調理師夫婦(コンビ)のブログ

雑誌「宝島」の編集をやったり、フリーライターをやったり、 飲食業をやってたりしている人とその奥さんのブログです。

「結婚している人だけ入れる村」

いい歳なので若い人から「結婚っていいもんですか?」とか聞かれたりする。

せっかくだから役に立つことを言ってやろうと考えるんだが、やはり実感としてあるのは、私から見える「日本の社会」には、どうやら真ん中へんに「結婚してる人だけ入れる村」があるらしいことだ。

この村には会社にせよ政治にせよあらゆる意思決定機関や特権が密集していているんだが「進撃の巨人」の世界観のように高い塀で囲まれていて外界と遮断されている。独身だと下手すりゃ存在にさえ気付かない。
ただし結婚さえしていればあっさり入れる。逆に結婚というパスを持たずに入るには個々人に合った高い資質をそれぞれの場所で発揮せねばならず、普通は結婚が一番簡単でポピュラーな入村方法なので、結果的に「結婚している人だけが入れる村」の体を成している。

このことは学校では教えてくれないし、またマスコミはむしろ「そんな(ともすれば差別的な)ものはない」と言う前提で話すけれど、どうやらそういうことになっているらしい。絶対ではないけど男が仕事する上ではとても有利だからチャンスがあるなら結婚はしといた方がいいみたいだよ、というのが私のアドバイス。

実際私の場合、結婚してから妙に仕事がしやすくなった気がする。私のようなロクデナシだと若いうちは筆舌を尽くしても得難かった「信頼」みたいなものが、この頃はわりと苦もなく得られるようになった気がするのは、単に老化とセットで付いてきた貫禄みたいなものだけではあるまい。
別に仕事の仕方を結婚の前後で変えたつもりはないのに。そして職を転々としてきたこんなオッサン、いくつになっても怪しいだろ普通。

最近はその村の中のさらに中枢に「結婚していて子供のいる人村」まであることがわかり(というか自分に子供ができてはじめて気付いた)、そういうことはもっと10代ぐらいのうちに教えてほしかったとさえ思うことも。

政治家が選挙戦で奥さんや子供を壇上に上げるのもたぶんこれと関係がある。政治的手腕と家庭の事情は関係ない、それはわかっているのだが、家族と手を握り合う姿には訴えかけるものがないか? たぶんそこにある集合的無意識みたいなものが「村」を生み出す源泉だ。
もちろん安易に結婚している=優秀といった話ではないしその逆の例はいくらでもあるんだが。

こんな風に感じているもんで、ここ数年注目したいと思っているのが、明らかにそれまでなかった働き方である、Youtuber。
端的にいえばヒカキンみたいな有名どころのYoutuberが結婚したあとどうなるかということ。

聞くところによると若くしてすごい大金を稼いでいるというが「10年後はどうなってるかわからない」的な言説もよく目にする。彼らが慎ましい家庭を築き「子育てチャンネル」なんかもやりながら相変わらずゲームの実況やったり、新製品いじってバカ騒ぎしたりされたら、もしかすると一生今のままのカンジで、個人としてもっとも稼げる仕事になるかも。そうしたらますます私の仮説が確信に変わっていく気がするんですわ。

飛蚊症

晴れわたった日、
眺めのいいところで青空を眺めると、
私の場合、景色云々よりも視界にところ狭しと浮遊する
微生物のようなモヤモヤが目につきます・・・。

いわゆる飛蚊症かと思うんですが、
子供の頃からあったものの、ここ数年、年々酷くなっており、
空を見上げるや、なにやら「インディペンデンスデイ」チックな
宇宙から大軍勢が攻めて来ているかのようですらあります。

で、ひさしぶりに目医者に行くことがあったので、
飛蚊症のチェックのための予約を入れてきました。

目医者にかぎらず、お医者さんって大変な仕事だなと痛感。
ビデオカメラとか映像機器が「なんか映りが悪いなぁ」ってんで
修理するとき「出力された映像」を見ないで直せます?

