2009年07月22日

悪に漬かって・・・

僧「私に悪を為す者を私が懲らしめれば、二度としなくなるかもしれません」
老師「懲らしめなければ、どうなるかな?」
僧「好きなことをしていいのだと、思うでしょう」
老師「そうだな、だが、もうひとつ。悪に報いるには、すなわち善をもってす。その心も教えるのだ」


青天の霹靂だった。
大袈裟ではなく、僕にとっては生活も、人生観も、一変しそうな現実だった。
あれほど順調と思われていた後輩との信頼関係。
それが当事者から一方的にズタズタにされるとは・・・それも、ありえない傲慢な反逆として宣言されるとは・・・。
僕は心底動揺した。
そのため焦り、はやったあげく、同輩との関係すら、ギクシャクさせてしまった。
僕は同輩との団結をアピールした。
最後まで頑張ることを皆で誓い合ってほしかった。
けれど賛同者は、一人もなし・・・。
みんな、冷ややかだった。
いや、たかが部活くらいで、大仰な僕の要求に、恐らくは辟易しているようだった。
しかし僕は同輩からまで裏切られたと感じてしまった。
指導の立場になるにあたって、さらに同輩は欠けていき、僕はますます孤立を意識してしまった。
後輩たちは案の定、思うようには動かない。
あからさまな反抗的態度ではないにしても、四年生と比べて、明らかに侮蔑を込めたような醒めた応対・・・。
おまけに新入部員も入らなかった。
例年なら10人は下らないはずなのに、その年から急に、わずか6人そこそこだった。
稽古から活気が消えた。
何せ指導する先輩ばかり10人以上もいて、後輩はせいぜい3、4人・・・。
僕はますます焦った。
毎日が苛立ちと、喪失感と・・・自己否定への戦い、いや見苦しいあがき、でしかなかった。
こんな部活になるわけがなかった。
こんな先輩になろうなんて思わなかった。
厳しい稽古を耐え抜いて、やっと辿り着いた栄光?の座が、こんなみじめで、やりきれない廃土だったなんて・・・信じられるものではなかった!
僕は後輩を憎んだ。
裏切り者の後輩たちを憎悪し、傍観者でしかない同輩たちを見限っていた。
こんな僕に、何の希望が、いかなる人間らしさが、あったろうか・・・。




kohe000 at 12:30|PermalinkComments(2)TrackBack(0)裏切り | 大学時代

2009年07月21日

宣告

僧「先生・・」
老師「何だ?」
僧「いつ首を斬られるのですか?」
老師「もうお前から奪うものはない」
僧「でも先生、私は・・・何も失っていません」
老師「お前には分からんのか?」
僧「(奪われた)巻物は返ってきました」
老師「疑いを知らぬお前の無邪気さは、二度とは戻らんだろう・・・」


しかし僕は迂闊だったのだろうか。
まったく呑気な怠慢人間だったのだろうか。
あっという間に二年生は過ぎようとしていた。
いよいよ部活においては、主軸の先輩として、後輩への指導を任される立場に立とうとしていた。
が、そんな矢先の予想もつかない内部分裂?・・・・
元々僕の代は、はかないものだった。
同期は男女合わせて17人もいたというのに、一年の終わりには8人に減っていた。
しかも10人いた男子が、たったの3人に・・・。
そしてほとんど残っていた女子の一人が、ある時先輩に噛み付いた。
よりにもよって、年間の締めくくりとなる学祭の舞台終了後、一年生への三年生(指導部)の扱いが不当だとして、記念撮影や打ち上げやらを一人でボイコットしてしまった。
同期の女子は泣いた。
一年生は逆に事態を把握しきれずにキョトンとしていた。
まったくもって、そいつの独りよがり、としか思えない勝手な行動だったのだ。
けれどそれまでの体育会系的な部活内部においては、ありえない反逆行為だった。
みんな、動揺した。
打ち上げの感動など、全然ない、シラけたムードだった。
僕は裏切られた想いだった。
後輩が可哀相、などとハネ上がった、完全なスタンドプレーにしか見えなかった。
そのくせ化粧は派手で、いつも毅然とした長身の美形だったせいか、一年生からの支持はかなりあった。
それどころか、三年の男子からさえ・・・いやそもそも四年の男子の一人とどうとかこうとか・・・・ろくなウワサしか耳に入らない・・・。
僕は、うんざりだった。
せっかくの僕の聖域を、高飛車女の気まぐれで汚されてしまった気分だった。
こんな無残な気持ちで、頑張ってきたたこの一年間を終了することになろうとは・・・。
だが、これだけではなかった。
むしろこんなものは、他愛ない序章にすぎなかった。
打ち上げ後の二次会で、一年生の一人が僕に言った。
「先輩たち、誰も頼りになりませんねぇ」
信頼し合ってると確信していた後輩からの、それはまさに"宣戦布告"、いや"死刑宣告"だった。

