May 22, 2023
海外合宿(台湾)に参加して

府中道場 平部久嗣&美玖
1 台湾行きの経緯
合気道を始めて5年目、還暦目前の今年3月、ようやく2級の昇級審査に合格し念願の茶帯となることができました。ちょうど良い区切りでもあったので以前から興味のあった海外合宿(台湾)への参加を決めました。台湾での演武大会が5/13(土)に開催されるので5/12(金)〜15(月)の日程で渡航することにしました。当初は一人で参加する予定でしたが「良い機会だから」という妻の強い後押しもあり、娘の美玖(5級)も一緒に親子で参加することになりました。道場長からは「1000人くらいは集まるので日本代表としてしっかり演武してきて下さい。」と言われたのですが、まあ少しオーバーに表現されているのだろうと勝手に解釈し、台湾へ向かいました。

2 演武大会
5/13(土)、会場の台北市南港運動中心に到着すると、「112年青年杯合気道中日演武大会」という赤い大きな横断幕が張られており、まずびっくりしました。総師範を中心とした錚々たるメンバーの来賓席が置かれ、その前方に演武用のマットが「どーん」とセットされていました。会場の両サイドに階段状の観客席があるのですが台湾の各道場の参加者でほとんどが埋め尽くされていました。「あの時の道場長のお言葉は決してオーバーではなかったのだ。」と感じ、手汗がドッと出てきました。さらに「日本国合気道代表隊」という荷が重すぎるプラカードを持って開会式に臨むこととなり、否が応にも緊張感が高まりました。演武会への参加は初めてでしたが日頃の練習成果を約2分の持ち時間で各道場が次々と披露する形式で進められるのを見て理解が深まりました。台湾の皆さんも初級者から上級者、幅広い世代の方々が美しい演武を披露されており、合気道が異国の地でもしっかりと根づいていることがよくわかりました。
精鋭?「日本国合気道代表隊」4名の演武はプログラムの最後の方に計画されており、有段者2名が前列、私たち親子が後列で臨み、事前に練習した基本的な自由技を実施しました。日本代表としての出来は???でしたがベストは尽くしました。
演武の後の合同稽古にも参加しました。言葉の壁もあり、最初は戸惑いましたが稽古のやり方は同じなので台湾の方とペアになってもなんとかなるものだと実感できました。

3 宴会について
3泊4日の日程でしたが総師範に同行する形だったこともあり、計3回の宴会に招待いただきました。基本的に海鮮中心のコース料理で飲み物はアルコール度数50度以上の強いお酒や台湾ビールが主体でした。実は私は海鮮料理があまり得意ではない上にお酒も飲めない体質なのでどうしたものかと悩んでいましたが、娘の美玖が酒、料理、カラオケ、通訳等で率先して行動しサポートしてくれました。普段は私が彼女をサポートすることが多いのですが、今回の台湾での活躍ぶりを見て親としては感慨深いものがありました。


4 おわりに
今回、初めての海外合宿ではありましたが合気道が台湾においても盛んであり、愛されていることを肌で感じることができました。また外国で合気道を学んでいる方々にとっては本場日本の師範に学ぶことは大変貴重なのでこのような機会を大切にしているのだということを強く感じました。
私たち親子にとっても合気道を通じて異国の方々と交流を持つという、通常の観光旅行では体験できない大変貴重な機会となり、参加して本当に良かったなと感じています。
本合宿(台湾)に関しては準備段階から多くの方々にサポートしていただき無事帰国することができました。関係する皆様には深く感謝申し上げます。合気道発祥の地である日本に生まれ、恵まれた環境にあることに改めて感謝しつつ、引き続き稽古に励みたいと思います。
府中道場 平部久嗣&美玖
kobayashidojo at 18:51|Permalink
May 19, 2023
台湾演武会・講習会

5月12日(金)から5月15日(月)までの4日間、台湾を訪問しました。
今回は総師範小林保雄先生はじめ、日本からは堀越春芳先生、吉祥寺道場森美和子さん、府中道場平部久嗣さん未玖さん親子、そして私(小林幹雄)の6名の訪問となりました。
台北松山空港には午後3時過ぎに到着しました。平部親子は初日の食事会からの参加です。
空港には張漢東先生、呂承栄先生方はじめたくさんの方々に出迎えていただきました。そしてまずは歓迎の横断幕の前で記念撮影です。
その後、すぐに『紫園』Amy Liang Bonsai Museumに連れて行っていただきました。そこは真に盆栽公園で大小様々な盆栽が飾られていました。
「この盆栽は○○百年前から・・・これは○○千万円以上するもので・・・」などなど、
ため息がでることしきり、圧巻でした。
敷地内には豪勢な洒落た建物があり、その中にも絵画、盆栽、装飾品が飾られていて故宮博物館を訪れているようでした。ここは張漢東先生ファミリーの私有地であり、財産であるときき、さらに驚かされました。
私は合気道で4回ほど台湾に来ていますが、ここに案内していただいたのは初めてでした。
私事で恐縮ですが、規模は全く違いますが、亡き義父がサツキの盆栽を20鉢ほど世話をしていました。植物、盆栽に興味のある方は是非見せていただくことをお勧めいたします。感激すること間違いありません。
初日5/12の夕食は台湾料理のレストランでいただきました。
まずは台湾ビールで乾杯です。野菜料理 肉料理、魚料理・・・煮込むような料理が多かったように思います。全て美味しかったのですが、私は特に「ちりめん入りおこわ」が美味しかったです。
二日目5/13は演武会と講習会です。
名称『112年度臺北市青年盃全国合気道演武大会』
時間 演武会 14:00〜 講習会 堀越先生16:30〜 総師範小林先生17:00〜
会場『台北市南港運動中心』 スポーツ競技場の3階
まずはセレモニーから始まります。
演武会 参加者は17団体、約250名でした。
まず各団体の紹介です。それぞれプラカードをもって登場し、1〜2列に整列します。
次に私たちの紹介、主催者挨拶、記念品贈答があり、演武になります。
現地在住の総師範の孫である小林香穗さん、西湘合気道会の坂西先生も参加して大変活気ある演武会となりました。
演武の内容は特に日本と変わっているところはありませんでした。
熱心に稽古している様子がうかがえました。

プログラムの最後は日本からきたメンバーの個人演武となっていました。
会員諸氏の後、私、堀越先生と続き、最後が総師範小林先生の演武でした。
私と堀越先生は、それぞれ現地台湾の会員の方2名に受けをとっていただき、総師範は台湾の会員2名と香穗さんの3名が受けにつきました。
総師範の演武は、いつもながらの自然に流れるような動きで、合気の神髄を感じるものがあり、見ている多くの方々を魅了しました。演武終了時には暫く大きな拍手が続いていました。
講習会は前半の30分、堀越先生が指導されました。
テーマはがっちり持たれたときの捌き方で、片手からはじまり、両手取り天地投げ、諸手取りと主に身体の崩し方を説明されていました。「大変わかりやすい説明でした。しかし実際やってみると難しいですね。」と言う意見が多くありました。私も合気道は不思議で難しい武道だと思っています。だからこそ出来たときの嬉しさは大きいです。
後半の30分は総師範が指導されました。
普段あまりやらない技を少しとりいれながら、「エー? 胸取りで四方投げ出来るのですね。」とびっくりと、楽しさが会場にあふれていました。私も微力ながら指導のお手伝いをさせていただきました。
あっという間の60分でした。
その日は台湾の先生方、会員の方々そして日本からの全メンバーが勢揃いして夕食会を行いました。大きな丸いテーブルが8卓ありましたが全て埋まっていたと思います。飲んで食べて親睦を深め、後半はカラオケ大会となりました。
台湾の方々は結構日本の歌をご存じで、特に演歌を日本語で歌っていたのが印象的でした。私としては、総師範の歌(今回は北国の春でした)はほんとうに久しぶりに、そして香穗さんの歌は初めてききました。歌い慣れている様子でしたのでいつも歌っているのでしょう。

三日目5/14 私たち指導者3人(総師範、堀越先生、私)は張先生、呂先生に『櫻南温泉会館』に招待されました。車で1時間ほど行くと硫黄の匂いただよう温泉地に入ります。程なく温泉施設に到着。昨日の汗を湯船で流し、ゆっくりと寛ぐことができました。
その日は母の日でどこのレストランも予約がとることが出来ず、張先生行き付けの友人の店に頼んで食事をさせていただきました。他の日本のメンバーもその店で合流、そして張先生の奥さま娘さんまで時間を作って来てくださいました。本当にありがたいことです。
合気道の話のみならず、家庭のこと、自分たちの趣味の事まで話が膨らんで、楽しい有意義な時間をすごすことができました。
私が初めて台湾を訪れたのは、小林道場と台北龍山寺道場の姉妹道場締結のときで今から40年くらい前のことです。街も道場も大分様変わりしたことと思います。
今回の台湾訪問期間中は、天気予報では雨もありましたが降られることもなく、また気温30度を超える事も無く、過ごしやすかったと感じています。
この度は張漢東先生、呂承栄先生、陳清徳理事長、徐江和先生はじめ、台湾のたくさんの方々にお世話になりました。皆様に感謝申し上げます。
合気道平誠会 小林幹雄
kobayashidojo at 18:03|Permalink
May 10, 2023
インドネシア海外指導報告
私、笠原は、令和5年4月28日から5月9日まで、インドネシアのジャカルタとメダンに派遣されることとなった。
簡単にではあるが、ここにその記録を記す。
1.ジャカルタの夜はサンバルに染まる

私にとっては初めてのインドネシア。不安もあったが、それ以上に知的好奇心がビンビンに刺激されていた。現地の人たちはどんな感じか?どんな美味しい食べ物があるのか?気候は過ごしやすいのか?
海外指導に赴く際は、合気道の指導という自分の任務に最低限必要な情報だけ事前に収集はしておくが、それ以外はあえて予備知識無し、ガイドブック無しで、現地の人とガシガシ会話&交流して聞き出していく、というのが私の基本スタイルだ。
今回も特別に何も準備せずに突撃する(百パー腹を下すことになるぞと脅されていたので正露丸はばっちり買い込んでおいたが)。
4月末の金曜日、少し肌寒い成田を離れ、8時間ほどでインドネシアの首都、ジャカルタに降り立つ。
暑い!
気温は35度ぐらいか、湿度はそれほどではないが、一気に南国気分である。テンションが上がる。
空港には現地支部道場の指導者のひとりであるワワンが迎えに来てくれていた。ホテルチェックイン時に現地代表のムリと挨拶&軽く打ち合わせ。
稽古は土日。ムリの道場で行われた。彼の道場は壁が無く、風通しは良いのだが、動くと汗が止まらない。稽古は涼しい午前中のみ。午後は暑くて稽古どころではない。
袴の紐をきゅっと結んで気合を入れると稽古開始。準備体操の時点で私は汗びっしょりになった。水分補給をこまめに行い熱中症に気をつける。小平道場には数年前にエアコンが導入されたが、どうやらそのせいで暑さに弱い身体になってしまったようだ。
こんな暑い中でもムスリムの女性会員は稽古着の下に長袖長ズボン、ジルバップというベールを被って黙々稽古に参加している。すごい。これしきの暑さでヒーヒー言っている自分の軟弱さを恥じた。
今回は初段から四段までの計16名が審査を受けるとのことで、土日を通して、無数にある段の審査技の中で、これはというものを選んで指導した。「傾向と対策」である。
日曜日の最終の稽古を終え、15分ほど休憩し、審査に入る。最初は初段8名の審査。出題はムリが行ったのだが、彼は審査規定に書いてある技を全て上から順番にきっちり出していくという鬼のような超ストロングスタイル。30分以上かかっても終わらない。
途中、お昼のアザーン(イスラム教のモスクのスピーカーから流れるお祈りの爆音放送)の時間となり、その間皆正座で5分間ほど待機。これが幸いにも受験者たちにとっては良い休憩時間となった。
それでも終盤は受験者も受けも明らかにバテてしまい動きが鈍くなってきたので(私も正座がしんどくなってきたというのもある)、ムリに「あとはもうコレとコレだけやって終わりにして」と指示を出し早めに終わらせた。
審査は四段まであるので、このままムリに出題させていては日が暮れてしまう。弍段からは私が出題することにした。道場長の本部審査での出題を真似て効率的にパッパと出題していく。
日本からの指導員による指導はコロナ禍で3年以上できていなかったのだが、インドネシアの皆は自分たちだけで地道に頑張っていたようで、受験者たちも皆及第点突破、合格である。
迎えに来てくれていたワワンも今回の四段受験者の1人で、それまでずっと浮かない顔をしていたのだが、審査が終わり合格となった途端にストレスから解放されたのか明るい表情になった。「カサハラセンセ、ツメタイビール、イグイグ?」と彼が私の耳元で囁く。私は食い気味に「イグイグ〜!」と応えた。
その夜はワワンと彼の道場生たちと共に肉料理をたらふく食べ、冷たいビンタンビールをガシガシ飲んだ。料理にはインドネシア人にとってはそれが無いと生きていけないというサンバルという激辛ソースをかけて食べる。インドネシアといえばサンバル、サンバルといえばインドネシア、なのである。
サンバルでホットになった口周りを冷たいビールで冷やす、それの繰り返しである。なにこれ楽しい。
そうしてジャカルタの夜はサンバルにまみれて更けていった。
2.イカン・バカールとゆかいな仲間たち

