乗らなくなりましたけどね・・・。

もう、このブログをヤメるとゆーコトもないでしょうし、今後とも多愛のない「日記」にお付き合い下さい。



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ウォッチメン

ウォッチメン


1940年代に生まれたヒーローチーム・ミニッツメン。
そして、彼らの後を継いだウォッチメン。

彼らは、ジョン・F・ケネディ暗殺事件、ベトナム戦争、キューバ危機など、かつて世界で起きた数々の事件の陰で働き、世界を守っていた。

だが「超越した力=暴力」に拠る彼らの活動は人々の反感を生み、現在は法によって規制されていた。

今、チームは解散し、彼らはそれぞれの道を歩く。

ある者はその知力で財を築き、ある者は人類の恒久的なエネルギー源となろうとし、ある者は一般人となり、ある者は犯罪者として追われ、ある者は精神病院送りとなった。

ヒーローだった彼らにも時は残酷に過ぎ去り、歳をとり、彼らが輝いていた時代は過去となっていた。


ある夜、ウォッチメンの1人だった男・コメディアンが何者かに殺害される。

今も尚、ヒーローとして活動する覆面の男・ロールシャッハ。
彼は、それの活動ゆえに犯罪者として追われていた。

ロールシャッハはコメディアンの死の理由を追い、かつてヒーローだった仲間たちに警告を発する。
「何者かが我々を狙っている。ヒーロー狩りだ。」と。

だが、ヒーローだった仲間達は、彼の話を取り合おうとはしなかった。

一方、ヒーローの1人 時間と空間・物理法則を操る Mr・マンハッタンは、人間を超越し、戦争の抑止力としての働きを果たすまでになっていた。
だが、人を超越してしまった彼は、人との繋がりに意味を持てなくなりつつあった。

そして、アメリカとソ連の対立は深まり、地球を滅ぼす戦争が目前に迫る。



この作品をマーヴルヒーロー物と思って見たら、ケガするぜ。

てか、映像もナカナカに斬新で格好良く、凄い作品だと思ったら「300(スリーハンドレット)」のザック・スナイダー監督だった。


超人的な能力を持っていても、心は普通の人間。
彼らの「ヒーロー活動」も、裏を返せば一方的な「暴力」だったり、価値観の押し付けだったりする。
その矛盾に心を痛める者、自分の意見・価値観に狂っていく者、様々なヒーローがそこには居て、そんな彼らが、輝いていた過去を抱え、今を生きる。

様々なヒーローをオマージュしながら、彼らを等身大の苦悩を抱える人間として描き、そして、物語は想像を超える形の終末に辿り着く。

重ねて言います。
この作品は、いわゆるヒーロー物ではない。
でも、それぞれに「正義」を貫き「世界平和」を願うヒーロー達の話ではある。


まず、この作品は、スパイダーマンやバットマンのようにヒーローをヒーローたち個人の話としては見ず、ヒーローを社会の問題として見る。

そして、この3時間に及ぶ大作は、観る人を選ぶ哲学的な内容へと飛躍していき、最終的に「ヒーローが真に世界平和を実現するとしたら。」の1つの答えを出すのだが、その終末はかなりダークで現実的だ。

僕自身もまさかこんなレベルの作品だと思わずに見てしまい、ヤケドと言うか、嬉しい誤算に驚いております。

「正義」と言う概念の根本にも迫る作品。


ただ、長いし、頭を使う(アクションヒーロー物なのに!!)ので、疲れます!
お覚悟を!!


最終評価 A

ダメな人は絶対に受け付けない作品なので「A」評価を付けるのは、相当に躊躇われました。



know_the_base at 00:38|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 2011年に観た映画 | 映画 あ行

April 10, 2011

2011年100日目。

2011年も100日目。

と、言うコトは僕の目標「毎日1枚の写真を撮り、ブログにアップする。」も100枚の写真をアップしたワケです。

まぁ、途中にファンブルがあったものの、とにかく目標は継続中。

この目標を始めた頃には使い方が分からないボタンの方が多かった愛機「 EOS Kiss X3 」も、ほぼ全ての機能を使えるようになりました。
新レンズも投入され、あとはセンスの問題・・・。




でも、いつぞやも書いたかも知れませんが、この目標は相当にキツい。
「毎日○○する。」ってのは基本的にキツいのですが、それなりに見られる写真を毎日撮るってのは・・・ナカナカです。

