殺陣

2009年08月20日

童心

家政婦「何が望みなの?」
僧「私が受け継ぐべきもの。私の根。それが欲しいのです」
家政婦「何ももらえやしないわよ。いつまでそう(座禅)やってる気なの?食べ物も無し、水も無しで。旦那はあんたを死なせる気よ」
僧「構いません」


12月に屈辱の追い出しコンパを受け、年が明けての最初の部活の活動は、実質春の合宿だ。
僕は何と、それに参加したいがために、それも現役時代と同じ長髪頭で出たいがためだけに、まともなバイトも探さず、新幹線の清掃員を飽きもせず、続けていた。
合宿どころか、春の新入生歓迎イベントまでも・・・。
僕はイカれていた。
ほとんど病的?な、新米OBだった。
そこまでして、部活に関わり続けた理由といえば・・・責任感などではない。
ただただ、チャンバラをしていたかっただけだ。
もっともっと、現役の頃よりずっと自由に好き勝手に、殺陣を堪能していたかっただけなのだ。
そのために髪もザンバラのままで、という馬鹿馬鹿しいこだわり。
まったく、どうかしていた。
単なる趣味や道楽を超えた、呆れ返った趣味道だった。
僕みたいに部活にしつこく参加し続けたOBは過去にも何人かはいる。
しかしそのほとんどは、やはり後輩への心配であり、指導であり、親心の延長から来る健全な?ものだった。
しかし僕だけは違っていた。
もちろん後輩の指導はしたし、様々な相談やら揉め事やらにも親身に取り組んでやったつもりは充分あったが・・・やはり一番の目当ては自分がOBの特権でもって、好きにチャンバラをやらせてもらうことだった。
そのために普段から体も鍛え始めた。
現役の頃より、むしろ積極的に、計画的に、殺陣技術向上を真摯に自分へ課すようにさえなっていた。
僕の頭には、ちゃんとした就職も、将来の生活設計も、社会人としてのマトモな責任感も・・・まるでありはしなかった。
僕は23にもなって、まだまだ遊んでいたのだ。
いや、あたかもイジメで失っていた十代を取り戻そうとするかのように、僕は夢中でチャンバラという遊び場に全身全霊で戯れていた。
遅れてきた童心、とでも呼べばいいのだろうか?
僕は後悔してない。
誰ひとり理解などしてくれないだろうが、僕は僕だけの無邪気な蒼いひたむきさを、決して悔いてなどはいない。

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2009年08月13日

エキストラ

男「なぜ口をきかん?頭が空っぽだと思われるぞ」
僧「沈黙は言葉に勝る。黙るべきだ」


スーツアクター以外にも、やはり後輩の頃、テレビのエキストラのバイトに駆り出されたことがある。
最初が三浦友和と梅宮辰夫主演の「時代劇スペシャル」。
狐の面を被って二人を襲撃する妖しい一団の一人だったのだが、まずはその待ち時間の長いこと長いこと。
「まあ、昼の三時頃には終わる」とか先輩は言ってたのに、夕方になっても全然出番なし(集合は朝7時)。
二月の一番寒い時期である。
それも当時生田という東京郊外にあった野外オープンスタジオでのロケである。
こちとらは薄い半纏に短いパッチ(スパッツ?)、裸足に雪駄という格好。
寒いなんてもんじゃない!
凍えるなんてどころじゃない!
控え室はあるにはあるが、狭いプレハブ造りで、ほとんど混んだ電車状態。
オマケに生涯初のカツラとやらが、もう頭を強烈に締め付けてきやがること、言語道断!
こんな有様で待つこと数十時間?真夜中にようやく出番となるも、ものの数十分でまた待機という地獄?の繰り返し・・・。
もう全身冷え切って、固まりきって、ようやく終了解放されたのは翌日の午前9時前後・・・。
撮影というのは、こんなにも大変なものか、と呆然自失するゆとりもないままの酷寒体験極まれり、だった。


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2009年08月12日

役者

僧「先生、この世に限りのないものがあるのでしょうか?」
老師「太陽がある。月がある。そして命がある」
僧「しかし彼の命は終わりました。私よりもなお若いのに、泣いてくれる娘も、後を継ぐ息子もいません」
老師「木の葉は木によって美しく茂る。しかし葉が落ちる時、木は悲しみに震える」
僧「過去のつながりのことですか?」
老師「現在は過去に根を張っているのだ。人は根によって養分を吸い、力を得るのだ」
僧「私は・・・根のない木と同じです」


