2009年08月25日

なぜか・・・

老師「弱さは力に勝り、優しさは力を征服する。荒れ狂う海をなだめる、穏やかなそよ風になるようにつとめねば」


かくして潜り込んだアダルト業界だったのだが、ここでしょっぱなから運命が分かれる。
僕は面接で、SMに興味があり、ぜひ御社のSM専門誌に入りたいと、結構ワンパターンに希望を述べていたはずだったのだが・・・なぜか。
本当に全然理由も事情も分からないのだったが、なぜか僕はSM雑誌に配属されなかった。
採用されたのは僕ともう一人、同い年くらいの青年がいて、なぜか彼がSMの担当部署?の席に座らされていたのだ。
僕はというと・・・これが配属不明・・・。
どうも、来月からスタートする新雑誌の担当らしいのだが、まだコンセプト等ほとんど決まっていないらしく、当分はもっぱら所属無しの雑用遊撃要員?
校正、行数計算、テープお越し、グラビア用セッティング、もろもろの買出し、その他・・・・。
とにかく朝行って、その日頼まれたことを黙々とこなす毎日。
これはこれで初めて体験する仕事ばかりだったので、それなりの楽しさと充実感は覚えられたものの、やはり当初の希望たるSM雑誌への想いは、なかなか消え去らず・・・。
上の階で行われているはずのSMグラビア撮影の様子を一人こっそり妄想してみては、いささかの忸怩たる想い・・・。
何とも奇妙な心境だった。
この不可思議なる我が運命に、どのような意味が待っているのか?
僕はとにかく、その第一歩から異端というか、傍流というか、道を外れて生きさせられた。
それが運命。
それがずっと、僕の道であったろうか・・・。

kohe000 at 13:20|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 雑誌編集者 | アダルト業界

2009年08月24日

SMなら・・

僧「真実の価値とは、何ですか?」
老師「人間を、己の存在に結びつけることだ」
僧「難しくて、私には分かりません」
老師「真実というものは、口で語れるものではない。言葉の外に存在するのだ」
僧「でも私達は常に真実を、語らなければならないのではないのですか?」
老師「人の語ることはすべて、一部は嘘であり、一部は真実だ。語る人間が完全でなければ、語る言葉もそのすべてが、完全ではありえない」


そもそも部活を終え、大学に居場所がなくなった時、僕は自分に問うた。
お前は一体、これから何をやりたいのか?
答えはなかった。
映画監督とか、作家とか、酔夢的?な希望だけはあったものの、具体的な就職となると、さっぱり要領をえなかった。
根本的に、ガキの発想から抜け出せないヤツ・・・。
そこでさらにこう考えてみた。
お前は今、何に一番興味があるのか?
答えはすぐに出てきた。
SM。
中学二年で団鬼六に魅せられたる者としての、10年以上も絶えないSM願望。
ではそこに近づくためには、どういう手段、いや職業が存在しているか?
僕は臆病だった。
SM関係のショーだのクラブだの、そういう妖しげな興業系には、どうにも足が進まなかった。
SMのAVなんて、まだまだ裏の裏の世界!そう認識していた。
そこで選択したのがSM雑誌の編集者。
けれどここに至っても僕はなお、まったくの世間知らずの幼稚野郎であって、仮にも一般バイト誌に堂々求人広告を出している出版社でさえ、危険なヤバイ会社ではないか、とひどく怯えこんでしまっていた。
結果、面接に向かった日の僕のイデタチときたら・・・。
鞄とポケットの中には護身用の果物ナイフ、財布は強奪?防止のため持参せず、紙幣は靴下の中へ・・・。
大馬鹿もいいところだった。
訪ねた会社は当たり前に普通の出版社であって、強面の兄さんも、酩酊したオヤジも、挙動不審なヤク中?も、見かけることはなかった。
そしてわずか15分ほどの面接時間。
僕は採用された。
あっさりすぎるほど、何の肩書きも特技も、それこそ覚悟も諦念もなく、僕は己が生涯を奉げる?エロ業界の一員に成れてしまった。
理由は簡単。
僕が経済誌の編集を一月ばかりやっていた?から。つまり一応経験者と見なされてもらったから。
幸運だった。
丁度、データマンのバイトを辞めた直後に、僕はSM雑誌を出している、かねてから見知った出版社の求人広告を目にすることが出来たのだから。
あと一月ずれていたら、僕はバイト誌など開かなかったろうし、当然面接を受けるチャンスにも巡り合えなかったろうし。
そもそも経済誌のバイトだって、最初はSM誌の出版社に問い合わせ、今は特に求人はしていないから、と断られたので、とりあえずやってみただけのことだったのだ。
僕は入るべくして、アダルト系の出版社に入った?
偶然を超えた巡り合わせの末、SM雑誌の編集者になった?
やはり運命、というヤツだろうか・・・。
僕はまだ24歳、いやすでに24歳。
こうして僕は、エロ業界の門を、わけも分からないまま、くぐることと相成ったのだ。


kohe000 at 12:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 雑誌編集者 | アダルト業界

