ザ・コミュニストα

連載論文&時評ブログ

ブログという手段を通じて新たな知の地平を開拓せんとする社会思想家・ブロガーです。

持続可能的計画経済論(連載第19回)

第4章 計画経済と企業形態


(5)企業の内部構造〈3〉

 前回まで見た企業形態は、いずれも一般的な生産活動に当たる生産組織の例であったが、今回はそれ以外の分野における特殊な企業形態について概観する。
 まず計画経済の適用があり、生産計画Bに基づいて運営される農漁業分野のような第一次産業分野は社会的所有型の生産事業機構(農業生産機構や水産機構)によって担われる。ただ、その内部構造は通常の生産事業機構とは異なる。
 第一次産業は地方性が強いため、地方ごとの分権的な分社構造を採ることが合理的である。どのレベルでの分社構造かは政策的な判断に委ねられるが、集約性を高めるには相当広域的な分社構造とされるだろう。その点で、細胞化された地域協同組合の連合組織として運営されてきた日本の農協・漁協とは根本的に異なる。他方で、ソ連の国営農場ソフホーズのような中央集権構造とも異質である。
 これら各生産事業機構の地方分社はそれぞれが生産事業機構としての構造を備えるが、中央本社にも各分社から選出された委員で構成する経営委員会と労働者代表委員会が置かれる。
 他方、地方ごとの消費計画に基づく消費事業を担うのは、消費事業組合である。これは自主管理型の生産協同組合とは異なり、各地方ごとの住民全員を自動加入組合員とする一種の生活協同組合組織である。
 そのため、その運営は組合員の代表者で構成する組合員総代会をベースに、経営に当たる理事会と組合従業員の代表から成る労働者代表役会が共同決定する二元的な内部構造となる。
 以上とは異なり、福祉・医療・教育などの公益事業に関わる公益事業組織のあり方も問題となる。こうした公益事業組織は、資本主義の下では非営利事業体として特殊な法人格が与えられていることが多いが、共産主義経済ではそもそも営利事業が消失することから、営利と非営利の区別は明瞭には存在しなくなる。
 そこで、こうした公益事業組織も自主管理型の生産協同組合でよいとも考えられるが、単純な生産活動とは異なるため、特別な公益事業組合/法人の組織とし、特に公益確保のため、日常運営に当たる理事会のほかに、外部の識者や市民から成る監督・助言機関として、監事会を常置するべきであろう。 

持続可能的計画経済論(連載第18回)

第4章 計画経済と企業形態


(4)企業の内部構造〈2〉

 経営と労働が分離する社会的所有型の生産事業機構に対して、自主管理型の生産協同組合は、労働者自身が経営にも当たる構造となる。そのため、生産協同組合では全組合員で構成する組合員総会が最高経営機関となる。
 こうした自主管理が可能な企業規模はどのくらいかということが一つの問題となるが、最大で組合員数1000人未満が限度と考えられる。あるいはより限定的に500人といった水準まで下げることも考えられるが、これは政策的な判断に委ねられる。
 組合員数500人を超える場合、全員参加による総会を常に開催することが現実的でないとすれば、生産事業機構の労働者代表委員会に準じた組合員代表役会を設置することが認められてよいだろう。また500人未満の場合でも、委任状による代理参加が認められてよい。
 いずれにせよ、生産協同組合では組合員が総会を通じて直接に経営に当たるが、零細企業よりは大きな規模を持つ以上、経営責任機関としての理事会は必要である。理事は組合員総会で選出され、総会の監督を受ける。監査制度については、生産協同組合でも業務監査と環境監査が区別され、それぞれに対応して業務監査役と環境監査役が常置されなければならない。
 以上に対して、組合員数が1000人を超える大企業となると、もはや生産協同組合の形式では律し切れないため、社会的所有企業に準じた生産企業法人を認める必要があろう。従って、生産協同組合が組合員の増加により、生産企業法人に転換されることもあり得ることになる。
 この大企業形態は、生産事業機構に準じて経営と労働が分離され、経営役会と労働者代表役会が常置される。その余の内部構造も生産事業機構に準じたものとする。
 他方で、組合員20人以下のような零細企業に対しては、生産協同組合の形式では融通が利かない恐れがあるので、こうした場合はより自由な協同関係を構築できるように、協同労働団(グループ)のような制度がふさわしいだろう。
 この場合、監査役を最低一人は置くこと以外(業務監査役と環境監査役を区別する必要はない)、企業の内部構成については任意とし、経営はメンバー全員の合議によるか、数人の幹事の合議によるか選択できるようにする。

