4年前の夏、青森県弘前市に行ったとき、さらに足を伸ばして、レンタカーを借りて初めて白神山地を訪ねました。
トレッキングツアーに参加して、豊かなブナの原生林の散策を心ゆくまで楽しんだのですが、このときガイドを担当してくださった地元の方から聞いて興味を持ったのが、「マタギ」の話。
僕はマタギについて、東北の山岳地域で熊の狩猟で暮らしていた人々、というくらいの知識しかありませんでした。時代的にも、明治維新からまもなく次第に消滅していったのではないか、くらいのイメージを漠然と持っていたのです。
しかしこれは、僕の無知ゆえの誤りでした。

マタギは、時代の流れの中で減少しながらも、割と最近まで(1993年に白神山地がユネスコ世界遺産に登録されるまで)活動しており、今も「最後のマタギ」とも呼ぶべき何人かの名人や達人が伝統的な狩猟や山岳生活の技術を守って、後世に伝えようとしている──ということを知ったのです。
白神山地でトレッキングのガイドをしてくださった方も、そんな「昔ながらのマタギ」のもとでマタギ技術を学んでいる若い人でした。

このガイドさんの話を聞いたり、地元の資料室のようなところを見学したりして、マタギが決して熊の狩猟だけをしているのではないことを教えられました。
深い山中に何日間も分け入って、森林の恵みである山菜や果実やキノコを採り、渓流を泳ぐイワナを捕らえ(名人の中には手づかみにできる人がいたそうです)、熊のみならず猿やカモシカも獲る。
仕留めた熊についても、「熊の胆」や肉だけでなく、毛皮や骨や脂肪まで余すところなくすべてを活用する。
常に大自然に感謝を忘れることなく、動植物も魚も絶対に乱獲せず、必要な分だけを手に入れて、将来も持続的に取れるようにする──。
そんなマタギ文化の面白さに惹きつけられ、同時にそれが消滅しつつあることを惜しみながら、白神山地から帰ってきた記憶があります。

そして先日、本書『マタギ奇談』を書店で見かけて久しぶりにマタギのことを思い出し、その場で衝動買いしてしまいました。
著者の工藤隆雄さんは、登山に関する著作や児童向けの小説をよく書いている作家らしく、マタギについても『マタギに学ぶ登山技術』という本を25年前の1991年に刊行しています。
そんな工藤さんが、マタギたちから聞いたさまざまな「奇妙な話」を集めて一冊に編集したのが本書です。
日本の近現代史の中に顔を出すマタギの不思議なエピソードから、山の神の「祟り」などを伺わせるスピリチュアルな話、奇妙ではあるが理由のある数々の伝統的な風習、そしてマタギとは切っても切れない縁の「熊」を巡る逸話など、こんなことがあったのかと感心するような内容が盛りだくさんで、どんどん読めてしまいます。

明治時代の有名な八甲田山雪中行軍遭難事件で、幻影を見ながら命がけで軍のために尽くした挙句、“使い捨て”にされたマタギたちの哀しい運命。
「ヒマラヤ雪男探検隊」に加わったマタギが、地元のグルン族の人々と交流する中で知った不思議な事実。
撃ったものの仕留め損なった熊がマタギに対して企んだ復讐。
1日に4頭以上の熊を獲ってはならないという「四つグマ」のタブーを破った者を襲った悲劇。
ベテランのマタギが山中の湖で目撃した、体長10mという「魔物」のような大魚。

……などなど、どちらかといえば「心温まる話」や「感動的な話」は少なく、「奇妙な味」や「怖さ」があったり、「ひねり」が利いていたりする話が多く収められている本です。
熟練した歴史作家が余話として記す小編を思わせるもの、少しブラックな色合いのあるショートショートのようなもの、「遠野物語」や宮沢賢治の短編を彷彿させる土俗的な恐怖感を呼び起こすものと、「マタギ」というテーマ1つでこんなに多彩なストーリーたちが楽しめるのは嬉しい限り。

そして最後に配された「老マタギと犬」という話で、工藤さんは、25年前に白神山地で出会ったマタギの思い出とその後のことを記しながら、1993年の世界遺産指定と2004年の鳥獣保護区指定によって、2000年以上の歴史を持つマタギ文化が存続できなくなったことの悲しみを静かに綴っています。
自然を保護しようという決定によって、自然を守り、自然と平和に共存してきたマタギが消え去ることを余儀なくされるとは、何という歴史の大いなる皮肉でしょうか。
この一編も含め、本書は、縄文時代から続いてきたマタギ文化が終演を迎えたことへの、愛惜あふれる挽歌と言うべき一冊です。
マタギ奇談