月火とジャカルタでのんびり身体を休めた後、水曜日に次の目的地であるメダンへ向かった。
メダンはジャカルタのような大都市と比べると少し田舎でワイルドな感じである。台湾ほどではないが、街中ではバイクが至るところで縦横無尽に走りまわっている。逆走、無灯火、信号無視、二人乗りどころか一家全員四人乗り、などなど、慣れるまでは怖くて自分が運転しているわけでもないのにヒヤヒヤした。
日本でいういわゆる「煽り行為」というのがここインドネシアでの運転の基本スタイルなので、バイクも車も後ろからグイグイ来てホーンをプップラプーと鳴らす。数日いると慣れてきて、一見カオス状態のようなこの交通状態の中に実は高度に調和が取れた様式美と呼べるものがあることを発見した。バイクが隙あらば隙間にどんどん入ってくるので車は「急」がつく動きをしない。車もグイグイ来るが、あくまで「優しく」グイグイ来るのである。「煽り運転、みんなで煽れば怖くない」なのである。
滞在したホテルは、ちょっと古びたホテルで、一昔前のアメリカの古びたロードサイドホテルのような雰囲気があった。チェックインし、顔を洗おうと洗面台の蛇口をひねると墨汁のような黒い水が出てきた。しばらく流しっぱなしにしていると色が薄まってきたが、これで口をゆすぐ気にはなれない。シャワーはともかく、歯磨きやうがいをしたりする時はペットボトルのミネラルウォーターでやるのが無難である。
トイレはトイレットペーパーの設置が無いところが多いので、大の後は放水ノズルを右手に持ち(だからノズルは必ず便器の右に備え付けてある)、「不浄の手」である左手の指先で肛門付近をコチョコチョして洗う。要は手動のウォシュレットである。慣れればなんのことはない。紙でこするよりも肛門付近の皮膚に優しく衛生的である。
さて、ここメダンにいくつかある合気道道場のグループの代表者はサフリドリという人で、滞在中はどこに行くにも彼が世話してくれた。
木曜日の夜、サフリドリの仲間の一人が代表の竜道場という総合格闘技のジムの上にある道場で指導者クラスの有段者6名相手に指導。参段審査受験予定者がいたのでその審査技を中心に指導。
金曜日の夜は、住宅街にあるサフリドリの自宅の三階の彼の道場で。太刀取り等の武器技を指導。
そして土日の午後に地元大学の医学部の建物の中の多目的ホールにて講習会。サフリドリによるとここに新道場を開設するそうで、その体験説明会も兼ねているとのこと。医学部の学生数名が普段着で参加した。
ここはエアコンがガンガンに効いているので汗はそれほどかかない。初段と参段の審査受験者がいるのでその技を中心に指導。体験参加の学生には一教や小手返しなどを簡単な形でやってもらう。みんな賢いので飲み込みが早い。ワイワイと楽しくやってくれた。
最後の審査ではサフリドリと話し合い、日本で行っているスタイルなるべくそのままで審査を行うことにした。初段受験者はサフリドリの息子。父親と自宅でしっかり練習していたようでキレのある素晴らしい出来である。参段受験者も、ガチガチに緊張していたが何とか頑張った。二人とも合格である。私も合気道指導者としての任務完了である。
メダン滞在中はほぼ毎晩イカン・バカールという魚の炭焼き料理を食べていたのだが、美味である。アツアツの魚の白身を右手でちぎり、サンバルやピリ辛甘だれをチョンチョンとつけ、パラパラ飯と一緒に指先でギュッギュッとまとめて口に頬張る。ちょっとピリ辛の鰻の蒲焼きを食べているようだ。
一緒に食べているメダンでの稽古参加者や、レストランで魚を焼いている調理担当のあんちゃんも、皆気さくに話しかけてきて、なかなか愉快な仲間たちである。ジャカルタが東京だとしたら、メダンは博多だ。
さて、このように色々ウマイウマイとガシガシと食ったり飲んだりしてきたわけだが、口にする水に留意し、食べ物もなるべく火の通ったものだけにしてきたからなのか、幸いながらインドネシア滞在中腹を下すことは全くなかった。
3.私の中のサンバル
週末明けの月曜日、日本への帰路につく。火曜日の朝の成田の空気は肌寒かった。夏から冬に戻ったようだ。
ふと、スカイライナーの車窓から東京の街中を眺めると、バイクも車もちゃんと赤信号で止まっている。すげぇ!
今回のインドネシアでの二週間近くに亘る滞在で自分の中の価値観がかなり変化したことを感じる。身体のどこかに何か払拭できないピリっとしたものが残っている不思議な感覚がある。
「この感覚はもう一生消えることはないのだろうな」と、自宅で晩飯のおかずの餃子と唐揚げにサンバルをピッピとふりかけながら、ひとりつぶやいた。
今回のインドネシア訪問のフォトアルバム↓
https://photos.app.goo.gl/ELfqbWT18vURTKhq8
簡単にではあるが、ここにその記録を記す。
1.ジャカルタの夜はサンバルに染まる

私にとっては初めてのインドネシア。不安もあったが、それ以上に知的好奇心がビンビンに刺激されていた。現地の人たちはどんな感じか?どんな美味しい食べ物があるのか?気候は過ごしやすいのか?
海外指導に赴く際は、合気道の指導という自分の任務に最低限必要な情報だけ事前に収集はしておくが、それ以外はあえて予備知識無し、ガイドブック無しで、現地の人とガシガシ会話&交流して聞き出していく、というのが私の基本スタイルだ。
今回も特別に何も準備せずに突撃する(百パー腹を下すことになるぞと脅されていたので正露丸はばっちり買い込んでおいたが)。
4月末の金曜日、少し肌寒い成田を離れ、8時間ほどでインドネシアの首都、ジャカルタに降り立つ。
暑い!
気温は35度ぐらいか、湿度はそれほどではないが、一気に南国気分である。テンションが上がる。
空港には現地支部道場の指導者のひとりであるワワンが迎えに来てくれていた。ホテルチェックイン時に現地代表のムリと挨拶&軽く打ち合わせ。
稽古は土日。ムリの道場で行われた。彼の道場は壁が無く、風通しは良いのだが、動くと汗が止まらない。稽古は涼しい午前中のみ。午後は暑くて稽古どころではない。
袴の紐をきゅっと結んで気合を入れると稽古開始。準備体操の時点で私は汗びっしょりになった。水分補給をこまめに行い熱中症に気をつける。小平道場には数年前にエアコンが導入されたが、どうやらそのせいで暑さに弱い身体になってしまったようだ。
こんな暑い中でもムスリムの女性会員は稽古着の下に長袖長ズボン、ジルバップというベールを被って黙々稽古に参加している。すごい。これしきの暑さでヒーヒー言っている自分の軟弱さを恥じた。
今回は初段から四段までの計16名が審査を受けるとのことで、土日を通して、無数にある段の審査技の中で、これはというものを選んで指導した。「傾向と対策」である。
日曜日の最終の稽古を終え、15分ほど休憩し、審査に入る。最初は初段8名の審査。出題はムリが行ったのだが、彼は審査規定に書いてある技を全て上から順番にきっちり出していくという鬼のような超ストロングスタイル。30分以上かかっても終わらない。
途中、お昼のアザーン(イスラム教のモスクのスピーカーから流れるお祈りの爆音放送)の時間となり、その間皆正座で5分間ほど待機。これが幸いにも受験者たちにとっては良い休憩時間となった。
それでも終盤は受験者も受けも明らかにバテてしまい動きが鈍くなってきたので(私も正座がしんどくなってきたというのもある)、ムリに「あとはもうコレとコレだけやって終わりにして」と指示を出し早めに終わらせた。
審査は四段まであるので、このままムリに出題させていては日が暮れてしまう。弍段からは私が出題することにした。道場長の本部審査での出題を真似て効率的にパッパと出題していく。
日本からの指導員による指導はコロナ禍で3年以上できていなかったのだが、インドネシアの皆は自分たちだけで地道に頑張っていたようで、受験者たちも皆及第点突破、合格である。
迎えに来てくれていたワワンも今回の四段受験者の1人で、それまでずっと浮かない顔をしていたのだが、審査が終わり合格となった途端にストレスから解放されたのか明るい表情になった。「カサハラセンセ、ツメタイビール、イグイグ?」と彼が私の耳元で囁く。私は食い気味に「イグイグ〜!」と応えた。
その夜はワワンと彼の道場生たちと共に肉料理をたらふく食べ、冷たいビンタンビールをガシガシ飲んだ。料理にはインドネシア人にとってはそれが無いと生きていけないというサンバルという激辛ソースをかけて食べる。インドネシアといえばサンバル、サンバルといえばインドネシア、なのである。
サンバルでホットになった口周りを冷たいビールで冷やす、それの繰り返しである。なにこれ楽しい。
そうしてジャカルタの夜はサンバルにまみれて更けていった。
2.イカン・バカールとゆかいな仲間たち

月火とジャカルタでのんびり身体を休めた後、水曜日に次の目的地であるメダンへ向かった。
メダンはジャカルタのような大都市と比べると少し田舎でワイルドな感じである。台湾ほどではないが、街中ではバイクが至るところで縦横無尽に走りまわっている。逆走、無灯火、信号無視、二人乗りどころか一家全員四人乗り、などなど、慣れるまでは怖くて自分が運転しているわけでもないのにヒヤヒヤした。
日本でいういわゆる「煽り行為」というのがここインドネシアでの運転の基本スタイルなので、バイクも車も後ろからグイグイ来てホーンをプップラプーと鳴らす。数日いると慣れてきて、一見カオス状態のようなこの交通状態の中に実は高度に調和が取れた様式美と呼べるものがあることを発見した。バイクが隙あらば隙間にどんどん入ってくるので車は「急」がつく動きをしない。車もグイグイ来るが、あくまで「優しく」グイグイ来るのである。「煽り運転、みんなで煽れば怖くない」なのである。
滞在したホテルは、ちょっと古びたホテルで、一昔前のアメリカの古びたロードサイドホテルのような雰囲気があった。チェックインし、顔を洗おうと洗面台の蛇口をひねると墨汁のような黒い水が出てきた。しばらく流しっぱなしにしていると色が薄まってきたが、これで口をゆすぐ気にはなれない。シャワーはともかく、歯磨きやうがいをしたりする時はペットボトルのミネラルウォーターでやるのが無難である。
トイレはトイレットペーパーの設置が無いところが多いので、大の後は放水ノズルを右手に持ち(だからノズルは必ず便器の右に備え付けてある)、「不浄の手」である左手の指先で肛門付近をコチョコチョして洗う。要は手動のウォシュレットである。慣れればなんのことはない。紙でこするよりも肛門付近の皮膚に優しく衛生的である。
さて、ここメダンにいくつかある合気道道場のグループの代表者はサフリドリという人で、滞在中はどこに行くにも彼が世話してくれた。
木曜日の夜、サフリドリの仲間の一人が代表の竜道場という総合格闘技のジムの上にある道場で指導者クラスの有段者6名相手に指導。参段審査受験予定者がいたのでその審査技を中心に指導。
金曜日の夜は、住宅街にあるサフリドリの自宅の三階の彼の道場で。太刀取り等の武器技を指導。
そして土日の午後に地元大学の医学部の建物の中の多目的ホールにて講習会。サフリドリによるとここに新道場を開設するそうで、その体験説明会も兼ねているとのこと。医学部の学生数名が普段着で参加した。
ここはエアコンがガンガンに効いているので汗はそれほどかかない。初段と参段の審査受験者がいるのでその技を中心に指導。体験参加の学生には一教や小手返しなどを簡単な形でやってもらう。みんな賢いので飲み込みが早い。ワイワイと楽しくやってくれた。
最後の審査ではサフリドリと話し合い、日本で行っているスタイルなるべくそのままで審査を行うことにした。初段受験者はサフリドリの息子。父親と自宅でしっかり練習していたようでキレのある素晴らしい出来である。参段受験者も、ガチガチに緊張していたが何とか頑張った。二人とも合格である。私も合気道指導者としての任務完了である。
メダン滞在中はほぼ毎晩イカン・バカールという魚の炭焼き料理を食べていたのだが、美味である。アツアツの魚の白身を右手でちぎり、サンバルやピリ辛甘だれをチョンチョンとつけ、パラパラ飯と一緒に指先でギュッギュッとまとめて口に頬張る。ちょっとピリ辛の鰻の蒲焼きを食べているようだ。
一緒に食べているメダンでの稽古参加者や、レストランで魚を焼いている調理担当のあんちゃんも、皆気さくに話しかけてきて、なかなか愉快な仲間たちである。ジャカルタが東京だとしたら、メダンは博多だ。
さて、このように色々ウマイウマイとガシガシと食ったり飲んだりしてきたわけだが、口にする水に留意し、食べ物もなるべく火の通ったものだけにしてきたからなのか、幸いながらインドネシア滞在中腹を下すことは全くなかった。
3.私の中のサンバル
週末明けの月曜日、日本への帰路につく。火曜日の朝の成田の空気は肌寒かった。夏から冬に戻ったようだ。
ふと、スカイライナーの車窓から東京の街中を眺めると、バイクも車もちゃんと赤信号で止まっている。すげぇ!
今回のインドネシアでの二週間近くに亘る滞在で自分の中の価値観がかなり変化したことを感じる。身体のどこかに何か払拭できないピリっとしたものが残っている不思議な感覚がある。
「この感覚はもう一生消えることはないのだろうな」と、自宅で晩飯のおかずの餃子と唐揚げにサンバルをピッピとふりかけながら、ひとりつぶやいた。
今回のインドネシア訪問のフォトアルバム↓
https://photos.app.goo.gl/ELfqbWT18vURTKhq8
kobayashidojo at 10:48|Permalink
March 29, 2023
小平道場お花見会

