大動脈解離

June 27, 2019

長距離移動可になりました

大動脈解離を起こして6年半。

先日の外来で、嫁様の実家がある仙台までは行っても大丈夫と許可が出ました。

当然、重いものを持たないとか、身体の負担を考えてとか、制限はある前提ですけどね。

でも、何はともあれ。です。

長かった。


大動脈解離後は、禁酒、塩分制限、運動制限、あれもダメ、これもダメ。

まるで見えない壁が作った水槽の中に居るような気持ちを、ずっと抱えて生きてます。

もちろん、時間をかければ禁酒も減塩も慣れてはいきます。

それでも心のどこかに刺さって抜けないトゲ。


まぁ、長距離移動の許可が出たところで、この見えない壁が無くなるわけではないのですけど。

それでも水槽が少しは広くなったような、そんな気持ち。



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April 19, 2019

酒、恋し

2012年12月に大動脈解離を起こして、早6年超。

あれ以来、ずーーーっと禁酒しているわけですが。


大人ですから、社会人ですから。
飲みたくなる日もある。

好きでしたから。
飲めましたし。


週にビール1本くらい、、、

と、思う。

ただ、いざ飲むとなれば、飲める方だった自分がビール1本くらいで満足するのか。
しないわなぁ。

多分、しばらくは350mlを1本で我慢してても、何かの機会にもう1本、350mlが500mlとかになっていきそう。

「同じ1本だよ!」

とか、テキトーな言い訳をしてる自分が目に浮かぶわ。

基本、ダメ人間だからなぁ。


そんなこんなで禁酒は続く。

でも、あぁ、飲めてえぇぇぇぇぇえぇぇ!



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February 26, 2018

大動脈解離後、初の大遠出

2012.12に大動脈解離を起こしてから、早5年。
ゆるゆると低空飛行を続ける毎日に、少し嬉しいコトがありました。

今度、大阪で従兄弟の結婚式があります。
それに出席出来ないかと医師に相談した結果


遠出許可。


家族と一緒とか、荷物を持たないとか、移動は電車で座ってるだけにしてとか、制限はあるものの、オフィシャルに長距離移動が許可されました。

なんとも時間のかかる歩みですが、ちょっとは前に進んだ実感。


そうは言っても油断大敵。
調子に乗らず。気を付けて行ってきます。


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May 19, 2017

カウンセリングを受けてみた その2

「カウンセリングを受けてみた その1」より、つづく。


毎日、毎日、小さく心をポキポキポキ折る生活。
そんなに大きな 「コレだ!!」 と言う不満があるワケではない。
家族と過ごすのは幸せだ。

でも、心がスッキリしない。

何とも言えないモヤモヤが溜まりだした僕は、職場のカウンセリングを受診しました。

まぁ、せっかく制度があるんでね。
使ってみようかと。


で、予約して当日。

職員用のカウンセラーさんは、外部の嘱託の方。
自分の身体のあらましと、その1で書いたような日々の「ポキポキ」についてカウンセラーさんに促されるまま話していきました。

仕事も家庭も何も関係ない人に現状を語るというのは不思議なもので、思ってもいない本音の様なモノが飛び出してきます。
自分でも、まぁまぁ驚きます。

「毎日幸せだと思っているのに、何故か超絶ネガティブ発言が出ちゃう。」辺りまで一通り吐き出し終わって、カウンセラーさんに聞かれました。

「いま、何がしたいですか?」

ここまで散々に「旅行でポキリ」「外食でポキリ」とポキポキの内容を並べたものの、じゃあやりたいことが「海外旅行に行きたい。」なのかと聞かれると、そういう話ではない。

ひとつだけ、特別なアレがしたい。
という話ではない。

じゃあ、自分はどうしたいのよ?

そう考え、考え、考えて、ひとつのそれらしい答えがありました。

「身体のことを忘れたい。」

そう。
忘れたいのです。

この見えない壁のある部屋から、出たいのです。

解放されたい。


そんなコト、普通の理屈では出来ません。
劇的に身体が改善するような、夢の魔法はありません。

医師やら、家族やら、将来設計やら、どの視点から考えてもダメです。

「ゆるゆるでも良いから、僕が細く長く生きること。」を正解とすれば、ずっと部屋に籠ってるしかありません。

でも、それじゃ、いつか発狂しちゃう。
いや、これはワリと真面目に。


何かを選べば、何かを諦めるのです。



なので、真に勝手ではありますが、とりあえず50歳まで僕が生きられたら、もう、そこで一旦良い事にしようかな。と。
当初、目標にしていた10年よりも随分と長く生きてますし、そっから先は、多少は好きなことして、好きに旅行して、好きなものを食べれば良いじゃない。

それで何かがあったら、ソレはソレ。
仕方ないじゃない。

見えない壁の部屋に籠っていたって、何かはあるかも知れないし。
部屋から出たって、何もないかも知れないし。

特別な無茶をするって話じゃないですよ?

