読んだ本の紹介、感想を含め、面白かったものや楽しかったことについて書いていくつもりです。

カテゴリ: 音楽

前にも述べましたが、このところ妙にコンサートづいていまして、先日の上原ひろみに続き、今度は中国出身の天才クラシックピアニスト、ラン・ラン(郎朗)のコンサートに行ってきました。
場所は東京・赤坂のサントリーホール。ちょうど1ヵ月前に来た内田光子さんのコンサートの会場でもありました。
コンサートのタイトルは「ラン・ラン ピアノ・リサイタル」というもの。
ちなみにラン・ランは、2017年のNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」のテーマ音楽を、NHK交響楽団との共演で演奏するそうです。

サントリーホールの客席は予想通りすべて埋まっていましたが、他のクラシックのコンサートよりも明らかに女性の割合が多いように感じました(数字にしてどれくらいというのは表現しにくいのですが)。
やはり、1982年生まれと若いイケメンのラン・ランには、熱心な女性ファンが多いのでしょうか。
ラン・ランパンフ中身
プログラムは、前半がチャイコフスキーの「四季」、後半がショパンの「スケルツォ」第1番から第4番まで
これは、昨年発売の「ラン・ラン・イン・パリ」や今年発売の「ライヴ・イン・ヴェルサイユ」と同じ曲目です。
 
チャイコフスキーの「四季」は、1月から12月まで、ロシアの毎月の風物と人々の生活を描いた12のピアノ曲集。副題は「12の性格的な小品」です。
具体的な構成は「1月 炉端にて」「2月 冬送りの祭(謝肉祭)」「3月 ひばりの歌」「4月 まつゆき草」「5月 白夜」「6月 舟唄」「7月 刈り入れ人の歌」「8月 取り入れ」「9月 狩り」「10月 秋の歌」「11月 トロイカ」「12月 クリスマス」というもの。
僕は「舟歌」と「トロイカ」のみ記憶しており、後の曲は「そういえばこんな感じの曲だったな……」とぼんやり思い出す感じでした。

ラン・ランが「炉端にて」の冒頭部を奏でた途端、19世紀のロシア人たちの生活風景があざやかに描かれたようなイメージが次々と浮かび、あっという間に曲の世界に没入してしまいました。
ときに軽やかで、ときに叙情的で、ときに微妙にユーモラスな演奏でした。
ラン・ランパンフ表紙
後半のショパンの「スケルツォ」ですが、僕が覚えていたのはやはり有名な第2番のみ。
「スケルツォ」という言葉にはもともと「冗談」「しゃれ」「たわむれ」などの意味があり、昔は「諧謔曲」(かいぎゃくきょく)と訳されていたそうです。
速い三拍子のスケルツォは、明確な形ではベートーヴェンが初めて多楽章の交響曲やソナタの1つの楽章として採用しましたが、ショパンはそれを楽章ではなく、独立したピアノ曲として確立しました。

ショパンが作ったスケルツォは4曲。つまり、ラン・ランは今回、その全部を聴かせてくれたことになります。
もはや「冗談」の気分はなく、むしろシリアスな性格を持っていて、同時にスケールの大きな作品──と評されているそうです。

ラン・ランが弾いたショパンのスケルツォは、大海の怒濤のように激しく展開すると思えば、一転して赤ん坊の微笑のような柔らかさで包み込むという具合に、さまざまな表情で魅了してくれます。
とにかく、どこを取っても華やかで流麗な演奏でした。
音楽的な話ではありませんが、第2番が終わって拍手が鳴り止み、さて第3番の演奏が始まるかとなったときに、ラン・ランがいきなり目薬を差し始めたので、驚いたオーディエンスからは好意的な笑いが起きました。

終演後は何人もの女性ファンがステージに駆け寄り、花束やプレゼントを渡すという、クラシックのコンサートではあまりお目にかかれない光景が。
ラン・ランはその1人1人に満面の笑顔と丁寧な握手で応えていました。
女性ファンの1人は、彼が汗を拭くのに使っていたタオルを強引に奪い去って(?)しまうという猛者ぶり。凄いものです。