持続可能的計画経済論(連載第17回)

第4章 計画経済と企業形態


(3)企業の内部構造〈1〉

 前回まで、共産主義的な企業形態として、大きく社会的所有型公企業としての生産事業機構と自主管理型私企業としての生産協同組合の種別を見た。ここからは、これら諸企業の内部構造に立ち入って考察する。
 まず計画経済の主体ともなる社会的所有型の生産事業機構は企業規模に関しては最大であり、それは資本主義経済における一つの「業界」の大手企業すべてを統合するに匹敵するような規模を擁する。 
 こうした大規模企業体を運営していくうえでは、労働者が自ら経営に当たる自主管理型の経営と労働の合一は現実的に無理であるので、株式会社と同様、経営と労働は分離せざるを得ない。
 そこで、経営責任機関として株式会社の取締役会に相当する経営委員会が置かれるが、企業規模が大きいことに加え、民主的な企業統治を保証するためにも、最高経営責任者のような独任制の経営トップは置かず、経営委員長を中心とした合議制型とする。
 ここで経営と労働の分離といっても、資本主義的な労使の指揮命令関係ではなく、経営と労働の共同決定制を確立する必要がある。こうした共同決定制は進歩的な資本主義諸国ではかねて株式会社形態でも導入されてきたが、労使の上下関係からこうした共同決定は事実上形骸化しているのが実情である。
 これに対し、共産主義的な公企業では、共同決定制を実質的なものとするため、労働者の代表から成る労働者代表委員会を常設し、特に労働条件や福利厚生に関わる分野では、経営委員会と労働者代表委員会の共同決議を議案の有効成立要件とする。その他の議案についても、経営委員会は労働者代表委員会に事前開示し、労働条件に関わる限り共同決定事項とするよう要求する機会が保障されなければならない。
 ところで、およそ共産主義的企業には株式会社の総監督機関である株主総会に相当するようなオーナー機関は存在しない。しかし、社会的所有型の生産事業機構の場合、究極のオーナーは民衆であるから、民衆代表機関が究極のオーナー機関となるが、これは多分に政治的・象徴的な意義にとどまり、実際上は職員総会が総監督機関となる。従って、上記経営委員会及び労働者代表委員会の委員はいずれも職員総会で選出され、両機関の活動は職員総会で監督される。
 ただし、職員総会といっても、生産事業機構は大規模であるため、全員参加型の総会開催は技術的に無理があり、総会代議員による代議制的な制度となるだろう。その代議員の選出法は抽選または選挙によるが、それぞれの企業ごとに選択できるようにする。
 さて、最後に株式会社の監査役会に相当する監査機関として、業務監査委員会が置かれるが、これは主として法令順守の観点からの監査機関である。
 加えて、持続可能的計画経済下では企業活動に対する環境的持続可能性の観点からの内部監査制度の確立も求められるから、業務監査委員会とは別に、環境監査委員会が常置される。両監査委員会の委員も、職員総会で選出される。

標準世界語エスペランテート(連載第1回)

