2008年04月28日

ブログ移行

移行します。livedoorは2005年5月から丸3年使いました。ありがとう。削除はしません。

http://d.hatena.ne.jp/koheko/

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2008年04月24日

卒論執筆法に関するエントリーまとめ

今度ちょっとそういう授業をやらないといけないので,ネットで得られる卒論執筆法に関する知見についてまとめてみます。

卒業研究に大切なこと - かたつむりは電子図書館の夢をみるか

まずは卒論執筆直後の方のエントリー。一番具体的かもしれない。

1,やりたいテーマが決まったら最初に先行研究・関連文献の調査を徹底的にやる。

まずレビュー。これができていない人はものすごく多い。なぜなら,レビューは面倒くさいし,論文は読みづらいから。そこで,やりたいことを決める際,とにかく議論をしてください。誰とでもいいから。院生はそういう話大好きですから捕まえて話をしてください。最初はとにかく研究の話しをする。そのうち読むべき論文は分かってきます。

2,文献を読む際は本文だけでなく、その文献が引用/参照している文献も必ずチェックする

んー,まあできるといいかな。最初からやらなくてもいいかな。そのうちやりたくなります。ただ最近はciniiとかgoogle scholarとか超便利なものがあるからそっちでもいいかも。

3,読んだ文献については、書誌事項と内容のまとめのメモを作っておく

これはやるとあとですごく楽。論文用にブログをひとつ立ち上げて,どんどん記事にしていくとかいいかも。中原先生みたいな感じで。あるいは誰かにメールで送るとか。自分のためと思うとやらなくなるので,何かしら他者を巻き込む形がいいのでは。

4,プレゼンテーション/論文のフォーマット(形式・文体・デザインetc)は格好いい他人の真似をする

真似するにはどうしたらいいか。まずは見ないと,真似しようがない。ということで,研究会,学会とまでは言いませんが,院ゼミを見てみるとかはしてもいいかも。あるいは指導教授の発表とかなら見やすいかもしれませんね。講義よりはるかに面白いと思うので,是非。

5,調査実施時期は論文の〆切から逆算して考える

これもすごく大事。というより,「すぐ始めろ」という感じかな。「明日から」はご法度。今日が無理だとしても,具体的な日程を決める。でないとどんどん先延ばしになりますよ。

6,研究過程は出来る限り明かす

これは便利な発想で,「方法」部分を長く書けば?というご提案。書くことなくなりますからね。方法を長く書くというのは結構盲点。完結にというイメージがあるし。しかし,今後人間科学系はon situation系で書くことを求められる可能性もあるので,この発想は持っていていいと思う。

7,とりあえず書けるところまで書いてみることを繰り返す

まあこれが一番しんどいんですけどね。適当に書いてみるってとこかなあ。頭からどんどん書いていくのはしんどい人が多いと思うので,まずプロットを立ててみるといいかも。A4用紙2枚ぐらいにおさまる形で,論文の流れを箇条書きにしていく。あとは,それを見ながら肉付けしていくという感じ。

8,Power Pointの「リハーサル」に注意

すごく大事。当日と同じ環境でやるべし。同じ環境というのは,パソコンが同じということ。当日焦ってる様子は,プロの研究者の人でもよく見ます。環境を同じにするということと,とりあえず一旦喋ってみるということ。そのとき誤字にも気付くし,論理の不自然さにも気付く。まじおすすめ。

9,質問を恐れない

まあ怖いですけどね。質問が怖くなくなるまで勉強するということかな。フロアよりも自分のほうが詳しいと思えば質問なんてへっちゃらです。ただ卒論でそこまでいくのは大変だと思うので,コツとして,人があまりやらないことをやるということになるかな。そうすれば先生もよく分からないということになり,そんなにきつい質問は飛んでこなくなる。