kohe000 at 13:19|PermalinkComments(0)TrackBack(0)裏切り | 大学時代

2009年07月20日

反逆のフィルム

老師「自分の世界をよおく見るのだ。この池の中には十二匹の魚がいて、十二の世界がある」
僧「池は、たったひとつです」
老師「違うな。お前が見るのと、わしが見るのと、それぞれ別の世界だ。お前の世界には未知のもの、楽しいものが溢れている。わしのは見慣れた、穏やかな世界だ。お前は、わしの世界を永久に見ることは出来ん」
僧「なぜ?」
老師「お前がわしの目でものを見、考えることが出来るか?」
僧「でも先生、私達は同じ宇宙に住んでいます」
老師「そうだ。しかしやはり違う。百万の生き物には、百万の世界がある。自分が宇宙の中心だと考えてはならんぞ。自分の考えを押し付けてはいかん。人それぞれ、見かた考え方が違う。それを尊重することが大切だ」


僕は大学時代、どんな映画を見たか。
ほとんど邦画だった。それも旧作ばかりだった。
黒澤明、溝口健二、小津安二郎・・・。
大映時代劇、日活アクション、そしてにっかつロマンポルノ、ピンク映画・・・。
だが最も影響を受けたのは、やはりATG映画、そして大島渚と若松孝二だった。
前衛、という言葉を初めて知った。
革命、という世界に初めて接した。
難解で、非商業的で、しかし鮮烈にまでにメッセージ性に溢れた独立映画群。
映画という娯楽からも、ここまで強靭な"思想"が発せられることに僕は興奮した。
その具体的な思想、歴史、意味、考察については、およそ未開のままだったものの、とにかく僕は、一種の感覚として、それらのアナーキーフィルムたちに心酔してしまった。
語る映画。
考えさせる映画。
総括の映画。
革命を叫ぶ映画。
反逆のフィルム・・・・。
それは政治と性と、告発の無限ワールド。
僕も闘うべきだと思った。
こんな僕でも、いや僕のような孤立した無名者こそ、映像のテロリストたらんと・・・僕は独りで浮かれていた。
ただ、それだけの、無為な若さだった。

kohe000 at 12:05|PermalinkComments(2)TrackBack(0)映画 | 大学時代

2009年07月19日

年間三百本

少年「よく平気で言えるねぇ!自分で自分を腰抜けだなんて。恥ずかしいと思わないの?」
老人「思わんな。自分を誤魔化しても、どうにもならんよ」


二年生の春、僕は一念発起した。
まったく突然に、この一年で映画を三百本見ようと決心した。
別段、理由なんてない。
ただ一年の時、大して見ていなかったことを今頃後悔し始めたのだ。
せっかく名画座だらけの東京にいるのに、それが半分は目的?で上京してきたのに、これまであまりに見なさすぎた。
そう急に思い立って、さっそく翌日から怒涛の映画館通いが始まるのだが、さて困った。その時点で、年間一番ヒマであるはずの春休みが終わってしまっていたのだ。
気づくのが遅かった?
それでも諦めることなく、連日情報誌片手の名画座巡り・・・。
いゃあ、よく見た。
平日の昼間は授業と部活で潰れる場合が多かったので、選んだ手段はもっぱらオールナイト。
金曜の夜4本、土曜の夜5本、そして日曜は二軒まわって5本から6本。
レンタルビデオ屋が雨後の竹の子の如く湧き出していた当時、僕はビデオデッキをまだ買える身分?ではなかった。
というより、映画はあくまで映画館、という一般的な良心がまだ十分残っていた映画ファンだった。
こうしてとにかく次々と見まくった。
部活もさらにキツく、授業でも課題創作なんかに忙しくしていたはずなのに、都内のあらゆる安映画館を徘徊しまわっていた。
これも、ひたむき、というやつだろうか。
僕はただそれだけしか能のない、やはり孤独癖のガキだったのだろうか・・・。