果たして僕の撮ってる写真が見れるモノなのかどうなのか、は、さておき。ですけどね。

まぁ、このまま何とか年末まで頑張ってみます。



もし気が向いたら写真の方にもコメント頂ければ幸いです。

365日の写真館

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April 08, 2011

フロスト × ニクソン

フロスト × ニクソン


1974年。
アメリカ合衆国37代大統領リチャード・ニクソン。
ウォーターゲート事件により、失脚。
任期途中で大統領を辞任。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ウォーターゲート事件とは?
ニクソン大統領の指示で、政敵ケネディ率いる民主党本部「ウォーターゲートビル」へ盗聴器を仕掛けたことが発覚したことから、大統領の辞任へと繋がった一連の事件。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・

だが、謝罪も罪の告白もないその辞任は、国民の納得よりも怒りを買った。

そのニクソンの持つ「視聴率」に目を付けた男が居た。
自分の人気に陰りが見えると感じだしたTV司会者デヴィット・フロスト。

フロストは私財を投じてニクソンの独占インタヴューの権利を獲得する。
このインタヴューで、TV業界の中で確固たる地位を築く。その為に。

対するニクソンにとっても悪い話ではなかった。
頭の悪いTVショー司会者のぬるいインタヴューに答えて60万ドル。
ニクソンにとっては、政治から引いた後の小遣い稼ぎ。
更にはソコで上手く立ち回り、名誉を挽回し政治復帰へのキッカケにする。

そして、視聴者の注目は、ウォーターゲート事件の真相とニクソンの謝罪。

果たして、フロストはニクソンから真実と謝罪の言葉を引き出せるのか?

老獪な弁士・ニクソンと、TVショー司会フロスト。
世紀のインタヴューが始まる・・・。


アメリカテレビ史上最高の視聴者数を叩き出したデビッド・フロストによるニクソン元大統領へのインタビュー。
この伝説的番組を元に、名匠ロン・ハワード監督が2人の男が人生を賭けた一瞬を切り取る。

どんな人生もキャリアも「一瞬」にしてしまうTV。
それは時に暴力的に世界を矮小化する。

だが、その一瞬は文字よりも、言葉よりも真実を語る一瞬になり得る。
たった「一瞬」の勝負。

インタビューが始まってからのフロスト×ニクソンの心理戦と賭け引きには手に汗を握る。
表情、言葉の抑揚、そのひとつ1つに惹き込まれる。


政治的な予備知識がなくても、充分に楽しめる作品。

むしろ、ウォーターゲート事件やニクソンの評価などは、この作品のモチーフのひとつであって、キーワードとしては存在してもその中身には踏み込んでいない。

アクションなんか何もないのに、息もつかせないスリリングさ。

とにかく、キャストが良い。
ニクソンを演じたフランク・ランジェラ。
フロストを演じたマイケル・シーン。
そして脇を固めるのはケビン・ベーコンにオリバー・ブラット、サム・ロックウェル。

時間を忘れました。


最終評価 A+


know_the_base at 23:54|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 2011年に観た映画 | 映画 は行

(500)日のサマー

500日のサマー


建築家を目指しながら、カードデザインの会社で働くトム(ジョセフ・ゴードン・レヴィット)は、運命の恋を信じる青年。

トムは、ボスのアシスタントとして入ってきたサマー(ズーイー・デシャネル)に運命を感じる。

サマーは両親の離婚と自分の経験から、ずっと続く恋など信じない、現実主義の女性。

1日目、2人は出合った。
4日目、トムのヘッドフォンから漏れる音で、2人の音楽の趣味が合う事が分かった。
28日目、カラオケパーティーで意気投合して「友達」になることにした。
29日目、コピー室でキスをした。
34日目、2人でIKEAへ行き、手を繋いで新婚ゴッコをした。

35日目、サマーと、一線を越えた。

ベットの中で「真剣に付き合う気はない。」と言うサマー。
「別に構わない。気楽な関係で良い。」と答えるトム。

109日目、サマーがトムを部屋に招待し、誰にも話した事がない話をトムにした。トムは2人の間にある壁が低くなるのを感じた。

259日目、バーでサマーに言い寄る男とトムは殴り合い「2度とこんなことはしないで。」と言われた。トムは2人の関係をハッキリさせたかった。
2人の想いの間には隔たりがあるコトが顕わになった。