大学時代、僕は何度か役者をやった。
最初は今でいうスーツアクター。
数年前から、OBの紹介で合宿等の資金稼ぎのために、男子部員総出で、遊園地でのアトラクションを毎年行っていた。
出し物はいわゆる宇宙刑事物。
もちろん僕ら後輩は黒装束の戦闘員であり、先輩たちに奇声を発して、やられに?かかるわけだ。
連休中などに合宿して出演した。
自炊ではなかったとはいえ、夜は当然酒宴となる先輩たちとの数日は、楽しみよりも疲れる方が勝っていた。
けれどショーそのものは、常に満員である子供の観客の反応がやはり嬉しく、拍手喝采を浴びた時など、ただのエキストラとはいえ、演者としての興奮を覚えたものである。
先輩がモロに出番を忘れて舞台上でひとり固まってしまったり、同輩が調子にのってヒーローの顔へまともにキックを見舞ってしまったり・・・アクシデントも、それなりであり、先輩も普段の稽古とは違ってリラックスして割り切ってくれるから、生き物たる舞台の魅力なるものを多少、覗ける貴重な体験だった次第で・・・。
しかしだからといって、僕は役者や演劇に目覚めたわけでも、将来の才能?を予感していたわけではない。
覆面をしていたから動けたとも言えるし、端役だったから、そこそこの緊張で済んだとも言えようし。
僕は元々、演じることの悦びや陶酔感というものを敬遠していたのかもしれない。
それはやはり、大勢よりも、注視されるよりも、囲まれてしまうよりも、独りを、自由を、そして無為無風を、自然と希求する天性の弱虫だったからではないのだろうか・・・。
だが、自分が先輩となって主役のヒーローを演じる時期がやがて来たら一体どうなるか?
不安と期待?をヨソに、その伝統のバイトは、僕が二年生になるや、あっさり消滅してしまった。
事情なんて、聞いていない。

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2009年08月11日

体力

老師「これを学ぶ目的は、内なる力を鍛えることだ。力には、二種類の力がある。外なる力は、要するに体力だ。体力は年をとれば衰え、病いにも勝てない。内なる力は、これを"気(ち)"と称える。"気(ち)"は誰のなかにもある。これを真に鍛え上げるには、厳しい修行が必要だ。ひとたびこれを己のものとすれば、暑さ寒さをも超越出来る。年をとっても衰えることなく、持続するのだ」


部活を初めて何より自分でも驚いたのは、己の体力である。
高校までは完璧な運動オンチ。
スタミナはないし、不器用だし、走っては女の子にも抜かれるし。
ろくに泳げないわ、球技なんていつも格好な罵倒の的で。
中学の頃、剣道と柔道をかじらされたが、体力以上に気力が最初から萎縮していて問題外・・・。
こんなモヤシ野郎が、週に四日、炎天下での三時間ぶっ続けの気合入れまくり稽古に、ほとんど休まず参加していたのだ。
一年生の時に休んだのは、自分で自分の目尻に木剣を当てて流血した時くらい・・・その時の傷はまだかすかに残っている。
二年生では、授業で週三回になったものの皆勤。
三、四年の指導部員となれば、もちろん無休。
とにかく風邪で休んだことも、怪我に悩まされたこともない、充分な健康体を手に入れてしまっていたのだ。
後輩の時は一瞬も気を抜けないシゴキモードだったし、罵声だけでなく時には蹴られはたかれ、木剣でケツバットまがいの気合入れまであって。
一年の前期の頃は、足袋も履かせてもらえなかったから、足指の皮はいつもボロボロ。
絡み(斬られ役)は、芯(斬る役)より腰を落とせ!が鉄則だったから、稽古中はほとんどグラグラのしびれ状態。
斬られれば、コンクリートの上でバッタリだし、男子は前転やら、カエル(地面と出来るだけ平行に跳ねて、うつ伏せに体全体で着地)なんてのもこなさなくてはならないから、肩や腰や腕はアザと生傷だらけ。
どうしてこんなハードで過激な運動?に耐えられたのか、今もって不思議でならない。
後年、OBになってから、現役たちのあまりの怪我や病気の多さに呆れたものだった。
それも目立ったのが、腕の腱鞘炎、足首のひねり、腰痛・・・。
僕はとにかく一度も痛まなかった。
いや、僕の同期も、その前後の先後輩陣にしたって、そんな頻繁な故障で、休んでいる者なんて、滅多にいなかったが・・・。
十代の頃、あれだけスポーツ嫌いだった僕が、どうしてそこまで豹変出来たのか?
殺陣だったから、としか言いようもない。
肉体表現という、それまで体験したこともない領域による不可知な力、が働いたとでも考える他、説明がつかない。
結局、僕という人間に、殺陣が合っていた、ということなのだろう。
叫んで、わめいて、暴れまわって、最後に爆死する?
そんな世界が、僕の肉体を支える力の礎に適っていたのだろう。
それが後年、AVにつながるのかどうか、そこまでは考えたこともあまりない。
殺陣は、僕にとって、生ではあっても、性ではない部分だから。
同じ絶叫と、狂気に身を投げる肉体表現であろうと、僕の中でそれは、人間力の両輪なのだ、と信じたいから。