2009年08月22日

個室

僧「真の目的もなく、命を投げ捨てることは、間違っている」
坑夫「ここで死ぬよりはマシかもしれんよ」
僧「死にはしない。苦しくても、それに耐え抜けば、道は開ける」
坑夫「俺達みんな、あの山の呪いで死んだ坑夫のように、一人一人順に死んでいくんだ」
僧「人の生死を決めるのは、そんな迷信ではない。それは運命だ」
坑夫「・・・」
僧「迷信に屈することは、不幸な運命を、自分から作り出すことに他ならない」


翌月、僕はまた情報誌からバイト先を見つけた。
今度は芸能関係の編集プロダクション。
ところが配属されたのは、ある視聴率調査の会社。
僕はまったくのデータマンにされてしまった。
「三年は辛抱してくれよ」
編プロの社長はそう言っていたらしいが、なるほどこれが世間というヤツかと、僕は一応?勉強になった。
本当に三年経ったら希望する雑誌の編集をやらせてくれるのかどうか、何の確証もないままに、毎日黙々と数字や活字に向かっている外注扱いの同僚たち。
昨今の派遣差別みたいなものは全然なく、僕が鈍感だったのか、まだまだバブル前のノンビリな世であったのか、とにかく職場の雰囲気は可もなく不可もなく・・・つまりどうにもこうにも退屈な仕事でしかなかった次第で・・・。
僕は二日で飽きた。
別にサボったりはしなかったが、ほぼ一、二時間ごとに襲ってくる猛烈な睡魔には、どうにも耐え難い思いを抱え込んでいた。
そんな時、僕はトイレに直行する。
フラフラにさえなりかかる頭を何とか支えて一人、個室で鈍重なる体を回復させる。
仮眠していたわけではない。
携帯電話もまだ普及していなかったから、気を紛らわすものなんて、全然ない。
僕はただただ時間をやり過ごしていたのだ。
慌しいオフィスビルにあいて、唯一の静寂と安穏を吸引出来る、貴重な個人タイム?に隠れ潜んでいたのだ。
一体自分はこんなところで何をしているのか、これから何をしようとこんな所で時間を潰しているのか・・・。
三年なんてとても待てなかった。
それ以上に、やはり会社だのビジネス社会だのの、無味乾燥的な空気が、根っからの偏屈自閉人?である僕には、耐えられる代物ではなかった。
結局ここも一月で辞めてしまった。
確か日給四千円ちょっと・・・。
よくまあ、生活していたものだ。





kohe000 at 12:15|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 仕事 | 二十代

2009年08月21日

経済?

老師「闇雲な戦い方では、か弱い娘にも負けるぞ」
僧(少年時代)「申し訳ありません、先生」
老師「自分を責めることはない・・・何を怒っておる?」
僧「自分自身です」
老師「その理由は?」
僧「臆病だから、です」
老師「おお、なぜそう思った?」
僧「昨日、友達と市場へ行って、五人の巨漢に襲われました。私は怖くて何も出来ませんでした」
老師「少年二人に、巨漢が五人だ。どうすべきであった?」
僧「友達を助けるべきでした」
老師「それは英雄的な行為だ」
僧「やはり私は臆病ですか?」
老師「臆病とは、弱点をかばう知恵。勇気とは、長所を生かす知恵」
僧「・・・」
老師「人の中には、臆病者と英雄が共存する。臆病者と英雄を分けても、意味はない。人はそのどちらにも成り得るのだ」


新入生歓迎イベントが終わり、5月の連休が過ぎてから、ようやく僕は新しいバイト探しを始めた。
どのみち最初から社員として雇ってもらえるアテなど全然ない。
頼みはアルバイトニュース、そしてフロムA。
僕は編集者のバイトをとにかく探した。
文芸科なんてところにいたというだけの、まったくいい加減なる選択だった。
編集者とかなら、どうにかやれそう・・・確信などなかった。他に何の技術も資格もない身には、あてずっぽう以外の何ものでもなかった。
なぜ、映画やテレビ関係の製作スタッフみたいなバイトを求めなかったのか?
よく分からない。
結局、集団作業の猥雑な?匂いに、やはりどこか敬遠せずにはいられないものがあったのか・・・。
それ以上に、当時の僕はすでに作家志望だった。
だからその準備としては雑誌の編集者あたりが一番適当ではないか、単純にそう思ってしまったわけだ。
そしてこんな僕でもすんなり雇ってくれたのが、ある経済誌。
ほとんどミニコミ誌レベルだったが、どういうわけか経済なんてものとはおよそ無縁な経歴の僕を、たった一度の面接で採用してくれた。
高齢の社長と、その奥さんと、若い編集者の・・・たった三人の会社。
僕はひと月で辞めてしまった。
編集者としての仕事ウンヌン以前に・・・やはり経済なんてガラでは、完璧になかった。
それでも最初のバイト代だけは、ちゃっかりもらって・・・確か日給五千円。
AV男優でも、最低一日でもらえる・・・貴重な五千円だ。

kohe000 at 12:59|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 仕事 | 二十代

2009年08月20日

童心

家政婦「何が望みなの?」
僧「私が受け継ぐべきもの。私の根。それが欲しいのです」
家政婦「何ももらえやしないわよ。いつまでそう(座禅)やってる気なの?食べ物も無し、水も無しで。旦那はあんたを死なせる気よ」
僧「構いません」


