高校時代

2009年07月06日

脱出

軍人「お前は、かなりの腕っ節らしいな」
僧「争いは嫌いです」
軍人「ワッハハハ、面白い。争いの嫌いな男が、虎のように大暴れするとはな。わしも争いは好まん。軍隊も鉄砲も、平和を守るためにあるんだ」
僧「道具は人間を表します。土を掘る者はシャベルを、木こりは斧を、銃は平和の道具ではない」
軍人「しかし火薬を発明したのは君たちの先祖だろう?」
僧「そうです。絹も薬も、羅針盤も印刷機も。銃は違う」
軍人「虎のように戦う技を身につけるには、専門の訓練を受けたはずだ」
僧「良い兵士は乱暴ではない、と教えられました。怒りにかられず、淡白でなければならない、と」


高校卒業にあたって、僕の志望は作家だった。
当時は早稲田大学の文芸科というところが作家の登竜門のように注目されていたので、僕の第一志望はスンナリ決まった。
東京の大学へ進学したい、とは何時ごろから考えだしたろうか。
覚えていない。
ただ周囲には東京までの進学者は少ない方であり、僕はやや変わっていたのかもしれない。
そのくせ特に大それた決心も、派手な違和感も感じていなかったのは、やはり映画三昧のせいだったのだろうか。
映画の監督であれ、評論家であれ、はたまた作家であれ、まず上京こそが最初の出発点・・・僕は迷うことなくそう決めてしまったし、不思議と何の恐怖も覚えなかったのは、これまたいじめられっ子だったゆえの、一人暮らしという孤独への憧れ、逆説的な独立志向を育んでいたのかもしれない。
もちろん単なるオノボリさん的な甘さ、いい加減さ、無鉄砲さも十分だったが・・・。
卒業式にも全然感慨などなかった。
ただただこれで本当にイジメからとりあえず解放される、その安堵だけに独り浸っていた。
友情も恋愛も師弟愛も無縁だった十代の学生生活。
ただの一度も部活に入らず、あらゆる集団を避けまくって生き延びてきた、"セイシュン"とかいわれる日々・・・。
僕はそんな言葉、大嫌いだ!
一生、目にしたくもない、屈折の怨嗟のみだ。
僕には何もなかった。
蒼い彩りも、若き原石も、己の基盤たる肉体も精神も・・・。
徒手空拳のまま、僕はやっとの思いでようやく独りになれた。
明るくも健やかでもなく、良風には程遠い灰色のままの自分を背負って、僕はどうにか、人間に近づけたような気分がしていた。
いじめられっ子なんて・・・人間じゃないのだから・・・。

