読んだ本の紹介、感想を含め、面白かったものや楽しかったことについて書いていくつもりです。

結婚や就職といった大きなものから、日々の生活の雑用など小さなものに至るまで、人間は常に何かを選び、何かを捨てながら生きています。すなわち人生は「無数の選択の連続」といえるでしょう。

ただし、選択が100%の自信と共になされることは(それが大きい選択であればあるほど)ほとんどありません。1つのものを選んだ結果が将来どのようになるか、どんなリスクが顕在化するか、誰にもわからないからです。

とはいえ、さまざまな知識や情報を集めて考えることで、ある程度までは、人生で何かを選んだ結果を予測することはできます。そのために、専門家や経験者たちの話を聞いて、重要な選択した後にどんな事態が待っていそうかをあらかじめ頭に入れておけば、不安は少なくなり、自信を持って生きていけるのではないか。
そういう考えに立って編集されたのが本書『宝くじで1億円当たった人の末路』です。

「宝くじで大金を当てたら何が待っているのか」
「不動産でいわくつきの事故物件を借りたらどうなるのか」
「キラキラネームを付けられた子供の将来はどうなるのか」
「結婚して子供を作らなかった人はどういう人生を歩むのか」
「バックパッカーとして世界中で自分探しの旅を続けても将来は大丈夫なのか」
「都市部から田舎へ移り住んでのんびり暮らすことはできるのか」

……などなど23項目にわたる「選択」と「予想される結果」を、著者の鈴木信行さん(日経ビジネス副編集長)が各分野の識者にインタビューし、一問一答形式の本文と短い解説記事で構成した一冊。売れ行きも好調と伝えられています。

主に実用面から人生の損得勘定を教える本は他にも多くありますが、その中にあってまず本書を目立たせているのが「末路」という単語のインパクト。
悲惨な行く末を連想させる強烈な語感で、怖いもの見たさを含む読者の好奇心をぐっと引き寄せる、センスの良い言葉の選択だと思います。

そして面白いのは、タイトルに「末路」と銘打っておきながら、内容はきわめて真っ当で、バランスの取れたものだということ。
それぞれの分野で、信頼できる専門家がファクトとロジックに基づき、具体的なケースやたとえ話などもうまく援用しながら、さまざまな「選択の結果」を予想、説明しているのです。有益な情報がたくさん紹介されているのですが、リーダブルな文章のおかげで、その密度の濃さも気にならずにスラスラと読み進めることができます。

僕にとって、本書で最も興味深く感じられた点は2つあります。
1つは、どの説明も、決して陳腐で既視感のある内容に陥っておらず、かといって、奇を衒いすぎたり極端な方向に走りすぎたりもしていない点。
あくまで「知」をベースに論理的に話が進み、しばしば通説や俗説がひっくり返されたりするのは痛快です。また、常にたった1つの正解があるとするのではなく、場合によっては、異なった結果それぞれにメリットとデメリットがあるとしているのもフェアな姿勢だと思います。

たとえば「子供を作らなかった人の末路」では、回答者の朝生容子さん(キャリアコンサルタント)が「子供がいなくても幸せに生きられる」ということを丁寧に説明し、いまも世間に残る「子供がいないのは変」「かわいそう」という風潮を気にする必要などないと述べています。
その中で紹介されている、「子供の有無で幸福度に差はない」という米国の大学の研究結果や、「子供がいない夫婦の方が子供がいる夫婦より夫婦関係への満足度が高い」という英国の大学の研究結果は、世の中の(そして僕自身の)思い込みと違ったものだったので、驚かされ、好奇心をかき立てられました。

かといって、朝生さんは「子供がいない方が幸せ」と主張しているわけではありません。あくまで、子供の有無と関係なく人間は幸福に生きられるのだというバランスの取れた考え方で、たとえばこんな発言をしています。

〈子供を持つ人も持たない人も、お互いに「羨ましいな」とか「大変そうだな」と思うこともあるし、お互いに「自分の人生はこれでいいのか」と不安にも思う。でも人間はそれぞれの人生を引き受けて生きていくしかない。お互いの生き方を対立構造で語っても不毛です〉