序文

 
 筆者はつとに世界語としてのエスペラント語について検証する連載を公表し、その後、エスペラント語のいくつかの問題点を修正し、より簡略化された公用エスペラント語の概要を別ブログにて示した。これらの論述を今ここで完全に撤回するつもりはない。
 しかし、最終的に到達した簡略化されたエスペラント語は本来のエスペラント語とは相当に異なるものとなったため、エスペラント語の名称をそのまま使用することへの疑念が生じかねない。そこで、ここに改めて「エスペランテート」なる新たな世界語の創出を宣言することにした。
 エスペランテート=Esperantetoとは、エスペラントに小さなものを意味する接尾辞-etoを付した造語であり、直訳すれば「小エスペラント語」となるが、ここでは簡略化されたエスペラント語という含意を持たせる。
 その場合、本来のエスペラントとエスペランテートは別言語なのか、それとも後者は前者の転訛言語なのかが一つの問題となるが、両者は文字体系や重要な文法にもかなりの相違が生じるため、同語族の別言語とみなすことにした。
 その点、後に本論で検証するように、エスペラント語には16か条にわたる変更不能な文法鉄則が存在しているところ、エスペランテートはこの16か条にも変更を加えていることから、本来のエスペラントとは区別したほうが妥当と考えられる。
 そのうえで、エスペランテートを世界中で共通の公用語として普及させるべく、いささか僭越ながら「標準世界語」と冠することとした。すなわち、連載タイトルの「標準世界語エスペランテート」である。本連載は、この新言語について、母体となったエスペラントと対比しながら概説していく。



※新連載の上述趣旨を補足するため、参考までに旧連載『検証:エスペラント語』の序文を以下に再掲しておく。

 
 エスペラント語は人工的に計画された世界語としては最も定着している言語である。ここにエスペラント(Esperanto)とは、エスペラント語で「希望するひと」を意味する。何を希望するのか。簡単にまとめれば、全世界の人々が中立的な共通言語でコミュニケートすることで友好を深め、世界平和を達成するという希望である。それがエスペラント語創始者ザメンホフ及びエスペランティストの願いでもある。
 そうした希望の言語エスペラント語は他の同種言語に比べればたしかに広く普及しているが、限界にも直面している。エスペラント語話者は全世界に数十万人から多くて百万人程度と推定されているが、その数は地球の人口70億人の中では決して多いとは言えない。エスペラント語の言わば総本山に当たる世界エスペラント協会(Universala Esperanto-Asocio:UEA)は国際連合の協力団体に登録されているものの、エスペラント語は国連公用語には指定されていない。 
 ちなみに筆者のエスぺラント語との出会いは中学校の英語教科書であった。当時使用されていた教科書にエスペラント語の英語による紹介記事が載っていたのである。一世代前の英語教科書にはまだエスペラント語を紹介するだけの度量があったわけだが、今や英語中心主義真っ盛りの中で、エスペラント語はすっかり英語に圧倒されている。現在のエスペラント語は、エスペランティストの間でだけ通用するサークル言語と化していると言って過言でない。日本でも自身エスペランティストでもあった宮沢賢治以降、エスペラント語に関心を寄せる文学者は筆者の知る限り出ていない。
 エスペラント語はなぜ普及の限界に直面しているのであろうか。その要因を「英語帝国主義」に帰せしめるのはたやすい。反対に自民族語を固守しようとする「言語ナショナリズム」を含め、そうした外在的な要因がエスペラント語普及の妨げとなっていることは否定できないが、そればかりでなく、エスペラント語自体にも内在する普及障害要因はないのであろうか。本連載はこの問題を検証することを主な目的とする。
 その際、現時点で事実上の世界語の地位にある英語との比較を軸にしながら、他の代表的な民族言語とも対照させつつ、エスペラント語の長短を浮き彫りにしていく。それと同時に、剔出されたエスペラント語の短所を克服し、エスペラント語を世界公用語として普及させるための「公用エスペラント語」という形で、私家版の新しいエスペラント語体系の一端を示してみたい。

持続可能的計画経済論(連載第16回)

