北京
August 07, 2008
明日、北京五輪開幕。
いよいよ明日に控えた北京オリンピックの開幕。
連日のニュースの内容はオリンピック一色に染まる。
スポーツの祭典オリンピック。
この大会の為に選手生命を賭け、努力をし、超人揃いの候補たちの中から見事、代表の座を射止めた選手の方々には敬意を覚える。
自分の納得のいく最高のパフォーマンスを見せて欲しいと思うし、最高の舞台を楽しんで欲しいと思う。
ただ、今回と言わず、常にオリンピックには負の側面がある。
代理戦争としか言えないナショナリズム。
貧富の格差。
選手たちの特化しすぎた肉体改造。
ありとあらゆる利権。
環境破壊。
そして今回の開催国・中国の抱える問題も深刻だ。
汚染された大気・水質。環境汚染。
民族問題、それにまつわるテロリズムと共産主義国らしい言論統制と規制。
中国国内の貧富格差。
オリンピックを利用した中国バッシングの排斥。
これだけ世界規模のイベントだから、仕方ないと言えば仕方ないのかも知れない。
でも、それらは確実に、ある。
ただ楽しいだけのイベントじゃない。
あまりにも多く、深刻な問題。
巨大な利権の巣窟・オリンピックは、もう本来ある姿から外れ、歪みきっているように見える。
僕は4年に一度のオリンピック期間、延々とTVから垂れ流されるナショナリズムを煽る言葉と、オリンピックにまつわる負の側面の数々に怒りを感じてきた。
「日本の金の数なんかどうだって良いんだよ。
選手たちが悔いなく、自分の最高の結果を出し、その後についてくるオマケじゃないのか?
それ(メダル)が目標か?
メダルが獲れなきゃ価値なしか?
違うだろ?
まず、頑張った選手に、国なんか無視して賞賛を送れよ。
そして、メダルの数より周囲にある腐敗に目を向けろよ。」 なんてね。
負の側面に目を向け出すと、本気で苛立つし、吐き気もする。
問題が複雑に絡まって答えなんか見えないし、オリンピック以外の問題までが入り込んで、もう手がつけられない。そこがまたイライラを増す。
マスコミに踊らされるだけの視聴者。「馬鹿か。」と吐き捨てたくなる。
「なんなんだよ。」
とね。
「そもそも、単なる競技会だろ?」
ってね。
「いつもは興味も無いくせに、何、オリンピックだけ盛り上がってんだよ。」
なんてね。
器の小さい自分を分かっていても、そう思ってしまっていた。
市大会 → 県大会 → 地方大会 → 全国大会 → 国際大会
オリンピックなんて、あくまでこの延長上にあるべきモノでしょ?
世界陸上、ワールドベースボールクラシック、サッカーワールドカップ、世界水泳。
各競技で頂点となる世界大会があるにも関わらず、オリンピックがある意味って?
無くね?
競技会としての意味なんか無いんじゃない?
もう、やめたら良いんじゃない?
偉い人に利権があるからやめられないだけだろ。
ナショナリズムを煽るのに便利だから、政治屋は無くしたくないんだろ。
ずっと、そんな風に思ってきたんです。
でも、最近、オリンピックに感じる感情が怒りばかりじゃなくなってきたのに気付きました。
今まで怒りばかりを感じてた自分としては、ちょっとした驚きでした。
大人になって鈍感になり、純粋な社会への怒りとかを感じなくなったのかも。と焦りさえ感じる位です。
でも、最近、オリンピックは「スポーツの祭典」だっていうコトを、なんとなく、理由もなく、ストッと理解出来た気がするんです。
そう。オリンピックは『お祭り』。
利権もあるだろう。
環境破壊もあるだろう。
逼迫した国際問題が山積みの今、遊んでる場合じゃないだろう。
人権、貧困、お祭りどころじゃない人たちも沢山いるだろう。
でも。さ。
踊る阿呆に、見る阿呆。
同じアホなら踊らにゃソンソン。
少しはハメを外して、楽しむだけで良いのかも。
なんて思えるようになりました。
どうです?
三十路越えてきた。って感じしません?