そういう日を迎えられると思っていないと
そこまで頑張れば解放されると

何か目標がないと、心の処理が無理なんです。

言うなれば、無期懲役刑か有期刑かの違いです。

有期刑の囚人は模範囚にもなりますが、無期懲役はどうせ出られないからと自暴自棄になるらしいですよ?


なので、50歳の誕生日でリアル人生ゲームはゴールとしようかな。と。


なんていう仮目標を作って、カウンセリングを終えました。



自分の中ではストンとくる話だったのですが、あんまり良い内容の文章になりませんでしたね。

周辺への波紋が大きすぎる場合は、無かった事にします。


とりあえず、ブログで書く内容ではなかったかなぁ。


「そんなコト言ってて、いざ50になったら「50は早いなぁ。」とか言ってそう。」

「うん。言ってそう。」


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May 18, 2017

カウンセリングを受けてみた その1

家族に恵まれ、仕事に恵まれ、環境に恵まれる。
こんな恵まれた僕ですが、御存知の通り血管が壊れてます。

大動脈です。

何度目だっていう説明になりますが、血管壊れてる人間は血圧を上げたらイケマセン。

スポーツなんてもってのほか。
アルコールだめです。
食事は減塩です。
重いものも持ったらダメです。
旅行も長距離はダメです。
なんなら怒ったりするのも、ダメっちゃあダメ(まぁ、感情は仕方ないけどねぇ・・・)。

