2005年02月01日

ナガとの交流

af5946f6.jpg学生寮での人間関係というのは、面白いものだ。
よく我々留学生の中で言われていることは、「最初に仲良くなった友達が、寮での人間関係を決定する」ということだ。まあ、それは極論としても、割とそういうところがある。
僕の場合、ナガ系の友達だった。
ナガ系というのは、インドの北東部、ミャンマーとの国境に沿うナガ丘陵を中心にナガランド州一体に居住する、いわば「先住民(adivasi)」である。「ナガ族」と総称される彼らは多くの氏族にわかれ、とくにマラムと呼ばれる氏族を中心にネットワークが広がっていった。マラムはナガランド州より、マニプール州を中心に広がっている、比較的小規模な民族集団である。彼らは行政的には指定部族(Scheduled Tribe)となる。
なぜ彼らとの交流が深まったのか。それは決して僕がトライブ研究をしているからではない。たまたま彼らと部屋が近かったから、というのが最も大きな要因だろう。寮に入ったばかりの頃、比較的排他的な高位カースト・ヒンドゥー学生たちとうまくコミュニケーションをとることが出来なかったことも一つ。さらには同じ「モンゴロイド(!?)」として、親近感がわいたし、彼らが非常にやわらかく接してくれたのも大きいかもしれない。なんにせよ、彼らとの親交が深まるにつれ、寮での生活が楽しく過ごしやすいものになった。非常に感謝している。
デリーにはナガ系の学生が多い。聞くところによると、デリーにおけるナガ学生連合(Naga Student Union Delhi)は3000人近く会員がいるとのこと。マラムの学生連合はおよそ300人位という。ナガの出身の若者を、南部デリーの飲食店やブティック、オシャレな雑貨屋などでよく見かけることがある。ナガの人々のデリーへの流入は年々増えているのではないか。
インドに来た当初は、「生活」に慣れず、事務作業もうまくいかず、腹の立つことも多かった。そうした、「これだからインドは!」という本質主義的に過ぎる苛立ちを共有できた(る)のも彼らだった。そう、彼らの意識では、彼らは「インド人」ではないのだ。第二次大戦後の独立要求から、最近のマニプールでの暴動にみられるように、「インド国家」から常に一線を引いたエスニシティを確保してきた。
昨年の秋、マラムの学生連合集会に顔に出席したことがあった。壇上では次々に学生がマイクを取り、彼らの虐げられてきた過去、未来に向けての団結が叫ばれた。その後に続いた催し物も目を見張るものがあった。マラムの民族衣装のファッションショー、会場を巻き込んだマラムの「伝統的」舞踊。この舞踊は、輪になって、先頭のものが特定の仕草や振りを行い、後に続いたものがそれを繰り返すというもの。日本の盆踊りを髣髴とさせた。
彼らの食生活も面白い。「ラージャ・ミルチャ」(唐辛子の王の意)をベースにした、とんでもなくホットな煮込み料理が多い。油は使わない。お肉は欠かせない。牛、豚、犬、なんでも煮込んで食べる。彼らが実家に帰ると、決まってお手製のビーフ・ジャーキーをお土産に持ってきてくれる。腐った大豆、小魚、ラージャ・ミルチャを炒ってつくるナガ流チャツネは、時にものすごい悪臭(!)を発する。彼らは寮のご飯を食べないので、いつも自炊なのだ。その匂いは寮内全部にいきわたり、「お、そろそろ食事の時間か」なんて思ったりする。
こうした状況を、「インドの多様性」と語るのは簡単だ。しかし、彼らの視点からものを見たとき、彼らは断固として「インドの多様性の一部」になることを拒絶するだろう。アカデミックな場、もしくは政治的場で語られる「多様性の中の統一(Unity in Diversity)」もここでは形無しだ。独立後インドのアカデミックな世界で語られてきたトライブの「統合政策(Integration Scheme)」の帰結の一つといってもいい。このことは、追々取り上げて生きたい。