目医者さんって、自分ではどう見えているかわからない
患者の視界を外側からのアプローチや患者(素人)の感想だけで
治そうってんですから、そりゃ大変だなぁと。

飛蚊症のチェックだって、
アレは目玉の中の話なので、
薬で瞳孔をマックスまで広げて、外から覗くんだそうな。

そんなんでわかるの? というのが素人の疑問。

ただ副作用だけはわかっていて、
チェックを受けると半日くらい瞳孔が開きっぱなしになるんだそうな。

瞳孔開きっぱなしおじさん・・・

面白いからそのまま仕事行ってやろうとか、
電車に乗って人に席を譲ったり、積極的に介助に参加してやろうとか
思わないでもないんだが、
1日休みの日に予約しました・・・。

サングラス持って行きます。

娘が1歳になりました

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娘が1歳になった。

父親として過ごした1年でそりゃもう大変だったんだが、
わりと冷静に自分の中の変化には注意を払って観察していた。

世間では「男親は自分の腹を痛めないから、
親としての自覚に目覚めるまでに時間がかかる」
なんて言われる。

これってそんなに変なことだろうか。
子供が生まれるなり、滂沱の涙とともに愛情MAX、娘LOVE!
ってそう単純な父親は多くはないだろう。

目まぐるしく変化する娘の成長と時間の経過で、
自分の中にいろいろな感情が生まれて変化してきた。

「愛情」と呼べば実に陳腐な言葉だが、
文字通り「愛」と「情」でできているのが本来の「愛情」だ。

もともと愛は情ではなく、情もまた愛ではなかった。
どうしてもアメリカ的キリスト教的「愛」の概念の影響下にある現代のわれわれには
なかなか上手い置き所が見つからないが、
「愛」もやっかいなのに加え、
日本人にとってそれとも異なる「情」もまた、
格別にやっかいな物件だ。

自分のこの1年でいえば、
まずは新生児、ガッツ石松状態のうちは、
いろいろな感情が渦巻いて混乱状態だった。

それが落ち着いて「赤ん坊」になってからは、
「我が子だから」より「赤ちゃんだから」可愛いという感覚が強かったように思う。

子犬も可愛い、子猫も可愛い、人間の赤ちゃんも可愛い、そんな脊髄反射的な感覚に近い。

すぐにキリンプロ(子役プロダクション)に連絡せねば! 的な気分もあったのがこの時期だ。

それが半年も過ぎると、娘の姿は急激に「私と妻のあいのこ」以外に何者でもない状態になってきた。

もちろんハーフでもないし、美人オーラがあるでなし。
良し悪し含めた個性が出て来る。臭いうんこもする。

こうなってくると「我が子だから」の成分が強くなってきた。
自ら顧みてなおくんば、千万人ともいえども我行かん、
他人がどう思おうが、自分が愛おしいと思う娘だから、
どんな手を使ってでも、どんな屈辱に耐えてでも、大切に育てたい。

こういうといい父親っぽいが、ようは毎日会いたい、
毎日笑顔が見たいという自分本位な思いだ。
なぜって? 他の誰にも頼れない自分の娘だからだ。

子供が親に殺される事件を見ると本当に胸が痛むが、
正直、生まれてしばらくの間、
もう知性のない動物のように気まぐれに泣きわめく様を見るとイライラした。
命を奪わないまでも、暴力に訴えたくなる心境と、
実は自分が地続きであるのを感じた。

どんなに愛情に溢れた家庭に見えても、互いに感情は起伏を繰り返しており、
危ない場面もきっとある。それは他人事ではない。

それが「我が子だから」の境地に至っては、
娘のギャン泣きも楽しめるようになった。
少し安心できる「踊り場」のようなところまでたどり着けた気がする。

実は、娘同様に家族である犬との出会い、家族になっていく過程も
性質は違えどこれに似ている気がする。

ただ、おそらくここから先待っているのは、
「となりのトトロ」のメイ的な面倒臭さではないだろうか。
犬とは違い、娘はいずれ言葉を獲得し、言わんでいいことを言い、
もうすでに立ってるんだが、さらに背も伸びてやらんでいいことをするだろう。

来年の今頃は自分がどんなことを言ってるのか、それは楽しみだったり不安だったり。
しまむらさん?
「宝島」の編集にはじまり、フリーライターやったり、ベンチャーやったり、お店やったり、田舎暮らしやったりとオムニバス形式の人生をやってる(ないし人生にやられてる)人のブログです。
現在は銀座スープカレー屋さんを経てイベント運営・製作をしています。調理師・食生活アドバイザー、書き物仕事もご相談いただけます。
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