日本経済の成長は、もう止まる(止まっている?)と私は思っていて、かつこのゼロ成長のままで良いのだ、と私は主張しています。

物質的成長よりは精神的充足感を求めるべきだ、という考えです。

この私のゼロ成長肯定論に反対のコメントとして「若年人口が減少して高齢化が進む時代の年金財源として経済成長は不可欠だ」というコメントを貰いましたので、以下に抜粋紹介して議論を進めます。

 

 

ryokoさま)の反論コメント抜粋 

今の老人はもう若い時に充分物質的充足はしていますので、年金は返上して物質的充足は若者に与えて、精神的充足に専念すべきかと思います。

戦争さえ回避すれば爆弾を落とされて死んだりすることはないので、繁華街の残飯でも漁れば生きていけると思います。

確かに老人や病院に行けなくなり、子供が栄養が悪くて早死にしたとしても精神的に豊かなに生きる人もいるでしょう。

しかし若者が働いて経済を伸ばして物質的富を作っていかないと老人の年金に回るお金もなくなるのですよ。

  もし経済が成長せず、若者の収入が伸びていかない状態で今の老人の年金をはらい続ければ若者の年金はなくなってしまうのです。

( 目出鯛グミンさま)のコメント

高度成長をめいっぱい享受されたご老人たちは、若者の苦境を横目に年金だけはびた一文妥協しない。棺おけ逃げ勝ち作戦を実行するのみです。そのあと年金崩壊しても野となれ山となれですね。「同情するけど金あげない」ですね(笑)

 

ここまでは比較的論理的な反論で、今後有益な議論ができると思うのですが、その後に次のような当てつけの再反論を貰っています。

ryokoさま)

物質的豊かさを否定するのも結構ですが、それならまず隗より始めよで、年金はもらわず、豊かさは若者に与え、精神の充実にご専念くださいと言っているのです。

 

こういう冗談を言われては議論が出来ない、と抗議したのですが、それに対しても

 

あながち冗談でもないんですよ。

と意外に本気のようですので、ここではこの冗談批判をしたいと思います。

 

社会問題を議論している時に、ある案の提案者に「隗より始めよ、まず自分でそれを実行して見てください」と言う反論の仕方は不適切なことが多いと思います。

 

「経済成長ゼロを主張する人は、全員自分の年金を放棄せよ!」などというのは、まことに非常識です。

もし非常識ではない、と言うのなら、それこそ「隗より始めよ!」で、これを提案する人自身が年金を放棄することが出来ることか?どうか?を自問してからにすべきです。

自分に出来ないことを人に押し付けるような議論をしてはいけない、と私は思います。

 

(つづく)