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 テレビで織田信長の特集をやっていました。波瀾万丈の一生に加え、本能寺の変に関しては未だに謎も多いために歴史の上でもとりわけ魅力的な人物ですね。

 この番組を見ていて、信長は安土城を建設後、当代随一の画家であった狩野 永徳に命じてこの城の絵を描かせた、という件がありました。

 この絵は「安土城之図」と呼ばれ、1581年、織田信長は安土を訪れた宣教師ヴァリニャーノに安土城之図屏風を贈った、とされています。この屏風は安土城下や京で展示され、後に天正遣欧使節の手によって渡欧し、バチカンにてローマ教皇に献納されました。教皇は住居と執務室を結ぶ廊下に屏風絵を飾ったといわれますが、教皇の死後に屏風は行方不明となっっています。

 1984年には滋賀県が、2005年には安土町が、それぞれバチカンを調査しましたが、いずれも発見には至っていません。

 「さてこの絵が完成したのは信長46歳の時、そしてその翌年(つまり信長47歳の時に)に信長に悲劇(本能寺の変)が訪れるのです」

 これを聞いて「あっれ?」と思いました。信長の好きだった、幸若舞『敦盛』の一節「人間五十年 下天のうちをくらぶれば 夢幻の如くなり ひとたび生を享け 滅せぬもののあるべきか」という部分は、テレビ等でもおなじみで、私は「人生五十年と信長はよく詠ったようだがその手前49歳で亡くなったのだ」とずっと思っていたからです。

 調べてみると誕生が1534年6月23日 没したのは1582年6月21日 とありますから、亡くなったのは確かに47歳です。48歳の誕生日を迎える前に亡くなったわけです。ところが信長の記事を読んでいると「享年49」とあります。享年とは亡くなった歳ではないのか?どちらが本当なんだろう?

 そこで「享年」を調べてみると 「享年は現世に存在した年数であって、死亡時の年齢ではない」
 1953年から1582年は49の年を数えます。成る程、私はこの享年49を子供の頃に読んで覚えていて、ずっと間違えていたわけです。まぎらわしい数え方ですね。
 
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