2016年01月

1月10日 雪彦山アイゼントレーニング

DSC_0385DSC_037814525088426561452508833668DSC_03771452508977347雪彦山をアイゼンで周回しました。
最難関の縦走路と思われます。最後は灘のお好み焼き屋で反省会でした。






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南米大陸最高峰アコンカグア遠征

DSC05505こんにちは、アライです。
喜ぶべきか否かはさておき、今回のクリスマスと年越しは南米の山の中となりました。
スペイン語力0の僕にとって南米という地は何か別の星であるかのように、トライ&エラーの連続でしたが、喉元すぎれば、今となってはその思い出もまたキラキラ輝く宝物です。僭越ながら日記を載せさせていただきます。

12月19日
春風が近い夏の躍起を待ちわびる頃、登山拠点の町メンドーサ(アルゼンチン)は緑と人で賑わっていた。
町の活気とは対照的に僕の体調はすこぶる悪かった。というのも計30時間エコノミークラスのシートに座っているとシートベルトがだんだんと拘束具のように感じられ、本来快適さを保つためであろう空調からは白い冷気が吹き出しているのかと見まごうほどの機内の冷えっぷりで、ばっちり風邪を引いてしまったのだ。必死で気を紛らわそうと機内では何本もの映画を見た、ラッシュアワーなどは1,2,3すべて見てしまった。
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海から吹く湿った風はアンデスの高峰にはじかれ、ここメンドーサ一帯は乾燥している、それを見越して出発前にダイコクドラッグで98円でリップクリームを買っていた自分を褒め称えたいところである。


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さっそく町の登山用品店で「オラ、ソイ、ハポネ、トレス、ポルファボール(こんにちは、僕は日本人です、これをふたつください)」などと支離滅裂なスペイン語を無理やり並べ、ガスやナイフなどを買う。

日本からの移民の増田さんという方が経営している民宿アコンカグアという宿がかつてメンドーサにはあり、植村直己さんや野口健さんといった名だたる登山家もアコンカグアへ上る際はそこを利用していたのだが法律が厳しくなり営業を続けるのが困難になったそうだ。少しでも植村さんの旅の跡に残る匂いを嗅ぎたかった僕ではあったが40年という年月は植村さんの足跡を次々と吹き消していく。いつまでも人の足跡を辿ることなんて出来ないのかもしれない。増田さんが紹介してくれた小さいホテルに宿をとった。明日から山に入るのだ、おいしいご飯を食べておかねばと、僕はホテルで知り合ったカナダから来た女性と最後の晩餐を楽しんだ。
嬉しかったのは彼女が、僕が英語圏で育ったのかと思うほど僕の英語力が上がっていたことである。これも日本での勉強に加え機内で勉強がてらに見たトイストーリー2も遠因してるのではないかと思うとウッディ(主人公)に感謝である。
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20日~
これまた冷蔵庫のように冷やされたバスに追い打ちをかけられながら3時間、山の入口プエンテ・デル・インカへと着いた。ここの小さな掘立小屋にいるオズワルドという男に大きい荷物を預けた。僕の荷物はベースキャンプまでムーラ(馬とロバの交雑種)が運んでくれる。小屋の中には生卵が山というほど積んであって、僕はその中の一つを貰い、オズワルドが用意してくれたおそらく一度も洗われてないであろうコップに生卵を割って丸呑みした、小屋の中ではスペイン語のラジオが流れていたが僕の頭の中ではロッキーのEye Of The Tigerが流れていたと考えてもらって差支えないだろう。
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ここから3日かけてゆっくり高度順応しながらベースキャンプ(BC)のプラサ・デ・ムーラス4300mまで登った。アコンカグア登山で許可される日数は20日、入山料は10万円、BCではメディカルチェックも受けなければいけない。だがそんなしがらみなど忘れ去れるほどBCまでの景色は美しかった。
ここ1ヶ月、体は学校と家を往復していても、僕の心には常に遠いアコンのベースキャンプが眩しく投影されていた。

稀代のアルピニスト、メスナー氏は言った
「たとえどんな氷壁を前にしても、準備を重ねていたのなら怯むことは無い。全てが集中しているから
これから自分がロープをかけて登っているルートしか見えなくなる」

未知への不安と、挑戦への期待との玉石混淆の心は、僕の準備不足を表していたのだろうか。

どちらにせよ、コンピュータのソフトで描いたような真っ青な天井から地平へ落ちていく水色のグラデーションを、今にも剥がれ落ちそうな巨大な一枚の岩壁を、体に吹き付ける砂交じりの風を、僕はまさに今 目で匂いで体でアコンカグアを感じている。母が「体にいい」と言っていたルイボスティーでウガイをしていたお蔭か風邪も小康を保っている。
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そこらじゅうに落ちているムーラの糞がある種道しるべとなっていて、僕は登りながら暇つぶしがてらに、一番健康状態の良い糞を探したりしていた。