kohe000 at 14:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0)映画 | 大学時代

2009年07月18日

ひたむき

少年「ねぇ、どうして弓や馬のことにそんなに詳しいの?」
僧「馬も人も、同じ生き物だ。自然の恩恵を分かち合っている。ひとつのものだ」


僕は二年生になった。
初めて後輩ができた。
僕は嬉しく、毎晩のように飲みに連れて行った。
ほとんど奢ってやり、一晩で万札はたいたことまであった。
けれど惜しいなどと少しも思わなかった。
なぜだろう?
僕はただただ後輩という気軽に付き合えて、決してイジメられることもないと信じられる相手に夢中だったのだ。
そんな人間関係がひたすら有難くて、僕はカネも時間も惜しまなかったのだ。
無邪気といおうか、いい気になっていたと反省?しようか・・・。
しかし僕は純粋だった。
後輩は可愛く、僕はいい先輩であろうと、自分なりの努力を果たしているつもりだった。
僕の人生で、性や仕事やカネ絡み以外で、あんなひたむきだった時期があっただろうか・・・。
僕にとっては幸福、というヤツだった。
それを自覚する必要もない、充足の"つかの間"だった。

kohe000 at 14:32|PermalinkComments(0)TrackBack(0)運命 | 大学時代

2009年07月17日

無知の平穏?

少年「どうして暗闇の中で的が見えるの?」
僧「私の目を見て・・・(目をつぶったまま的を射抜く)」
少年「どうやってやるの?」
僧「やるのではない。自然に、"なる"んだ」
少年「自然って、どういうこと?」
僧「的に当てようとしなくても、当たるんだ」
少年「どうして?」
僧「的と矢と弓は、ひとつだ。別のものじゃない。同じものなんだ、ひとつの」
少年「へぇ・・・そうかな。よく分かんないけど」
僧「それでいいんだ」
少年「何がいいの?」
僧「こういうことは、理解したいと焦っては駄目だ。焦りが消えた時、おのずとわかる」


平穏な日々だった。
部活はきつく、ほとんど毎回地獄だったが、終わった後の飲み会には必ず参加した。
そこにはイジメもしごきもなく、先輩達は稽古中とはうってかわって、僕を迎えてくれた。
ただ飲んで話して時間を過ごすだけ。
けれどそんな平凡な交流こそ、僕には未知のものだった。
当たり前の歓談が、馴れ合いが、僕にとっては新鮮で、豊穣な時間だった。
帰ったらテレビを見るか、ゴロゴロしているだけ。
せっかく上京したというのに、有名な場所などほとんど訪ねようとはしない。
映画もあまり見なくなった。
バイトもしないのでカネがもったいなかったせいもあるが、何も出掛けなくても、僕は十分、この退屈?な日常に満足していた。
夏休み、一年生だけで島へ遊びに行ったことがある。
ある同輩はそこでカノジョを見つけた。
別の同級生は、先輩と付き合いだしていて、結局参加しなかった。
もちろん一年生同士のロマンスも多分、きっと・・・。
僕はまったく無関心だった。
他人の色恋沙汰にも、己が異性に対する好奇心にも。
こんなに自然極まる一種の"三無主義"?に、僕はどこからドップリ漬かるように成り果ててしまっていたのか?
わかるはずもない。
焦りも何も、それが僕だけの若さだったと、今も昔も自得するしかない・・・。

kohe000 at 11:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0)孤独 | 大学時代

2009年07月16日

卒業拒否

老人「30年ガンベルトをつけていても一度も使ったことはなかった。わしは腰抜けなんだ。犯人のことさえ怖くて(保安官に)言えなかった」
僧「あなただけじゃない」
老人「わしには何も出来ん。今までだって、何一つとしてやったことはない」
少年「誰も人を傷つけなかったんだから、それはそれで立派だよ」
老人「わしは駄目だよ、駄目な奴だ。何一つ、やろうとしなかった・・・」