303日目、サマーは彼の職場から姿を消した。

500日目、サマーとの恋は終わった。


徹底して、男性であるトムの目線から描かれたラブストーリー。

恋のスタートに浮かれる100日目まで。
想いが通じていると信じる200日目まで。
想いがすれ違っていく300日目まで。
離れ、恋の終わりに打ちひしがれる400日目まで。
終わった恋の余韻から立ち直っていく500日目まで。

500日間を「日付」毎に区切り、順序をバラバラに見せていく。
その中で、トムとサマーの間で何があったのかを見せていく。

サマーとの恋が終わった日から話は始まる。

何が悪かったのか。何があったのか。自分に何が足りなかったのか。
過去を振り返りながら、サマーへの想いを抱え続けるトム。

トムにとってのサマーは、運命であり、全てだった。
それでも、恋は終わった。

でも、トムの人生は終わらない。
サマーとの想い出を胸に、日常へと戻っていく。


男性にとって、永遠の謎である女性。

手繋ぎデートをし、セックスをし、打ち明け話をしてくれるのに「彼女」と言うレッテルを嫌い、トムとの関係をあくまで「友達」と言い切る。

トムの目線から見たサマーは、まさに「理解不能」。
でも、ストーリーを味わいつくしてみれば、サマーの行動が理解できる。

運命の恋を信じていた青年が、運命だと思った恋の終わりで世界のありようを知る。
ラブストーリーと言うよりも、1人の青年の成長物語。


想いを寄せる人とのひとつの言葉、ひとつイベントで、世界がカラフルになったり、色を失ったり。

恋をした事がある誰もが、そんな経験をしているのでは?

そして、恋が終わった時は、自分にとっては世界の終わりだけれど、自分以外の日常は変わらずに続いている。

無常なようだけど、そんな当然を、誰もが経験しているのでは?


すごく、すごく共感をしてしまいました。

この作品は、男性に見て欲しいラブストーリー。

こう、なんか、ギューーーっときます。


最終評価 A+


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April 05, 2011

自粛って何だ? 美味いのか?

「自粛」
[名](スル)自分から進んで、行いや態度を慎むこと。「露骨な広告を業界が―する」

コトバンクより


東日本大震災があり、日本全国「自粛」ムード一色。

どこぞのマラソン大会も、花火大会も、遊びも、飲み会、花見もぜーーんぶ自粛、自粛、じしゅく、ジシュク。

確かに、被災地ではまだ日常は遠く、避難所暮らしが続き大変な方々がいるのに、何事もなかったかのように自分たちがイベントで楽しんでいるのは申し訳ないと感じるのは、当然であり、仕方がないコト。

でも、それは各個人の心の中の問題。

今は、震災を想って心が痛み、楽しい気分、浮かれた気分になれない。
そう想う人は、家でゆっくりと自分や家族と過ごせば良い。

その一方で、この暗い気持ちを楽しい事で吹き飛ばしたいと想う人は、イベントへ出かけて大いに楽しんで、明日へのエネルギーを充填すれば良い。
大いに楽しみ、お金を使って経済を回せば良い。

自分が被災地を想うスタンスを、他人と共有する必要はない。
ましてや、自分のスタンスを他人に強要するなんて、意味がない。
むしろ、害。


そもそも、今のこの「自粛」ムードは、被災地を想ってと言うよりも単にバッシングを恐れての「萎縮」ように見える。

他人の目を気にするのは、日本人の良い点でもあり、悪い点でもある。

でも、その萎縮、本当に被災地復興の役に立つのでしょうか?

イベントで生まれるはずだった楽しみが無くなり、そこで発生するハズだったお金の流れが無くなる。
結果として、そのイベントで暮らしていた人達の仕事を奪い、更に経済が停滞する。
経済が停滞すれば、税収は落ちて、復興は遠のく。

その萎縮のせいで、本当に日本が縮小していくのではないでしょうか?

果たして、被災地の人達は、無事だった地域の人に「萎縮」をして欲しいと望んでいるのでしょうか?