10,自分に合った先生を見つけて、その言うことを良く聞く

そういうことです。色んな人に接しましょう。合う人が一人はいるから。

研究テーマを探している学生のときに考えた事 | Lifehacking.jp

1,二つか三つ、キーワードを選ぶ: 「地球温暖化と日本」といった感じで興味のあるものを二つか三つのキーワードで限定します。キーワードを2、3個選ぶ事で「興味の地平」ができあがります。

2,Google Scholar でそのキーワードを検索し、定番といわれている論文を20本ほど取得。一つ一つを読んで理解した点を論文1本につき、カード1枚にまとめる。

3,カードを並べて、知識のつながり、体系を一つの物語にする。「論文 A がこの概念を提唱し、論文 B がそれを拡張した。しかし論文 C がそれにアンチテーゼを提出している」という具合に。

レビューの部分。もうこの通りやってみてという感じ。3が大事。ホワイトボードなど活用すべし。

ハーバード大学医学部留学・独立日記 ... Nature論文を5分でプレゼンテーションする

プレゼンについて。プレゼンは反応がダイレクトに分かるから,それだけにつらいときは本当につらい。心折れそうになる。そういうわけで,プレゼンのうまい外人に学びましょう。キーワードは3つ,relate,story,context。

relate:聴衆の関心を誘う

story:研究を物語的に提示する

context:何の役に立つのかを示す

場合によってはrelateとcontextはかぶってくるので,特に大事な2点は「その研究は何と関連しているのか」ということと,「発表に用いる要素同士のつながりを意識する」ということ。そういうのは,友達に自分の研究の話をするとかをイメージするといいと思う。多分教授を前にしたような話し方はしないはず。目の前にいる人に何かを理解させようとするとき,「つかむ」ことと「物語」が非常に大事。まず関心を持ってもらい,次に納得させる。そんな感じ。

結局特に意識しとくといいのは,「レビュー」と「プレゼン」ということになるのかな。多くの卒論生がつまづくのもこのあたりだと思う。先行研究を読むということは避けて通れない。人前で発表するのも避けて通れない。じゃあせめて楽しくやりましょうということで,本エントリーを少しでも活用していただければ。

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計算サイト

高精度計算サイト の計算

これちょっとすごいかもしれない。メモ。ところで最近ははてだで書いてます。はてだのほうが便利ね。正直。

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2008年04月20日

笑う,泣く,怒る,すべて生理現象?

生きるすべ IKIRU-SUBE 柳田充弘ブログ : 橋下知事の涙

まあ僕も泣いてしまったものは仕方ないという意見なんですが,あ,いや,もうちょい進んで,別に泣いてもいいじゃんという意見なんですが,別に女性は人前でよく泣くとは思わないんですがどうなんでしょう。責任ある立場の女性が公の場で泣くというのはよくあることなんですかね。あまり見たことがありません。公の場に限定しなければ女性のほうが泣きやすいとは思いますが。

なんか最近ヒラリーさんといい,人前で泣くということがよく議論されますね。先日研究室の先輩とも議論したんですが,彼女はわりと否定的な立場でした。僕は誰かが泣いているということを不愉快に感じた記憶がないので新鮮な意見でした。ずるい涙とかあるんでしょうけどね。それでも泣くというのはやはり重要な行為だと思うわけです。

ところで,喜怒哀楽というものを考えたとき,生理的な行為として考えてみると「喜」は「笑う」,「怒」は「怒る」,「哀」は「泣く」,「楽」は・・・これも笑うかな?に相当するかと思うんですが,笑うのと泣くのは我慢できないと思うんですよ。特に笑うのはきついかな。ダウンタウンの番組しかりですね。そして,涙を制御できないということはある。

でも怒るのは我慢できると思うんですよ。切れるとかなのかなあ。僕にはぷっちんという経験がありません。切れつつも,どこかで冷静な自分がいる。制御できない怒りというものは存在するのでしょうか。