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2009年07月05日

怨念

軍人「戦いを好まぬ者が、虎のように戦わねばならんようだな」
僧「好むと好まざると、ひとは生きる道を、選ばねばならないのだ」


変わることのない僕へのイジメ。
10年にもわたる屈辱と怨念の時間。
その頂点にあたったのが、高校の修学旅行だろう。
中学の時も寄ってたかってからかわれ、オモチャにされたが、高校生ともなるとそれは暴力だ、サディズムだ。
誰からともなく飛んでくる枕、布団、そして腕、足・・・。
嘲りの声、揶揄の言葉、蔑みの視線。
それは宿泊ホテルの大部屋という密室性によって、エスカレートし、汚泥にまみれた。
奴らは鬼畜の形相だった。
もし誰か刃物でも持っていたら、間違いなく面白半分に切り刻まれただろう。面白半分に・・・。
いじめっ子たちは常にこう答える。
ふざけてやっただけ。
だから・・・悪意はない、本気じゃない、こっちは間違ってない、駄目なのは抵抗しない方・・・コッカと同じか。
延々と続いたふざけ半分の暴力。
ほとんど娯楽と化したイジメという加虐。
僕は布団を被って、ひたすら耐えた。
少しでも抗おうものなら、奴らはまるで大異変のように僕をさらに責め立てただろう。
イジメとは、一方的だからこそ正しいのだ。
イジメに負けるな、とはいじめっ子たちのヤジと嬌声に変わりないのだ。
イジメに負けず、じっと我慢し続けることが正しいいじめられっ子、それが集団にとっての法律、学校の平和を維持するための"尊い犠牲"、まさに"おクニのために"か・・・。
翌日の早朝、一人ホテルの廊下にたたずんでいた僕は、その大窓を叩き割ってやろうかと思った。
いっそホテルに火をつけ、修学旅行なんて目茶目茶にしてやろうか・・・!
本気で行動しかけた。
でも、やはり出来なかった。
非難されるのは、どうせ僕だけ。
同級生からも教師からも、大人からも世間からも法律からも、"非国民"と糾弾されるのは、結局僕独り。
馬鹿馬鹿しくなった。
それこそ犬死にだと・・・言葉で、ではなく、感覚で僕は悟った。
悪夢の数日が終わってしばらく後、僕は通学バスの中で同じ高校の女生徒二人の後ろに座っていた。彼女たちがこう言った。
「修学旅行、楽しかったよねぇ」
「一生の思い出になるよねぇ」
同じイベントであっても、誰かにとっては、いや大多数の者にとっては至福の記念碑・・・けれどほんの一握りの無名の輩にとっては・・・地獄の記憶。
日本中が湧きかえった万博の陰で、その突貫工事の騒音に耐えかねてひとりの主婦が投身自殺したらしい。
そんなこと誰も知らない。
日本人は知らない。
センセイなんてもっと知らない。
「気合が足りないんだよ、一生いじめられるんじゃないの、ファイティングスピリッツが足りないんだよ!さあ、そんな弱虫のことなんて無視して東京にオリンピックを!」
僕は女生徒二人の会話に初めて心底から絶望した。
己の運命に、自分への不甲斐なさに、そして群生社会の冷酷さに・・・。
世の中とは、イジメる奴と、傍観する奴と、そしてこういう自分達だけの幸運に酔い痴れている奴らと・・・それだけしかいないんだ!
僕の生きる道はこうして決定した。
好むも好まざるも、僕はもはや人というものに対して何の希望も正義も、そして愛も・・・抱けなくなっていた。
僕はまだ18歳だった。
その不毛の道は、高校卒業によって子供のイジメという懲役から解放されると同時に、さらに深化した終身刑となって、僕の前を永遠に刻み続けるのだった。

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2009年07月04日

自然の自身

僧「どの道を行っても、乱暴で平和を愛さない者が現れたらどうするのですか?」
老師「完全に到達するためには、人は知恵と憐れみを持たねばならぬ」
僧「でも先生、争いを仕掛ける者と争わないためにはどうしたらいいのですか?」
老師「自然と一体になっている者は、肉体が争っていても心の暴力はない。だが、自然と一体になっていない者は、肉体は何もしなくても、そこには常に暴力がある」


17歳の時、初めて成人映画を見た。
18歳になる前にポルノ映画館へ入る、というのが僕の目標のひとつだった。
切符売り場で少し震えた。
館内でほんの少し早歩きになり、席に着くや、早く暗くなってくれたら、とそればかりを願った。
大人たちは誰も僕なんかに関心は向けない。
あっさり成人映画を立て続けに三本見てしまった。
緊張は絶えることこそなかったものの、映画は映画、僕はいつものように独りの時間に沈み込むことが出来た。
団鬼六原作物が目当てだったのに中身は倦怠夫婦のSMスワップ物で少々ガッカリ。
山本晋也監督のドタバタコメディに爆笑し、残りの一本が・・・侘しく悲しい青春物語だった。テーマ曲は「わかれうた」。
当時は何の知識もなく、ただその非情な別離で終わる切ないドラマに小さく感動した。
ポルノ映画でも、ちゃんとした、いやそれ以上によく出来た物語があるんだと、僕はまた映画の魅力に新しく引き付けられた。
成人映画ゆえの、決して一般物では覗けない世界と描写に、密かな陶酔を覚えながら・・・。
17歳になってもオナニーを知らない僕は多分、勃起にも気づかず、ただ笑って、締めつけられ、大人の未来に不安まじりの興奮を抱いていたのだろう。
僕にとってそれが自然だった。
ひとりでいることが、心の静謐であり、ポルノも暴力も水のように受け入れて過ごせたこと。そこに生身の性や憎悪はなく、僕は好奇心も破壊の衝動にも囚われることなく、つまり悪の影響など少しも受けることがなかったのだ。
一人でいることが僕自身だった。
己と一体になれる自然の時間だった。
その延長が、後のAVだろうか?


