2024.09-11 Sanctuary peak(6207m) 初登頂

図19_サンクチュアリピークアップ

 サンクチュアリピークとは、西ネパールの「ドルポ」という地域にある、ヒマラヤ山脈の山の1つである。標高は6,207mで、これまで誰も登頂した事のない未踏峰だ。
 2024年のヒマラヤキャンプの遠征では、これの初登頂に成功した。

 公の報告書は日本山岳会のHP(https://jac1.or.jp/about/iinkai/120kinen/202009288914.html)にあるが、それは客観的な書き方を重視しており、個人の感情や見え方などは割愛している。
 しかし、それで本当にヒマラヤ登山の魅力や価値を後世に伝えることができるかと言えば、必ずしも十分ではないと思う。
 ただ単に、個人的に記録を書きたいだけでもあるが、そんな背景もあり、所属する神戸山岳会のブログに拙稿を載せていただく。

---

 最初に、本記事で一番伝えたいことを書かせていただく。
 ヒマラヤの未踏峰を登頂することの価値についてだ。
 1つの目標に向かって努力すること自体、既に意味があるが、その先に待っているのが前人未到で、ヒマラヤ特有の規模の大きい景色である。それまでの苦労と相待って、一生忘れられない景色となる。
 また、1つの山を初登したという事実や、数年間挫けずに目標に向かい達成した事実は、自分の誇りとなった。

図15_ガウチャー4200m

---

 以下、遠征についての説明と記録を書いていく。

 今回の遠征は、公益社団法人「日本山岳会」が主催する、若手登山家の育成を目的としたプロジェクト「ヒマラヤキャンプ」の一環である。
 2023年3月に公募され、日本全国から集まった参加者自らで登る山を決め、準備をし、遠征を実施し、サンクチュアリピークに初登頂した。
 今回のメンバーは、松本歩美、畠山愛以、平塚雄大、長谷川陽央(僕)、そしてプロジェクトリーダーの花谷泰広の5人だ。

図1_メンバー
(メンバーとサンクチュアリピーク。左から雄大、長谷川、花谷さん、松本、畠山)

 早速余談だが、本プロジェクトは若手登山家の育成を目的としているが、必ずしも全員が、登山が本業というわけではない。僕は普通の企業のSEで、フルタイムワーカーだ。さらに言えば、この遠征を足がかりとして、ヒマラヤ登山の分野で活躍していこうと覚悟を決められていたわけではなかった。
 そんな者が参加することは、プロジェクトの趣旨に反するようで、プロジェクトリーダーの花谷さんに、問題ないか恐る恐る確認したことがある。
 「全然問題ないよー」とのことだった。ヒマラヤ登山は、その後登山を続けるかどうかに関わらず、その人の人生にとって貴重で価値のある経験となるからとのことだった。
 最近の目的志向型の社会では忘れられているような考え方だが、もっと社会に浸透したら良いと思う。何が得られるか明確に定義できないが、個人の基礎の人間力が底上げしたり、自分の人生に価値を感じさせる経験を大事にすることが、結果的に社会や集団にとってもプラスとなると思う。

 話を戻して、とにかく、多様なバックグラウンドを持った5人での遠征となった。花谷さんはプロジェクトリーダーに徹し、国内での計画や準備は他の4人で行った。

図2_横尾尾根
(トレーニング山行の横尾尾根)

 本遠征の目標である山、サンクチュアリピークの選定も4人で行った。ネパール政府が公表している未踏峰のリストから、1つ1つ調査(未踏峰であるかどうか、魅力度、難易度)し、最終的には4人の投票で決まった。
 実を言うと僕は、サンクチュアリピークを目標とすることには少し反対であった。アプローチに不確実性が多すぎるからだ。
 同山が属するドルポと言う地域は、ネパールの中でも秘境という位置付けで、入り口の村に行くまでの道は土砂崩れが頻発するという話であった。
 仮にドルポに入域できても、キャラバンで通過する予定の道は、5400mの急峻な峠を越えるか、50年前に突破不可能と断定されたゴルジュを突破するしかない。
 それでもネパールのエージェントは行けるとの回答をした。また、形は格好いいし、その不確実性にも魅力があり、アプローチさえなんとかなれば登山自体は比較的容易に見えた。そのため、不安は残るが、サンクチュアリピークを目標とし、遠征はスタートした。

図4_サンクチュアリ(中央の白い山)
(サンクチュアリピーク(中央の白い山))
---

 ネパールの首都、カトマンズで全ての荷物のパッキングを終え、あとは出発を待つのみとなった。予定より早く終わって安心していた。
 しかし、それも束の間で、ネパールの観測史上最大の豪雨がカトマンズを襲った。9月下旬、モンスーンの最後っ屁だった。

図1_rain
(洪水のニュース。観測史上最大の大雨だったらしい)

 装備を置いていた倉庫は床上浸水し、僕らの装備はびしょぬれ。急いで干してパッキングしなおした。出発日には間に合ったが、今度はカトマンズから出るための主要な道が崩れてしまったようだ。
 カトマンズは盆地にあり、そこから出る道は限られている。観光シーズンが始まる時期のため、ただでさえ多いバスが、残った道に集中して大混雑となった。

図5_バスプール

 10月1日、カトマンズからバスで移動を開始する日、バスプールは大渋滞していた。朝5時に出るはずであったバスは、13時になっても出発していなかった。
 バスプールで待っている間、僕はバスの天井に登りバスの大群を眺めて暇をつぶしたいた。すると数時間全く動かなかった大群がいきなり一斉にクラクションを鳴らした。どうやら動き出すようだ。
 天井から降りようとした時、よく分からない鋭利な出っ張りに右の踵をぶつけた。降りてからよく見ると踵がパックリ割れて血だらけになっていた。
 「一番破傷風になるやつじゃん」と花谷さんがマジの顔で言っていた。全員から「こいつの登山は終わった」と思われていたらしい。そこでちょうど僕らのバスが出発する番になった。病院に行っている暇はない。ペットボトルの水で血を洗い、そのまま大きな不安と共に旅は始まった。

---

 カトマンズは都会だったが、そこを出ると建物は簡素になった。トタンや土の壁、土窯、薪はまだまだ現役である。アジアの現風景を目にすると、旅の始まりを感じた。

図6_土窯

 清潔感は欠片もなく、破傷風が怖かった。本当に入山できないかもしれない。これまでの努力がこんな形で終わってしまうと考えたら、泣けてきた。
 それでも日本では目にすることができない中を巡るのは楽しく、気分は徐々に向上した。
 1日目は遅れを取り戻すため、夜通し移動した。
 2日目、バスはチャーターだったが、行き先が同じ者や、ポーターの子供だと言うものが途中で乗り降りした。寛容な国風を感じて面白い。途中、傷の手当てのための包帯を買う時、彼らが手伝ってくれて嬉しかった。
 この日はCHINCHHU という街に宿を取った。シャワーはあるが、使うと排水口から汚水が溢れてきた。破傷風なるって!
 2階建ての宿の屋上で雄大と花谷さんと瓶ビールを開け、街を眺めた。大雨の影響で、普段とは異なるルートで移動しているため、この街にはもう一生留まらないだろう。そう考えると、これもまた貴重な体験に思えた。

図7_途中の宿
(CHINCHHUでの宿)

 3日目は断崖絶壁に囲まれた谷底の道の中腹で日が暮れた。道は未舗装で、幅はバス1台分がギリギリ、街灯なんてない。暗くなってからの移動は困難だ。と思っていたら、突然集落が現れ、宿を取ることができた。「世界ふしぎ発見!」で出てきそうな、穴倉のような土壁の宿だった。そこではロキシーというネパールの地酒を楽しめた。まさに旅という風情で、僕の中では楽しい思い出だが、花谷さんはダニに食われて遠征中ずっと苦しむこととなった。

図8_ロキシー
(谷底の道と地酒のロキシー)

図6_土壁
(穴倉のような宿。電球は、コードに触ると明かりが消える。)

 4日目、カトマンズから約800kmの道のりを踏破し、バスはドルポの入り口の村、トリプラコット(標高2100m)に到着した。ここまで来れるのかすら計画段階では怪しかったため、本当にたどり着けて安心した。
 4000m級の山々に囲まれているが、開けた村で心地が良かった。また、この村の人々は皆美形で、目の保養にもなった。「ヒッシパレコ」というネパール語だけを覚え、雄大と村へ繰り出した。意味は「可愛いね」と言うらしい。勿論後ろめたい事は何も起きていないが、外国人が珍しいようで、皆案外笑顔で手を振ってくれて楽しかった。

図9_トリプラコットの村
(トリプラコットの村人。ノリがいいな)

図10_鶏
(トリプラコットの鶏。この後食べられるんだろうな)

 翌日、最後の村を目指した。
 ここから最後の村まではジープで行ける予定であったが、豪雨の影響で途中までしか行けず、標高3500mで降ろされた。そこから3800mの峠を越えながら20kmを歩き、最後の村であるフリコット(標高2700m)に到着した。
 怪我のため右の踵を地面に着けられなかったが、ストックを松葉杖みたいに使えば踵を付かずとも意外と歩けた。サムスプリントで即席のプロテクターを作っていたので、靴にも擦れない。今後のキャラバンに対しても希望が持てた。

図11_ジープの道
(ジープの道。すげーとこ走っておる)

図12_キャラバン開始
(対岸には村があり、網模様は人の道。三人座席に四人乗り)

 しかし松葉杖状態では歩みは遅く、最後の村まで残り標高差400mの下りを残して途中で日が暮れた。僕と、僕に付き添ってくれた雄大と2人を残して、他のメンバーは先へ行った。暗い山中で逸れたことに多少危機感が募ってきた時、道で気持ちよさそうに寝っ転がっている人がいた。
 どうやらこのあたりに小屋があり、そこで酒盛りをして、今から村へ下るらしい。

図12_酔っ払い
(標高約3100m、べろんべろんのおじさんが寝っ転がっていた。)