本当に復興を考えるなら、今は、無事だった地域は萎縮なんかしていないで、大いにイベントを開催して、大いに楽しみ、日本と経済を活性化させなきゃ。

出来れば、そこに募金箱を置いて、募金も集めれば一石二鳥。

花見で東北の美味い酒でも飲めば、一石三鳥。


皆の心の中にある復興への願いを実現するには、エネルギーが必要。

「萎縮」してる場合じゃないだろう。



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April 04, 2011

蟹工船

蟹工船


プロレタリア文学の最高峰、小林多喜二の『蟹工船』を映画化。


カムチャッカ半島近くのオホーツク海。

安い賃金、危険で過酷、人間扱いされず、自由もない。
社会の最下層でもがく出稼ぎ労働者達が、蟹を採っては船上で缶詰に加工し続ける蟹工船・博光丸。

彼らを支配する監督の浅川(西島秀俊)は、日本帝国の事業だと言う大義名分を盾にしつつ、自尊心を満たすことしか考えていない。

どうやっても這い上がることが出来ない、生まれながらの貧富の差。
彼らは、自分達の境遇を諦め、不幸自慢でしか自分を慰める術を持たない。

自殺によって来世を願う事でしか、希望を持てない環境。それは正に地獄だった。

そんな時、漁夫の新庄(松田龍平)と塩田(新井浩文)は漁に出て船からはぐれてしまう。
新庄と塩田はロシア船に助けられ、自由を謳歌するロシア人たちの姿を目の当たりにする。

ロシア船から戻った新庄は、自分達の権利の為、夢の為に1人ひとりが立ち上がろうと仲間に呼びかける。


派遣労働とワーキングプアが叫ばれた時代にリバイバルヒットとなった、小林多喜二の名著「蟹工船」を現代版としてリメイク。

環境に慣らされ、命令されることに慣らされた搾取される側の人間が「自分は自分が決めるんだ!」と激を飛ばし、立ち上がるまでを描く。

まぁ、現代において、そこまで単純な「資本 vs 労働」と言う構図は成立しづらくはなっているけれど、資本主義社会の中でその構図が失われたワケでもない。
そう言う意味では、貧富の差や資本との闘争は普遍のテーマであり続ける。

映画の内容は分かり易く、出ているキャストにお笑い芸人などを多く配して重くなりすぎずに上手くテーマを伝えている。


ただ、新庄がロシア船で新しい価値観に触れるシーンがあまりにも軽い。
それと、お笑い芸人を多く入れる事で「重くなりすぎない」代わりに、労働者たちの過酷さや辛さが軽くなりすぎる。

なにより、どんなに頑張っても現代風のアレンジと「蟹工船」の時代のミスマッチが惜しい。

今、あえて『蟹工船』のリメイクなのは理解できるが「ストライキ」や「闘争」といった言葉が力を持った時代とは、伝わるモノが違う。
どんなに原作を大事に扱っても、伝えんとした核の部分が変質してしまっている気がしてならない。


まぁ、そうは意っても、重く深いテーマを扱ったこの作品をエンターテイメントとして見せ、万人に受け入れられる作品にしているのは素晴らしい。


最終評価 B+

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April 03, 2011

はらぺこ あおむし

はらぺこあおむし

エリック・カール 著


親の願いが届いているらしく、どうやら順調に絵本が好きになっている様子の娘っち。

前に絵本を買ったのは、同じくエリック・カールの「くまさん、くまさん、なにみてるの?」
他にも何冊か頂いた絵本があるものの、同じ絵本ばかりではツマラナイだろうと今日は新しい絵本を買ってあげました。

それは絵本の定番中の定番「はらぺこあおむし」。

日曜日に生まれたオナカぺこぺこの小さなあおむし。
月曜日にはリンゴをひとつ。
火曜日にはなしをふたつ。
水曜日にはすももをみっつ。
毎日次々に食べ物を食べて大きくなって、最後には綺麗な蝶になる。