まったくの正論だと思います。同時に、「人生はこうでなければならない」と画一的な要素を押しつける空気が世の中でいかに支配的かということも、改めて思い出させます。
このように、「同調圧力」に流されるなという暗黙の呼びかけは、他の箇所からもたびたび伝わってくる本書の通奏低音で、静かに読者を勇気づけてくれます。

もう1つの興味深い点は、それぞれのテーマについて説明がなされるに連れ、その背後で絡まり合う世の中のさまざまな制度や仕組み、しがらみなどが見えてくること。
テーマ部分はあくまで氷山の一角に過ぎず、関連する諸事情を知っていくうちに、広く水面下の社会についての学びも得られるわけです。

たとえば「キラキラネームの人の末路」
奇妙な名前を付けられた子供にどんな人生が待ち受けているのか、命名研究家の牧野恭仁雄さんが語っているのですが、キラキラネームの増加に警鐘を鳴らす牧野さんの説明からは、単に珍名の流行の分析に留まらず、企業の考え方や現代人の無力感、現代社会の閉塞感までがくっきりと浮かび上がってきます。

就職の採用時に不利になりがちで、学校でのいじめにも遭いやすい奇天烈な名前をなぜあえて子供に付けるのか。
この問題に関して非常に面白かったのは、インタビュアーの鈴木さんが「民度があまり高くなく、社会ルールも積極的には守らない、どちらかと言えばアウトローな人たち」がキラキラネームを付けるのではないかと言うと、牧野さんが言下に否定してこう語るところ。

〈全くの誤解です。奇抜な名前を付けようとする親の多くは、ごく普通の人たちです。階層も中流以上で、社会的地位もある大変真面目な人たちがすごく多い。
(中略)彼らには大きな共通項があります。「自分は個性的ではない」「抑圧された環境で没個性的な人生を余儀なくされていた」という強い無力感、欠乏感を抱えているということです。そうした人たちが親になると、当然、子供には「個性的で格好いい人生」「環境に適応するのでなく自分で選んだ人生」を生きてほしいと願います。そんな思いが名付けの段階で暴走してしまう。これが「悪質なキラキラネーム」が生まれる最もありがちな構図です〉

ここもまた、専門家によって通説や思い込みがあざやかにひっくり返され、爽快な知的カタルシスを感じた箇所でした。

本書で1つ気になった点も記しておきます。
有益な知識や情報、考え方を教えてくれるのは一冊を通じて最後まで変わりませんが、正直なところ、前半に比べて後半では、テーマの重要性や切り口、焦点の絞り込み方、タイトルなどにいくらか弱い部分があるように感じられました。連載を書籍化すると、そうなるのはある程度やむを得ないのかもしれませんが……。

たとえば「電車で『中ほど』まで進まない人の末路」「『グロい漫画』が好きな人の末路」は、独立したテーマにするほどのトピックなのかとやや疑問でした。
また、「リモコン発見器の末路」「男の末路」は、項のタイトルがあまりにも漠然としていて、もっと読者を惹き込む工夫をする余地があるように思われました。たとえば前者を「世紀の発明をしたベンチャー企業の末路」、後者を「草食化して女より弱くなった男の末路」くらいにすれば、両者とも本文の内容は面白いので、より読者に満足感を与えられたのではないでしょうか。

ただしそういった弱い部分は、本書の優れた実用性や密度、コミュニケーション力などを考えれば、ごく小さな問題にすぎません。
最後の「おわりに」で、本書の裏のテーマは、前述した同調圧力に自分を合わせず堂々と望むように生きようというエールだ、と記されていますが、その試みは十分に成功しています。
「人と違ってもいいじゃないか」「世間の常識なんか気にせずやりたいことをやって自由に生きようよ」というメッセージを、具体的なリスクの説明や指針の提示と共に発することで、本書はささやかであっても確実に「多様性の推進」に貢献する良書になっているのです。
宝くじ書影

ひょっとしたら都市伝説の類かもしれませんが、前に酒の席で、事情通の友人から「奇妙な老人ホーム」の話を聞いたことがあります。
その老人ホームに入居できるのは、某財閥系グループの某有名大企業の出身者のみ(それも定年退職した人たちだけで、定年前に辞めた人には入居資格なし)。不思議なのは、入居者たちは概ね健康状態も良好で、家族もいるという点です。
つまり、普通に社会生活を営めるほど心身ともに元気で、家庭で暮らすことも可能なのに、わざわざ老人ホームに入っているというのです。

