ぶら武士道

2011年03月08日

伊能忠敬

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富岡八幡宮にある伊能忠敬像です。

忠敬が地図を作るために、日本全国を測量の旅に出発したのが56歳の時。74歳で亡くなるまで測量を続けたのです。
地図の完成は、残念ながら忠敬は見ることはできませんでしたが、現在私たちが見ている地図とは0.1%の誤差しかないというのですから、恐るべしです。

国土地理院にある、俗に「伊能図」と呼ばれる大日本沿海輿地全図。
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2011年03月06日

江戸城天守台

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江戸城天守台と本丸跡です。
皇居東御苑から入ることができます。

江戸城天守は5層6階で、地上からの高さが58メートルありました。
江戸市中なら、どこからでも眺めることができたでしょうね。

また、この天守台と本丸跡付近はかなりのパワースポットで、行かれる方は芝生に寝転んだりして低い位置で20分以上、できれば2時間そこに居ると浄化と運気アップが期待できるそうです。

こちらは天守台のアップ。
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kodomobushido at 16:54|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年02月06日

本郷台地

「ブラタモリ」でタモリさんが歩いていた本郷台地を、私も歩いてみました。

まずは、木造3階建ての串揚げ屋さん「はん亭」でお腹を拵えます。
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「はん亭」を出ますと、すぐ前が不忍通りです。そこから言問通りを上がって、本郷通りに出ます。
途中で「弥生式土器発掘ゆかりの地」の碑を見ます。この辺りが弥生町です。弥生町から発掘されたから「弥生式土器」だそうです。ちょっと拍子抜けですよね。
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東大の正門と赤門を左に見て、さらにまっすぐ行くと春日通りに当たります。右に折れて真砂坂を下って白山通りに出るまでが本郷台地です。

白山通りに出ますと、後楽園遊園地がありますが、日曜日なのに閑散としておりました。

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2011年01月26日

『東京時代MAP』

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新創社さんから「東京時代MAP」という古地図が出ました。

ふうん、古地図ね。

と思った方、待ってください!

これは画期的な古地図なのです。
なぜなら、いわゆる古地図の上にトレース紙が敷かれ、その上には現代の地図が描かれているのです。
つまり、トレース紙の現代地図の下に、古地図が透けてあるので、現代と江戸時代を行ったり来たりできる「タイムトリップマップ」というわけです。
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これを持って散歩に行きたいですねえ。

kodomobushido at 14:32|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年10月04日

音羽5

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書籍の打ち合わせで講談社さんに行ってまいりました。

講談社さんがあるのは文京区音羽という場所です。地下鉄の駅で言うと「護国寺」が最寄になります。もちろん護国寺というお寺があります。界隈では鳩山御殿も有名ですね。

この音羽で面白いのが、一丁目二丁目の丁目が普通とは違うルールでつけられているところです。

普通、一丁目など若い丁目は江戸城(皇居)から近い場所順につけられていきます。××町一丁目というところは、××町でいちばん江戸城に近い場所ということになります。
道に迷った時、江戸城に近いところほど若い丁目ということを知っていると、目的の場所を探すときに少し参考になります(江戸城がどっちかわからないと意味ないですが)。

ところが、この音羽だけは護国寺に近いほうから一丁目二丁目になります。音羽では、一丁目は江戸城からもっとも遠い場所になっているのです。

それだけ、護国寺の権威が高かったからというのが理由のようです。

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2010年06月18日

江戸城復元計画5

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江戸城を復元しようという動きがあるそうです。

江戸時代に思いを馳せるという意味では、いいことではないでしょうか。

江戸時代は鎖国があったり、徳川家を守るという一時に偏りすぎて、産業や技術が発達せず欧米列強に遅れを取った、というのが世上喧伝されている歴史観です。

が、それは薩長の新政府が作ったデマゴギーで、江戸時代はそんなに悪い時代ではなかった、ということが平凡社刊渡辺京二著『逝きし世の面影』に書かれています。

江戸時代の庶民は、実に愉快で楽しそうに暮らし、礼儀正しく思いやりのある人物ばかりでとても幸せそうな顔をしていたと、当時日本を訪れた外国人の証言としてまとめられています。その頃外国人が見た日本の風景はまさに絵画のような美しさであったとも。

幸せな日本人と、美しい日本は、逝ってしまったのでしょうかね。



今日から写真を大きくしてみました。

kodomobushido at 11:13|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年04月14日

六義園5

10041302東京駒込にあります某出版社さんに伺った帰りに、一度も訪れたことのない「六義園」に行ってみました。

美しい回遊式庭園です。

ここはかつて岩崎弥太郎の屋敷跡で、それより以前には柳沢吉保の屋敷がありました。
柳沢吉保といえば徳川五代将軍綱吉の側用人として仕え、その後老中にまで上りつめました。

こんなに広い場所に屋敷があったということは、一体どれくらいのお金持ちだったのでしょうか?
柳沢吉保は最初1万2000石でしたが、最後には15万石の大身にまでなりました。

1万石というのは戦時に250人動員できるほどの財力があると言われていました。
あくまでも凡そですが、1万石で6億円の年収の計算になります。
15万石ですから、年収90億円です!

ですよねえ。
90億円くらいの年収がなければ、駒込にあんな広い屋敷は持てませんよね。

kodomobushido at 19:07|PermalinkComments(0)TrackBack(0)
和の助
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