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2009年07月03日

わびしき平和の章

僧「先生、世の中が平和な時は少ないのに、どうしたら平和な道を歩けるのですか?」
老師「平和は世の中にあるのではない。道を歩む人間の心の中にあるのだ」


僕は小説家になりたくなった。
映画評論家もいい。
けれど角川映画にハマり、その原作小説を何冊も読んでいるうちに、こういうエンターティメントなら、書ける、いや書きたい、と思うようになった。
テレビの「刑事コロンボ」の影響もある。
金田一耕助で、探偵というヒーローにも憧れる。
それまでの僕は、小説といえばごくごく定番の純文学・・・つまり「人間失格」だの「こころ」だの・・・大して面白くはなかった。というより、受験勉強汚染?で、まったくの文学オンチ、芸術感性ゼロだった。
角川娯楽小説群は、僕に小説の面白さを教えてくれた。
松本清張のガチガチ社会派よりも、洋物の本格ミステリーよりも、ケレン味あふれる破天荒ロマンに想いを馳せた。
その延長で、何と自分で小説を書いてしまったこともある。
タイトルも忘れてしまったが、探偵物とパニックサスペンス。
所詮はサル真似だ。
完璧なるガキの遊びだ。
それでも小説を書いている時だけは幸福だった。
独りで楽しめる。
自分だけの世界で誰にも邪魔されることなく、遊んでいられる。
ただ僕の描いたヒーローたちはやっぱり孤独だった。
そして結末は、どうしても死の悲劇で終わった。
それがずっと僕だったろう。
僕の平和は、結局、淋しさと哀しみの中にしか、ありえないのだろう。

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2009年07月02日

憎悪に託して

老師「自由を叫ぶ人間は、自らそれを棄てなければならぬ時がある」


僕は毎日いじめられていた。
つまり僕の学校生活に自由なんてなかった。
どこへ行くか、誰に会うか、どこにいるか、誰と一緒に過ごすか・・・常にイジメを警戒して選択しなければならない。
それこそトイレに行くのだって、いじめっ子たちが一人でもいないか、よく注意して決めなければならない。
しゃがんでいた時、上から水をかけられたこともある。
自分の椅子に座るのだって、画鋲や糊(べったりつけられていたことがある)に気をつけていなければならない。
だから一人になることだけが自由だった。
校舎内の喧騒から、つかの間外れることが、僕に残された唯一の平穏であり、そこでだけ僕の神経は解放された。
同級生達だけではない。
ごく少数で何かのテストを受けていた時。
別の学級の教師が何人かの女生徒をつれて教室に入ってきた。
何とそのままどうでもいい雑談を始めてしまった。
土曜の放課後に行われていた内輪のテストだから知らなかった?
すぐに気づきそうなものだ。
分かっていて、担当じゃないから、どうでもよかったのか。
たまりかねて事情を話した僕を教師は苦笑いしながら無視した。
そのまましゃべり飽きるまでしゃべって、奴らは喫茶店を出るみたいにテスト中の教室を後にした。
僕は何を勉強していたかなんて全然覚えていない。
ただこのことだけを稚拙な意識に刻み込んでいた。
集団は敵だ、大人は敵だ、群れるのは悪だ・・・独りは、無力だ・・・。
僕は自由を諦めた。
そして憎悪だけを信じ、無力な自分を託した。
支えはただそれだけしかなかった。