要するに彼らは、老後を共に過ごす相手として、家族や友人たちではなく、かつて勤めた会社の元同僚や元上司、元部下を選んだわけです。そして奇妙なことに、「◯◯常務」「△△部長」「□□局長代理」などと会社時代の肩書きでお互いを呼び合っているのだとか。
 
交わされる会話も「こいつは俺が部長に引き上げてやってさ」「なんであんなバカが副社長になれたんだ?」「お前は秘書課の女に手を出したのがバレたから役員になれなくて子会社に出されたんだよな」……という具合。要するに、相変わらず会社の昔の人事話や同僚の悪口、ゴシップといったものばかりだそうです。

正確な事実関係はわかりませんし、ある程度の誇張も含まれているのかもしれませんが、とにかく最初にこの老人ホームの話を聞いたとき、失礼ながら僕はまず笑ってしまいました。
教えてくれた友人に「辞めてからも延々と会社ごっこをやってるなんて気持ち悪い」「会社しか世界がない人たちなのか?」「家族と老後を過ごそうと思わないのかな」といった感想を漏らした記憶もあります。

しかし、しばらく時間が経ってこの話を思い出したとき、湧き上がってきたのは別の感情でした。どこか痛々しく、哀しい……。
会社という居場所を失ったにもかかわらず、それに代わる場を見つけられず、擬似的な会社のような老人ホームで、孤独を紛らわせている人たち。シェルターに身を寄せ合っているようなその様子が、何とも悲痛に感じられたのです。

ベストセラーになっている楠木新さんの著書『定年後 50歳からの生き方、終わり方』を読んで、なぜか突然、そんな奇妙な老人ホームの話(及びそれに対して自分が抱いた感情)を思い出しました。それは本書が取りも直さず、「会社員にとって、会社という場所を失うことの意味」「会社に代わる場所の作り方」をテーマの核心に据えているからです。

それに沿って楠木さんは、手厚い取材を重ねていくつもの実例を紹介し、「会社を定年退職した人がどう生きるか」を丁寧にアドバイスしていきます。
実例として「メーカーの部長職から美容師に転身した人」「商社マンから文筆業に転じた人」「信用金庫支店長からユーモアコンサルタントになった人」などが登場。“定年後の新たな人生”をリアルに伝えてくれて、大いに参考になります。

楠木さん自身の経験の織り交ぜ方も巧みです。
生命保険会社に勤務していた楠木さんは、47歳のときに会社生活に行き詰まって体調を崩し、長期休職。家でどう過ごしていいかわからず、テレビ番組もつまらなく、街をぶらぶら歩いていると不審の目で見られ……といった辛い経験をします。
会社を辞めることを考えてハローワークに行っても、魅力ある仕事は見つからない。特技もない自分には、再就職も独立も簡単ではない─と思い知ったそうで、当時をこう振り返っています。

〈私は休職した時に、自分がいかに会社にぶら下がっていたかを痛感した。同時に、個性や主体性の発揮は他人がいて初めて成立するものであって、独りぼっちになれば何もできないことを学んだ〉

しかし、「人間万事塞翁が馬」という言葉があるように、この休職時の苦悩が、楠木さんにとって新たな生き方に踏み出すチャンスになりました。
定年後の生き方を模索して試行錯誤を重ね、50歳で執筆活動を開始。サラリーマンとライター業の二足のわらじを履き、2015年に定年退職した後も、執筆や講演の仕事を続けてきたのです。 

ただし、会社にいるときから著作活動をしていても、定年退職した後は、生活の激変に戸惑ったそうです。たとえば──。

曜日の感覚がなくなってくる。
予定がなくなるので、手帳に書き込んだり見たりする頻度も激減する。
スーツやネクタイが不要になる一方で、普段着が足りなくなる。
起床の時間が遅くなり、生活リズムが乱れる。
自分の名前を呼ばれることがほとんどなくなる……。 