 ここから先は急な下りだから危ないと、付き添ってくれることになった。
 しかしこの人、ベロンベロンに酔っ払っていて千鳥足もいいことろだ。足を滑らせてばかりで、最初は事故りそうで怖かったが、それでも僕らより速く歩いていた。暗い中でも豆電球のような明かりだけで転がるような速さで降りていく。というか千鳥足のため止まれず草むらに突っ込んで本当に転がっていた。「水があるから浴びよう!」と言って泥に頭を突っ込んでいた。
 呂律が回っていないが、それでもずっと話しかけてきた。
「何言ってるか全然分からないですね」
「家にシェラという妻がいて、世界で一番いい女だから見に来いって誘っているのは分かった」
「それ絶対聴き取れてないです」
 まるでコメディー映画のような人たちだった。
 途中で子供連れの4人家族も追いついてきて、一緒に降った。酔っ払いが近道を案内してくれたおかげで、無事先行して待っていたメンバーにも追いつけた。
 向こうからしたら、心配して待っていたら大人数で呂律の回らない声で賑やかに降りてきたわけなので、ポカンとしていた。
「どういう状況…?」
「途中であった酔っ払いに案内されながら、4人家族も合流しました…」
「どういうこと笑」
 合流できて喜んでいたら、和んた空気を感じた酔っ払いが雄大に抱きつき、水たまりに落としていた。
 その後、無事村にたどり着いた。酔っぱらいの家はすぐにあり、何度も来るように誘われたが、流石に行かなかった。悲しそうな顔をしていた。申し訳ない。
 宿に着くと、おばあちゃんが全員にカタ(スカーフのようなもの)をかけ、額に赤い染料を付けてくれた。イスラム式の歓迎である。しかし食べ物や装飾はチベット仏教のものだ。この地域では2つの宗教が混じり合っているようだ。何とも不思議な村だと、ネパール14回目の花谷さんも困惑していた。
 歩き出し初日から濃い1日だった。

図13_フリコット
(フリコットの宿)

---
 
 10月6日、フリコットからベースキャンプに向けて、本格的なキャラバンが始まった。キャラバンとは、荷物を人や動物に運んでもらいながらベースキャンプを目指すことだ。しかし、今回行く道は危険すぎて動物は使えず、村人を30人ほど雇うこととなった。

 キャラバンが始まって2日目、ガウチャー(標高3900m)という風光明媚な場所でテント泊をした。澄んだ小川が流れる広い谷に、馬やヤクが放牧されている。木も人もない。

図14_ガウチャー
(風光明媚なガウチャー)

図14_ガウチャー白馬
(白馬と清流が絵になりすぎる)

 高所順応のために4200mほどの丘に登ると、谷を一望できた。周りには5000-6000mの山が連なり、夕日に照らされて紅く染まっている。まさに山紫水明だ。
「最高の旅だな。」
「間違いないですね。」
「たとえ登頂できなくても、この景色を見れただけで十分価値があるね」
 雄大と臭いセリフを言い合った。しかしやはり、この遠征通して最も綺麗な眺めで、僕の心に残り続けるだろう。

図15_ガウチャー4200m
(まさに山紫水明)

図16_ガウチャー4200m2日目
(翌日も皆で登りに来た)

 だがここで大きな問題も起きた。予定していた道には行きたくないと、ポーターたちが言い始めた。確かに危険な道だと思っていた。途中で5400mの急な峠を越える必要がある。そこが本遠征の一番の難所だとも考えていた。しかし、ポーターたちが提案した道は、50年前の記録では突破不可能とされた道であった。何を言っているのか分からないまま、ポーターたちに命運を預けることとした。
 以下、これから向かう道に関する記述を、過去の報告書より抜粋した。
 1961年、タイソンは主峰の南麓を流れているジャグドウラ・コーラからの接近を試みたが、深いゴルジュに行手を阻まれて退却
 翌年のイギリス女性隊もラ・シヤンマ登項後、その肩からメイダンヘ下り、深いゴルジュ帯の迂回を試みたが失敗
 私たちはこの谷よりアプローチすることは100パーセント不可能と断定した。
(カンジロバ・ヒマール主峰初登頂(大阪市立大学山岳会)より)

 そこからは危険な道が続いた。過去に突破不可能と言われていた道は、やはり今でも危険で、ワンミスで死ぬような道が続いた。ガウチャーからベースキャンプまでは2日で着く予定であったが、危険個所でロープを出して荷揚げを行ったりしていると遅れがかさみ、2日でも半分も進まなかった。
 本当にベースキャンプまでたどり着けるのか?そもそもポーターは目的地を理解しているのか?この先もこんな危険な道が続いて、誰かが落ちたらどうする?

図17_ジャガドゥラ・コーラ
(綺麗だけど怖い道が続く)

図17_ジャガドゥラ・コーラ4
(崖の中を進む。中央左に人が歩いています)

図17_ジャガドゥラ・コーラ1
(もはや道じゃない)

図17_ジャガドゥラ・コーラ2
(谷へ降りていく)

図17_ジャガドゥラ・コーラ3
(谷底をへつる)

図17_ジャガドゥラ・コーラ5
(谷の中、数少ない良キャンプサイト。リンツァと呼ばれていた)

図17_ジャガドゥラ・コーラ (3)
(赤線の道を行き、対岸へ渡るのだが......)

図17_ジャガドゥラ・コーラ (1)
(対岸への橋と梯子は、ダケカンバを数本束ねただけ。谷底までは100mほど。1人ぐらい落ちて死ぬんじゃないかと思った)

図17_ジャガドゥラ・コーラ (2)
(谷の側壁をトラバースしていく。右側に歩いている人が写っています)

 日本での登山では、何でも自分自身で行うことが基本だ。その考えが染み付いているために、ポーターに重荷を運ばせるだけでも思うところがあるが、こんな命がけの道を歩かせることには更に大きな後ろめたさを感じた。この遠征を続行していいのかとまで感じ始めた。
 それでも進むしかった。もう引き返せなかった。
 それが彼らの仕事であり、遠征は既に動いている真っ最中である。これまでかけた時間とお金は大きい。この大きな流れを止めるほどの理屈や確信を持ち合わせていなかった。お願いだから誰も死なないでくれと祈りながら歩いた。

---

 5日間かけて漸くベースキャンプ(4500m)に到着した(10月13日)。
 ベースキャンプは、これまでの凶悪な峡谷とは異なり、広い谷であった。
 誰も死ななくて本当に良かった。

図18_BC到着
(ベースキャンプで集合写真。この後ポーターは手ぶらで村まで帰っていった。コンビニ帰りのようだった)

図18_BC
(辺境ゆえ、他の隊は皆無。花谷さんにとっても最高のベースキャンプだったそうだ)

図18_カンジロバサウス
(カンジロバサウス(6883m)。1970年、大阪市立大学山岳会が初登した)

図18_カンジロバノース
(カンジロバノース(6289m)。1979年、福岡山の会か初登した)

---

 通常であればベースキャンプから登山がスタートするが、濃密すぎるキャラバンで既にお腹いっぱいであった。登山よりも、ここから脱出できるのか?という不安が、メンバー全員の中で大きかった。
 今回の道に外国人が入ったのは7年ぶり。その時の隊は、帰りに雪が降り、荷物をすべて置いて命からがら脱出したという。今回の遠征のバックキャラバン開始は11月1日で、同じことになる可能性も十分あった。
 
 10月15日、不安になっても仕方ないので、登山を開始する。ベースキャンプから5kmほど歩くと、目標のサンクチュアリピークが姿を現した。カトマンズを出て15日目、長く危険な道を超えて漸く目にすることができ、感無量であった。

図19_サンクチュアリピーク
(モレーン上を歩き、ついにサンクチュアリピーク(中央左の白いピーク)を目にできた)

 過去の写真よりクレバス(氷河の裂け目)が多く見えた。それでも登頂の可能性は感じられる。5200mにハイキャンプを設け、そこを拠点に網目のようなクレバス帯を超えるルートを確立した。
 そしてその翌日の19日、サミットプッシュをすることとした。

図19_サンクチュアリピークアップ
(サンクチュアリピーク(中央右の白いピーク))

図20_ハイキャンプ設営
(ハイキャンプ設営。散々苦しんだジャガドゥラ・コーラの最初の一滴を飲み水にした)

 高所登山のセオリー通りなら、サミットプッシュ前にハイキャンプとベースキャンプを往復して高所順応を行う。しかし、今回はそれを省くことにした。時間的な問題があるためだ。
 天気予報では、19日の夕方から4日間ほど天候が悪化するとのことだ。計画ではそれでもチャンスはあった。しかし、11月1日よりティカという祭りがあるらしく、その期間はポーターが働かないと言い出した。先に言っておいてくれよと思うが、今更だ。そのため、それに合わせるように登山期間を短縮することにした。
 そうすると悪天後にチャンスは1回しかない。それなら悪天候前にも一度トライしようということになった。それがだめでも、山頂までの課題も見つかるだろうし、高所順応にもなる。これまでのキャラバンによって4500mまでの高所順応が済んでおり、体調が良いのもあった。
 
 と言っても、ハイキャンプ以上では高所の影響で体に様々な影響があった。僕は3日間毎朝嘔吐し、松本は腹を下し、畠山は咳のし過ぎで肋骨にひびが入り、平塚は歩き出すとヘロヘロになっていた。
 つまり、全員絶好調だ。
 翌日、山頂を目指すこととした。

図20_ハイキャンプ設営
(僕が嘔吐している様子。写真撮ってるの、ちょっとひどい)

---

 10月19日、朝1:30に起床、3:30にハイキャンプを出発した。ちょうど満月で、暗い中でも歩きやすい。アイゼンは心地よく雪面に刺さる。周囲の山の岩肌と満月が朝日に照らされ、幻想的であった。