小雨降る3/25(土)の夜、3年ぶりとなる小平道場のお花見会が開催されました。当日は東京の桜がほぼ満開に近い状態であったものの、道場内で開かれる会であるため、我々がお花見として愛でたのは、道場の至るところに張られた小平道場にかってあった見事な桜の木の満開の姿です。
司会進行役である川合二段による乾杯の音頭で始まった会は、昨年初段になった小野くんの新社会人としての抱負話しや、先生方による過去の審査会の驚きの出来事話しなどへと話題が展開し、3時間ほどの和気あいあいの会となりました。
新型コロナが5類扱いになる前だったので、今回は少し気を使いつつの道場飲み会開催でしたが、今後は止まっていた3年間を取り戻すように色々なイベントが復活するものと期待します。そして次の機会には、他の道場の皆さんも小平道場イベントへのご参加お願い致します。
小平道場 奥村召司


kobayashidojo at 18:03|Permalink
December 05, 2022
東京農工大合気道体験2022


東京農工大学の学生が12月3日に「日本の文化」の科目の課外授業で
今年も合気道体験をさせていただきました。
心身ともにリフレッシュできる時間となりました。
弘明道場長、府中道場の皆様の温かいご支援に感謝申し上げます。
The students of the Tokyo University of Agriculture and Technology
had an aikido experience at the Fuchu-branch of Kobayashi dojo on December 3, 2022,
as a part of the Japanese Culture course.
It was so refreshing and it brightened up our day for sure.
Many thanks to the Chief Master Hiroaki-sensei and Fuchu dojo members
for their continuous and warm support.
kobayashidojo at 16:35|Permalink
August 16, 2022
チュニジア指導2022年7月 笠原 祐二
2022年7月末、笠原祐二指導員がチュニジアを訪問し海外指導を行いました。以下はその詳細です。
**************
私、笠原は2022年7月末、コロナ禍が始まって以来、小林道場指導部にとって初の海外指導となる、チュニジアでの海外指導を行った。
このコロナ禍の中での海外渡航は普段なかなか経験することができないことなので、今後のための記録も兼ねて以下に経過を記すことにする。
7月27日(水)
小平道場での夕方の子供クラスの指導を終えると、さっとシャワーを浴び、戸締りをすると、小林先生の運転する車で国分寺駅に向かった。
タクシーで駅まで行くつもりだったが、小林先生が送っていく、と言ってくださったため、ありがたくその好意に甘えることにした。
国分寺駅に到着したのは午後7時。私の便は羽田空港午後10時発なのだが間に合うだろうか?
中央線、山手線、モノレールを乗り継いで羽田空港第3ターミナルに午後9時前に到着。なんとかなりそうだ。
前々日に空港宅急便にて発送していたスーツケースを受け取ると、カウンターにてチェックイン。あちらの会員から剣杖4セットの注文を受けていたので、そのプチプチぐるぐる巻きのでかい荷物にどれだけの超過料金をとられるのかとドキドキしていたが、通常料金の規定に収まっていたらしく、超過料金無し。これは幸先が良い。
出国、搭乗はスイスイ進む。コロナの陰性証明書のチェック等何もない。
イスタンブールまで13時間、機上の人となり狭いエコノミーの座席の中で泥のように眠った。
7月28日(木)
イスタンブールの巨大な空港で乗り換え。空港職員以外誰もマスクをしていない。自分も外した。空港のサブウェイで腹ごなしを済ませる。ツナサンドイッチのツナがサバの味がする。これはトルコ人の好みに合わせて「ツナ」と名乗りながらも実際にはサバを入れているのではないかと疑念が湧いた。
チュニス行のエアバスの狭い機材乗り込む。アラビア語、トルコ語、フランス語、英語が飛び交い、どことなくジャスミンの香りが漂う。狭苦しいがたった3時間の辛抱だ。なんとかなるだろう。
午前9時にチュニスに到着。入国手続きはすぐに済んだ。コロナのワクチン接種証明のアプリの確認があるのかと思い準備していたが、そんな必要は無かった。そもそも空港職員以外誰もマスクしていない。前回コロナ禍前に来た時と何も変わらない。
入国を終え、空港建物内で現地代表のアジズを待っていたが、なかなか迎えに来てくれない。電話をするとセキュリティチェックが厳しくなったため建物内に入れないとのこと。建物の外に出るとアジズ他数名の現地会員の顔が見えた。数年ぶりだったがすぐに分かった。
外は日差しが強く、暑く、湿度もそれなりにあったが、日本のようなジトっとした感じは無い。
ホテルのチェックインにはまだ早い時間だったので、皆で女性会員のアフェフの家があるチュニスから東へ10キロほどのシディ・ブ・サイドへ向かう。アフェフの家で昼食のクスクスを食べレモネードで一服すると近隣の観光地をぶらつく。この地区の全ての建物は白い壁と青い窓枠の二色でしかない。抜けるような青空に綺麗に映える。チュニス湾が一望できるカフェで一休み。遠くにシチリア島が見える。

その後ホテルにチェックインし、夕食はシーフードレストランに連れて行ってもらいご馳走になった。チュニジアは海沿いの国ということもあるのだろうが、シーフードが豊富で美味しい。
夜は長旅の疲れですぐ眠れるかと思ったが、時差ボケのせいでなかなか寝付けなかった。
7月29日(金)
この日は午前中にチュニスの南にあるベンナラスという街のアジズの道場で昇段審査が行われた。この辺りの公民館のようなところの一室にレスリングマットが敷いてある道場だ。換気扇が一つあるのみでエアコンは無い。しかも審査中は音がうるさいので換気扇は止めてしまう。暑い。審査の立ち合いとしてただ座っているだけでも汗が止まらない。
初段11名、弐段6名、参段1名の審査が行われ、初段の1名を除き全員合格。本来はこの倍ほどの人数が受験予定だったが、主にアルジェリアからの受験予定者がコロナの関係でチュニジアに入国できず、受験できなかった。
審査後、道場近くのピザ屋ででかいピザを注文したが、暑さのためかあまり食欲が無く、半分も食べられないので持ち帰りにしてもらった。
エアコンの効いたホテルで一休みすると、夕方、歴史的な遺跡や大統領府のあるカルタゴに行き、そこにあるアフェフ担当の道場で最初の講習会を行った。
ここはダンススクールのようなところで、小ぶりな体育館のようなところにジョイントマットが敷き詰められている。家庭用のエアコンが一台あるのみだったがそれでもかなり涼しく感じる。
講習会での私の仕事は合気道の楽しさを伝えることだ。国は異なっても大した違いは無い。技を練習し、最初ぎこちなかった動きが次第にスイスイと動けるようになってくると皆の表情に笑顔が見られるようになってきた。
その夜は海沿いのレストラン街で再びシーフード料理に舌鼓を打った。
7月30日(土)
この日は午前中と午後に講習会。場所はチュニス市内のオリンピック関連施設の集まるスポーツ施設の一つ。空手練習場を貸し切りで利用するのだが、エアコンは無い。ドア二か所を開けっぱなしにして辛うじて空気の流れはあるのだが、その外からの空気そのものが熱気を帯びている。
水をこまめに飲みながら指導していたが、終わり近くになるとフラフラしてきた。汗も止まらない。熱中症になりかけているなと自覚できた。
なんとかその午前の講習会を根性で終わらせたが、フラフラは続く。早いところ涼しいホテルで午後の講習会のために休まなければと思っているのだが、講習会参加者達からの「先生と一緒に記念写真を撮らせてください」の攻勢が続く。汗だくの青白い顔に無理やり笑顔を浮かべてその要望に地道に応える。
その記念写真地獄から解放されると、昼食は断り、ホテルに直接送り届けてもらった。固形物は口にする気には到底なれなかったので、オレンジジュースだけ飲みホテルのベッドで体力回復に努めた。
二時間ほど横になっていると幾分体調も良くなった。が、依然食欲はまったく無い。みぞおちのあたりにも時折締め付けられるような痛みが起こる。下痢気味でもあるが、食べ物にあたった感じでは無い。
迎えの車に乗って少し早めに講習会会場に向かう。午後の講習会は夕方近くだったので幾分涼しかったが、それでも汗だくにはなる。そんな暑い中でも参加者達は活発に動いているので、私もそれに触発されついつい張り切ってしまった。途中、強烈な便意に襲われたので、「ここで15分ほど休憩にしましょう」と声をかけ、トイレに急行。やはり下痢だ。熱中症の症状だ。
チュニジア、および中東圏ではホテルや個人宅以外でまずトイレットペーパーというものは設置されていない。また便座というものも公共施設ではほとんど見たことが無い。あったとしてもあまり直接臀部を設置したくないような状態がほとんどだ。
つまり、用を足すためには洋式便器をまたぐように四股立ちで立ち、便器の中央にブツがうまく落下するように腰をベリーダンスのようにくねらせ「発射口」の角度を調整することになる。最初のうちはかなり難しいが、慣れればなんともなくなった。よく考えたら和式便所も立つ向きは違うが同じだ。
コトが終わっても紙が無いわけなのだが、どんなトイレにも必ず放水銃のようなものが設置してある。その水と左手で肛門付近を洗うわけなのだが、これには何度チャレンジしても失敗した。どうやってもトイレ中を水浸しにしてしまう。現地の人間はどのようにやっているのか見てみたいと思ったが、「ちょっと洗っているところ実際に見せて」と頼むわけにもいかない。今後の研究課題である。
そんなこんなで講習会に戻ると、参加者達はトイレで私がそんな悪戦苦闘をしていたことなど露知らず、元気に私の指導についてきた。これでも一応「プロ」なので仕事中はシャキッとしなければならない。この日の午後の講習会もなんとか乗り切った。
毎度の延々続く写真撮影の儀式の後、その日は夕食の申し出を断り、直接ホテルに戻してもらった。相変わらず食欲は全く無い。とにかくエアコンの効いた自室で一刻も早く横になりたかった。その夜はそのままぐったりと眠りについた。