そこらへんの理由で,僕は怒るという行為を少しさめた目で見ていると思います。つまり,泣いてる人を見ても腹は立たないけど,怒ってる人を見るとちょっと腹が立つ。パフォーマンスに見えるからですね。前述の先輩の意見と同じ構造なのかもしれません。でも「怒るのは生理現象だから仕方がない」なんてことになるとみんな我慢しなくなりそうですね。恐ろしい。

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共産党支持者急増だそうです

世界の片隅でニュースを読む : 日本共産党の支持急増について

ほー,そういう現象がありますか。まあ実は僕もこないだの参院選では共産党に入れました。しかし,日本における共産党の行動というのは最近なんとなく見えてきた気がしてるんですが,そもそも資本主義,民主主義,共産主義,社会主義といった言葉の異同がまだきちっと理解できてない。勉強しなきゃ勉強しなきゃとは思ってるんですけどね。なかなか。ところで,以下のパラグラフはなかなか強烈です。

昨年の参院選で「生活第一」と公約した民主党が早々に最低賃金法改正と労働契約法で有権者を裏切り、本気で貧困問題を解決する意思がないことを露呈する一方、共産党は国会で雇用差別や貧困の解消策を提起し続け、そのクライマックスとも言える2月8日の衆院予算委員会における志位和夫委員長の歴史的質疑がマスメディアの黙殺や他党の妨害(今もこの日の会議録だけが出ていない)にもかかわらず、比較的若い世代を中心に大絶賛された。

二大政党制というのもよく分かりませんが,普通は経営者側の政党と労働者側の政党で構成するんですよね。そんな単純じゃないかもしれませんが。イギリスとかはそうだったと思うんですが,そもそも自民党と民主党って何が違うのか僕にはよく分かりません。上の文章によれば民主党は労働者側に立っていないっぽい。であれば民主党が政権をとったらこうなるというのは相当見えづらい。

今僕が一番政治に関して興味があるのは労働環境改善なので,その視点に立つと支持すべきは共産党という気がするんですけど,共産主義って財産共有ですよね。つまり資本主義の逆なのかな。それは,僕の受けてきた教育に照らし合わせるとうまくいかないんだろうと思う。共産党の人たちは財産共有を目指してるんですかね?そういうのもよく分からない。労働党とか言ってくれれば分かるのに。

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2008年04月19日

公務員叩き

公務員を大リストラすれば日経平均は暴騰する?:アルファルファモザイク

うーん,みんな公務員嫌いだなあ。こういうスレを見ると2ちゃんって結構偏ってるなと思いますね。一部の公務員がいい加減にやってるから全体を粛清って発想は普通否定されそうなもんですが,公務員については思考停止。民間もえらそうなこと言えるほど立派でもないと思うんですけどね。公務員がもしこのまま縮小されていったら,次の矛先は確実に民間に向けられるわけで,そのとき「やはり公務員は必要だ」みたいな話になるんでしょうね。

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中国いじめ

切込隊長BLOG(ブログ): 「善光寺が聖火リレー出発地を辞退」なんて報道で喜んでる奴はおかしい

そう。僕はこっち側の立場でいたい。なんか,最近の日本の報道は,叩けるそうなものをよってたかって叩くという方向に偏ってる。それはいじめ。朝青龍も亀田もそうだし,中国も似たようなもんだ。そういうの思考停止というんです。つーかあまり他人を嫌うもんじゃない。まあ許せないという場合もあるだろうけど,ほとんどの人は別に被害をこうむったわけじゃなかろうに。他人を嫌うのはすごいエネルギーを使う行為なので,是非その力を別のところに。

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2008年04月18日

「わからない」って結構きつい言葉だ

404 Blog Not Found:三番目のわからない人間

あー。同感。なんだけど,分かりたくない人間とお前は間違っていると言いたい人間は大差ないような。ただ本当に分からない人間と分かりたくない,お前は間違っていると言いたい人間の識別は,その後詳説を求めてくるかどうか。分からないから知りたいのか,分からないからこれで終わりっ!なのかということ。