図21_サミットプッシュ1

図21_サミットプッシュ2

 前日のルート工作により、順調にクレバス帯を超えることができた。未踏の雪面を歩くのは初めての経験で、気分が高揚した。
 12:30、無事全員が登頂できた。サンクチュアリ・ピーク(6207m)の初登頂だ。
 6000m付近、みんな結構ヘロヘロであった。そのため、山頂までの最後の尾根は花谷さんにトップを任せてしまった。本来であれば花谷さん以外の隊員で最後まで登頂したかったため、とても悔しい。
 それでも登頂できたことはとても嬉しかった。ここ数年の努力が報われた気がして、涙が溢れだした。

図22_頂上直下
(ピーク手前の雪田。左手のコルに上がり、尾根を右上していく。)

図22_頂上直下2
(コルを上がる)

図23_頂上直下3
(山頂直下)

図23_頂上
(山頂にて。中央の写真は、一緒に行く予定であったが2023年に山の事故で無くなった浅木亮磨)

---

 だがこのあと、ちょっとしたトラブルもあった。
 17:00にハイキャンプに戻った。そこで1泊するかベースキャンプに戻るかの選択肢があったのだが、僕と雄大はベースキャンプに戻りたかった。
 僕はハイキャンプでは必ず朝に嘔吐するためだ。雄大は、山頂直下で小便を漏らしていたため早く着替えたいとのことだった。そこで2人だけ降りることにした。
 ベースキャンプまでの道はモレーンという特徴のないガレ場がずっと続く。おまけに細かい起伏もある。その中でも道を見失わないよう、往路でピンクテープを岩に巻いていた。しかし既に日没。辺りはどんどん暗くなり、目印は分からない。おまけに予報通り吹雪いてきた。5000m地点でついに完全に進む方向が分からなくなった。
 このまま進むとビバークになる。来た道は幸い明瞭であったため、そこでハイキャンプへ引き返すこととした。しかし、疲れ果てた雄大の足はさらに重くなり、ペースが上がらない。吹雪も強くなってきた。中々ハイキャンプに着かない。道はあっているのだろうか?雄大から返事が返ってこなくなった。不安が徐々に大きくなってきた。
 1時間ほど歩いてようやくハイキャンプに戻ることができた。心底安心した。危うく遭難しかけた。未踏峰を登頂したからと言って、自然の前では無力であることを痛感させられた。

---

 登頂後も、ポーターは予定していた日(10月28日)まで来ないため、ベースキャンプで悠々自適に過ごした。ベースキャンプはエアポート平原と呼ばれている。その名のとおり、小型飛行機なら余裕で離着陸できるほどの広い平原だった。6000m級の山々に囲まれ、小川(つまり飲み水)もある。標高4600mで空気は下界の半分ほど、周囲50kmに村はなく、明かりもチリもない。星空が格別であった。

図24_ベースキャンプ

 近くのモレーンを探検していると、池のようなものがあった。淵は氷河の壁で、前傾していた。アイスクライミングできるのでは?と取りついてみた。
 雄大がとても格好良い写真を撮ってくれたが、これは奇跡の一枚で、この後すぐ落ちた。でもいつかこのハングした氷も登れるようになりたい。

図25_氷河湖

図26_氷河湖

 10月28日、ポーターが予定通りベースキャンプに到着した。毎朝雪が少し積もるようになっていたので、本当に来てくれるか不安であったので、ポーターの姿が見えたときは感動した。

 帰りはもちろん行きと同じ、気の抜けない道を帰る。途中には、深さ100mはある谷に、ダケカンバの枝を数本渡しただけの橋もある。一体誰がどうやってかけたのだろうか。

図27_橋1
(帰りもやはり怖い橋)

図27_橋2
(とてもたわみます)

---

 「うんこだ!ヤクのうんこがある!」
 前にヤクがいたのはキャラバン2日目、ガウチャーまでで、そこから危険度MAXの道が始まった。つまり、このうんこは危険地帯を完全に抜けたことを意味していた。

 「うおお!ガウチャーが近い!」
 「やったー!!」
 うんこを見てこんなに喜んだのは初めてであった。
 しかし実際、ヤクのうんこが現れてすぐにガウチャーに着いた。

 「しねーー!!」
 「止めてくださいよ!」「痛!かてぇ!」
 「うわ、柔らかいの触った」
 メンバーが乾いたヤクのうんこを拾って投げてくる。雄大のカメラが被弾していた。
 嬉しさのあまりテンションがおかしい。しかし、それだけ緊張を強いられる道であった。雪が積もれば閉じ込められるというプレッシャーや、ワンミスで死ぬ道が続く緊張感、そこをポーターに30kg担がせて歩かせる心苦しさ、そう言ったものから解放された安心感は計り知れない。

図28ヤク
(ヤク)

 キャラバンの最終日前夜、焚火を囲みながらポーターのリーダーに訊いてみた。
 「今回のキャラバンは過去一で危険でした。あんな危険な橋も、あなたたちが架けたのですか?」
 「ザポネ」
 「〇△%×◇オーニシパラサーブ〇△%×◇」
 ザポネ?日本人?大西?

図29_焚火

 彼曰く、この道は日本人の大西という人物が、20年前に作ったという。ヒマラヤで大西といえば、山の調査の権威の大西保氏と思われる。
 大西さんは3年間この谷に通った。1年目はボートを使用して突破した。その時に橋をかけれそうなところを見つけ、次の年に橋をかけたそうだ。
 帰国後に大西さんの記録を調べたが、そのような話はなかった。また、すでに他界されているため、直接話を聞くことはできない。だが、ポーターのリーダーは、若い頃、その大西さんの遠征でもポーターを務めたようだ。生き証人が言うのであれば間違いない。
 未踏峰登山といえども、先人たちの努力があってのものであった。

 10月30日、遂にフリコット(キャラバンを開始した村)に到着した。
 僕たちの登山は終わった。

図30_ティカ3
(村に着くと再びイスラム式の歓迎でもてなしてくれた)

図30_ティカ
(ティカ(ティハール)という祭りが行われていた)

図30_ティカ2
(みんな綺麗に着飾り、歌やダンスでもてなしてくれた)

図30_下山
(村の美女たち)

---

 大西さんの功績に限らず、日本のいわゆる黄金の時代や鉄の時代の遠征に比べれば、我々が登った山は小さく、難易度も低かったのかもしれない。
 しかし、それらの時代の遠征には、時代の流れという大きな後押しが作用していたと思う。その後押しがない現代において、ヒマラヤの未踏峰を初登することは、登山の難易度以上にハードルの高いことだと思う。僕自身は2019年から個人で未踏峰を目指し始めたが、一番どうにもならなかったのは、仲間探しだった。
 そんな現代において、ヒマラヤキャンプという機会を作ってくれた花谷さんのエネルギーはとてつもなく、頭が上がらない。
 また、その現代においてヒマラヤ登山を目指す者たちの情熱を尊敬する。彼らに出会えたおかげで、ヒマラヤの未踏峰を初登することができた。
 皆さん、本当にありがとうございました。

---

 以上、記録でした。
 僕が未踏峰を志したのは、2018年の頃です。2019年に一度インドヒマラヤのザンスカールの未踏峰遠征を計画するも、急激な治安悪化によって出発の1週間前に突然登山許可を取り消されて頓挫。それから就職、引っ越し、結婚、育児と、諦める理由はたくさんありましたが、最後まで意志を貫き通せたことは、自分の誇りとなりました。
 でも、一番ギラギラしていた頃の自分なら、「未踏峰程度で何満足してるんだよ」と言うと思います。
 いつまでも情熱を絶やさず、挑戦を続けていきます。

2025.10.18【大峰 前鬼川 不動七重滝】

「大峰 前鬼川 不動七重滝」


IMG_4330




















「不動七重滝」を登ってきた
  総落差 160m 主瀑 F5 80m 


場所は大峰の沢登りやキャニオニングで人気の
「前鬼川 癒しエリア」下流域に位置しており車道の
展望台から遥か遠くではあるがもの凄い存在感を
放っている

過去に誘いはあったが恐怖感に襲われ二の足を踏ん
できた

どのセクションも自分が突破できなければ行くべき
ではないと思い事前に一人で偵察をしてきた
今年8月下旬、双眼鏡を片手に森林浴遊歩道から
滝見台まで行き登攀ラインやプロテクションの取れ
そうなクラックを確認する事ができた
見えたのは F1とF5 だけだが機は熟した

前々日まで雨が降り72時間累積雨量は12㎜、本流
なので周辺の雨を集めどの程度増水しているのか
悩ましいが行く事に決定

前日、山岳会の先輩 OKD と自宅で前夜祭をした 
軽くしか下調べをしていない様でまるで自分とは
真逆、頼もしいのか、、少し不安になる、、
I君は前日に東京出張で夜に帰阪、疲れてやしないか
明日は長い闘いになるので酒はほどほどにして就寝
についた


以下、山行記録です

_______________________


■ メンバー


OKD (L)
I君
藤本 (SL)(記) 

■ 装備 (主な物)

ダブルロープ 50m (2本)
カム #0.2 ~ #3 × 2セット ※ #4 使用せず
 

5:30 現地到着

小雨なのか、木々から夜露が落ちてきているだけ
なのか、空を見上げると曇天、予報は快晴のはず
なのにコンディションは良くなさそう

6:00 入渓


CPKU5286
























6:30 F1 

これが平水なのか、ただ間違いなく偵察した時と
比べると水量は多い上に釜は荒れた大海原の様


TXMB9798
























OKD が全力で泳いで行くが流れが強く押し戻される
取付に辿り着けなければその時点で敗退
格闘しているさなか I君が、
「無理なら下北山村のお洒落カフェ巡りに行こう」
と言い出して笑えた
そんなやりとりをしていると岩壁に上陸していた
「よっしゃー!」と言う気持ちと、
「突破してしまった...」と言う気持ちが交錯した
「行くしかない...」


ESVM0327
























F1 40m 

1P OKD リード

どの岩も恐ろしくヌメリ、信用ができない


ULSM0960
























見るからに悪そう、気休め程度のプロテクションで
高度を上げて行くので緊張が走る


BNIV1294
























傾斜が緩むテラスに抜けた


PUYF3347
























と、思いきや...
良くこんな所を登れるな、
この人は「頭がおかしい」のかと思った


EZQA1253
























2P I君 リード

嫌らしいホールドも難なく登って行き安定感がある


PLFAE2566
























F1 落口


YDZR2332














残置支点
偵察時、双眼鏡でキラっと見えていた


HMPY4748
























一番警戒していた渡渉
ヌメヌメな上、水量が多ければワンミスで即...
二足歩行ができず私は四つん這いで


IMG_4320
























F2 20m

3P 藤本 リード

楽勝に見えたが外傾でヌメル
彷徨いながら登ってるのでロープが交錯


IMG_4325
























F2 落口

フォローの OKD
「F2の釜」と「F1の落口」


KAPT4189
























F3 小滝 5m


EGWP4246
























F4 小滝 5m

4P I君 リード

F3、F4 まとめて巻き
終始ヌメル


UGLB3830
























F4 上部

右側の草付リッジを詰める


MODO7562
























主瀑 F5 80m

ボス、現る


HZIJE0027
























KWGS9202
























土に突っ込んでる
そのカム効いてるの?