7月31日(日)
朝、目覚めると体調はかなり良くなっており、ホテルでの朝食も少しだが食べられるようになっていた。オリーブの塩漬けが美味しい。
その日の朝は市内の診療所に行って、PCR検査を受けなければならない。日本を発つ前にネットで予約していた診療所だ。9時に講習会を始めなければならないので、朝7時半の朝一番の枠を予約していた。
7時20分頃にその診療所に到着したが、シャッターが閉まっている。
7時半になってもまだ閉まったままだ。いやな予感がしてきたが、7時40分頃になってようやく看護師らしき女性が「ぼんじゅー!」と言って現れた。
一万円程の検査費用を支払い、鼻に綿棒を突っ込まれグリグリされる。綿棒を抜かれたとたんに盛大にくしゃみをしてしまった。
日本に帰国するためには出国72時間以内にPCR検査を受け陰性証明書を書いてもらい、それを持った状態でなければ帰国便に搭乗できないのだ。これで陽性だった場合、その国にさらに一週間ほど延長で滞在し、再度PCR検査を受けなければならない。陰性が出るまでそれを繰り返すことになるので、この時期の海外渡航は日本人にとってはまさにギャンブルだ。結果が出るまで二時間ほどかかるとのことで、それまでかなりドキドキする。
その日は講習会が午前中にあるのみで、その最中に会員の一人が検査結果を診療所からもってきてくれた。結果は陰性。ほっとした。
講習会での指導が終わると、在チュニジア日本大使館より清水大使夫妻が見学に来られた。アジズが前々からぜひ見学をと大使館に打診していたのだ。
大使夫妻臨席の下、講習会に参加した会員達の演武が道場ごとに行われた。大使ご夫妻は合気道の名前は聞いたことはあるが実際にしっかりと見るのは初めてとのことだったので、私は解説を行いながら参加者達の演武を眺めた。

一通り演武が終わると、記念の盾が清水大使に贈られ、そして私個人と、合気道小林道場に贈られた。
私自身、演武する気満々だったのだが、アジズが私の体調があまり良くないことを慮って私に演武する場を設けなかったのだ。
いやいやいやいやいや、やるよ、やりますよ。というか、はるばる日本からやってきて、この暑い中頑張ったのだ。大使も臨席されているのだから最後のシメとして演武やらせてくれよ、という気持ちになった。
私は袴の紐を締め直すと、活きの良い受け二人を指名し演武を行った。この時点で私の体調はほぼ全快していた。
そうして私のチュニジアでの指導は終焉をむかえることとなった。
その後、ホテルでさっとシャワーを浴びると、会員のブラヒムに「今から海に行くよ!」と告げられ車に乗せられた。「午後2時からでスキューバダイビングの予約をしてあるから急ぐよ!」とのことで高速道路を北へ向けぶっ飛ばす。外は基本的に砂漠のような荒野が広がっている。ところどころにオリーブ畑がある。
一時間ほどで海岸に到着。そこで船に乗せらせダイビングスポットに向かう。スキューバダイビングなんぞそれまでやったことはなく、ライセンスも何も持っていなかったのだが、インストラクターと一緒に潜るのでオッケーとのことだ。
基本的なハンドサインや耳抜きの仕方等の講習を受けると、海にドボンと入水した。海の水は適度にひんやりして気持ちいい。足ヒレを使ってスイスイと泳ぎだしたが、講習会直後であったので両太腿がこわばってしまいうまく動かせなくなった。インストラクターに海中でマッサージしてもらっても治らない。結果的に「足は動かさなくていい」と言われ、インストラクターに引っ張られながら海中散歩した。サンゴの間で戯れる熱帯魚やウニやらのなかなかに綺麗な光景が目の前に広がる。これはなかなかに楽しかった。
その夜はアフェフの家でディナーパーティーが行われた。アフェフが作る手料理に舌鼓を打つと、お別れの歌として「島人の宝」を歌った。アジズも自身の出身地であるアルジェリアの歌を披露した。そんなこんなでその夜は和やかな雰囲気で暮れていった。

8月1日(月)
帰国の日だ。ホテルを11時にチェックアウトするとアジズとともに空港に向かう。帰国便は午後5時出発の予定だが早めに手続きしたかった。チェックインカウンターに並ぶがそこには長蛇の列ができていた。バカンスの時期なのでしようがない。二時間並んでやっとチェックインカウンターの前まで来ると、講習会に参加していた会員の青年が現れた。空港で警察官として働いているそうで、彼の父親も警察関係の重要なポストに就いているらしく、係員に一言つぶやくと私のチェックインをさっと済ませてしまった。
その後の手荷物検査や出国手続きも、長い行列を横に顔パスでスイスイ。搭乗口でも彼の仲間の警備のおじさんが「こっちだ!」と言って行列の前に強制的に割り込ませてくれた。なんか他の乗客の恨めしそうな目が気になってしまうので、そこまでしてもらわなくても良かったのだが、このような好意は断るほうが野暮というものだ。
8月2日(火)
イスタンブールに着いた時点で真夜中近かったのだが、まるで昼間であるかのようにこの広大な新空港は旅人たちで活気にあふれていた。さすがは世界屈指のハブ空港だ。ただし、乗り継ぎの搭乗口が離れているととんでもなく歩かされる破目になる。乗り継ぎの4時間ほどあったのでここでお土産を買うことにした。チュニスでは熱中症やら何やらでお土産を買う暇が全くなかったのだ。
さて、搭乗時間になり羽田行の便の搭乗口に行くと、そこで陰性証明書のチェックがあった。といっても係員がさっと目を通してハンコをポンッと押すだけなのだが。これをやっているのは日本行の便の搭乗口だけだった。一日あたりの感染者数が世界一となっている状態の国に帰るのに、この書類を用意することにどれだけの意味があるのかはあえて考えないようにした。

機上では毛布2枚をポンチョのように体に巻き付けて寝た。機内は空調が利いていてそのまま寝てしまうと結構体が冷えてしまうので、私はいつもこのスタイルだ。
午後7時頃、無事羽田の国際ターミナルに到着。モワッとした湿気を帯びた暖かい空気に日本に帰ってきた実感が湧いた。羽田の国際線ターミナルでは到着後長い長い通路を延々と歩かされることになる。2キロぐらい歩いただろうか。なんでこんな設計にしたのだろう?
通路の先で陰性証明書のチェックがあったが、イスタンブールにいる間にスマホに入れてあったMySOSというアプリに必要事項を事前に登録してあったので、すぐに終わった。
問題だったのは荷物だ。預けた荷物がなかなかベルトコンベヤーに流れてこない。イスタンブールに取り残されてしまっているのかとの不安がよぎったが、一時間ほどしてついに流れてきた。
ちょうどその夜は、増田先生がハンガリーでの指導のため同じ羽田空港から出発する日だった。あわよくば出発前の増田先生と合流してビールでも奢ってもらおうかと考えていたのだが、荷物が流れてくるのが遅れたため、増田先生はさっさとラウンジに行ってしまった。残念。LINEで増田先生に激励のメッセージを送ると、モノレールで浜松町まで移動し、立ち食い蕎麦を食べた。帰国してすぐの蕎麦のなんと旨いこと!そこでビジネスホテルにチェックインすると、時差ボケでよく眠れないながらも横になり休息をとった。
8月3日(水)
ホテルを朝7時前に出ると、電車で小平道場に向かう。午前10時から一般クラスの指導があるためだ。チュニジアも暑かったが、日本はまた違った暑さがある。小平道場に到着し、小林先生に帰国の報告を行い、稽古の準備をする。一週間かけて小平道場から出発して小平道場に戻ったわけで、まるで一週間不思議の国に行っていたのかのような妙な感覚を覚えた。
そうして私はまた日本での日常に戻っていった。
指導部:笠原祐二
**************
私、笠原は2022年7月末、コロナ禍が始まって以来、小林道場指導部にとって初の海外指導となる、チュニジアでの海外指導を行った。
このコロナ禍の中での海外渡航は普段なかなか経験することができないことなので、今後のための記録も兼ねて以下に経過を記すことにする。
7月27日(水)
小平道場での夕方の子供クラスの指導を終えると、さっとシャワーを浴び、戸締りをすると、小林先生の運転する車で国分寺駅に向かった。
タクシーで駅まで行くつもりだったが、小林先生が送っていく、と言ってくださったため、ありがたくその好意に甘えることにした。
国分寺駅に到着したのは午後7時。私の便は羽田空港午後10時発なのだが間に合うだろうか?
中央線、山手線、モノレールを乗り継いで羽田空港第3ターミナルに午後9時前に到着。なんとかなりそうだ。
前々日に空港宅急便にて発送していたスーツケースを受け取ると、カウンターにてチェックイン。あちらの会員から剣杖4セットの注文を受けていたので、そのプチプチぐるぐる巻きのでかい荷物にどれだけの超過料金をとられるのかとドキドキしていたが、通常料金の規定に収まっていたらしく、超過料金無し。これは幸先が良い。
出国、搭乗はスイスイ進む。コロナの陰性証明書のチェック等何もない。
イスタンブールまで13時間、機上の人となり狭いエコノミーの座席の中で泥のように眠った。
7月28日(木)
イスタンブールの巨大な空港で乗り換え。空港職員以外誰もマスクをしていない。自分も外した。空港のサブウェイで腹ごなしを済ませる。ツナサンドイッチのツナがサバの味がする。これはトルコ人の好みに合わせて「ツナ」と名乗りながらも実際にはサバを入れているのではないかと疑念が湧いた。
チュニス行のエアバスの狭い機材乗り込む。アラビア語、トルコ語、フランス語、英語が飛び交い、どことなくジャスミンの香りが漂う。狭苦しいがたった3時間の辛抱だ。なんとかなるだろう。
午前9時にチュニスに到着。入国手続きはすぐに済んだ。コロナのワクチン接種証明のアプリの確認があるのかと思い準備していたが、そんな必要は無かった。そもそも空港職員以外誰もマスクしていない。前回コロナ禍前に来た時と何も変わらない。
入国を終え、空港建物内で現地代表のアジズを待っていたが、なかなか迎えに来てくれない。電話をするとセキュリティチェックが厳しくなったため建物内に入れないとのこと。建物の外に出るとアジズ他数名の現地会員の顔が見えた。数年ぶりだったがすぐに分かった。
外は日差しが強く、暑く、湿度もそれなりにあったが、日本のようなジトっとした感じは無い。
ホテルのチェックインにはまだ早い時間だったので、皆で女性会員のアフェフの家があるチュニスから東へ10キロほどのシディ・ブ・サイドへ向かう。アフェフの家で昼食のクスクスを食べレモネードで一服すると近隣の観光地をぶらつく。この地区の全ての建物は白い壁と青い窓枠の二色でしかない。抜けるような青空に綺麗に映える。チュニス湾が一望できるカフェで一休み。遠くにシチリア島が見える。