(写真)マラム学生連合集会でのファッションショー
  
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2005年01月27日

蛍光灯の光

5edc4357.jpg29にもなって、いまだに学生という身分であるという焦燥感と罪悪感は、なかなか消し去ることができないものである。
インドでの留学兼調査を終えて日本に帰る頃は三十路に突入している。つまり、29という年齢を襲う、マリッジ・ブルーならぬ「ミソジ・ブルー」期間をインドにて迎えることになる。帰ってから働くのかと思いきや、大学院博士課程二年目に復学である。友人たちは瞬く間に就職・結婚という偉業を次々に成し遂げている。僕はといえば、調査地では現地の人々と戯れ、デリーでは机の前でうなったりしているだけで、到底前に進んでいるという実感は得られない。無いものねだりだが、漁師という生き方がうらやましく思える。その日の漁獲高という、あまりにわかりやすい結果を、よきにつけあしきにつけヴィジブルに突きつけられる生き方。
先日パソコンの部品を買いに、「デリーの秋葉原」ネルー・プレイスに足を運んだ。アウター・リング・ロードに面するサプナ映画館の、背後に乱立する中古マンションのような建物群は、パソコンを中心とした電化製品に関する店で埋め尽くされている。ちなみに、僕の見た限りインドでは、既製品のパソコンより、自作パソコンのほうが一般的であるようだ。コストがかからないことが最大の理由か。ここでもパソコン・パーツの店が目立つ。
そんなきらびやかなPCショップを尻目に、ありとあらゆる露天商が道端を占拠している。売っているものは決してITと関係しているものとは限らないのだ。
たとえば、靴下屋が妙に多い。秋葉原に靴下屋があっただろうか?いや、それ以前に靴下だけを売っている店が日本にあるのか?とにかく、道行く人に大声で語りかけ、靴下を売っているのである。この奇妙な光景は、後になって腑に落ちる説明を考えることができた。それは、インドにおける靴下(つまり、靴)を履く層を考えてみれば分かることだった。擦り切れたゴム・サンダルを履き続ける者とは逆の層。いわば、パソコンのパーツを買いにくる層は、靴下を履く層でもあるのだ。ここに、パソコンと靴下の接合点がある。
そして、インク屋。僕はHPのプリンターを2500ルピー(約6250円)で購入したのだが、インク・カートリッジの交換だけで1800ルピー(約4500円)すると言われた。なんというアンバランス!そこで、インク屋の登場だ。インクでベトベトになった机に、醤油さしのようなインク各色の入った小さなボトルをならべ、ひたすら客を待つ。客が来て、使い切ったインク・カートリッジを渡すと、中にたっぷりとインクを流し込み、80ルピー(約200円)というわけである。どんな形のカートリッジだろうが、どの会社の製品だろうが、ここではおかまいなし。彼の手にかかれば、ブランドなどという言葉は意味を成さないのである。
ソフト屋。ボロボロの服を着た子供が、汚い机に座っている。机の上にはクリアファイルが一冊。見せてもらうと、多種多様なソフトウェアのカタログとなっている。普段なら1000ルピー(約2500円)はすると思われるウィルス対策ソフトを指差すと、遠くにいる別の、ちょっと年上の少年(兄弟かもしれない)にソフト名を大声で告げた。その少年が走って持ってきたのは、汚い走り書きで「105−1」とナンバーがつけられているCD-Rだった。違法コピー。ちゃんと使えた。150ルピー(約375円)。
その他、地面を真っ黒に焦がしてモクモクと煙を上げている「焼きトウモロコシ屋」、各種政府関係のハンコを並べている「文書偽造屋」、OMEDAとかSEIKYOと銘打たれた偽物を売る「腕時計屋」など、きりがない。売り子たちは色黒で、服装も汚れており、どう見ても貧困層ではないかと思われる。ネルー・プレイスの中央に設えられた大きな噴水も、彼らにかかったら最高の沐浴場(風呂場兼洗濯場?)だ。
たくましい。なんだか、生きることの必死さが伝わってくる。この光景を見たとき、まだまだお先真っ暗で、若いながらに人生についてウンウンうなり悩んでいたころの自分を思い出した。
今から7年前。インドで一人旅をしていた頃。デリーで最も治安の悪いとされている安宿街、パハール・ガンジの安ホテルからメインバザールの通りを一日ボーっと見ていた。通りにはありとあらゆる行商人が、客を捕まえようと必死になっている。その中で、肩から大きな袋をさげ、大きくて無骨な懐中電灯を持っている青年を見かけた。長い蛍光灯、先端部分からのフラッシュライト、ボトム部分から出るやわらかいレッドライト。彼の売る懐中電灯は三種の光を出す。それにしても、かっこ悪いし、電池も食いそうだし、置き場にも困るような品物。誰も相手にしない。長い間、彼を見るともなしに見ていたが、売れたことは無かった。「あんなもの、売れるわけが無い。馬鹿だな、あいつ」と思っていた。
夜になると、彼は三種の光をチカチカさせながら、客引きをする。夜こそ、彼の売り物が映える時間。でも、誰も買わないし、邪魔だ!といって彼を突き飛ばす人さえいる。馬鹿にしていたのに、なんだかかわいそうになってきた。同情心が芽生えた。買ってやろうかな、とも思った。
しかし、一番明るく照らす蛍光灯で、彼の表情がはっきりみえたとき、その気持ちも変わった。青年は、誇らしげな顔をしていたのだ。「どうだ、俺の電灯はすごいだろう。三種類も光を出すんだ。美しいだろう?」と、思っているかどうかは分からないが、とにかく、彼の人生をかけたプライドがにじみ出ている表情に思われた。ロマンチシズムに陥っているのを理解した上で、あえて言わせてもらう!あの電灯の光は、彼の「生」の光でもあるのだ。
どんな生き方であれ、必死に、たくましく生きている人々を見るというのは、本当に元気付けられるものだ。また、そのシンプルさがいい。「今日はたくさん売れたから、ちょっといいものを食べることができる」といったような。またインドから学んでしまった。
「シンプルに、たくましく、そして誇り高く生きる」
焦らずにいこう、と思う。  
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2005年01月24日