で,このことを知っているとどう便利かというと,本当は分かりたくない,お前は間違っていると言いたい人間が,表面上ただ本当に分からない人間のような態度で接してくることが実に多いから。そしてまたそれを隠れ蓑にしてくる。「違うよ,気に入らないとか糾弾したいとかじゃなくて,ただ本当に分からないから聞いてるんだよ」って感じ。ご注意。

ところで,「分かる」って言葉の語源って,見たまま,「分けられる」ってことなんですよね。カテゴライズできるということ。「何ではないのか」が分かるということ。ある概念をあるカテゴリーに分別できたとき,人は「分かった」と思う。これは僕の意見じゃなくて某教授の話ですが。

で,「分からない」というのは,「どのカテゴリーに入れたらいいのか分からない」ということ(トートロジーか?)。パターンとして,とりあえず2つぐらい考えられる。「言ってることが曖昧ではっきりしない」という場合と,「自分の想像の範疇を超えている」という場合。どちらにせよ,明確なカテゴライズはできない。人から「分からない」と言われたとき,自分の発言が前者,後者どちらに所属しているせいで相手が分からないのか,ちょっと立ち止まって考えてみるのもいいかも。

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2008年04月16日

赤ちゃんの抱き方を科学的に解明し,赤ちゃんロボット開発へ

赤ちゃんの抱き方、科学的解明へ ロボット工学の専門家ら (1/2ページ) - MSN産経ニュース

これはうちの指導教授の関心どストライクだと思うのでクリップ。目的は赤ちゃんロボットの開発だそうです。やっぱそういう目的になるよねえ。うちの研究室の先輩数名がこういう研究をしているのですが,何か関連してくることはあるんだろうか。あるといいなあ。

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お互いに首を絞めあう時代(追記あり)

一番怖ろしいのは…。 - シートン俗物記

ああ,うん。これは面白い視点。法律に従うのは勿論大事なことなんだけど,重要なのは他人にはきっちり従わせようとする反面,自分には甘くするということ。「俺はそんなことしない」ってのは「うちの子に限って」みたいな話で,想像力がちょっと足らない。人間の行動は環境に規定される部分が大きいから,今の環境ではやらないかもしれないけど,環境がちょっと変われば気持ちも行動も変わる。

それとね,一歩ひいて,「自分がちゃんとやってることだからみんなちゃんとやるべき」って考え方でも,個人的にはどうかと思う。それは体育会系の論理というか,子どもの理屈。自分だけ苦労するのは納得できないというやつ。この手の論理は仕事がつらい系の議論でよく出てくるけどね。「残業が月100時間を越え,つらいので辞めたい」みたいな話に対して,「俺は月200時間だ,甘えるな」とかそういうの。この論理を尊重していくと,すべての人間が最もつらい人間に合わせなければならないことになる。そこは地獄だ。

知人が現在を指して「みんながお互いに首を絞めあってる時代」と形容してた。こういう話を見ると,そうだよなあと再認識する。個人主義ってのは相手の個を尊重してこそなんだが,さすが日本人,できてないね。相手も自分の常識に従うべきだという思いが強い。そこから脱却していかないと,自由に生きる周りの人間を見ていたらイライラが募るばかりだろうね。

http://d.hatena.ne.jp/tragedy/20080416/p1

なるほど,こっちのほうが筋が通ってる。自分の「感情」を「常識」にすりかえちゃうわけね。やだねえ。

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2008年04月14日

ブッシュの一言

ブッシュ 続・妄想的日常

うーん,真理だ。ところでブッシュさんは別につける薬もないバカだとは思わないんだけどみんなそういうこと言うよね。

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2008年04月12日

専門家対素人

「知らないことに関しては調べてから言いましょう」がなぜか「だまってろ」に変換される問題 - ARTIFACT@ハテナ系

これは最近結構よく考えていることです。「詳しく勉強する気にはなれないけど発言はしたい」というのを認めるかどうかですね。

まあ場合によるんですけど,その素人の方の発言に何か間違いが認められるなら,専門家の人はそこを正してやればいいんじゃないかと僕は思ってしまいます。「勉強して出直して来い」はなんというか愛がない。