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2009年07月01日

裏側からの性

詩人「裏切りより産まれし愛は、生きながらえるより、死に絶えるべし」


僕がセックスというものを理解したのは高校二年の頃である。
それまでは、まったく何のことか想像も出来なかった。
テレビドラマや映画で、裸の男女が布団の中に入っていても、ただそれだけで愛し合っている、それこそ子供も出来る・・・そんな幼稚園児レベル?の知識しか持ち合わせていなかった。
大体、学校で性教育の時間なんてなかったし、あの団鬼六ですら、ソフト以上に曖昧模糊とした描写しかされていなかった呑気な時代?
70年代である。
日活ロマンポルノ全盛である。
僕は全然子供だった。
自分にも付いているこの突起が、女性の股間にあるらしい暗い穴の中へ突っ込めば・・・どうなるのかなんて、そこまでも分かっていなかったのだから、まったくどうかしている未熟児か・・・。
SM小説を読んでいた。
こっそりドキドキでマニア雑誌「SMセレクト」を買っていた。
「O嬢の物語」を書店のレジに出すまで一時間もかかっていた。
学校は共学だったのに、女子高生にはてんで興奮を感じない。
唯一、夏休みにスクール水着の同級生と偶然すれ違って、こっそり教室まで付いていったくらいが・・・。
僕の性は逆の意味で屈折していた。
セックスより、生身の女性より、小説上の、活字の形の、動かない写真の中の、女奴隷に陶酔していた。
現実には100%無縁な嗜虐の幻想だけが、僕の蒼い性の全て・・・。
今もそのままだ。
だから僕は、死に絶えるしかない・・・。



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2009年06月30日

裏切りへの道

老師「信用したから罰するのではない。家を建てる時、大工が釘を打つ。たまたま悪い釘で曲がってしまった。そのために大工は全部の釘を悪いと思って、家を建てるのをやめるだろうか?」
僧「悪い人がいると分かっていても、いつも人を信じることが大事なのですね」
老師「人間の中には、常に善と悪がある。人を信じることで、善を励ますのだ。そうすることで、己自身のなかに善を積むのだ」


僕は映画評論家になりたかった。
それくらい映画が好きになった。
日曜は大抵、ひとりで映画館。
いじめられることもない。誰にも邪魔されることはない。
どんな映画でもほとんど関係なかったのかもしれない。というより、見る映画見る映画新鮮で、つまりそれまでテキトーにテレビで暇つぶしにしかしていなかったものを初めて娯楽として、趣味として意識してしまったわけだ。
「スクリーン」とか「キネマ旬報」とかの専門誌を読むようになった。
そのうち自分でも感想を一冊のノートに作品ごと記録し始め、やがては批評というものに目覚めるようになった。
批評もどき、評論家ごっこ、実際はそんなものだったろう。
けれど僕は夢中だった。
思い切って「ロードショー」という雑誌に「ベンジー」という動物映画の批評?を投稿したら、一発で掲載されてしまった。
僕の書いた文章の、生まれて初めての活字化。
僕は驚喜した。
ひょっとして将来は本当に映画評論家になれるかも、と半分?本気で思ってしまった。
その勢いで「キネマ旬報」に投稿した「新幹線大爆破」の批評は、一次審査通過がやっとだったが・・・。
僕の絶筆、いや初筆?の「ロードショー」は今、僕の手元にはない。
親に捨てられたのだ。
映画に熱中しすぎて受験勉強がおろそかになってる、とある日いきなり他の数十冊の映画雑誌とともに取り上げられてしまったのだ。
成人映画の紹介もされているページがまずかったのだろう。
大学に受かったら返してくれる約束だったが、浪人中、無残に焼き捨てられている事実を知った。
僕は荒れたものだ。
初めて、裏切りというものの残酷さ、どれだけ傷ついたかも省みない大人のエゴと無理解に本気で憤怒を覚えた。
僕の裏切られ人生は、ここから本格的になっていったのかもしれない。
イジメが下地となり、こうやって信じた大人に、友達に、他人に、カノジョに・・・裏切られ続けてきた惨めで甘ったれた人生。
僕の憎悪は、今なお消えない。
僕はもう、誰も信じていない。

