山行記録

2025.11.24 小豆島 赤いクラック

小豆島 赤いクラック
2025年11月24日
神戸山岳会 2025年秋合宿で小豆島へ。オートヴィレッジ吉田を起点に吉田川の岩場や拇指岳のマルチピッチクライミングを楽しんできました。小豆島へは過去2回行ってますが、拇指岳の赤いクラックは、いつかは登りたいと思いながらなかなかチャレンジすることができなかったルート。今回は心強いメンバーが一 緒なので勇気を出してトライすることができました。

川さんと須川で前日に前乗り。姫路港から小豆島の福田港へフェリーで渡り吉田川の岩場でフリークライミング。夕方におせんさんと合流し小宴会。

11月24日
赤いクラックメンバー
藤本さん・OKDさん・おせんさん・竹原さん・川さん・須川(記録)

◾️7:00
拇指岳の駐車場で後発隊の藤本さん・OKDさん・竹原さんと合流。天気も良く、朝日がきれいだ。暖かくクライミング日和。赤いクラックは拇指岳で一番人気のあ るルート。170m5ピッチのマルチ。橘の集落から狭い道を進み、荒神宮の東にある駐車スペースに車を停める。山道に入り道沿いに進むと岩壁に当たる。そこから基部を左に進んでいくと赤いクラックに取り付く。
パーティーは藤本さん・おせんさん・須川と OKD さん・竹原さん・川さんの3人ず つの2パーティー。
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◾️8時30分
1ピッチ目は藤本さんリード。右上する赤というよりオレンジ色に苔むしたクラックを登ってい く。今回はカムを持って行かなかったが、このピッチのクラック沿いだけは残地支点が少ないので1番と2 番のカムがあった方が安心。

2ピッチ目はおせんさんリード。出だしが難しい。頼もしいパワークライミングで抜けていく。私はセカンドでA0で突破。古いハーケンやリングボルトが至る所にあ る。

3ピッチ目は須川リード。トポではフンだらけの凹角を抜けると書いてあったが、それほど汚くなかった。凹角を抜けるとビレーポイントがあるが、そのまま左上してピ ッチを伸ばす。
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4ピッチ目 藤本さんリード。このルートの核心。高度感も抜群で内海湾が一望できる最高のロケーション。キレキレのフェースを左上していく。テラスから上部はビレ イヤーからは見えず、藤本さんの「落ちるかもしれんからビレー頼むで」の声に緊張 が走る。フォローで登るが、テラス直下とテラスからの上部がかなり難しい。藤本さんとおせんさんはフリーで抜けたが、私はアブミを使い通過。久しぶりにアブミを使ったが体が覚えていた。
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5ピッチ目は おせんさんリード。最終ピッチは難しいところもなく快適。景色もよくルンルンで抜ける。
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◾️13時
頂上で休憩して、後続パーティーの川さんがリードで登ってくることを確認し、下山を開始する。頂上から赤いクラックの裏側にフィックスロープが張っているが、ボロボロなのでダブ ルロープの懸垂で降りる。そこからは踏み跡に沿って下山道を辿れば、赤いクラックの取り付き近くまで降りれる。

小豆島町のスーパーマーケットで買い出しし、吉田オートヴィレッジの温泉に浸かり疲れを癒す。そして焚き火を囲みながら大宴会を楽しむ。
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今回は念願の赤いクラックが登れることができました。ご一緒できたメンバーに感謝。皆様ありがとうございました。

2024.09-11 サンクチュアリピーク

図19_サンクチュアリピークアップ

 こんにちは。長谷川陽央です。今更ですが、昨年行ったサンクチュアリピークの記録を書きました。
 長い記事ですが、綺麗な写真だけでもご覧いただければ幸いです。

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 サンクチュアリピークとは、西ネパールの「ドルポ」という地域にある、ヒマラヤ山脈の山の1つである。標高は6,207mで、これまで誰も登頂した事のない未踏峰だった。
 2024年のヒマラヤキャンプの遠征では、これの初登頂に成功した。

 公の報告書は日本山岳会のHP(https://jac1.or.jp/about/iinkai/120kinen/202009288914.html)にあるが、それは客観的な書き方を重視しており、個人の感情や見え方などは割愛している。
 しかし、それで本当にヒマラヤ登山の魅力や価値を後世に伝えることができるかと言えば、必ずしも十分ではないと思う。
 ただ単に、個人的に記録を書きたいだけでもあるが、そんな背景もあり、所属する神戸山岳会のブログに拙稿を載せていただく。

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 最初に、本記事で一番伝えたいことを書かせていただく。
 ヒマラヤの未踏峰を登頂することの価値についてだ。
 1つの目標に向かって努力すること自体、既に意味があるが、その先に待っているのが前人未到で、ヒマラヤ特有の規模の大きい景色である。それまでの苦労と相待って、一生忘れられない景色となる。
 また、1つの山を初登したという事実や、数年間挫けずに目標に向かい達成した事実は、自分の誇りとなった。

図15_ガウチャー4200m

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 以下、遠征についての説明と記録を書いていく。

 今回の遠征は、公益社団法人「日本山岳会」が主催する、若手登山家の育成を目的としたプロジェクト「ヒマラヤキャンプ」の一環である。
 2023年3月に公募され、日本全国から集まった参加者自らで登る山を決め、準備をし、遠征を実施し、サンクチュアリピークに初登頂した。
 今回のメンバーは、松本歩美、畠山愛以、平塚雄大、長谷川陽央(僕)、そしてプロジェクトリーダーの花谷泰広の5人だ。

図1_メンバー
(メンバーとサンクチュアリピーク。左から雄大、長谷川、花谷さん、松本、畠山)