12月に屈辱の追い出しコンパを受け、年が明けての最初の部活の活動は、実質春の合宿だ。
僕は何と、それに参加したいがために、それも現役時代と同じ長髪頭で出たいがためだけに、まともなバイトも探さず、新幹線の清掃員を飽きもせず、続けていた。
合宿どころか、春の新入生歓迎イベントまでも・・・。
僕はイカれていた。
ほとんど病的?な、新米OBだった。
そこまでして、部活に関わり続けた理由といえば・・・責任感などではない。
ただただ、チャンバラをしていたかっただけだ。
もっともっと、現役の頃よりずっと自由に好き勝手に、殺陣を堪能していたかっただけなのだ。
そのために髪もザンバラのままで、という馬鹿馬鹿しいこだわり。
まったく、どうかしていた。
単なる趣味や道楽を超えた、呆れ返った趣味道だった。
僕みたいに部活にしつこく参加し続けたOBは過去にも何人かはいる。
しかしそのほとんどは、やはり後輩への心配であり、指導であり、親心の延長から来る健全な?ものだった。
しかし僕だけは違っていた。
もちろん後輩の指導はしたし、様々な相談やら揉め事やらにも親身に取り組んでやったつもりは充分あったが・・・やはり一番の目当ては自分がOBの特権でもって、好きにチャンバラをやらせてもらうことだった。
そのために普段から体も鍛え始めた。
現役の頃より、むしろ積極的に、計画的に、殺陣技術向上を真摯に自分へ課すようにさえなっていた。
僕の頭には、ちゃんとした就職も、将来の生活設計も、社会人としてのマトモな責任感も・・・まるでありはしなかった。
僕は23にもなって、まだまだ遊んでいたのだ。
いや、あたかもイジメで失っていた十代を取り戻そうとするかのように、僕は夢中でチャンバラという遊び場に全身全霊で戯れていた。
遅れてきた童心、とでも呼べばいいのだろうか?
僕は後悔してない。
誰ひとり理解などしてくれないだろうが、僕は僕だけの無邪気な蒼いひたむきさを、決して悔いてなどはいない。

kohe000 at 10:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 殺陣 | 二十代

2009年08月19日

ルンペン?

高僧「何を悲しむのだ?」
僧「(盲目の)先生のことを・・・」
高僧「なぜ?」
僧「雲も、水面の陽光も見られないからです。鳥の羽も・・」
高僧「目が心を曇らせることもある」
僧「どのように?」
高僧「上辺だけ見ても仕方がない。羽の色だけが鳥だろうか?」
僧「違います」
高僧「自然と一体になれば、鳥も太陽も雲も知ることが出来る。光を失ったからといって、失うものはない」


悪夢の追い出しコンパを終えて、僕にはやることがなくなった。
大学は予定?どおり、辞めてしまったし、それ以前に自分勝手な勉強もどきを適当にこなしていただけの、すでにマトモな学生などではなかった。
周囲は当たり前のムードで就職活動・・・。
それとても、友人の一人もいなかった僕には何の情報も噂も入ってこず、部活の現役でなくなった時点で、僕はまったく何の変転もなしに、完璧なる無職無能の無名人に流れ果てていた。
当時はまだニートだのプータローなどという言葉はなく、時代遅れに言うなら、ルンペン?三無主義?挫折派?
しかし当の僕には、悲壮感など少しもなかった。
鈍感というか、浮世離れしていたというか、とにかく入学時から卒業&就職なんて常識コースを自ら拒否したドロップアウト気取りの者としては、今さらジタバタする気もハナからあるはずもなく、当面はただただ部活の続きを楽しみたい、という、ほとんど出鱈目な趣味人を気取って、年末から春にかけて、御気楽なバイト生活に身をやつしていた。
もっぱらのバイト先は東京駅での新幹線の清掃員。
年中仕事があって、いつ行っても働けるという、僕みたいな気まぐれなる怠け者には、好都合の単純肉体労働だった。
冬場、寒いホームでずっと待って、いざ到着した折り返し発車の新幹線に乗り込んでの慌しい作業は、たちまちの汗だくものだったが、旅行姿の親子連れも、背広でキメたサラリーマンも、いちゃいちゃモードの同年代カップルも・・・僕は全然気にすることなく、まるで空気かホコリでも見ているかのように、ただ黙々と仕事していた。
プロ意識なんてカッコいいものではない。
無関心で、無気力で、要は・・・若さが無かっただけだ。
23歳にして、僕は老生に近いような、孤独と無事に憧れる、どうしようもない枯れた野郎だったのだ。
部活での散々な蹉跌のせい?
そんなことではなかった。
僕は元から、そんな生命力も向上心も欲望すらひどく薄い、剥落の異端だったのだ。



kohe000 at 13:39|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 孤独 | 二十代

2009年08月17日

人間以下

僧「ある人間が、自ら自分のことを人間以下だと思えば、他の人もそう思うでしょう。その人は、人間以下の扱いしか受けられません。ある人間が他の人間を、人間以下に扱えば、その報いは必ずいつか、その人自身の身に跳ね返ってくるんです」