その後ホテルにチェックインし、夕食はシーフードレストランに連れて行ってもらいご馳走になった。チュニジアは海沿いの国ということもあるのだろうが、シーフードが豊富で美味しい。
夜は長旅の疲れですぐ眠れるかと思ったが、時差ボケのせいでなかなか寝付けなかった。
7月29日(金)
この日は午前中にチュニスの南にあるベンナラスという街のアジズの道場で昇段審査が行われた。この辺りの公民館のようなところの一室にレスリングマットが敷いてある道場だ。換気扇が一つあるのみでエアコンは無い。しかも審査中は音がうるさいので換気扇は止めてしまう。暑い。審査の立ち合いとしてただ座っているだけでも汗が止まらない。
初段11名、弐段6名、参段1名の審査が行われ、初段の1名を除き全員合格。本来はこの倍ほどの人数が受験予定だったが、主にアルジェリアからの受験予定者がコロナの関係でチュニジアに入国できず、受験できなかった。
審査後、道場近くのピザ屋ででかいピザを注文したが、暑さのためかあまり食欲が無く、半分も食べられないので持ち帰りにしてもらった。
エアコンの効いたホテルで一休みすると、夕方、歴史的な遺跡や大統領府のあるカルタゴに行き、そこにあるアフェフ担当の道場で最初の講習会を行った。
ここはダンススクールのようなところで、小ぶりな体育館のようなところにジョイントマットが敷き詰められている。家庭用のエアコンが一台あるのみだったがそれでもかなり涼しく感じる。
講習会での私の仕事は合気道の楽しさを伝えることだ。国は異なっても大した違いは無い。技を練習し、最初ぎこちなかった動きが次第にスイスイと動けるようになってくると皆の表情に笑顔が見られるようになってきた。
その夜は海沿いのレストラン街で再びシーフード料理に舌鼓を打った。
7月30日(土)
この日は午前中と午後に講習会。場所はチュニス市内のオリンピック関連施設の集まるスポーツ施設の一つ。空手練習場を貸し切りで利用するのだが、エアコンは無い。ドア二か所を開けっぱなしにして辛うじて空気の流れはあるのだが、その外からの空気そのものが熱気を帯びている。
水をこまめに飲みながら指導していたが、終わり近くになるとフラフラしてきた。汗も止まらない。熱中症になりかけているなと自覚できた。
なんとかその午前の講習会を根性で終わらせたが、フラフラは続く。早いところ涼しいホテルで午後の講習会のために休まなければと思っているのだが、講習会参加者達からの「先生と一緒に記念写真を撮らせてください」の攻勢が続く。汗だくの青白い顔に無理やり笑顔を浮かべてその要望に地道に応える。
その記念写真地獄から解放されると、昼食は断り、ホテルに直接送り届けてもらった。固形物は口にする気には到底なれなかったので、オレンジジュースだけ飲みホテルのベッドで体力回復に努めた。
二時間ほど横になっていると幾分体調も良くなった。が、依然食欲はまったく無い。みぞおちのあたりにも時折締め付けられるような痛みが起こる。下痢気味でもあるが、食べ物にあたった感じでは無い。
迎えの車に乗って少し早めに講習会会場に向かう。午後の講習会は夕方近くだったので幾分涼しかったが、それでも汗だくにはなる。そんな暑い中でも参加者達は活発に動いているので、私もそれに触発されついつい張り切ってしまった。途中、強烈な便意に襲われたので、「ここで15分ほど休憩にしましょう」と声をかけ、トイレに急行。やはり下痢だ。熱中症の症状だ。
チュニジア、および中東圏ではホテルや個人宅以外でまずトイレットペーパーというものは設置されていない。また便座というものも公共施設ではほとんど見たことが無い。あったとしてもあまり直接臀部を設置したくないような状態がほとんどだ。
つまり、用を足すためには洋式便器をまたぐように四股立ちで立ち、便器の中央にブツがうまく落下するように腰をベリーダンスのようにくねらせ「発射口」の角度を調整することになる。最初のうちはかなり難しいが、慣れればなんともなくなった。よく考えたら和式便所も立つ向きは違うが同じだ。
コトが終わっても紙が無いわけなのだが、どんなトイレにも必ず放水銃のようなものが設置してある。その水と左手で肛門付近を洗うわけなのだが、これには何度チャレンジしても失敗した。どうやってもトイレ中を水浸しにしてしまう。現地の人間はどのようにやっているのか見てみたいと思ったが、「ちょっと洗っているところ実際に見せて」と頼むわけにもいかない。今後の研究課題である。
そんなこんなで講習会に戻ると、参加者達はトイレで私がそんな悪戦苦闘をしていたことなど露知らず、元気に私の指導についてきた。これでも一応「プロ」なので仕事中はシャキッとしなければならない。この日の午後の講習会もなんとか乗り切った。
毎度の延々続く写真撮影の儀式の後、その日は夕食の申し出を断り、直接ホテルに戻してもらった。相変わらず食欲は全く無い。とにかくエアコンの効いた自室で一刻も早く横になりたかった。その夜はそのままぐったりと眠りについた。

7月31日(日)
朝、目覚めると体調はかなり良くなっており、ホテルでの朝食も少しだが食べられるようになっていた。オリーブの塩漬けが美味しい。
その日の朝は市内の診療所に行って、PCR検査を受けなければならない。日本を発つ前にネットで予約していた診療所だ。9時に講習会を始めなければならないので、朝7時半の朝一番の枠を予約していた。
7時20分頃にその診療所に到着したが、シャッターが閉まっている。
7時半になってもまだ閉まったままだ。いやな予感がしてきたが、7時40分頃になってようやく看護師らしき女性が「ぼんじゅー!」と言って現れた。
一万円程の検査費用を支払い、鼻に綿棒を突っ込まれグリグリされる。綿棒を抜かれたとたんに盛大にくしゃみをしてしまった。
日本に帰国するためには出国72時間以内にPCR検査を受け陰性証明書を書いてもらい、それを持った状態でなければ帰国便に搭乗できないのだ。これで陽性だった場合、その国にさらに一週間ほど延長で滞在し、再度PCR検査を受けなければならない。陰性が出るまでそれを繰り返すことになるので、この時期の海外渡航は日本人にとってはまさにギャンブルだ。結果が出るまで二時間ほどかかるとのことで、それまでかなりドキドキする。
その日は講習会が午前中にあるのみで、その最中に会員の一人が検査結果を診療所からもってきてくれた。結果は陰性。ほっとした。
講習会での指導が終わると、在チュニジア日本大使館より清水大使夫妻が見学に来られた。アジズが前々からぜひ見学をと大使館に打診していたのだ。
大使夫妻臨席の下、講習会に参加した会員達の演武が道場ごとに行われた。大使ご夫妻は合気道の名前は聞いたことはあるが実際にしっかりと見るのは初めてとのことだったので、私は解説を行いながら参加者達の演武を眺めた。

一通り演武が終わると、記念の盾が清水大使に贈られ、そして私個人と、合気道小林道場に贈られた。
私自身、演武する気満々だったのだが、アジズが私の体調があまり良くないことを慮って私に演武する場を設けなかったのだ。
いやいやいやいやいや、やるよ、やりますよ。というか、はるばる日本からやってきて、この暑い中頑張ったのだ。大使も臨席されているのだから最後のシメとして演武やらせてくれよ、という気持ちになった。
私は袴の紐を締め直すと、活きの良い受け二人を指名し演武を行った。この時点で私の体調はほぼ全快していた。
そうして私のチュニジアでの指導は終焉をむかえることとなった。
その後、ホテルでさっとシャワーを浴びると、会員のブラヒムに「今から海に行くよ!」と告げられ車に乗せられた。「午後2時からでスキューバダイビングの予約をしてあるから急ぐよ!」とのことで高速道路を北へ向けぶっ飛ばす。外は基本的に砂漠のような荒野が広がっている。ところどころにオリーブ畑がある。
一時間ほどで海岸に到着。そこで船に乗せらせダイビングスポットに向かう。スキューバダイビングなんぞそれまでやったことはなく、ライセンスも何も持っていなかったのだが、インストラクターと一緒に潜るのでオッケーとのことだ。
基本的なハンドサインや耳抜きの仕方等の講習を受けると、海にドボンと入水した。海の水は適度にひんやりして気持ちいい。足ヒレを使ってスイスイと泳ぎだしたが、講習会直後であったので両太腿がこわばってしまいうまく動かせなくなった。インストラクターに海中でマッサージしてもらっても治らない。結果的に「足は動かさなくていい」と言われ、インストラクターに引っ張られながら海中散歩した。サンゴの間で戯れる熱帯魚やウニやらのなかなかに綺麗な光景が目の前に広がる。これはなかなかに楽しかった。
その夜はアフェフの家でディナーパーティーが行われた。アフェフが作る手料理に舌鼓を打つと、お別れの歌として「島人の宝」を歌った。アジズも自身の出身地であるアルジェリアの歌を披露した。そんなこんなでその夜は和やかな雰囲気で暮れていった。

8月1日(月)
帰国の日だ。ホテルを11時にチェックアウトするとアジズとともに空港に向かう。帰国便は午後5時出発の予定だが早めに手続きしたかった。チェックインカウンターに並ぶがそこには長蛇の列ができていた。バカンスの時期なのでしようがない。二時間並んでやっとチェックインカウンターの前まで来ると、講習会に参加していた会員の青年が現れた。空港で警察官として働いているそうで、彼の父親も警察関係の重要なポストに就いているらしく、係員に一言つぶやくと私のチェックインをさっと済ませてしまった。
その後の手荷物検査や出国手続きも、長い行列を横に顔パスでスイスイ。搭乗口でも彼の仲間の警備のおじさんが「こっちだ!」と言って行列の前に強制的に割り込ませてくれた。なんか他の乗客の恨めしそうな目が気になってしまうので、そこまでしてもらわなくても良かったのだが、このような好意は断るほうが野暮というものだ。
8月2日(火)
イスタンブールに着いた時点で真夜中近かったのだが、まるで昼間であるかのようにこの広大な新空港は旅人たちで活気にあふれていた。さすがは世界屈指のハブ空港だ。ただし、乗り継ぎの搭乗口が離れているととんでもなく歩かされる破目になる。乗り継ぎの4時間ほどあったのでここでお土産を買うことにした。チュニスでは熱中症やら何やらでお土産を買う暇が全くなかったのだ。
さて、搭乗時間になり羽田行の便の搭乗口に行くと、そこで陰性証明書のチェックがあった。といっても係員がさっと目を通してハンコをポンッと押すだけなのだが。これをやっているのは日本行の便の搭乗口だけだった。一日あたりの感染者数が世界一となっている状態の国に帰るのに、この書類を用意することにどれだけの意味があるのかはあえて考えないようにした。

機上では毛布2枚をポンチョのように体に巻き付けて寝た。機内は空調が利いていてそのまま寝てしまうと結構体が冷えてしまうので、私はいつもこのスタイルだ。
午後7時頃、無事羽田の国際ターミナルに到着。モワッとした湿気を帯びた暖かい空気に日本に帰ってきた実感が湧いた。羽田の国際線ターミナルでは到着後長い長い通路を延々と歩かされることになる。2キロぐらい歩いただろうか。なんでこんな設計にしたのだろう?
通路の先で陰性証明書のチェックがあったが、イスタンブールにいる間にスマホに入れてあったMySOSというアプリに必要事項を事前に登録してあったので、すぐに終わった。
問題だったのは荷物だ。預けた荷物がなかなかベルトコンベヤーに流れてこない。イスタンブールに取り残されてしまっているのかとの不安がよぎったが、一時間ほどしてついに流れてきた。
ちょうどその夜は、増田先生がハンガリーでの指導のため同じ羽田空港から出発する日だった。あわよくば出発前の増田先生と合流してビールでも奢ってもらおうかと考えていたのだが、荷物が流れてくるのが遅れたため、増田先生はさっさとラウンジに行ってしまった。残念。LINEで増田先生に激励のメッセージを送ると、モノレールで浜松町まで移動し、立ち食い蕎麦を食べた。帰国してすぐの蕎麦のなんと旨いこと!そこでビジネスホテルにチェックインすると、時差ボケでよく眠れないながらも横になり休息をとった。
8月3日(水)
ホテルを朝7時前に出ると、電車で小平道場に向かう。午前10時から一般クラスの指導があるためだ。チュニジアも暑かったが、日本はまた違った暑さがある。小平道場に到着し、小林先生に帰国の報告を行い、稽古の準備をする。一週間かけて小平道場から出発して小平道場に戻ったわけで、まるで一週間不思議の国に行っていたのかのような妙な感覚を覚えた。
そうして私はまた日本での日常に戻っていった。
指導部:笠原祐二
kobayashidojo at 16:57|Permalink
December 01, 2021
農工大体験授業 in 府中道場
今年2回目の農工大生の合気道体験授業が行われました。


東京農工大学の工学部、工学府の学生(日本、マレーシア、ブラジル、インドネシア)がお世話になりました。
初めてのわくわくする合気道体験をありがとうございました。
弘明先生と府中道場の皆様に感謝申し上げます。
府中道場
早狩夏実
Engineering students of Tokyo University of Agriculture and Technology,
from Japan, Malaysia, Brazil, Indonesia, enjoyed every minute of Aikido experience.
Many many thanks to Hiroaki-sensei and Fuchu dojo members!
Natsumi Hayakari (Fuchu Dojo)


東京農工大学の工学部、工学府の学生(日本、マレーシア、ブラジル、インドネシア)がお世話になりました。
初めてのわくわくする合気道体験をありがとうございました。
弘明先生と府中道場の皆様に感謝申し上げます。
府中道場
早狩夏実
Engineering students of Tokyo University of Agriculture and Technology,
from Japan, Malaysia, Brazil, Indonesia, enjoyed every minute of Aikido experience.
Many many thanks to Hiroaki-sensei and Fuchu dojo members!
Natsumi Hayakari (Fuchu Dojo)
kobayashidojo at 14:36|Permalink
October 29, 2021
農工大体験授業

農工大の学生が今年も府中道場で合気道体験させていただきました。
弘明先生、道場の皆様に感謝申し上げます。
Students of Tokyo University of Agriculture and Technology had
aikido experience at Kobayashi dojo yesterday.
We had so much fun! Many thanks to Chief Master Hiroaki-senesi of Kobayashi dojo and dojo members for your support.
文責:早狩夏実(府中道場)
kobayashidojo at 09:53|Permalink
July 16, 2021
東京オリンピック2020
小平道場で長年稽古していたカナダ出身のティム・ターナーさんは、1984年のロサンゼルスオリンピックにボートで出場したオリンピック選手です。
結果は四人乗りの部で6位入賞でした。因みに弟さんは8人乗りの部で見事金メダルだったそうです。