 早速余談だが、本プロジェクトは若手登山家の育成を目的としているが、必ずしも全員が、登山が本業というわけではない。僕は普通の企業のSEで、フルタイムワーカーだ。さらに言えば、この遠征を足がかりとして、ヒマラヤ登山の分野で活躍していこうと覚悟を決められていたわけではなかった。
 そんな者が参加することは、プロジェクトの趣旨に反するようで、プロジェクトリーダーの花谷さんに、問題ないか恐る恐る確認したことがある。
 「全然問題ないよー」とのことだった。ヒマラヤ登山は、その後登山を続けるかどうかに関わらず、その人の人生にとって貴重で価値のある経験となるからとのことだった。
 最近の目的志向型の社会では忘れられているような考え方だが、もっと社会に浸透したら良いと思う。何が得られるか明確に定義できないが、個人の基礎の人間力が底上げしたり、自分の人生に価値を感じさせる経験を大事にすることが、結果的に社会や集団にとってもプラスとなると思う。

 話を戻して、とにかく、多様なバックグラウンドを持った5人での遠征となった。花谷さんはプロジェクトリーダーに徹し、国内での計画や準備は他の4人で行った。

図2_横尾尾根
(トレーニング山行の横尾尾根)

 本遠征の目標である山、サンクチュアリピークの選定も4人で行った。ネパール政府が公表している未踏峰のリストから、1つ1つ調査(未踏峰であるかどうか、魅力度、難易度)し、最終的には4人の投票で決まった。
 実を言うと僕は、サンクチュアリピークを目標とすることには少し反対であった。アプローチに不確実性が多すぎるからだ。
 同山が属するドルポと言う地域は、ネパールの中でも秘境という位置付けで、入り口の村に行くまでの道は土砂崩れが頻発するという話であった。
 仮にドルポに入域できても、キャラバンで通過する予定の道は、5400mの急峻な峠を越えるか、50年前に突破不可能と断定されたゴルジュを突破するしかない。
 それでもネパールのエージェントは行けるとの回答をした。また、形は格好いいし、その不確実性にも魅力があり、アプローチさえなんとかなれば登山自体は比較的容易に見えた。そのため、不安は残るが、サンクチュアリピークを目標とし、遠征はスタートした。

図4_サンクチュアリ(中央の白い山)
(サンクチュアリピーク(中央の白い山))
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 ネパールの首都、カトマンズで全ての荷物のパッキングを終え、あとは出発を待つのみとなった。予定より早く終わって安心していた。
 しかし、それも束の間で、ネパールの観測史上最大の豪雨がカトマンズを襲った。9月下旬、モンスーンの最後っ屁だった。

図1_rain
(洪水のニュース。観測史上最大の大雨だったらしい)

 装備を置いていた倉庫は床上浸水し、僕らの装備はびしょぬれ。急いで干してパッキングしなおした。出発日には間に合ったが、今度はカトマンズから出るための主要な道が崩れてしまったようだ。
 カトマンズは盆地にあり、そこから出る道は限られている。観光シーズンが始まる時期のため、ただでさえ多いバスが、残った道に集中して大混雑となった。

図5_バスプール

 10月1日、カトマンズからバスで移動を開始する日、バスプールは大渋滞していた。朝5時に出るはずであったバスは、13時になっても出発していなかった。
 バスプールで待っている間、僕はバスの天井に登りバスの大群を眺めて暇をつぶしたいた。すると数時間全く動かなかった大群がいきなり一斉にクラクションを鳴らした。どうやら動き出すようだ。
 天井から降りようとした時、よく分からない鋭利な出っ張りに右の踵をぶつけた。降りてからよく見ると踵がパックリ割れて血だらけになっていた。
 「一番破傷風になるやつじゃん」と花谷さんがマジの顔で言っていた。全員から「こいつの登山は終わった」と思われていたらしい。そこでちょうど僕らのバスが出発する番になった。病院に行っている暇はない。ペットボトルの水で血を洗い、そのまま大きな不安と共に旅は始まった。

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 カトマンズは都会だったが、そこを出ると建物は簡素になった。トタンや土の壁、土窯、薪はまだまだ現役である。アジアの現風景を目にすると、旅の始まりを感じた。

図6_土窯

 清潔感は欠片もなく、破傷風が怖かった。本当に入山できないかもしれない。これまでの努力がこんな形で終わってしまうと考えたら、泣けてきた。
 それでも日本では目にすることができない中を巡るのは楽しく、気分は徐々に向上した。
 1日目は遅れを取り戻すため、夜通し移動した。
 2日目、バスはチャーターだったが、行き先が同じ者や、ポーターの子供だと言うものが途中で乗り降りした。寛容な国風を感じて面白い。途中、傷の手当てのための包帯を買う時、彼らが手伝ってくれて嬉しかった。
 この日はCHINCHHU という街に宿を取った。シャワーはあるが、使うと排水口から汚水が溢れてきた。破傷風なるって!
 2階建ての宿の屋上で雄大と花谷さんと瓶ビールを開け、街を眺めた。大雨の影響で、普段とは異なるルートで移動しているため、この街にはもう一生留まらないだろう。そう考えると、これもまた貴重な体験に思えた。

図7_途中の宿
(CHINCHHUでの宿)

 3日目は断崖絶壁に囲まれた谷底の道の中腹で日が暮れた。道は未舗装で、幅はバス1台分がギリギリ、街灯なんてない。暗くなってからの移動は困難だ。と思っていたら、突然集落が現れ、宿を取ることができた。「世界ふしぎ発見!」で出てきそうな、穴倉のような土壁の宿だった。そこではロキシーというネパールの地酒を楽しめた。まさに旅という風情で、僕の中では楽しい思い出だが、花谷さんはダニに食われて遠征中ずっと苦しむこととなった。