学祭が終わってしばらく経つと、さすがの僕も肩の力が抜けた。
指導部引継ぎといった最後の仕事もあるにはあるにせよ、実質的にはもう後輩達の時代になったわけで、僕はいい意味での距離を置いて、部活の残りをそれなりに楽しんで過ごすことが出来た。
戦い終わった喪失感であるか、徒労を超えた脱力感でもあったか・・・。
だが、僕にはやはり穏やかな時間は似合わなかった。
またしても、という以上の、いや想像もつかなかった地獄の見舞いが、最後の最後に僕を飲み込むべく、腐食の口を開けて待ち受けていた。
それは追い出しコンパ、つまりよりにもよって現役最後の日の宴だ。
毎年、四年生を後輩達が送り出す通称追い出しコンパは、当然大学のある地元の町で行われる。
今年も無論・・・と思っていたのが、どういう理由か、池袋という繁華街での居酒屋で行われると後輩から聞かされた。
奇妙な思いのまま、当日の夜、指定された大手チェーン店の居酒屋を訪ねてみると、これが究極の最低最悪!!
ただっ広い宴会場を薄い板で縦に仕切っただけの詰め込み商売。
当然、前後左右より他の宴会グループからの阿鼻叫喚の嬌声が、これでもかとばかり、怒涛の垂れ流し。
うるさいなんてもんじゃない。
騒がしいなんてレベルじゃない。
最後のコンパという厳粛さなど、微塵もあったものではない。
僕に限らず、人それぞれの思い入れに個人差はあろうとも、追い出しコンパとなればどんな四年生であっても、感極まる思いを抱いて真摯な気分に浸るのが、恒例の宴モード。
それがこともあろうに、こんな猥雑で下品とさえ言えるドンチャン騒ぎの真っ只中で行おうとするなんて・・・一体後輩達は何を考えているんだ?
こんな出鱈目な馬鹿騒ぎの中で、どうやって苦節の四年間に落とし前?をつけろというのか?
極めつけはラストの四年生一人ずつによる挨拶。
これが最後の、本当に現役として最後の後輩への言葉なのだ。
毎年、四年生が様々な人間性を垣間見せながら、無上の思いを後輩達に吐露する最高の神聖?な儀式であるはずなのだ。
それなのに・・・ああ、よりにもよって・・・僕の代に限って・・・。
予約した時間がもうオーバーしたという理由で店の従業員が後輩達をせっついている。
後輩は必死でなだめてコンパを継続させようとはしているが、土台そんな風にいくはずもない。
酔ったOBが指をクルクル回して「巻き、巻き」と無神経にポーズしている。
例年なら、特に部長の挨拶なら、あらゆる思いを込めて長く濃いスピーチをじっくりと聞かせる極上の瞬間のはずだ。
それが僕の時、そう本当に僕の時にだけに限って、こんなドタバタした乱れまくった状態で、無理やり押し付けられてしまったのだ。
僕は何をしゃべったか、一言も覚えていない。
誰に向かって、後輩もOBも、そこの誰を前に語りかけようとしたかなんて、カケラも記憶していない。
むしろ叫びだしたかった!
何だ?この宴会は?!何なんだ?この最低にひどい追い出しコンパは?!!
本当に後輩達をもうこの上ないくらいに罵倒して、ありったけの罵詈雑言を叩きつけて、吐き棄てて、こんな腐りきった宴会場を出て行きたかった?全ての後輩、先輩を敵に回しても、それくらいの報復は当たり前に思うほど、僕は限界ギリギリの憤激と憎悪を全身で暴れだす寸前に押さえていた。
もちろん、僕は何もしなかった。
微笑を浮かべて後輩達をねぎらい、先輩達に頭を下げて、短い嘘八百のデマカセでその地獄の宴を締めくくった。
後はもう・・・宴会場を追い出された一行は、近くの公園で校歌と会歌を合唱して何とか終了。
例年とは違った趣向?にOB達はそれなりに楽しんだだろう。
とにかく終えられたというだけで、後輩達はテキトーに緩い気分を味わっていただろう。
でも僕は・・・しかし僕は・・・。
どいつもこいつも所詮、他人事だと思いやがって!!
二次会なんて放棄したかった。
しかしやっぱり参加してしまったが、そこでも誰と何を話したか、少しも覚えているはずもなかった。
そう、こんな宴会、こんな前代未聞の追い出しコンパ!たとえ20年以上経とうと、僕には煮えくり返る怒りと怨念しか残っていない。
一体誰が仕掛けたことなんだ?
後輩の誰が、誰かが・・・いや皆だ。結局、全員だ。
地元の店がどこも予約で一杯だから、あそこでいいよ、どこでもいいよ、テキトーでいいよ、どうせあんな先輩・・・。
僕は一生許さない。
誰に何と言われようと許しはしない。
時が解決してくれるなどと、まったくの他人のたわ言だ。
年々憎悪はつのった。
毎年、今度は後輩達の追い出しコンパにOBとして参加するたびに、僕は独り絶望的な憤りにほとんど気が狂いそうになる思いだった。
翌年からまたずっと会場は地元の居酒屋。
時間的に融通も効くから、終わりを急かされることもないし、何より静かでじっくりと最後の時間を楽しむことができる。
四年生達の最後の挨拶も思う存分たっぷりと・・・。
特に僕の時の新部長だった(だからこいつがあの最低の会場を選んだわけだ)Yが、これみよがしに?長い長い、本当にうんざりするほど長ったらしい挨拶を存分に堪能しているのを見せ付けられた時など・・・。
ハラワタが煮えくり返る思いだった。
そんな好き勝手に挨拶しやがって・・・俺の時は巻きが入るわ、周囲は雑音まみれのどん底状態だったのに・・・。
僕は決して奴らを許さない。
どんな恨まれようと、そしられようと、僕はあの時の奴らの仕打ちを断固として受け入れてやらない!
僕は、人間以下の扱いを受けたと思っている。
間違いなく、あの時の僕は人間として認めてもらえず、ゴミのように片付けられただけ、と確信している。
最後の最後が、まさにこれだった。
結局僕の四年間なんて、こんな程度のことでしかなかった。
奴らは、ひとでなしだ。
僕にとっては、どうしても許すことなど出来ない、最凶の鬼畜だ。
僕が見た、地獄の宴。
死ぬまでこれ以上の屈辱は味あわないだろう。
奴らが一人でも生きている限り、僕は責めさいなむことをやめはしないだろう。
僕が先に地獄に堕ちようとも・・・・奴らも道連れだ・・・。
人間以下に扱われた者の恨み、絶対のイジメを浴びせられた者の恥辱・・・誰に分かる?一体誰に分かる?!!!



