2007年08月23日

戦国労働法〜第六章「労働関係の終了2―辞職、合意解約、定年、雇止め―」

設問1 木瓜物産プラント輸出営業部第一営業課に勤務する前田利家は、総務部勤務の愛智拾阿弥との間で社内で口論から発展した暴力沙汰を発生させていたため出勤停止となっていたが、これについて社長の織田信長が仲裁内容を決定したとの連絡を受け、出社した。営業担当取締役で前田の上司の柴田勝家が「前田を通常解雇とする。ただし、反省の意を示すのであれば1ヶ月の出勤停止にとどめる」という織田の意向を前田に伝えたところ、前田は「社長はアホだ。どう考えても俺をロリコン呼ばわりした愛智の方が悪いだろ」と不満を漏らした。これを聞いた柴田が「発言には注意しろ。ここは事を収めるために形だけでも辞表を出しておけ。自分から社長に話しておく」と前田に告げたところ、「上等だ。もうこんな会社は本当に辞めてやる」と言い放つつと共に、かねてから用意していた退職願に日付と署名を書き入れた上で実印を押して柴田に渡した。前田が本気で辞める気であると分かった柴田は前田を慰留したものの、「そこまで辞めたいのなら仕方がない」と前田に告げてこれを受理したので、前田はそのまま帰宅した。帰宅した前田は、事の顛末を前田から聞いた妻の前田まつに「もうすぐ子供も生まれるというのに何を考えているのか」と激怒されて我に帰り、慌てて柴田の自宅に電話をかけ、退職願を撤回したい旨を告げた。しかし柴田は「取締役の自分が受理した以上、撤回は認められない」と拒絶した。以上の事実関係のもとで、雇用契約上の地位確認を求めたい前田の代理人として、いかなる事情について主張すべきかについて論ぜよ。

設問2 木瓜物産食品営業部第二営業課に勤務する佐久間盛重は65歳を迎えようとしており、木瓜物産の就業規則の定めに従い定年退職する予定となっていた。ところが、佐久間は「自分はまだまだ若い者にひけをとらない。営業の最前線に派遣されてもやっていける自信がある。定年制は、労働能力を顧慮することなく年齢のみを理由にした差別的取扱いであり、そもそも許されるべきではない」と主張した。木瓜物産としてこの佐久間の主張に対しどのように反論すべきであるかについて論ぜよ。

設問3 木瓜物産マーケティング部市場調査課は、マーケティング専門社員として契約社員を雇用しており、梁田政綱もその一人だった。木瓜物産と梁田との契約は半年ごとに更新されることとされており、毎年契約期限の切れる1ヶ月前になると、木瓜物産との間で新たに契約書が取り交わされることが慣行となっており、既にこれが7年間に渡って続いていた。ところが、契約期限の切れる1ヶ月前になっても、これまでのように上司の林通勝が契約書面を持参しなかったため梁田は不審に思っていたところ、林が梁田のもとを訪れ、「次回の契約の更新は行わない」旨を梁田に告げた。梁田は林に「突然言われても困る。契約社員とはいっても、基本的に雇い続けてくれるという約束だったではないか。なぜ契約を更新しないのか理由を聞かせてほしい」と抗議したが、林は「もともと契約期限を決めて雇っているのだから、期限が切れた後に雇う雇わないはこちらの自由だ。いちいち理由を言う必要はない」と言って取り合わなかった。引き続き木瓜物産での就労を続けたい梁田の代理人として、いかなる事情について主張すべきかについて論ぜよ。