血圧を低く維持するには、要するに健康的生活が一番。
早寝早起き、三食栄養のバランス良い食事をとり、心穏やかに暮らす。

その為には、延々と同じリズムの中で、何も起こらない毎日を延々と繰り返していくこと。

今日も明日も明後日も・・・
今日も明日も明後日も・・・
今日も明日も明後日も・・・


こういう生活を過ごしていると、たとえ毎日がすごく幸せであっても、自分の周りに見えない壁があるような気がしてきます。

見えない壁と言うのは、要は自分の心のブレーキ。

アレがしたいな → あぁ、でもダメだな。
アレが食べたいな → あぁ、しょっぱそうだしダメだな。
あそこに行きたいな → あぁ、遠いな。

何かしたいな。と思った瞬間に、理性がその行動を止めます。
行動を止める、と言うか、心を折ります。

アレしたい。ポキッ。
コレ食べたい。ポキッ。

何かを考える度に、自分で自分の心を小さく小さく折る。

毎日毎日毎日、ポキポキポキポキポキポキ・・・・・。


そして、延々と繰り返された日常のルーチンが、更に自分の行動を縛っていきます。
ルーチンから外れた行動を面倒くさく感じ、ルーチンの中で処理しようとしてしまう。


ガンジガラメの中で心をポキポキポキポキポキ。

解離を起こし、こういうメンタルの状態で5年目に入りました。


正直、時々 「うわぁぁあぁぁぁぁぁぁ!!!」 って叫びたい気分になります。

超絶ネガティブなことを、嫁様に言ったりしてしまいます。


各方面の方に怒られるから、超絶ネガティブな具体的な内容は内緒です。
でも、まぁ生きることを雑に扱う感じの内容です。



いかんな。

イカン。


そんなワケで、職場のカウンセラーさんにカウンセリングしてもらいました。


「カウンセリングを受けてみた その2」へ、つづく

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August 17, 2015

解離が不幸じゃなくなった時

昨日の午後、昼寝をしました。
娘と一緒に。

夏休みの午後。
すーっと涼しい風が通る場所で娘と昼寝。

しばらく寝て、起きて、まどろみの中で思いました。

幸せだ。と。

大好きで一緒に居たい人たちと不和なく暮らし、自分の心の中に特に迷いや悩みなし。

これほどの時間はないな、と。



その後で、ふと思いました。

あれ?身体の問題は? と。

解離を起こした身体は悩みじゃないのか、オマエ。と。

でも、自分の心の中を覗いてみると、どうやら身体のコトは、もう悩みではなくなったみたい。

僕の身体は、自分が努力してどうこうなる問題ではない。
なので、ただ淡々とやるべき事をやるだけ。

どうしたら良いかと、心を煩わせる問題ではなくなっていました。

もう、この解離の問題は、僕の当たり前の日常として昇華されたのだなーと。

そんな風に思いました。


ストンとそう思えた、夏の午後。

幸せでした。

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November 08, 2014

僕の身体がダメになった社会人1年目頃の話。 その2

さて、おじいちゃんの過去の話は長いもの。
大動脈瘤が見つかった頃の話、その2です。

僕の身体がダメになった社会人1年目頃の話。 その1」から続く。


さて、社会人1年目まで健康な人生を歩んできた僕は、モヤっとした胸の違和感が原因で外来にかかることにした。

気胸を疑ったので、先輩の勧めもあって呼吸器内科へ。

顔なじみの若い呼吸器の先生は、聴診器を当てながら難しい顔。
そして、こう言った。

「心雑音があるんだよね。循環器に行ってもらおうかな。」

お、おぅ。

意外な展開でしたが、この時点では特に心配もなく循環器内科へ。

循環器で診てくれたのは、循環器科長の医師。
ちなみに、地方医療を支えると自負する自院の中で、事務方でさえゴッドハンドのひとりだと思う良い先生。

そのゴッドハンドも聴診器を胸に当てると難しい顔。
そして、こう言った。

「心エコー(超音波検査)やってみようか。」

お、おぅ。

お? 心エコー?

人生上、やったコトの無い検査。
医療事務やってるから、その検査が何であるか(血流の動きが見られます)は分かってるけど、具体的にどうするかは知らない。
だって、患者さん検査中の検査室なんか入るワケない。

初めての検査にちょっとドキドキしながら初心エコー。
この後の人生で定期的にやるようになる心エコー。

次の診察、検査結果を見たゴッドハンドは、問答無用で造影CT検査の予約を入れた。

これは、もう、ただ事じゃない。
だって造影CTって、3割負担で10,000円近い検査ですよ。(←医療事務目線)

値段の問題じゃないけど「ちょっとやろうか。」で、やる様な検査じゃない。

本気のヤツだ。


で、造影CTの検査が終わった次の診察、ゴッドハンドはこう言った。

「大動脈に瘤が出来てるんだよ。それに伴って僧帽弁が逸脱して心臓の出口で逆流が起こってる。」



おぅ。

確かにゴッドハンドが指し示す僕の大動脈には、素人目にも明らかな「ボコッ」っとした白い塊がある。

「これからは運動は制限しなくてはいけない。サッカーなんてもってのほか。」





はい。


「大動脈の瘤は、5cmを超えたら手術の適応になる。君のは今、4.7cm。」

え? ギリギリじゃん・・・。

てか、手術?
心臓の手術って、ソレ・・・

「このまま変わらないなら良いけど、大きくなるなら切らなくてはいけない。だから、次からは心臓血管外科にかかって。」

はい・・・ 心臓血管外科ですか・・・。


胸モヤっと → 若手医師 → ゴッドハンド → 心エコー → 造影CT → 心臓血管外科

トントン拍子に段階を踏んで、トントン拍子に転がり落ちていく僕の、何か。


心臓血管外科と聞いた時の足元が崩れる感じは、何とも苦い思い出。
正直、症状は「そこはかとない胸の違和感」だけ。
それなのに、医師の説明は「死亡率」とかが出てしまう内容。

あれ? コレ、誰の話?
あ、そうか、自分の話か。自分の話だった。

そんな確認を要する感じ。

実際、その時発見された「胸部大動脈瘤」って病気は、ほとんど症状が無いのに突然に破裂して命を奪うため「サイレントキラー」なんて呼ばれる病気。

破裂前に発見できたのは、本当にたまたまの幸運。
僥倖といっても良いくらいのもの。

たまたま、病院で働いていた。
たまたま、胸の違和感を先輩に相談した。
たまたま、医療費無料だったから受診した。

それだけじゃなく、この職場の存在を紹介してくれた父の言葉にのって就職試験を受けたのもたまたま何となく。

たまたまの、たまたまの、たまたまの・・・、さて、偶然はいくつ重なると奇跡ですか?


裏話。
僕には落ち着いた感じて病状説明をしたゴッドハンド先生。
その後、サッカー部の先輩方に

「know_the_base 君をサッカーに誘うなんて、何考えてるんだ!」

という、とばっちり説教をしたらしい。
先輩方、僕の身体に大動脈瘤があるなんて知らんちゅうの。


ちなみにこの後、死亡率○%の手術をして、発症したら即死の可能性も十分にあった大動脈解離をやったワケですが、その辺の話は、→「手術前夜」とか、「急性大動脈解離・闘病記」、もしくは、カテゴリ「療養生活」へ。

もしも、自分がフツーに外回りの営業マンとかだったら、今頃確実にこの世には居ない。
だって、バリバリ働く営業マンが「何となくモヤっとした胸の違和感」程度で仕事を休んで病院にかかるとは思えないでしょ?