それとね,勿論場合によるんですが,専門家の人も説明できない場合があるんですよ。明らかに間違ってるんだけど,どう説明したら分かってもらえるかが分からない。だから「勉強しろ」で済ますという場合がある。専門家って,意外に「分かってる」人同士のぬるい議論で満足しちゃってる場合があります。

そこらへんの違和感が残るので議論に発展するんでしょうね。分からないことがあったら分かる人に聞くというのはごく自然なことなので,がんがん質問したらいいと思いますよ。そのとき大事なことは,答えてくれそうな人に聞くということです。そこはお互いのマナーというかね。

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読売新聞も縮小するときがいつか来るんだろう

読売新聞がジャーナリストを“言いがかり”で言論封殺(前編) : 日刊サイゾー

まあ確かに読売は押し紙について記事載せませんよね。他人の批判するなら自分のとこの批判も載せろよという気はするんですが難しいだろうなあとも思います。今みたいな新聞にしてもテレビにしても大手に集中しているのは言論という概念からするとあまり良いことじゃないと思うんで,もうちょっと拡散したほうがいいという気持ちはあるんですが,そうすると新聞配達店で働いている人は職を追われるわけで,それ考えるともうちょっとこのままでもいいかなとか思ってしまいます。難しいとこだ。徐々にですかね。

ちなみにリンク先については,読売が言論封殺したというのは言い過ぎじゃないかと思います。裁判所の判断理由が載ってない時点で偏った報道になってる。

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障害とは

精神障害者、知的障害者はどう違うのですか? - Yahoo!知恵袋

かんたんに言うと知的障害はIQに問題があり、精神障害は病気です。

知的障害は発達段階における先天的なものがほとんどで、基本的には回復しません。精神障害は病気の一種のため、誰もがいきなりかかる可能性があり、治療の経過によってかなりの回復が見込めます。東大卒等インテリジェンスの高い人もたくさんいます。ちなみに代表的なのは統合失調症ですが、胃潰瘍よりも発症率は高いです。


(注:障害について書いていますので,内容や表記などに問題があると感じられた場合は是非お知らせください。)

最近ずっと障害について勉強してるんですが,まずひっかかったのが「知的障害者と精神障害者って何が違うの?」ということ。ネットで調べた限りでは一番分かりやすかったのが上の区別でした。この区別でいくと発達障害は知的障害となりそうなんですが,うちの大学の教授に聞いてみたところ,現在の流れとしては「第4の障害」という扱いになりそうとのことです。

さて,上の区別で分かりやすいのは間違いないんですが,次の疑問として「精神障害者は精神の病気にかかってるだけなのになぜ障害者扱いになるの」となりますね。一般に障害と疾患を分ける線として可逆性,可変性という言葉が用いられます。治るかどうかですね。上記のとおり,知的障害は治りづらいけど,精神障害は治りうる。こうなるとなおさら,なぜ精神障害というカテゴリーが必要なのかという話になってきます。

これについては現段階ではよく分かりませんでした。精神障害を調べていくと,根本的な問題として,「精神って何?」というところにたどりつきます。wikipediaの言い方を借りますと,所在地が明示できない。そういう曖昧な部分があるので,現実的な問題として障害者として認定すべきであるというような議論があったのかもしれません。wikopediaの「障害者」項には,

障害者(しょうがいしゃ)とは、

1. 身体障害者……視覚・聴覚などの感覚器官のはたらきや、運動・学習などの能力が十分でない人
2. 精神障害者……精神に何らかの障害を持つ人

とあります。1の定義はだいぶ曖昧なんですね。実際連続線上にあると言えるのかもしれません。

僕としては,「障害者と認定されたほうが本人にとって利益がある場合」という考え方でとりあえず進めてみようかと思っています。実際公的補助も結構ありますし,教育を受ける場合や,就職の際など,障害があるのならあると認めてしまったほうがメリットが大きい場合は多いです。ただ勿論,偏見の目や,本人の思いなど,簡単ではない部分も大きいので総合的な判断が不可欠ですが。

