2007年01月24日

日独の恋愛比較論

恋愛には「形式」が存在します。

いつ誰とどのように知り合うか、どのようにして仲良くなるか、どのようにしてデートに誘うか、どのように告白するか、いつどのタイミングでどのように肉体的接触を進めていくか、などという「恋愛の進め方」に何種類かの形式が存在します。

同じ文化圏にいる人々が、非現実的なレベルでは映画や小説などの恋物語を共有し、現実的なレベルでは友人の恋愛話を共有することで、様々な恋愛のあり方について――ぼんやりながも――共通の形式が出来上がっていきます。いったん形式が出来上がれば、人はその形式に乗っ取って自分の恋愛を進めようとするし、その形式で持ってさまざまな恋愛話を判断します。

文化圏が異なれば、恋愛の形式にも差異が現れます。ドイツ人はドイツ人の恋愛の形式を持っており、日本人は日本人の恋愛形式を持っています。では、ドイツの若者はどのような恋愛の形式を持っているのか。あるいはそれが日本のそれとどういう違いがあるのか。



ボン大学に留学している藤原君が、ドイツ人の友達に「ドイツの若者はどうやって彼女を作るのか」と尋ねたところ、そのドイツ人は「クラブに行って、いい雰囲気になった女の子をそのまま家に連れて帰る」と応えたそうです。

どういうことかと言うと、まずクラブに行く。お酒を飲んで、踊って、女の子と知り合いになる。そこで、ある女の子といい雰囲気になったなら、男のほうが「今から俺の家に来いよ」と言って、OKをもらえば、それで「OK」なのです。そして、そこで行われる性交渉を起点に恋愛関係が進行していく、というわけです。別に初めて知り合った人でなくとも、普段からの顔見知りや「前から狙っていた人」といい雰囲気になって、そのままベッドにゴーにということもよくあるようです。

藤原君は、この「始まりの性交渉」を「既成事実を作る行為」だと言います。つまり、性交渉をして、「この二人はただならぬ関係になった」という既成事実が出来上がり、それが「二人が付き合っている」ことの証左<あかし>になるというわけです。

彼はさらに持論を展開させ、このあり方は日本の恋愛の(ひとつの)あり方と、手段と目的という側面で反対にあると述べます。どういうことか。

ドイツの恋愛では、最初の性交渉が既成事実を作るための「手段」として行われるが、日本の恋愛では、最初の性交渉は恋愛のひとつの「目的」であり、ひとつの到達点になっているということです。つまり、日本のひとつの恋愛形式においては、まずどちらかが告白し、「付き合う」という契約を交わし、そこからしっかり絆を築き上げて、そこで初めて性交渉ができるのです(もちろんそこに「最初は手を握る、次に抱きしめる、キスをする……」云々という諸々の順序を経てのことがあるが)。

西洋では、恋愛の進行過程において、最初の性交渉を「手段」として捉えるが、一方、日本では、最初の性交渉を「目的」として捉える、という違いがあると彼は対比させています。

藤原君のこの対比は秀逸だと思います。しかし、出会いの場がクラブばっかで、付き合いの始まりも性交渉ばっかりなんて、いくらなんでもあんまりです。それじゃあドイツ人の女の子はSchlampe<あばずれ>ばっかじゃねーかと、思ってしまう。



なので、純愛だってあるだろうと思って、いい意味で女の子が大好きなドイツ人に私も尋ねてみました。「ドイツの若者はどうやって恋人と知り合うのか」と。彼は、かなりの自信を持って、「三つの可能性がある」と言いました。それはこうです。

1、 学校やクラブ(活動)などで自然に知り合う
2、 パーティー(個人開催から一般のものまで)で知り合いになる
3、 クラブ(音楽)で知り合う

3については、既述の内容と同じことを彼は話したので、はしょります。1については、知り合い方としては日本と同じだと思います。これは、近代国家の若者のライフスタイルにおいて、一番ふつうな形式の一番ふつうな自由恋愛だと思います。2については、「知り合う場」という意味では、日本にはない環境です。日本人も「飲み会」というものをやりますが、自分の知らない人が飲み会にくることはまずない(ちなみに「知り合う場や方法」の差異という面では、日本には合コンやナンパという独自のものがある)。

ところで、日本に比べ、ドイツ(西洋)には「告る」とか「付き合う」という言葉や概念が、はっきりとは存在しないように思います。じゃあ、ドイツ人は、そういう日本の恋愛のような手順を踏まず、また上記の「ベッドにゴー」形式以外で、どうやって恋愛を進めていくのか。

そこでもやはり「既成事実を作っていく」ということがキーになると思います。つまり、最初に「好きです。付き合いましょう」があるわけではなく、一緒にご飯を食べたり映画に行ったりしていることで、既成事実として、日本語で言う「付き合っている」という関係ができあがっていくのです。

そして、そのうちに、いい雰囲気になったら、どんどん身体を寄せ合ったり、触れたりキスしたりしていくのです(これはほら、映画でよく見るシーンです。白人の男女が見詰め合って、だんだん距離が縮まってついにキスしてしまうシーン。あれはフィクションではなく西欧人の現実だと思います)。

そして次に性交渉が来る(おそらく日本の恋愛にくらべかなり早い段階で)。ちなみに、私は西欧のドラマや映画を見ていてもそう感じるのですが、「好きだよ」「愛しているよ」はむしろ性交渉の後か直前に初めて言うのではないだろうかと思います。