また、引き継いだ仕事について会社からときどき問い合わせの連絡があるのではないかと予想していたら、実際には元同僚からたった1本の電話があっただけだったそうです。
それらの変化によってもたらされた喪失感や淋しさを、楠木さんは冷静な筆致でこう語っています。

〈会社にいた頃の思い出を抱いているのは自分だけで、会社から見れば何の関係もない人間になっているわけだ〉

〈私には楠木新というペンネームがあり、編集者やセミナーの主催者とメールなどでやり取りしているのでなんとかもっている。それがなければちょっと耐えられないかなと感じている。やはり人は一人では生きていけないからだ〉

見方を変えると、日本の会社員にとって会社とは、安定的に給料をくれるだけではなく、人生の多くの部分まで細かくケアしてくれるありがたい存在なのです。
在職中は当たり前に思えても、失って初めてわかるその大きな価値を、楠木さんは「会社は天国」と一言で言い切っています。

会社にいれば、自然にオンとオフのスイッチが切り替わって規則正しい生活になります。打ち合わせや会議、同僚との雑談、ランチ、酒席、忘年会、歓送迎会といった場で、世代の違うさまざまな人と交流できます。
社外の人にも会う機会があります。ときには、出張という名の旅行や接待という遊びが会社のお金でできます。

もちろん、組織に拘束され、義務を課されるストレスがあるのも事実。しかし多くの場合、それを上回る心の充足が、会社における人とのつながりと刺激によってもたらされるのも間違いありません。

〈毎日社員が集う会社というのは、なんとも居心地がいい場所だったという思いがある。(中略)同僚との他愛のない無駄話や終業後に飲みながら騒ぐ機会がないことに淋しさも感じている。
同じ通勤電車、同じ仕事、同じ同僚、変わらないランチ、それらをあと5年間も続けるのは嫌だと思って定年退職を選択した。しかしその時に否定していたものが懐かしくなるのだから面白いものだ〉

しかし、会社に勤めていた頃の生活に戻ることはもちろんできません。その変化が、本書では的確にこうまとめられています。

〈今(定年)までは自らのライフステージとキャリアステージの両方の面倒を会社が見てくれたが、定年以降はそれらが全く期待できなくなるのである〉

では、定年退職した人たちはどこへ行ってどんなことをしているのか。楠木さんはいろいろな場所へ足を運んで取材しているのですが、その紹介がまた具体的で、本書の面白さの1つになっています。

図書館、ハローワーク、大型ショッピングセンター、ハイキングコース、スポーツクラブ、喫茶店、ハンバーガーショップ、証券会社、百貨店の紳士服売り場、理髪店、スーパー銭湯……などなど、定年退職者が出没する場所は実に多岐にわたります。
そして、そこでの観察を通じてわかったシビアな真実が、次のように簡潔に語られます。

〈それぞれの場所における定年退職者と思しき人たちの特徴を一言で言えば、誰もが独りぼっちだということである〉

結局、定年退職者の姿から明らかになるのは、日本人の中高年男性が会社以外で持っている「生活の場」や「人間関係」がきわめて乏しいということ。しかし、人間は何らかの形で社会につながっていないと、生きていくことができません。
 それなのに、会社を辞めて空いた時間を家族と楽しく過ごそうという意識も乏しいため、前述したように、図書館、スポーツクラブ、喫茶店……といった場所で、独りで時間をやり過ごすことになるわけです。その実情を、楠木さんはさらにズバリとこう断じます。

〈定年後、日本人男性は本当に世界一孤独になるのである〉

本書を読むうちに僕がギクリとしたのは、「定年退職してからイキイキした生活を送っている人は同期全体の1割5分くらい」という指摘でした。
これは、正確に言うと、楠木さんの先輩に当たる65歳の男性が、同期の仲間たちについて感じていることだそうです。したがって、同じ定年後でも、たとえば62歳とか70歳とかの人たちについては、違う結果になるかもしれません。
しかし、いずれにせよ、定年からわずか5年後に、85%の人がイキイキと生活できなくなっているというのは、小さな衝撃でした。

本書の柱となる主張は、定年退職した60歳から74歳までを「黄金の15年」と考えて、それを充実させる準備を会社にいる間の50歳前後、できれば40代後半から始めておくべきだ、というものです。
「黄金の15年」こそが、多くの時間を自分のために費やして、能力を最大限に発揮して生きられるラストチャンスの時期だ──と率直に説いています。