後ろがティムさん
彼はアフリカ開発銀行の職員として、チュニジアやコートジボワールに滞在し、現地で合気道を続けていました。その関係で、チュニジアやコートジボワールにも合気道小林道場の輪が広がっています。
彼は今でもボートの練習を行っていますが、今回の東京オリンピックに彼の教え子とも言うべき人がコートジボワール代表に選ばれました。名前をフランク・ンドリ選手といいます。



ターナーさんとフランク選手の動画もあります。
皆さんぜひ応援をお願いします!
結果は四人乗りの部で6位入賞でした。因みに弟さんは8人乗りの部で見事金メダルだったそうです。

後ろがティムさん
彼はアフリカ開発銀行の職員として、チュニジアやコートジボワールに滞在し、現地で合気道を続けていました。その関係で、チュニジアやコートジボワールにも合気道小林道場の輪が広がっています。
彼は今でもボートの練習を行っていますが、今回の東京オリンピックに彼の教え子とも言うべき人がコートジボワール代表に選ばれました。名前をフランク・ンドリ選手といいます。



ターナーさんとフランク選手の動画もあります。
皆さんぜひ応援をお願いします!
kobayashidojo at 11:24|Permalink
February 19, 2021
December 22, 2020
シャンパンを楽しむ会

12月の土曜日の夕方に、小平道場土曜日の朝稽古の仲間とともに「シャンパンを楽しむ会」を開催しました。同時に11月の審査の昇段のお祝いもしていただきました。会場は小平道場です。
総師範と香穂ちゃんを含めた総勢6名の小規模な会で、ソーシャルディスタンスを意識しながら、フェイスシールドを着用しての会合です。
このところ、皆で集まって飲食することが困難となっています。このためフェイスシールドを着けながらの飲食に、悪戦苦闘しながらも、総師範に用意していただいたシャンパン,道場長からの差し入れに加えて小林道場の温かい雰囲気を思いきり堪能しました。

新型コロナウィルスのため、これまで普通であった日常生活が一変しました。小林道場においても国の緊急事態宣言のため、合気道の稽古が一時期中断され、また道場でのお花見や暑気払い等の会も開催されませんでした。
段審査においては3月と7月の2回審査が見送られました。11月の審査は行われましたが、審査会場が変更され、見学不可、また任意ではあるものの、マスク着用が基本と、これまでの審査とは大きく変わりました。日常という普通の日々を奪われることがどのようなものであるかを経験させられた年でありました。

稽古中断という期間を経験し、海外では稽古をまだ再開できない道場もある中で、普通に稽古できることに感謝するようになりました。これから世の中がどのようになっていくか分かりませんが、極力普通であり続けるために、日常という名の普通の生活が戻るまで、感染対策をしながら楽しく稽古を続けたいと思います。
吉祥寺道場 森 美和子
kobayashidojo at 07:48|Permalink
December 08, 2020
農工大生の合気道体験第2弾

東京農工大学の日本人学生3名、留学生4名(Peru, Vietnam, Indonesia, China)が
合気道を初めて体験しました。雨の寒い日でしたが、とても嬉しそうでした。
弘明先生を始め府中道場の皆様に心から感謝申し上げます。
府中道場 早狩夏実


Aikido experience for Tokyo Nokodai (TUAT) students: part II
TUAT students including international students (from Peru, Vietnam, Indonesia, China)
participated in Aikido practice for the first time in their life.
Despite the cold and rainy weather, the students had an exciting time.
Thank you, Hiroaki-sensei, and all the Fuchu dojo members!
Natsumi Hayakari (Fuchu Dojo)
その他の写真はこちらをご覧下さい。
kobayashidojo at 07:41|Permalink
October 31, 2020
東京農工大学課外授業@府中道場

東京農工大学の学生が「日本の文化」の科目の課外授業で
初の合気道体験をさせてもらいました。
心と体が軽くなり、笑顔溢れる一時間でした。
弘明道場長、府中道場の皆様に感謝です。


Students of Tokyo University of Agriculture and Technology
visited Kobayashi dojo and experienced aikido for the first time in their life.
Thanks to Hiroaki-dojocho and Fuchu dojo members,
as these smiles show, we truly had a fantastic time.
府中道場 早狩夏実
kobayashidojo at 21:25|Permalink
October 02, 2020
総師範 is back!
皆様ご存じの様に、新型コロナ肺炎の流行を受けて2ヶ月の道場閉鎖の後、6月より稽古を再開しました。稽古再開にあたり、手の消毒、稽古時のマスク着用の推奨、消毒液による雑巾がけなどの感染予防対策を行って稽古して来ました。
また、総師範の年齢を考え、総師範の小平道場以外での稽古を中止していました。
本来、所沢道場の木曜午前稽古は総師範が指導していましたが、再開後は指導を止めていました。稽古再開より3ヶ月経ち、総師範の指導を熱望する声もあり、10月より第一、第三木曜日は総師範が復帰して指導します。
10月1日がちょうど木曜日となり、切りよく総師範の指導となりました。事前に所沢道場のホワイトボードで告知していたため、大勢の方が参加しました。
総師範は9月20日が誕生日で84歳になったばかりですが、誰よりも元気よく受け身を取りながら指導されました。どうぞ写真をご覧下さい。




また、総師範の年齢を考え、総師範の小平道場以外での稽古を中止していました。
本来、所沢道場の木曜午前稽古は総師範が指導していましたが、再開後は指導を止めていました。稽古再開より3ヶ月経ち、総師範の指導を熱望する声もあり、10月より第一、第三木曜日は総師範が復帰して指導します。
10月1日がちょうど木曜日となり、切りよく総師範の指導となりました。事前に所沢道場のホワイトボードで告知していたため、大勢の方が参加しました。
総師範は9月20日が誕生日で84歳になったばかりですが、誰よりも元気よく受け身を取りながら指導されました。どうぞ写真をご覧下さい。




kobayashidojo at 22:26|Permalink
February 27, 2020
改築、引っ越し終了報告と食事会
昨年5月に自宅が火災となり、建物半焼、家財全損となりました。
その際には、皆様方に沢山のお見舞い、励ましのお言葉をいただき、感謝しております。ありがとうございました。
別の場所への仮住まいを余儀なくされていましたが、11月末に元の場所に家の改築が終了して引っ越し、無事に正月を迎えることができました。そして令和2年になり、おかげさまでほぼ元の生活に戻ることができました。2階がなくなり家の大きさはほぼ半分になりましたが、囲炉裏のある純和風の家が完成しました。

そして2月26日、総師範を自宅にお招きして改築の家をみていただきたく、食事会をさせていただきました。昔からの合気道の道友3名(沢田、谷村、上野耕の各師範)も参加して、たっぷりじっくり飲んで飲んで話して話して・・・アッという間の4時間でした。

総師範に掛け軸「合気道」を書いていただいたこと、大変感謝しております。
私事で恐縮ですが、昨年で道歴50年となり以前よりお願いしていましたが、実物を手にして感激! 私の宝物にいたします。
早速床の間に掛けさせていただきました。
また神棚とその下に刀掛けを設け、道場の雰囲気を居間で味わえるようにしました。
総師範もいいね。と頷いてくれました。

遠いところ、またお忙しいところ、本当によく来ていくださいました。そしてお疲れ様でした。埼玉県上尾市堤崎(つつみざき)という地名です。お近くに来る際は是非お立ち寄りください。
指導部 小林幹雄
その際には、皆様方に沢山のお見舞い、励ましのお言葉をいただき、感謝しております。ありがとうございました。
別の場所への仮住まいを余儀なくされていましたが、11月末に元の場所に家の改築が終了して引っ越し、無事に正月を迎えることができました。そして令和2年になり、おかげさまでほぼ元の生活に戻ることができました。2階がなくなり家の大きさはほぼ半分になりましたが、囲炉裏のある純和風の家が完成しました。

そして2月26日、総師範を自宅にお招きして改築の家をみていただきたく、食事会をさせていただきました。昔からの合気道の道友3名(沢田、谷村、上野耕の各師範)も参加して、たっぷりじっくり飲んで飲んで話して話して・・・アッという間の4時間でした。

総師範に掛け軸「合気道」を書いていただいたこと、大変感謝しております。
私事で恐縮ですが、昨年で道歴50年となり以前よりお願いしていましたが、実物を手にして感激! 私の宝物にいたします。
早速床の間に掛けさせていただきました。
また神棚とその下に刀掛けを設け、道場の雰囲気を居間で味わえるようにしました。
総師範もいいね。と頷いてくれました。

遠いところ、またお忙しいところ、本当によく来ていくださいました。そしてお疲れ様でした。埼玉県上尾市堤崎(つつみざき)という地名です。お近くに来る際は是非お立ち寄りください。
指導部 小林幹雄
kobayashidojo at 16:07|Permalink
February 20, 2020
直江さんを偲ぶ会
小平道場の直江さんがお亡くなりになりました。私達の大事な先輩であり、兄貴であり、親父さんであった方です。稽古ではいつも明るくユーモアがあり、優しく、お酒の大好きな方でした。

先日、2月16日に息子さんご夫妻が「直江さんを偲ぶ会」を開いてくださいました。直江さんがお好きだった剣杖のこと、指導された稽古で必ず出てくる腰投げのこと、「まだやっているのか」と総師範に呆れられた自主稽古のこと、尽きぬ思い出を語り合い、寂しいけれど暖かな会でした。
直江さんは最後まで「あの若いのを弐段にしなきゃな」「あの元気なのが初段を取るのが楽しみだな」と若者の成長を楽しみに指導されていました。時には自分の審査もそっちのけで教えられていたのも、今では良い思い出です。私達は、直江さんの若者への思いを受け継ぎ、また稽古に励んでいきたいと思います。

写真:五段昇段時の直江さん
末筆ですが、私自身、弍段から四段まで、いつの審査のときにも稽古に付き合ってくださり、受けを取ってくださったことに感謝の言葉しかありません。
深く哀悼の意を捧げたいと思います。
小平道場 宇佐由美子

先日、2月16日に息子さんご夫妻が「直江さんを偲ぶ会」を開いてくださいました。直江さんがお好きだった剣杖のこと、指導された稽古で必ず出てくる腰投げのこと、「まだやっているのか」と総師範に呆れられた自主稽古のこと、尽きぬ思い出を語り合い、寂しいけれど暖かな会でした。
直江さんは最後まで「あの若いのを弐段にしなきゃな」「あの元気なのが初段を取るのが楽しみだな」と若者の成長を楽しみに指導されていました。時には自分の審査もそっちのけで教えられていたのも、今では良い思い出です。私達は、直江さんの若者への思いを受け継ぎ、また稽古に励んでいきたいと思います。

写真:五段昇段時の直江さん
末筆ですが、私自身、弍段から四段まで、いつの審査のときにも稽古に付き合ってくださり、受けを取ってくださったことに感謝の言葉しかありません。
深く哀悼の意を捧げたいと思います。
小平道場 宇佐由美子
kobayashidojo at 14:25|Permalink
November 01, 2019
サンディエゴ訪問記
小林保雄総師範、笠原祐二先生、そして主人と私の4人で10月1日〜10日迄米国サンディエゴに行き、剣心館道場での稽古、およびサンセットクリフ道場においての講習会に参加してまいりました。

気候は温暖でとても過ごしやすく、又、稽古の方も楽しく参加出来て良かったです。外国の人達はとても熱心で、素直で、とにかく見習うことが沢山ありました。特に小林総師範の杖の講習は勉強になりました。
そして何よりも私達をサンディエゴ空港まで迎えに来てくださったケン・マクベス先生のお弟子さん、シカゴから来たスティーブン豊田先生(今回私達を招待してくれた人)、現地の日本女性のKayさん(かずよさん)10日間も休暇を取り、車での送り迎えをして下さり、その他の気配り色々と面倒を見て頂き本当に助かりました。感謝の言葉もありません。
また、観光案内の方も考えてくださり短い時間で効率よく色んなところへ連れて行ってもらいました。クルージング、ラホヤ観光、ミッションビーチ、軍人墓地等、特に野生のアザラシは手の届くところで見られて感激しました。笠原先生には「手を出すと噛みつかれるよ」と脅されましたけど。

私は小林総師範と海外に何回かご一緒させて頂きましたが、必ずトラブルを起こすので超有名になってしまいました。ギリシャでは到着早々スリに遭って全額を失い、ハワイではパスポート紛失、カナダに行く時もパスポートを置き忘れ飛行機を30分も遅らせる大騒ぎ。数え切れないくらい!なので今回は何事もないよう心掛けてました。英語が堪能な笠原先生と一緒で本当に心強かったです。