振り返ると、どこかひとつ間違えたら落ちてしまう綱渡り人生。
真面目な話、今自分がココにて、こんなコト書いてて、娘や嫁様と一緒に暮らして幸せにしていられるのは奇跡だと思う。

この環境に居たから、たまたま生きてる。
そんな儲けもん人生。

生きてるだけで丸儲け。



余談。
大動脈瘤が判明した時、絶賛遠距離恋愛中だった嫁様にもモチロンそのコトを伝えました。
当時は携帯電話の通話が同じキャリア同士だと21:00以降が無料になる料金プランを使って夜に話してたのは懐かしい思い出。

「僕の身体は、これこれこういうコトになってしまったみたい。
 おそらく心臓の手術をするし、そこで死ぬかも知れんし、生き延びたとしても障害を負うことは間違い ない。
もう、普通の身体じゃないんだ。
 こんな厄介な身体の男とワザワザ結婚する必要ないよ。」

投げやりな気分に任せて、嫁様に結婚をやめるように促しました。
でも、嫁様は取り合いませんでした。

「そんなの関係ない。」

そうハッキリ言ってくれました。
嬉しかった。

その時、嫁様は21歳(秋だったら22歳?)の女子大生。
今思い返しても、肝の座った良い女です。



「パパの文章は、最後にはノロケか!!」

「そうだよー。最高でしょ、ウチのママ。

そして、そのママを選んだ自分の眼! 素晴らしい。最高のママを選んだ自分、最高!
ひゃっほう!」

「パパ・・・・。」

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November 07, 2014

僕の身体がダメになった社会人1年目頃の話。 その1

忘れ去られたシリーズだけど、過去の思い出話をしようと思う。
今日、書いておきたいなーと思ったのは、僕の身体が大きく変わってしまった頃のこと。

このブログを始める前、社会人1年目頃の話。

僕は大学を卒業し、就職するまで、特になーんも身体に困ったことは無かった。

記憶もないほど小さな頃に腸重積をやってお腹を開いたり、幼稚園の年長の時に真珠腫性中耳炎をやって耳を手術したり、高校生の時に気胸をやって手術したり。

何だかある時にドカンと手術を伴うような大きな病気をやってはいたものの、基本は健康だった。

中学の時はサボリ魔ながらテニス部にいたし。

高校の時には自転車で毎日往復22kmの高校に通っていたし、好きな女の子と一緒に帰りたい一心で時にはソレを44kmにしたりもしていた。

極々一般的で、極々自堕落な一人暮らしの大学生活を謳歌して、僕は実家に帰って病院勤めの社会人になった。

その職場は自宅から片道50km(時間にして1時間半、往復3時間弱)、かなり僻地にある病院で、通勤には車でしか行けない陸の孤島みたいな場所だった。

何で職場の近くで一人暮らしをしなかったかと言うと、僕自身がド田舎暮らしが嫌だったのももちろんある。
でも、もっと大きな理由は、僕は大学時代から付き合っていた一歳年下の彼女(現・嫁様)の卒業を待って結婚なんてコトをする気だったから。

仙台生まれ仙台育ちの彼女をその陸の孤島に連れて行くのは、ちょっと無理だった。

仙台から遊びに来た彼女を連れて、将来自分たちが暮らすかも知れない職場近くの地域を見に行った時のことは今も忘れられない。

基本的には冷静で、好悪を顔に出したり、露骨な事を言わない彼女の顔が、職場が近くなるほどにどんどんと固く暗くなっていき、ひとこと

「ちょっと、無理。」

と言った。
あぁ、コレは無理なヤツね。 と、僕はその瞬間で説得を諦めた。

そんなワケで、僕は「ココなら、まぁ・・・。」と彼女が住めると判断してくれた自宅から、毎日50km離れた病院に通っていた。

話が逸れてしまった。

とにかく、僕は毎日長時間の通勤をして、当直とかもやって、先輩に誘われるままに病院の職員で集まったサッカーなんかにまで参加していた。


社会人になった頃、要は、健康だった。


確か、社会人1年生の秋頃だったと思う。
そこそこ環境にも慣れ、先輩とも軽口を叩けるようになっていた頃。

なんとなーく、薄ら、もやっとした胸の痛みとも言えないような違和感を感じた。
そんなモヤっと違和感が数日続き、高校生の時に気胸をやっていた僕は、また気胸にでもなったかと気になってきた。

病院の事務員ってヤツは、そりゃあ一般人と比べれば医療の知識はある。
だから、先輩に何気なくその事を話した。

当時、ウチの職場は職員の医療費無料と言う、破格の福利厚生があったので、先輩は何の気なしに

「外来かかってくれば?」

そう言った。


多分、言った本人は忘れてるかも知れない、この一言で人生変わった。

変わったというか、残った?

いや、拾った。かな?


さて、長すぎるので前後編にします。

→「僕の身体がダメになった社会人1年目頃の話。 その2」へ続く。


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September 24, 2014

どーこぉかぁ遠くへ、いーきたーいな。

大動脈解離発症以来、僕の行動範囲には制限があります。

どれくらいかと言うと、大体、半径50km圏内かな?