RSJI4970
























5P OKD リード

更に直上、ルンゼを詰めると踏み跡に出る
それを辿り、滝見台でしばし休憩
クライミングシューズに履き変え


IMG_4327
























F5 80m

滝見台からは歩いてすぐに大テラスへ降りられる

小ハング下のバンドを左上して水線に突っ込み直上
水圧でふっ飛ばされないかと躊躇する
側壁を登り斜め懸垂でワンポイントを回避して一段
上の棚に出られないかと思案するがリスキー


HDQV2409
























6P OKD リード

「行ってらっしゃい...」


RTFG7566
























消えた...


YFJC6082
























固唾を呑む...


UKVN2492
























出てきた!
「よっしゃー!」と言う気持ちと、
「突破してしまった...」と言う気持ちが交錯した
またしても、
「行くしかない...」


PTOJE2894
























I君 フォロー

大丈夫?
申し訳ないが笑えた


IMG_4336
























7P 藤本 リード

「くの字」凹角
偵察した時には完全に乾いていたが、ビシャビシャ
フィンガーやハンドサイズのクラックが所々にあり
濡れジャムとスピリチュアルなステミングで突破
グラウンドフォールはないので怖くはないが心地
良い痺れで楽しいピッチだった


IMG_4334
























WXOH2613
























7P ビレイポイント

高度感バツグン
登ってきた滝 (F1~F5) が全て見える

8P I君 リード

割愛 


KWCT9301
























16:00 F5 上部

平和な河原


JLYN0557
























F6 釜

奥には F7 が見える
F7 落口までの高度は40mほどで近くに見える
左岸からまとめて巻くが記録によると迷いやすくて
トップアウトまでに3時間ほどはかかる


FWGT5291
























9P I君 リード

激しい藪漕ぎで30mほどロープを伸ばすと嵓に出た
基部を左にトラバースするのだろうが日没間際
夜には一時的に雨風が強まる予報
このままヘッデンで暗闇の藪を前進するのは地獄が
予想されるため止む無く後退を決定


XFNSE2356
























17:30 F5 落口 


IMG_8124














轟音がとどろく暗闇の大滝をラぺリング 
下部は斜め懸垂、足を滑らせると荒れ狂う水線の
方へ振られるので力が入る
合計2ピッチで大テラスに到達


WCOG1284
























QZTE4656
























DEZEE2239
























下山は森林浴遊歩道から


WSDXE0024
























帰ってきた

無念ながら完登は果たせなかったが、成長と成果、
あと十分すぎる満足感が得られたので良しとしよう

付き合ってくれた OKD、I君 に感謝


———————————————————————


以上、山行記録でした


山は遊びの宝庫や!!



[筆者が書いた関連記録]


・2025年2月25日
大峰 弥山川 裏双門滝
アイスクライミング

・ 2024年11月3日-4日
大山 中ノ沢 
アルパインクライミング

・ 2024年8月20日
クラガリ又谷 大滝登攀

・ 2024年8月12日
楊梅の滝 大滝登攀

・ 2023年9月12日-14日
滝谷出合~滝谷第四尾根
アルパインクライミング

・ 2023年6月4日-6日
大峯奥駈道 スピードハイク

・ 2023年5月9日-11日
黒部源流域 山スキー

・ 2023年5月2-4日
槍、穂高滝谷 山スキー

・ 2022年12月28-30日
甲斐駒ヶ岳 黄蓮谷右俣 アルパインアイス

・ 2022年5月17-18日
剱岳 大脱走ルンゼ 山スキー

・ 2022年5月2-5日
前穂高岳 奥明神沢
奥穂高岳 南稜
北穂高岳 東稜
登攀 山スキー

・ 2022年4月19-21日
黒部川源流域 山スキー 釣行

・ 2022年4月2日
大山北壁 弥山尾根東稜 登攀 山スキー

・ 2022年3月2日
大山北壁 天狗沢 アルパインアイス

・ 2022年2月1日
錫杖岳前衛壁  3ルンゼ アルパインアイス

・ 2022年1月19日
御在所岳 1ルンゼ中又 アルパインアイス

・ 2021年9月13-15日
穂高岳 屏風岩 雲稜ルート
前穂高岳北尾根
アルパインクライミング

・ 2021年7月20-22日
穂高岳 滝谷 アルパインクライミング

・ 2020年9月29-30日
槍ヶ岳 アルパインクライミング

2025.8.30 - 8.31 北アルプス ジャンダルム飛騨尾根

PXL_20250830_030824904.MP







こんにちは、川です。


今から7年前、初めて北アルプスの地に足を踏み入れ、慣れない岩稜帯に神経をすり減らしながら奥穂高岳に登頂。
当時は両側が切れ立った稜線の先に鎮座するジャンダルムをただ茫然と眺めるだった。


今回、どこかに行かないかと石橋さんに声を掛けていただいた際に、初めて「飛騨尾根」というルートを知った。
まだ行ったことのないジャンダルムをアルパインクライミングで登る。
これは!と思い、意気揚々と返事をした。


次々と試練が降りかかってくる修行山行になるとも知らずに…




メンバー


石橋(L)
川(SL、記)



主なギア


・ロープ(8.9mm 60m)

・カム(#0.2〜#3 ×1セット、#0.5〜#2 ×1セット)

・トライカム 1セット

・アルパインヌンチャク(60cm×6、120cm×6)

・240cmスリング×2

・無線機 1セット

・ハーケン(撤退用)

・ハンマー×1

・テント(1〜2人用)



行程


【 8月30日(土) 】

 2:45 鍋平駐車場より出発

 4:40 白出沢出合

 7:35 荷継小屋跡

 10:46 穂高岳山荘(泊)


【 8月31日(日) 】

 3:25 穂高岳山荘より出発

 5:10 αルンゼ下降点

 6:15 飛騨尾根 取り付き

 11:10 ジャンダルム頂上

 12:50 穂高岳山荘

 16:35 白出沢出合

 18:30 鍋平駐車場






【1日目】 白出沢を経て穂高岳山荘へ


仕事を終えて石橋さんと合流したのは前日の夜20時。

深夜の名神と東海北陸道をひた走り、午前2時過ぎに新穂高温泉に到着した。

そして、夏山シーズンの駐車場争奪戦を甘く見ていた我々を待っていたのは、まさかの満車という現実だった。
さっそくの洗礼に多少狼狽えるものの、少し離れた場所にある鍋平駐車場をその場でネット予約して事なきを得た。

余分に30分歩くことになるけど、入山前に撤退するよりマシだ。


食欲が湧かない中、無理やりコンビニ弁当を詰め込み出発。
「帰りはこれ登り返すんか…」なんて思いながら鍋平駐車場から新穂高温泉まで一気に下り、いよいよ山行スタート。

長期縦走でもするのかってくらいザックが重たい。開始早々不安がよぎる。


林道の途中で穂高平への近道と書かれた急登に軽い気持ちで突っ込んだところ、早々に不安は現実となった。
足がゴリゴリ削られ、急激にペースダウン。


原因はすぐに明らかになった。
なぜか水4Lに加え、アルコール類をしこたま担いでいた(そりゃ重いわ)


水は1Lだけ残して捨て、アルコールは山小屋で調達することとし白出沢分岐付近の茂みにデポした。

申し訳ないことに、石橋さんにはテントに加えてロープまで担いでもらうことに。

1756900983482








白出沢のトラバース地帯をやり過ごし休憩。
そして再出発しようとしたとき、事件が起きた。


石橋さんがザックを背負った直後、何故かザックが肩から落下。


信じられないことにショルダーストラップが根本からちぎれてしまっていた。


おいおいそんな壊れ方あるんかいなとか思いながら覗き込もうとしたとき、足にあの嫌な感覚が...
「あっ、攣った攣った!」と、ふくらはぎが悲鳴を上げ、私はなすすべなくその場に崩れ落ちた。


石橋さんがスリングとカラビナで器用にザックを応急処置する傍ら、足が攣り悶絶する私。なんだこの光景。


その後も、膝が攣りながらも白出沢の急登を牛歩でゴリ押しする私に対し、石橋さんは信じられないペースでグイグイと登っていく。
その体力は本当にすごいの一言。

1756900998107






▲午前中の白出沢は日陰になっていてコンディション良好


石橋さんのペースコントロールのおかげで、昼前に穂高岳山荘に到着することができた。


山小屋で得た昼食とビールを摂取し、その後はやることもなく昨日から睡眠をとっていなかったので昼寝。

1756901001621











頑張った自分へのご褒美と称し昼間からビールクズであります



意外と暑く、調子に乗って裸足で寝ていたら見事に日焼けしてしまい、
翌日日焼けの痛みに耐えながらクライミングシューズを履く羽目になった。




【2日目】 ジャンダルム登攀〜下山


2時半に起床し、山荘内で朝食を済ます。

外は寒かったので屋内で食事ができるのはありがたかった。


身支度を整え、3時25分にジャンダルムに向けて出発。
以前は怖くて仕方なかった奥穂までの登りを難なくこなす。慣れって恐ろしい。


自分の中では通過に手こずるかもと思っていた馬の背の下りもあっけなく通過。
(暗くて高度感がなく、手も足も豊富にあった。)