23日
昼間の半袖でいられるほどの陽気なBCでフェリックスとフアンは今日も何やら相談をしながら大きなテントを立てている。フェリックスとフアンは僕が利用している登山サポート会社のフアン・トラベルサービスで働いていてBCでテントや食事を提供している。BCにある他の大きな会社とは違い客も僕一人だけで家族のように接してくれる。大きなテントを立てるのを手伝いながら飲むマテ茶にアンデスの芸術のような岩峰の景色は癒しであった。
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二人は相談しながらしきりに「~Si(yes)、ポキート、ポキート」と言っているがポキートの意味を本当に知りたい。オーナーのフアンは整地をするときにスコップいっぱいに砂利を入れるのに対し僕はそれの半分くらいしかいつも掬えない、「スゴイ!」と言うとフアンは得意げに「ボウズ、パワーじゃなくてテクニックだよ」と嬉しそうに教えてくれた。
日系ブラジル人3世のタナカ・カラさんは常に僕の体調など心配してくれた。
そんな良い人たちとの出会いの反面、頭も体も食器も服も洗わずのここでの生活は耐えがたきを耐え忍びがたきを忍ぶ2週間だ、山での生活に備え家でもシュラフで寝て、風呂にもろくに入らずにいたのだが、、、
そんな山での唯一の娯楽といえばBCで働くきれいなお姉さんと話すことだった。
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24日
羽毛服を着ていてもさすように冷たい夜のBC、テントの外からは聖夜を祝う曲や賑わう人の笑い声が聞こえる。
僕の目の前にはアルゼンチンの肉とワインが置かれた。「外を見ればアルゼンチンの山だってあるぜ」とフェリックスは笑いながら冗談を言う。明日からBCをついに離れる僕に、フェリックスの優しさが垣間見れた。
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26日~
今朝は5000mというのによく眠れた、小便に行こうとテントを開けると朝日に輝く岩と雪のゼブラ調、空のキャンバスに白い絵具は描かれていない。
2度に分けて荷上げしていた荷物をC1(キャンプ1)からC2までは1度で済ませた。晩に食べたカレーは非常にうまかった。パッケージには、知らないおじさんの顔と「私も推薦します!」といったことが書かれている。5500mではボトルの水も歯を磨いた後のブラシも凍ってしまう寒さというのに中辛というからさは僕の頭皮から汗をふきださせ、血行をよくした。
BCから上はゴミはおろか自分のしたウンチも袋に入れて持ち帰らなければいけないため、C2で僕は石を組んでより良いトイレつくりに専念した。石で作った便器の中に袋を敷き、回収しやすい構造にしたのだ。便器の横にはしっかり小石でもって「TOTO」と文字どった。これで幾分か便をするのは快適になったのだが一つ誤算だったのは、最終的には乾燥して持ち帰るときに軽くなっているだろうと踏んでいたのだが、そうはいかず夜に凍ってしまい冷凍ウンチになってしまったことだ。
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BCより下にあるプラサ・フランシアで会ったきりだったカナダ人のクレイクとそのガイド、シーザーとC2で再会した、息が合う僕らは再会を喜び抱き合った。僕の小さなシングルウォールのテントとは違いノースフェイスの5人ほど寝られそうなドームテントの彼らは、入れ入れ!と言って中に招き入れてくれた。ギリギリまで荷物を切り詰めている僕とは違い天井も高く快適で食べ物だってガスだって十分すぎるほどある。さすがクレイクがシーザース・パレス(ラスベガスの高級ホテル)と呼ぶだけのことはある。
高山病にならないためにも水を飲めと言ってお茶を出してくれたり、ここは自分の家だと思えといって食べ物やお菓子もくれた。僕たちはこの娯楽の無いC2で冗談を言い合いストレスを紛らわした。
シーザーが「たしか2012年、日本のテレビが来たよ、僕の10倍くらい眉毛の濃い女のコメディアンだった」といったのを聞いて「イモトだ!」と言ったら、「彼女はほかの日本人の登山者に写真を頼まれていたけど断ってたよ」とシーザーがいった、するとクレイクは「ということは、彼女は美しいのか?」と聞いたのに対し僕とシーザーが「NO」と口をそろえていったので三人で大笑いした。この日シーザースパレスから笑いが絶えることはなかった。

太陽がアンデスの果てしない山々の間に引きずり込まれ厳しい寒さが待ちわびた顔をのぞかせる夜を何度も経て僕はいよいよC3まで上がっていた。
呼吸が浅くなる夜中など息苦しくなり何度も起きるのが普通になっていた。その都度冬眠から覚めたかのようにゴソゴソとシュラフから手だけを出しテントのチャックを少しだけ開け新鮮な空気を吸うのだ。自分の吐息の湿気がテントの内側で凍りつき僕のテントの中で雪が降るという事態には閉口した。
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ノルウェー、アメリカ、カナダ、僕、それに東大の山岳部、計10人ほどで風の強いC3でテントを寄せ合った。
東大の山岳部の2人は医学生で口数も少なく寡黙で落ち着いていて格好良かった。僕は彼らに関大の山岳部に入ろうとしたときの話をした。
僕が部室に行った時の話である。コーチは壁にかけてある数枚の写真を指差し「これ、何の写真かわかるか?」と、僕の中の何か探るような目で言った。僕はわからなかったので、質問の答えを聞くような目をコーチに向けると少し間があいて、「この部で、山で無くなった人の写真や」と言われた。それは僕に本当に山をやる覚悟があるのか聞いていることを意味している気がした。
そんな話をすると東大の一人が「実はその写真の中の一人がうちの叔母なんです。」と口を開いた。
だから僕はまた一度部室に行って手を合わせなければならない。

