February 25, 2013

急性大動脈解離・闘病記 その3 2日目・手術の判断

個人的に、この闘病記を書ききらないと「猫物語(黒)」の感想が書ける気がしない。
てか、療養中に物語シリーズ絡みの記事を書いちゃったら、「アイツ、元気なんじゃん。」ってなるよね。
それは、読者を安心させるのか、いい加減にしろと思われるのか。
どうも後者な気がする・・・。


さて、 「急性大動脈解離・闘病記」の続きです。

2012.12.28
急性大動脈解離発症2日目。
ベッドの上で「絶対安静」になり、痛み、吐き気、咳痰、慣れない環境で寝れない夜が明け、担当医師から

「手術が必要かも。」

と告げられた朝イチ。

何も知らずに告げられたのなら「手術か、嫌だな。」程度に思うその言葉。
しかし、出血の止まらない抗凝固剤を飲んでいる身体を持つ僕にとっては、死刑宣告にも似た響きがありました。

担当医師曰く。
昨日、救急外来で撮影した造影剤使用のCTスキャンの結果、解離が右の足の方へと向かっている。
そして、その解離が、もしかしたら右の腎臓と消化管(小腸など)への血管を塞いでいる可能性がある。
もし、消化管への血流が止まってしまうと、そこから先が壊死してしまう。
その判断をする為に、今日は早めにCTをもう一回と腹部のエコー(血流を確認する超音波検査)をする。
検査で血流が確認できなければ、手術が必要になる。
君も分かってると思うけど、その手術は、大変難しいモノになる。

で、この近くで、このレベルの手術が出来るのは2ヵ所ある。

A病院は、ウチの病院とはあまり連携した経験はないけど、2005年に君の弁置換手術をしたトコ。
B病院は、ウチとはよく連携してて、担当医師はB病院の医師を良く知ってる。

「で、どっちにする?」

いや、どっちにする?って、聞かれましても・・・、ねぇ?

A病院には大変お世話になり、良い病院なのは知っている。
でも、あの当時に執刀してくれた医師は既に院長にランクアップし、7年くらい受診もしていないから、今も良いのかどうかは良く分からない。

B病院は、担当医師が「良く知ってる医師だし、腕は良いと思う。症例数もあるよ。」と言う。

正直、どっちでも・・・と言いたくなるものの、自分の命を懸けるのに「どっちでも良いです。」もない。

僕の答えは、B病院。

今までの人生を振り返ってみれば、結局、僕の命は人と縁の繋がりで救われてきた。
原病であるマルファン症候群の発見も、以前手術した大動脈瘤の発見も、その手術も、今回も、いつも「たまたま」「偶然」が重なって、なんとか命を拾ってきたようなモノ。
どっかひとつ間違えば、ここにさえ居ない人間。

そう考えれば、たまたまでも今の担当医が「腕は良いよ。」と薦める医師が、きっと僕にとってのベターなのだろう。
そう思いました。

何の因果か、僕は子供の時から色々な手術をしました。
もちろん「死亡率」なんて言葉が出る手術は、前回の大動脈瘤と弁置換術位ですけどね。
どの手術に臨む時にもリスク等々の話は散々されましたが、成功イメージしかなかったし、そして成功してきた。

でも、今回は失敗のイメージしか湧かなかったんです。

「嫌な予感。」としか説明不能で、もちろんメンタルの問題だと自分でも分かっている。
手術の必要性も分かる。
やるべき手術なら、やるしかない。

それでも「手術になれば失敗する。」という、確信に似たイメージを拭い去るコトがどうしても出来ない。

医師とのやりとりを終えた後、放心。

そして、失敗した結果のイメージに囚われたまま、とめどなく流れる涙。

枕元にある、昨晩の面会時に嫁様の置いていった2枚の娘の写真を眺める。
1枚目は、数日前のクリスマスイヴに庭を掃除する元気な娘の笑顔
2枚目は、嫁様とほっぺを押し付け合って、幸せそうな笑顔。

ふたつの笑顔。どちらも撮ったのは自分。

数日前までは、この幸福の中に居たのに。
あの日に戻りたい。
家族に会いたい。
集中治療室に入れない幼い娘には、もしかしたら、もう会えない。

自分でもコントロールしようのない想いが溢れ、タオルを顔にかけたままで検査の時間を待ちました。


大量の点滴を入れ、ベッド上での絶対安静を義務付けられていた僕は、2台の点滴台 + 超強力鎮痛剤用ポンプ + 精密モニター類を付け、移動には看護師2名+助手さん1名を要する大移動。