近年、日本人の平均寿命は伸びるばかりで、男性で約80歳、女性で約88歳。つまり、60歳で定年退職した男性でも、さらに平均して20年以上の時間を生きることになるわけです。
これは、人間の生き方、働き方に抜本的な変革を迫る、史上初めての事態と言っていいでしょう。

従来よりも少し先に延びた「死」を前提にして、そこから「生」をどう充実させていくかという“逆算型”の発想が楠木さんの基本スタンス。それを踏まえて、60歳まで会社にいた人が、会社と離れた60歳以上の決して短くない時間をどう充実させていくか──というのが本書の大きなテーマなのです。

楠木さんが強調する点で興味深いのは、会社での出世や栄達が必ずしも60歳以降の人生も輝かせるとは限らない、ということ。むしろ、出世したせいで定年後に厳しい状況に陥るケースも少なくありません。
逆に見ると、会社では“勝ち組”に入れなくても、辞めた後と幸せに過ごせれば良い一生を送ったことになるわけです。その考え方は以下のように説明されています。

〈若い時には注目されず、中高年になっても不遇な会社人生を送った人でも、定年後が輝けば過去の景色は一変する。やはり、終わりよければすべてよしだ。そういう意味では定年後、いわゆる人生の後半戦が勝負なのだ〉

だから「黄金の15年」を輝かせようというロジックですが、本書の良いところは、ただ定年後を充実させるべしと抽象的な目標だけを説くのではなく、その実現のための具体的な秘訣やコツを伝え、根拠も説明している点にあります。
たとえば、定年退職後の準備を40代後半から始めておくべき理由として、スタートが早いほど選択肢の幅が広がるから、としているのはすんなり腑に落ちます。同時に、会社にいることを利用して多くの人と会って人脈を広げ、さまざまな知見を蓄えれば定年後の武器になる、というアドバイスも実践的です。

また、「そもそも定年後に何をすればよいか」が解説されていることも、読者には非常にありがたい。
具体的には、「子供時代や若い頃から好きだったこと、得意だったこと」に取り組めば、往々にしてうまく行くケースが多いそうです。教育関係に携わっている人や、若い人に役立つものを持っている人も、イキイキと暮らしている場合が少なくないのだとか。

さらに細かく、「定年退職した人が社会とつながる際の3つの具体的なパターン」や「3つのパターンのどれを選ぶにせよ、こだわるべき2点」なども説明されており、やはり有益です。内容に興味のある方は、ぜひ本書でお読みください。
とにかく、数多くの人や事例を取材して、きちんと咀嚼し、そこからルールやトレンドを抽出してわかりやすく伝えていく楠木さんの手腕は見事です。分析力とコミュニケーション力(取材でも文章表現でも)が光ります。

定年退職後の人生について書かれた著作には、深刻さや悲惨さを煽るものか、逆に「年を取ることは素晴らしい」といった根拠なき楽観論に立つものか、そのどちらかが多いように見受けられます。しかし本書は、いずれにも偏らないバランス感覚の良さが特徴。
「定年後」というテーマを追うことで、会社の意味や仕事の意味、そして人生の意味までも考えさせる重層的な内容になっています。地に足ついたリーダブルな文章で書かれた、優れた会社論にして社会論、働き方論、生き方論でもある1冊です。
定年後書影

〈人間とはおもしろいものなのだ。そのおもしろさを伝えていきたい〉

近年、数々のスクープを連発してきた「週刊文春」の勢いは、相変わらず衰えることを知りません。
この快進撃の立役者となった新谷学編集長の著書『「週刊文春」編集長の仕事術』の核心は、煎じ詰めると先に引用した一行に尽きるのではないかと思います。

本書には何度も「おもしろいコンテンツを読者に提供したい」「人間ほど多面的で興味の尽きぬおもしろいものはない」という趣旨のことが記されています。僕なりに整理すると、