大学に入って一番驚いたのは、必修科目があったことだ。
僕はとことん田舎者?だった。
大学とは、自分の好きな専門の勉強だけが出来るところだと、入学するまで信じきっていたのだ。
考えてみれば何の根拠もない。
けれど義務教育でなし、学部も完全に分かれているのだから、それが当然だと、思い込んでいた、何たる無知・・・。
そしてこんな僕を心底憤慨させたのが、体育と英語の授業。
まさか大学にまで来て体育なんかやらされるとは想像もしていなかった。
英語なんて、将来仕事に生かしたい学生だけが自由に学べばいいと、本気で判断していた。
そして僕はもう我慢していなかった。
横暴に耐えるのは、長いいじめられっこ時代で沢山の気分だった。
大学生にもなって単位欲しさに揃って体操なんて・・・恥辱だった。よって当然、一回出ただけで以後、完全に無視してしまった。
英語しかり、その他の何やら一般教養?しかり・・・。
結果は明白なことだった。
卒業拒否。
僕は一年生の初夏には、すでに決めてしまっていた。
こういう時だけ、浪人時代の独学と反逆の精神が、不遜な僕を後押ししてくれた。
馬鹿馬鹿しい、いきがり。
ガキのたわ言。
所詮は怠け者の逃げ口上・・・。
しかし僕は本気だった。
むしろいよいよ現実に対する孤独な戦いの開幕に、ひとり興奮していた。
あの頃、僕は何も出来なかった、にすぎない一匹の鼠だったろう。
何かが出来そうで、何でも出来そうな、凡庸たる無名の若造でしかなかったことだろう。
そんな自分が、愚かなほど懐かしい・・・。

kohe000 at 14:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0)反逆 | 大学時代

2009年07月15日

隠棲独居

少年「何してたの?また瞑想してたの?」
僧「無念無想。雑念を払って、こころを清めるんだ」
少年「で、それをやればどうなるの?」
僧「あらゆるものの、真の姿が見えてくる」
少年「ものの真の姿?」
僧「真実といってもいい。何ものにも囚われない心だけが、真実を見ることが出来る」


部活以外に何をしていたか・・・何もしていなかった。
バイトも勉強も、恋愛も、もちろん闘争なんてやらも・・・。
僕は籠もった。
ひきこもり、なんて言葉がまだ全然ない空虚?な時代に、僕は積極的に隠棲と独居に努めた。
80年代初頭。
学生運動なんて記録映画の中だった(一応は上映会なんか行われていたが)。
シラケは去った。
バブルはまだだった。
三無主義なんて、過去のものだった。
勝ち組志向?呑気なものだった。
つまり言葉にしようもない、無味乾燥の時代。
だからというわけでは、まるでなく、僕はもっぱら部屋の中だった。
出かけない。
誰とも会わない。
何もしない。
僕はその自由を満喫していた。
無為の供する安泰と静寂を存分に味わっていた。
やはりイジメのトラウマだ。
僕はまだまだ、そこからの解放的喜びに浸っていられずにはおれないリハビリ期間を送っていたのだ。
しんどい部活だけは絶えることなく・・・これが僕の大学生活だった。
僕はそういう生き方に、早くも達観していた。

kohe000 at 12:11|PermalinkComments(0)TrackBack(0)孤独 | 大学時代

2009年07月14日

こだわりの決心

僧「しかしそれは、君のような子供の仕事じゃない」
少年「子供じゃないよ。もう大人だよ」
僧「大人か」
少年「そうさ。銃だってもう立派に使えるんだ」
僧「銃を使える、それだけでその人間が大人になったと言えるだろうか」
少年「僕は腰抜けじゃないよ」


