香道とわたし

香道ってご存知ですか? 香道に関する様々な知識を掲載していきます。

御家流の現在

室町時代・東山文化のころに活躍した公家、三條西実隆を流祖とする御家流は三条西家(堂上公家)に代々継承され、江戸時代には、亜流は武士・町人にも広がったとされています。
江戸時代にはたしなみとして広く普及した香道は、明治維新により一時衰退したものの、第二次世界大戦後には勢力を盛り返します。
地下(武士・町人)に伝わっていた御家流も改めて復活してきました。
戦後、旧華族の末裔であり堂上御家流香道を継承していた三条西尭山氏が正式に近代御家流宗家として認められたことにより、現代に続く御家流が確立したともいえます。
現在は三条西家の当主である三条西尭水が御家流家元を継承しています。現在も香道の歴史と伝統は脈々と引き継がれているのです。

御家流のはじまり

595年に香を聞くことから始まった香道。
現在に近い形に整えられたのが室町時代における東山文化のころです。
江戸時代には、武士・町人の間にも広がった香道も明治維新には一度低迷し、第二次世界大戦後、新たに見直され評価されるにいたっています。
現在、香道においては御家流(おいえりゅう)、志野流(しのりゅう)が二大流派とされています。
御家流も志野流もともにその流れは室町時代までさかのぼります。
御家流は室町時代に活躍した公家の三條西実隆を流祖としています。
東山文化の時代、和歌、書道、有職等の教養にも造詣が深い文化人として、室町幕府八代将軍、足利義政との親交が深かった人物とされています。
香を愛した将軍のもと、香道も発展したとされています。

志野流の現在

香道において二大主流のうちのひとつとされる志野流は、蜂谷宗悟に引き継がれたため蜂谷流と称されることもあるそうですが、志野流としての呼び名の方がやはりメジャーなようです。
江戸時代には大名のみでなく広く商人にも愛された茶道は、歴史の大きなうねりの中で明治維新の影響により茶道も一時衰退したものの、戦後はその勢いを盛り返し日本の伝統芸道として確固たる地位を築きつづけています。
志野流は代々引き継がれ、現在は第20代にあたる蜂谷幽光斎宗玄を家元としています。
志野流はもともと香道・茶道一体として、香道のみでなく茶道でもその名が知られていますので、日本の伝統芸道の世界においてはなくてはならない存在と言っても過言ではないでしょう。

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