■辞職・合意解約

 使用者と労働者の間の労働契約関係が、当事者の意思を出発点として解消するものには3パターンがある。
 まず1つが、前章で取り上げた「解雇」であり、使用者の一方的意思表示によってその効力が生じる。既に述べた通り、我が国の法制度上は、使用者がその一方的意思表示によって解雇をなしうることが前提となっている(民法627条1項)。しかし、解雇が労働者に対し与える打撃が大きいことに鑑み、解雇が客観的合理的理由を欠き、社会的に相当でないと認められた場合には、その解雇権の行使が権利の濫用として評価されるという制度設計となっているのである(労働基準法18条の2)。
 次に、「辞職」がある。これは、労働者の一方的意思表示によってその効力が生じるものであり、これについては、民法の原則に立ち戻ることとなる。すなわち、労働者は、2週間前に使用者に対して予告を行えば、自由に労働契約関係を終了させることができるのである。
 最後に、「合意解約」がある。これは、使用者と労働者の意思表示の合致により労働契約関係を解消するものであり、両当事者の合意の産物であるから、私的自治の原則に従い、当然即時で効果を発生させることが可能である。
 このように、前章で述べた「解雇」を除いた2つ、「辞職」「合意解約」について見てみると、法現象としては異なる性質を有するものであるということになる。すなわち、「私は辞職したい」といって辞職の申入れを行う場合、この行為は(2週間の経過を待って)労働契約関係の解消という効果を発生させるという形成力を有する単独行為であり、使用者に到達した場合はもはや撤回が不可能である。しかし、「解約を行いたい」として使用者に対して合意解約の申込みを行う場合、これは文字通り「申込み」に過ぎず、少なくとも相当の期間が経過すればこれを撤回することが許されることになる(民法524条)。そして、実際のところ、労使間の力のアンバランスさを考えれば、「相当の期間」前であっても合意解約の申入れは可能であると解することとされているようである。
 ……ここまで述べたことを読めば気づくことであるが、これは極めて不自然である。いずれの場合も、事実それ自体としては、設問1の前田のように「もう辞めてやる」といった(捨て)台詞による使用者に対する通告がなされていることで共通していると考えられるからである。したがって、両者を別個に切り分けることにどこまで意味があるのかという点は難しい問題である。ただし、辞職の申入れが単独行為であるとしても、意思表示であることには変わりがないから、錯誤を理由とする無効(民法95条)の主張や、詐欺・強迫を理由とする取消し(民法96条1項)の主張は許されると考えられる。また、辞職の申入れに際して労働者が反省の意を強調するのみで退職の真意を有さず、使用者もその趣旨を知りながら受領していたという場合には、かかる辞職の申入れは心裡留保(民法93条)として無効となるものとされている(東京地決平成4年2月6日労判610-72[昭和女子大学事件])。
 さて、設問1について考えてみることにしよう。前田の行為を合意解約の申入れと解すると、ポイントは前田の「申込み」を「使用者」が受理したと評価できるか否かである。「使用者」が受理したということとなれば、もはや両当事者の間で合意解約が成立したことになり、労働契約関係は解消されたこととなるからである。
 ここで、柴田が前田の辞職願を受け取っていることをどう考えるかが問題となる。柴田が木瓜物産の代表権を有する取締役であったかどうかは設問からはさだかではないが、ここで問題になるのは、柴田の会社法上の代表権の有無ではなく、木瓜物産における退職承認の手続である。すなわち、使用者たる木瓜物産として合意解約の申込みに対して「承諾」を与えたと解することができるためには、退職願を受け取った者が、退職承認の権限を有していると認められなければならないが、そこでの判断に際しては、木瓜物産において退職に関する手続がどのように行われていたかが問題となるのである。
 仮に、木瓜物産においては、退職願の決済には所属上司の承認のみではなく、人事・労務担当取締役の丹羽長秀の承認を必要としていたといった事情が存在するのであれば、営業担当取締役に過ぎない柴田が受け取ったというのみでは木瓜物産として合意解約の申込みに対して承諾を与えたことにはならず、(前述の「相当の期間」の経過の点が問題となりうるとしても)前田は合意解約の申込みを撤回することが可能である。裁判例の中には、上司にあたる常務取締役観光部長に退職願が提出されていたとしても、通常の退職願承認の手続は最終的に労務部担当取締役の決済を要していたという事情が認められることから、退職願の撤回が認められると判示したものがある(岡山地判平成3年11月19日労判613-70[岡山電気軌道事件])。このことは、労使慣行上、退職願の承認手続が非取締役の人事部長の決裁を最終のものとしている場合には、それ以上の取締役等の承認を要さずに合意解約が成立するということをも意味していることに注意が必要である(最判昭和62年9月18日[大隈鉄工所事件]参照)。
 なお、設問1の事実関係と異なり、前田が本心としては退職するつもりではなかったが、柴田の「形だけでも辞表を出しておけ」という言葉に押されて辞職願を出したという場合には、木瓜物産が前田との合意解約の成立を主張したとしても、心裡留保(民法93条)の規定により前田の合意解約の申入れは無効となる。その他、錯誤・詐欺・強迫の場合になされるべき処理も、辞職の申入れの場合と同様である。
 以上について、立法論としては、労働契約関係の解消が労働者にとって高度の利害を有するものであることから、辞職の申入れについては申入れ後1週間撤回を可能とし、合意解約については意思表示の合致後でも1週間は申込の撤回(既に意思表示の合致がみられる以上このような表現は不適当であるが)を可能とする、一種のクーリング・オフを認めるとする案も、労働者側(連合)から提案されている。