しかし部活は想像以上の厳しさだった。
稽古は週四回。
他の学部の同級生は、実習が多いせいか、ほとんどその半分くらいしか誰も参加出来ない。
僕だけが皆勤だった。
好むと好まざるに関わりなく、ヒマな学部に紛れ込んでしまった僕の大学生活は、ほとんど部活一色に染まってしまった。
一日約三時間のぶっとおし稽古。
それも外の固いコンクリートの上で、いつも裸足で。
声は出しっぱなし。
体は動きっぱなし。
こんなに絶叫し続けたのは生まれて初めて。
イジメ以外でこんなにドツかれまくったのも、もちろん初めて。
しごき、というヤツだ。
要するに文科系のクラブでありながら、完璧に体育会系のノリであったわけだ。
普段の挨拶からして、「ちわ!失礼します!」の世界(女子の先輩に対しても、だ)。
えらいところに来てしまったと思った。
とんでもないことに巻き込まれてしまったと・・・後悔している余裕さえなかった。
僕は休まなかった。
一人、一度も休むことなく、毎度ビクビク震えながら、部活支配?の学生生活に、ヘトヘトで邁進していた。
僕はまたしてもただの臆病ないじめられっ子だったのだろうか?
それは違う。
絶対にそれは違う。
僕は僕なりの、それは無意識のこだわり、そして運命に任せる生き様だったつもりなのだ。



kohe000 at 13:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0)殺陣 | 大学時代

2009年07月13日

殺陣

少年「その弓は親父にさえ引けないんだよ。すごい力持ちなんだね。それなら相手を一発で殺せるよ」
僧「人殺しのために弓は引かない」
少年「じゃあ、何のために引くの?」
僧「心を鍛えるためだ」
少年「こころを?つまり何か考えるの?」
僧「何も考えない。ただ、的とひとつになるんだ」


僕は部活を始めようとした。
中高と一度も入ったことがなかったので、ここぞと探して、一応は悩んだ。
大藪春彦の小説に憧れて射撃部、ミュージカル研究会、映画制作関係・・・。
だが、僕が選んだのはチャンバラのクラブだった。
ほとんど一度の勧誘で、僕はアッサリ入部を決心してしまっていた。
理由は・・・結局ミーハーな限り。
三年生に芸能人がいたからだ。
東京の大学に入って、現役の本物の芸能人に少しでも近づける。
ただそれだけに浮かれて、僕はガラにもない部活を選んでしまった。
チャンバラなんて大した興味もなかった。
時代劇はテレビの「木枯らし紋次郎」と「必殺」シリーズあたりを、やはりテキトーなミーハー感覚で楽しんでいただけの、まったく平凡な一般ファンでしかなかった。
まして演劇や舞踏の一部なんて芸術的な意識のカケラもなく・・・。
どうしてああなったのだろう?
何が僕をあんなにスンナリと、その方向へ導いてしまったのだろう?
やはり運命というヤツなのだろうか・・・。
僕は何も考えずにチャンバラを始めた。
役者になろうとか、体を鍛えようとか、そんな目的は全然なかった。
僕はまったく自然に殺陣と巡り合い、その未踏の世界とひとつになったのだ。
僕の人生のかなりの部分が、そこから染め抜かれ、今なお僕という人間をどっぷりと形作っている。
当時はそんなこと、まるで予想することもなく、僕はまっさらな心と体で、殺陣の世界へいざなわれていった・・・。




kohe000 at 14:32|PermalinkComments(0)TrackBack(0)殺陣 | 大学時代

2009年07月12日

大学

僧「先生、寂しいと思うことはありませんか?」
老師「お前は寂しいか?」
僧「いいえ。世間の人のように、別に家庭が欲しいとも、家族の団欒が欲しいとも思いません」
老師「初めてここ(少林寺)へ来た日のことを憶えているか?お前は雨の中に立っていた。他の子と遊びもしなかった」
僧「早く両親に死に別れ、いつもひとりぼっちでした」
老師「それでこの寺に入るために、あのように辛抱強く待っていたのか?」
僧「はい」
老師「寺はにぎやかな所だと思ったか?」
僧「でも、ここでは皆が一緒に暮らしていました」
老師「他の生物と同じように、人も仲間と暮らすようにできている。しかし仲間と暮らすことの意味は、しょせん人間はひとりであるということを、しっかりと見極めることだ」
僧「それを教えて下さるために、入門を許して下さったのですか?」
老師「お前はすでに知っておった。だから入門を許したのだ」