1756901018396













▲馬の背の核心部で記念撮影


内心ほっとしていたけど、道中で想定外の難所が現れ
油断するなとしっかり釘を刺された気分になり気を引き締め直す。


αルンゼは視界のきく5時過ぎに下降したかったのでジャンダルム付近で少し待機。
次第に奥穂方面の空がオレンジ色に燃え出す。

この日は富士山が見えるほど視界良好で文句なしの天気だった。

1756900987515








ヘッデンなしでも視界が明るくなってきた頃にジャンをトラバースして明瞭なコルからαルンゼの下降を開始。
話には聞いていたけど、出だしから浮石しかなくて笑う(笑えない)


右岸の際に張り付きながらマシそうな浮石を選びながら慎重に下っていく。
多少の落石はあったけど、思っていたほどひどくはなかった。


GOPR1801






枯れた小滝で懸垂下降を2回こなし、適当なところでバンドをトラバースする。
ロープを出すほどではないにせよ、一部スラブ状の箇所もあったりと油断できない感じだった。

1756901027009











トラバースを終え上部を見上げる。
最初は登山靴でも容易に登れる感じなので、そのままフリーで抜けることに。

1756901028910














ある程度登ったところで少しいやらしいポイントが出てきたので、いよいよクライミングシューズに履き替えてロープを出す。


ここまでの行程で無事にメンタルがやられたため、1P目は石橋さんにリードをお願いすることに。

高度感満載の箇所をビビり散らかしながら通過し1P目を終える。


1756901033887











▲怖い!楽しい!



2P目、3P目も難しそうなので引き続き石橋さんリード。


3P目は出だしで一旦クライムダウンして左上するもいろんなものが浮いてる。
行き詰まったので少しクライムダウンして右側に際どいトラバース。
ビレイしてる私も手に汗握る展開となった。

GOPR1817








そこから先の2ピッチは簡単そうなのでリードで登らせてもらう。

これといった難所もなく浮石に注意しながら順調にロープを伸ばしていく。


1756901756427












最後はあと少しでトップアウトというところでロープがやや足りずピッチを切った。

飛騨尾根では終了点など用意されていないため、カムやピナクルを駆使して支点を構築しないといけない。
初めてやったけど不恰好ながら何とか構築できた。


残り10mほどの最終ピッチは石橋さんが簡単に料理して登攀終了。

一息ついてから一般道を駆け上り念願のジャンダルムに登頂した。

1756901758972








余韻に浸りつつ一般道?を山荘に向けて戻る。


「そりゃ遭難事故多いわ」なんて思いながら1ヶ所ほど際どいクライムダウンをこなし穂高岳山荘に帰還。


昼食を済ませ白出沢を駆け降りる。
想定以上にいいペースで降ってこれて楽勝ムードが漂うが、穂高の神はそんな我々に追い討ちを仕掛けてくる。


休憩が終わりいざ出発というところで何やら石橋さんのザックの様子がおかしい…


信じられないことにもう片方のショルダーストラップも根本から破断してしまっていた。

(私のふくらはぎは無事だった)

往路と同じように器用に応急処置する石橋さん。


PXL_20250831_054727618









すり減り切ったメンタルでトラバース地帯をなんとかやり過ごし、

永久に終わらないんじゃないかと思うような樹林帯を抜けて新穂高温泉に下山。


薄暗くなる中、ザックをデポして鍋平駐車場までダメ押しの登り返しをこなして車を拾いに行く。


嬉しいことに石橋さんもついて来てくれた。(なお、あっという間にぶっちぎられた)


こちらも出せる限りのハイペースで最後の追い込みをかける。
しんどいけど、何とも充実した時間だった。


帰路で「平湯の森」と王将近くにある台湾料理屋で英気を養い、最後の核心となる神戸までの運転を無事にこなしていった。


今回は体力不足のため石橋さんにテントとロープを担いでもらったり、全く付いていけなかったりと大変申し訳なかった。


これまで少しづつ歩荷トレをしてきたけど、いよいよ本腰入れて登りを鍛えて行かないとなーと痛感した山行となった。


今回誘ってくれた石橋さん、ありがとうございました!

登りの体力強化に励んでいくので、また行きましょう!

大峰 神童子谷

IMG_7003大峰 神童子谷                20252324

                       メンバー須川

 

 20年ぶり位の神童子沢再訪となった前回は単独で二日間でノウナシ沢を詰め上がって

奥駆け稜線迄上がり6時間をかけて行者還りから登山口の大川口まで戻っていたと

いうことが自分の古いネットの記録から分かった今回はOGの方も参加されるということで

昔話にでも花を咲かせて沢を楽しもうということで参加させて頂いた

 結局野郎ばかりのおっさん三名で二日かかりで神童子沢に再訪することになった

 初日前夜朝時前までテントの中で肩がらみのロープワークのやり方や対面二重ブーリンの

実技講習等で盛り上がり朝は強烈に眠い中を起こされて準備を始める

 あまりに眠いので今日はもうここで切り上げ温泉へでも良いかなとは思ったがやる気の

あるK君の手前余り無様な姿を見せるわけにもいかず目をこすりながら必死でザックの防水

準備を行いその合間に朝飯を腹に詰め込んでから出発する。(9

 本日の予定はよく分からないがリーダーもあまり稜線まで行く情熱はないようで日頃の

仕事疲れのリフレッシュを今回の主目的にしているようだ昔の私のように稜線迄全力で上がり

その勢いで時間をかけて下って降りるといった気概が感じられないのでひと安心する

 さて昔とは違いずたずたに崩れた滝見遊歩道を右に見上げならがとぼとぼと河原を歩く
GOPR1678







突然一つ目のつるつるの斜瀑が現れた心と身体の準備が間に合わないがすぐに巻き道も

見つけられないので当然のように若手二名は蒼いプールに飛び込んだうーむ冷たそうだ
GOPR1682







私は高齢からくる心臓発作を恐れ暫く躊躇したが泳ぐしか無さそうなので珍濡れとともに

プールに飛び込むウーム下半身が冷たくて目が覚めて気持ちがよい

 必死で泳いでいると、K君が木の棒を差し出してくれたのでそれを頼りに岸に這い上がる

 初っ端からこれでは先が思いやられる二年ぶりの泳ぎだったその後また凡庸な河原を歩くと

やがて赤鍋の滝と思われる赤いヌメリが特徴のつるつる滝が登場土日のポピュラーな沢だけ

あって入渓も多いがフリー巻きと色ここは我は慎重を期して君リードで確保登攀を選択する

GOPR1697







いきなりのヌルヌル滑り沢だったのでスリリングではあったそれを超えると

またお助けトラロープの垂れ下がる滑滝が現れる寒いが泳いで取り付くしかないので残置ロープ迄

泳いで取り付きそれを頼りにずり上がる
GOPR1700







少しリズムが出てくるがそのあとは凡庸な河原が

続いた小一時間で何やら見覚えのある二つ目玉の釜滝がでーんと登場しかし右側の穴から

は水が枯れている何やら片目だ
GOPR1721







左右に巻き道が確認出来るが何となく先頭は左を選択する

 明瞭な踏み跡ではあったが途中一か所切れた所がありトラバースには木の根ホールドに

全体重と65年の人生をかける必要が有りそうだここで我が人生にピリオドを打つのも勿体ない

と思えたので私は引き返して安全な右側の巻き道から上がる歩きで済んだ

 滝上部に達してみるとなるほど右側のノウナシ谷はほぼ水が枯れている左の犬取谷には

普通に水が流れている二つの沢の出合いの台地上には何組かのPが幕を張っていた。(12

 この辺で幕を張ってはどうかなあ等と考えながら取り合えず計画通りノウナシ谷へと右に

進んでみるノウナシ谷はやや暗く陰気な沢だ水は少ないが魚はたくさん生息している

これを見たS君は頭に血が上ったのかこれは絶対に釣れると宣言し何やら釣り道具を出して

釣りを始めたしかし見えてる魚は釣れないとの古くから言われる格言を思い出した私は

ほんまかとは思ったがせっかく釣り竿と餌のイクラも担いできたことだし釣り糸を垂らす

ことにする魚は一杯いるのだがイクラには全く反応しないぱっと寄ってきてはイクラと

針を確認してはUターンだ残念だが他の餌を持ってきてないので川底の石裏の川虫を探すが

生憎孵化したあとか全然いない。1時間ほど粘って諦める今日対面出来たのは枯れたプールで

自然死していた20センチほどのアマゴ君だけであったしかし天然資源保護にイクラかは貢献

出来たのではないかとの想うと満足できた()。 釣りを一旦諦め次はねぐら探しに重点を置く

 ノウナシ谷はなかなか陰相な沢で平地は有っても幕を張るには風通しも悪く陰気臭い

 20年前の記憶を思い返しノウナシ滝まではこんな状況が続くだろうということで犬取谷へ

と移り風通しの良い開けた河原が見つかったのでここで幕とする。(14
GOPR1746






 ベースを設営した後はまた各自今夜の酒のあてを確保すべく散開して粘るがどうも

イクラともっと不味そうな疑似餌イクラではグルメな魚君たちには見向きもしてもらえない

 取り合えず諦めて焚火のための枯れ木集めに精を出す焚火の遠火で魚君たちを炙って

頂く予定だったが嫌われてしまったので木の枝にフランクフルトやチーズを差して炙って焼く

これはこれで充分旨かった飲んで食べて喋って陽も落ちてきたので原始人の眠りにつく。(19

 二日目8時起床今日はもう釣りをしながら帰るだけなのでのんびりと過ごす

朝からK君持参のフランクフルトをフライパンでソテーし一晩沢で冷やしたキンキンのビールで

流し込むこれ以上の贅沢はないもう明日死んでもよい位だがそうも言ってられないので

スライダーの赤鍋の滝をどう下りるかを思案しながら帰り支度をする

朝一の固い身体でやや緊張しながら釜滝を左から巻き下り身体が沢に順応したのを確認しながら

暫く歩くと赤鍋の滝に到着した朝から登ってきたPで混みあっている皆さんいきなりの

滑り台のような滝なので難儀しながら必死で登られているようだは二日目なので余裕が

あったここでスライダーでどう下りようか逡巡するが、Sリーダーの意見で乾いた左岸のスラブ

を尻シリ摩擦制動で降りると意外と安全に下りられた途中で登ってきたPの最後尾の人が

バランスを崩しそのまま滝つぼまで滑り落ちる泳ぎさえ出来ればそれほど危険性はないことが

確認できたので私も時間短縮で続いて滝に落ちるしかし金槌を自認するK君だけは滝つぼでの

泳ぎに不安が有ったので登りで使用したお助けロープを掴んで左岸より慎重に下りる

 S君は落ち口からのスライダーが気に入り、2回ほど繰り返していた来たときは恐怖に感じた

滑り滝も慣れてみればお猿の遊び場のように思えてくるから慣れというものは不思議なものだ

 赤鍋に別れを告げて暫くすると程なく林道との合流点に到着し林道に上がる上った途端に

でた言葉は 「暑い!!」だった。 デポ車到着13皆さんお疲れさまでした

 