図8_ロキシー
(谷底の道と地酒のロキシー)

図6_土壁
(穴倉のような宿。電球は、コードに触ると明かりが消える。)

 4日目、カトマンズから約800kmの道のりを踏破し、バスはドルポの入り口の村、トリプラコット(標高2100m)に到着した。ここまで来れるのかすら計画段階では怪しかったため、本当にたどり着けて安心した。
 4000m級の山々に囲まれているが、開けた村で心地が良かった。また、この村の人々は皆美形で、目の保養にもなった。「ヒッシパレコ」というネパール語だけを覚え、雄大と村へ繰り出した。意味は「可愛いね」と言うらしい。勿論後ろめたい事は何も起きていないが、外国人が珍しいようで、皆案外笑顔で手を振ってくれて楽しかった。

図9_トリプラコットの村
(トリプラコットの村人。ノリがいいな)

図10_鶏
(トリプラコットの鶏。この後食べられるんだろうな)

 翌日、最後の村を目指した。
 ここから最後の村まではジープで行ける予定であったが、豪雨の影響で途中までしか行けず、標高3500mで降ろされた。そこから3800mの峠を越えながら20kmを歩き、最後の村であるフリコット(標高2700m)に到着した。
 怪我のため右の踵を地面に着けられなかったが、ストックを松葉杖みたいに使えば踵を付かずとも意外と歩けた。サムスプリントで即席のプロテクターを作っていたので、靴にも擦れない。今後のキャラバンに対しても希望が持てた。

図11_ジープの道
(ジープの道。すげーとこ走っておる)

図12_キャラバン開始
(対岸には村があり、網模様は人の道。三人座席に四人乗り)

 しかし松葉杖状態では歩みは遅く、最後の村まで残り標高差400mの下りを残して途中で日が暮れた。僕と、僕に付き添ってくれた雄大と2人を残して、他のメンバーは先へ行った。暗い山中で逸れたことに多少危機感が募ってきた時、道で気持ちよさそうに寝っ転がっている人がいた。
 どうやらこのあたりに小屋があり、そこで酒盛りをして、今から村へ下るらしい。

図12_酔っ払い
(標高約3100m、べろんべろんのおじさんが寝っ転がっていた。)

 ここから先は急な下りだから危ないと、付き添ってくれることになった。
 しかしこの人、ベロンベロンに酔っ払っていて千鳥足もいいことろだ。足を滑らせてばかりで、最初は事故りそうで怖かったが、それでも僕らより速く歩いていた。暗い中でも豆電球のような明かりだけで転がるような速さで降りていく。というか千鳥足のため止まれず草むらに突っ込んで本当に転がっていた。「水があるから浴びよう!」と言って泥に頭を突っ込んでいた。
 呂律が回っていないが、それでもずっと話しかけてきた。
「何言ってるか全然分からないですね」
「家にシェラという妻がいて、世界で一番いい女だから見に来いって誘っているのは分かった」
「それ絶対聴き取れてないです」
 まるでコメディー映画のような人たちだった。
 途中で子供連れの4人家族も追いついてきて、一緒に降った。酔っ払いが近道を案内してくれたおかげで、無事先行して待っていたメンバーにも追いつけた。
 向こうからしたら、心配して待っていたら大人数で呂律の回らない声で賑やかに降りてきたわけなので、ポカンとしていた。
「どういう状況…?」
「途中であった酔っ払いに案内されながら、4人家族も合流しました…」
「どういうこと笑」
 合流できて喜んでいたら、和んた空気を感じた酔っ払いが雄大に抱きつき、水たまりに落としていた。
 その後、無事村にたどり着いた。酔っぱらいの家はすぐにあり、何度も来るように誘われたが、流石に行かなかった。悲しそうな顔をしていた。申し訳ない。
 宿に着くと、おばあちゃんが全員にカタ(スカーフのようなもの)をかけ、額に赤い染料を付けてくれた。イスラム式の歓迎である。しかし食べ物や装飾はチベット仏教のものだ。この地域では2つの宗教が混じり合っているようだ。何とも不思議な村だと、ネパール14回目の花谷さんも困惑していた。
 歩き出し初日から濃い1日だった。

図13_フリコット
(フリコットの宿)

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 10月6日、フリコットからベースキャンプに向けて、本格的なキャラバンが始まった。キャラバンとは、荷物を人や動物に運んでもらいながらベースキャンプを目指すことだ。しかし、今回行く道は危険すぎて動物は使えず、村人を30人ほど雇うこととなった。

 キャラバンが始まって2日目、ガウチャー(標高3900m)という風光明媚な場所でテント泊をした。澄んだ小川が流れる広い谷に、馬やヤクが放牧されている。木も人もない。

図14_ガウチャー
(風光明媚なガウチャー)

図14_ガウチャー白馬
(白馬と清流が絵になりすぎる)

 高所順応のために4200mほどの丘に登ると、谷を一望できた。周りには5000-6000mの山が連なり、夕日に照らされて紅く染まっている。まさに山紫水明だ。
「最高の旅だな。」
「間違いないですね。」
「たとえ登頂できなくても、この景色を見れただけで十分価値があるね」
 雄大と臭いセリフを言い合った。しかしやはり、この遠征通して最も綺麗な眺めで、僕の心に残り続けるだろう。

図15_ガウチャー4200m
(まさに山紫水明)

図16_ガウチャー4200m2日目
(翌日も皆で登りに来た)

