我が教え子

September 10, 2009

我が教え子、ヒトラー

我が教え子、ヒトラー


1944年12月25日。
連合軍の猛攻を受け、廃墟となったベルリン。

瓦礫のベルリンにセットを組んででも、今なおドイツ帝国は健在と国威を示さなくてはならない。
ナチスの命運をかけた新年パレードまであと5日。

戦況の不利を覆すべく、ヒトラーの新年の演説に国威の復活の望みをかける情報相ゲッペルスは1つのアイディアを実行に移した。

ヒトラーは今、心身ともに弱り、国民の心を惹き付けるカリスマからほど遠い。
過去、ナチスが、ドイツ帝国が、炎の様に燃え上がった1939年。
あの当時のヒトラーが必要なのだ。

ゲッペルスは当時ヒトラーの演説指導をしたユダヤ人俳優グリュンバウムを収容所から呼び戻し、ヒトラーへの個人指導を依頼する。

グリュンバウムとヒトラー。2人だけの個人レッスンが始まる。


非常にシュールで上質なコメディ。

ユダヤ人の監督に手によって作られた、事実を下敷きに作られた作品。

会話の途中でも杓子定規に「ハイル・ヒトラー」を叫ぶ軍人達。
戦場で腕の動かなくなった右腕に敬礼強制ギプスをはめる政府高官。
黄土色のジャージを着るて、ボクシングの真似事でユダヤ人にノックアウトされるヒトラー。
瓦礫の山にセットを組んだパレードに熱狂する国民。

その姿は、どれも笑いを誘うと共に、哀しい。

グリュンバウムとヒトラー。
不思議な関係の2人が、危ういバランスの上で言葉を交わしていく。
心の片隅に「ヒトラー暗殺」の想いを秘めるグリュンバウム。
だが、愛に餓え、周囲を信用できなかったヒトラーがグリュンバウム教授にだけ心を開いていく。

敗戦濃厚、瓦礫の山になったベルリン。
その廃墟の中で、自分は裸の王様であることを知るヒトラー。それでも、裸の王様であり続けるしか道は無い。
愛に餓え、その裏返しから虐殺への道を歩き続けた彼と、その狂気に翻弄されたドイツとユダヤ。

コメディなのに、その絶妙な距離感が「こんな辺りが真実なのかもね。」と感じてしまう。

敗戦直前のヒトラーの狂気を描いた作品は他にもあるが、この作品は秀逸。



以下は映画自体の評価とは少し離れます。

どこか悲しく、おかしく、愛らしくさえ見えるヒトラー像。
ユダヤ人監督の手によってこの作品が生み出された事に価値を見出したい。

戦後60年を越え、猛烈な憎しみは和らぎを見せ、憐憫であっても相手への理解と許容が生まれてきたからこそ、この作品は生まれた。
監督1人の心の変化ではなく、多くの人の心にこの作品を許せる土壌が無ければ、映画作品としては成立しない。

僕は「チベット問題」を語った時の自分の答えに証明を貰ったようで嬉しかったです。

解決するのは「時間」。その答えの1つがここにある。

人間は、血を流さないで理解を進めれば、どんな過去だって乗り越えていけるんだ。


最終評価 A−


know_the_base at 08:00|PermalinkComments(2)TrackBack(0)