 NOTES

 林道脇には二日とも10台近い車これほどの人気沢になっていたとは知らなかった

 軽装の単独ハイカーもいたがやはり軽装で単独ではやや危なそうに感じた

 釜滝周辺には4,5張り程張られ癒しのキャンプで賑やかだった

 沢キャンプの必需品のサンダルを忘れたので足裏が鍛えられて痛かった

 楽しい山行を共に出来た仲間達の皆さんに非常多々深感謝!!

 

 

 

池郷川上部 単独沢泊

こんにちはOKDです。

パートナーのI君が仕事で行けなくなったため、単独で遡行することにした。

静かな大峰の山を独り占めして堪能できた。

日程:2025年6月21日〜22日

メンバー: OKD


◎1日目

8:00  林道ゲート〜9:00  横手小屋谷出合(入渓)〜13:00 小池宿跡付近(泊)

天気は快晴。

林道ゲートを越えてすぐの顕著な尾根から大又谷へ下ると対岸に石積みが見える。そこからさらに一段上にも石積みがあり、道がついていた。

所々崩壊したりで不明瞭となり、登ったり降りたり次第に暑くなって「早く水に浸かりたいなぁ」と思う頃に横手小屋谷の出合に着いた。入渓。

IMG_6985

IMG_6988IMG_6995
悪絶極まりないゴルジュを形成する中部や下部とは違い、上部は巨石とナメの穏やかな渓相。

12m、6mの連続滝は、6mが困難と聞いていたので、左岸のルンゼから巻いた。

IMG_7001

この巻きでの懸垂用にロープを持って来たが、結局使わずに沢床に復帰できた。
IMG_6997
IMG_7003
IMG_7038
泊適地は随所にあるが、翌日のことも考えて堂ノ谷を越えてしばらく経った平坦地を今宵の宿とすることにした。

IMG_7040


◎2日目

6:00 出発〜7:30 天狗山南側〜9:50 涅槃岳〜11:00 持経宿〜12:00 林道ゲート

天気は薄曇り。

地形図を見るとこの先は平坦な河原歩きっぽい。

今日の下山は長いので、早々に詰め上がることにする。

右岸側の尾根を拾い、1時間半で天狗山の少し南側の大峯奥駈道に合流した。

IMG_7043

IMG_7045
持経宿からは白谷池郷林道でゲートまで。合計6時間の詰めと下山は長かったけど、静かな大峰を独り占めしてどっぷりと浸れた山行となりました。

帰りは下北山の「きなりの湯」でさっぱりした後、定番の「里」で食事して帰りました。

IMG_7009



TAMBA100(100K)レースレポート

861B03D1-E7E0-48AD-9116-51DEBB39C572














2025.6.6〜8
TAMBA100は、100milの獲得標高が16303m(2025コース)、100kmが9660mという世界一過酷なトレイルランのレースです。
アップダウンの激しい丹波の里山を繋いで作られたTAMBA100のコースは、NHKのグレートレースという番組でも二年連続で放送され、私もそれを見てTAMBA100の存在を知りました。
完走率が4割に満たない過酷なコース。そんなコースを作った中谷亮太という男はドSな人間に違いない…でもなぜ人はそれに惹きつけられるのか?
その疑問を解く為にも今回100kmのコースではありますがエントリーを決めました。

土日は基本仕事なので大会前の練習会やシリーズ戦には参加する事ができず、平日にソロで30km前後に別けて三回試走をしました。
六甲縦走路のように自販機が各所にあるわけでもなく、公共の交通機関がほとんど使えないので、ソロでの試走はなかなか困難です。
でももしエントリーを考えている方が読まれていたら試走をお勧めします。ルートを知っているかどうかで走り方は変わるしメンタル的にも楽になります。コーステープは大会後も残しているようで、公開されている昨年のGPXデータを辿れば基本いつでもコースを走る事は可能です。

目標タイムは30時間に設定しました。
試走した平均タイムが時速4kmくらいだったので、後半疲れたりエイドでの休憩時間を含めてザックリ計算したらそれくらいだったのと、昨年のリザルトより30時間切りで6位入賞が見えてきそうだったからです。
後半想定より落ちなかった事と、ロードのある区間は大幅に短縮になった事以外は大体作ったタイムテーブル通りに走ることになりました。

17:00くらいに会場につき、必携品のチェック。必携品の規定はなかなか厳しく、大会規定を良く読んで抜けがないように用意しました。
トレランも装備の軽量化は必須事項ではあるのですが、補給食はジェル以外あまり必要無かったみたいで、スタートから連れて行った菓子パンのサンミーはペシャンコのまま一緒にゴールしました。
D3C60DB1-8837-4EA9-9FB6-E7D7E0FA7D41


















デポバックは100kmのコースでは2箇所で受け取れ、着替えや補給食、装備品を入れ替えする事ができます。
色々考えて用意したのですが、結果取り出したのはエナジージェルとゴープロの電池くらいでした。着替えも面倒臭くてしなかったし、スマホやライトのバッテリーも基本必携品の持って走る分の予備で充分でした。
途中でGPS端末のイブキの充電をしないといけないと聞いていたので10000mAのモバイルバッテリーを入れていたのですが、結局30分以上エイドにとどまる事はなかったので、2000mAくらいの軽いバッテリーを数個持ってきて入れ替えて走った方が良かったと思います。

DJトモティが盛り上げてくれ、いよいよ100kmの部が19:00にスタート!
緊張していて若干オーバーペースで入ってしまったけど、スタート直後の渋滞を避けれて結果良かったと思います。
山に入るとすぐにヘッドライトが必要な暗さとなり、慣れてくるまでは慎重に進んだのですが、反射テープ付きのマーキングはわかりやすくほとんど道をロストせずに進めました。
次第に集団が形成されてきて3~4人でしばらく一緒に走る事になり、その中の一人の羽藤さんと、その後66kmも一緒に走らせてもらう事になります。
トレランは登り下りでもスピード差がでやすく、体調も上がり下がりするので同じペースの人と走れた事は非常に運が良かったと思います。
55FDD826-AD27-463F-B983-E9AE5FADEAAE















リザルトでもフルネーム公開されてるのであえて実名公開しちゃってますが、羽藤さんは下りが上手であまりブレーキをかけないので走るので、ついていくのがしんどい時もありました。
特に篠ヶ峰(32.7km)から甲賀山(42.4km)までは眠気から少し吐き気もあり、先に行ってもらおうかと何度か考えました。
でも、『また激坂か!』とか『マジでこんな所下るの?』と愚痴りながらも2人で進ん行けたのでメンタル的なダメージをかなり軽減してもらえたと思います。

60km地点くらいの芦田城CPの前で、山岳会の友人の芦田さんが待っててくれました。ちっちゃいお子さんを連れて応援に来てくれて本当に嬉しかった。
弱い自分が常にいて、ちょっとした事で休もうとしたり諦めようとするので、誰かに応援してもらっていなかったら走り続けられなかったと思います。

そんな感じで芦田城のチェックポイント(64.9km)も無事通過し、このままゴールまで一緒に走ったら、ずっと引っ張ってくれた羽藤さんに譲り合いながらも先にゴールしてもらおう、などと本気で考えていましたが別れは突然きました。
足の攣りが酷くなってきた羽藤さんは第6エイドの五輪館(66.5km)で少し長めに休憩するという事だったので、ここで別れて先に行かせてもらう事に。

そこまで4位5位でほぼずっと走ってきて、五輪館で後続の7位までの選手が揃っていたので正直焦りは感じていました。入賞は6位まで、残りの体力を考えると今からスピードを上げるのは難しい。ならば行ける所まで休まず行こうと決心し、そこから一人旅が始まります。
_Z813249















イブキを出来るだけ見ないようにしていても、他の選手に後ろから追われているのを感じます。
前腿が痛み始めていて、下りで踏ん張れず何度か転倒し、足も攣りそうになりました。
まだ登りの方が力が入ったから、いままで歩いていた斜度の登りも走って登るようにし、下りはストックを突いてゆっくり行きました。

一人旅は時間の経過も遅く感じられ、最長区間の天王坂エイド(80.1km)までは、いつまで続くねんと1人ツッコミ入れたくなるほど長く感じられました。
100kmのレースで残り20kmなら、あと少しのイメージですが、丹波の山は1時間走っても2kmくらいしか進んでいない事もあるのであと20kmがとてつもなく長く感じます。
牧野峠から移動してきてくれた中谷さんの妹さんにも元気をもらい、最終エイドの見分かれ公園を目指します。