31日朝2時
運動会の前日のようにアタックへの興奮と不安が心の中で渦を巻き、寝ることはできなかった。
ガスに火をつけ氷を溶かし水を作る。フリーズドライのパスタと温かいスープを一緒に口へとかきこむ、ハァと白くて温かい溜息を一つ。指先を温めながら出発の準備をする。4時半にテントを出ると星たちは輝きを競い合い月は山を冷たく照らす。
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数歩進んではゼェゼェと息を切らしたまらずその場に座り込む、すると寒くて体がガクガクと震え始めるからまた登りだす。そんな気の遠くなるようなことを空が明るくなっても、左右の切れ落ちた雪の稜線でも必死で続けた、大晦日の朝11時、日本でいう夜11時、僕は6962m南米大陸で一番高いところに立っていた。宝箱があるわけでも何でもない。何もないただの岩の頂上。でもこのために全身全霊で集中してきたのだ。
友達は僕に「なんでそこまでして登るの?」と聞く。僕もその理由を心の中から探し当てることはできない。でもここから、果てしない岩の山脈を、そこへキラキラ輝く氷河を、オリオン座を隠すほど眩しい星雲を見れば少しだけその答えが僕にもわかる気がした。
それはBCを出て7日目だった、ちなみに植村さんはBCを出て15時間で登頂した。
僕はその日のうちにBCまで降りて年越しを祝った、フェリックスは僕の登頂を喜んでくれた。
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1日
羽毛服やブーツ、アイゼンなど僕の登山用具はBCで帰りのための6000ペソ(6万円)ほどの現金へと変わってしまった。

2日
僕はメンドーサにある国立病院に来ている。
登頂した日、僕の足の指先に感覚は無かった、スカルパのモンブランというブーツでは寒さをしのぎ切れなかった、そして今も感覚がないのだ。ちょうど長時間の正座から立った時のようにしびれている。
なにせスペイン語だからどこへ行けばいいかわからず、館内のあちこちでジェスチャーで聞いては違う診療科へいざなわれてしまうトライ&エラーを繰り返しやっとたどり着いた、アコンカグアに登るほうがよっぽど簡単だと思ったくらいだ。産婦人科に来てしまったときは、お前は妊娠しているのか?と周りのみんなに笑われてしまった、順番待ちの間、他の患者たちが「どれ俺に見せてみろ」と言って僕の指を押したりして診て言うには、マッサージをして温かくしておけば大丈夫だ!とのことだがこれほどまでに説得力の無い診察など他にないだろう。
いよいよぼくの番が来た。
先生ともなろう人なら英語の少しは話せるだろうと「アブレ イングレス?(英語話せますか)」
と聞くとNOとバッサリ。
かくなるうえは!と、地球の歩き方の巻末のスペイン語集をちぎっていたのを取り出し「エスカラダ アコンカグア、デド ムーチョ フリオ ムーチョ フリオ!(アコンカグア登る、指むっちゃ寒い、指むっちゃ寒い)」と呪文のように唱えた。
すると理解してくれたように見え、ひとしきり爪を押したりして確認してくれた、そしていよいよ先生は奥から注射針を取り出してきたので「あぁ21歳にして俺は足の指を失ってしまうのか」と唾をのみ必死で人差し指を横に振りノー!ノー!と叫んだ、しかしこれはただチクチクとさして確認してるだけだった。
そして最後に先生はこういった。「ノープロブレム」
この瞬間はスローモーションにに見えたといっても過言ではないほど神からの啓示のように僕の心に何度も響き渡った。

今となってはこれもまた宝物のようにキラキラ輝く思い出である。
よく「親はなんて言ってるの?」と聞かれる。
もちろん僕が山に入っている間は心臓がよじれるほど心配しているだろう。でも決してだからと言って、とめはしない。いつも応援してくれる。
「ああ無難に生きてきてよかった」と言って死ぬ人間などいない。父も母も何が人生の喜びであり楽しみなのか知っている。だから僕の挑戦も失敗も一つの経験、スキルとして認めてくれる。
だから僕は本当に親や周りの応援してくれる人たちに感謝しなきゃいけない、一人で登っても手伝ってくれた人を含めればこれは単独登頂ではないんだと思う。

他人と比べて、どうだから。というわけではない。僕は自分の中で勝手に満足している。他人と比べだすときりがないし、比べるから羨ましくなり、なんぼのもんじゃと否定したくなるのだとおもう。
そんなことを帰りの飛行機の中で本を読みながら思った。



ありがとうございました。次の目標はデナリです。
もちろん今のままではスキルが到底足りないのでこれからも先輩方にご指導いただき精進していきます。
どなたか一緒にデナリ行きましょう!

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