読んだ本の紹介、感想を含め、面白かったものや楽しかったことについて書いていくつもりです。

悟りを開いたとされていた高僧が、末期のがんに冒されていると医師から告知されて取り乱した──。
人間が「死」に直面するといかに脆いものかを示す話としてしばしば語られるエピソードですが、実際にそういう事例があったかどうかは知りません(いかにもありそうなので、誰かの作り話である可能性も否めないと思います)。
 
ただし、多くの人間にとって、「死」が恐怖や不安の対象であることに間違いはありません。
今回読んだ『怖れ 心の嵐を乗り越える深い智慧』は、まさに、人間は死に対して根源的な怖れを抱いており、仏教の知恵でそこから解放されれば苦しむことなく生きられる──と教える1冊です。

著者のティク・ナット・ハン師は、ベトナム出身の世界的に有名な禅僧。1926年10月生まれですから91歳という高齢です。
師は「行動する仏教」を提唱してベトナム戦争の時代から平和活動を推進し、ノーベル平和賞の候補になったこともあります。同時に世界各国で瞑想の指導にも当たってきました。
さまざまな著作がありますが、その中でも、テーマを「怖れからの解放」に絞ったのが本書です。

師はまず、冒頭部でこんなことを述べます。

〈怖れをやわらげ真の幸せを味わう唯一の方法は、心に怖れがあることを認め、その根源を深く見つめることです。怖れから逃避しようとするのではなく、気づきの中にそれを招き入れ、はっきりと深く見抜くのです〉

心の中にある怖れの感情から逃げてはいけない(そもそも逃げようとしても逃げられるものではない)。まず、自分の中の怖れを、自分で直視することから始めなければならない──。
これがおそらく、本書の中でも最も基本的かつ最も重要な教えでしょう。

では、そもそも人の心に、なぜ怖れが生じるのか? 根源的なこの問いに対し、ティク・ナット・ハン師が答えに挙げるのが、まさしく「死」に他ならないのです。

〈私たちのもっとも大きな怖れとは、死んだら「無」になることでしょう。怖れから完全に解放されるには、究極の次元を深く見つめ、生もなく死もないという自分自身の本質(不生不死)を理解することです。私とは死んでいく体のことだ、という概念から自由にならなければなりません〉

この箇所を読んで思い出したのは、前に読んで紹介した『僧侶が語る死の正体』という本のこと。同書には5人のお坊さんが登場して、「生と死は分けられるのではなく一体のもの」とか「生と死が一瞬ごとにやってきてその繰り返しが無限に続く」といった趣旨を、それぞれが独自の表現で話しています。
これらの指摘こそ、まさにティク・ナット・ハン師が説く〈生もなく死もない〉という本質のことでしょう。

では、どうすれば「不生不死」の真理を覚り、怖れを手放すことができるのか。この肝心の問題の答えは、「『今、ここ』に気づくこと」。
人間は、ともすれば過去の記憶に苦しみ、同時に未来の不確実性を心配しがちなものです。しかし、常に自分が「今、ここ」に意識を置くようにすれば、過去や未来への負の感情はすべて心が生み出した幻にすぎず、現実でも何でもないことがわかります。

〈しかし私たちが生きるべきときは、今しかありません。(中略)未来に対する心配や怖れに心を乗っ取られる必要はないと、はっきりと知ることです〉

〈今ここに心を確立していれば、過去を現在に引き戻して、それを深く見つめることができます〉

そして過去や未来など、「今、ここ」以外のものへの執着をすべて捨てることで、怖れが消え、かわりに自由と幸福を手に入れることができる、というわけです。
僕は改めて、「『今、ここ』を意識する」→「過去への怒りや未来への不安はいずれも幻であることがわかり、死への恐怖からも解放される」→「苦しみが取り除かれて安らぎが得られる」というブッダの教えの核心部分が確認できたように思いました。

さらに読者にとってありがたいのは、怖れを完全に手放して幸せに生きるために実践できる“具体的なノウハウ”が豊富に紹介されていることです。
たとえば、最初に紹介されている「五つの確認」は、息をゆっくり吸って吐きながら、以下の5個のフレーズを心の中で唱えるというものです。

〈私は歳をとる。老いからは逃げられない〉
〈私は病気になる。病気からは逃れられない〉
〈私はやがて死ぬ。死からは逃れられない〉
〈今大切にしているものや愛する人びとはすべて変わりゆく。別離からは逃れられない〉
〈私は体、言葉、心による行為の結果を受け継ぐ。私の行為だけが継続していく〉

