TAMBA100は、100milの獲得標高が16303m(2025コース)、100kmが9660mという世界一過酷なトレイルランのレースです。
アップダウンの激しい丹波の里山を繋いで作られたTAMBA100のコースは、NHKのグレートレースという番組でも二年連続で放送され、私もそれを見てTAMBA100の存在を知りました。
完走率が4割に満たない過酷なコース。そんなコースを作った中谷亮太という男はドSな人間に違いない…でもなぜ人はそれに惹きつけられるのか?
その疑問を解く為にも今回100kmのコースではありますがエントリーを決めました。
土日は基本仕事なので大会前の練習会やシリーズ戦には参加する事ができず、平日にソロで30km前後に別けて三回試走をしました。
土日は基本仕事なので大会前の練習会やシリーズ戦には参加する事ができず、平日にソロで30km前後に別けて三回試走をしました。
六甲縦走路のように自販機が各所にあるわけでもなく、公共の交通機関がほとんど使えないので、ソロでの試走はなかなか困難です。
でももしエントリーを考えている方が読まれていたら試走をお勧めします。ルートを知っているかどうかで走り方は変わるしメンタル的にも楽になります。コーステープは大会後も残しているようで、公開されている昨年のGPXデータを辿れば基本いつでもコースを走る事は可能です。
目標タイムは30時間に設定しました。
試走した平均タイムが時速4kmくらいだったので、後半疲れたりエイドでの休憩時間を含めてザックリ計算したらそれくらいだったのと、昨年のリザルトより30時間切りで6位入賞が見えてきそうだったからです。
後半想定より落ちなかった事と、ロードのある区間は大幅に短縮になった事以外は大体作ったタイムテーブル通りに走ることになりました。
17:00くらいに会場につき、必携品のチェック。必携品の規定はなかなか厳しく、大会規定を良く読んで抜けがないように用意しました。
トレランも装備の軽量化は必須事項ではあるのですが、補給食はジェル以外あまり必要無かったみたいで、スタートから連れて行った菓子パンのサンミーはペシャンコのまま一緒にゴールしました。
デポバックは100kmのコースでは2箇所で受け取れ、着替えや補給食、装備品を入れ替えする事ができます。
色々考えて用意したのですが、結果取り出したのはエナジージェルとゴープロの電池くらいでした。着替えも面倒臭くてしなかったし、スマホやライトのバッテリーも基本必携品の持って走る分の予備で充分でした。
途中でGPS端末のイブキの充電をしないといけないと聞いていたので10000mAのモバイルバッテリーを入れていたのですが、結局30分以上エイドにとどまる事はなかったので、2000mAくらいの軽いバッテリーを数個持ってきて入れ替えて走った方が良かったと思います。
DJトモティが盛り上げてくれ、いよいよ100kmの部が19:00にスタート!
緊張していて若干オーバーペースで入ってしまったけど、スタート直後の渋滞を避けれて結果良かったと思います。
山に入るとすぐにヘッドライトが必要な暗さとなり、慣れてくるまでは慎重に進んだのですが、反射テープ付きのマーキングはわかりやすくほとんど道をロストせずに進めました。
次第に集団が形成されてきて3~4人でしばらく一緒に走る事になり、その中の一人の羽藤さんと、その後66kmも一緒に走らせてもらう事になります。
トレランは登り下りでもスピード差がでやすく、体調も上がり下がりするので同じペースの人と走れた事は非常に運が良かったと思います。
特に篠ヶ峰(32.7km)から甲賀山(42.4km)までは眠気から少し吐き気もあり、先に行ってもらおうかと何度か考えました。
でも、『また激坂か!』とか『マジでこんな所下るの?』と愚痴りながらも2人で進ん行けたのでメンタル的なダメージをかなり軽減してもらえたと思います。
60km地点くらいの芦田城CPの前で、山岳会の友人の芦田さんが待っててくれました。ちっちゃいお子さんを連れて応援に来てくれて本当に嬉しかった。
弱い自分が常にいて、ちょっとした事で休もうとしたり諦めようとするので、誰かに応援してもらっていなかったら走り続けられなかったと思います。
そんな感じで芦田城のチェックポイント(64.9km)も無事通過し、このままゴールまで一緒に走ったら、ずっと引っ張ってくれた羽藤さんに譲り合いながらも先にゴールしてもらおう、などと本気で考えていましたが別れは突然きました。