障害については,その歴史も研究対象として大変興味深い点です。つまり,我々人間は障害者とどのように接してきたのか。この問いについては,残念ながら不幸な歴史があることが想定されますし,現在が歴史に比べてどこまで改善されているかにも疑問の余地があります。これら,医学,法律,歴史という側面からアプローチすることによって,障害を持つ人とのよりよい関係性が築けるのではないかと考えています。

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2008年04月11日

take6/don't give up

YouTube - Take 6 LIVE - Don't Give Up



talk6の楽器入りの曲の中では一番好きな曲です。原曲はchoirが入っていてさらに熱いですが,この映像でもその迫力は結構伝わってきます。僕はgospelの中でも特にこういう曲が好きなんで,take6もこういう曲を歌ってくれてるのは嬉しいですね。

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自分,他人に甘い,厳しい生き方

世の中には、どのタイプの人が多いか?:アルファルファモザイク

こういうの以前議論してみたことがあります。そのときはこの分け方とちょっと違って,甘い×厳しいの4通り。つまり,

1,自分に甘く,他人にも甘い
2,自分に甘く,他人に厳しい
3,自分に厳しく,他人に甘い
4,自分に厳しく,他人にも厳しい

となるわけですね。で,人が発達する中でこの4つを通っていくのかもというような話になりました。漠然としたイメージですが,1はお母さんタイプ,2は学生タイプもしくはやな上司タイプ,3は良き上司タイプ,4は新人サラリーマンタイプとしてみたんですね。

ちょっとよく分からないだろうと思うのでもう少し書きますと,古き良きお母さんは自分にも他人にも甘くできそう。そして恐らくこのタイプが一番生きてて楽しい。

逆に一番鬱陶しいのは自分に甘く他人に厳しいタイプ。嫌われそうですよねえ。ただ多くの人間がこの段階を通るのだろうと思う。他人に厳しいってことは何か理想を持っていて,他人がそれに従うべきだと考えている人。僕は学生の頃そんな感じだったような気がします。周りもそんな人が多かったような気がする。でも自律心がないから,2のようなタイプになる。

学生以外だとどういう人がこのタイプになりそうかと思って考えてみたら,なんか駄目上司はこういうタイプになりがちかなとか思いました。なまじ権力があるから部下とかにはがんがん理想を求めるんだけど,自分はもうできてるもしくは昔頑張ったとかであまり努力しない。まあテレビとかに出てくるステレオタイプな人の話ですけどね。実際存在するかどうかは知らない。

さて,後者2つ,自分に厳しいタイプ。自分に厳しいんだからそれは立派なんですが,贅沢を言えば自分には厳しくとも他人にそれを押し付けずにいて欲しいものです。これが自分に厳しく他人に甘いタイプ。「俺が頑張るからみんなは自分のペースでやってくれればいいよ」ということで,良い上司はそういうこと言いそうだとか思ったんですが,教育とかの視点で見ると一概にこういう上司がいい上司とも言えない気もします。

自分に厳しく他人にも厳しいタイプ。実はこのタイプは想像が難しくて,どういう人なのか迷いました。研究者にもしかするとこういう人がいるかな。宗教者とか。すべての人間は正しく生きるべきだ的な価値観の持ち主は,自分にも他人にも厳しく生きてそうだ。

そんな風に4つに分けてみて,ここに「発達」という概念を持ち込んでみる。前述のように,僕個人としてのベストは自分に甘く他人にも甘いお母さんタイプ。そしてワーストは自分に甘く他人に厳しい面倒くさい人タイプ。後者からスタートしてゴールが前者というイメージ。