 だがここで大きな問題も起きた。予定していた道には行きたくないと、ポーターたちが言い始めた。確かに危険な道だと思っていた。途中で5400mの急な峠を越える必要がある。そこが本遠征の一番の難所だとも考えていた。しかし、ポーターたちが提案した道は、50年前の記録では突破不可能とされた道であった。何を言っているのか分からないまま、ポーターたちに命運を預けることとした。
 以下、これから向かう道に関する記述を、過去の報告書より抜粋した。
 1961年、タイソンは主峰の南麓を流れているジャグドウラ・コーラからの接近を試みたが、深いゴルジュに行手を阻まれて退却
 翌年のイギリス女性隊もラ・シヤンマ登項後、その肩からメイダンヘ下り、深いゴルジュ帯の迂回を試みたが失敗
 私たちはこの谷よりアプローチすることは100パーセント不可能と断定した。
(カンジロバ・ヒマール主峰初登頂(大阪市立大学山岳会)より)

 そこからは危険な道が続いた。過去に突破不可能と言われていた道は、やはり今でも危険で、ワンミスで死ぬような道が続いた。ガウチャーからベースキャンプまでは2日で着く予定であったが、危険個所でロープを出して荷揚げを行ったりしていると遅れがかさみ、2日でも半分も進まなかった。
 本当にベースキャンプまでたどり着けるのか?そもそもポーターは目的地を理解しているのか?この先もこんな危険な道が続いて、誰かが落ちたらどうする?

図17_ジャガドゥラ・コーラ
(綺麗だけど怖い道が続く)

図17_ジャガドゥラ・コーラ4
(崖の中を進む。中央左に人が歩いています)

図17_ジャガドゥラ・コーラ1
(もはや道じゃない)

図17_ジャガドゥラ・コーラ2
(谷へ降りていく)

図17_ジャガドゥラ・コーラ3
(谷底をへつる)

図17_ジャガドゥラ・コーラ5
(谷の中、数少ない良キャンプサイト。リンツァと呼ばれていた)

図17_ジャガドゥラ・コーラ (3)
(赤線の道を行き、対岸へ渡るのだが......)

図17_ジャガドゥラ・コーラ (1)
(対岸への橋と梯子は、ダケカンバを数本束ねただけ。谷底までは100mほど。1人ぐらい落ちて死ぬんじゃないかと思った)

図17_ジャガドゥラ・コーラ (2)
(谷の側壁をトラバースしていく。右側に歩いている人が写っています)

 日本での登山では、何でも自分自身で行うことが基本だ。その考えが染み付いているために、ポーターに重荷を運ばせるだけでも思うところがあるが、こんな命がけの道を歩かせることには更に大きな後ろめたさを感じた。この遠征を続行していいのかとまで感じ始めた。
 それでも進むしかった。もう引き返せなかった。
 それが彼らの仕事であり、遠征は既に動いている真っ最中である。これまでかけた時間とお金は大きい。この大きな流れを止めるほどの理屈や確信を持ち合わせていなかった。お願いだから誰も死なないでくれと祈りながら歩いた。

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 5日間かけて漸くベースキャンプ(4500m)に到着した(10月13日)。
 ベースキャンプは、これまでの凶悪な峡谷とは異なり、広い谷であった。
 誰も死ななくて本当に良かった。

図18_BC到着
(ベースキャンプで集合写真。この後ポーターは手ぶらで村まで帰っていった。コンビニ帰りのようだった)

図18_BC
(辺境ゆえ、他の隊は皆無。花谷さんにとっても最高のベースキャンプだったそうだ)

図18_カンジロバサウス
(カンジロバサウス(6883m)。1970年、大阪市立大学山岳会が初登した)

図18_カンジロバノース
(カンジロバノース(6289m)。1979年、福岡山の会か初登した)

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 通常であればベースキャンプから登山がスタートするが、濃密すぎるキャラバンで既にお腹いっぱいであった。登山よりも、ここから脱出できるのか?という不安が、メンバー全員の中で大きかった。
 今回の道に外国人が入ったのは7年ぶり。その時の隊は、帰りに雪が降り、荷物をすべて置いて命からがら脱出したという。今回の遠征のバックキャラバン開始は11月1日で、同じことになる可能性も十分あった。
 
 10月15日、不安になっても仕方ないので、登山を開始する。ベースキャンプから5kmほど歩くと、目標のサンクチュアリピークが姿を現した。カトマンズを出て15日目、長く危険な道を超えて漸く目にすることができ、感無量であった。

図19_サンクチュアリピーク
(モレーン上を歩き、ついにサンクチュアリピーク(中央左の白いピーク)を目にできた)

 過去の写真よりクレバス(氷河の裂け目)が多く見えた。それでも登頂の可能性は感じられる。5200mにハイキャンプを設け、そこを拠点に網目のようなクレバス帯を超えるルートを確立した。
 そしてその翌日の19日、サミットプッシュをすることとした。

図19_サンクチュアリピークアップ
(サンクチュアリピーク(中央右の白いピーク))

図20_ハイキャンプ設営
(ハイキャンプ設営。散々苦しんだジャガドゥラ・コーラの最初の一滴を飲み水にした)

 高所登山のセオリー通りなら、サミットプッシュ前にハイキャンプとベースキャンプを往復して高所順応を行う。しかし、今回はそれを省くことにした。時間的な問題があるためだ。
 天気予報では、19日の夕方から4日間ほど天候が悪化するとのことだ。計画ではそれでもチャンスはあった。しかし、11月1日よりティカという祭りがあるらしく、その期間はポーターが働かないと言い出した。先に言っておいてくれよと思うが、今更だ。そのため、それに合わせるように登山期間を短縮することにした。
 そうすると悪天後にチャンスは1回しかない。それなら悪天候前にも一度トライしようということになった。それがだめでも、山頂までの課題も見つかるだろうし、高所順応にもなる。これまでのキャラバンによって4500mまでの高所順応が済んでおり、体調が良いのもあった。
 