_Z723105















水分かれ公園(89.8km)までも、終盤でこんな坂持ってくる?と試走済みでもツッコミたくなる急登が連続で本当に長く感じます。
日が落ちてきて気持ちとともにペースが落ちてきた頃、ついに後方から天藤君の気配を感じました。
1位を走っていた稲垣さんがリタイヤされたので、まさかの3位争いをここでする事になります。天藤君も怒涛の追い上げをしてきているのでしょう。気を抜いたらすぐに抜かされるのがわかりました。
身体の各所がバキバキで、ここまでか…とも思ったけど、前腿の傷みをこらえて下りのブレーキを解放してたら意外といける?
想定していたより大胆に足をついても腿は大丈夫そうで、大分スピードアップすることが出来たので逃げる事に決めました。

天藤君から必死に逃げて走っていたら、何と最終の林道手前で悠介君を捉える。直線距離で200mくらい、抜かせるかもしれないという気持ちが湧いてきます。
みんな人間、鉄人のように思えた上位メンバーも確実に疲れは出ているようです。
完全に麻痺した足でラストの林道を駆け降りる。意味がわからんけど市街地に入るとまだ走れる気がしてきてキロ4ぐらいで悠介君を追走すします。
信号待ちでついに追いつきますが、さすがは現役1500mの選手、ラストのスプリントでグイグイ放され完敗しました。
30秒差で3位でゴール、夜中の23時だというのに大歓声で迎えていただき、清々しい気持ちでゴールテープを切れました。
3FB6F526-5CA2-446C-B5C7-E853E955B22E















1位の萩原さんも足の痛みと闘いながら十数分前に何とかゴールされたとの事。
トレランは本当に最後まで何が起こるかわかりません、果てしなく遠く感じたゴールも諦めずに進んで行けば必ず辿りつく。当たり前の事だけど、中谷さんのそんな言葉が身に染みました。

まるで映画のワンシーンみたいじゃないか…脳内でAdoが歌い出して丹波の森公苑の草むらに寝転んだら、そのまま朝まで寝てしまいそうだった。とりあえず車に戻り、めちゃくちゃ臭い服やリュックを脱いでとりあえず寝ました。

残念ながら必携品のペナルティがあり悠介君は失格扱いとなってしまいましたが、腐らずトレーニングを積んで、来年必ずリベンジを果たして欲しいと思います。
完全に親目線ですが、今後の彼の将来に期待しかありません。どう転んでも凄い選手になる事は間違いないでしょうが。

E8378B5B-564D-4AE7-BACB-D2F25746FB00















目標に向かって努力する事は気持ちが良いし、目標を達成した時に大きな達成感を味わう事も出来ます。
でも時にそれを自己満足と捉えられる事もあるし、家族や仕事の時間を切り裂いてまでトレーニングする事に疑問視される事もあります。

でも今回TAMBAを走って感じたのは、やっぱり挑戦することは楽しい!
自分の限界に挑戦している人は見ていてカッコいいし人に勇気を与える。
中谷さんの作ったこの過酷なコースに、毎年人が集まってくるのは、簡単には達成させてくれない挑戦の場を与えてくれてるからなのかもしれません。

最後にはなりますが、応援してくださった皆様、大会運営スタッフの皆様、ボランティアの方々本当にありがとうございました。
あんなに苦しかったけど来年また走りたい気持ちになってきました。
来年も挑戦出来るように精進したいと思います。

FE38F0F6-A9DB-48AF-9316-069C6E30830C




























長い文章を最後まで読んでいただきありがとうございました。

吉澤孝彦

2025.06.07 南紀 相野谷川 中ノ谷

こんにちは、川です。


「内鹿野谷」で沢スイッチが入ってしまってから一週間、興奮冷めやらぬままに南紀の「中ノ谷」を遡行してきました。


今回は沢でのロープワークを練習するため、滝の高巻きでは積極的にロープを出していきました。


以下、記録です。


■メンバー

T口さん(L)、Kさん、川(記)


■主なギア

・ロープ(8mm 50m)


■行程

・08:00 駐車スペース(桐原登山口)より出発

・08:25 中ノ谷橋より入渓

・08:35 落打滝

・10:25 30m滝

・14:00 子ノ泊山頂

・15:00 駐車スペース(桐原登山口)



最寄りの道の駅で前泊し、8時前に駐車スペースに到着。

ちょうど1パーティが出発の準備をしているところだった。沢で他パーティに遭遇するのは珍しいらしい。


計画通り出発し、駐車場から30分ほど林道を歩いて中ノ谷橋より入渓。


1749355061464






▲いかにも「これから沢始まりますよ!」という感じ、たまらないです。


GOPR1547






▲入渓するとそこは緑の世界。彩度マシマシでも目に優しい。


1749355057823











▲開始早々に落打滝


高巻きで踏み跡を探すあまり壁にある立派なボルトを見落としてしまい、安定のルーファイ力のなさを披露する。

少し悪い箇所を一段下降すると記録でよく見かける木製梯子が視界に入った。

GOPR1566







240cmのスリング2本を連結して手掛かりに。勉強になります。

それにしてもこの綺麗なラッペルリング、高巻きのいたるところで見かけるけど何なの…
GOPR1567









沢に復帰するとエメラルドグリーンに輝く釜
1749355055555









トポによると30m滝の高巻きは両岸から巻けると書いてあるけど左岸は難しそうで、簡単そうな右岸側から高巻く。それでも行ったり来たりでルートファインディングがやや難しかった。

沢への復帰で右往左往した末にリーダーが等高線の隙間を縫うような1本の下降路を探し当てたときは興奮した。

GOPR1590







延々と続くナメ。せっかくなのでウォータースライダーをするなどして遊んだ。

GOPR1601







ゴーロかと思えばナメに戻り、涸れたと思いきややっぱりナメ。ナメは終わらない。
GOPR1622









沢の詰めではKさんが先陣を切ってなかなかのペースで高度を上げて行く。着いていくのがやっとだった。


思い返せば、内鹿野谷では源頭部で両太ももが攣ってしまい誤魔化しながら牛歩でゴリ押すという文字通り詰めの甘さが露呈したけど、今回は何とか大丈夫…!


登山道に合流するとすぐに子ノ泊山頂。ネズミのバンザイに倣い我々もバンザイ!

1749355050193







途切れないピンクテープを頼りに登山道を駆け降り、ダイレクトに駐車場に滑り込んだ。


PXL_20250607_095627867.MP






▲馬酔木(あしび)でタンパク質摂取もお忘れなく


2025.06.01内鹿野谷

【日程】2025年6月1日(日)

【行先】南紀 内鹿野谷

【天候】晴れ

【メンバー】OKD(L)、 岩瀬た(会外)、川、おせん(記)

南紀の内鹿野谷を遡行してきました。

元々、OKDリーダー発案で台高の東ノ川を一泊二日で遡行する計画が、天候不順で中止、天気の良い2日目を日帰りで沢登りをしようと、代案として選んだのが、ここ内鹿野谷。

正直楽しみにしていた沢泊が流れ、特に注目していない沢だったので、期待していませんでした。

結果、アプローチも下山も楽々、エメラルドグリーンの透き通った水流に雰囲気の良い淵や滝、源頭部は少し立ったナメが何百メートルも続く独特な地形でおもしろく、更には白見山からの展望も中々良いもので、期待していなかった分、意外に楽しめて満足のいく沢でした。

また、この日初めて沢登りを経験する川氏は、しっかりした足取りで沢を遡行し、体力も充分、読図や遡行図等の準備も万端で、初めてとは思えない貫禄でした。

滝の登攀について、一ツ落ノ滝の他、名のある滝がいくつかあり、登れそうなら登ろうと登攀具一式持参しましたが、支点を取るのが難しそう等の事情で巻きました。

ロープを出したのは、少し立ってヌメりのあるナメの連瀑帯で、おせんがセミになり、上からロープを投げてもらったのが唯一です。

下山後はいつもの台湾料理店で食事をとり帰神、充実した休日になりました。


IMG_8456
探勝路を辿り入渓

IMG_8461

IMG_8538
用水路の様な滑床

IMG_8536
一ツ落ノ滝

IMG_8478
落口より

IMG_8547
長いナメの登り

IMG_8497
白見山からの眺望

IMG_8524
ズリ岩

IMG_8532
もう紫陽花が咲いていました

2025.4.29 御在所岳 前尾根

こんにちは、川です。


GW早々、アルパインクライミングの入門ルートとされる御在所岳の前尾根に須川さんと行ってきました。

山岳会に入会する以前より登りたいと思っていたルートで、事前に過去の記録を読み漁って臨みましたが、登るのに精一杯で様々な課題が浮き彫りとなった山行になりました。


■メンバー

須川さん(L)、川(記録)