仕事とかでどこかに行く必要がある時には医師の確認をとってから。
一度行ったディズニーシーは、気候の良い時期を待って、実家の両親同伴の上、前泊し、更に場内は車椅子でした。


旅行なんか無理して行かなないなら行かないで、生きている方が大事。

まぁ、そうなんですけど。

でも、案外としんどいのね。コレ。


以前なら半年に一度は大学時代の友人たちと旅行に行っていたし。
夏と年末年始には仙台の嫁様実家に帰っていたし。

なんだかんだで遠出をしていた。

それが無い生活ってのが、じみーーーに首を絞めてくるんですよ。


無駄に高速に乗って、どっかのサービスエリアでコーヒー飲んで帰ってくるだけでも良い。
意味もなく海ほたるで360度パノラマをやるだけでも良い。

どっか行きたい。

現代人には旅行禁止が意外なストレスになるのだと、この身体になって知りました。





こっからは言い訳。

最近の暴走する物欲は、ストレス発散の代償行為のような気がする。

旅行にいけない、食事は制限、身体を動かすにも気を使う。
酒も飲めないし、カラオケで熱唱も躊躇われる。

あまり考えないようにしてるけど、結構ストレス溜まってんのかな。



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January 28, 2014

世界遺産が好きな、最近の自分

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最近、「世界遺産」が面白い。
皆さん御存知かとは思いますが、深津絵里さんのナレーションで世界遺産を紹介していくTBSで放送中の紀行番組です。

断崖絶壁や瀑布、果てしなく広がる干潟、光るアリ塚。
信じられないような自然遺産の光景。

アジアの喧騒、アフリカの自然、ヨーロッパの文明。
ちょっと感覚のズレた面白い文化遺産。

30分で地球を巡るTV旅行。

前はあまり見る番組じゃなかったのに、最近は深夜の再放送と通常のオンエアの週2回の放送をHDに溜まらない程度には見てしまう。
今か今かと毎週楽しみにしているって感じでもないのですが、予約録画にしておいて時々眺めるには凄く丁度いいのです。

この指向に家族も巻き添えをくって
娘っちが番組冒頭で「そにー、ぷれぜんつ。」というタイミングは既にバッチリ。




と、まぁ、何でこんな話をするかと言えば。

最近、一年経ったなーと、しみじみ思うワケすよ。
変わったコト、変わらないコト、色々あったなーと。
中には変わると思ったら変わらなかったコト、なーんてのもあるワケですが。

で、この「世界遺産」は、変わったもののひとつ。
この嗜好の変化は、やっぱり身体に制限かかったのがデカイかと。

「行く気になれば、基本どこでも行ける。」と思っている時と
「行きたいけど、ココはもう無理だな。」と思っている時はやはり違うということでしょうか。
やっぱり身体の問題とは切り離せないんですかねぇ。


いやいや、そんな合ってるのかどうかもワカラン自己分析よりは、単純に嗜好の高齢化が進んでいるってダケの話かも知れません。

でも、番組を見て「こんなトコ、もう行けないな。」という思いがチラリと頭をかすめるのも事実。
むー。
後ろ向きなんだか、前向きなんだか。


そんな最近の自分を真面目に分析するなら、凪。かな。
無風。
心は穏やかだけど、どこにも進んでいない。
そんな感じ。

一年前には沈没寸前だったのだから、応急処置で沈まずに浮かんでいられる幸せを噛み締めておけってトコです。


最近はディアブロばっかやってから凪なんだって話?


世界遺産とは言わないけど、せめて国内の温泉旅行くらいは気兼ねせずに行けるようにならないかなぁ。とは思いますけどねー。



「去年、あと10年宣言してたってコトは、あと9年ですなー。」

「君との付き合いが、あと9年なのかもよ。虚無君。」



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March 05, 2013

急性大動脈解離・闘病記 その7 退院

この長かった闘病記も、これにて一旦区切りがつきます。

「急性大動脈解離・闘病記」の続きです。

とは言っても
2013.2.1 〜2013.2.14
この期間、病状と治療に関して言えば、正直、何もありません。
ただ、本人と家族が病状を知った。と、言うだけです。

やっているコトは、それまでと同じように安静にしつつ徐々に安静度を上げていき、10分程度の歩行と入浴が出来るようにしただけ。

実際、退院とは言っても、身体が治ったには程遠い。
病院で上げるコトが出来る安静度がソコまでで、出来る治療が無いから退院と言うだけの話。
そこからは長い家庭生活の中で、何か月や何年といった長いスパンで徐々に安静度と言うか、行動範囲を上げていく作業になるワケです。