■定年制の意義

 我が国の雇用システムにおいて「三種の神器」と称されてきたのは「年功序列」「終身雇用」「企業内労働組合」の3つであるが、このうちの最初の2つと密接不可分なものが、定年制である。
 ところで、定年制とはいかなる法的性質を有するものとして位置づけられるのであろうか。一定の年齢に達した時点で労働契約が終了するということに着目すれば、労働契約に期限を定めたものと見ることができるようにも思える。だとすれば有期労働契約ということになりそうであるが、有期契約と異なり期間終了前でも特に退職や解雇が制限されるわけではない(解雇権濫用法理の適用はあるが、民法628条が適用されるわけではない)ので、有期契約ではないということになる(そもそも、40年間程にも及ぶような期間を定めた有期労働契約は労働基準法14条1項違反である)。したがって、定年制を定めた労働契約はあくまでも無期契約であり、ただその終了事由について特別の定めが置かれているに過ぎないことになる。
 ところで、定年制は労働者個人の実能力に着目することなく、ただ年齢という一事を以て労働契約を終了する制度である。とすると、設問2で佐久間が主張するように、年齢を理由とした差別的雇用に該当するようにも考えられる。だが、我が国の裁判例は一貫して定年制はそのような差別的雇用制度にはあたらないとしてきた。その理由は、定年制は労働者にとってはデメリットだけでなく、むしろ多くのメリットをもたらしていたためである。
 一般に人間は年をとることにより、その能力が減衰するということがみられる。このことは肉体労働では特に妥当するが、肉体労働のみに限られるわけではない。したがって、賃金は純粋に労働能力に対応して支給されるということにした場合、賃金支給額は就労開始後経験の蓄積に伴って上昇するものの、一定の年齢に達した時点で下降することとなる。また、労働能力の低下の程度によっては、能力の欠如を原因とした解雇の可能性すら生じることになる。しかし、日本の伝統的な雇用システムの下では、年功序列型賃金により、労働者が若い時代には労働能力に対応する額よりも低い額を支給し、壮年期以降に労働能力が低下した後も能力に対応した額を上回る一定の額を支給し続けることにより、労働者が全体として受給する額の均衡をとるということが行われていた。定年という年齢は、まさに均衡をとり終わった年齢を示しているのである。また、終身雇用制により、労働者が定年に達するまでの間は、労働能力が低下したとしても、そのことを理由とする解雇については解雇権濫用法理の厳しい規制が及んでいたのである。
 こうした制度と複合的に捉えられる限りにおいては、定年制の定めをもってして公序良俗に反し無効であると評価することはできないであろう。したがって、設問2における佐久間の主張は、現段階では排斥されることになる。
 「現段階では」と留保をつけたのは、今後長期雇用保障システム全体に対する見直しが及んだ場合(年功序列型賃金を廃止し完全な成果主義型賃金とするなど。中途退社・中途入社が普通になってくると、年功序列型賃金は労働者に)には、定年制は労働者にとって害しかもたらさないものとなり、年齢を理由とする差別的取扱いとして公序良俗に反し無効とされることになると考えられるからである。「公序良俗」が何であるかは、問題となる措置に付帯する状況に応じて変わってくるということになる。なお、もしそのような時代になった場合には、「定年までは解雇を厳しく制限する」という法理も減退することには留意しなければならない。


