府中の税理士田村徹の何でもレビュー

本・映画・DVD・CD・文具・家電・観光地・その他、 私が過去に読んだり視たり聴いたり使ったり訪れたりした諸々の感想です。

私は高血圧体質改善のために「1日1万歩」の屋外散歩のノルマを自らに課した。万歩計で計測したところ(私の場合)、1分歩くと約百歩、10分歩くと約千歩、100分歩くと約万歩、であることが判明した。私は税理士法人田村会計事務所の2階に一人で住んでいる。ゆえに、通勤時間はゼロである。それでも、1日20分くらいは歩いてると思うので、2千歩である。足りない8千歩は散歩で補うしかない。田村会計は京王線多磨霊園駅と東府中駅の中間に在る。事務所から府中駅まで徒歩で25分くらいである。屋外散歩初日は府中駅の啓文堂書店まで徒歩で行き、帰りも徒歩であった(所要時間50分=5千歩。その後、浅間山公園まで行き、合計で1万歩をクリア)。その時、啓文堂で買ったのが本書である。私はテレビ観戦歴40年以上の熱狂的高校野球ファンだが、プロ野球も平均的な日本人男性程度の興味は持っている。私がプロおよび高校野球に関心を持ち出したのが、巨人のV9が終わった1974年である。巨人の連続日本一は父・廣司が税理士になった1965年(私は国分寺聖徳幼稚園の年少組)から1973年(私は日の出町立平井中学校の1年生)まで続いた。当時、私は子供心に「今の日本のプロ野球というのは最終的に巨人が日本一になるように出来ている」と勝手に考えていた。ゆえに、巨人のV10が中日に阻止されたのには驚くとともに、「今までの巨人の日本一は本当の実力で勝ち取ったものだったんだ!」と妙な関心をした。それ以降、プロ野球に興味を持ち出した。同じ時期に高校野球では、黒潮打線の銚子商業や原辰徳(現巨人監督)の東海大相模が話題となり、やはり熱中するようになった。当時も今も、プロ野球のペナントレースの試合は時々観戦する程度だが、流石に日本シリーズだけは毎年(テレビORラジオ)観戦している。ちなみに、1978年10月22日の「ヤクルトVS阪急(上田監督の猛抗議で有名)」の時は、中学時代の友人と台場の「船の科学館」に居たし、2001年10月20日の「ヤクルトVS近鉄」の時は、当時、交際していた彼女を両親や弟に紹介するために、あきる野市の「黒茶屋」に居た。

人生55年目にして遂に持病が出来てしまった。「高血圧症」である。ただ、主治医いわく「別に心配する程のものじゃないですよ」とのこと。私は今まで医療機関に治療に行くとしたら、数年に1度、虫歯で歯科か、結膜炎で眼科か、くらいであった。それゆえ、私なりにはショックであった。先週、近所の内科で、降圧剤を処方してもらうと同時に、血液・尿・心電図・レントゲンなどを検査をした(実は私は10年以上、健康診断を受けていない)。昨日、検査結果を聞くと、血圧の他にコレステロール値が高く肝臓の数値も悪いとのことだ。しかし、血糖値・尿酸値などは許容範囲らしい。私は眼科で何度か眼底検査を受けた際、担当医から「年齢の割には綺麗な眼底ですね」と言われていたので、糖尿病や動脈硬化は心配していなかった。大の酒好きで運動不足の私ゆえ、コレステロールや肝臓の事を指摘されるのは覚悟していた。東京オリンピックや「スターウォーズ」の新三部作を見る前に死にたくは無いので(大袈裟か?)、薬物治療と平行して、生活習慣を改善することにした。そこで、本書を参考にして食事と運動の計画を立てた。具体的には「体重の減少」を目指すことである。ちなみに、私(身長165センチ)は高校時代は体重50キロだったが、成人して飲酒をするようになってから体重が年々増加し、35歳の時には85キロに達してしまった。さすがに、その時は減量をして半年で65キロにした。その後の20年間も減量と増量の繰り返しであった。2015年5月18日(高血圧で鼻血が出た日)では78キロであった。その日から禁酒をし食事の量も半分にしたら二週間で3キロ痩せた。その間、運動はしていない。今後は週に4回程度、夕方ラジオ散歩を2~3時間するつもりである。これは、5時に通常業務が終了した後、携帯ラジオでNHKのニュースやスポーツ中継を聞きながら近所を2~3時間歩くというものだ。昨夜、やってみたが、マイペースで歩けば全く疲れないので、続けられそうである。目標は年内に58キロ(二十歳の時の体重)にすることだ。そうすれば、自ずと血圧も下がるはずである。よし、頑張ろう!