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2009年06月29日

団鬼六

僧「女の人がひとりで、幸せですか?」
詩人の娘「"愛する者なしに独りでいる時 肉体は空しく朽ちる しかし愛なくして共に暮らす時 魂は空しく朽ちる"」
僧「お父様の言葉ですね」


僕は団鬼六の小説と偶然出会った。
ただの立ち読み、けれど僕は文字通り立ち尽くした・・・。
「花と蛇」第五巻の一ページ目・・・全裸の美女が後手縛りで歩かされている、それだけの場面。
僕の意識が震えた。
それまで味わったこともない奥底からの興奮に、僕は本屋での喧騒など吹っ飛んでいた。
全裸・・・童貞だった僕には未知の世界。そしてなぜ素っ裸で歩かされるのか、まったく未踏の幻想。
後手縛りという絵柄。
最小の、けれどこれ以上ない不自由に囚われ、女性の象徴たる乳房を見世物として強調された愛奴としての絶対的な正装。
もちろん当時の僕にそんな装飾的な理屈など浮かんだはずもない。その必要もない。
僕は無条件に感じとったのだ。
何の曲折もなく、自分にとって最も溺りえる、理想の嗜好世界にいきなり遭遇してしまったのだ。
僕には他のポルノまがいの描写は全然不要だった。
何しろ、女性の肉体も、性器という秘部も、あらゆる性行為も、僕はまるで知らない稚児同然だったのだから。
僕はひたすら全裸の奴隷に魅かれた。
恥辱のヒロインたちの受難、という異型のドラマに、己だけの神話を覚えた。
今だに理由も根拠も思い浮かばない。
僕にとってSMは、いや鬼六流嗜虐の美学こそが、不滅のラブロマンなのだ。
いじめられっ子もAV男優も何の関係もない、僕の生まれついたる魂に違いないのだ。
団鬼六と巡り合わなかったら、僕はとっくに朽ちていただろう・・・。

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2009年06月28日

独りの愛

「アンタはいつまで逃げ回らなきゃいけないの?」
僧「わかりません・・・でも誰にも、どこかに安住の地があります」


中学時代、唯一友達付き合いしてくれた女の子とはどうなったか・・・・。
彼女は僕とは別の高校へ行った。
それでも方向は同じだったので、通学のバスでは何度も一緒になった。
けれどそれは単なる偶然に任せるだけの、はかない付き合い・・・。
携帯電話もパソコンもない時代だ。
僕は彼女の自宅の電話番号は卒業アルバムから知ってはいたものの、家の人が出ることを恐れてかけられなかった。
手紙くらい、と後になって思うが、やはり怖くて出せなかった。
自信がなかったのだ。
これ以上の付き合いなど望むべくもない、とハナから諦めていたのだ。
これ以上、というそのイメージさえ湧かなかったのかもしれない。
童貞だった。
オナニーすら知らなかった。
そして彼女に対して性的な願望など少しも意識しなかった。
手を握るとか、ましてキスなんて・・・デートしようという発想すら僕の想像外だった。
ただ会いたかっただけ。
一緒にいたい、少しでいいから、そう思った程度・・・。
ある日、一度だけ彼女の自宅前で延々待っていたことがある。
日曜日の昼間。
ひょっとして彼女が出てこないか、あのドアを開けて、顔を見せてくれないか・・・と。
そんなドラマみたいな幸運、ありえようはずもない。
僕はひとりで立っていた。
原っぱだか、田んぼだか、とにかく山々を背に、春の風に吹かれて、ずっとずっとたたずんでいた。
僕の独りだけの愛・・・ほのかすぎる思慕・・・。
彼女とは、それっきりだ。
高校で彼氏も出来たらしい。
もうあの頃の笑顔は僕の前から、かすれて消えた。
僕の愛は、何も出来ず、ただ僕だけのもので、終わってしまった。
これからもきっと・・・・。