「おもしろいものを世の中に出していきたい。
世の中でいちばんおもしろいものは人間である。
だから人間のさまざまな面を追って取材し、記事にする」

というシンプルな三段論法(?)が、おそらく新谷さんの仕事哲学の中心にあるのでしょう。
そして、対象が政治家でも経営者でも芸能人でも、題材が権力闘争でも凶悪事件でも男女関係でも、どこまでも「ヒューマン・インタレスト」に応えていく形での編集が、読者の多様な好奇心を刺激して、週刊文春の好調を生んだのだと思います。

とにかく、新谷さんの「人間」と「おもしろさ」への徹底したのめり込みぶりには、感心するしかありません。特に、いろいろな場面で「人間」を大切にするということで、新谷さんのレベルを上回る人はほとんどいないのではないでしょうか。
この点は、週刊誌の編集者だけでなく、メディア関係者だけでもなく、「人間」と一緒に、「人間」に向けて、「人間」のために働くすべての人にとって、重要な哲学とノウハウになっていると思います。

人のさまざまな言動をおもしろがること。
それだけではなく、多くの人と直接会ってまめに付き合い、信頼関係を築くこと。
毎日、自分から積極的に新しい人と会うこと。
キーマンを探して関係を深め、「キーマンから最初に思い出してもらえる人間」になること。

……と、「人」「人との出会い」「人との関係構築」「人との関係の維持発展」などについて、貴重な知恵が明かされていきます。こういったスキルは、単に実用的に仕事に役立つだけでなく、何よりも実践して楽しいものでもあると思います。

〈どれだけ人に会うか、その出会いをどれだけ大切にするかに尽きる〉

〈我々は会った人によって鍛えられる〉

そう語る新谷さんが「すごい人」だと評価する人たちの特徴というのが、また非常に興味深いものでした。すごい人ほど他の人との関係を大切にする、として、具体的に2つの特徴が指摘されています。

「すごい人」の1つ目の特徴は、誰かと会話していて「また会いましょう」「今度食事でもしましょう」などとなったとき、「具体的な日にちはまた改めて」ではなく、その場でスケジュールを調整して決めてしまうこと。
これは、いわば「あなたとの関係を深めていきたい」「あなたは私にとって非常に大切な存在です」といった意思を伝える何よりのメッセージでしょう。
僕自身の経験でも、これをやられると感激して、「この人とは誠意を持って付き合いを続けよう」という気になります。
(逆に、会うたびにいつも「今度飲もうよ。連絡する」などと言いながら、まったく連絡してきたことのない人に対しては、正直なところ、「こういう人間は信用できないな」と思います)

そして、新谷さんが挙げる「すごい人」の2つ目の特徴は、肩書きで人と付き合わないこと。
相手の所属先や地位や肩書きを見るのではなく、相手の所属先や地位や肩書きが変わっても、信頼できると見れば、1人の人間としてフラットに付き合いを続けるということでしょう。本書には以下のような興味深い指摘もあります。

〈おもしろいことに、肩書きが外れても人間同士の関係を維持するタイプの人の方が、その組織の中で圧倒的に出世している〉

このように、いろいろなやり方で「人間」を大切にしているという新谷さんは、浅薄な正義感で人を裁いたり、イデオロギーによって人の言動を判断したりしません。
複雑に入り組んだ、ある意味で矛盾に満ちた人間の多面性を「ああ見えるあの人には、実はこういう意外な一面もあるんだよ」というように、非難も糾弾もせずにただ提示していく。そんな“大人の姿勢”こそが、週刊文春の編集スタンスに反映して、読者獲得の原動力になっているのでしょう。
 
故・立川談志は「落語は人間の業の肯定だ」という名言を残しましたが、それと同じく、週刊文春も人間の業を肯定する──と本書では語られています。善悪や正邪の判断は読者に任せ、人間のさまざまな言動をひたすらファクトとして報じ、おもしろがらせるという姿勢です。

本書ではもう1つ、新谷さんが語る「リーダー論」も興味深いものでした。
週刊誌編集部という大所帯で、非常に個性的な編集者や記者たちを率い、彼らに力を発揮させて結果を出すのには、優れたリーダーシップが必要でしょう。少なくとも、闇雲に尻を叩いたり、おだてたりするのでは意味がないことは明らかです。
 実際、本書で明かされているリーダー哲学は、他のいろいろな組織でも十分に応用できる普遍性の高いものだと思いました。