本書の1は1994年(ダービー馬ナリタブライアン)、2は2004年(ダービー馬キングカメハメハ)、に刊行された。今のところ3が刊行される様子は無い。「宇宙英雄ローダン・シリーズ」は私(1960年生まれ)が未だ1歳のとき、西ドイツ(当時)で刊行(週1話ペース)が開始された。2015年現在も継続中で、そろそろ2800話に達しようかというSF大河(大海?)小説である。主人公はペリー・ローダン(1936年生まれのアメリカ人で、1971年に人類初の月面着陸を成功させた宇宙飛行士。永遠の39歳)で変わらないが、作家は30人くらいが持ち回りで執筆している。ローダン他、主要登場人物は「細胞活性装置」なるものを保持し(不死身ではないが)相対的に不老不死なのだ。日本語翻訳版は1巻に2話が収録されていて、2015年7月に500巻(999・1000話)が刊行予定だ。これは、ドイツ本国では35年前の1980年に既に刊行されている話だ。ちなみに、私はローダン・シリーズの本編(もちろん日本語訳のほう)は1冊も読んだ事がない。立ち読みでカラーイラストを見るくらいだ。原作は1961年(NHK朝の連続テレビ小説が始まった年で、現在放送中の「まれ」は92作目)に、日本語訳は1971年(大阪万博の翌年)に、それぞれスタートしている。愛読者の年齢層は(よく知らないが)比較的、高そうだ。それにしても、相対的とはいえ「不老不死」とは羨ましい。2800話現在、ローダンは3100歳を超えているはずだが、彼は「永遠の39歳」である。ローダンのライバル(?)のアトランに至っては14000歳を超えている。遠い過去について脳内の記憶情報は正確に保持されているのだろうか?まあ、架空の人物だから、どうでもいいが。これだけ長大な小説なので、考えうる全てのSFの要素が投入されているようだ。「細胞活性装置」の他に、私が驚いた(というか呆れた)のが「アルコン爆弾」と「物質複製装置」だ。前者は「原子番号10以上の任意の元素に核反応を惹起させる」惑星破壊用の最終兵器で、後者は「無生物はもちろん生物ですら完全に複製する」おそるべき装置だ。特に「アルコン爆弾」超こわい(誤爆したらどうするの?)。私は大学時代の第二外国語はドイツ語だったが、大学卒業後30年間、ドイツ語には全く触れていない。このシリーズの1000~2800話の内容を早く知りたければ原典を読むしかない。それゆえ、この「ローダン・シリーズ」は日本人がドイツ語を学習する強力なモチベーションにはなると思う。

