ごそり、と寝返りを打った途端に肩か背中か腰か。
ゴリゴリバキバキと有り得ない悲鳴を上げた気がして、目を開いた。





うっすら見えるこの風景の中には。
パソコン?
違う、ビール缶?
それも無い。
真っ暗?いや、それも違う。
一瞬、どこにいるのか混乱した。
くんっと匂った自分の体臭。
着の身着のまま、ベッドに転がって。
「あー・・・やっちまった・・・。」
ムォッと動いただけで立ち上る臭気で、『やらかした』と確信し、勘弁してくれとゴロリと仰向けになり自然と左手で差し込む朝日を避けていた。
完全に煎餅状態と化した羽毛布団は背中で辛うじて多少のクッションの役割を果たしている。
腰の付近が冷えているのは、体勢を変えた時に、スラックスからはみ出して、堂々と中の地肌が見えているからだろう。
空いた右手でシャツを詰め込みながら小さく『あーあ・・・。』と自身に呆れた。
部屋の鍵を閉めて、靴を脱いでそれから先。
切り取られたように記憶がない。
だからと言って、それに対して不安に思うことは無い。
何故なら。
それが事件解決後の伊丹の日常だから。



山積みにされた新聞の一面、その下の方に中ぐらいの大きさで報じられている事件発生の記事。
昨夜まさに解散した帳場の事件だった。
どれだけ帰って来てなかったのか。
ベッドに改めて座り、ようやくネクタイを緩めて、明後日の方向に飛び回ってる髪をぐしゃっとかき上げて。
「・・・解決したヤマにゃ興味ねぇ。」
こんな記事より自分の方が事件を知っている。
読む気を一切無くして、ゴミ箱の横に不在分の新聞を放り出した。
だから、世俗に疎くなる。
そんなことには一切気付くこともない。
多分これから先も。
「何時だ?今・・・っ!」
ざぁああああっと頭の中の血が波の飛沫を上げる盛大な音量の様に下に落ちていった。
昨夜気絶した自分を心の底から殴りたい。
殴って風呂入れと叩き起こしたい。
出来ることなら。
クリーニングのビニールに入ったままのシャツ、後はネクタイとスーツ・・・は、これでオッケー、と何がオッケーなのか伊丹の中だけで取った許可に勝手に納得し、漫画のような慌てぶりで風呂場に駆け込んだ。



最終的に。
今日が【非番】と思い出したのは、ネクタイを最後に引き締めた瞬間だった。
「あー・・・やっちまった・・・。」
起床後1時間内で2回目。
新聞の日付だけでも見ればよかった。
そうすれば思い出した・・・かもしれない。
断言できないのは、伊丹の日付の感覚が仕事関係では完璧である自信はあるものの、自分の通常生活において無頓着であることを自覚しているのが主な理由だった。
しかも、思い出したのが日付ではなく、昨夜後輩からの一言が過ったからだ。
『間違っても先輩に連絡しませんから。』
そこからの連想ゲームで気付いた。
「ハッキリ言えよ、馬鹿野郎。」
忘れていた事実は完全に棚に上げて、怒りの矛先は明日朝の彼に向けられる。
無駄に早く起きてしまい、無駄に準備まで整えてしまった伊丹の長くなりそうな休日をこれからどうするべきか。
暇を潰す趣味があれば一番良いのは分かっている。
とはいえ。
そんなものを始める時間も続ける時間も無いし、第一思い付かない。
コーヒーでも飲むかとテーブルに置き去りにされたインスタントコーヒーの瓶には確かに中身が三分の一ほど残っていた。
テコでも動かない籠城犯よろしく塊になっていたが。
仕方ない牛乳でも・・・と冷蔵庫を開けてはみるも、これも開封済みのパックが注ぎ口を完全に変色させている。
「・・・あー・・・やっちまった・・・。」
残念極まりない、とはまさにこの事。
牛乳を流し、塊のコーヒーに水を注ぎながら箸で中身を壊す姿を第三者目線で伊丹自身想像しつつ。
一瞬だけ、何をやってるのかと自嘲気味に溢す。
開けっ放しになっていた冷蔵庫の中は、まるで引っ越ししたばかり買い物に行ったことの無い空白のままで。
時々自動製氷の騒音が、目の前の流水音の隙間を縫って閉じた上の扉から聞こえるのがなんともシュールだ。
「暇は良いが、非番はだから大っ嫌ぇなんだよ。」
『だから』の内容を敢えて考えることはしない方が精神衛生上よろしい。
手は動かしながら何か無いかと視線だけで物色し、見つかったのは卵一個だけ、これも何時のかは・・・。
「一週間前のか。」
6個入りパックを買って、茹でて焼いて酒のツマミにして寝た、翌日の朝に事件で出ていったきり。
食い過ぎで多少胸焼けしたから、流石に覚えていた。
残された一個をどう食べるべきなのか、そんなこと伊丹は考えない。
実際、つい今しがたまで悩み始めそうになっていた残念ぶりも既に頭から離れていた。
忘れるじゃなく、伊丹にとってどうでも良い事を考えるのは性に合わない。
だから、洗い終えた瓶をひっくり返し、とりあえず卵を茶碗に割り入れて眺める。
「焼くか。」
フライパンを探す為に動いたその時、携帯電話が鳴り響いた。
発信元を見ずにボタンを押し耳に当てても何も聞こえない。
「はい、伊丹。」
こちらに対して反応は無い代わりに、遠くで声が聞こえて、それがこの世で一番腹立つ男の声だと分かり、一瞬にして眉間の皺がごりっと深くなる。
『・・・あ?休み?・・・良かったっすねぇ、うるせぇヤツが居なくて。』
「誰がうるせぇだと?!コラ!テメェ!」
ポケットの中で何かの弾みにかかったらしい通信は、切れそうに無い。
「・・・んのぉ!」
陥没するのでは無いかと思われる力で電話を切ったのと、別口でかかってきたのは数秒の差だった。
「はい!伊丹!・・・現場どこですか!?」
シャワーも準備も無駄にはならなかった。
直接現場に行けば、彼等も居る筈だ。
その彼等の中には、先程の間違い電話の男は含まれていて欲しくはない。
含まれているのを分かってはいても、だ。
「・・・っあ・・・!」
靴を履きかけて、茶碗の中のモノを思い出す。
「・・・あー・・・ったく。」
一歩戻って、長い腕が伸び鷲掴みにした。
傾けた茶碗の縁からツルンと黄身が口の中に入る。
そのまま一飲みにして、流し台に置いた。



「勝手に触んじゃねぇぞ、あいつら・・・!」
ここからすぐ近くのテレビ局が現場らしい。
朝の生放送中の出来事、らしいがテレビもつけなかった彼には、概要が掴めていない。
そこに行って後輩に聞けば良いだろう。
何はともあれ。
非番じゃなくなった、イコール時間をもて余す苦痛から解放されたというのは、今の伊丹にとって内心ホッとしているのも、事実だった。





good morning・・・?