海の味、自分の味。

この頃、自炊を始めた。
もちろん、我がブラフマプトラ寮の独房にはキッチンは無い。
すぐに壊れる安物のコンロ、蒸気がどこからでも漏れる圧縮なべ、取っ手がガタガタする小型なべ、サバイバルナイフが僕の持っているキッチン用品の全て。
INAマーケットで米を買うところから始めた。日本米はもちろん手に入るが、非常に高価。「コリアン・ライス」なるものが、炊くと粘っこくなるというので、ためしに買ってみた。
1キロ20ルピー(50円くらい)という破格の値段。日本は何であんなに米が高いんだろう。基本的食生活で最も必要なものなのに。
しかし、これが大当たり!米粒は細長くてインディカ米やバスマティに近いのだが、どうして、炊き上がりはホッコリ、ネチョネチョ。味もなかなかいける。これを食べてしまったら寮の食堂のパッサパサでちょっと臭い米が食べれなくなってしまう。困ったものだ。
さて、おかずはまだレパートリーがあまり無い。オクラを買ってきてオクラ納豆にしたり、サトイモを煮っ転がしてみたり。
出汁をとりたいのだが、日本食材屋さん(大和屋@サフダールジャン)で昆布やカツオはかなり高価なものだったで諦めた。日本から「ほんだし」でも送ってもらおうか。
あとは、めんどくさいのでレトルトのカレーやインスタントラーメンを煮込んで食べている。そうそう、日本から送ってもらった食材の中に牛丼があった。インドで牛丼を楽しむなんて、なんという背徳的で素敵なお食事だろうか。
別に、インド料理や寮の食堂のご飯が好きじゃない、というわけではない。いや、むしろ好きなほうかもしれない。ただ、何かが欠けているのだ。インド料理では得られない味。それを求めて自炊を始めたが、いまだに何かが足りない。米には大満足だが、おかずに無い、何か。
それが何か、最近わかった。
「海の味」だ。
味噌汁や煮物に入れる出汁やワカメ、ご飯のお供の海苔の佃煮やイカの塩辛、刺身や焼き魚、酒のつまみのホタテの貝柱や酢ダコ。今最も欲しいものリストには海臭いものばかりだ。自分の中にこれだけ「海の味」に対する執着があったとは、非常に驚きである。というのも、自分は「魚より肉!」というタイプだと思っていたからだ。そういえば、子供の頃駄菓子屋で食べていたのは「ヤリイカ」とか「よっちゃんイカ」ばかりだった。
この事実から、「日本人」と海の深い結びつきを語るつもりは無いが、自分の中に定着している海に対する情のようなものを感じざるを得ない。単に千葉生まれだから、ってことで済まされるとは思えない。多少内陸部育ちだし。しかし、僕は無意識的に海から流れてくる「潮風」を何気なく感つつ幼少期を過ごしたのではないか。その郷愁の念が海産物への執着を生み出しているのではないか。そこまで考えてみて、「まあ、成長期の食生活が影響してるだけなんだろな」という、一番妥当な結論に至って納得してしまった。
こうして「自分探しの旅」はつづく(くさっ!)。
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Posted by kodai1207 at 19:48Comments(0)TrackBack(0)日記