米国でも小林総師範の知名度が高いのには驚きました。講習会にはベルギー、アラスカ、クウェート、韓国そしてアメリカ中よりたくさんの合気道の人達が来て友達になりました。現地在住の勝山さん親子からは、今度来る時はうちに泊まってとも言われました。
楽しかった10日間、あっという間に過ぎてしまいました。帰りたくない、もっと居たい。
私が英語を喋れたら、此処に住みたいと本当に思ったほどの素晴らしいサンディエゴでした。

稽古も楽しく、興味深くできて、優しく親切に接してくれたサンディエゴの人達、遠くから駆けつけてくれた人達、小林総師範、笠原先生 素敵な出会い有難うございました。
合気道東湖塾 忍山直子






気候は温暖でとても過ごしやすく、又、稽古の方も楽しく参加出来て良かったです。外国の人達はとても熱心で、素直で、とにかく見習うことが沢山ありました。特に小林総師範の杖の講習は勉強になりました。
そして何よりも私達をサンディエゴ空港まで迎えに来てくださったケン・マクベス先生のお弟子さん、シカゴから来たスティーブン豊田先生(今回私達を招待してくれた人)、現地の日本女性のKayさん(かずよさん)10日間も休暇を取り、車での送り迎えをして下さり、その他の気配り色々と面倒を見て頂き本当に助かりました。感謝の言葉もありません。
また、観光案内の方も考えてくださり短い時間で効率よく色んなところへ連れて行ってもらいました。クルージング、ラホヤ観光、ミッションビーチ、軍人墓地等、特に野生のアザラシは手の届くところで見られて感激しました。笠原先生には「手を出すと噛みつかれるよ」と脅されましたけど。

私は小林総師範と海外に何回かご一緒させて頂きましたが、必ずトラブルを起こすので超有名になってしまいました。ギリシャでは到着早々スリに遭って全額を失い、ハワイではパスポート紛失、カナダに行く時もパスポートを置き忘れ飛行機を30分も遅らせる大騒ぎ。数え切れないくらい!なので今回は何事もないよう心掛けてました。英語が堪能な笠原先生と一緒で本当に心強かったです。

米国でも小林総師範の知名度が高いのには驚きました。講習会にはベルギー、アラスカ、クウェート、韓国そしてアメリカ中よりたくさんの合気道の人達が来て友達になりました。現地在住の勝山さん親子からは、今度来る時はうちに泊まってとも言われました。
楽しかった10日間、あっという間に過ぎてしまいました。帰りたくない、もっと居たい。
私が英語を喋れたら、此処に住みたいと本当に思ったほどの素晴らしいサンディエゴでした。

稽古も楽しく、興味深くできて、優しく親切に接してくれたサンディエゴの人達、遠くから駆けつけてくれた人達、小林総師範、笠原先生 素敵な出会い有難うございました。
合気道東湖塾 忍山直子





kobayashidojo at 10:00|Permalink
October 07, 2019
参・韓・師・恩(三寒四温)

「小泉さん、韓国に行きませんか」と数か月前、道場長からのお誘い。9月28日(土)・29日(日)に韓国で講習会と25周年の演武大会が行われるとのことでした。「韓国! 今、大丈夫かな?」 というのがその時の素直な気持ちでした。初めは迷っていましたが、何度か声をかけて頂いているうちに「実際はどうなのか、自分の目で確かめてみたい」という気持ちも膨らみ、韓国行きを決意、同行させて頂くことに致しました。
韓国へは小林道場長、先生の奥様、新座道場の福島健太郎氏との同行でした。先生御一行は、講習会前日の昼間に韓国入り。私は仕事が終った後、羽田の最終便で、後から追いかけました。20時に羽田を発って2時間後、「まもなく目的地の金浦国際空港に到着いたします」との機内アナウンス。
「ついに来てしまった、韓国に」 などと期待と不安に窓の外を眺めると、眼下に輝く韓国の夜景。美しく広がるその光景に、気持ちは高ぶるのでした。
空港を出て、地下鉄に乗り、なんとかその日のうちに先生御一行と同じホテルに到着。
翌日のスケジュールは、午前中は観光で昼食の後、午後2時から講習会、4時から演武大会、その後は懇親会ということでした。

9時半にホテルのロビーに集合。やっと先生、奥様、福島さんと合流。ロビーには韓国のユン先生と奥様、ご子息も来られ、初対面のご挨拶。少し緊張しましたが、皆様、朗らかで日本語も堪能でいらしたので、すぐに打ち解けることができました。
車で観光と昼食に連れて行ってくださるとのことで、ユン先生自らの運転で出発。約一時間の移動でしたが、車内では色々な話で盛り上がりました。 「韓国に行くということで、回りの人に心配されませんでしたか」というユン先生の質問には、笑顔で「少しだけ(汗)」という場面も。
一番印象深かったのは、ユン先生は昔色々な格闘技を経験され、ムエタイではチャンピオンだったこともある方ですが、合気道を始められたのは、”他の格闘技や武道はぶつかり合い、相手を倒すもの。合気道だけが唯一、「和」の武道だから”、とおっしゃられたことです。
私は、まだ合気道を始めて間もないので、ユン先生のおっしゃる「和」の境地を理解するには程遠いのかもしれませんが、韓国に来て、初めにこのような言葉を聞いたことは、最近の報道による私の中にできた韓国のイメージを払拭するには、充分でした。


一時間後、目的地の北漢山(ブカンサン)国立公園に到着。入り口付近には、寺院のような韓国独特の木造建築が立ち並んでおり、「えっこれが民家なの?」などと話しながら、どなたかの家の前で早速記念撮影。天気はまたとないハイキング日和、そのまま、公園の中へ。北漢山は800m級の眺めの良い山。自然が美しく市民の憩いの場所とのことでしたが、時間の関係上、ユン先生に予約を入れておいて頂いていた、ふもとの渓谷の脇にあるお食事処へ直行。薬草と鳥ガラで、だしを取った鳥鍋と真っ赤な激辛風の鳥鍋を皆で頂きました。アウトドアで自然に囲まれながらの食事は最高でした。
福島さんが「普段は辛い物は食べないけど、韓国に来ると大丈夫なんだよね」と激辛鍋を美味しそうに食べているので、私も挑戦。確かに辛いのですが、うま味があるのでいくらでも食べたくなるような辛さで箸が止まりませんでした。最後はだし汁のおかゆで〆というボリューム満点、栄養満点の昼食をごちそうになりました。(山で拾ってきたと両手一杯の栗をくれた、賄いのおばちゃんありがとう)


食事の後は、いよいよ講習会です。一行は、会場である市内の小学校へと向かいました。
到着するとユン先生の道場や、お弟子さんの道場から続々と人が集まって来ていました。準備ができた頃、会場である体育館へ。会場には200人近いお弟子さん達が既に控えてました。早々に着替えを済ませ、皆に合流。
ユン先生の挨拶の後、道場長の講習会が始まりました。皆の前で何人かを相手に技の指導を行い、その後は各々で掛り稽古。言葉はあまり通じなくても、稽古はいつものようでした。2時間みっちりと汗を流し、本日の講習会は終了。
暫時休憩をとり、演武会の準備。もうすぐ始まるという頃、私の所に福島さんがいらして「小泉さん、相手決まった?」の問いに 「?」
演武大会のプログラムには、日本からのゲストタイムがあり、福島さんと私は各々現地の方と組み自由技を行うとのことでした。 日本武道館の演武大会と同じ様に考えていた私は、急ぎ相手を探すことに。福島さんのご友人の伝手で体格の似た方を見つけて頂きました。トーハンさんという40代くらいの男性でした。自己紹介をし、よろしくお願いします、と挨拶。 間もなく演武会が始まりました。

2分間の持ち時間で次々と各団体の演武が進んで行きます。可愛らしい子供クラスの杖の演武などもあり、見入っていると一つ疑問が・・・。横にいる福島さんに、「技の名前は、韓国も日本と一緒ですよね」と聞くと、「漢字は同じでも発音は違うと思いますよ」 とのこと。
「と言うことは、自由技で ’片手両手’ と腕を差し出しても、相手に通じないこともあるのですか!?」 「それは多分にありますね」。
その言葉を聞き、急ぎトーハンさんのもとへ、打ち合わせを依頼。彼の腕を両手で掴み「これは何と呼びますか」と聞くと、「モロテ」 とのこと。聞いておいて良かった。 横面、・片手・突きは一緒でした。「この4つで入り、各々4つ技を行います」「時間が余ったら、また最初に戻ります」 と伝え,打ち合わせ終了。
一時間後、そろそろ我々の出番とのことで、控えの場所の移動。ゲストタイムは、演武大会を締めるプログラムの終盤。大取りが道場長の演武、その前がユン先生の演武、そしてその前が、福島さんと私の演武という大事なところ。「いつもの稽古通りやるだけ」 と緊張する自分に言い聞かせていると、いよいよ自分たちの番が。
演武場の中央に正座して礼。会場に響く太鼓の音。後は無我夢中でした。受け手のトーハンさんに上手に受けて頂いたお蔭で、2分間の演武は無事終了。緊張感は、大きな充実感へと変わっていきました。(トーハンさん有難うございました)最後に、ユン先生の演武、そして道場長の演武を皆と一緒に拝見させて頂き、第25回韓国演武大会は閉幕いたしました。
その後一行は、ユン先生の車でホテルに寄った後、懇親会の会場へ。「Bono-bono viking」 というお店でのビアパーティでした。寿司やステーキはその場で調理していたり、パスタや韓国風おでんなど美味しそうなものが満載の最高のバイキングでした。時間がたつに連れ会場は賑やかになり、私に日本語で話かけてくれる方もいたりで、異国の地のいることを忘れてしまう一時でした。

懇親会の最後にユン先生から小林道場へ、これまでの貢献を表彰した記念品の授与がありました。その後、道場長の挨拶にサプライズが。「往復の飛行機代と道場の宿泊費をむすび基金で負担して、男女一名づつの内弟子を受け付けます」との発表がありました。
その途端、会場は我も我もの大盛り上がり。選抜はユン先生に任されることになったのですが、その光景に、日本に行きたい人はこんなにもいるんだな、と感じ入りました。
宴もたけなわでしたが、翌日の講習会もあるため、9時半過ぎには(ご友人達と旧交を温めていらっしゃる福島さんを残し)一行は会場を退席。ユン先生と奥様にホテルまで送って頂きました。翌日帰国の私は、今日一日の手厚いおもてなしにお礼を述べ、ここでお別れとなりました。
道場長と奥様ともホテルのエレベータでお別れ。翌朝一人で帰国の途に就きました。
以上が私の短くも非常に充実した韓国渡航でしたが、この旅で私が感じたことは、日韓関係は反日だけが大きく捉えられていますが、そうでない人達も沢山いるということ。そしてもう一つは、合気道は世界の人と人を結びつけることのできる素晴らしい「和」の武道であると いうことです。
「三寒四温」 とは寒い日が三日続いた後には、暖かい日が四日続くということ。タイトルの「参 韓 師 恩」とは、韓国行きをいざなって頂いた師への感謝の気持ちと、冷え切った日韓関係に暖かい日差しが早く戻ってほしいという願いを込めてつけさせて頂きました。
最後に、道場長はもとより同行して頂いた、奥様、福島さん、ユン先生とご家族の皆様、そして稽古を共にした韓国の合気道家の皆様に
お礼を申し上げます。素晴らしい一日をありがとうございました。カムサハムニダ!
所沢道場 小泉 孝信
kobayashidojo at 11:04|Permalink
September 02, 2019
UK Dai Ichi Gakko (2019)
初めまして、府中道場の石山 曲展(マヒロ)です。今回、8/3~8/13の間、小林 弘明 道場長のイギリス講習会に同行させていただいたので、レポートいたします。
私が滞在した期間としては10日間でしたが、講習会は(金)〜(日)の3日間行われ、日に2~3コマの稽古でした。今回の講習会は私にとって人生初の海外旅行でもありましたが、共に同行した佐藤さん、ブリストルでホスト役をしてくださったMr. Simon Webb、Mr. Curtis Webb、Mr. Simon Halls 、そしてなにより小林 弘明 道場長のおかげでとても充実した忘れられない旅となりました。関係者の皆様に心から感謝しています。
さて、講習自体は3日間だったので、前半は夏のバカンスを満喫していました。
出発の日、調布からバスに乗り、成田へ。直行便ではなかったので、初めて降り立つ海外はムーミンの故郷、フィンランド。旅行へのワクワク感からか、はたまた予想外の気温差のためか、真夏仕様の自分は震えていました。ムーミン谷に仲間入りしたのも、束の間、イギリスへ。アクシデントにより私一人だけビジネスクラスにグレードUP。広い席で「アルコール、プリーズ」という拙い英語を駆使してシャンパンを入手。グラス片手に 映画に熱中しているうちに、旅の目的地イギリスへと到着。滞在先のパディントンへと向かいました。