僕もようやく大人になってきたのかな。良し悪しは分からないけどね。
連日のニュースの内容はオリンピック一色に染まる。
スポーツの祭典オリンピック。
この大会の為に選手生命を賭け、努力をし、超人揃いの候補たちの中から見事、代表の座を射止めた選手の方々には敬意を覚える。
自分の納得のいく最高のパフォーマンスを見せて欲しいと思うし、最高の舞台を楽しんで欲しいと思う。
ただ、今回と言わず、常にオリンピックには負の側面がある。
代理戦争としか言えないナショナリズム。
貧富の格差。
選手たちの特化しすぎた肉体改造。
ありとあらゆる利権。
環境破壊。
そして今回の開催国・中国の抱える問題も深刻だ。
汚染された大気・水質。環境汚染。
民族問題、それにまつわるテロリズムと共産主義国らしい言論統制と規制。
中国国内の貧富格差。
オリンピックを利用した中国バッシングの排斥。
これだけ世界規模のイベントだから、仕方ないと言えば仕方ないのかも知れない。
でも、それらは確実に、ある。
ただ楽しいだけのイベントじゃない。
あまりにも多く、深刻な問題。
巨大な利権の巣窟・オリンピックは、もう本来ある姿から外れ、歪みきっているように見える。
僕は4年に一度のオリンピック期間、延々とTVから垂れ流されるナショナリズムを煽る言葉と、オリンピックにまつわる負の側面の数々に怒りを感じてきた。
「日本の金の数なんかどうだって良いんだよ。
選手たちが悔いなく、自分の最高の結果を出し、その後についてくるオマケじゃないのか?
それ(メダル)が目標か?
メダルが獲れなきゃ価値なしか?
違うだろ?
まず、頑張った選手に、国なんか無視して賞賛を送れよ。
そして、メダルの数より周囲にある腐敗に目を向けろよ。」 なんてね。
負の側面に目を向け出すと、本気で苛立つし、吐き気もする。
問題が複雑に絡まって答えなんか見えないし、オリンピック以外の問題までが入り込んで、もう手がつけられない。そこがまたイライラを増す。
マスコミに踊らされるだけの視聴者。「馬鹿か。」と吐き捨てたくなる。
「なんなんだよ。」
とね。
「そもそも、単なる競技会だろ?」
ってね。
「いつもは興味も無いくせに、何、オリンピックだけ盛り上がってんだよ。」
なんてね。
器の小さい自分を分かっていても、そう思ってしまっていた。
市大会 → 県大会 → 地方大会 → 全国大会 → 国際大会
オリンピックなんて、あくまでこの延長上にあるべきモノでしょ?
世界陸上、ワールドベースボールクラシック、サッカーワールドカップ、世界水泳。
各競技で頂点となる世界大会があるにも関わらず、オリンピックがある意味って?
無くね?
競技会としての意味なんか無いんじゃない?
もう、やめたら良いんじゃない?
偉い人に利権があるからやめられないだけだろ。
ナショナリズムを煽るのに便利だから、政治屋は無くしたくないんだろ。
ずっと、そんな風に思ってきたんです。
でも、最近、オリンピックに感じる感情が怒りばかりじゃなくなってきたのに気付きました。
今まで怒りばかりを感じてた自分としては、ちょっとした驚きでした。
大人になって鈍感になり、純粋な社会への怒りとかを感じなくなったのかも。と焦りさえ感じる位です。
でも、最近、オリンピックは「スポーツの祭典」だっていうコトを、なんとなく、理由もなく、ストッと理解出来た気がするんです。
そう。オリンピックは『お祭り』。
利権もあるだろう。
環境破壊もあるだろう。
逼迫した国際問題が山積みの今、遊んでる場合じゃないだろう。
人権、貧困、お祭りどころじゃない人たちも沢山いるだろう。
でも。さ。
踊る阿呆に、見る阿呆。
同じアホなら踊らにゃソンソン。
少しはハメを外して、楽しむだけで良いのかも。
なんて思えるようになりました。
どうです?
三十路越えてきた。って感じしません?
僕もようやく大人になってきたのかな。良し悪しは分からないけどね。
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