第4章 計画経済と企業形態


(2)公企業と私企業

 持続可能的計画経済の対象である環境高負荷産業分野以外の分野は、自由経済に委ねられる。もっとも、自由経済といっても、貨幣経済を前提としないため、貨幣交換経済ではなく、経済計画の規律を受けないという意味での「自由」である。
 こうした計画経済の対象外となる自由経済分野の生産活動は、私企業によって担われる。この点で、その純粋形態においては私企業の存在を容認しないソ連式の社会主義体制とは異なることが留意されなければならない。
 私企業であるということは、設立が自由であること、その活動が経済計画に拘束されず、関係法令を順守する限り自由であることを意味する。ただ、私企業といっても、もちろん株式会社ではなく、共産主義社会に特有の私企業である。
 共産主義社会特有とは、第一に株式会社のように利益配当を目的とする営利企業ではなく、非営利企業であることを意味する。第二に、株式会社のように経営と労働が分離され、経営者が労働者を指揮命令して生産活動に従事させるのではなく、生産活動に従事する労働者自身が自主的に経営に当たる労働と経営が一致した自主管理企業である。
 このような企業形態は会社というよりも組合であり、こうした共産主義的私企業の法律的な名称を「生産協同組合」としておく。名称の点ではマルクスが想定していた生産協同組合と重なるが、マルクスの生産協同組合が計画経済の運営主体と位置づけられていたのに対し、ここでの生産協同組合は計画経済の外で活動する自由な私企業である点において相違する。 
 こうして共産主義的生産様式の下での生産活動の基軸は、公企業として計画経済の主体となる生産事業機構―設立は認可制―と、自由経済分野を担う私企業としての生産協同組合―設立は登記制―の二本立てとなる。企業規模で言えば、前者は大企業、後者は中小企業である。
 ただし、私企業でありながら、その規模が大きいために自主管理を文字どおりに実行することが困難であり、社会的所有企業に準じた内部構造を持つ中間的な企業形態や、反対に組合よりも小さな零細企業に特化した協同労働形態も存在し得る。こうした修正型企業形態の法律的な名称と内部構造については後述する。

奴隷の世界歴史(目次&リンク)

本連載は終了致しました。下記総目次(リンク)より、全記事をご覧いただけます。なお、今後、新記事を追加する場合があります。

序言 ページ1

第一章 奴隷禁止原則と現代型奴隷

奴隷禁止諸条約の建前 ページ2
残存奴隷慣習と復刻奴隷制 ページ3
性的奴隷慣習の遍在 ページ4
児童奴隷慣習の遍在 ページ5
隷属的外国人労働 ページ6

第二章 奴隷制廃止への長い歴史

奴隷制廃止の萌芽 ページ7
英国の奴隷制廃止運動 ページ8
英国の奴隷制廃止立法 ページ9
人種隔離国家・南アフリカの形成 ページ9a
フランス―革命と奴隷制 ページ10
ハイチ独立―奴隷の革命 ページ11
ラテンアメリカ独立と奴隷制廃止 ページ11a
アメリカの奴隷制廃止運動 ページ12
リベリア―解放奴隷の帰還国家 ページ13
ルーマニアのロマ族奴隷廃止 ページ14
アメリカ内戦と奴隷解放宣言 ページ15
「苦力」労働制への転換 ページ16
イスラーム奴隷制度の「廃止」 ページ17
奴隷制禁止の国際条約化 ページ18
旧奴隷制損害賠償問題 ページ19

第三章 世界奴隷貿易の時代

世界奴隷貿易 ページ20
イスラーム奴隷貿易:前期 ページ21
大西洋奴隷貿易:初期 ページ22
大西洋奴隷貿易:最盛期 ページ23
インド奴隷貿易 ページ23a(準備中)
奴隷供給国家 ページ24
逃亡奴隷共同体 ページ25
北米のブラック・セミノール ページ26
大西洋奴隷貿易の終焉 ページ27
イスラーム奴隷貿易:後期 ページ28
世界奴隷貿易の全体像 ページ29

第四章 中世神学と奴隷制度

イスラーム奴隷制の基底 ページ30
マムルークと女奴隷 ページ31
奴隷制と中世キリスト教会 ページ32
ローマ教皇の奴隷貿易容認勅許 ページ33
スペインにおける奴隷論争 ページ34

