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参加者:O島氏 M寿井氏 H瀬氏 A井(筆)

21日(土)早朝
4人の乗った車は、朝モヤの抜けきらない0合目(1400m)馬返に足を止めた。
車内で温風に甘やかされた僕の体は、外に出たとたん鳥肌となって悲鳴を上げた。
Oさんは僕とは違い、寒いなどとは一言も言わず黙々とパッキングをしている、そしていつも僕たちよりスムーズに用事を淡々と済ませる。さすがリーダーたる人間だなぁと勉強させられる、KAC切っての山男だ。
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Hさんが撮ってくれた写真には、
運転免許を持たない僕が道中、皆交代で運転する中一人爆睡をかました結果が表情となり
顕著に出ていると思う。

右後部座席のヌシとなった僕は、役立たずの烙印を押されない為にも6人用のテントを背負う義務を覚えた。

今日の行程は5合目までの4時間程のコースでハイキングのようなもの
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自然と遠くの山が何山なのかが気になる、、
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何と端的明瞭な看板だろうか。
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8合目からしか雪が無いのは見てとれたのは残念でもあるが、無い物ねだりも良くない、天気が良いだけでもラッキーと思わねば。と自分に言い聞かせながら登る。
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Oさんはツメイリのズボンにピンクの軍手、それにサングラスといった、とても若手には真似できないベテランのコーディネートだったが、それとは裏腹にパッと見、昼休みに抜け出してきたヤンキー高校生にしか見えなかったのには笑わずにはいられなかった
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昼には5合目のテント場に着き、明日に備え早めに食事などを済ませる。明日の頂上ピストンを控えた我々は試合を控えた代表選手さながらの鋭気に満ち溢れた手際の良さだ、Hさんが「山やる人って、マメな人が多いですね」と口をこぼす程だ。Mさんは、これが初めての冬山らしいが用意周到に荷物も充実している。些か写真の表情とは矛盾しているが、、
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ハンバーグカレーというカロリー満点なのも嬉しい
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22日(日)朝3時
なかなか寝付けないなぁという記憶を最後に目を覚ました。
本来なら一番若手の僕が動かねばならない筈が他3人に諸用意をさせてしまった。
僕が持ってきた朝御飯のトルティーヤは巻くのが面倒で食べにくかったのに皆おいしいといって気を使ってくれた。
まだまだ冷え込む4時にはテントを出た、薄い雲の奥に星は小さく、しかし強烈に輝きを放ち月明かりが僕らの道を照らす。

5分ごとに時計の標高計を確認するが日本一の山に対してはあまりにも振れ幅が小さい。
次第に空は明らみ行動食を食べるペースも上がってきた、つくづく自分の燃費の悪さを憂う。

ここまで快調だったMさんのペースが落ちた。
カカトの靴擦れがひどくなってしまったそうだ。
やはり冬山は多くの要素の上に総合力が成り立つゆえ何があるかわからないというのはOさんの言葉の端々から学べた。
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Oさんはショートホープを香ばせて待っている。
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全体のペースを遅らせまいとするMさんの気遣いも感じられた。
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アップダウンは無く6時間ほどのアップを続け、ついに9合目までついた。Mさんは靴擦れの為9合目にて待機することになった。
悔しかったと推察できる、次へのリベンジの楽しみが出来たと考えるべきか、植村直己さんの言葉になぞらえて言えば、五体満足ならまた次に行ける。という事になるのだろう。

やっとこさ、お鉢につく頃には11時を回っていた。
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歩くのも難しいほど風が吹き付ける場所もあった
風によってザックの紐などが体をバタバタと叩く。
身の危険を感じずにはいられなかったが
そこはOさんの経験に裏付けされた背中が僕の精神的支柱となった。

僕は体調を伺うようにHさんに目をやったが、疲れた表情は伺えなかった。

白く輝くしなやかな雪の稜線を上がったところに3776mの頂上がある。
僕達はアリの様に歩を進めて登頂した。
そこにみせた晴れ間は富士さんがくれたご褒美だと勝手に思っている。
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長い道のりを下りきりテントについた時には夕方4時を回っていた。実に12時間の格闘であった。
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23(月)帰り道
富士山の見える温泉に入り、高速道路で帰る。

窓に広がる日本のトップを尻目に
車のラジオから流れるカーペンターズのTop of the worldを聴くともなく聞きながら右後部座席のヌシは眠りにつくのであった。


皆さん、ありがとうございました。