本書によると、2013年10月現在、日本には950体の歴史人物銅像があるそうだ。おそらく、2015年5月現在、既に1000体を超えているかもしれない。全国の銅像の90%以上が富山県高岡市で製造されているそうだ。制作費は等身大の全体像で735万円程度らしい。私の住んでいる東京都府中市にも、新田義貞騎馬(分倍河原駅ロータリー)・源義家(フォーリス府中横)の銅像があり、当然本書でも紹介されている。前者は鎌倉時代末期の古戦場が分倍河原にあるからで、後者は頼義・義家父子が前九年・後三年の役の戦勝の礼として大國魂神社に欅を寄進した故事によるものだ。本書に掲載されている銅像で、私が現地で実物を見たのは、北から、たつこ姫(秋田県仙北市)・伊達政宗騎馬(宮城県仙台市)・白虎隊(福島県会津若松市)・西郷隆盛(東京都台東区)大村益次郎・楠木正成(東京都千代田区)・北条早雲(神奈川県小田原市)・出雲阿国(京都府京都市東山区)・豊臣秀吉・北政所(兵庫県神戸市北区)・神武天皇(徳島県眉山町)・大久保利通・西郷隆盛・島津重豪・ヤジロウ・ベルナルド・ザビエル・若き薩摩の群像(鹿児島県鹿児島市)、くらいである。本書で紹介されている銅像は、公共の場所に設置された歴史上伝説上の人物の銅像だけである。個人が私費で作成し私有地に設置したものも含めると、日本全国で5000以上の銅像があるらしい。私(1960年生まれ)は生まれてから1度も(泊り掛けの)一人旅というものをしたことがない。これまでの人生の100回以上の旅行は、全て家族・友人・知人が一緒であった。だが、私は決して「寂しがりや」ではない。18~55歳の今に至るも38年間一人暮らしである。私は「一人でいるのが好き」だが「大勢で楽しく過ごすのも好き」なのである。こんな私が、もし、3ヶ月ほど仕事を休んで全国を一人旅できるとしたら、「日本全国歴史人物銅像鑑賞旅行」をするだろう。北海道稚内市から沖縄県石垣市まで、本書を片手に、ビジネスホテルか木賃宿を泊まり歩くだろう。

本書は、2015年1月11日に刊行されている。よって、2015年5月29日の口永良部島新岳の噴火はもちろん、箱根山の火山活動についても書いていない。本書は、2014年9月27日の御嶽山の噴火災害(死者行方不明者63名)を受けて書かれたものと思われる。日本には110の火山があり、その内47が何時噴火しても不思議ではないそうだ。「噴火がもたらす5つの恐怖」とは①噴石②火砕流③溶岩流④火山ガス⑤火山灰、らしい。我々が、かつて教わった「活火山」「休火山」「死火山」の分類はナンセンスで、全ての火山が「活火山」らしい。そういえば、ドロップ(⇒落ちるカーブ)、アンドロメダ星雲(⇒銀河)、ブロントサウルス(⇒アパトサウルス)、なんていうのもあったな。昭和の頃の二足歩行恐竜の想像図は、背筋を伸ばして尻尾を地面に引き摺っていたっけ。現在では(映画「ジュラシックパーク」で見るように)前傾姿勢で尻尾は地面に触れてはいない。だが、空想上の「二足歩行怪獣」は、「かつての二足歩行恐竜の想像図」を元に作られているので、今でも尻尾を地面に引き摺っている。火山の話に戻そう。噴火警戒レベルは①平常②火口周辺規制③入山規制④避難準備⑤避難、の順に深刻になるらしい。2015年5月30日現在、富士山は①、箱根山は②、御嶽山は③、口永良部島新岳は⑤、だ。最近は、関東地方でも地震が頻発し、何か嫌な予感(大規模自然災害?南海トラフ地震?)がする人も多いと思う。ところで、この「別冊宝島シリーズ」は既に2300を越えている。私は、その内の150くらいを持っていると思う。サブカルチャーから、政治・経済・歴史・実用情報など、その多様性には目を見張るものがある。私は何時も「宝島チャンネル」というサイトで新刊をチェックし、少しでも興味がわくとアマゾンで購入している。私の場合、期待が裏切られる(「買うんじゃなかった」と思う)確率は10%以下だ。「好奇心こそが私の生命力の源泉」と考えているので、このシリーズは本当に有難い。