第五章 アジア的奴隷制の諸相

中国の奴隷制① ページ35
中国の奴隷制② ページ36
日本の奴隷制 ページ37
朝鮮の奴隷制 ページ38
インドの奴隷制 ページ39
東南アジアの奴隷制 ページ40

第六章 グレコ‐ロマン奴隷制

古代ギリシャの奴隷制 ページ41
古代ギリシャ人の奴隷観 ページ42
古代ローマの奴隷制 ページ43
古代ローマの剣闘士奴隷 ページ44
古代ローマの奴隷大反乱 ページ45
古代ローマの解放奴隷 ページ46

第七章 古代国家と奴隷制

古代「文明」と奴隷制①:メソポタミア ページ47
古代「文明」と奴隷制②:エジプト ページ48
古代「文明と奴隷制③:中国 ページ49
古代「文明」と奴隷制④:インド/ペルシャ ページ50
古代「文明」と奴隷制⑤:古代ユダヤ ページ51

結語 ページ52

持続可能的経済計画論(連載第15回)

第4章 計画経済と企業形態


(1)社会的所有企業

 近現代の主要な生産活動は、労働力と物財を集約した企業を拠点に組織的・継続的に行われる。計画経済にあっても、この点は変わらないが、その企業形態は生産活動の様式(生産様式)に応じて定まってくる。
 資本主義的生産様式の下では、民間から広く投資資金を調達しやすい株式会社形態が代表的な企業形態となる。他方、ソ連式の行政主導型計画経済による社会主義的生産様式の下では、国家が直接投資し、運営する国有企業形態が代表的な企業形態となる。
 これに対して、生産企業が主体的に策定した共同経済計画に基づく共産主義的生産様式では、株式会社でも国営企業でもない公企業が代表的な企業形態となる。
 この点に関して、マルクスは共産主義社会を「合理的な共同計画に従って意識的に行動する、自由かつ平等な生産者たちの諸協同組合からなる一社会」と定義づけている。
 この定義によると、マルクスが構想する共産主義社会の生産活動は生産協同組合という企業形態によって行われるであろう。実際、マルクスの計画経済は、こうした協同組合企業の共同計画に基づくことが想定されていた。
 しかし、この定義と構想はいささか理想主義的に過ぎる感がある。現代の基幹的産業分野では大規模かつ集約的な生産活動が要請されるし、環境的持続可能性を組み込んだ計画経済を実行するためにも、計画経済が適用される環境高負荷産業分野については協同組合よりも大規模な企業体を活用することは不可欠と考えられるからである。
 仮にマルクスの構想を生かしつつ、基幹的産業分野の生産活動に照応する生産企業体を設計するとすれば生産協同組合合同のような形態が想定できるが、このような企業合同は統合的なガバナンスの点で問題を生じる恐れがあり、一つのモデル論にとどまるだろう。
 そこでより現実的な企業形態としての共産主義的公企業は、株式会社のように投資家株主が所有者となるのでも、国有企業のように国家が所有者となるのでもなく、社会的な共有財として社会に帰属するという点で、社会的所有企業と規定することができる。その法律的な名称を、ここでは「生産事業機構」と命名する。
 こうした生産事業機構が生産する分野は、計画経済が適用される環境高負荷分野に限られる。言い換えれば、計画経済の運営主体は公企業である生産事業機構である。

奴隷の世界歴史(連載最終回)

