またベルリッツ・ジャパン様の支援を頂いてから初めての海外であり、習って来た英会話についても再考する機会ともなりました。
山行と英会話について合わせて文章に致しました、山行報告という目的の当ブログでは、そういう意味では少し脱線した内容であるかもしれませんが海外山行などについて等、もし参考になれば光栄と存じます。


先日カナダの親戚宅へ旅行に行った際の事です。僕の目の前に、居座っていたのは、友達でも、はたまた英会話の先生でもなく、カナダの入国審査官でした。その男、”我神の申し子也”と言ったような燦然たる態度で僕に、入国の目的や滞在場所について事細かに且つ素早く聞いてくる様は、今まで僕が国内で、“日本人と話す事に慣れた外国人”と話すものとは、また違った英会話でした。同じ試合でもホームである甲子園でタイガースが野球するのとアウェイの東京ドームで巨人相手に野球をするほど違いがあるように、その時の僕はまさにそれで言う後者の環境にありました。しかしながらこちとら、いわば”ベルリッツ・ジャパンの申し子”なわけでありまして、ベルリッツの授業内でロールプレイを数多く行ってきたという事実こそが、僕の心に自信という灯を掲げてくれていた事と自負しています。鏡越しで見ればそれは風前の灯火程度にすぎなかったのかもしれませんが、、
そもそも僕の場合は、英語を学ぼうと思ったきっかけは趣味であるクライミングや登山の舞台を海外にも少し広げてみたいと思った事でした。高校で習った英語でレベルが止まっていた僕がアメリカにクライミングに行った際に出会った方々と、もっと深くコミュニケーションが取れたらどれほど楽しいだろうと思いを馳せた事を覚えています。確かにある研究によれば、人のコミュニケーションの7割は表情、抑揚といったプロソディや外的要因の先入的認識と言われているそうですが、その残りのわずか3割にあたる言語という要素こそが、僕の海外での人との邂逅を色鮮やかにしてくれた事は紛れもない事実です。気軽に語学の敷居を跨いでみた先に、世界7大陸の最高峰の登頂制覇というゴールがたまたま見えてきて、最初は古文書を解読するが如き作業であった現地での登山許可の申請が段々解読出来るようになり、早口のジブリの映画のラピュタ語を聞くが如き、英語での電話のやり取りも徐々に、念仏程度には聞き取れるようになってきて、まだまだ理解出来ない部分は多々ありますが、それでも尚現在では目標の山も残すところ3座となりました。あくまでこれは最初から明白にゴールとして設定されていたわけではなく最近になってようやく見えてきたものです。
さて無事入国というミッションを終えた僕はバンクーバーの自然と都市の美しいシンフォニーを横目にレンタカーにて一路郊外に住む親戚の家へスマホのナビを片手に、ひた走りました。トランクには日本から持参したクライミング道具が詰まっていて、窓を開ければ9月にもかかわらずすっかり涼しくなった秋の朔風が、僕の胸の高鳴りをより煽るのです。カナダへ移住した親戚の第三子を見るという名の下に日本から脱出した僕は、これまで行ってきた海外登山のスタイルとは違った、ラグジュアリーな旅の始まりにワクワクしていました。これまでの海外遠征といえば低予算から、食うも寝るもままならないほどノープランであり服は洗わずボロボロで、街行く人からは野良犬を見るような目を向けられていました。
僕のお目当のクライミングスポットであるスコーミッシュというエリアはバンクーバーから伸びる内海からせり出すようにして聳え立つ銀色の岩壁が特徴的で、その勇ましさたるやウィスラーから迫り来る凍てつく風から街を護る衛兵(ジャンダルム)のようでした、それも恰幅のいい。クライミングは基本二人一組でパートナーがロープの操作をしてくれないといけませんが何しろ一人で来たもので一先ずユースホステルのドミトリー(相部屋)に宿をとりパートナーを探すというミッションが残っていたです。同じ部屋になった男でオーストラリアからきたというショーンはAにクセの強いアクセントを持つ喋り方で、僕に一緒にハイキングに行こうと言いました。僕にとって願ってもない申し出であり喜んで翌日ハイキングと少しだけクライミングにも出かけました。会話という面で見れば、やはり日本で日常的に英会話をしていた”慣れ”がキーとなり、彼が何を言っているのかすべてを聞き取れたわけでは無いにしろ、まるで優雅な朝にコーヒーを共にするかのように肩の力を抜いて友人関係を築けた気がします。ハイキングという面で見れば、彼の登るスピードは、鬼の様に速くコーヒーを優雅に楽しむどころか口から吹き出すレベルのタフさでした。また同部屋でケベック州から来たという男は少し厳ついシルバーアクセサリーを好む男でフランス語を喋っていました。挨拶をするくらいで全く会話はせずにいましたが僕がユースホステルの外のベンチで、バンクーバーで買ってきたギターを弾いていたらその厳つい男が嬉しそうに寄ってきて、俺もギターが好きなんだ!と言って自分のギターをケースの中から取り出し、一緒にStand By Meの即興セッションを始めました。音楽、スポーツ、言語、何が人と人をつなげる1ツールに成りうるかその時その時で変わるかもしれませんが言語の守備範囲は圧倒的に広いのは言わずもがなかもしれません。
すべての些細なトラブルはベルリッツの教材のトピックに出てくる、いわば想定内のものばかりであり、滞りなく練習の成果は出せましたが、例えば一緒にハイキングに行ったショーンが別の人間と話している時など、やはりネイティブ+ネイティブの会話に入って行くのはある種最終段階と言っていいほど難しいものがあり、言葉のチョイスやスピード感など、一対一でばかり会話をしていても身につきにくいレベルだとも痛感しました。ベルリッツのレッスンが1段落ついた頃にいただく、教師からのアドバイスなどによれば、日常的に英語を使用すること。というのが次のレベルへの手助けになるということだったので、これまたベルリッツの教師の伝手を辿る内に見つけたアメリカ人が経営するカフェで働きましたが、やはり日本にいる外国人は、知らない内に日本人と話すことに慣れ、ある種こちらの意を容易く汲み取ってもくれるし、自然と言葉のチョイスも理解しやすいように話してくれていたのかもしれないなと思いました。これは冒頭でも述べたように、国内での語学学習における盲点なのかもしれません。しかしながらベルリッツは決して一方通行的な学習しか提供しないスクールでは無く、生徒からの意見や感想のフィードバックも提出しやすいシステムを既に構築してくれているので、リアルタイムで感じた要望も、しっかりと反映して次回にはまた一つその盲点を攻略できていることと確信しています。実践での体験とリンクしているからこそ今、週1回で組んでいるレッスンは何の苦でもなく、むしろ友達に会いに行くようでもあり、カルチャースクールに通うようでもある不思議な楽しみを生んでいます。僕の心にあった自信は、2週間の滞在を終えて、経験に基づく確証へと変わりつつあるのでした。