2009年08月06日

不調和

老師「少林寺において我々が肉体を鍛えるのは、あくまで心を鍛えるためだ。肉体が鍛え上げられた時に初めて、何ものにも捕らわれない心を持つことが出来る。そのためには、自然界の生き物に習え、と先人達は我々に教えている。
鶴から我々は、優雅さと自己規制を学ぶことが出来る。
蛇はしなやかさと、実動的な持続力を。
カマキリはすばしこさと、忍耐力を教えてくれる。
そして虎からは力と、逞しい強さを学ぶのだ。
竜からは、風にのる技を学ぶ。
すべて生き物は、大小強弱を問わず、自然と溶け合って暮らしている。我々が学ぶ知恵を持つなら、彼等はそれぞれの長所を教えてくれる。
小さなカマキリの繊細な美しさと、火を吐く竜の激しさの間には、何の不調和もない。
蛇のしなやかな沈黙と、鷲の荒々しさも、見事に調和している。
自然界には対立し、争い合うものは何ひとつない。そこで、この自然界の法則を学ぶならば、人間も己の中にある対立を取り除き、肉体と心の完全なる調和を発見し、宇宙に融合して生きることが出来るのだ。これを真に会得するには、一生かかるかもしれん」


悲惨な稽古が続いた。
週の半分は一年生の女子ひとり。
たまに出る二年生は、予想通りの反抗モード。
特に女子がひどかった。
三年生の女子などハナからナメきっていて、返事もろくにしない有様だった。
僕との稽古など、ほとんど喧嘩だった。
一体お互い何を目指して怒鳴りあい?叫び合い、不貞腐れ合っているのか、まったく異様な険悪ムードだった。
何も分からないたった一人の一年生女子が、いたたまれずに辞めるのは時間の問題だった。
あの子にしても、同輩に恵まれてさえいれば、憧れの舞台を踏むことだって、出来たはずなのだ。
僕は出席しない一、二年生を憎悪した。
授業という当然の理由と承知していても、その理不尽な状況そのものへの苛立ちを、さらに理不尽にぶつけ合っていた。
哀れで滑稽な集団だった。
自虐と憎しみの醜い廃棄場だった。
こんな部活にしてしまったのは、結局は僕だったのだ。
それが分かっていても、嫌というほど思い知っていればこそ、僕には止められなかった。
行き着くところまで、盲進するだけだった。
自棄の末の毒まみれに身を投げ出すだけだった。
いじめ、よりひどい最悪の空間。
僕はただただ運命を呪い続けた。






kohe000 at 13:17│Comments(0)TrackBack(0)運命 | 大学時代

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