結語

 
 本連載では、奴隷という慣習に焦点を当てて、世界歴史を現在から過去へと遡ってとらえ直すという異例の叙述を試みてきた。結局のところ、奴隷制は少数の例外を除けば「文明」の開幕時にはすでに存在していたという哀しい事実が改めて確認された。
 その場合、「文明」を拓いた古代国家の時代に奴隷制が初めて創始されたか、それ以前の先史時代にすでに創始されていたかはなお検証の余地が残されている。私見は、先史時代に立場の弱い他者を拘束して使役するという言わば始原的奴隷慣習が創始されていて、古代国家はそうした慣習を法律という「文明」の所産に仮託して制度化したとみなしている。
 もっとも、先史時代と言っても純粋な狩猟採集生活の時代には奴隷は必要とされなかっただろう。狩猟採集生活では各人の狩猟採集の技能がすべてだからである。その後、農耕生活に移行しても、原始農耕は比較的平等な共同体成員によって担われ、奴隷労働を必要としなかった。
 おそらくは、生産活動の組織化とともに雑務に従事する被用者を必要とするようになり、とりわけ肉体労働的な部分労働を拘束下の他者を使役して担わせる習慣を生じ、そうした奴隷を安定供給するべく、人間そのものを商品として売買する奴隷取引・交易が活発化したものと考えられる。
 最も初期の奴隷は戦争捕虜ないしは戦争に伴う略奪によって拉致された被征服地の住民であっただろう。奴隷制と戦争は相即不離の関係にある。その後、貨幣経済の発達に伴い、負債を負った債務者が奴隷に落とされる経済奴隷も増大していく。戦争と貨幣経済が奴隷制を支えた―。そう断じても過言でない。

 
  現代においては、戦争捕虜の奴隷化も債務奴隷もほとんど見られない代わりに、第一章各節に見たような種々の形態での現代型奴隷制が依然として残されている。これらの奴隷は、旧来の奴隷とはいささか異なり、表面上は「契約」に基づく労働の形態を取っていることも多く、身体的には拘束下にないこともある。
 序説冒頭で紹介した「人格としての権利と自由をもたず、主人の支配下で強制・無償労働を行い、また商品として売買、譲渡の対象とされる「もの言う道具」としての人間」という文字どおりの奴隷を「形式的意味の奴隷」と名づけるとすれば、現代型奴隷の多くは形式のいかんを問わず、実態として雇い主に隷属している点で「実質的意味の奴隷」と呼ぶべきものである。
 厳密には前者だけを「奴隷」と呼ぶべきかもしれないが、奴隷の定義を狭めると、現代型奴隷の多くは奴隷でなく、単なる労働者ということになって、その禁止と保護をゆるがせにすることを恐れるため、本連載では「実質的意味の奴隷」を含めて、奴隷の定義を広く取ってきたものである。
 もっとも、「実質的意味の奴隷」を拡大解釈していけば、賃金を報酬として受け取りつつ、雇い主の支配下で剰余労働搾取を受ける賃金労働者もある種の奴隷―賃金奴隷―ということになる。
 しかし、正当な賃金労働者には入退職の自由が保障されていることから、本連載では、総体として領主に隷属しながら相対的な生計の自由が保障されていた歴史上の農奴を奴隷に含めないのと同様に、賃金労働者も奴隷には含めなかった―強いて言えば賃奴―。
 いずれにせよ、人類が自己利益を拡大するために他者を「もの言う道具」として利用しようという欲望を断ち切れない限り、奴隷制は何らかの形で残存し続けるだろう。人類は果たして奴隷制と絶縁することができるか否か―。これは、人類の未来がかかった大きな問いである。(了)

奴隷の世界歴史(連載第51回)

