※  ニュースダイジェストより転写


今年(2017年)は、 マリア・テレジアの生誕300周年だそうです。


マリア・テレジア
有名なマリー・アントワネットのお母さまですね。

「私は最期の日に至るまで、
誰よりも慈悲深い女王であり、
必ず正義を守る国母でありたい」

650年もの栄華を誇った名門ハプスブルク家には、どの時代にも個性的で有能な当主がいた。その数ある名君の中でもひときわ有名なのがマリア・テレジアである。史上唯一の女帝の誕生、それはオーストリア存亡の危機をまねくほどの苦難の道のりだった。

ヨーロッパで覇権争いが激しかった18世紀。スペイン・ハプスブルク家の世継ぎが絶え、1701??13年にはヨーロッパの大国間でスペインの王位継承をめぐる戦争が発生していた。時を同じくして、オーストリア・ハプスブルク家でもマリア・テレジアの父であるカール六世に男子の跡継ぎがいなかった。そこでカール六世は「国事詔書」を発布。諸国にハプスブルク家の跡継ぎは娘のマリア・テレジアだと強引に認めさせる。ところがカール六世がこの世を去ると周辺諸国はすぐさま手のひらを返すように攻め込み、オーストリア継承戦争(1740~48年)に発展。孤立したオーストリアを救ったのが、赤子を連れた24歳のマリア・テレジアであった。ハンガリーへの必死の応援要請が奏功し、プロイセンにシュレジェンを割譲することにはなったが、それ以外の土地と王位を守った。

その後も、彼女の政治力、賢明な行動のおかげでオーストリアは弱肉強食の時代を乗り越える。税制、行政の改革、義務教育制度を確立するなど近代化を進め、軍事力の強化、知識・知性の豊かな国民の増加など、国を内側から鍛えた。女帝と呼ばれることが多いが、正式にはオーストリア女大公、ハンガリー女王、ボヘミア女王であり、女皇帝であったことはない。当時、神聖ローマ帝国の皇帝の座はハプスブルク家の世襲のようになっていたが、さすがに皇帝の位まで受け継ぐことはできず、帝位は彼女の夫が受け継いだ。

マリア・テレジアは1736年に結婚し、子どもを16人授かった。