だから
「予定日まで何も無ければ。」
と、宣言された退院予定は、そのまま決定に変わりました。

まぁ、悪く言ってしまえば、無期懲役囚の仮出所。
いつまでも治らない病を抱えるってのは、いつまでも入院の延長に居るのと同じだとつくづく思います。

それでも、やっぱり家は良い。
不安定だった気持ちが、少しずつ、でも、着実に安定してくるのを感じています。


これにて「急性大動脈解離・闘病記」は一旦終了となります。
拙い文章を長々と読んで頂いた方、それだけで嬉しいです。ありがとうございます。

記録としてちゃんと残せて満足しています。
自己満足で良いんです。ブログなんだから。

今後はまた以前のようなアホ記事を混ぜながら、「ソレはソレ。コレはコレ。」としゃあしゃあと書いていけたらと思います。
今後とも御愛顧下さい。




以下は、後日談。
退院後20日近くが過ぎて、精神面だけでなく、体力・体調面も随分と落ち着いてきました。

日々の暮らしの中で、荷物を運ぶ時、家具を組み立てる時、何をするにしても嫁様や両親の力に頼りっぱなしで情けないと思いながら
娘と遊ぶ時には、娘にも「パパは病気だから。」と気を使わせながら
掃除や流しの片づけなど、今の僕が出来るコトで体力を着けながら
何とか、家の中の暮らしは出来るようになりつつあります。

でも、もう、自分ひとりで生きられる身体ではないので、今は他の人への甘え方を勉強中といった所でしょうか。


病状としては、外来受診上は変化なし。
ただ、本当に何にも無いワケでもなし。

手術や大きな怪我をした事がある人なら分かると思いますが、傷の痛みと言うのは時間の経過によって感じなくなっていきます。
でも、何かのキッカケで疼いたり、痛んだりする。
僕の血管も同じです。
ふとした時に、痛んでみせたり、疼いてみせて、自己主張する。

しかも元々、側弯症だったり、腰痛持ちだったりして、背部・腰など体幹には何かと痛みや違和感がある。

その度に、ビクビクしたり、気持ちを落としてみたり。
結局は何でもなくて立ち直ったり。
そんなコトを繰り返しながら暮らしてます。



もう、平均寿命まで生きようとか、そんな大望はないです。

平均寿命、男性は約80歳ですから。
そんな長持ちする身体じゃないです。

でも、まだまだ死にたくないです。
全っ然。サラサラないです。
本気で絶望してた頃に考えてた「遺言」とか、もう最近は考えてもいないです。

騙しダマシでも良い。
のらりくらりでも良い。
何でも良い。

とりあえず、10年。
10年、何とかしてみようか。

34歳であと10年を望んでも罰は当たらんだろ。

10年あれば、家のローンも結構返してるハズ。
娘も中学生だし、ちゃんと記憶にも残れるハズ。
10年あれば、後悔を今よりは減らせるハズ。

その次は、その次考えようか。

とりあえず10年、死ぬ気で生きる。

これが当面の目標。


最終目標は、「パパの病気は、私が治してあげるの。」と言ってる娘が本当に治してくれるコトかな?




「長かったですね。」

「そうですね。コレで他の書きたかったネタが書けます。」

「ビブリア古書堂とかも読んでますもんね。レビュー書きたいんでしょ?」

「頭と指先は元気で身体はダメって、何とも誤解を生むブログになりそうですなぁ。」



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March 02, 2013

急性大動脈解離・闘病記 その5 一般病棟へ、そして胃腸炎

モチベーションと記憶のある内にサクサクいきます。
「急性大動脈解離・闘病記」の続きです。

2013.1.10
2週間のCCU生活を経て安静度を上げてきた僕は、遂に一般病棟へと移りました。
しかも、念願の個室。
これで、深夜にも関わらず自分の欲求を叫び続ける人や、救命活動で医師や看護師らが指示を飛ばし合う緊迫するシーン、ソレに伴う切ない家族の泣き声など、精神と安静に悪い環境から離れるコトが出来ました。

でも、一般病棟で解放感を味わったのも束の間。
あっと言う間に別件にで苦しめられるコトになったんです。

それは、胃腸炎。

え?
胃腸炎?

なになに? ここまで死ぬの生きるのと盛り上げちゃったから、ここに来て何も無いってのが恥ずかしくなった?
そんな、無理に盛らなくても大丈夫ですよ。

いえいえ、本当に苦しんだんです。胃腸炎。

突然に襲ってきた腹痛は、半端じゃなかった。
体感的には、解離初日の運転中より痛い位。
後日見てみたら、その時、痛みに耐える為に僕が抱え込むようにしていたテーブルに、しっかりと爪痕が残っていました。
痛みが始まった時は、もしや消化管がどうかしたかと、本気で緊張が走ったほど。

以下、汚い話で申し訳なし。
散々に騒いだ結果、胃腸炎に落ち着いたワケですが、今度は水様便が止まらない。
胃腸炎の治療法は、悪いモノを出し切ってしまうしか無いので、とにかく出すしかない。
で、例のベッド上で用を済ませる差し込み便器に座り続けること2晩。
しかも、胃腸炎で食事が摂れないので、いったん抜けた点滴を再挿入されたり、一般病棟は散々な出だし。