アンコールは3曲も演ってくれました。ポンセ「間奏曲第1番」ファリャ「火祭りの踊り」ガーシュウィン「前奏曲第3番よりアレグロ」でした。
中でも「火祭りの踊り」はラテン的な情熱と謎めいた呪術性が入り混じり、短いながら独特の魅力を持った佳品だと思いました。
ラン・ランアンコール曲目
僕がラン・ランのコンサートに行ったのは、一昨年(2014年)の4月に次いで2回目。
若くきらめくような才能を持つ演奏家が、新しい音楽世界を垣間見せてくれるのをダイレクトに感じ取れるのは、本当に幸せなことだと思います。

毎年この季節、つまり12月初めになると行くのが習慣のようになっている「上原ひろみ ザ・トリオ・プロジェクト」のコンサート。
だいたいいつも会場は有楽町の東京国際フォーラムで、終演後、閑散としたオフィス街を冷たい風に吹かれながらとぼとぼ歩き、「もう師走だな……」としみじみした気分で帰途につくのがいつものこと。
今年、上原ひろみのライブ自体は9月にも行ったのでちょっと書きましたが、そのときはトリオではなく、ミシェル・カミロ(有名なラテンジャズ・ピアニスト)とのデュオでした。火花の散るような連弾に驚嘆したのを覚えています。
上原ポスター
昨日(2016年12月3日)は再びいつものようにトリオでの演奏。
ただし、ドラムのサイモン・フィリップスは以前通りに元気な姿を見せてくれましたが、ベースのアンソニー・ジャクソンは病気療養中とのことで参加できず、代わりのベーシストとしてアドリアン・フェローが加わりました。
アドリアン・フェローはフランス出身の32歳。ジョン・マクラフリンやチック・コリア、リー・リトナーと共に活動し、「ジャコ・パストリアスの再来」と呼ばれる逸材だそうです。
上原ホール看板
会場の東京国際フォーラムのホールAは当然ながら満席。
僕が座ったのは1階席の後ろの方でしたが、ステージが良く見える場所で満足でした。

17時5分、高音のピアニシモで始まる1曲目の「SPARK」から、上原ひろみは全力で飛ばしてくれました。
恍惚とした表情で、上半身を激しく前後に揺さぶり、ときに中腰になったり立ち上がったりして弾きまくり、奔放にして繊細な音を全身を生み出してくれます。
その様子は、彼女がピアノと格闘しているかのようでもあり、また、彼女とピアノが1つになった巨大な生物が美しく咆哮しているようでもありました。
上原パンフ表紙
そして2曲目「DESIRE」が終わると、マイクを取って「こんばんは、上原ひろみです」と挨拶。
今年は北米、南米、オーストラリア、ヨーロッパ、そしてアジアと5大陸でツアーをしたので、移動が大変でマイルも貯まる1年だった、と語っていました。
そしてメンバーの紹介に移り、お辞儀をした後なぜか両手をずっと広げたままのアドリアン・フェローのことを「すしざんまいの社長の真似が好きなんです」と言って笑わせてくれました。
また、サイモン・フィリップスはカプチーノが好きで、この前ある店でカプチーノの上に自分の似顔絵が書かれていたので大喜びだった……といった楽しいエピソードも披露。

そんな風に会場を和ませてから、彼女は、コンサートでよく言うセリフ「皆さんと、この日この場所でしか生まれない音楽を作っていきたいと思います!」をこの日も口にしてくれました。
プレイヤーとオーディエンスが一緒に「今、ここ」だけにある音楽を作っていく──。
聞かれれば、自分もそのつもりで演奏しているよというミュージシャンは多いでしょうが、それをコンサートの場で進んではっきり言い切るのは素晴らしいことだと思います。
いつも彼女のその“宣言”が無意識に染み込むせいで、僕たち聴衆の心の奥の深い部分が、さらに彼女のグルーブに共鳴するのではないでしょうか。

それから続けて3曲を演奏し、前半が終わったのは18時5分と、開演からぴったり1時間後でした。
前半最後の曲「DILEMMA」の壮絶なピアノソロに会場からは歓声が上がっていました。