第七章 古代国家と奴隷制


古代「文明」と奴隷制⑤:古代ユダヤ

 古代ユダヤ人は、聖書で有名な出エジプトに象徴されるように、古代エジプトによって奴隷化されていた時代もあった。もっとも、出エジプトは同時代の他史料による裏づけができておらず、史実性には慎重な留保が必要であるが、まったくの虚構と断じる根拠もない。
 いずれにせよ、旧約聖書(ヘブライ語聖書)以来、語り継がれていった出エジプト‐脱奴隷化はユダヤ人の歴史的原体験とも言える。ところが、一方で、古代ユダヤ人自身がその社会に奴隷制を有していたことは、旧約聖書(ヘブライ語聖書)に記された奴隷に関する数多くの法的規定からも明白である。
 古代ユダヤ社会の奴隷は家内奴隷が中心的であり、非ユダヤ人奴隷とユダヤ人奴隷とに系統が分かれていた。このうち非ユダヤ人奴隷の多くは戦争捕虜出自であり、ユダヤ人奴隷は貧困者や債務者出自であったという点では、他の古代社会と類似するところが多いが、古代ユダヤ社会では、この両系統の奴隷が異なる法規によって規律されていたことに特徴がある。
 非ユダヤ人奴隷の多くは、ユダヤ人が征服対象とみなしていたカナーン人から徴発されることが多く、奴隷の大半を占めていたと見られる。その待遇はユダヤ人奴隷に比べても劣悪であり、ユダヤ人奴隷は一定年数の経過後、また聖書にいわゆるヨベル(大恩赦)年ごとに解放されたのに対し、非ユダヤ人奴隷は恒久的かつ遺言相続の対象とされた。
 古代ユダヤ社会では元来、他者を完全に人格支配する文字どおりの奴隷化は許されていなかったとされるが、この人格尊重論が適用されたのはユダヤ人奴隷だけであり、非ユダヤ人奴隷には適用されなかったのである。
 このような差別待遇は、ノアのカナーンに対する呪い―ノアが自身の酔った寝姿を見た息子ハムの子カナーンを呪い、カナーンの子孫がセムとヤペテの子孫の奴隷となると予言したとされる聖書説話―によって、宗教的に正当化された。
 このような民族差別的な二元奴隷制の一方で、、古代ユダヤ社会の奴隷法制は外国から逃亡してきた奴隷の送還を禁じ、これら外国人逃亡奴隷を通常の外国人居住者と同等に扱うこととしている。ある種の亡命者庇護権の先駆として注目される規定である。

持続可能的計画経済論(連載第14回)

第3章 持続可能的計画経済の概要


(6)持続可能的経済計画の実際〈4〉

 前回まで述べてきた経済計画はドメスティックなものであるが、地球環境の持続可能性に配慮する環境計画経済は、その究極的な完成形態においては、地球全域をカバーするワールドワイドな計画を必要とする。
 それを実際に可能とするためには、個別国家の枠組みを超えた地球全域での政治的統合―世界共同体の創設(その概要については別連載でもたびたび述べているが、改めて計画経済と絡めて最終章で言及する)という難事業を経る必要があるが、そうした政治問題についてはここではいったん棚上げし、世界規模での経済計画の概容について考えてみたい。
 このような世界規模の計画経済にあっても、基本的にはドメスティックな経済計画の策定と同様に、行政機関主導の官僚制的計画経済ではなく、生産企業体自身による共同計画となる。また計画の中心が環境高負荷産業分野となる点も同様である。
 この場合、ドメスティックなレベルでの環境高負荷産業分野の企業体がワールドワイドな統合体(例えば世界鉄鋼事業機構体、世界自動車製造事業機構体など)を結成し、それら統合体が計画策定の責任主体となることが想定される。こうした企業体合同による世界経済計画機関は、ドメスティックなレベルでの経済計画会議に相当するものであって、その組織的な構造もほぼ同様に考えてよいであろう。
 以上の計画はドメスティックな経済計画で言えば生産計画Aに対応するが、食糧分野に特化した食糧計画も必要となる。これはドメスティックな計画で言えば農漁業分野の生産計画Bに対応するもので、環境的に持続可能かつ安全な農漁業の世界規模での展開と食糧の公平な世界的分配を目的とし、その策定責任主体は、世界食糧農業機関である。さらに基礎的医薬品の平等な世界的普及のため、ドメスティックな生産計画Cに対応する製薬計画は、製薬事業機構体が世界保健機関と連携しながら、策定する。
 これらワールドワイドな経済計画は、その範囲内でドメスティックな計画が策定される総枠としての条約的な意義を持つと同時に、資本主義的な世界貿易に代わる世界的な物財融通計画の意義を持つ。
 従って、それはドメスティックな計画策定手続きが開始される前に策定・施行され、それに基づいて経済計画会議がドメスティックな経済計画を策定・施行することになる。

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