ああ,でも子どもとかは自分にも他人にも甘いかもしれない。世の中のルールを知るうちに,自分に甘く他人には厳しくなっていくのかも。とすると,スタートもゴールも自分に甘く他人にも甘いなのかも。

それはともかく,途中どのような発達を経るのか。自分に甘く他人にも甘く生まれた子どもは,小学校とか行って人間は守るべきルールがあると教え込まれると,自分以外の人間がきちんとそれを守れているのか気になってくる。結果,他人に厳しくなっていく。でもまだ自律心が確立していないから,どこかで自分にだけは甘くなる。

自分に厳しくなれるのはいつごろか。僕は相当遅かったというかいまだに自分に厳しくできている自信がないので一般論は言いづらいんですが,やはりこれは社会に出てからではないだろうか。自分に厳しくせざるをえなくなる。そして当然他人に甘くする余裕などないので,自分にも他人にも厳しく接するようになる。

その後,ある程度仕事に余裕が出てきて,責任が持てるようになると,他人に甘くすることが可能になる。これが良き上司タイプ。自分は頑張るけど,全員がそうするべきでもないという境地。僕はこういう人は好きです。

ただ,権力とか持ってくると,上とは逆に,徐々に自分に甘くなり,しかし他人には厳しいという人が出てくる。これがやな上司タイプ。やだけど,一定数いるような気もする。そして,お年寄りのことを思い浮かべてみたんですけど,この自分に甘く他人に厳しいタイプのお年寄りって結構いるような・・・勿論彼らの心のうちが分かるわけもないんですが,端からそう見えるようなお年寄りっていると思うんですよ。ということは,自分に甘く他人にも甘いという境地に達することなく死んでいく人もいるのかもしれない。

人は,自分にも他人にも甘い存在として生まれ,紆余曲折を経て同じ状態に戻り死んでいく。そう考えると分かりやすいんですが,そういう分かりやすい発達の軌跡を捻じ曲げるのは恐らく「社会」なんでしょうね。生きていくこと自体が大変だから,自分に甘くする余裕が持てない。これは世の中の8割かそれ以上が共通して持っている感覚じゃないかと思います。

理想は自分にも他人にも甘く生きること。ただそれはゴールであって,今すぐそうなれなくてもいい。自分に厳しく生きる時期は必要。気をつけるべきは,自分に甘く,他人に厳しくなっていないかということ。この話は,そんな風に捉える程度で十分なんだろうと思います。

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2008年04月05日

ドリカムは素晴らしい。そして,ゴスペル

YouTube - ドリカム (2) − 何度でも LOVE LOVE LOVE

この映像は勿論最高なんですが,どうしてもゴスペルと比較してしまうわけです。この感動の先に,わけわかんなくなって,思うままに叫びたくなって,感極まって卒倒するという状況がありうる。

4〜5年前に初めてゴスペルを見たときの記憶はいまだに鮮明に残っています。幕が開いて,600人のchoirが出てきたときの感動。指揮に徹していたプロデューサーが客のほうを向いてリードを歌い始めたとき,生まれて初めて歓声を上げた瞬間。3曲目ぐらいからもうchoirが感極まってばたばたと倒れていくのを,何も不思議と思わない,この状況で卒倒するのはごく当たり前のことと思えるようなあの場。

あの時僕の音楽観は180度変わったのだろうと思います。ああいう感動をもう一度と言わず何度でも味わいたい。それは恐らく,日本にいてはなかなか達成できない夢だろうと思うので,アメリカに行くことが心から楽しみなんです。

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子どもはなぜいじめるのか

日本の「安心」はなぜ、消えたのか - 池田信夫 blog

著者は、いじめは子供が集団を形成するとき異質な分子を排除する伝統的な行動だと指摘する。それが「心理的外傷」を与えるほど暴力的になるのは、多くの子供が喧嘩や悪口などのノイズに免疫がないため、群衆行動に走るからだ。したがって、インターネットから子供を隔離して「無菌状態」に置くのは、かえって子供の免疫力を弱め、いじめを助長するおそれが強い。