15分の休憩の後、後半の1曲目は、ドラムのソロで渋く始まる「WHAT WILL BE, WILL BE」。
さらに続けて2曲を演奏した後、上原ひろみはまたマイクを持って「ここで一曲、ソロピアノの曲をお送りしたいと思います」と語り始めました。
世界中のどこへ行っても、彼女のところには子供連れのお母さんたちが集まってきて、「この子にピアノの練習をするように言ってやってください」と頼まれるそうです。
そんなとき彼女は、「ピアノはやればやるほど楽しくなるよ」と子供に声をかけてあげるのだとか。
さらに続けて、こんなことを語ってくれました。

「私は小さい頃から30年もピアノを弾き続けてますけど、今でも毎日、やればやるほど、知らなかったことやできないことにどんどん気づいていくんです。
それが本当に面白くてやめられず、これまで続けてきました。
昔から、毎日ピアノを弾いて生活するのを夢見ていたので(自分がこうしてステージ上にいるのは)何度経験してもありがたいと思って噛みしめる光景です。
この気持ちが(オーディエンスに)届け、っていう思いでやっています」

僕はこれまで十数回、上原ひろみのコンサートに行っていますが、彼女がMCでこんな話をするのは聞いたことがなかったので、驚き、また感動しました。
また、どの分野でも超一流の人が「今もまだ新しい気づきがある」と語るのも本当に面白い。
その後、演奏してくれたソロの「WAKE UP AND DREAM」という曲は、静かで優しく、流れるような喜びに満ちている佳曲でした。

そしてさらに2曲を演奏してプログラムは終了。
1階席では大半の聴衆が立ち上がってスタンディング・オベーションを送っていました。
いつものように、いや、以前にも増して、上原ひろみの広く深く熱い音楽世界をたっぷり堪能しました。
アンコールの後、僕は会場の出口に向かいながら、演奏中の彼女の鬼気迫る表情とMCのときの天真爛漫な笑顔が交互に思い出されてなりませんでした。

このところ、ちょっとコンサートづいています。
2日前、カメラータ・ザルツブルクの演奏を聴きに横浜へ行ったばかりなのに、今日はついさっきまで目白のカトリック教会「東京カテドラル関口教会 聖マリア大聖堂」にいました。
「神の歌声」と絶賛される合唱を聴かせてくれる「チェコ少女合唱団 イトロ」のコンサートに行っていたのです。
IMG_5326
このチェコ少女合唱団について知ったのは、2年くらい前だったでしょうか。
YouTubeでたまたま、赤い服を着た女の子たちの合唱団が歌っている動画を見て、これはとんでもなく美しい声だとびっくりし、来日したらぜひコンサートに行きたいと思ってエバーノートにメモしていたのです。
それが今回、実現したというわけです。

少女合唱団と言っても、普通の女の子たちが趣味でやっているコーラスなどとは全然違います。それどころか、世界最高のプロ集団なのです。
プログラムによると、同合唱団は1973年、ボヘミア(チェコの中部と西部)に設立されました。今は、6つの予備課程に500名が学んでおり、そこから30人のみが選ばれて、プロとしてステージに立つことができるのだとか。
凄い倍率の厳しい競争を勝ち抜いてきた歌い手たちから成る、まさにトップクラスの女声コーラスで、これまで出場した国際コンクールで32回も優勝しています。
世界各国で頻繁に公演を行い、日本ツアーは今回が6度目(そんなに来ているとは知りませんでした)。「クリスマス・コンサート 2016」と題されています。

東京カテドラル関口教会は、椿山荘の道を挟んで向かいにあり、前は何度か通ったことがあるのですが、入るのは初めてでした。
会場の聖マリア大聖堂は建築家・丹下健三の作品としても知られており、内装はコンクリートの打ちっ放し。天井も高く、19時開演なので寒いかなと思いましたが、暖房が効いていたのか、そんなこともありませんでした。

やがて拍手を浴びながら、30人の合唱団と指揮者、ピアニストが入場。
コンサートは休憩を挟んで前後半という2部構成で、1曲目はヴィヴァルディの「グローリア ニ長調」から「天なる神に栄光あれ」でした。
少女たちの清澄な声が、多層的かつ軽やかに響き渡り、冒頭から弾むような気持ちにさせてくれます。
IMG_5327
やがて2曲目が終わると、2人が前に進み出て、「皆さん、こんばんは。皆さんの前で歌うことができてとても嬉しいです。最後までお楽しみください」などと滑らかな日本語で挨拶。
続いてすぐに3曲目、ドヴォルザークの交響曲「新世界より」の有名な「ラルゴ」が始まったのですが、これがなんとハミングとヴォカリーズだけで全篇を通し、ピアノの伴奏もなし。細やかで優雅なハーモニーに酔いしれました。