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2009年06月27日

角川映画

高僧「お前のためにしたのではない。わしのためだ」
僧「でも、みんなは私を異国人だといってイジメたのです」
高僧「わしがまだ子供の頃だ。這い上がることもできぬ深い穴に落ちてしまった。わしはそのままそこで死ぬかと思ったがな、通りがかりの知らない人が助けてくれた。その時、その人はこう言った。昔ひとに助けられたお礼に、自分は十人のひとを助けねばならぬ。その十人がまた十人を助ける。小石を投げると水の輪が広がるように、そうして善行がひろがっていくのだ、とな。わしはそのお返しをした。今度はわしがお前に対して貸しをつくる。お前は十人のひとを助けて、その貸しを返すのだ」


高校に入ってから、さらに映画に目覚めた。
中学の頃よりか、気軽に町へひとり歩き出来るようになったことで、もっぱら足は繁華街の映画館に向かった。
それも邦画、ズバリ角川映画だ。
それまではテレビも含め、ほとんど洋画ばかり、たまに見る邦画は子供の目にとってはあまりに古めかしく、いじましく、センスがなく、つまりダサかった。
ところが角川映画だけは違っていた。
「犬神家の一族」、「人間の証明」、「白昼の死角」、「蘇える金狼」・・・。
角川ブランドというだけで、邦画が輝いて見えた。
その豪華さ、派手派手しさ、カッコよさ、すべてが新鮮だった。
当時からすでにその大味さは目に付いていたし、壮大なるコマーシャルフィルム、という世間一般の揶揄も耳にし、納得もしていた。
それでも常に安っぽさのカケラもない角川映画が好きだった。
「復活の日」、「野獣死すべし」、「魔界転生」、「化石の荒野」、「汚れた英雄」・・・・。
角川映画のおかげで僕は原作小説を読み、様々な作家、様々な世界、あらゆる種類の人間を知った。
それは孤独のどん底にうずくまっているいじめられっ子にとって、人生唯一のオアシスだった。
金田一耕助、松田優作、西村寿行、大藪春彦・・・。
僕のヒーローたちはみんな、一匹狼だった。アウトローだった。アナーキーに見えた。
今となっては、誇大宣伝のみの空疎なエセ大作群かもしれない。
けれど僕は角川映画によって、映画という永遠の娯楽に出会えた。
独りを生き抜く糧を得ることが出来た。
僕はこれからも、きっと愛し続ける。
映画だけが、僕の味方だった・・・。

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2009年06月26日

ふたつの鐘

老師「人間の両手は、目や舌と同じなのだ。手を触れることで他の者の心を感じ、また自分の心を伝えることも出来る」
僧「その同じ人間の手が、他の者を殴ることも出来るんです。悲しいことですね」
老師「苦痛と歓びは、並んで吊るされている二つの鐘のようなものだ。一方が鳴れば、もう一方は震える」
僧「では、苦痛と歓びは同じものなのですか?」
老師「目と舌は同じものかな?同じ目が、美しい蝶と、醜い傷口を見る。同じ舌が苦しい叫び声をたて、楽しい笑い声をたてる」


高校に入っても日常は変わらなかった。
結局はずっといじめられっ子のままだった。
顔ぶれは大分違ったが、やはりいじめっ子どもの臭覚を刺激するのだろう。
僕は一年生から中学時代同様に目をつけられ、またからかいと暴力とイタズラの標的だった。
なぜ、いじめられる?
そっちにも原因があるだろう?
いじめられたことのない輩はいつだってこう言う。
そうやって被害者に責任を押し付け、加害者天国、つまりは権力社会、格差機構を築き上げる。
当時の僕は、もちろん何も考えてはいなかった。
社会も政治も大人の世界も、まだまだ全然無縁だった。
しかし、自分は決して悪くはないこと、自分を責める必要などないこと、原因はあくまでいじめる側の悪とエゴにあること、それだけは本能的にか、理解していた。
いじめられることで、僕は人間を知った。
その人間たちが作る社会の本質を学んだ。
十代における僕にとっての最大の学問は、この偽善の真理であった。
奴らに感謝なんてしてない。
こんな風に裏側からしか物事を考えられなくなってしまったことを、やはり僕は恨んでいる。
僕を絶対的な醜い人間に成長させたあの連中に、僕の殺意は永遠に絶えようはずがない。

 

 



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