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2009年08月03日

開眼?

老師「弱さは力に勝り、優しさは力を征服する。荒れ狂う海をなだめる、穏やかなそよ風になるように努めねば」


そして学年末、虚脱感に溢れた最終期の部活、僕は何の展望もなしに大学にいた。
まだ新三年生は見習い的段階であり、残ったわずかの新四年生だけの、わびしい惰性の稽古だった。
ところが、そんな淀んだ時間の切れ間に、僕をふいに意外と驚きの風が、吹き払って、駆け抜けた。
それは大袈裟に言えば、唐突なる開眼だった。
僕にとってその時までの殺陣は、どうしても自分の体にフィットしない、異物的な肉体表現だった。
どんな動作を頑張ってみても、ぎごちなさが終始付きまとって、少しも面白さや充足感を体感出来ないものだった。
そんな僕が、いきなりチャンバラを楽しめるようになった。
動きの端々まで自分の血が通い、生き生きと己が気たる殺陣を味わえている達成感があった。
まったく予想もしていなかった、生まれて初めての目からウロコの気分。
原因は多分、ビデオのせいだろう。
当時、まだまだ家庭用ビデオデッキは10万を下らない品で、金欠ぐうたら学生だった僕には、手の届かない電化物だったが、たまたまある先輩から中古のデッキを半額程度で譲ってもらえた。
そのおかげで、これまでの公演を収録したビデオを自室で何度も繰り返し見れるようになったのだ。
その面白さに魅了されつつ、知らず知らずのうちに、OB諸氏の技術の数々を意識下に習得していたようなのだ。
僕はとにかくその公演の中で気に入った出し物の動きを徹底して真似てみた。
すると思いもかけないほど、先輩のテクニックや所作が、難なく身についてくるのが堪能できるのだった。
僕にとって、それは信じられない僥倖だった。
苦節の三年間、やっと訪れた、それが僕の孤絶の底に咲いた、つかの間の華であった・・・。


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2009年07月28日

泥道・・・

僧「なぜ?(彼等を殺す?)」
脱獄囚「俺を馬鹿にした。他の奴らと同じようによ」
僧「君自身、他の人に悪いことをしてないか?」
脱獄囚「出てって、縛り首になれって言うのかい?」
僧「そんなことは言わない」
脱獄囚「さっきはああ言って、今度はこう言って、お前は俺にどうしろって言うんだい?!」
僧「私は、どうしろとも言わない。君が、どうしたらいいか、自分で考えて、決めるんだ」


僕は殺陣がヘタだった。
少なくとも、三年生の間はずっとそうだった。
後輩を指導する立場にありながら、自分の技術に自信が持てない。
後輩から侮られていると疑うほど、焦りのあまり、ますます技が乱れてしまう。
スランプ?
いや、それ以前だって、人から大して褒められたこともないし、女子や後輩に賞賛されたこともないのだから、元々のコンプレックスだ。
夏休みに、あるOBの舞台発表会を後輩数人と、絡み要員として手伝った。
僕だけが怒られっぱなしだった。
何より、ひとり、手順が覚えられず、一番足を引っ張ってしまった。
二年生の頃と比べて、とにかく体が動かなかった。
全然覚えられず、焦りと自己嫌悪の限界まで追い詰められ、本当に投げ出して逃げ帰ろうかと思ってしまった。
大なり小なり、こんな鬱屈した気分のままの、イライラ指導者。
先輩にも大して教えてもらえず、それ以上に不貞腐れて教授を乞おうとはしなかった己がひねくれぶりが、さらに自棄と高ぶりをかき乱してしまい・・・。
僕は、どん底だった。
二年間の辛抱の果てが、このザマか!と、何もかもに歪んだ感情をぶちまけてしまいたい想いだった。
負け犬・・・・。
みじめで、情けなき、愚鈍のはぐれ者・・・。
僕は、いじけているばかりだった。
下手糞指導者の汚名を独り被って、開き直りの泥道に徘徊するだけだった。