この3行は深い。1行づつ見ていきましょう。

著者は、いじめは子供が集団を形成するとき異質な分子を排除する伝統的な行動だと指摘する。

いじめとは何か。僕は,「あいつはいじめてもいい」と集団から認知されてしまった子どもがターゲットになると考えています。いじめっこは,そういった間主観性,いわゆる「空気」を敏感に判断し,いじめ行動に入る。いじめっこの多くは,そういった感覚に秀でた子どもです。そういう僕の主張と,この1文はほぼ同義ですね。

それが「心理的外傷」を与えるほど暴力的になるのは、多くの子供が喧嘩や悪口などのノイズに免疫がないため、群衆行動に走るからだ。

これはちょっとよく分かりませんが,「群衆行動」というのは暴力的であるということ?個人の判断よりも状況の判断が優先されるといった議論でしょうか。であれば,同感。

したがって、インターネットから子供を隔離して「無菌状態」に置くのは、かえって子供の免疫力を弱め、いじめを助長するおそれが強い。

ここは慎重な議論が必要でしょうね。子どもたちに,エログロを見せるべきか否か。感情的に見せたくないと思うということは尊重してもいいのではないかと思います。極端な話,影響を受ける子も受けない子もいるわけで。そこはもう,それぞれの親が我が子を見ながら判断するしかない部分かもしれません。

子どもをどういう状況に置くべきかという議論は,子どもにどうあって欲しいかという議論と一対で,それはもう国策なんです。子どもは本来こうあるべきだというような抽象的な議論では問題は解決しない。大人の側が,自らの欲求として,子どもにはこうあって欲しいと思うからこそ,子どもへの抑制を行う。それを,何か天の声のような議論にすりかえてはいけないと思います。

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結局ペットボトルのリサイクルはしたほうがいいっぽい

ペットボトルのリサイクルは駄目という説に対する反論が目立たない理由 | WIRED VISION

なるほど。このエントリで僕の中ではかなり問題がクリアになりました。確かに武田さんの「独自の計算」は表に出てきてない。そこは提示すべきでしょうね。ただ,武田さんの主張する「リサイクルという免罪符」という発想は非常に有益なものだと思うので,いい部分はいいものとして残して欲しいなと思います。

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これ,monster parentか?(追記あり)

痛いニュース(ノ∀`):「朝忙しいから親の朝食も用意して」「ブランドの服に名前書かせるな。売れなくなる」 保育所にクレーム殺到、対応事例集を作成…富山

monster parentは問題ですが,ここに出てくる2つの要求はそれほど理不尽じゃないですよね。朝食を教育機関が用意するというのは一考に値する意見だと思いますよ。家庭に任せてもついつい抜いてしまう現状がありますからね。バランスの取れた朝食を保育園なり小学校なりが用意して,その代わり早く帰れるとか,昼食をとりに帰れるとかするのは悪くないと思います。

ブランドの服に名前を書かせるなというのも,分かります。子ども服は1人の子どもについては寿命が短いですから,売る前提で買うのは悪くないと思いますし,名前を書きたくないというのはまっとうな意見でしょう。

結局言い方というかね,同じ内容でも怒鳴り込まれれば立派なmonster parentだろうと思います。「すいません,どうしても名前書かないと駄目ですかね・・・?」みたいな言い方をしている人をmonster parent扱いはしないでしょう。関係性の形成が優先されるのだろうと思います。まあ勿論,他の事例も見てみないと分かりませんけどね。一番センセーショナルな事例を持ってきてこれなら,それほど問題とは思えない。

追記:コメント欄でご指摘いただきました。「親の」朝食を用意しろって話なんですね。失礼しました。でもなんか,「私の朝食も作ってもらえません?」ってある意味で良好な関係じゃないと言えない発言のような気がするんですけどどうなんでしょうね。つーか子どもの朝食作るのはもはや自明?やってるって話はあまり聞きませんが。

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