クライミングと哲学

 

肋骨が折れてしまったので、あまり動かずに本を読んでいます。生命科学を哲学的にアプローチした新刊書を読んでいて、ほとんど理解できなかったのですが、クライミングのことが記載されていたので紹介します。それと私の解釈です。

 

「我々は少しの思想も交えず、主客未分の状態に注意を転じて行くことができるのである。

例えば、一生懸命に断崖を攀る場合の如き、音楽家が熟練した曲を奏する時の如き、全く知覚の連続といってよい。・・・・・・・・・・

これらの精神現象においては、知覚が厳密な統一と連絡とを保ち、意識が一より多に転ずるも、注意は始終物に向けられ、前の作用が自ら後者を惹起しその間に思惟を入れるべき少しの亀裂もない。・・・・・・・・ 」      西田幾多郎「善の研究」より

 

クライミングや音楽演奏は、思想・思考・理屈を働かせず、主観と客観も無い状態で、自然をありのまま見つめる行為である、との解釈です。「真のリアリティそれ自体が自然の中に在る」、言いかえれば、自然の「真の実在」を直感すること、それを「純粋経験」と呼びます。何の迷いもなくムーブできるクライミングの境地でしょうか。

今西錦司の言葉も出てきます。「向こうに山が見える。その山の頂上に登ったら、また向こうに高い山が見えた。だから、また次々と山に登り続ける。」

      2017.8.20 岡島