圧巻は、前半の最後に披露してくれた「組曲 虹よ永遠に」でした。
これは、原爆が投下された直後の広島で、被爆した子供たち、親たち、学校の先生たちが、苦しみ、渇いて亡くなっていく悲劇を歌い上げた曲。
僕も初めて知ったのですが、もともとは真実井房子さんという方の被爆体験をもとに、やはり被爆者である詩人の橋爪文さんが作詞し、中村雪武さんが作曲したものだそうです。
 
30分という大曲ですが、合唱団はすべて日本語の歌詞で、メゾソプラノ独唱の望月友美さんと共に見事に聴かせてくれました。世界一のプロたちだけあって、歌詞の内容もすべて理解した上での合唱だったそうです。
彼女たちが被爆した子供になりきって、美しくも悲痛な歌声で「助けて」「お水をください」「熱い」とポリフォニックに訴えかける様子は涙を誘いました。

後半も10曲ほど聴かせてくれましたが、僕の心に最も響いたのが、クリスマスソングのスタンダード中のスタンダード「きよしこの夜」
この曲はまず2人の朗唱で始まり、それに次々と他のメンバーが加わって、ピアノの伴奏なしで、純度100%の透明な歌声の合唱になります。
大げさではなく、この世のものとも思えないほどの美しさに聴き惚れているうちに、なんだかトランス状態のようになってしまい、「仮に今日がクリスマスイブで、神様が目の前に降りてくると言われたら、信じてしまうじゃないか」とぼんやり思ったくらいでした。

クリスマスソングの他に、チェコの歌や民謡も披露してくれました。
特にプログラム最後の民謡「踊れ、踊れ、輪になって」は、楽しいと同時にちょっと感傷的かつ叙情的な独特の雰囲気があり、なるほどこんな歌をボヘミアの人たちは代々歌い継いできたのだな、と歴史や民俗文化への興味も湧きました。
IMG_5324
再び流暢な日本語の「温かい拍手をありがとうございました。さようなら」という挨拶の後、アンコールは、レナード・コーエンの「ハレルヤ」と、菅野よう子さん作曲の東日本大震災復興応援のチャリティーソング「花は咲く」
歌声の美しさだけに留まらず、国の違いや言語の壁を超えて「魂」が伝わってきた良いコンサートでした。

しばらく前にたまたま、モーツァルトのクラリネット協奏曲と交響曲第40番を演奏するコンサートがあるという情報を見て、「そういえば、昔はよく聴いていたこの2曲を最近はしばらく聴いてないな」と思い、日時と場所をチェックしてみました。
開演は11月26日の15時から、会場は横浜の神奈川県立音楽堂
この日の夜は会合の予定があるけれど、15時からであれば問題なく行ける! と喜んでさっそくチケットを買いました。
 
それが昨日の、オーストリアの室内オーケストラ「カメラータ・ザルツブルク」の公演でした。
指揮とオーボエ演奏がハンスイェルク・シェレンベルガー、クラリネット独奏がアレッサンドロ・カルボナーレ。
「オール・モーツァルト 名曲プログラム」と題されたコンサートです。
プログラム
楽団についてもシェレンベルガーについてもカルボナーレについても、僕は名前を見たことがあるくらいで、演奏を聴くのは初めてでした。
カメラータ・ザルツブルクは1952年に設立され、まさにモーツァルトの優れた演奏で非常に有名なオーケストラ。
シェレンベルガーは1980年から2001年までベルリンフィルのソロ・オーボエ奏者を務め、その後は指揮者としても活躍しています。

神奈川県立音楽堂に行くのは2年ぶりくらいでしょうか。
桜木町駅から歩いて行きましたが、紅葉坂を上がるのがきつく、少し息が切れました。
会場の席は、9割以上は埋まっていたような印象があります。