最終章でも「体と感情を怖れから解放する:八つのシンプルなマインドフルネスのエクササイズ」「怖れとストレスを解放するための『深いくつろぎの瞑想』」などが細かく説明されていきます。
すぐにアクションを起こしたい人にとっては、かゆいところに手が届くほどのサービスぶり。原書が刊行されたアメリカでいかにも喜ばれそうな実用的な工夫だなあ、と感心しました。

本書の特徴としてユニークに思えたのは、ティク・ナット・ハン師が「呼吸」の力と重要性を何度も強調していることでした。一例を挙げると、不安に苛まれているときは、まず息を吸いながらその不安を見つめ、吐きながら不安に対して微笑む──を実践することを勧めています。
他のさまざまなネガティブな感情に対しても、呼吸には絶大な効果があるとして、こんなことを述べているのです。

〈マインドフルな呼吸は、そのエネルギーによって体と感情の緊張を解き、苦しみをやわらげてくれます〉

〈マインドフルに息を吸い、息を吐くとき、浄土がそこに出現します〉

もう1つ、僕がユニークだと感じた本書の特徴は、ブッダの教えを踏み行う際の「仲間とのコミュニティ」の意義をやはり強く訴えている点です。 
一緒に「気づき」を実践しようとする人たちのコミュニティを、仏教では「サンガ」と言うそうです(本書の版元の社名も「サンガ」です)。そしてティク・ナット・ハン師は〈サンガがなければほとんど何もできない〉とまで断言して、仲間を作ることで生まれる集合的なエネルギーの大きさを訴えます。
 「今、ここ」に気づくことを、あくまで個人レベルの営為のように漠然と考えていた僕には少し意外な教えでしたが、考えてみると、2400年前のブッダとその周囲に集まった弟子たちのコミュニティに、サンガの原型があるのかもしれません。
怖れ書影

一種の「コロンブスの卵」なのでしょうか、世の中には一見シンプルで、すでにあちこちにありそうなのに、実はまだあまり多くは存在していないものがときどき見受けられます。経営学者の陰山孔貴さん(獨協大学経済学部准教授)が書いた『できる人の共通点』もそんな1冊かもしれないな、と僕は読了してまず思いました。
趣旨はきわめて明快、多くの読者が興味を持ちそうな内容でありながら、考えてみるとここまで正面から直接的に論じた本はちょっと思い浮かびません(僕の浅学のゆえもあるでしょうが)。

どんな業界にもどんな会社にも、優秀な人たちや結果を出す人たちがいる。彼らは決まって、申し合わせたように同じような言動をする。では、そんな「仕事ができる人」たちに相通じる特徴は何なのか──。

このように、実に明快かつシンプルなテーマをわかりやすく説いていったのが本書です。「できる人の共通点」というタイトルもまた、そのコンセプトを最もストレートに伝えています。サブタイトルがないことも、堂々として爽快な印象です。
中身も書名も、いささかもひねったところのない、いわば直球勝負の1冊と言えます。

しかも、冒頭にまず、タイトルの「できる人の共通点」を以下のように7つ列挙しているので、読者にとって最も頭に入りやすい構成になっています。

①「学ぶことがあたりまえ」だと考えている
②人生に起きるすべての経験に「意味づけ」をしている
③独自の「ルール」を決め、習慣化している
④「運」を大切にしている
⑤「試行錯誤」の末に新たな価値を生み出す
⑥明確な「判断基準」を持ち、不必要なことはやらない
⑦すべては「直感」から始まっている

この7点について、各章でさまざまな説明がなされていくのですが、すべて陰山さんの幅広い取材で得られたエピソードが盛り込まれているので(経営者やビジネスパーソンに加えて、医師、弁護士、スポーツ選手、芸術家、デザイナー、漫画家、料理人、研究者など各分野の合計300人にインタビューしたのだとか)、とにかく話が具体的で生き生きとしており、めっぽう面白いのです。
かといって冗長にもならず、たくさんの事例が長短織り交ぜてテンポよく語られています。

そして本書が読者を大きく勇気づけるのは、「できる人の共通点」が、決して生まれながらに備わっていた才能ではないという指摘。さまざまな試行錯誤を重ねつつ、自らの努力や工夫によって後天的に獲得した能力だというのです。

〈できる人は生まれてからずっとできる人だったわけではないのです〉

〈できる人は、社会はアップデートされていくものという前提のもと、新しいことをどん欲に学び、時代に適応していきます〉

とあるように、「できる人」たちは不断の学びによって挑戦を続け、武器を磨いていったというわけです。
しかも、それらのチャレンジは成功するとは限らず、むしろ失敗に終わるものの方が多いのに、「できる人」は皆、その失敗談を楽しそうに話すのだとか。