kohe000 at 13:03|PermalinkComments(0)TrackBack(0) いじめ | 大学時代

2009年08月16日

13人・・・

坑夫「(息も絶え絶えに)どうすれば・・どうすれば・・」
僧「私を信じますか?」
坑夫「ああ・・信じる・・」
僧「本当に私を信じるなら、(この地獄から)助けてあげられます」
坑夫「・・・あ・・ああ・・」
僧「あなたは今、牢獄にいるのではない・・・牢獄は、あなたの中にある・・・」


13人。
これだけだ。
学祭参加者全員が13人。
四年生から一年生までで13人。
たったこの13人ぽっちが、僕の築いてきた"歴史"だった。
四年生になって、やっと好き放題に伸ばした長髪での夏合宿、そして学祭稽古。
もう誰にも口は出させなかった。
去年のような、大学内での地位を笠に着る横暴野郎の存在などは最初から無視してかかった。
僕のスカした態度をさすがに敬遠したのか、それとも向こうは向こうで徹底無視を決め込んだのか、軽薄OBのOも今年は何も口は出さなかった。
僕は他のOBもほとんど眼中に入れなかった。
去年、土壇場で追い詰められた僕を誰一人助けてくれなかったものを、今更何だ!と憮然の態度を隠すことなく、稽古を進めた。
後輩にも好き勝手はさせなかった。
俺の公演だと、開き直って、容赦なく指示を出し、一切の独断に迷いはなかった。
どうせ13人。
やっぱり13人・・・。
例年なら一年生だけでこれくらいの人数はいる(僕が一年生の時は全員で30人以上)。
ひとつの立ち回りで、軽く7、8人の絡みを使って、見栄えのいい殺陣を豪華に披露することが出来る。
それがたったの13人。
よりにもよって最低の13人・・・。
僕の年だけ。
僕の代だけ。
僕が入部して以来、新入部員が減り続けた。
あれほど過去には揃っていた頭数が、これでもか、とばかり毎年減少した。
あげくは、どん底の13人。
本来ならクビにしておかしくないアホ面のお調子男子を二人もやむなく残留させての、やっとの13人。
わびしかった。
悔しかった。
やりきれなかった。
もっと、少なくとも例年並に集まっていれば、色々工夫を凝らした舞台がやれたのに。
本当に自分の夢に描いた理想の、いやせめてもの憧れだった思いの殺陣を、四年目にして遂に実現出来たはずだったのに・・・。
俺のせいか?
俺がそんなに駄目なリーダーだったせいか?
でもそれなら去年は、一昨年は、一年生の時は・・・。
先輩になった途端ずっとこうだった。
人が離れる。
人が裏切る。
人にナめられる。
人に邪魔される。
そして僕はもうこんな人間になっていた。
人を寄せ付けない。
人を信じない。
人を憎む。
人を・・・人を・・・・。
たったの13人。
僕は公演を終えた。
客席からのどんな歓声も拍手も、僕は空々しい思いで拒絶していた。否定していた。
僕は圧殺されたから。
僕は全てに、憤怒していたから・・・。

kohe000 at 10:27|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 運命 | 大学時代

2009年08月15日

長髪

坑夫「俺は世界中の人間のために、乾杯したもんだ。全人類の健康と幸福を祝ってな。だが、どういうわけか、世間は冷たくってな、俺のことなんて誰ひとり、気にしちゃくれなかった。今の俺は、人を祝福するどころじゃないよ。一杯の水さえないんだ」
僧「なにも持っていない時こそ、人間は自分自身を高めることが出来る」