2005年01月23日

寒い。

アルゴビ企画を立ち上げて初めての寮の食事がアルゴビ(ジャガイモ・カリフラワーカレー)でしたがな。
前途洋洋、幸先がよい兆候である。わがブラーフマプトラ寮も歓迎してくれているかのようだ。
それにしても、デリーの気候はあまり歓迎してくれていないようにも思われる。
とにかく、寒いのだ。
あなた、ここはデリーですよ!なのに部屋に籠もってストーブの前でガタガタ震えてるというのはどういうことだね。
しかも昨日はシトシトとさむーい雨が降った。
昨日は夜に国連で働いていらっしゃる方(日本人)のバースデーパーティーにお呼ばれされていったのだが、屋上でのパーティーだったので、とにかくお酒を入れて体を温めることが先決。様々な国の方がいらしていたのだが、寒さに耐えるので精一杯。なかなかうまく交流がもてなかったのが残念だ。
これがあなた、来月末には灼熱のインドに戻ってるっていうんだから、驚きですよ(あくまで聞いた話だが)。
季節の移り変わりを楽しみ、去りゆく季節の余韻をそこはかとなく噛みしめる、なんて風情はこの国では得られませぬ!
それは、辛ーーいカレーを汗だくに成って食べた後、強烈に甘ーーいミターイー(インドのスウィート)を口に放り込むようなもの。
「そうかね、寒かったかね。じゃ、速攻暑くするからさ。」
インドはかくも両極端なのであります。
  
Posted by kodai1207 at 17:03Comments(0)TrackBack(0)日記

2005年01月22日

アルゴビ企画、はじめました。

ブログなんて、ずいぶん前から聞いていたけど、よくわからないままに見切り発車してみた。そういえば、僕の人生、見切り発車だらけだったなぁ。
アルゴビ企画。ネーミングセンス0(ぜろ)!だけど、末永くよろしく。
アルゴビは、うるさい人は「アールーゴービー」っていうんだろうな。
意味はジャガイモ(アールー)とカリフラワー(ゴービー)を煮込んだ、インドのサブジー(野菜カレー)の一つです。
インドの留学日記を書きたいので、インドにちなんだ名前と思ったわけです。
現在ジャワーハルラール・ネルー大学(ニューデリー)に居をかまえ、大学には通わず、デリーにいるときは寮でのんびりするか、インド西部のラージャスターン州で調査している日々です。
詳しいことを知りたかったら、
http://www.warausakana.com/
を見てみてくだされ。
とりあえず、ご挨拶ということで。
若輩者ですが、よろしくお願いします。  続きを読む
Posted by kodai1207 at 18:20Comments(0)TrackBack(0)日記