僕は大学生になった。
東京でアパートを貸り、一人暮らしを始めた。
入学式、それに続く学部別の説明会、各種セレモニー、ゼミ合宿・・・。
様々なことが駆け巡った。
僕はそのひとつひとつを、常にひとりで体験した。
元より地元続きの知り合いなどはいない。
最初から、ひとりだ。
どこへ行っても、一人だ。
それが僕には、要するに心地よいものであった・・・。
合宿である講師に言われた。
君はハナから悟りきってるようで、イヤだなぁ、と・・・。
いじめられっ子だった僕が、何と傲慢不遜に見えたのか?
そんな態度が自然にあふれ出る、僕は可愛くない偏屈野郎だったのか?
自分では分からない。
ただただ毎日がうれしいだけだった以外は。
もういじめられることはない。
ここでは僕がいじめられっ子であったことなど、誰も知らない。
そして好きなだけ一人になれた。
どこで何をしようと、一人のままで周囲はいさせてくれた。
一人の買い物、一人の風呂、一人の生活・・・。
僕にとって生まれて初めて味わう完全なる孤独は、至福だった。
僕はそのことをこそ最も悟りきっていた。
大学も、学問も、遊びも出会いも・・・僕の独りの人生にとっては、ただの随行だった。

kohe000 at 13:56|PermalinkComments(0)TrackBack(0)孤独 | 大学時代

2009年07月10日

自虐の悟り

少年「あんた、死ぬのが怖くないって言ったけど、あれホント?」
僧「ああ」
少年「どうしたら俺もそうなれるか、教えてくれない?」
僧「それは・・・簡単に・・・教えることが出来るもんじゃない」
少年「そう・・・そうかもしれないね・・・・そういうことって多分、自分自身で、悟っていくものなんだろうね」
僧「そういうことを尋ねる者は、少ない。君のように理解出来る者は、もっと少ない」


僕の浪人という猶予期間は、あっという間に過ぎた。
そして僕は映画監督になるためには、と映画学科を受験することになった。
作家より、なぜか映画監督志望へ。
その大学は授業料が少し高めだったので、現役の時は眼中になかったくせに、今度は受験を許された。
親にすれば二浪は勘弁してもらいたかったのだろう。
とんでもない親不孝だ。
独学を謳って予備校からドロップアウトしておきながら、いよいよとなると、親がかりの好き勝手な受験生に逆戻り。
僕の決心なんてこの程度のものだったのだろうか。
それくらい、所詮は口先だけの臆病者だったのだろうか。
僕は己の不甲斐なさ、卑怯な生き方をどこかに放逐し、そ知らぬ顔を決め込んでノコノコ上京し、受験に臨んだ。
現実をナメきった姿勢はここでも変わることなく、ろくな追い込みも復習もサボりちらして、毎日昼間は名画座通いだった。
その結果が・・・当然すぎる?皮肉の運命・・・。
映画学科監督コースは、一次試験でバツ。
演劇学科演出コースは、二次試験でボツ。
かくして、やっとのことでかろうじて引っかかったのが、その名も文芸学科・・・・。
僕は監督になりそこなった。
演出家という集団作業のリーダーへの可能性をあえなく閉ざされた。
それが、僕という情けない無能野郎の命運だったのだろう。
僕はアッサリ悟ってしまった。
自分自身で、誰にも尋ねることなく、僕は己の本性をとっくに自虐していた。