この映画は、1が1988年、2が1990年、3が1995年、4が2007年、5が2013年、に公開されている。私の採点(10点満点)では、1が10、2が9、3が8、4が7、5が?、である。5は余りに評判が悪かったので未だに見ていない。1は文句なしの大傑作だ。最新のハイテク兵器で武装した冷酷無比のテロリスト集団に、徒手空拳の警察官(非番で管轄外)が敵の武器を奪いながら次々に倒していく爽快感は、今までの映画には無かったものだ。その後に模倣作が数多く作られたが、残念ながら(というか当然ながら)本作を超えるものはない。ストーリーを完全に知っていても、何度も何度も見てしまうのだ。最初から最後まで見せ場が連続する元祖ジェットコースタームービーだ。孤立無援の主人公を無線でサポートした黒人警察官(主人公は初対面で彼と判る)との友情も実によい。「そうか…?、君だったのか!」みたいな感じである。最後のテロリストを倒したのも(少年誤射のトラウマによる拳銃撃てない病を一瞬で克服した)彼である。2も傑作だが、主人公がテロリストによる航空機の墜落を阻止できなかったので、何となく後味が悪い。ただ、この残虐行為があるからこそ、主人公がラストにテロリスト集団を飛行機ごと爆破しても、観客は「幾らなんでも、それはやり過ぎだ」とは思わないのだが。味方のはずの特殊部隊がテロリストと内通していたのには驚いた。飛行機操縦室内の手榴弾の海から座席ごとパラシュートで脱出するシーンは痛快である。また、「ターミネータ2」では、恐ろしく手ごわい悪役ロボットを演じた役者が、本作では簡単に負けてしまったのが以外である。3は舞台(ニューヨーク全市)が広がりすぎて、やや大味な印象をうけるが、まあ面白い。ただ、犯人が変なクイズ(平成教育委員会?)を出題するのが何か妙だ。4は、さらに舞台(全米各地)が広がるが、それでも、まあ面白い。サイバー・テロというのも、いかにも今風だ。ただ、主人公が最新型戦闘機まで倒してしまったのには笑った。

これらは、小中学生向けの図鑑シリーズである。2015年5月現在、「ニューワイド」が26巻、「ネオ」が20巻、「ワンダ」が15巻、刊行されてる。先発の「ニューワイド」は17巻が既に改訂され、次発の「ネオ」も4巻が改訂されているが、最後発の「ワンダ」は未だ改訂されていない。この3者は優劣が付け難いので、出来れば全て購入されることを薦める。いわゆる「大人買い」というやつである(総額13万円くらいか)。「置く場所が無い」と言う人には、「置く場所を作ってでも買った方がよい」と言いたい。この3シリーズは、全国の小中学校の図書館には必ず常備されているはず(出版社も先ず学校にセールスをかけるだろう)だが、それが、自宅のリビングに何時でもあるという安心感・満足感・優越感(?)は大きい。テレビのニュース・ドキュメンタリー・情報番組・教養番組を見た時や読書の際に、その実物を図鑑で確認するのである。また、ただ単に暇つぶしに眺めていても非常に面白く楽しいはずだ。子供向けの本だが、扱っている内容は幅広く、内容は正確で、解説も分かり易い。「動物」「植物」「昆虫」「魚」「恐竜」などは、3者とも共通して扱っている。ユニークなのが、「ニューワイド」の「動物のくらし」「生き物のくらし」「発明・発見」「世界の危険生物」「イヌ」、「ネオ」の「野菜・果物」だ。「学習図鑑三国時代」と言われているそうだが、3社が、お互いのシェアを取り合うというよりも、切磋琢磨し共存共栄しているという印象をもっている。かつて、「現代用語の基礎知識」(自由国民社)の他にも「イミダス」(集英社)「智恵蔵」(朝日新聞社)という時事用語事典があった。これらは、共存共栄ではなく、お互いのシェアを取り合っていたようだ。そこで、「新語・流行語大賞」を選定している自由国民社は(おそらく)他の2社よりも話題になるために、授賞式に現職の小渕首相を呼ぼうと考えたのだろう。だから、一般国民はもちろん、マスコミ関係者ですら殆ど知らない「ブッチホン」を年間新語・流行語大賞に選定したのだ。全く馬鹿馬鹿しい限りだ。