■有期労働契約の雇止めについての規制

 本連載でも初回から触れてきたように、期間の定めのある労働契約については、期間満了前においては「やむを得ない事由」が生じた場合でなければ契約関係を解消することはできない(民法628条反対解釈)。したがって、期間の定めのある雇用契約を無制限に許すことになると、労働者に対する不当な拘束となる可能性があるため、労働基準法は有期契約の期間に一定の制限を加えている。労働基準法制定時は、原則1年を上限とし、例外的に3年の有期契約を認めていたが、2003年改正により原則3年を上限とし、例外的に5年まで許されることとなった(労働基準法14条)。
 ところで、有期労働契約の場合、期間が満了した場合には、契約関係は当然に終了するのが民法上の原則である。したがって、使用者は労働者に対し解雇の意思表示をする必要はない。もっとも、期間満了後も労働者が就労を継続し使用者がこれを知りながら異議を述べない場合には同一の条件による契約更新が推定される(民法629条)ことになるので、この推定を破るためには使用者は契約を期間満了と同時に打ち切る旨の意思表示を行う必要がある。ただし、この意思表示(雇止め)は解雇の意思表示ではないので、解雇権濫用法理による規制があるわけではなく、基本的には「契約更新拒絶の自由」が認められていることになる。
 以上が民法上の原則であるが、問題はこの有期契約が反復継続して更新されていた場合である。本来、契約更新の際には更新手続が行われるべきであるが、有期契約労働者の継続雇用が恒常化し、契約更新の度に必ずしも更新手続が行われず、しかも期間満了による雇止めの例がなく、自ら希望退職する者以外はほとんどが長期間に渡り継続雇用されて、無期契約労働者と変わらない職務に就いていたといった場合には、もはや無期契約と同視し得る状態になっていたと見ることもできると考えられる。判例は、このような場合においては雇止めの意思表示は実質上解雇の意思表示に該当するから、解雇権濫用法理を「類推」すべきであるとして、反復更新という従前の取扱いを変更してもやむを得ないと認められる特段の事情がなければ雇止めは許されないと判示した(最判昭和49年7月22日民集8-5-927[東芝柳町工場事件])。
 この最高裁判例が出た後、日本の企業の多くは、それまで必ずしも厳格に行っていなかった有期契約の更新を厳格に行うようになった。そうでなければ、判例の言うような「無期契約と同視し得る場合」と評価される可能性が生じるためである。設問3の木瓜物産も梁田との契約更新手続を厳格に行っている。
 そもそも企業はなぜ梁田のような有期契約労働者を雇うのだろうか。それは、企業が必要とする労働力は景気の変動により変わり得るが、景気が悪化した場合に直ちに無期契約労働者を解雇するのではなく、民法上は自由な雇止めが可能な有期契約労働者を雇止めすることにより、結果的に無期契約労働者の解雇を防ぎつつ、需要に見合った労働力を確保するためである。この意味で、有期契約労働者はいわば安全弁(バッファ)の役割を果たしているのだ。しかし、その一方でこうした有期契約労働者が就いている職務内容は、無期契約労働者のそれとさほど異ならない場合もある。また、契約更新手続それ自体は厳格に行われていたとしても、実際に雇止めの例がなかったのであれば、労働者としても契約が更新され続けることにある程度合理的な期待を抱いていたと評価できる場合があるだろう。すると、このような場合にも「契約更新拒絶の自由」を無制限に認めてよいのかという疑問が生じることになる。
 判例は、このような有期契約の雇止めについても、一定の判断を下した(最判昭和61年12月4日労判486-6[日立メディコ事件])。すなわち、期間満了の度に更新手続が行われていたため、無期労働契約と実質的に異ならない状態が存在していたとまではいえないが、従前の関係から、ある程度の継続が期待されていた有期労働契約と評価される場合においては、その雇止めについても、解雇に関する法理が類推され、ただしその判断基準は無期労働契約と同一ではない、と判示したのである(事案としては経営状況の変化による雇止めの合理性を認めた)。判決の言い回しは分かりにくいが、要するに雇止めに一定の合理性を要求したものということができる。ただし、あくまでもこれは「一定の合理性」に過ぎず、裁判所も有期契約労働者がバッファとして機能することを前提としていると評価することができるだろう。
 なお、雇止めの合理性が否定された場合の法的効果としては、従前の有期労働契約がそのまま反復更新されるものとされており、無期労働契約に転化するものとは考えられていない。そこまで認めてしまっては、バッファとしての雇用を企図した使用者の意図から大きく外れることになる(一旦無期契約労働者に転化してしまえば、それ以降は「完全な」解雇権濫用法理による規制が生じることになる)ため、さすがにそれは否定されているのである。ただ、ここで裁判所が行っていることはいわば「法定更新」にも等しい行為であり、立法が存在しない状況で裁判所がそこまでのことをなし得るのかという問題は存在する。
 有期労働契約の雇止めを巡る判例法理について、もう一つの判決を挙げておこう。日立メディコ事件においては、労働者自身に有期労働契約の反復・更新の実績が存在したため、労働者が契約更新に対し「合理的な期待」を抱いていることを正当化しやすかった。しかしその後、当該労働者自身においては一度も反復・更新の実績が存在しない(つまり、一回目の契約期間満了時)場合であっても、他の同種有期契約労働者と使用者との間に反復・更新の実績が存在するなど、当該労働者が自己の労働契約についても更新が行われることを合理的に期待できるという事情が存在した場合には、雇止めを正当化するような特段の事情が存在しない限り、雇止めが信義則上許されないとする判決が現われたのである(大阪高判平成3年1月16日労判581-36[龍神タクシー事件])。この判決自体に対しては、有期契約という契約の性質を超えた保護になっているのではないかとする批判も存在し、また実務家においてもこの判決を特別の類型として捉えることには懐疑的な向きもあるようである。
 本章では有期労働契約のバッファ性という、使用者にとっての有期契約のメリットばかりを取り上げてきたが、多様な働き方が生じてきた中で、キャリア形成等の面から有期契約の方が労働者にとってよりメリットが大きくなるという場合もあり得る。ただ、現状は有期契約労働者を無期契約労働者と同じ業務に従事させておきながら、取扱いを全く異にしている使用者が多いのも事実であり、一定の保護が必要なのも事実である。特に、近年では有期契約労働者が従前のバッファの域を超えて増大しているだけに、何らの手も打たないというわけにはいかなくなってきている。
 ただ、有期労働契約に関して労働者にどのような保護を及ぼすかは、雇用政策全体を左右する問題となりうる。そもそも保護を及ぼすといっても賃金等の取扱いについて保護を及ぼすべきなのか、それとも期間や更新に関して保護を及ぼすべきなのかという問題があるし、有期契約に対する保護をあまりにも手厚いものにしてしまうと、使用者にとって有期労働契約の「使い勝手」が悪くなり、結果、これまで有期労働契約者が就労していた部門を、労働者にとってはより地位が不安なものとなる派遣労働者に切り替えるということが増大する可能性もある。ことほどさように、有期契約労働者はまさにバッファとして存在するが故の独特の取扱いの難しさが存在するのである。