現地時間8/5(月) 夕刻、ハンガリー指導を終えた弘明道場長と合流。さっそく先生がイギリスに来た時のルーティンということでビビンバを食べに行き、その後はイギリスらしいパブに行きました。パブでは先生から”クリスプス”の注文を承りました。初めの二日間で買い物には慣れつつも”クリスプス”が何か分からないままにカウンターへ。ビールを出されそうになりつつも、なんとか目的のものを購入できたといったような場面もありました。(ちなみにクリスプスとはポテトチップスのことでした。) はじめの5日間はロンドン観光でした。大英博物館で教養を学び、王室御用達でもあった老舗高級百貨店ハロッズでショッピング。トラファルガー広場のナショナルギャラリー、時間の基準であるグリニッジ天文台で経度0°0’0” をまたぎ、ロンドン・アイを下から眺めるといった具合でした。ロンドンに慣れ親しんだ先生の先導により、スムーズな移動で他にもいろいろな所を回ることができました。





イギリスに着いて6日目、本来の目的である講習の開催地へ移動となりました。駅からパディントンベアに見送られ、列車でブリストルに向かいます。都会から牧歌的な風景への変化を楽しんでいるうちに到着。駅のホームでMr. Simon Webb、Mr. Curtis Webb、Mr. Simon Hallsに出迎えられました。
ブリストルは港街で、まずは船の博物館の見学に。世界を巡った客船を見た後は、ホテルにチェックインしSimon氏たちと食事でした。ホテルではさすがヒルトンといった部屋でのびのびと休み、夕食は中華へと向かいました。本場のイギリス英語に戸惑いつつも、中華街に続いて3回目の中華をいただきました。
翌日、Bathの語源であるバースのスパ施設で屋上プールやサウナを楽しみ、夜から稽古でした。徒歩5分の府中道場とは違う、家から20時間以上かかる場所、初対面で言語の違う方々との稽古に緊張を覚えつつも、皆さんとても優しく接してくださいました。稽古後はSimon氏の家で夕食をいただきました。パスタやミートボールなどを作っていただき、ビールはタンクからといったイギリスの家庭での料理を楽しませていただきました。とても美味しかったです。






2日目は一日中稽古でした。まず、早朝の子供クラスから行いました。日本での子供クラスと同じ感じでしたが、最年少では2歳の子も参加していたことに驚きました。2歳ながらも先生に技をかけていました。午前、午後とひさしぶりにみっちり稽古をした後はカレーパーティーでした。本格的なインド風のカレーをいただいていると、佐藤さんにサプライズがありました。ちょうど、8月10日がお誕生日だったのでと、プレゼントを用意していたそうです。欲しがっていたマーマイト(イギリスのジャム)も貰ってとても喜んでいました。








稽古最終日、午前は通常稽古でしたが、午後からは昇段試験が行われました。受験者は2名と少なかったですが、雰囲気は同じく緊張感のあるものでした。試験の方は、無事に2名とも合格し、講習会は終わりとなりました。短い間ながらも、一緒に稽古をした方々との別れに寂しさを覚えつつ、最後にSimon氏の家でサンデーローストをいただきました。最後に伝統的な食事を用意していただき、とても嬉しかったです。特に、ローストビーフにグレイビーソースが好きでした。


講習期間中、最初から最後までお世話になり、Mr. Simon Webb、Mr. Curtis Webb、Mr. Simon Hallsと家族の方々には誠に感謝しています。この場をかりて御礼申し上げます。
イギリス最後の夜はブリストルから空港のあるヒュースローまで送っていただき、近くのホテルに泊まりました。サンデーローストでお腹は一杯だったので、夕食はバーで簡単に済ませました。先生の昔話など貴重なお話しも聞き、最後の夜は終わりました。

帰りの飛行機は妙に早く感じ、降りた時の熱気で日本に帰ってきたことを実感しました。初めて海外に行くのが合気道の講習で行くことになるとは、数年前の自分にはとても考えられなかったでしょう。今回の旅行では、観光だけでなく、現地の方々と合気道を通じて交流などおよそ普通では出来ない体験をさせていただきました。また、普段の稽古では見られない先生の仕事姿を拝見することができ、とても有意義な時間を過ごさせていただきました。
小林 弘明 道場長、また一緒に同行した佐藤さんにも、改めてこの場をかりて御礼申しあげたいと思います。今後もどこかの指導に同行していけたらと考えています。そのためにも、これからも日々の稽古に励んでいきたいと思います。
府中道場 石山 曲展 記
私が滞在した期間としては10日間でしたが、講習会は(金)〜(日)の3日間行われ、日に2~3コマの稽古でした。今回の講習会は私にとって人生初の海外旅行でもありましたが、共に同行した佐藤さん、ブリストルでホスト役をしてくださったMr. Simon Webb、Mr. Curtis Webb、Mr. Simon Halls 、そしてなにより小林 弘明 道場長のおかげでとても充実した忘れられない旅となりました。関係者の皆様に心から感謝しています。
さて、講習自体は3日間だったので、前半は夏のバカンスを満喫していました。
出発の日、調布からバスに乗り、成田へ。直行便ではなかったので、初めて降り立つ海外はムーミンの故郷、フィンランド。旅行へのワクワク感からか、はたまた予想外の気温差のためか、真夏仕様の自分は震えていました。ムーミン谷に仲間入りしたのも、束の間、イギリスへ。アクシデントにより私一人だけビジネスクラスにグレードUP。広い席で「アルコール、プリーズ」という拙い英語を駆使してシャンパンを入手。グラス片手に 映画に熱中しているうちに、旅の目的地イギリスへと到着。滞在先のパディントンへと向かいました。



現地時間8/5(月) 夕刻、ハンガリー指導を終えた弘明道場長と合流。さっそく先生がイギリスに来た時のルーティンということでビビンバを食べに行き、その後はイギリスらしいパブに行きました。パブでは先生から”クリスプス”の注文を承りました。初めの二日間で買い物には慣れつつも”クリスプス”が何か分からないままにカウンターへ。ビールを出されそうになりつつも、なんとか目的のものを購入できたといったような場面もありました。(ちなみにクリスプスとはポテトチップスのことでした。) はじめの5日間はロンドン観光でした。大英博物館で教養を学び、王室御用達でもあった老舗高級百貨店ハロッズでショッピング。トラファルガー広場のナショナルギャラリー、時間の基準であるグリニッジ天文台で経度0°0’0” をまたぎ、ロンドン・アイを下から眺めるといった具合でした。ロンドンに慣れ親しんだ先生の先導により、スムーズな移動で他にもいろいろな所を回ることができました。





イギリスに着いて6日目、本来の目的である講習の開催地へ移動となりました。駅からパディントンベアに見送られ、列車でブリストルに向かいます。都会から牧歌的な風景への変化を楽しんでいるうちに到着。駅のホームでMr. Simon Webb、Mr. Curtis Webb、Mr. Simon Hallsに出迎えられました。
ブリストルは港街で、まずは船の博物館の見学に。世界を巡った客船を見た後は、ホテルにチェックインしSimon氏たちと食事でした。ホテルではさすがヒルトンといった部屋でのびのびと休み、夕食は中華へと向かいました。本場のイギリス英語に戸惑いつつも、中華街に続いて3回目の中華をいただきました。
翌日、Bathの語源であるバースのスパ施設で屋上プールやサウナを楽しみ、夜から稽古でした。徒歩5分の府中道場とは違う、家から20時間以上かかる場所、初対面で言語の違う方々との稽古に緊張を覚えつつも、皆さんとても優しく接してくださいました。稽古後はSimon氏の家で夕食をいただきました。パスタやミートボールなどを作っていただき、ビールはタンクからといったイギリスの家庭での料理を楽しませていただきました。とても美味しかったです。






2日目は一日中稽古でした。まず、早朝の子供クラスから行いました。日本での子供クラスと同じ感じでしたが、最年少では2歳の子も参加していたことに驚きました。2歳ながらも先生に技をかけていました。午前、午後とひさしぶりにみっちり稽古をした後はカレーパーティーでした。本格的なインド風のカレーをいただいていると、佐藤さんにサプライズがありました。ちょうど、8月10日がお誕生日だったのでと、プレゼントを用意していたそうです。欲しがっていたマーマイト(イギリスのジャム)も貰ってとても喜んでいました。








稽古最終日、午前は通常稽古でしたが、午後からは昇段試験が行われました。受験者は2名と少なかったですが、雰囲気は同じく緊張感のあるものでした。試験の方は、無事に2名とも合格し、講習会は終わりとなりました。短い間ながらも、一緒に稽古をした方々との別れに寂しさを覚えつつ、最後にSimon氏の家でサンデーローストをいただきました。最後に伝統的な食事を用意していただき、とても嬉しかったです。特に、ローストビーフにグレイビーソースが好きでした。


講習期間中、最初から最後までお世話になり、Mr. Simon Webb、Mr. Curtis Webb、Mr. Simon Hallsと家族の方々には誠に感謝しています。この場をかりて御礼申し上げます。
イギリス最後の夜はブリストルから空港のあるヒュースローまで送っていただき、近くのホテルに泊まりました。サンデーローストでお腹は一杯だったので、夕食はバーで簡単に済ませました。先生の昔話など貴重なお話しも聞き、最後の夜は終わりました。

帰りの飛行機は妙に早く感じ、降りた時の熱気で日本に帰ってきたことを実感しました。初めて海外に行くのが合気道の講習で行くことになるとは、数年前の自分にはとても考えられなかったでしょう。今回の旅行では、観光だけでなく、現地の方々と合気道を通じて交流などおよそ普通では出来ない体験をさせていただきました。また、普段の稽古では見られない先生の仕事姿を拝見することができ、とても有意義な時間を過ごさせていただきました。
小林 弘明 道場長、また一緒に同行した佐藤さんにも、改めてこの場をかりて御礼申しあげたいと思います。今後もどこかの指導に同行していけたらと考えています。そのためにも、これからも日々の稽古に励んでいきたいと思います。
府中道場 石山 曲展 記
kobayashidojo at 17:29|Permalink
August 16, 2019
小平道場暑気払い
小林道場はいろいろな飲み会が多く、飲み会参加は「飲み稽古」と称して稽古回数にカウントして良い、そんな噂があるとやら・・・


それはともかく、8月10日(土)に小平道場の暑気払いがありました。道場の夏休み期間中と言うこともあり、参加は12名と少数。肝心の総師範も、直前まで熊野古道を旅行されていて、その日に暑気払いが予定されていたことをお忘れだった様子。危なく総師範不在の小平道場暑気払いをやってしまうところでした。当日、ルネ小平での歌謡ショーからお帰りになった女神様も参加され、こんな記念撮影となりました。ビールでの乾杯から始まり、世界のお酒を飲む会に移行していった当の飲み会、夕方五時から始まり、なんと5時間ほど続くロング飲み会とあいなりました。皆さま、次回はもっと盛大にやりましょう!
小平道場 奥村召司
PS:みんな良い表情なのに、わざわざケーキを焼いてくれた内弟子のエリカがうまく写っていなくて残念。それにこの写メを撮った幹事の僕も写っていなくて残念。


それはともかく、8月10日(土)に小平道場の暑気払いがありました。道場の夏休み期間中と言うこともあり、参加は12名と少数。肝心の総師範も、直前まで熊野古道を旅行されていて、その日に暑気払いが予定されていたことをお忘れだった様子。危なく総師範不在の小平道場暑気払いをやってしまうところでした。当日、ルネ小平での歌謡ショーからお帰りになった女神様も参加され、こんな記念撮影となりました。ビールでの乾杯から始まり、世界のお酒を飲む会に移行していった当の飲み会、夕方五時から始まり、なんと5時間ほど続くロング飲み会とあいなりました。皆さま、次回はもっと盛大にやりましょう!
小平道場 奥村召司
PS:みんな良い表情なのに、わざわざケーキを焼いてくれた内弟子のエリカがうまく写っていなくて残念。それにこの写メを撮った幹事の僕も写っていなくて残念。
kobayashidojo at 11:04|Permalink