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2009年07月14日

こだわりの決心

僧「しかしそれは、君のような子供の仕事じゃない」
少年「子供じゃないよ。もう大人だよ」
僧「大人か」
少年「そうさ。銃だってもう立派に使えるんだ」
僧「銃を使える、それだけでその人間が大人になったと言えるだろうか」
少年「僕は腰抜けじゃないよ」


しかし部活は想像以上の厳しさだった。
稽古は週四回。
他の学部の同級生は、実習が多いせいか、ほとんどその半分くらいしか誰も参加出来ない。
僕だけが皆勤だった。
好むと好まざるに関わりなく、ヒマな学部に紛れ込んでしまった僕の大学生活は、ほとんど部活一色に染まってしまった。
一日約三時間のぶっとおし稽古。
それも外の固いコンクリートの上で、いつも裸足で。
声は出しっぱなし。
体は動きっぱなし。
こんなに絶叫し続けたのは生まれて初めて。
イジメ以外でこんなにドツかれまくったのも、もちろん初めて。
しごき、というヤツだ。
要するに文科系のクラブでありながら、完璧に体育会系のノリであったわけだ。
普段の挨拶からして、「ちわ!失礼します!」の世界(女子の先輩に対しても、だ)。
えらいところに来てしまったと思った。
とんでもないことに巻き込まれてしまったと・・・後悔している余裕さえなかった。
僕は休まなかった。
一人、一度も休むことなく、毎度ビクビク震えながら、部活支配?の学生生活に、ヘトヘトで邁進していた。
僕はまたしてもただの臆病ないじめられっ子だったのだろうか?
それは違う。
絶対にそれは違う。
僕は僕なりの、それは無意識のこだわり、そして運命に任せる生き様だったつもりなのだ。



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2009年07月13日

殺陣

少年「その弓は親父にさえ引けないんだよ。すごい力持ちなんだね。それなら相手を一発で殺せるよ」
僧「人殺しのために弓は引かない」
少年「じゃあ、何のために引くの?」
僧「心を鍛えるためだ」
少年「こころを?つまり何か考えるの?」
僧「何も考えない。ただ、的とひとつになるんだ」


僕は部活を始めようとした。
中高と一度も入ったことがなかったので、ここぞと探して、一応は悩んだ。
大藪春彦の小説に憧れて射撃部、ミュージカル研究会、映画制作関係・・・。
だが、僕が選んだのはチャンバラのクラブだった。
ほとんど一度の勧誘で、僕はアッサリ入部を決心してしまっていた。
理由は・・・結局ミーハーな限り。
三年生に芸能人がいたからだ。
東京の大学に入って、現役の本物の芸能人に少しでも近づける。
ただそれだけに浮かれて、僕はガラにもない部活を選んでしまった。
チャンバラなんて大した興味もなかった。
時代劇はテレビの「木枯らし紋次郎」と「必殺」シリーズあたりを、やはりテキトーなミーハー感覚で楽しんでいただけの、まったく平凡な一般ファンでしかなかった。
まして演劇や舞踏の一部なんて芸術的な意識のカケラもなく・・・。
どうしてああなったのだろう?
何が僕をあんなにスンナリと、その方向へ導いてしまったのだろう?
やはり運命というヤツなのだろうか・・・。
僕は何も考えずにチャンバラを始めた。
役者になろうとか、体を鍛えようとか、そんな目的は全然なかった。
僕はまったく自然に殺陣と巡り合い、その未踏の世界とひとつになったのだ。
僕の人生のかなりの部分が、そこから染め抜かれ、今なお僕という人間をどっぷりと形作っている。
当時はそんなこと、まるで予想することもなく、僕はまっさらな心と体で、殺陣の世界へいざなわれていった・・・。




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