 と言っても、ハイキャンプ以上では高所の影響で体に様々な影響があった。僕は3日間毎朝嘔吐し、松本は腹を下し、畠山は咳のし過ぎで肋骨にひびが入り、平塚は歩き出すとヘロヘロになっていた。
 つまり、全員絶好調だ。
 翌日、山頂を目指すこととした。

図20_ハイキャンプ設営
(僕が嘔吐している様子。写真撮ってるの、ちょっとひどい)

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 10月19日、朝1:30に起床、3:30にハイキャンプを出発した。ちょうど満月で、暗い中でも歩きやすい。アイゼンは心地よく雪面に刺さる。周囲の山の岩肌と満月が朝日に照らされ、幻想的であった。

図21_サミットプッシュ1

図21_サミットプッシュ2

 前日のルート工作により、順調にクレバス帯を超えることができた。未踏の雪面を歩くのは初めての経験で、気分が高揚した。
 12:30、無事全員が登頂できた。サンクチュアリ・ピーク(6207m)の初登頂だ。
 6000m付近、みんな結構ヘロヘロであった。そのため、山頂までの最後の尾根は花谷さんにトップを任せてしまった。本来であれば花谷さん以外の隊員で最後まで登頂したかったため、とても悔しい。
 それでも登頂できたことはとても嬉しかった。ここ数年の努力が報われた気がして、涙が溢れだした。

図22_頂上直下
(ピーク手前の雪田。左手のコルに上がり、尾根を右上していく。)

図22_頂上直下2
(コルを上がる)

図23_頂上直下3
(山頂直下)

図23_頂上
(山頂にて。中央の写真は、一緒に行く予定であったが2023年に山の事故で無くなった浅木亮磨)

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 だがこのあと、ちょっとしたトラブルもあった。
 17:00にハイキャンプに戻った。そこで1泊するかベースキャンプに戻るかの選択肢があったのだが、僕と雄大はベースキャンプに戻りたかった。
 僕はハイキャンプでは必ず朝に嘔吐するためだ。雄大は、山頂直下で小便を漏らしていたため早く着替えたいとのことだった。そこで2人だけ降りることにした。
 ベースキャンプまでの道はモレーンという特徴のないガレ場がずっと続く。おまけに細かい起伏もある。その中でも道を見失わないよう、往路でピンクテープを岩に巻いていた。しかし既に日没。辺りはどんどん暗くなり、目印は分からない。おまけに予報通り吹雪いてきた。5000m地点でついに完全に進む方向が分からなくなった。
 このまま進むとビバークになる。来た道は幸い明瞭であったため、そこでハイキャンプへ引き返すこととした。しかし、疲れ果てた雄大の足はさらに重くなり、ペースが上がらない。吹雪も強くなってきた。中々ハイキャンプに着かない。道はあっているのだろうか?雄大から返事が返ってこなくなった。不安が徐々に大きくなってきた。
 1時間ほど歩いてようやくハイキャンプに戻ることができた。心底安心した。危うく遭難しかけた。未踏峰を登頂したからと言って、自然の前では無力であることを痛感させられた。

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 登頂後も、ポーターは予定していた日(10月28日)まで来ないため、ベースキャンプで悠々自適に過ごした。ベースキャンプはエアポート平原と呼ばれている。その名のとおり、小型飛行機なら余裕で離着陸できるほどの広い平原だった。6000m級の山々に囲まれ、小川(つまり飲み水)もある。標高4600mで空気は下界の半分ほど、周囲50kmに村はなく、明かりもチリもない。星空が格別であった。

図24_ベースキャンプ

 近くのモレーンを探検していると、池のようなものがあった。淵は氷河の壁で、前傾していた。アイスクライミングできるのでは?と取りついてみた。
 雄大がとても格好良い写真を撮ってくれたが、これは奇跡の一枚で、この後すぐ落ちた。でもいつかこのハングした氷も登れるようになりたい。

図25_氷河湖

図26_氷河湖

 10月28日、ポーターが予定通りベースキャンプに到着した。毎朝雪が少し積もるようになっていたので、本当に来てくれるか不安であったので、ポーターの姿が見えたときは感動した。

 帰りはもちろん行きと同じ、気の抜けない道を帰る。途中には、深さ100mはある谷に、ダケカンバの枝を数本渡しただけの橋もある。一体誰がどうやってかけたのだろうか。

図27_橋1
(帰りもやはり怖い橋)

図27_橋2
(とてもたわみます)

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 「うんこだ!ヤクのうんこがある!」
 前にヤクがいたのはキャラバン2日目、ガウチャーまでで、そこから危険度MAXの道が始まった。つまり、このうんこは危険地帯を完全に抜けたことを意味していた。

 「うおお!ガウチャーが近い!」
 「やったー!!」
 うんこを見てこんなに喜んだのは初めてであった。
 しかし実際、ヤクのうんこが現れてすぐにガウチャーに着いた。

 「しねーー!!」
 「止めてくださいよ!」「痛!かてぇ!」
 「うわ、柔らかいの触った」
 メンバーが乾いたヤクのうんこを拾って投げてくる。雄大のカメラが被弾していた。
 嬉しさのあまりテンションがおかしい。しかし、それだけ緊張を強いられる道であった。雪が積もれば閉じ込められるというプレッシャーや、ワンミスで死ぬ道が続く緊張感、そこをポーターに30kg担がせて歩かせる心苦しさ、そう言ったものから解放された安心感は計り知れない。

図28ヤク
(ヤク)

 キャラバンの最終日前夜、焚火を囲みながらポーターのリーダーに訊いてみた。
 「今回のキャラバンは過去一で危険でした。あんな危険な橋も、あなたたちが架けたのですか?」
 「ザポネ」
 「〇△%×◇オーニシパラサーブ〇△%×◇」
 ザポネ?日本人?大西?