高校までの僕は優等生?だった。
頭髪、服装、持ち物検査等で、一度も引っかかることのない、模範生?だった。
それが大学に入るや、いきなり長髪族になった。
服装も持ち物も貧乏臭いだけのノーセンスだったのに、髪型だけがアウトローを気取った。
無論、時代遅れのヒッピーだのアングラだのにかぶれたわけではない。
まず部活の先輩に、ひとり長髪の人がいた。
そして長州力という、長髪のプロレスラーをテレビで知った。
この二人がやけにカッコ良く見えたからだ。
殺陣にしろ、プロレスにしろ、肉体を酷使する人間に長髪がいるということが、何より新鮮で意外な発見だった。
しかし考えてみれば殺陣とは時代劇の一部なのであり、武士であれ浪人であれ渡世人であれ、ザンバラ髪は宿命的なヘアスタイル。
プロレスにしても本場はアメリカであり、肉体ショーとしての派手さと芸能性を考えるなら、ロングヘアでのアピールもプロとしては当然の個性発揮。
まあ理屈はともかく、僕はハタチ過ぎてから長髪に目覚めた。
誰に支持されることも、ろくな歓声も受けるはずもなかったけれども、それ以降、僕はかたくなに自分だけのヘアスタイルにこだわり続けた。
公演のためや、就職等の理由で一時的に短くしたことは何度かあったものの、すぐにそのまま伸ばし放題。
多少、オールバックやらワンレン気味やらに試してみたことはあったものの、結局はミュージシャンやアーティストとかの主義主張、あるいは単なるナルシズム、営業的アピール等とは、根本的に異なるザンバラ志向は、飽きることも知らずに営々実々。
結果、20年以上経った現在は、自他共に放任まがいの落武者カット?である。
長州力に始まったプロレスヒーローは、今や究極の長髪怪人ジ・アンダーティカー。
誰もそんなことは知らない。
僕がどうしてここまで長い髪に自分を託すのか、誰ひとり尋ねも、しない。


kohe000 at 12:45|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 肉体 | 大学時代

2009年08月14日

監督

坑夫「お前、寒さを感じないのか?」
僧「感じます」
坑夫「それでもそうやって座っているのか?」
僧「はい」
坑夫「お前、一体どういう人間なんだ?」
僧「他の人と変わりはありません」
坑夫「ふん、そんなこと信じると思うのか?お前ひとりで、大勢の見張りを片っ端から投げ飛ばした。あれだけの腕を持ってる人間は見たことはない。あれは清国で習ったのか?」
僧「ええ・・・他のもっと大切なことと一緒に」
坑夫「どんなことだ?」
僧「世の中の、すべての人の命を尊ぶことです」


翌月、性懲りもなく、僕は二回目のエキストラバイトに参加した。
やはり「時代劇スペシャル」で、川谷拓三&せんだみつお主演による「ザ・ヤジキタ」。
今度は昼間のロケが中心だったし、撮影自体もスムーズで、寒さや待ちに苦労させられることはあまりなかった。
それより何より、いきなり一人三役である。
祭りに集まる町人、旅の行商人、そして勤皇の志士。
祭り場は、まあ適当に騒いでいればそれでよかったが、勤皇の志士はちょっとした宴会シーンであり、よりにもよって隊長みたいな大男の俳優氏に酒を注いだり、アドリブ芝居が多くてまいった。
そして夕刻の宿場セットでの短い歩きシーン。
まず同じエキストラでも、旅籠の女中役である若い女優さんたちの熱心な芝居ぶりには感心した。
皆、やけに背が高いうえに美人揃い。
今だ実質童貞であった僕がドギマギしているところへ「お泊りですか?」とかの呼び込み台詞を次々かけられて、あたふたボソボソ・・・。
ところが二回目のわずかな余裕か生意気か、僕はひょいと近くに監督さんが一人で立っているのを見かけるや、よせばいいのに質問なんぞをかましてしまった。
「あのぅ・・・僕、どんな風に歩いたらいいんでしょうか?」
その質問自体は本当に迷ってのことではあったが、こんな阿呆で初歩的なことをわざわざ監督に尋ねるとは・・・助監督さんか先輩に訊くあたりが常識の、今となっては赤面ものだったのだが、その答えは、あにはからんや。
「じゃあ、君はあっちからこっちへ、こんな風に歩いて行って・・・」
何とその監督さん、こんな学生バイト丸出しの若造に、面倒くさそうな顔ひとつ見せることなく、親切適切なる演出をちゃんと指導して下さったのだ。
僕は感動した。
このわずか数秒の体験だけで、僕はプロというもの、仕事というもの、映画作りというものの素晴らしさと立派さを学び取ることが出来たのだった。
その監督は、牧口雄二監督。
かつて日本で最もガラの悪いと評判?だった東映京都撮影所で実に15年もの助監督修行をなさった苦労人。
監督作品はほとんどが低予算のポルノ、残酷物系であるにも関わらず、現場では実に温厚な方であり、メガホン片手に怒鳴りまくるなんてステレオタイプの活動屋とはまったく異質。
そもそも本番スタートの声にしてからが「よーい、スタート!!」の絶叫ではなく「よーい・・・はい!」の静かで確かな切れ味。
されど撮影途中、テレビという過酷なスケジュールのゆえか、シナリオ片手に次から次へと「このカットなし、このカットもなし」と、そんなに予定のカットを省略してつながるのかしらん、とこちらが驚くほどのプロフェッショナルな仕事師ぶりには頭が下がった。
どんな世界にも、どんな人が待っているかわからない。
僕は生まれて初めて仕事上で認められたような励ましを受けたと感じた。
放送された「ザ・ヤジキタ」では、オープニングの祭りのシーンを含め、実に10カット近く、小粒ほどながら自分の姿を確認出来た。
僕が男優として映像の中へ紛れ込めた、それは番外的なる記念碑のカケラであった。



