どうやって俺は死ぬのだろうか?
このまま動けずに衰弱していくのか?
死をただ、ぼんやりと感じながら、やわやわとそれに向かっていくだけなのか?
タイムリミットと言っていた。
とすれば、その時間になった時に何らかの一発であの世行きってことなのか?
残された時間はあとどのくらいだ?
その前に・・・出来る事なら。

コイツを一発、殴りたい。






『どうぞ』と出されたコーヒーはサイフォンで淹れられたもので、薫の口に非常に良く合った。
「うっまい・・・。」
「一応、こだわってますから。」
ニコリと笑ってカウンターの中に戻った亨は手を洗いながら薫の素直な感想に嬉しそうだった。
「置いてかれちゃったみたいですけど、良いんですか?」
二杯分淹れたので、自分用のカップにそれを注いでちょっと一息、というところだろう。
亘からの連絡で一緒に行こうとした薫だったが、『キミはここで待機していてください』とにべもなく断られて、仕方なくここに居る事になる。
「別に、大丈夫でしょ。俺が居なくてもあの人、何とかなって来てみたいですし。・・・俺が居た時だって勝手にどっか行っちゃってた人だから。甲斐さんも・・・そうだったんじゃないですか?」
「・・・ですよね〜。・・・それと、その甲斐さんっていうの、止めてもらえませんか?あと敬語も。カイトって呼んでください。皆さんもそう呼んでくれてたんで。」
右京に関しては亨も十分すぎるほど知っている。
昔を思い出しながら、灯の一つを眺めた。
強烈過ぎる光が思いもかけず広い範囲を照らし、様々なものに影響を与えている。
真っ黒な長い影をつくるもの、半透明なグラスの色を透過して他の光を作り出しカウンターテーブルに彩りを添えるもの、逆に反射して挑む金属製のタンブラー。
「亀山さんはどうして警察を辞めたんですか?」
突然聞かれ、薫は顔を上げた。
少し気になっていたことだった。
明るく笑う目の前の彼と右京が再会した時、互いに緊張していたのか?
10年ぶりの薫との再会を果たした今朝の様子は、いつもの・・・薫が知っている右京と何ら変わりはなかった。
あの言い知れぬ、一瞬だけ流れた不穏な空気は何だったのか?
「何も聞いたことない・・・とか?」
「いえ、聞いたことありますし、知ってます。」
質問した割には答えを知っている亨に、肩透かしを食らう。
「じゃあ、質問した意味ねぇじゃねぇか。」
「っていうか・・・俺が聞く限りでは、亀山さんって警察官らしい警察官だったんだろうなぁって印象で。そして、警察官であることに誇りを持っていたんだろうなと。・・・なのにどうしてそれを捨ててまで海外に行ったのかって思って。」
「誰から聞いて?俺の事。」
背凭れの低いカウンターチェアーに半分だけ腰掛けていた薫は、しっかりと深く座り直し、コーヒーカップを両手で触れながらテーブルだけを見つめる。
「勿論、杉下さん、ですよ。後は芹沢さんとか。」
「・・・だけ?」
徐に顔を上げて亨の視線を捕らえた。
捕らえられた方は、逸らすことはせずにその言葉の意味を汲んで苦笑いを零す。
「御想像にお任せします。」
「・・・どうせロクな事言ってねぇんだろうな・・・あの唐変木は・・・。」
諦めの表情で舌打ちまでしながら薫の口調は苦々しげだ。
その様子があまりにも【らしくて】、ついに亨は吹き出してしまう。
「え、俺、そんな可笑しい事言ったっけ・・・?」
「す、すみません、つい・・・。」
それでも止められないようで、後ろを向いて顔を整えてみたがまだ、笑いが止まらない。
「だって・・・ホントに想像通りって言うか・・・怒られるかもしれないですけど、似てるって言うか・・・そっくりで。」
「帰ってきていっちばんヤナ事聞いた気がする・・・。」
「褒めてるんですよ、俺としては。」
亨はやっと爆笑を引っ込めて、それでも微笑むことだけは止められず、物凄い嫌面をかましている薫を観察していた。
「褒められてる気には一切なれねぇっつの・・・!」
「きっと同じ【正義感】を持ってる人なんだろうなって思ってました。だから対立も反発も喧嘩もするけど、ここぞって時は阿吽の呼吸で行動できる。全幅の信頼を寄せてないと絶対に出来ない事を一切の打ち合わせなしに出来る2人だったって・・・これは芹沢さんと三浦さんが。」
『あいつら・・・』呟きながら、少しだけ冷めたコーヒーを飲み干した。
「・・・【正義】を教えたい、そう言ってらっしゃった、と伺ってます。」
亨の言葉に最後の一口をゴクン・・・と音を立てて飲み込んだ。
静かにカップを置くと、ふ、と軽く息を漏らす。
「警察官としての誇りも正義も持ってた・・・ずっとこの仕事を続けていくもんだと・・・思ってた。右京さんと、他の連中と・・・。でも・・・昔、親友が、2人、死んだ。2人とも・・・殺された。勿論、その事件は俺達が解決したし犯人も逮捕された。でも・・・それだけじゃ本当の【解決】にはならない。犯人の逮捕が終わりじゃない。残された方の身としては、永遠に解決する話じゃないんだ。その事に気付かされて・・・。本当の【正義感】って何処にあるのか、何から始めないといけないのか。考えた時、【正義】って言葉が当たり前になるように、それがヒトとして持つべき根本的な心になるように・・・微力でも俺が・・・教えてあげることが出来るのならばと。」
