モナ・リザ新たなるタイトルに向けて

モナリザ 新たなるタイトルに向けての活動です!

2011年11月

モナ・リザの首の角度の正しいライン

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この角度こそ、モナ・リザの首が本来あるべき角度です。このラインは私が勝手に引いたものではありません。先ほどのブログにもありますように、頭上の線の延長線上に線を引くとこうなるのです!



今までのブログ参照

首に違和感http://blog.m.livedoor.jp/kochie-141016/article/50222918?guid=ON


首の角度http://blog.m.livedoor.jp/kochie-141016/article/50222928?guid=ON



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モナリザの頭上の傷は、重要な暗号

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今年の2月に、東京まで、モナ・リザ25の秘密の展示会へ行ったにも関わらず、右から左で内容をはっきり覚えていません。(感動した気持ちだけは確実に残っていますが…)
モナ・リザの頭上にある、刃物から何か?でつけられた傷の跡、その後修正を施したような部分の謂われも教わったはずなのに、悲しいかな何も覚えていないんです。
ふと頭上の傷みたいな部分よりモナ・リザ身体に向けて延長線上に線を引っ張ると、これこそが、モナ・リザの正解な首のラインだということに気が付きました。
いったいいつついた傷なのか?ダ・ヴィンチ自身がつけたのか?後世の誰かが意図的に傷つけたのか?(モナ・リザは一度盗難に合ったことがあります)
何せ、東京での説明を覚えていないので詳しく語れないのがもどかしいのですが…
首の正解なラインであることに間違いないと思います。



『モナ・リザ』両サイドにあったはずの柱の重要性

GREEで友人になったある方より教えて頂いた内容を転写させて頂きます。


「1960年代の科学調査で柱切断の事実はない。」というのがルーヴルの発表とのことですが、柱切断説を唱える研究者は多数いるようですね。
 イタリアで造形を学んだ先生の授業では、この「柱切断説」を皮切りに、教会と共に石工彫刻組合が莫大な富と権力を手に入れていくこと。バチカンの腐敗。権力を手に入れた石工彫刻組合と教会の確執。果てまで日月神示の「イシヤ」に至るまで、柱関連から始まる話を聞きました。
もちろんテキストには載ってない内容ばかりで、まだ学生だった私はそんなことがあるのかなって印象でした。
なぜ柱を切断しなければならなかったのか。権力支配説や陰謀説、左右の背景をつなげる説など、諸説ありますが、どれも決定打に欠けるのが惜しいところです。


更に、次のような内容も教えて頂きました。


 後に教会装飾や神殿建築で急速に拡大していく石工職人組合のコンパスや直角定規などのシンボルを現したトレーシング・ボードです。(※画像を提供して頂きました)石工職人組合にとって柱は大きな意味を持ちます。
 現在でもバチカンのカトリック教会では石工職人組合の信徒入会は禁じられているとありました。


貴方の大切な人は誰ですか?

美術雑誌の、こ難しい解説を読んでいて、ふと思った。


もっと普通の感覚を大切にしたいなって、当たり前の感覚が大事だって思った。


例えば子供のような純真な見方で絵画を見れば、こ難しい解説なんかより、ずっとずっと作者の感情や、その絵を描いた心境、その意図を読み取れるかもしれない…そう思った。

寂しい感じがするとか…

優しい気持ちになる絵だとか…

理由は解らないが、凄く惹かれるとか…

もっともっと素直に絵の心を感じ取ることが私達は必要だと思う。


随分と前置きが長くなってしまったが


モナ・リザはダ・ヴィンチが亡くなる直前まで手元に置いて大切に思っていた絵画である。


ところで…


貴方の大切な人は誰ですか?


恋人ですか?


両親ですか?


子供ですか?


まるでソウルメイトのように気の合う友達ですか?


ダ・ヴィンチは大切な大切な誰かを描いたはずです。だって死ぬ間際まで、その絵に語りかけていたのですから。


果たしてジョコンダ夫人という人物が、ダ・ヴィンチにとって大切な誰かだったのでしょうか?



何故、何百年も歴史が変わらなかったのか不思議なくらいです。


ダ・ヴィンチは、一番大切に思う人を描いたとしたら、当たり前の感覚として、他人である、ジョコンダ夫人を描いたとは、とても思えません。

永遠なるmother(母)

一度、私は画集でコピーしたモナ・リザの顔をリッタの聖母の身体に貼り付けたことがある。




複雑だったその表情は赤ちゃんを抱いたお母さんの照れ笑いに変わった。





あの絵画は、やはりモナ・リザではない。



利権主義の邪気溢れる権力者の輩達の魂が、引き継がれ引き継がれして、崇高な宗教画である絵画は、別人の名前をつけられたまま変わることがなかった。


モナ・リザではないけどモナ・リザ



モナ・リザはモナ・リザ


永遠だったであろうモナ・リザというタイトル




だけど


そのタイトルに対し違和感を持ち続ける高貴なる魂の人達が、明日より明後日、明後日より明明後日と未来に向かって増え続けると私は信じている。


モナ・リザ新たなるタイトルに向けて




未来では、あの絵画は、mother(母)であることが浸透するであろう。



国境や国籍に関係なく


どの宗教が一番だとか正しいとか、そんなつまらない論議など必要なく



現在も過去も未来も関係なく




あの絵画は永遠なる母として微笑み続ける。







プロフィール

モナ・リザ改革を目指し...

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