胃腸炎はこの入院にとって完全な回り道。
治療も後退、もしくは足踏みしたこの時期は、ツライばかりで良いコトの無い時期でした。

でも、その後の経過は順調に推移し、点滴も抜け、食事も摂れるようになり、安静度も順次上がって病棟内歩行フリーになって、やっと人間らしくなったのが一週間後位(2013.1.17頃?)でした。

そこからの10日間ほどは、肉体的な意味では平穏無事な毎日。
特にコレといって治療が進んだ実感が持てないまま、白い壁と白い天井、そして緑のカーテンに囲まれ、完全に単調な毎日を消化するダケ。
時々、深夜にどうしようもない恐怖心が襲い掛かってくる以外は、あまりにも単調に繰り返す毎日。

この頃は「閉鎖環境訓練かっ!」などとのたまって、面会を求めたりしてました。

それまで生きるの死ぬのと騒いでいたハズが、急に訪れた平穏。
ソレが、「あれ?このままの感じでいけるんじゃないか?」と言う幻想を生んでました。
今思えば、解離発症後で一番楽観的だった時期かも知れません。
でも、変に楽観的だったからこそ、本当の現実を直視している冷静な自分が夜中に告げる事実に怯えていたのでしょう。

いや、妙にハイな時と落ちた時の落差から考えて、軽く躁鬱だったのかも。

向精神薬や睡眠薬を使ってたワケだし、医師・看護師はそうだとは決して言わなかったけど、今思えばそうだったんだろうな。

そして。そんな平穏の中、そのまま前の生活に戻れるんじゃないかと夢を見ていた僕を、奈落へと突き落す日がやってきます。

運命の日。2013.2.1 木曜日。

この日は、いや、あの診察時間は、忘れようと思っても忘れられません。


その当時の心境は、書いた記事が何より伝えてると思います。
2013.2.1 「現実を知った。」
2013.2.3 「絶望にも慣れる。幸せにもなれる。」

あぁ、まだこの二つの記事を読むと、涙腺がヤバイ。
一応、次回は木曜日の診察の内容から。かな?


「急性大動脈解離・闘病記 その6 病状説明」へ





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February 24, 2013

急性大動脈解離・闘病記 その2 初日CCU〜2日目朝

さて、「急性大動脈解離・闘病記」の続きです。
毎回、長文。しかも、イタイやツライなどばかりの煉獄時代を含みますので、嫌な部分は読み飛ばして下さい。

2012.12.27
大動脈解離発症初日。
病名告知「解離、起きてるよ。」からは、基本的に医療者側のやらなければならないコトを問答無用で患者に処置していく行程が続きます。
もう、患者側に良いも悪いもない。やらなければならないコトを最短でやっていく。

発症当初、治療方針が決定する前に解離に対して可能な対処方法。

それは「絶対安静とモニタリング」です。

患者は、血管の裂け目が開かないように動かないで、裂け目の安定を待つ。
医療者側は、その解離の固定化までの間、致命的な部位へ解離が動かないかをモニタリングし続ける。

その為にすること。
超強力痛み止めの持続注入。
ベッド上で排泄を可能にする。
食事不能なので、点滴による栄養剤やその他薬剤の注入。
モニタリングの為に様々なモニターを付ける。

要するに僕は、尿管にカテを入れられ、点滴やら心電図やら様々なケーブルに繋がれ、寝返りひとつも許可制となりました。

この状態にする為に行われた処置の過程で、僕は健康な時に持っている「羞恥心」や「自尊心」を投げ捨て、捨てられ、必死で命を拾うコトだけを考える「入院患者」へとジョブチェンジしたワケです。

この「絶対安静」でツラかったコトを一気に列挙します。
・痛み止めが効いてるとは言え、背中から腰にかけてが痛むのに動けない。
・一応、意識有の状態で、同世代看護婦さんに陰部をつままれて尿管カテを挿入される。
・超強力鎮痛剤の副作用で吐き気が常にある。何かを飲めば飲んだだけ吐く為、飲水禁止となる。
・飲水禁止となり、許されているのは水を口に含むのみ。
・空気が乾燥してて、咳痰が異常に出る上、寝たまま動かずに痰を吐かなければならない。

痛み、猛烈な吐き気、痛みに響く咳、喉に詰まる痰、そして、ソレらへの反射で強制的に体が動いてしまうのに、「動かないで。」と言われるのが常にベースとしてキツイ。
そして、吐いたり咳きこんだりして猛烈に喉が渇くのに、「飲水禁止」であるコトが、更にキツイ。
そんなでした。