「それが、海外の・・・親友の方が活動してらっしゃったサルウィン・・・?」
「ああ。ただ・・・今思えば、場所は何処でも良かったのかもしれない。あの時、あの場所で親友の心意気を引き継ぎたいと、そう思ったのは単なるきっかけで場所がサルウィンだったというだけで。俺の思う【正義】が全て正しいなんて思っちゃいない。誰にもそれぞれに【正義】の心は持っている。警察官じゃなくても、どんな人にでも。・・・でも、右京さんの【正義】って・・・たまに・・・怖くなかったっすか?あの人の【正義】は本当に正しくて強い、真っ直ぐで曇り無き真っ白な【正義】。下手をすればこの世の中で一番冷たく温情の欠片も無い絶対的な【正義】。俺は・・・時々怖かったし、俺のは・・・これとは違う、と思った。」
忘れていた振りをしていた声が急に思い出される。
もうこの世にはいない、あの男の声が。
物腰柔らかな、静かで低い、そして果てしなく暗い。
右京とは対極の位置に居た全ての元凶で勝ち逃げするように慌ててこの世を去っていったあの人の声で、あの時の台詞が薫の中に蘇る。
否定することも出来ず、ましてや肯定することも。
【杉下の正義は暴走するよ】
目の前の彼が、この言葉を知る筈はないのだが・・・その表情は、何故か知る由もない言葉を理解しているかのように薫には見えた。
「俺は・・・杉下さんに香港で出会って・・・特命係に呼ばれました。初めてだったそうです、杉下さんが自分で指名した人間は。特命係は陸の孤島、杉下右京は人材の墓場、そう言われてるってのを知ったのは、後になってからの話で・・・所轄で頑張って強行班係になって・・・自分の力で、自分の実力で本庁に上がる、その予定だったから・・・親父の手は借りない。勿論、親父が俺に手を差し伸べてくれるなんて絶対有り得ませんでしたし、寧ろ、特命係に配属されて好都合とも思っていたんじゃないでしょうか?・・・どちらかと言えば、出来損ないの俺が、親父と同じ建物の中に居るなんてこと自体、あの人にとっては許せない状況だったでしょう。・・・ああ、すみません、俺の親父、警察の上の人間なんです。甲斐峯秋。現在は・・・警察庁官房付・・・俺の所為で、降格されたままじゃないのかな?」
「俺の・・・所為?」
不思議そうに尋ねる薫だったが、はっとして手を慌てて振る。
「ああ、良い、良い。話したくなければ別に。」
「大丈夫ですよ。こうして、もう、杉下さんにも再会できたし、俺の中では絶対に消しちゃいけない背負うべき過去だから。・・・それに・・・亀山さんには・・・話しておかないといけない事じゃないかなって・・・何で俺が警察を辞めたと思います?」
右京や亨の様子、今までの話ぶりから察するに、あまり楽しい話ではないことぐらい分かる。
亨本来が持っているのであろう明るく笑うその姿から。
口にするのは憚られた。
が、言い澱んでいる薫の前で、亨は実にサラリと言ってのけた。
「俺、杉下さんに逮捕されたんです。」
「・・・あ、その・・・悪ぃ。」
想像通り、すぐさま思ったが、同時にそれを口にさせてしまった事を薫は後悔していた。
「何で謝るんですか?俺が勝手に言い出したんですよ。2年間、法では裁けない腐った連中に制裁を与えるなんて、今思えばちっともカッコ良くなんかないですよね。でも・・・親友を救うにはこれしか方法を思いつくことが出来なかったんです。最初は親友の為、そのうち・・・俺の中で埋まらなかった何かを満たす為・・・人間って間違った方向であっても褒められると嬉しくなっちゃうんですよね。勝手にこれは【正義】の為だって思ってきちゃって。杉下さんに逮捕されて、親父に殴られて、悦子・・・彼女まで泣かせて、捜一のお二方や米沢さんに馬鹿野郎って言われて、初めて周りを見ることが出来ました。本当は俺は沢山の人たちに守られてきたんだって気が付くことが出来ました。その時にはもう、時既に遅しだったんですけど。俺、本当にバカだから、大事なことに気付くのがいつも遅すぎるんですよね。もう、戻ることが出来ないところまで来てしまってからやっと分かる。」
亨の視線が薫から外れ、カウンターテーブルで長く伸びたままの真っ黒な影を追いかけていた。
強烈な白い明るい一直線の光、そこに潜み始めた影。
対を成すそれは恐らく・・・特命係の、右京の横に立つ人間のポジションかそれとも?
「本物のバカだったら、きっと今でもその事に気付かずに世間を憎んで嫉んで恨んで生きてるだろうさ。・・・今追ってるヤマの・・・この男のように。」
右京から預かった吉武の写真を指先で突き、その顔を隠す様にひっくり返した。
「・・・そうでしょうか?」
「・・・そうじゃなかったら、神戸さんもカイトを右京さんに今、紹介しないだろうし、右京さんも・・・事件の詳細を教えてもくれないんじゃないか?・・・更に、何かを頼むだなんてこともあり得ない。」
断言できるのは、知り尽くしている彼だからこそ。
慰みでも気休めでもない。
「・・・そう、だと良いな・・・なんて・・・おっと・・・。」
亨の手元でスマートフォンが持ち主を呼んだ。
一瞬、それを確認し満足してそのまま後ろのポケットに突っ込んだ。
「俺達も行動開始ですね。杉下さんの話を聞いてさっき、知り合いに連絡をしておいたんです。これだけではないでしょうけど、吉武の情報源の一つが分かりそうです。行きましょう、亀山さん。」




・・・続