唐突だが血圧の話だ。私(1960年生まれ)は2013年の夏から秋にかけて、家庭用血圧計(上腕部に巻くタイプ)で3ヶ月ほど血圧測定をしたことがある。平均すると125-85くらいで、問題なしであった。しかし、このブログが丁度100本を越えた直後の2015年5月19日早朝、ノートパソコンを見ていると、突然、左の鼻の穴から血が流れてきて、それが15分以上止まらなかった。この時に思い出したのが、奇しくも2日前にDVDで鑑賞した「アルゴ探検隊の大冒険」に登場する青銅の巨人タロスの最後である。タロスは主人公に踵の蓋を外されて全身の血液(?)が流失し崩壊するのである。鼻血が暫く止まらなかった時、私は「俺も青銅の巨人のような最後を迎えるのか!?たとえ死ぬにしても、せめてブログを1000本書き終えてからにしてほしかったよな~」と本気で考えた。おそらく、鼻血が出ていた時は、最高血圧が200を軽く越えていたはずだ。その後、5月23日の早朝にも10分程度、鼻血が出た。そこで、私の事務所兼自宅から徒歩5分のところにあるサン・ドラックの本社&店舗に行き、家庭用血圧計を買ってきた(以前のものは故障したので処分していた)。測定してみると160-120だった。安静時でも150-110はある。そこで、5月25日に自宅から徒歩5分のところにある内科(住宅街の個人医院)に行き降圧剤を処方してもらった。私が治療目的で内科に行ったのは実に30年ぶりくらいだ。私はメタボ検診も無視していたので、最近の自分の血圧を知らなかった。担当医は私と同年代くらいの男性で、私は「この先生を家庭医にしよう」と決めた。レイ・ハリーハウゼンの話に入ろう。私が生まれて初めて見た字幕付き洋画が「恐竜グワンジ」だった。1969年の夏で、新宿ミラノ座だったと思う。母方の叔母に連れられ、幼稚園児の弟と3人で見た。ゴジラやガメラとは異なり、恐竜が人間と同じ画面で細かい動きをするのには感動した。実は、母方の祖父も高血圧症で、1968年3月16日に脳溢血で急死した。母も同じく高血圧症であり、長らく降圧剤を服用している(ただし叔母は正常血圧)。母が父の税理士事務所で終日働いていたため、祖父の死後、国分寺市から父の実家の西多摩郡日の出町に転居するまでの2年間、私と弟は昼間、叔母に面倒をみてもらっていた。叔母は(当時は)夜の水商売をしていたので可能だったのだ。その縁もあり、叔母は今も国分寺市に住んでいる。ハウゼンの映画は「7回目の航海」「黄金の航海」「虎の目大冒険」のシンドバット三部作や「タイタンの戦い」もDVDで鑑賞した。イーマ(地球へ2千万マイル)、サイクロプス・ドラゴン(7回目の航海)、タロス(アルゴ探検隊の大冒険)、カーリー・ケンタウロス・グリフォン(黄金の航海),ミナトン(虎の目大冒険)、のフィギュアも事務所の所長室に飾ってある。サイクロプス・タロス・カーリーは二本足で倒れ易いので、「ひっつき虫」(コクヨ)という商品で足元を固定している。おかげで、2015年5月25日の地震(府中市は震度4)でも倒れなかった。