ちなみに、下記の2つは特記すべき、別件のキツかったコト。

右手首の動脈から直接に血管状況をモニタリングする「Aライン」ってヤツの挿入とか、痛かったな。
「人生の経験上で・・・。」と言えるくらい信じられない位に痛い注射を手首から入れるんですが、血管の形状のせいか5〜7回位は上手く入らずに刺し直したりとか?
そのくせ、ちょっとしたベッドの移動でラインがズレた結果、せっかくのラインがダメになる。
しかも、結局「刺し直さなくて良い。」コトになった時は、「だったら最初っから刺さないでくれよ。」と流石に思ったな。

そして、カーテン挟んで隣のベッドが家庭内不和を抱えたアジア系男性外国人(おそらく心不全?でそちらも安静のハズ)。
酒を飲んで面会に現れた妻との激しいケンカや、親族の仲裁、そして、自己判断で帰ると言い出して看護師たちに取り押さえられたりとすったもんだなど。
メンタルがヤラれ、ただでさえ耐え難い状況なのに、安静環境でなかったコトも厳しかったなぁ。

あとオマケ。
あまりにも喉が渇いて研修医に「水分を摂って良いか?」と聞いたら、「良い。」と言われ、喜々として水分を摂ってゲロゲロに吐き、「飲水禁止」になった過程。
コレに関しては、今でも「その「良い。」の判断は何だったんだよ。」とツッコミを入れたい。


さて、展開が派手だった救急外来の急転直下に対し、CCU(集中治療室)に上がってからは、とにかく地味(?)に耐えるのみの初日。

救いはやはり家族に会えたコト。
誰と何を話したか、とか、曖昧ですが、それぞれの顔を見ただけで泣けたコトだけはハッキリ覚えています。

そして、夜。
面会時間ギリギリまで家族は居てくれたものの、一晩中と言うワケにもいかない。
安眠など出来るワケもなく、ちょっとウトウトと眠れそうか・・・と思うと、看護師が現れて定時の血圧測定(両手足・両手首の4か所)をしていく。、
キツイを耐え続け、眠れない夜。アレは長かった。
しかも、全く寝られない長い夜はCCUを出るまで続きました。
ツラかったな、CCU。


2012.12.28
発症から明けて翌日、ある意味でこの闘病記のクライマックスになります。
なぜなら、大きな治療方針の決定があったからです。

大動脈解離と言う病気に対して、可能な治療の選択肢は2つ。

「手術をするか、しないか。」です。

不幸中の幸いで、CTの結果も、正常な会話をしているところからも、今回の解離は(27日現在では)脳血管にダメージのある形ではなかった。
なので、脳死や緊急手術は回避した。(もし脳側へも裂けていた場合、おそらく、今ここに居ません。)

だが、裂けているのは大動脈。
枝のように細かい血管が繋がり、その一つひとつが大事な臓器へと血液を運んでいる。
脳と言う、最悪の場所を避けれたからソレでOKとは問屋が卸さない。
どこか大事な臓器への血管が裂けても、裂けて血管内に残る膜がどこかの枝の入り口を塞いでも、それもアウト。

そして、今回、僕の解離は、右の腎臓及び消化器官へ血を送る血管側と裂け目を伸ばしていたのです。

このまま安定を待つか、手術が必要な状態なのか。
27日の検査結果は「手術必要?」のギリギリのトコ。
担当内科医にも現時点では判断のつかない、微妙なボーダー上に僕は居ました。

「手術しちゃえば良いじゃん。」

ね。そんな風に思いますよね。

でも、大動脈は、大動脈です。
背骨に沿って伸びる、血流の中心。木で言うなら幹。
さらにその幹の手前には骨、皮、五臓六腑があるワケです。
その幹から生えている枝ひとつ殺さず、幹を人工物に交換しようって話ですからね。

しかも、血の止まらない抗凝固剤を飲んでる患者を、ほぼ緊急のような状況で。

今まで自分が自分の身体について調べ、知っている知識。
大動脈解離と言う病気のヤバさ。
医療事務という仕事柄や、前回の手術の時の難易度、そして、ソレから推定する今回の手術の難易度は

成功率? さぁ?
死亡率? 言っちゃいけない位じゃない?

そんなトコでしょうか。

ま、簡単に「手術しちゃえば良いじゃん。」とは・・・、ね。

「手術が必要かも。」と朝イチで担当医師に伝えられた時、僕の中の全ての知識が「遂に来た。」と警報を鳴らしていました。
「大動脈解離を起こしたら、死ぬかもしれない。」 確実にその方向へと足元が傾いていく。そう感じました。

手術になったら、死ぬかも。

本気で、そう思う2日目が始まりました。


「急性大動脈解離・闘病記 その3 2日目・手術の判断」へ



「随分と大げさに言ってませんか?」

「表現は抑えている方だと思います。」


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