図29_焚火

 彼曰く、この道は日本人の大西という人物が、20年前に作ったという。ヒマラヤで大西といえば、山の調査の権威の大西保氏と思われる。
 大西さんは3年間この谷に通った。1年目はボートを使用して突破した。その時に橋をかけれそうなところを見つけ、次の年に橋をかけたそうだ。
 帰国後に大西さんの記録を調べたが、そのような話はなかった。また、すでに他界されているため、直接話を聞くことはできない。だが、ポーターのリーダーは、若い頃、その大西さんの遠征でもポーターを務めたようだ。生き証人が言うのであれば間違いない。
 未踏峰登山といえども、先人たちの努力があってのものであった。

 10月30日、遂にフリコット(キャラバンを開始した村)に到着した。
 僕たちの登山は終わった。

図30_ティカ3
(村に着くと再びイスラム式の歓迎でもてなしてくれた)

図30_ティカ
(ティカ(ティハール)という祭りが行われていた)

図30_ティカ2
(みんな綺麗に着飾り、歌やダンスでもてなしてくれた)

図30_下山
(村の美女たち)

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 大西さんの功績に限らず、日本のいわゆる黄金の時代や鉄の時代の遠征に比べれば、我々が登った山は小さく、難易度も低かったのかもしれない。
 しかし、それらの時代の遠征には、時代の流れという大きな後押しが作用していたと思う。その後押しがない現代において、ヒマラヤの未踏峰を初登することは、登山の難易度以上にハードルの高いことだと思う。僕自身は2019年から個人で未踏峰を目指し始めたが、一番どうにもならなかったのは、仲間探しだった。
 そんな現代において、ヒマラヤキャンプという機会を作ってくれた花谷さんのエネルギーはとてつもなく、頭が上がらない。
 また、その現代においてヒマラヤ登山を目指す者たちの情熱を尊敬する。彼らに出会えたおかげで、ヒマラヤの未踏峰を初登することができた。
 皆さん、本当にありがとうございました。

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 以上、記録でした。
 僕が未踏峰を志したのは、2018年の頃です。2019年に一度インドヒマラヤのザンスカールの未踏峰遠征を計画するも、急激な治安悪化によって出発の1週間前に突然登山許可を取り消されて頓挫。それから就職、引っ越し、結婚、育児と、諦める理由はたくさんありましたが、最後まで意志を貫き通せたことは、自分の誇りとなりました。
 でも、一番ギラギラしていた頃の自分なら、「未踏峰程度で何満足してるんだよ」と言うと思います。
 いつまでも情熱を絶やさず、挑戦を続けていきます。

長谷川陽央

2025.8.30 - 8.31 北アルプス ジャンダルム飛騨尾根

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こんにちは、川です。


今から7年前、初めて北アルプスの地に足を踏み入れ、慣れない岩稜帯に神経をすり減らしながら奥穂高岳に登頂。
当時は両側が切れ立った稜線の先に鎮座するジャンダルムをただ茫然と眺めるだった。


今回、どこかに行かないかと石橋さんに声を掛けていただいた際に、初めて「飛騨尾根」というルートを知った。
まだ行ったことのないジャンダルムをアルパインクライミングで登る。
これは!と思い、意気揚々と返事をした。


次々と試練が降りかかってくる修行山行になるとも知らずに…




メンバー


石橋(L)
川(SL、記)



主なギア


・ロープ(8.9mm 60m)

・カム(#0.2〜#3 ×1セット、#0.5〜#2 ×1セット)

・トライカム 1セット

・アルパインヌンチャク(60cm×6、120cm×6)

・240cmスリング×2

・無線機 1セット

・ハーケン(撤退用)

・ハンマー×1

・テント(1〜2人用)



行程


【 8月30日(土) 】

 2:45 鍋平駐車場より出発

 4:40 白出沢出合

 7:35 荷継小屋跡

 10:46 穂高岳山荘(泊)


【 8月31日(日) 】

 3:25 穂高岳山荘より出発

 5:10 αルンゼ下降点

 6:15 飛騨尾根 取り付き

 11:10 ジャンダルム頂上

 12:50 穂高岳山荘

 16:35 白出沢出合

 18:30 鍋平駐車場






【1日目】 白出沢を経て穂高岳山荘へ


仕事を終えて石橋さんと合流したのは前日の夜20時。

深夜の名神と東海北陸道をひた走り、午前2時過ぎに新穂高温泉に到着した。

そして、夏山シーズンの駐車場争奪戦を甘く見ていた我々を待っていたのは、まさかの満車という現実だった。
さっそくの洗礼に多少狼狽えるものの、少し離れた場所にある鍋平駐車場をその場でネット予約して事なきを得た。

余分に30分歩くことになるけど、入山前に撤退するよりマシだ。


食欲が湧かない中、無理やりコンビニ弁当を詰め込み出発。
「帰りはこれ登り返すんか…」なんて思いながら鍋平駐車場から新穂高温泉まで一気に下り、いよいよ山行スタート。