この作品は「多分、好きだろう。」とは、思っていました。
鉄板だろう、と。

でも、娘っちはまだ1歳半。
「ちょっと早いかな?」とも思いました。

が、それは全くの杞憂。

はらぺこ好き 4

家に帰って「はらぺこあおむし」を手渡されて、大感動。

はらぺこ好き

「きゃー。」と歓声を上げながらの楽しみっぷり。

一瞬でお気に入りになったらしく、その後はずーーーーーーーーーーーーっと片時も手放しません。
はらぺこ好き 3


オムツの交換の時まで
はらぺこ好き 2


何度も何度も何度も、何度も何度も「読んで。読んで。」とせがみます。

「ばーばにも見せてあげる?」と言うと、しっかりと絵本を抱えたまま玄関に。
実家に行って、ばーばの膝に乗ってはまた「読んで。読んで。」攻撃。

帰ってきてからもまだまだ「読んで。読んで。」

お風呂に行く時まで離さずに持って行こうとする始末。

パパ、ママ、ばーばの3人が今日1日で15・6回、いや断片的に読んだのも含めれば20回?
もう、既に何回読んだか分かりません。


まさかこんなに喜んでくれるとは。 親としては幸せの限り。

このまま更なる絵本好きに育って欲しいモノです。


「これはわたちの宝物でしゅ!!」

「一生モノかもよ。」



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家庭菜園に種まき。

我が家の庭先に作った家庭菜園用の畑

先週はひたすらの肉体労働したのに、本気の農作業を要求する我が家の畑は、簡単に種植えを許してくれません。

種植えをする前に「土作り」が必要とのコト。

雑草の根や石を取った畑に肥料を混ぜ、石灰を混ぜ、放置するコト1週間。

今日は遂に種植えの日。

畑

畝を作り、ミニトマトと小松菜、大葉の種を蒔く。
そんなに大量に作っても食べきれないので、各種半ウネ × 3。

結局、作った畑の3/10しか使ってないケドね。

まぁ、これからっすよ。これから。

お手伝い

チョコマカゆいかさんもお手伝い。
畑に踏み入ったり、ウネを壊したり、種を奪ったりと大活躍。


その後、玄関前の花壇スペースにも花の種を蒔く。
花壇担当

種を蒔く場所に登ったり、種を奪ったり、スコップを盗んだり、こちらでもチョコマカ先生は大活躍。


さて、素人がテキトーに蒔きましたが、果たして芽は出るのでしょうか?
楽しみ、楽しみ。


てか、大葉って、スーパーで10枚100円とかしますよね。

アレって、ちょっとボッタクリじゃないすか?

コレが上手くいけば、いつでも収穫出来る小松菜と大葉は食べ放題。
ミニトマトも食べれるし。

いずれは家計の足しになる・・・ハズ。



「芽はいつ出るんでしゅ? 明日でしゅか?」

「トトロが居ればすぐなんだけどねー。」


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April 02, 2011

路上のソリスト

路上のソリスト


かつてジュリアード音楽院に通い、将来を期待された音楽家ナサニエル・エアーズ。
彼は、今、ロサンジェルスの路上で弦がたった2本のヴァイオリンを弾く。

エアーズの弾く透き通った音に出会った、LAタイムズの人気コラムニスト、スティーヴ・ロペス。

2人の交流を書いたロペスのコラムを映画化。

ナサニエル・エアーズに、ジェイミー・フォックス。
スティーヴ・ロペスは、ロバート・ダウニー・Jr。


「願いはないか?」と、ロペスが尋ねる。

「弦があと2本欲しい。」と、ナサニエルが答える。

そして、ナサニエルがチェロを弾いた時、ロペスは魂が体から離れ、自由に空を舞うかのような錯覚をおぼえる。

なぜ、天才的なチェロの才能に恵まれたナサニエル・エアーズが路上生活者になってしまったのか。
ロペスはたどたどしいナサニエルの言葉から彼の過去を追う。

ロペスの書いたコラムは反響を呼び、2人の運命を変えていく・・・。


普通の人間が生きる「常識」とは別の次元で音楽に向き合い、生きるナサニエル。
「常識」の中で生き、常識の枠でナサニエルを理解しようとし、枠に嵌めようと試みるスティーヴ。

神の恩寵を受けた彼を、何とか世に出そうと働きかけるスティーヴの試みは、かえってナサニエルを傷つけてしまう。

決して相容れない世界で生きる2人が、共鳴しあいながら、傷つけ合う。
現実は、そんなに簡単にコトが運ばない。

全てが上手くいくワケなんかない。

それでも、人は人を想う。

その想いは、時にお節介であり、間違いであり、相手を傷つけもする。
でも、真正面から向き合い、傷つけ合う事で、互いを知り、絆を深める。


穿った見方をすれば、お節介な人気コラムニストが、路上生活者に手を差し伸べるだけのストーリー。
そして、このストーリーで単純に「救われた」人は居ない。

この話は、人気コラムニストと路上生活者が、対等の友人になるだけの話。

実話だからこそ、簡単なハッピーエンドで終わらない。

でも、だからこそ描けるモノもある。そこに感動がある。


最終評価 A−

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