kohe000 at 12:33|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 映画 | 大学時代

2009年08月13日

エキストラ

男「なぜ口をきかん?頭が空っぽだと思われるぞ」
僧「沈黙は言葉に勝る。黙るべきだ」


スーツアクター以外にも、やはり後輩の頃、テレビのエキストラのバイトに駆り出されたことがある。
最初が三浦友和と梅宮辰夫主演の「時代劇スペシャル」。
狐の面を被って二人を襲撃する妖しい一団の一人だったのだが、まずはその待ち時間の長いこと長いこと。
「まあ、昼の三時頃には終わる」とか先輩は言ってたのに、夕方になっても全然出番なし(集合は朝7時)。
二月の一番寒い時期である。
それも当時生田という東京郊外にあった野外オープンスタジオでのロケである。
こちとらは薄い半纏に短いパッチ(スパッツ?)、裸足に雪駄という格好。
寒いなんてもんじゃない!
凍えるなんてどころじゃない!
控え室はあるにはあるが、狭いプレハブ造りで、ほとんど混んだ電車状態。
オマケに生涯初のカツラとやらが、もう頭を強烈に締め付けてきやがること、言語道断!
こんな有様で待つこと数十時間?真夜中にようやく出番となるも、ものの数十分でまた待機という地獄?の繰り返し・・・。
もう全身冷え切って、固まりきって、ようやく終了解放されたのは翌日の午前9時前後・・・。
撮影というのは、こんなにも大変なものか、と呆然自失するゆとりもないままの酷寒体験極まれり、だった。


kohe000 at 16:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 殺陣 | 大学時代

2009年08月12日

役者

僧「先生、この世に限りのないものがあるのでしょうか?」
老師「太陽がある。月がある。そして命がある」
僧「しかし彼の命は終わりました。私よりもなお若いのに、泣いてくれる娘も、後を継ぐ息子もいません」
老師「木の葉は木によって美しく茂る。しかし葉が落ちる時、木は悲しみに震える」
僧「過去のつながりのことですか?」
老師「現在は過去に根を張っているのだ。人は根によって養分を吸い、力を得るのだ」
僧「私は・・・根のない木と同じです」


大学時代、僕は何度か役者をやった。
最初は今でいうスーツアクター。
数年前から、OBの紹介で合宿等の資金稼ぎのために、男子部員総出で、遊園地でのアトラクションを毎年行っていた。
出し物はいわゆる宇宙刑事物。
もちろん僕ら後輩は黒装束の戦闘員であり、先輩たちに奇声を発して、やられに?かかるわけだ。
連休中などに合宿して出演した。
自炊ではなかったとはいえ、夜は当然酒宴となる先輩たちとの数日は、楽しみよりも疲れる方が勝っていた。
けれどショーそのものは、常に満員である子供の観客の反応がやはり嬉しく、拍手喝采を浴びた時など、ただのエキストラとはいえ、演者としての興奮を覚えたものである。
先輩がモロに出番を忘れて舞台上でひとり固まってしまったり、同輩が調子にのってヒーローの顔へまともにキックを見舞ってしまったり・・・アクシデントも、それなりであり、先輩も普段の稽古とは違ってリラックスして割り切ってくれるから、生き物たる舞台の魅力なるものを多少、覗ける貴重な体験だった次第で・・・。
しかしだからといって、僕は役者や演劇に目覚めたわけでも、将来の才能?を予感していたわけではない。
覆面をしていたから動けたとも言えるし、端役だったから、そこそこの緊張で済んだとも言えようし。
僕は元々、演じることの悦びや陶酔感というものを敬遠していたのかもしれない。
それはやはり、大勢よりも、注視されるよりも、囲まれてしまうよりも、独りを、自由を、そして無為無風を、自然と希求する天性の弱虫だったからではないのだろうか・・・。
だが、自分が先輩となって主役のヒーローを演じる時期がやがて来たら一体どうなるか?
不安と期待?をヨソに、その伝統のバイトは、僕が二年生になるや、あっさり消滅してしまった。
事情なんて、聞いていない。

kohe000 at 10:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 殺陣 | 大学時代

2009年08月11日

体力

老師「これを学ぶ目的は、内なる力を鍛えることだ。力には、二種類の力がある。外なる力は、要するに体力だ。体力は年をとれば衰え、病いにも勝てない。内なる力は、これを"気(ち)"と称える。"気(ち)"は誰のなかにもある。これを真に鍛え上げるには、厳しい修行が必要だ。ひとたびこれを己のものとすれば、暑さ寒さをも超越出来る。年をとっても衰えることなく、持続するのだ」