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2009年07月09日

セックスを・・・

少年「ねぇ、そうやってあちこち旅して歩いて、寂しくないの?」
僧「ひとりが好きなのさ」
少年「そう、俺もさ・・・でも、時々やっぱり寂しいよ」
僧「若いからだ」


僕は一応予備校に籍は残したものの、まったく行かなくなった。
朝、家を出て町の図書館に直行し、そこで一人受験勉強した。
もっとも実際は荷物を図書館に置いたまま映画館へ直行。
要するに進学すらも無意味でしかない、という上京までの時間稼ぎでしかなかった。
映画、それも邦画ばかり見ていた。
特に日活ロマンポルノ、それと名画座でたまにかかる独立プロの芸術映画。
地方まで届かない話題作、問題作は沢山あった。
それが見れるというだけで、僕には東京への憧憬があった。
映画監督であれ作家であれ、東京で独学しながらでも、なれる。
何の根拠もない自信と目標だった。
それくらい、結局僕は長い長いイジメから解放されて、自由と可能性を満喫していたらしいのだ。
その結果、いやそのあげく・・・だろうか。
図書館の前で毎朝ギターの練習をしていた若い女性と親しくなった。
別に好みのタイプとかどうとかは関係なく、ただ声をかけやすくて、かけてしまったら意外と仲良くなれて・・・それだけの結果だった。
そんなつかの間の出会いを、独立者気取りでいい気になっていた僕は、ある日踏みにじった。
唐突に、何の進展もなさそうな関係だったのに、僕は彼女にセックスを申し込んだ。それも手紙で・・・。
ナンセンス極まりない。
まったく軽率で馬鹿馬鹿しく、ガキだったとしか言い様がない。
彼女にはもちろん断られた。
せっかく、風のように、はかなくも淡くて自然な付き合いをお互い保っていられたのに・・・。
若さ、だろうか。
セックスという未知の行為への、無謀で邪知な欲求だったのだろうか。
そのために相手の意思も人格も無視して、結局自分も関係も、思い出さえも壊してしまう。
甘えだったのかもしれない。
ひとり、だったから。
セックスはおろか、気軽に自由に会って話せる、そんな誰かさえ、18年生きてきて、ひとりもいなかったから。
イジメのせいで・・・だから許される、甘えさせてくれる・・・きっと、きっと・・・あの子なら・・・あの子しかいないから・・・とりあえず・・・・。
愚かな奴だ。
最低のクズだ。
それからもずっと、僕はこんな、なのだ。


kohe000 at 10:43|PermalinkComments(0)TrackBack(0) | 浪人時代

2009年07月08日

独学

老師「この蓮の花というものは、まことに清らかなものだ。根は水の中にあるが、花は水の上に咲く。ようやく今、水の表に達した花もあれば、なかにはまだ水の中にいる花もある」
僧「それでは人に対する時も、相手によってそれぞれに対応の仕方を変えるべきなのでしょうか?」
老師「花を見るがよい。どのような成長の段階にあろうと、常に同じ花ではないかな?」
僧「では、あらゆる人に同じ態度で接することですか?」
老師「そうだ。卑屈にならぬ限り、出来るだけ親しみをもって接するのだ」


浪人として僕に与えられた自由は・・・しかし所詮、空虚なものだった。
僕は受験制度の奴隷であり、大人社会の飼い犬でしかなかった。
そんなアナーキーな考えに突然目覚めたのは、二冊の本に出会ってからだ。
佐藤忠男と加藤諦三。
二人とも評論家としてポピュラーだった。
けれどそういう人生の指針を教授してくれるような本を読み、心底納得したのは生まれて初めてだった。
独学とドロップアウト。
僕が両著から学んだのは、その二点だった。
そんなありきたりの指摘だけで、僕の人生観は根底からひっくり返ってしまった。
作家になるために大学進学?
何という馬鹿馬鹿しい論理か!
勉強なんて本を読めば出来る。
本物の教養とは、学校ではなく、独学でこそ学び取れる。
そして、"いい子"からの脱却。
これまでの僕は、あまりに良い子だった。
おとなしく、素直で従順で・・・教師にも親にも社会にも、まったく反抗など思いもしない、完璧な子羊だった。
その結果が、"ビクビク人間"。
僕は、そのとおりだと思った。
僕はまだ何一つ、本当に自分のやりたいことを自分の意志で選び、試したことなど全然ない、と悟ってしまった。
学校が何だ?
受験が何だ?
常識がどうした?
僕はどうしてここまで突然変異?してしまったのだったろうか。
全ての見方、考え方がすっかり変わってしまっていた。
ほんのわずかの読書だけで、ここまで生まれ変わった自分を、どこかで少し恐れてもいた。
しかしもう止まることは出来なかったのだ。
僕は予備校を辞める決心をした。
受験も放棄し、東京でアルバイト生活しながら独学しようと固く考えていた。
この方向転換は、この脱皮は、一体どこから溢れ出るものであったか・・・。
僕には分からない。
それだけこんな僕であっても、若さという"花"が、咲き誇っていた時代が、あの頃はまだあったらしい。

kohe000 at 12:27|PermalinkComments(0)TrackBack(0)反逆 | 浪人時代