■主なギア

・ロープ(8.2mm 50m) ×2本

・カム(0.5〜2番) ※3番があってもよかった

・クイックドロー ×各5本

・アルパインヌンチャク ×各3本


■行程

・05:30 駐車スペースより出発

・06:00 藤内小屋

・06:30 前尾根取り付き

・07:00 登攀開始

・11:30 ヤグラ終了点

・13:30 駐車スペース



前日22時に神戸を出発し、名神と新名神を経由して裏道登山口へ。鈴鹿の山は初めてだけど意外と近いのね。

5時まで仮眠し、各々朝食を済ませて5:30頃に出発。


途中、兎の耳やカリフォルニアドリーミングを見上げながら快調に進み、6:30頃に誰もいない取り付きに到着。

IMG_3666








準備を済ませ7:00頃に須川さんリードで登攀開始。


ロープが岩に挟まり流れが悪いため立木の辺りでピッチを切る。

フォローで登り始めるが、案の定クラックで少しもたつき先が思いやられる。

2P目は出だしが難しく、引き続き須川さんがリード。私は迷うことなくヌンチャクを鷲掴みにし何とか離陸した。
IMG_2578













3P目のP6はリッジルートをリードさせてもらう。

登るのに必死なあまり、短いフェースをひと登りすれば歩きのパートというところで、誤ってチムニールートの終了点でピッチを切ってしまう。全然先が見えていなかった。

風が強まってきたのでレインウェアを着る。雲が冗談みたいな速さで流れているので上の方は爆風であろうことが伺える。

P5を経てP4の凹角ルート(?)をリードで登る。

それほど難しくなくルンルン気分で高度を上げるが、いよいよ風の洗礼を受けることになる。

P4頂上に出た瞬間に立っていられないくらいの暴風が向かい側から襲いかかってきた。みるみるうちに体温が奪われていき、凍えながら重たいロープを引き上げビレイする。


P3は中盤のピッチをリードさせてもらった。

すぐ左側に簡単な階段状のルートがあったのを見過ごしてしまい、難しそうなクラックに向かって突っ込んでしまった。

とりあえず取り付いてみたものの、クラックが苦手なこともあり怖くなって一旦降りる。

直前に終了点があったのでロープが残り少なければここでピッチを切ってしまえと悪魔の囁きに耳を傾けつつ須川さんにロープの残りを聞いてみる。

すると、まだ半分あるとの返答が。我に返りクラックに取り付き直す。

この時点でカムの残りは0.5番と2番の2つのみ。

下部で2番を決める。そこからは幸いなことに狭い幅のクラックが続いており0.5番が綺麗にキマったので、カムでエイドしながらジリジリと上り詰めていく。

あと一手というところでクラックが広がりズルできなくなってしまったが、力ずくで突破する。どうやって抜けたのかよく覚えていない。


いよいよP2ヤグラ。先行者なし。風が強いことを除けばコンディション良好。登らない理由がなかった。

とはいえ、目の前にそびえ立つヤグラを前にビビってしまい須川さんにリードをお願いする。

フォローで登るが案の定ボルトが打ってあるところでウジウジしてしまい、次第に手が冷えて力も出なくなってきた。

後続パーティの応援を受けつつ、最終的にはスリングアブミで何とか突破した。

IMG_3674










懸垂下降でヤグラの取り付きに下降。

帰りは急な下降路(とはいえ堡塁岩のアプローチとは比べ物にならないほど快適)を辿り、裏道登山道に合流して下山した。
IMG_3676









帰りは「湯の山ロッジ」(日帰り入浴700円)で一汗流して帰路についた。



■まとめ

まだまだ経験が浅く、変なところでピッチを切ったり色々とやらかしてしまいましたが、その都度須川さんに懇切丁寧に教えていただき、また一段成長できたように思います。

須川さん、ありがとうございました!

今度はヤグラ含め前尾根全ピッチリードを目標にやっていきますので、またお願いします!


2025.02.25【大峰 弥山川 裏双門滝】

「大峰 弥山川 裏双門滝」


IMG_9818






















日本の名瀑100選「双門滝」(落差70m) のすぐ東側に
位置しているが全く知られていなかった深い谷が
存在する
恐ろしく高い嵓に囲まれており、
そこには落差70m程の大滝が2本堂々と立ちはだかる
2024年に開拓されたばかりで大きく貢献した一人、
もっさんにお誘いを頂き行く事となった

写真を見せてもらった、

「ヤバい滝や...」

登れるんか?


以下、山行記録です

_______________________


■ メンバー


藤本 (L) (記)
もっさん

■ 装備 (主な物)

ダブルロープ 60m (2本)
アイススクリュー
13㎝ × 7本
16㎝ × 12本
22㎝ × 2本
リンクカム #0.5、#0.75 使用せず
トランシーバー


入山 2:00


IMG_9806
























熊渡に駐車

アプローチは、
「関西最難関の一般登山道 双門ルート」
私は無雪期にいちど弥山まで抜けた事があるが
その時でさえ何度もルートをロストする程に踏み跡
が分かりづらく、不安定で今にも落ちそうな橋や
ハシゴの連続、滑落しそうな急峻なトラバースが
つづく

もっさんはこの日の為、一週間前にトレースを
付けに来ているが前日までの数日間雪が降り続いた
辿り着くか心配されたが前日に人が入った形跡が
あり脛ラッセル程ですんだ


IMG_9808
























5:00 一ノ滝

頼りになるパートナー
暗闇でも複雑なルートを熟知しておりここまで順調


IMG_9814
























双門ルートを外れてからは腰から胸のフルラッセル

何回か「変わるよ」と言ったが無言で突き進む
「ルートは自分にしか分からないから」と言う理由
「助っ人として応援に来てもらってるから、
アプローチは全て切り開かなければ」と言う風に
山陰男の心意気を感じた


IMG_9817
























辺りが白ずんできた

日の出 6:31

ついに見えて来た
と言うよりも「見えてしまった...」 

右が「巌双門滝」
左が「裏双門滝」

遠目には難しそうだが近づくとどうなのか?


IMG_9822
























威圧感が半端ない...

9:00

もっさんのフルラッセルのおかげで何とか辿り着く
事ができた
降雪が少なければ4時間程で着くところがなんと
アプローチに7時間もかかった
お疲れさまでした

一息いれ、黙々と登攀準備にかかる
静まりかえった中に緊張感が漂う


IMG_9870
























IMG_9869



























2024年 無雪期 ( 開拓時 )

中間がハングしている


IMG_9864
























9:30

1P 25m (Ⅴ‐) 藤本

リミットは最終ピッチを日没までに抜ける事

ワンザックに最小限の食料と飲料を詰め
流石に時間はたっぷりあるのでヘッデンはデポ

階段状から取付いた
序盤は快適に高度を上げたが中間からは溶けだした
シャワーを避ける事ができずズブ濡れになりながら
前進
その後は、つららの集合体や氷結の甘い氷で
スクリューを打てなかったり堆積したモナカ雪の
処理、クラストした棚が崩壊したりと格闘する事
1時間、漸く1人立てる程のテラスに出た


EJDN9277














ビレイしながら、氷瀑の裏から不気味に水流の音が
聞こえてくる

チリ雪崩も頻繁に発生してとっさにかわす


JAQQE4715
























フォロー到着

狭いのでハンギングでレスト


BZGI8493
























2P 40m (Ⅴ) もっさん

是が非でも登りたいと言ってた核心ピッチ

ブッ立ってる核心ピッチを登って
くれるから内心はホッとした

長いピッチの序盤15m程はバーチカル
つららを処理しながらでかなり悪そう
後半を考えればスクリューを温存したいところ
だが怖そう
リードが見える範囲ぎりぎりで一旦止まり、
0ピン他のスクリューを回収して荷揚げした


HIQQ3099
























フォローで登る

中間からは傾斜が緩むがゴソゴソ雪
穴が開いて水が流れてる所もあった
後半は狭いチムニー状の氷を通過するライン
しかない

やはり前半にスクリューを使った分、
激しいランナウトで突破していた
ようやるわ!


PUYE6551
























凄い高度感

足元には穴


IMG_9871
























IMG_E9872















3P 20m (Ⅳ+) 藤本

小ハング下からスタートして落口は10m程先?
簡単そうに見えるが何が潜んでるか分からない

このピッチ、誰がリードするかは現場で判断する
事にしていた
「もっさん、行きますか?」
「... 」 暗黙で託された


IMG_E9867











落口から先のスラブは氷結が甘く、割れて剥がれる
気休めに薄い氷にスクリューを斜めにきめ前進
アックスを打ち込めば割れそうな薄氷に負荷をかけ
ない様に足を広げ岩にステミングとプッシュで突破

その後は腰ラッセル
時々氷を踏み抜き肝を冷やした

立木でピッチを切り緊張が解かれた


IMG_E9868











17:00

完登
やったぜ!

登攀 7時間半
長かった

急いで、懸垂下降 1ピッチ目に入る
立木に残置してあったスリングとバックアップを
取り、穴を避け慎重にロープダウンした
ところが見事にロープが穴に入り込み難儀した


IMG_E9865











60mロープで1ピッチ目のテラスまでぎりぎり届いた

懸垂下降 2ピッチ目 
V字スレッド 2本目を作ってる時に真っ暗になった

日の入 17:49


IMG_9826
























19:00

デポした荷物をまとめ下山開始

深い雪、
落ちかけの橋、
悪いトラバース、

「双門ルート」の下山は長く辛い...


IMG_9801
























23:00 熊渡

やりきりました


( 開拓メンバー )
フックジョーさん
GOくん
そして今回誘って頂いたもっさん
本当に感謝です

生涯記憶に残る1本となりました


———————————————————————


以上、山行記録でした


山は遊びの宝庫や!!



[筆者が書いた関連記録]


・ 2024年11月3日-4日
大山 中ノ沢 
アルパインクライミング

・ 2024年8月20日
クラガリ又谷 大滝登攀

・ 2024年8月12日
楊梅の滝 大滝登攀

・ 2023年9月12日-14日
滝谷出合~滝谷第四尾根
アルパインクライミング

・ 2023年6月4日-6日
大峯奥駈道 スピードハイク

・ 2023年5月9日-11日
黒部源流域 山スキー

・ 2023年5月2-4日
槍、穂高滝谷 山スキー

・ 2022年12月28-30日
甲斐駒ヶ岳 黄蓮谷右俣 アルパインアイス

・ 2022年5月17-18日
剱岳 大脱走ルンゼ 山スキー

・ 2022年5月2-5日
前穂高岳 奥明神沢
奥穂高岳 南稜
北穂高岳 東稜
登攀 山スキー

・ 2022年4月19-21日
黒部川源流域 山スキー 釣行

・ 2022年4月2日
大山北壁 弥山尾根東稜 登攀 山スキー

・ 2022年3月2日
大山北壁 天狗沢 アルパインアイス

・ 2022年2月1日
錫杖岳前衛壁  3ルンゼ アルパインアイス

・ 2022年1月19日
御在所岳 1ルンゼ中又 アルパインアイス

・ 2021年9月13-15日
穂高岳 屏風岩 雲稜ルート
前穂高岳北尾根
アルパインクライミング

・ 2021年7月20-22日
穂高岳 滝谷 アルパインクライミング

・ 2020年9月29-30日
槍ヶ岳 アルパインクライミング
記事検索
月別アーカイブ
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

プロフィール

kobe_alpine

  • ライブドアブログ