部活を初めて何より自分でも驚いたのは、己の体力である。
高校までは完璧な運動オンチ。
スタミナはないし、不器用だし、走っては女の子にも抜かれるし。
ろくに泳げないわ、球技なんていつも格好な罵倒の的で。
中学の頃、剣道と柔道をかじらされたが、体力以上に気力が最初から萎縮していて問題外・・・。
こんなモヤシ野郎が、週に四日、炎天下での三時間ぶっ続けの気合入れまくり稽古に、ほとんど休まず参加していたのだ。
一年生の時に休んだのは、自分で自分の目尻に木剣を当てて流血した時くらい・・・その時の傷はまだかすかに残っている。
二年生では、授業で週三回になったものの皆勤。
三、四年の指導部員となれば、もちろん無休。
とにかく風邪で休んだことも、怪我に悩まされたこともない、充分な健康体を手に入れてしまっていたのだ。
後輩の時は一瞬も気を抜けないシゴキモードだったし、罵声だけでなく時には蹴られはたかれ、木剣でケツバットまがいの気合入れまであって。
一年の前期の頃は、足袋も履かせてもらえなかったから、足指の皮はいつもボロボロ。
絡み(斬られ役)は、芯(斬る役)より腰を落とせ!が鉄則だったから、稽古中はほとんどグラグラのしびれ状態。
斬られれば、コンクリートの上でバッタリだし、男子は前転やら、カエル(地面と出来るだけ平行に跳ねて、うつ伏せに体全体で着地)なんてのもこなさなくてはならないから、肩や腰や腕はアザと生傷だらけ。
どうしてこんなハードで過激な運動?に耐えられたのか、今もって不思議でならない。
後年、OBになってから、現役たちのあまりの怪我や病気の多さに呆れたものだった。
それも目立ったのが、腕の腱鞘炎、足首のひねり、腰痛・・・。
僕はとにかく一度も痛まなかった。
いや、僕の同期も、その前後の先後輩陣にしたって、そんな頻繁な故障で、休んでいる者なんて、滅多にいなかったが・・・。
十代の頃、あれだけスポーツ嫌いだった僕が、どうしてそこまで豹変出来たのか?
殺陣だったから、としか言いようもない。
肉体表現という、それまで体験したこともない領域による不可知な力、が働いたとでも考える他、説明がつかない。
結局、僕という人間に、殺陣が合っていた、ということなのだろう。
叫んで、わめいて、暴れまわって、最後に爆死する?
そんな世界が、僕の肉体を支える力の礎に適っていたのだろう。
それが後年、AVにつながるのかどうか、そこまでは考えたこともあまりない。
殺陣は、僕にとって、生ではあっても、性ではない部分だから。
同じ絶叫と、狂気に身を投げる肉体表現であろうと、僕の中でそれは、人間力の両輪なのだ、と信じたいから。





kohe000 at 13:09|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 殺陣 | 大学時代

2009年08月09日

害虫

僧「先生、力にはどう対処したら、いいのですか?」
師範「勝つことより、我々は平和と静けさを重んじる。従って方法はひとつ、極めて単純なことだ」
僧「それは何ですか?」
師範「"逃げる"、それだけだ。自然の法則を理解すれば、力によって傷付けられることはない。正面からぶつかっては、いけない。避けるのだ。力をせき止める必要はない。別の方向に向ければいい。相手が何であれ、破壊するよりも、保つ方法を学べ。食い止めるより、むしろ避けるのだ。傷付けるより、食い止めるだけに。傷付けても、カ〇ワにしないように。カ〇ワにしても、殺してはいけない。命はすべて、貴重なものだ。何ものにも、代えることの、出来ないものだ」

三年生の時、一人の一年生野郎がいた。
そいつは入部して二、三回稽古に出ただけで、すぐに連絡もとらずに姿を消してしまった。
夏の合宿にも参加せず、まあそういう幽霊部員は少なくなかったし、ほっとけば自然退会してしまうものだから気にもしていなかったが、学祭公演の稽古期間中、ひょっこり現れ、また部活に入れてほしいと、ヌケヌケ言いやがった。
学祭という晴れ舞台が近づくや、おいしいとこ取りのようにカムバック?してきたそいつを僕は即刻退部させるべし、と主張した。
だが、奴はまんまと参加を許され、それどころか持ち前のコミカルな存在感によって、公演ではちょっとした人気者に成り上がった。
なぜ奴は生き延びられたのか?
一重に男子部員が足らなかったからだ。
何しろ一年生はたった一人しか男子が残っておらず、二年(例の口先反抗グループ)はゼロ・・・これでは立ち回りにおける絡み(斬られ役)が足らなさ過ぎて、公演が成立しがたかったからだ。
つまり、そいつはこちらの弱みに付け込んだわけだ。
そのまま堂々と二年生にもなり、相変わらず出たり入ったりを繰り返しつつも、やはり一年生部員のあまりの少なさに便乗して、シャアシャアと現役の座を確保していた。
部長として今度こそ、僕は奴をクビにしてやりたかった。
だが、結局のところ、僕も自分の立ち回りにおける絡みを一人でも維持しておきたいばっかりに・・・奴を放し飼い的に残しておくより仕方がなかった。
情けなき妥協と弱さだった。
そのくせ奴は同期からも、先輩からも、後輩からまで、とにかく女子に可愛がられた。
モテる立場を利用して、奴は部活内に公然と存在を主張し、遂には僕に批判的な態度さえチラチラさせるような、のぼせ上がりを謳歌し始めていた・・・・。
Mというそいつは、現在後輩だった女子の支援でもって、ある殺陣団体の"家元"に収まりかえっている。
あの時首にしてあけば・・・いや、通常なら当然退部させられて当たり前の不良部員であったというのに・・・。
世の中には運のいいヤツが必ず、いる。
悪運だけで世間に権勢を誇示して、傲慢にのさばっている害虫がいる。
Mを切るべきだった。
僕は所詮、そんな程度のリーダーだった。

kohe000 at 14:15|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 運命 | 大学時代