しかも、安静時には多少おとなしくなっていた痛みは、移動時のちょっとした衝撃・振動で存在を主張する。
そして、血流を確認する腹部の超音波検査では、猛烈な吐き気があるっつーのに、胃の周辺をこれでもかとエグるように機械を押し付けてくる(てか、一度リバースしました。)。

あの時間は拷問だったと言って、過言ではないでしょう。
その後、体調も悪化したしね。

でも、僕の心はそんな肉体的な問題より 「何とか良い検査結果が得られないか、手術を避けられないか。」そればかり考えていました。


午後になって検査が終わり、午前中から呼ばれていた嫁様と父上が担当医師から別室で検査結果を見ながらの説明を受ける。
「なぜ、患者本人には詳しい説明が無いんだ。」と思いつつ、報告を待つ。

担当医師曰く。
一応、血流は認められた。
ただ、流れは確実に悪くなっているので、今からこの検査結果をB病院に(担当医師が)直接持って行って、相談してくる。
その戻りはおそらく夕方になるので、その時に結論を出そう。
とのこと。

「血流があった。」
それは、手術回避への希望の言葉でした。
でも、担当医師が片道30〜40分かかる相手病院へ直接出向き、相談して帰ってくる。と言うのは、どう考えても特別待遇。
つまり、楽観視できる状況ではないことは確か。

僕はこの時、手術になって失敗した時(僕が死んだ時)のコトを嫁様と父上に相談すべきかどうか、真剣に考えていました。
でも、何か言葉を紡ごうと頑張っても、どうしても涙が流れ、言葉は嗚咽になってしまう。
しかも、それを口にするコトで、イメージが現実味を帯びて、その結果を引き寄せてしまうような気もする。

そんなコトを考えている間に、B病院へ向かったハズの担当医師が戻ってきました。

担当医師曰く。
B病院医師にアポを取る為に電話をし、病状経過と検査結果を伝えた。
その電話の段階で、「今回のケースは手術の適応ではないだろう。」とのこと。
今後の消化管への血流次第ではあるが、現在は一応の血流も認められ、最悪、右の腎臓ひとつがダメでも生命維持に問題は生じない。
両医師の判断として、「手術のリスクを考えれば、無理に手術をする状況ではないだろう。」との結論を得た。
とのこと。

「現段階では、手術の適応はない。」

「手術はしない。」








生きて、こうして闘病記を打っている今からすれば「なーんだ。」な話。
てか、今、ブログ書いてるんだから、当たり前でしょ。
読者の方だって、この結末くらい分かってるって話ですよね。

それでも、この時のコトを思い出しながらキーを打ってる僕は、実は泣いてたりします。


その位、あの時は追いつめられていた。
あの結果は、福音だった。
肩から力が抜け、朝からずっと首に掛かっていた死神の鎌が外れるような、体温が戻ってくるような感覚。

あの時、僕は文字通り「命拾い」をしました。

「また、娘に会える。」

その希望の前に、腎臓のひとつがダメになるかも程度の悪いニュースは霞んで消えました。


そして、しばらくしてから父上に言いました。
「手術が決まってたら、「自分が死んだら嫁様と娘を宜しくお願いします。」って言おうとしてたんだよ。」と。

父上は、「もう、歳だから勘弁してくれ。」と苦く笑いましたが、思えば親不孝なコトを言ったモノです。


しかも、後日談になりますが、右の腎臓もちゃっかり生きてます。
退院時に撮ったCTでは、左の腎臓に比べるとちょっと小振りではありましたが、ちゃんと生きてました。
左の腎臓は、右が弱った分を頑張って大きくなっているらしい。
人体ってすごい。

「手術をするか、しないか。」に振り回された闘病記クライマックスな2日目が終わり、めでたし、めでたし。

で、終われれば良いんですけどね。
ココまでで、50日の入院の1/25ですから。

こっからは巻きでイキます。


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know_the_base at 22:41│Comments(2)TrackBack(0) 日記 | 療養生活

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この記事へのコメント

1. Posted by べべお   February 26, 2013 07:11
この頃が、一番の山場だったのかな。

凄い壮絶…

戻って来てくれて良かったと思うよ。
2. Posted by 管理人   February 26, 2013 12:24
>べべお
真面目な話、この日の午前中の心境は思い出したくても思い出せないんだよね。
記憶にロックが掛かってる感じ?

多分、自己防衛的な何か。だろうと思う。

まぁ、この日に比べたら、全ての日が天国だよ。

でも、この後、最悪の木曜日が待ってるので、そこら辺が書ききれたら、この闘病記もほぼ終了になるのかなぁ。

あの木曜日・・・、上手く書けたら、自分に拍手ですな。

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