モナ・リザ新たなるタイトルに向けて

モナリザ 新たなるタイトルに向けての活動です!

「後悔しない」は、小さい頃の口癖



私は、(私が生まれる)300年前の(過去世の)父、フェルメールに辿り着いたのだが、忘れてはならない存在が、前世の私である。


全ては、前世の私と、今生の私の共同作業…


フェルメールという画家を、探し出す努力は、前世の私がしたことで、私は、その作業の続きをしたに過ぎない。


私が、今生、与えられたミッションをクリアしなければ、来世は、どうなるのだろう?


来世の私は

またまた、幼い頃、夢を見て

木靴を探して走り出すのか?


それだけは、避けなくちゃ(>_<)


今生で、何とか、使命を達成させなければ、来世の私の口癖も

後悔しない、後悔しない、後悔しない

に、なっちゃう(>_<)




※   ある日のブログ記事を転写


子供の頃に見た白昼夢、そしてその後に起きた怖い体験が忘れられない。

私は、昼間に寝ていた。何故寝ていたのか、理由は覚えていない。夢の内容と、その後の恐怖体験だけ、しっかりと覚えていた。


私は、夢を見ていた。突然インクの匂いに部屋じゅうが包まれた。


私は、「あぁ、なんて懐かしい匂いなんだろう」と感じた。


インクの匂いに誘われ、私は、一番強い匂いのするほうへ、歩いて行った。
そして私は、小さな机を見つけた。


その机には、インクの入った四角い形の可愛らしいビンがあった。


私は、
「あぁ、なんて懐かしい。私の探し物は、こんな所にあったのか。」
そう思った。


私は、そのビンを手で、取ろうとした。


すると、次の瞬間、ビックリするような経験をする。


体が宙に浮き上がり、天井の下くらいの場所で、
私の身体は、物凄い速度で、ぐるぐるぐると、周り続けた。

「いい加減に、回るのをやめて!」

私は、怖くて怖くてたまらなかった。

段々と回転が弱まり、次第次第に、元に、寝ていた布団にまで降りて行った。


振り返って、その夢を自分なりに分析してみると、現実として身体が宙に浮き上がったなんて考えられない。

おそらく、私の身体は、回ってなどいなく、私の身体から抜け出した魂が、異次元の不思議な空間にいて、その場所で、ぐるぐる回っていたのかもしれない、
そう解釈している。


前世の私は、一冊の本を、世に出そうとしていたが、志なかばで、
その思いは絶たれ、それ出来なかったらしい。

私が死んでしまったからなのか?
何らかの圧力がかけられ、その本が出版出来なくなったのか?


理由までは、分からないが、そんな前世を引きづって、今世、生を授かったのだろう。


小さな頃、「後悔しない」を口癖にしていたのは、やはり、意味があったのだろうか?


全く信憑性のない、あてにならない証明



【復習内容】


モナリザのモデルがジョコンダだとする証拠が文書として見つかったという報道は、2008年1月にあった。

ドイツのハイデルベルク大学図書館にて発見された文書

1503年に、レオナルドは、リザ・デル・ジョコンドを制作中という内容、が存在する。

この文章が存在することにより、
あたかも、モナ・リザはジョコンダ夫人であることの一つの証明のように取り上げられているが、あくまでも見落としてはいけないのが

「制作中」という記載。

当時制作中であったことに間違いはないが、「レオナルドは、リザ・デル・ジョコンドの絵を完成させた」という話ではないという、認識を忘れてはならない。


制作中ということならば、途中で制作を断念とか、実際には完成しなかった場合も、十分に考えうる。

そう、最終的に、ジョコンダ夫人の絵をレオナルドが完成したか否か、肝心なことが不明なのである。

よって、ルーブルのモナ・リザが、ジョコンダ夫人であるという証明には繋がらない。


また、アイルワースのモナ・リザが、ジョコンダ夫人であるという証明も、不確かな証明である。


【YOMIURI ONLINEより転載】
ドイツのハイデルベルク大学図書館は14日、パリ・ルーブル美術館にあるレオナルド・ダ・ビンチの世界的名画「モナリザ」のモデルが、フィレンツェの富裕な商人フランチェスコ・デル・ジョコンドの妻であることを示す証拠が、同図書館の蔵書で発見されたと明らかにした。

 同図書館の発表などによると、ダ・ビンチの知人でもあったフィレンツェ市の役人が1503年10月に蔵書に、「ダ・ビンチが3枚の絵の制作をしている」と書き込んであった。書き込みによると、そのうちの1枚がデル・ジョコンドの妻リザ・デル・ジョコンドの肖像だと明記していた。モナリザは、ちょうどこの時期に描かれたとされる。

 モナリザのモデルは、1550年に出版された芸術家列伝の記述を元に、デル・ジョコンドの妻とされてきたが、疑問視する意見も強く、他の女性の肖像や、ダ・ビンチの自画像との説まであった。同図書館は、今回の発見で、モナリザのモデルをめぐる疑問は解消された、としている。

ミュシャ展




ダ・ヴィンチやフェルメール関連ばかりに熱が入っていた私、もっと全般的に、美術に対して見聞を広めるのが、今後の課題です。



『ミュシャ展』に関しては、友人が教えて下さいました。


《スラブ叙事詩》という大作の存在を、今回、初めて知りました。



この作品は、観ないと一生後悔しそう。


魂がそう叫び、全身が、ざわざわ~っとする感覚です。


http://www.mucha2017.jp/point/



アール・ヌーヴォーを代表する芸術家の一人、アルフォンス・ミュシャ(チェコ語発音ムハ※、1860-1939)は、オーストリア領モラヴィア(現チェコ)に生まれ、ウィーンやミュンヘンを経て、27歳でパリに渡り絵を学びました。なかなか才能を発揮する機会に恵まれなかったミュシャは、34歳の時に、女優サラ・ベルナール主演の舞台「ジスモンダ」のポスターを手がけることになり、一夜にして成功をおさめます。以降、優美で装飾的な作風は多くの人を魅了し、時代の寵児として活躍しました。
美しい女性像や流麗な植物文様など、華やかで洗練されたポスターや装飾パネルを手がける一方で、ミュシャは故郷チェコや自身のルーツであるスラヴ民族のアイデンティティをテーマにした作品を数多く描きました。その集大成が、50歳で故郷に戻り、晩年の約16年間を捧げた画家渾身の作品《スラヴ叙事詩》(1912-26年)です。およそ縦6メートル、横8メートルに及ぶ巨大なカンヴァスに描かれた20点の油彩画は、古代から近代に至るスラヴ民族の苦難と栄光の歴史を映し出す壮大なスペクタクルであると言えます。
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