さて、このように見ていくと、藤原君の唱えた日独の恋愛形式の対比は、かなり説得力のある説明であることがわかってきます。まず性交渉から始めるのがいささか極端な例だとしても、「既成事実を作って関係を成り立てていく」という意味では、上の1,2の知り合い方においても、共通する形式だと言えるでしょう。

日本とドイツ、それぞれに典型な恋愛形式を簡単に対比するとこうです。ドイツの恋愛においては、特に「付き合う」という区切りを設けずに、自然にお互いが既成事実を作っていくことで恋愛が進んでいく。一方、日本では、まず「好きです」と告白をし、「付き合ってください」と契約を交わすことで、そこから初めて順序だって恋人同士として振る舞いが進められる、というわけです。



ところで、日本とドイツ(西洋)にこのような形式の差ができることには、「身体の軽さ・重さ」が関係しています。

ドイツ人(西洋人)が契約を交わさずとも、自然に既成事実を作っていけるのは、それは彼らの身体が「軽い」からです。彼らは、恋愛関係や婚姻関係のない男女でも、抱擁したりキスしたりする民族です。カップルは人前でも平気で抱き合ったりキスをしたりするし、家族間でもキスをします。フランスでは、男女があいさつとして、ハグをし、ほっぺにキスをするのがふつうです。

このように日常的に、他人と身体的な触れ合いができる民族は、異性との身体的な接触を、すばやく簡単にやり遂げることができるのです。また、身体が軽く、契約を重視しないことは、当然「くっつく」「はなれる」のサイクルが速くなることを意味します。

さらに言えば、「身体の軽さ」は「選択肢は豊富なほうがいい」という考えと親和します。たくさんの人と気軽に交際できるのなら、いろんな人と付き合って、自分に合う人を見つけるほうがいいという考えと結びつきます。私の友人で、日本に決まった恋人がいる人が、西洋人にデートに誘われたとき、彼氏がいることを理由にデートを断ると、「でも一度はデートしてみないと、その人(自分)が本当にどんな人かわからないじゃないか」と言われたそうです。この発言に見て取れるのは、ひとつにはやはり彼が「選択枝が豊富なほうがいい」という考えを持っていることと、もうひとつはデートして「既成事実」を作ろうとする意図です。何週間とか二三ヶ月とかですぐ別れてしまう、いわゆる「お試し期間的付き合い」が存在するのも、この二つの理由があるからではないかと思います。

このような西洋人に比べ、契約を交わさなければ、肉体的に接触していけない日本人の身体は「重い」のです。日本人がハグやキスをするのは、契約上許された人に対してだけです。


最後に言っておきますが、ここで示した日独の恋愛形式はもちろんひとつの典型例に過ぎません。ドイツ人でも、日本人のように告って契約を結ぶように恋愛を進める人はいるでしょうし、むしろ付き合っていても結婚まで性交渉を持たないような人も少しはいるでしょう。逆に、日本で、特に契約を交わさずに、なんとなくいい雰囲気になって男が女を愛撫をし、女はそれを自然に受け入れるという風に進んでいく恋愛もあるでしょう。日本の私の友達で、最初に述べた極端な例のように、いつも体の関係から入る人もいます。

ただ、それでも、大筋としては、上記のような対比がそれぞれの恋愛形式として一般的なあり方であると思います。あと、一応この文章では「ドイツ人の恋愛形式」ということにしていますが、ドイツ人を「西洋人」に置き換えていいと思います。(ただドイツ人は他の西洋人より奥手であるという話はよく聞きます。今の寮でも、私が来る前、廊下を共有する人同士でどんどんカップルができたのに、ドイツ人には一向にできなかったらしいです)。 



ちなみに、別に私はどちらのほうが理想的だとかは思いません。しかし、日本人である私の身体はやはり日本的文化(と私個人の思想)に規定されています。夏の語学学校で、まわりの留学生達が次々にくっつき合うのを見て、彼らの身体はなんと軽いのだろう、反対に私の身体はなんと重いのだろうと、極めて無機質な事実確認をしました。

私は最近、まわりの人間からやたらと「ドイツ人の彼女を作れ」と煽られます。私が実際にドイツ人の彼女を作ろうとするかは置いておいて、もしここで示した二項対比を用いて、私にドイツ人の彼女ができる可能性を考えるとすれば、ひとつの可能性は、日本人的な恋愛感性をもったドイツ人の女性を見つけて、日本人的な形式で持って恋愛を進めること。もうひとつの可能性は、私自身が西洋人のように身体を軽く変身させて、クラブやパーティーにガンガン参加して、「恥」を忘れてアグレッシブに攻めるというやり方が考えられます。

先に出てきたドイツ人の彼には、クラブに行き、留学で一年だけドイツにいて、「旅の恥はかき捨て」的なスペイン人やポーランド人のSchlampe<あばずれ>を狙えと言われました。

 

 

ちょっと追記


クラブに純粋に音楽を求めていく人は少ない。クラブは若者の刹那的なアドレナリンや欲望を噴射させるために機能する。クラブが、恋愛の「場」として、上記のような西洋人の恋愛形式に極端な形で適応したものであることは言うまでもないことです。

ドイツ語にはSchlampeとかFotzeとかHureとかNutteとか、「ふしだらな女」をあらわす言葉がやたらたくさんある。一方日本語には、「あばずれ」とか「尻軽女」とか、あまり日常的に使わない言葉ばかりだ。まあでも、言葉なんて使っていればふつうに聞こえてくるから、今後は、誰とでもすぐ寝るような女を話題にする時は積極的に「あばずれ」という言葉を使っていこう。



kocorono61747 at 02:00│Comments(0)TrackBack(0)││男と女・恋愛論 | エッセイ

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