長期縦走でもするのかってくらいザックが重たい。開始早々不安がよぎる。


林道の途中で穂高平への近道と書かれた急登に軽い気持ちで突っ込んだところ、早々に不安は現実となった。
足がゴリゴリ削られ、急激にペースダウン。


原因はすぐに明らかになった。
なぜか水4Lに加え、アルコール類をしこたま担いでいた(そりゃ重いわ)


水は1Lだけ残して捨て、アルコールは山小屋で調達することとし白出沢分岐付近の茂みにデポした。

申し訳ないことに、石橋さんにはテントに加えてロープまで担いでもらうことに。

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白出沢のトラバース地帯をやり過ごし休憩。
そして再出発しようとしたとき、事件が起きた。


石橋さんがザックを背負った直後、何故かザックが肩から落下。


信じられないことにショルダーストラップが根本からちぎれてしまっていた。


おいおいそんな壊れ方あるんかいなとか思いながら覗き込もうとしたとき、足にあの嫌な感覚が...
「あっ、攣った攣った!」と、ふくらはぎが悲鳴を上げ、私はなすすべなくその場に崩れ落ちた。


石橋さんがスリングとカラビナで器用にザックを応急処置する傍ら、足が攣り悶絶する私。なんだこの光景。


その後も、膝が攣りながらも白出沢の急登を牛歩でゴリ押しする私に対し、石橋さんは信じられないペースでグイグイと登っていく。
その体力は本当にすごいの一言。

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▲午前中の白出沢は日陰になっていてコンディション良好


石橋さんのペースコントロールのおかげで、昼前に穂高岳山荘に到着することができた。


山小屋で得た昼食とビールを摂取し、その後はやることもなく昨日から睡眠をとっていなかったので昼寝。

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頑張った自分へのご褒美と称し昼間からビールクズであります



意外と暑く、調子に乗って裸足で寝ていたら見事に日焼けしてしまい、
翌日日焼けの痛みに耐えながらクライミングシューズを履く羽目になった。




【2日目】 ジャンダルム登攀〜下山


2時半に起床し、山荘内で朝食を済ます。

外は寒かったので屋内で食事ができるのはありがたかった。


身支度を整え、3時25分にジャンダルムに向けて出発。
以前は怖くて仕方なかった奥穂までの登りを難なくこなす。慣れって恐ろしい。


自分の中では通過に手こずるかもと思っていた馬の背の下りもあっけなく通過。
(暗くて高度感がなく、手も足も豊富にあった。)

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▲馬の背の核心部で記念撮影


内心ほっとしていたけど、道中で想定外の難所が現れ
油断するなとしっかり釘を刺された気分になり気を引き締め直す。


αルンゼは視界のきく5時過ぎに下降したかったのでジャンダルム付近で少し待機。
次第に奥穂方面の空がオレンジ色に燃え出す。

この日は富士山が見えるほど視界良好で文句なしの天気だった。

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ヘッデンなしでも視界が明るくなってきた頃にジャンをトラバースして明瞭なコルからαルンゼの下降を開始。
話には聞いていたけど、出だしから浮石しかなくて笑う(笑えない)


右岸の際に張り付きながらマシそうな浮石を選びながら慎重に下っていく。
多少の落石はあったけど、思っていたほどひどくはなかった。


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枯れた小滝で懸垂下降を2回こなし、適当なところでバンドをトラバースする。
ロープを出すほどではないにせよ、一部スラブ状の箇所もあったりと油断できない感じだった。

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トラバースを終え上部を見上げる。
最初は登山靴でも容易に登れる感じなので、そのままフリーで抜けることに。

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ある程度登ったところで少しいやらしいポイントが出てきたので、いよいよクライミングシューズに履き替えてロープを出す。


ここまでの行程で無事にメンタルがやられたため、1P目は石橋さんにリードをお願いすることに。

高度感満載の箇所をビビり散らかしながら通過し1P目を終える。


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▲怖い!楽しい!



2P目、3P目も難しそうなので引き続き石橋さんリード。


3P目は出だしで一旦クライムダウンして左上するもいろんなものが浮いてる。
行き詰まったので少しクライムダウンして右側に際どいトラバース。
ビレイしてる私も手に汗握る展開となった。

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そこから先の2ピッチは簡単そうなのでリードで登らせてもらう。

これといった難所もなく浮石に注意しながら順調にロープを伸ばしていく。


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最後はあと少しでトップアウトというところでロープがやや足りずピッチを切った。

飛騨尾根では終了点など用意されていないため、カムやピナクルを駆使して支点を構築しないといけない。
初めてやったけど不恰好ながら何とか構築できた。


残り10mほどの最終ピッチは石橋さんが簡単に料理して登攀終了。

一息ついてから一般道を駆け上り念願のジャンダルムに登頂した。

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余韻に浸りつつ一般道?を山荘に向けて戻る。


「そりゃ遭難事故多いわ」なんて思いながら1ヶ所ほど際どいクライムダウンをこなし穂高岳山荘に帰還。


昼食を済ませ白出沢を駆け降りる。
想定以上にいいペースで降ってこれて楽勝ムードが漂うが、穂高の神はそんな我々に追い討ちを仕掛けてくる。


休憩が終わりいざ出発というところで何やら石橋さんのザックの様子がおかしい…


信じられないことにもう片方のショルダーストラップも根本から破断してしまっていた。

(私のふくらはぎは無事だった)

往路と同じように器用に応急処置する石橋さん。


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すり減り切ったメンタルでトラバース地帯をなんとかやり過ごし、

永久に終わらないんじゃないかと思うような樹林帯を抜けて新穂高温泉に下山。


薄暗くなる中、ザックをデポして鍋平駐車場までダメ押しの登り返しをこなして車を拾いに行く。


嬉しいことに石橋さんもついて来てくれた。(なお、あっという間にぶっちぎられた)


こちらも出せる限りのハイペースで最後の追い込みをかける。
しんどいけど、何とも充実した時間だった。


帰路で「平湯の森」と王将近くにある台湾料理屋で英気を養い、最後の核心となる神戸までの運転を無事にこなしていった。


今回は体力不足のため石橋さんにテントとロープを担いでもらったり、全く付いていけなかったりと大変申し訳なかった。


これまで少しづつ歩荷トレをしてきたけど、いよいよ本腰入れて登りを鍛えて行かないとなーと痛感した山行となった。


今回誘ってくれた石橋さん、ありがとうございました!