最初の曲は「ディヴェルティメント第11番 ニ長調 K.251」
シェレンベルガーは中央に立って客席の方を向き、オーボエを吹きながら、オーケストラをリードして、生きる喜びのあふれる音を軽やかに紡ぎ出してくれます。
6つの楽章から成るこの曲が終わったとき、僕は良質のモーツァルト演奏を聴いたとき独特の幸福感に包まれました。

続いて2曲目の「クラリネット協奏曲 イ長調 K.622」では、カルボナーレのクラリネットの独奏とオーケストラの絡み合いが素晴らしく、澄み渡った晴れやかな世界に浸りました。
この後、カルボナーレが1人でアンコールに短い曲を演奏したのですが、彼のクラリネットから変幻自在に繰り出される繊細な音の奔流に、ぞくぞくと興奮しっぱなし。
終わった後、力いっぱい拍手しつつ、感動して深く溜め息をついてしまいました。
(後で貼り出されていたのを読んで知ったのですが、ホセ・ダニエル・シリグリアーノの「クラリネットロジア」という曲だそうです)

そして休憩後、この日最後の曲となったのは「交響曲第40番 ト短調 K.550」。
あまりにも有名なシンフォニーですが、カメラータ・ザルツブルクの演奏はしっとりと艷やかで、同時に深みを感じさせるものでした。

前から狙っていたわけではなく、偶然行くことになったコンサートですが、カメラータ・ザルツブルクとシェレンベルガーとカルボナーレを聴けてよかったとしみじみ思いました。次回はいつになるかわかりませんが、チェックすることにしよう。
全体の印象は、どこまでも「柔らかい」演奏だということ。
音楽に陶酔したまま、近所の野毛あたりで何杯か飲んで、酒にも心地良く酔って帰りたかったのですが、会合に急がねばならず、これは次回のおあずけとすることにしました。

先月、トン・コープマンとアムステルダム・バロック管弦楽団のコンサートに行ったことを書いたとき、もともと僕は、鈴木雅明さん率いるバッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)のファンだということにちょっと触れましたが、そのBCJのコンサートに久しぶりに行ってきました。
BCJ表紙
曲はJ.S.バッハの「ミサ曲 ロ短調」。
僕はこの畢生の大作を生で聴いたことがなかったので、前々から楽しみにしていました。
(聴いたことがあるのはCDで、BCJと昔のカール・リヒター指揮ミュンヘン・バッハ管弦楽団の演奏の2つだけでした)

会場は「彩の国さいたま芸術劇場」。JRの与野本町駅から歩いて10分くらいのところにあるホールです。
正直なところ、新宿から埼京線で40分と結構遠く、さらに天気が良かったこともあり、駅から会場までの道は結構西日がきつくて、着いたときはちょっと疲れていました。
まあ、遠いのを承知で行ったのだから仕方ありませんが……。
会場は満席でした。

曲については、あれこれ論評するだけの蓄積が僕にはありません。
舞台上にメンバーが揃った後、鈴木雅明さんが大きな拍手に包まれて登場。
腕を上げて指揮を始めた次の瞬間、圧倒的に美しいリエの響きが会場を包んで、僕たちオーディエンスは一気に曲の世界に持って行かれました。
BCJ中身
第1部の「ミサ」のあと、休憩を挟んで第2部「ニケーア信経(クレド)」、第3部「サンクトゥス」、第4部「オザンナ、ベネディクトゥス、アニュス・デイとドナ・ノビス・パーチェム」と実質的にたっぷり2時間あまり、豊かで繊細でみずみずしい演奏をじっくり堪能しました。
中でもテノールの櫻田亮さんの味わい深い歌声にしびれました。

これまでたまに「マタイ受難曲」は聴き返していたのですが、「ミサ曲 ロ短調」はあまり親しんでいなかったので、これを機会にときどき聴いてみようと思います。
そしてBCJは来年の春にまた「マタイ受難曲」をいくつかの会場で演奏するそうです。
僕は数年前に、川崎駅からすぐのところにある「ミューザ川崎シンフォニーホール」でBCJの「マタイ受難曲」を聴いて、大いに感銘を受けたのですが、なにぶん超大作だけあってたしか演奏の開始から終わりまで休憩を挟んで3時間半くらいかかった記憶があり、今回もしまた行くとしたら、きちんと体調を整え、音楽を楽しむための万全のコンディションで臨みたいと思います。

↑このページのトップヘ