ご存知、国民作家・夏目漱石の最も人気のある作品だ。しかし、活字離れの現在、本作を全編読み通した人は(日本人の)100人中数人だろう。まして、繰り返し読み全編の細部まで覚えている人は1000人中数人だろう。私は、その千人中数人である自信がある。中学時代に既に5回以上読み返している。その後も、新潮CD(朗読・風間杜夫)の視聴も含めれば30回以上以上読み返しているはずだ。この作品の最大の魅力は、主人公の正義感とユーモアである。ただ、主人公のような生き方は、現在はもちろん、当時でも非常に不器用で大損である。主人公・山嵐・うらなり先生たちは、赤シャツの巧妙な策により学校を追放される。赤シャツは殴られ卵をぶつけられるが、教頭の地位もマドンナの婚約者の座も(多分)安泰である。それでも、読後感が非常に爽やかなのは何故だろうか?それは、敗北者たちが真面目で善良で正直で正しくて美しいからだ。もし、この作品(全11章)が明治の文豪の代表作ではなく、新人脚本家の1クール(全11話)のテレビドラマの台本だったとしよう。おそらく、監督・プロデューサー・スポンサーからクレームがつき、以下のように改悪されるだろう。①延岡に左遷された、うらなり先生と、九州に赴任した主人公の兄が(天文学的な確率で)偶然にも知り合いになる②兄の力で(?)うらなり先生が復帰する③赤シャツは旧悪が発覚し失脚する④マドンナは主人公に恋愛感情を持つようになり、主人公も同様だが、うらなり先生のために、この恋を諦める⑤うらなり先生とマドンナが結婚する⑥主人公と兄が非常に仲良くなる⑦主人公と生徒も非常に仲良くなる⑧主人公は病に倒れた清の面倒を見るために東京に帰ることになる⑨全校生徒が総出で主人公を見送る⑩うらなり先生夫妻が東京の主人公宅を訪ねてきて「私達が結婚できたのは、貴方と御兄さんの御蔭です。生徒達は今でも貴方を慕っています」と言い、その傍らで病から回復した清が笑っている。まあ、これでは、凡百のB級青春学園ドラマである。

「日本文学史上に燦然と輝く天下の名文ここにあり」とは、新潮文庫の解説の見出しである。私も全く、その通りだと思う。中島敦の文章は、現代文・古文・漢文を融合させたような、簡潔明瞭にして不思議な余韻を残す、独特のものである。「山月記」は教科書でお馴染みである。「尊大な自尊心」「臆病な羞恥心」ではなく「臆病な自尊心」「尊大な羞恥心」と書いているところがポイントである。「自信と不安は表裏一体である」ということだろう。「理由も分からずに押付けられたものを大人しく受取って、理由も分からずに生きていくのが、我々生きもののさだめだ」は、己の運命への諦観を述べている。この「自尊心と運命」というのは、中島の他の小説にも見られるテーマである。中島自身、類稀なる教養・文才(自尊心)を持ちながら、生涯、喘息に苦しめられ34歳で病没(運命)している。「山月記」はファンタジー中国時代短編小説だが、「李陵」はリアリズム中国歴史中編小説である。「李陵」こそが、中島の最高傑作であり、近代日本文学の永遠不朽の名作である。「李陵」は3章に分かれているが、1章は導入部である。2章の司馬遷、3章の李陵、二人の「自尊心と運命」の間で揺れ動く内面の葛藤こそが、この小説の真骨頂である。司馬遷は宮刑の屈辱に耐えながらも父子相伝の歴史書を完成させたし、李陵は匈奴の捕虜になりながらも漢帝国への忠誠心を貫いた。あまりにも過酷な運命の中で己の自尊心を貫き通すのは困難を極める。しかし、我々現代日本人も(司馬遷や李陵ほどではないにせよ)大なり小なり「自尊心と運命」の葛藤に直面しているはずだ。自分の生まれた家庭の所在地・家業・経済力、自分の容姿・健康・才能・体力・運動神経、などに何の不満も持たない人は少ないだろう。そして、間違いなく全ての人が持っているのが「自尊心」である。なお、新潮CDで、俳優の江徹が「山月記」「名人伝」「牛人」全文を、同じく俳優の日下武史が「李陵」全文を、朗読していて、こちらも、お勧めである。

↑このページのトップヘ