登りの体力強化に励んでいくので、また行きましょう!

池郷川上部 単独沢泊

こんにちはOKDです。

パートナーのI君が仕事で行けなくなったため、単独で遡行することにした。

静かな大峰の山を独り占めして堪能できた。

日程:2025年6月21日〜22日

メンバー: OKD


◎1日目

8:00  林道ゲート〜9:00  横手小屋谷出合(入渓)〜13:00 小池宿跡付近(泊)

天気は快晴。

林道ゲートを越えてすぐの顕著な尾根から大又谷へ下ると対岸に石積みが見える。そこからさらに一段上にも石積みがあり、道がついていた。

所々崩壊したりで不明瞭となり、登ったり降りたり次第に暑くなって「早く水に浸かりたいなぁ」と思う頃に横手小屋谷の出合に着いた。入渓。

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悪絶極まりないゴルジュを形成する中部や下部とは違い、上部は巨石とナメの穏やかな渓相。

12m、6mの連続滝は、6mが困難と聞いていたので、左岸のルンゼから巻いた。

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この巻きでの懸垂用にロープを持って来たが、結局使わずに沢床に復帰できた。
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泊適地は随所にあるが、翌日のことも考えて堂ノ谷を越えてしばらく経った平坦地を今宵の宿とすることにした。

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◎2日目

6:00 出発〜7:30 天狗山南側〜9:50 涅槃岳〜11:00 持経宿〜12:00 林道ゲート

天気は薄曇り。

地形図を見るとこの先は平坦な河原歩きっぽい。

今日の下山は長いので、早々に詰め上がることにする。

右岸側の尾根を拾い、1時間半で天狗山の少し南側の大峯奥駈道に合流した。

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持経宿からは白谷池郷林道でゲートまで。合計6時間の詰めと下山は長かったけど、静かな大峰を独り占めしてどっぷりと浸れた山行となりました。

帰りは下北山の「きなりの湯」でさっぱりした後、定番の「里」で食事して帰りました。

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2025.06.07 南紀 相野谷川 中ノ谷

こんにちは、川です。


「内鹿野谷」で沢スイッチが入ってしまってから一週間、興奮冷めやらぬままに南紀の「中ノ谷」を遡行してきました。


今回は沢でのロープワークを練習するため、滝の高巻きでは積極的にロープを出していきました。


以下、記録です。


■メンバー

T口さん(L)、Kさん、川(記)


■主なギア

・ロープ(8mm 50m)


■行程

・08:00 駐車スペース(桐原登山口)より出発

・08:25 中ノ谷橋より入渓

・08:35 落打滝

・10:25 30m滝

・14:00 子ノ泊山頂

・15:00 駐車スペース(桐原登山口)



最寄りの道の駅で前泊し、8時前に駐車スペースに到着。

ちょうど1パーティが出発の準備をしているところだった。沢で他パーティに遭遇するのは珍しいらしい。


計画通り出発し、駐車場から30分ほど林道を歩いて中ノ谷橋より入渓。


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▲いかにも「これから沢始まりますよ!」という感じ、たまらないです。


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▲入渓するとそこは緑の世界。彩度マシマシでも目に優しい。


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▲開始早々に落打滝


高巻きで踏み跡を探すあまり壁にある立派なボルトを見落としてしまい、安定のルーファイ力のなさを披露する。

少し悪い箇所を一段下降すると記録でよく見かける木製梯子が視界に入った。

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240cmのスリング2本を連結して手掛かりに。勉強になります。

それにしてもこの綺麗なラッペルリング、高巻きのいたるところで見かけるけど何なの…
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沢に復帰するとエメラルドグリーンに輝く釜
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トポによると30m滝の高巻きは両岸から巻けると書いてあるけど左岸は難しそうで、簡単そうな右岸側から高巻く。それでも行ったり来たりでルートファインディングがやや難しかった。

沢への復帰で右往左往した末にリーダーが等高線の隙間を縫うような1本の下降路を探し当てたときは興奮した。

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延々と続くナメ。せっかくなのでウォータースライダーをするなどして遊んだ。

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ゴーロかと思えばナメに戻り、涸れたと思いきややっぱりナメ。ナメは終わらない。
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沢の詰めではKさんが先陣を切ってなかなかのペースで高度を上げて行く。着いていくのがやっとだった。


思い返せば、内鹿野谷では源頭部で両太ももが攣ってしまい誤魔化しながら牛歩でゴリ押すという文字通り詰めの甘さが露呈したけど、今回は何とか大丈夫…!


登山道に合流するとすぐに子ノ泊山頂。ネズミのバンザイに倣い我々もバンザイ!

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途切れないピンクテープを頼りに登山道を駆け降り、ダイレクトに駐車場に滑り込んだ。


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▲馬酔木(あしび)でタンパク質摂取もお忘れなく


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