つまり、生まれつきの才能によってうまいアイディアがひらめくのではなく、突破口を見出すまで膨大なトライ・アンド・エラーを繰り返している。そんな泥臭い粘り強さを持ったのが「できる人」たちだというわけです。

他にも本書には貴重な知見や示唆がたくさん盛り込まれ、いちいち記していくとキリがないのですが(読み返したい箇所に付箋を貼っていったら相当な量になってしまった)、僕が特に興味をそそられた指摘を1つ挙げると、「できる人は、うまくいっているときこそ、自分が調子の乗らないように謙虚かつ冷静に行動することを心がけている」という点です。
陰山さんの「うまくいっているときは、何を心がけているか」という質問に対し、できる人たちは異口同音に1つの回答を返してきます。

〈その答えは驚くほど一致し、「うまくいっているときこそ、自分を律するようにしている」ということです。より簡単に言えば、調子に乗らないように節制した行動・態度を取っているのです。
その理由は、「人生はうまくいき続けることはない」「調子に乗ると失敗する」ということを、経験的に、感覚的に理解しているからです〉

このくだりを読んだ瞬間に思い出したのは、将棋の大山康晴十五世名人の言葉でした。名人18期をはじめとする数々の記録を打ち立てた不世出の大棋士は、こんな名言を残しています。

「考えねばならんのは、うまくいきすぎているときですよ」

これはまさに、陰山さんのインタビューに答えた「できる人」たちのスタンスと同じです。結果が出ても決して手放しで喜ぶのではなく、むしろ気を引き締め、日頃のルーティンを怠らず次に備えるべし──と。
大山名人の「一時期だけ強いのは『一時力』(いっときぢから)といって誰にでもあること。頂点にいて勝ち続ける者が真の強者である」という勝負哲学も、その基礎は「うまくいっているときこそ自分を律する」スタンスにあるのでしょう。

著者の陰山さんは1977年生まれですから、まだ40歳そこそこの若さ。祖父上と父上が企業家、ご本人は大学院で電子・光子材料を研究してからシャープに勤務したという経歴の持ち主です。
つまり、会社員だけでなく企業家の感覚も知り、経営学だけでなく理工系の知識も持ち、アカデミズムの世界だけでなく企業で働いた経験もある。そんな多様なバックグラウンドによって育まれた著者の視点が、本書の内容にもまた多様性と厚みをもたらしているように思えます。
できる人書影


新年度が始まり、高校生になっても一向に衰える気配がない藤井聡太六段の人気。それに伴って、師匠である杉本昌隆七段の姿や発言をメディアで目にする機会も増えています。

弟子が可愛くて可愛くて仕方がない様子の杉本七段に好感を持っている人は多いと思います。僕もその1人。

その師弟が今年3月8日、公式戦で初めて戦って(王将戦1時予選)話題を集めましたが、当の対局について杉本七段自らが記した自戦記が「将棋世界」2018年5月号に掲載されました。一読し、弟子への優しい思いと勝負師としてのプライドが滲み出る文章に、何とも心温まる気分になりました。

ふだんは「藤井君」と呼んでいる弟子を、文中、師匠の心境のときは「藤井」、勝負を争う棋士の心境のときは「藤井六段」と区別して表記。
そして、病気のファンとの出会いや30年前に亡くなった師・板谷進九段への感傷、奨励会退会を余儀なくされた弟子たちへの思いなど、温かい気持ちがいろいろ綴られます。

同時に、「絶対に勝ちたい」という強烈な意志がビシバシと伝わってくるのもこの自戦記のユニークなところ。
千日手後の指し直し局、後手番になった杉本七段は四間飛車を採用するのですが、それは今まで、藤井六段との研究会でほとんど指さなかった戦法だからだというのです。つまり、弟子にとっては経験値が少ない一方、自分にとっては〈棋士になれた原点〉と言うほどよく知る戦法を選ぶことで、少しでも有利に進めようとしたわけです。

結局、藤井六段が仕掛けた攻撃への対応を誤った杉本七段は、すでに広く報じられた通り、負けてしまいます。その敗戦後の心境を明かす次のような箇所が、また素晴らしく感動的でした。

〈対戦相手の藤井六段に感謝した〉

〈「ひどい内容で申し訳ない」と言いたかった〉

〈いつも通り、この上なく悔しく、そして「もっと研究せねば」と思った〉

師匠としての愛情と、棋士としてのファイティングスピリットが共に柔らかく伝わってくる自戦記。これを読むためだけでも、将棋世界のこの号を買った価値がありました。
将棋世界


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