武将列伝 それぞれの桶狭間

桶狭間の戦い
 本章で労働者のモデルとした武将は、いずれも桶狭間の戦いがその人生に大きな影響をもたらした者たちである。
 前田利家は、若い頃から信長の小姓として仕え、長じてからは信長の命を各軍に伝える母衣衆として活躍した。しかし、桶狭間の戦いの直前、信長の近くに仕える同朋衆の拾阿弥を斬り捨てたことから信長の勘気を蒙り、浪人となる。その後、信長が桶狭間の戦いに出陣すると、これに勝手に加わり、そこで武功を立てたことから信長の下への帰参を許されたと言われている。その後の利家が織田家北陸方面軍団長・柴田勝家の下で戦功を挙げ、信長死後は自らの恩人・勝家と自らの友人・羽柴秀吉との間の対立の間に立って苦しむものの、最終的には秀吉に仕え、五大老として豊臣政権での重きを為し、加賀百万石の祖となった(そして本郷に広大な敷地を後世の大学生たちのために残した)ことは有名であろう。なお、利家が拾阿弥を斬り捨てた当時、利家の妻まつは12歳であったが、そのことが利家と拾阿弥との争いに何らかの影響を与えていたのか否かは不明である。
 佐久間盛重は、信長の重臣・佐久間信盛と親戚関係にあったといわれているが、細かな事実は分かっていない(生年も不明である)。桶狭間の戦いの折には、尾張の防衛最前線とでも言うべき丸根砦の守備を担ったが、この砦を攻めた松平元康(後の徳川家康)の猛攻撃を受け、そのまま討ち死にした。
 梁田政綱はもともと尾張の土豪であったと言われるが、桶狭間の戦いの少し前から信長の下に仕えていた。桶狭間の戦いの折には、今川義元の一行が桶狭間で休憩していることをいち早く信長に伝えたとされ、戦後の信長は、今川義元に一番槍をつけた服部小平太や義元の首級を挙げた毛利新介を差し置いて政綱を最大の戦功者として賞した。信長が「情報」の価値を重要視していた証として、今でもよく語られるエピソードの一つである。

※画像は『太閤立志伝后

Posted by koganei_hyogo at 22:31│Comments(1)TrackBack(0)
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この記事へのコメント
( ´∀`)
Posted by はりぐん at 2010年07月29日 19:35