特に興味深かったのは、新谷さんが、「嘘をつかない」「弱い者いじめをしない」「仕事から逃げない」の3原則を自分と部下に徹底させている点。そして、「フェアであること」を大切にしている点です。
特に後者については、「ネタ」に対しても、「人」に対しても、「仕事」に対してもフェアであろうと努めているとして、こう記しています。

〈特定の人間ばかりを重用することはない。(中略)特別なことがない限り、現場の人間とは食事に行かない。一人と行ったら、他の人とも行かないと不公平になってしまう。中には、お気に入りの人、優秀な人とばかり付き合う編集長もいる。しかし、依怙贔屓をしてしまうと、それ以外の人のモチベーションが下がる〉

この引用部分の「編集長」を「上司」という言葉に入れ替えれば、これがどの分野のリーダーにとっても大切な姿勢であることがわかるでしょう。同時に、「お気に入りや優秀な部下ばかりと付き合わない」「依怙贔屓をしない」というスタンスを持っているリーダーが実際にはいかに少ないかということも……。

結局、組織をマネジメントするに当たっても、新谷さんは「人」及び「人との信頼関係」を大切にしているということがわかります。
リーダーシップの根源は「信頼」であって、そのために部下との信頼関係を築こうと努めている旨が本書では説明されていますが、それはまた、外部の人との間で信頼関係を構築すべく常に腐心しているのと同じことなのでしょう。
すべては人である、という本書の大きなテーマは、リーダー論にも通じているわけです。

また、新谷さんが挙げる「ダメなリーダー」の説明にも大いに納得しました。中でも、僕が直接経験したり、間接的に見聞したりすることの多い、明らかに悪しきリーダーのパターンが3つ紹介されていて、思わず「その通り!」と膝を打ったので、その説明を引用します。

〈最悪なのは「俺はこうやろうと思う」と言って企画を提示したら、みんながシーンとなり、右から左へそのまま通ってしまう組織だ。誰も異を唱えないのは危険極まりない。そういう組織はリーダーが反対意見を言う人間を左遷したり、干したりしていることが多い。そんなことをしていたら、あっという間に「裸の王様」の誕生だ〉

〈リーダーが厳に慎むべきは、部下からの報告に「そんなことは知っている。俺のほうが詳しい」と張り合うことである。こういう上司はどの世界でも意外に多い。記者が目を輝かせて報告しても、「そのネタ元とは俺のほうが古い付き合いで、俺が聞いている話はこうだ」と大勢の前でこれ見よがしに言われては、モチベーションは一気に下がる〉

〈いちばんダメなのは、最初からレッテルを貼ったり、予断を持って「あいつやる気ないからダメだよ」とたらい回しにするようなリーダーだろう〉

いずれもごもっとも、と言うほかはありません。

最後に僕が新谷さんと週刊文春に希望するのは、本書に記された「親しき中にもスキャンダル」を最近の事件でも実践してほしい、ということです。
週刊新潮が先日、安倍政権の御用記者と呼ばれている有名ジャーナリストのレイプ疑惑事件を報じました。このジャーナリストは、いったん準強姦罪容疑で逮捕状が発布されたものの、政権に近い警察幹部の意向で執行が見送られたというのです。被害者だという女性が顔を出して会見した、勇気ある姿も印象的でした。
 
本書では、以前このジャーナリストが週刊文春にスクープ記事を寄稿したときの経緯が記されています。新谷さんにとっては、いわば恩義のある筆者なのでしょう。そのせいかどうかはわかりませんが、週刊新潮が最初に報道し、他のメディアも一斉に後追いしたレイプ疑惑について、僕が知る限り、週刊文春はいままで報じていません。

しかし、この問題こそが「親しき中にもスキャンダルあり」を実践するのにふさわしいケースではないでしょうか。一度は週刊文春に注目記事を寄稿したジャーナリストが起こしたこの問題と背後の事情を週刊文春が追及し、スクープを放ってくれたら、まさにタブーなきメディアとして真価を大いに高めるだろうし、僕もさらに尊敬の念を持つと思います。
新谷氏著書書影

↑このページのトップヘ