足の攣りが酷くなってきた羽藤さんは第6エイドの五輪館(66.5km)で少し長めに休憩するという事だったので、ここで別れて先に行かせてもらう事に。
そこまで4位5位でほぼずっと走ってきて、五輪館で後続の7位までの選手が揃っていたので正直焦りは感じていました。入賞は6位まで、残りの体力を考えると今からスピードを上げるのは難しい。ならば行ける所まで休まず行こうと決心し、そこから一人旅が始まります。
イブキを出来るだけ見ないようにしていても、他の選手に後ろから追われているのを感じます。
前腿が痛み始めていて、下りで踏ん張れず何度か転倒し、足も攣りそうになりました。
まだ登りの方が力が入ったから、いままで歩いていた斜度の登りも走って登るようにし、下りはストックを突いてゆっくり行きました。
一人旅は時間の経過も遅く感じられ、最長区間の天王坂エイド(80.1km)までは、いつまで続くねんと1人ツッコミ入れたくなるほど長く感じられました。
100kmのレースで残り20kmなら、あと少しのイメージですが、丹波の山は1時間走っても2kmくらいしか進んでいない事もあるのであと20kmがとてつもなく長く感じます。
牧野峠から移動してきてくれた中谷さんの妹さんにも元気をもらい、最終エイドの見分かれ公園を目指します。
日が落ちてきて気持ちとともにペースが落ちてきた頃、ついに後方から天藤君の気配を感じました。
1位を走っていた稲垣さんがリタイヤされたので、まさかの3位争いをここでする事になります。天藤君も怒涛の追い上げをしてきているのでしょう。気を抜いたらすぐに抜かされるのがわかりました。
身体の各所がバキバキで、ここまでか…とも思ったけど、前腿の傷みをこらえて下りのブレーキを解放してたら意外といける?
想定していたより大胆に足をついても腿は大丈夫そうで、大分スピードアップすることが出来たので逃げる事に決めました。
天藤君から必死に逃げて走っていたら、何と最終の林道手前で悠介君を捉える。直線距離で200mくらい、抜かせるかもしれないという気持ちが湧いてきます。
みんな人間、鉄人のように思えた上位メンバーも確実に疲れは出ているようです。
完全に麻痺した足でラストの林道を駆け降りる。意味がわからんけど市街地に入るとまだ走れる気がしてきてキロ4ぐらいで悠介君を追走すします。
信号待ちでついに追いつきますが、さすがは現役1500mの選手、ラストのスプリントでグイグイ放され完敗しました。
30秒差で3位でゴール、夜中の23時だというのに大歓声で迎えていただき、清々しい気持ちでゴールテープを切れました。
1位の萩原さんも足の痛みと闘いながら十数分前に何とかゴールされたとの事。
トレランは本当に最後まで何が起こるかわかりません、果てしなく遠く感じたゴールも諦めずに進んで行けば必ず辿りつく。当たり前の事だけど、中谷さんのそんな言葉が身に染みました。
まるで映画のワンシーンみたいじゃないか…脳内でAdoが歌い出して丹波の森公苑の草むらに寝転んだら、そのまま朝まで寝てしまいそうだった。とりあえず車に戻り、めちゃくちゃ臭い服やリュックを脱いでとりあえず寝ました。
残念ながら必携品のペナルティがあり悠介君は失格扱いとなってしまいましたが、腐らずトレーニングを積んで、来年必ずリベンジを果たして欲しいと思います。
完全に親目線ですが、今後の彼の将来に期待しかありません。どう転んでも凄い選手になる事は間違いないでしょうが。
目標に向かって努力する事は気持ちが良いし、目標を達成した時に大きな達成感を味わう事も出来ます。
でも時にそれを自己満足と捉えられる事もあるし、家族や仕事の時間を切り裂いてまでトレーニングする事に疑問視される事もあります。
でも今回TAMBAを走って感じたのは、やっぱり挑戦することは楽しい!
自分の限界に挑戦している人は見ていてカッコいいし人に勇気を与える。
中谷さんの作ったこの過酷なコースに、毎年人が集まってくるのは、簡単には達成させてくれない挑戦の場を与えてくれてるからなのかもしれません。
最後にはなりますが、応援してくださった皆様、大会運営スタッフの皆様、ボランティアの方々本当にありがとうございました。
あんなに苦しかったけど来年また走りたい気持ちになってきました。
長い文章を最後まで読んでいただきありがとうございました。
吉澤孝彦